サッカー日誌 / 2015年11月29日


ラグビー・リーグの空席問題


サロン2002例会
(11月27日、東京錦糸町「4:4:2」)

★「売り切れ」だのに空席
 ラグビーの日本代表チームが、イングランドで開かれたワールドカップで、南アフリカを破るなど劇的な活躍をした。
 それで、ラグビー人気が盛り上がり、11月13日に開幕した「トップリーグ」の切符は「売り切れ」と報道された。
 ところが、ふたをあけてみると、秩父宮ラグビー場は空席が目立った。
 「売り切れ」だとして当日売りはない。
 空席があるにもかかわらず入場できなかった「お客さん」がいたわけである。
 なぜ、こういうことが起きたのか?
 フットボールを語る「サロン2002」の月例会で、これが話題になった。
 「入場券の売り方」に問題があるという。
 トップリーグは企業(実業団)チームのリーグ(連盟)だが、試合の経営はラグビー協会が行っている。

★親会社に押し売り
 かりに、である。
 2万枚の入場券を売り出すとする。
 そのうち5千枚は一般に前売りする。これは完売である。
 残りの1万5千枚を、協会が出場2チームの親会社に押し付けて買ってもらう。
 会社は、社員の福利厚生費として、入場券代を協会に支払う。協会の立場としては「完売」である。
 会社は、切符を社員にタダで配って、自社のチームの応援に行くよう働きかける。
 しかし、切符を配られた社員が、すべて応援に行くとは限らない。
 そういうわけで「完売」しても空席が出るらしい。
 これは、入場券販売の仕組みの問題であるよりも、試合を主催ないしは運営する主体の問題があるように思った。

★クラブの自主経営を
 リーグの試合を主催ないし運営するのは、協会ではなく、ホームチームのクラブであるべきだ。
 これが、サッカーに関して、1960年代から、ぼくが「サッカー・マガジン」誌上で展開したキャンペーンだった。
 「入場料は誰のものか?」「チームによる自主運営を」という主張を書いた覚えがある。
 ぼくの書いた記事の影響だと自慢するつもりではないのだが、サッカーでは、当時の日本リーグでも、現在のJリーグでも、試合はホームチームのクラブが運営し、入場料を管理している。
 ラグビーでも、リーグの試合はクラブの自主運営にし、収支の管理はクラブの経営責任にすることは、できないのだろうか?
 そうすれば、クラブが入場券を「売る」努力をし、空席をなくそうとするのではないか?


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サッカー日誌 / 2015年11月28日


『ベルリンの奇跡』


『ベルリンの奇跡』
(竹之内響助著、東京新聞発行。2015年11月)

対スウェーデン勝利と3FB

★日本サッカーの大革命
 『ベルリンの奇跡 ~日本サッカー煌きの一瞬~』という新著を読んだ。日本のサッカーを知るために、多くの人に読んで欲しい本である
 1936年ベルリン・オリンピックのサッカー競技で、日本は優勝候補のスウェーデンに3対2で逆転勝ちした。
 「ベルリンの奇跡」として知られている大番狂わせである。
 また、このオリンピックのとき、日本ははじめて「サードバック・システム」(3FB)を導入したとされている。日本のサッカーの大革命である。
 「ベルリン・オリンピックのサッカー」について触れた記事は、これまでにも、いろいろある。
 しかし、「ベルリンの奇跡」が、なぜ実現したのか? 試合の様子は、どのようなものであったか?
 「サードバック・システム」を、どのように学んだのか?
 その内容を、まとめて記述した本は、ぼくの知る限り、なかった。

★サッカー史の貴重な著作
 竹之内響助さんの『ベルリンの奇跡』は、それを具体的に詳しく描いている。
 この本の第2章~第3章(68~190ページ)は「ベルリンの奇跡」の全容である。
 シベリア鉄道を経由する2週間の旅。ベルリンの地元クラブとの練習試合で、サードバック・システムの相手と対戦したときの様子などが、具体的に、詳細に述べられている。
 竹之内さんは、この本を書くために、当時の資料を丹念に読み込んでいる。
 同盟通信の記者で、コーチの名目でサッカー・チームに同行した工藤孝一さん(戦後の早稲田大学監督)の文章が、有効に引用されている。
 テレビの発達していない時代だから映像を見るのは難しいが、ニュース映画の断片的な映像を見ている。
 日本サッカー史にとって、貴重な著作である。

★竹内悌三と石井幹子
 プロローグは、戦後、間もない1951年に神宮競技場で行われた国際親善試合で、スウェーデンのクラブチームに、一人の少女が花束を渡す場面から始まっている。
 エピローグは、2011年にベルリンのブランデンブルク門のライトアップを見守る日本人女性の描写で終わっている。
 その女性は、50年前のサッカー試合で花束を渡した少女である。石井幹子(もとこ)。世界的な照明デザイナーだ。
 石井幹子の父親は、ベルリン・オリンピック・サッカー代表の主将だった竹内悌三である。
 竹内は、太平洋戦争で軍に招集され、満州で敗戦を迎え、ソ連軍による収容所の過酷な強制労働の中で病死した。
 栄光に包まれていたオリンピック選手が、戦争のために悲惨な最期を遂げた。
 しかし、その娘は戦後の苦難を乗り超えて育ち、父親と縁のあるサッカーと、スウェーデンと、ベルリンにかかわった。
 この数奇な物語と平和への思いが、著者にこの本を書かせたのだろうと思う。


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サッカー日誌 / 2015年11月23日


「クラマー氏 感謝の会」(下)


マス・メディアへの啓発

日本サッカー協会主催追悼会
(11月19日・JFAハウス)

★中条一雄さんの功績
 日本サッカー協会主催の「デットマール・クラマー氏 感謝の会」のとき、協会最高顧問(元会長)の川淵三郎さんがスピーチの中で、中条一雄さんとクラマーさんの関係を取り上げた。
 中条さんは、突然指名されて立ち上がることになって、びっくりしていた。
 中条さんは、元朝日新聞記者のスポーツ・ジャーナリストである。クラマーさんとは、もっとも縁が深かった。
 1960年に日本代表チームが西ドイツ(当時)に遠征したとき、チームの主務を兼ねて朝日新聞特派員として同行した。
 日本のサッカーが、クラマーさんの指導を受けたのは、このときがはじめてである。
 中条さんは、クラマーさんを取材した最初の日本人記者になった。その後も、クラマーさんの仕事を日本に紹介するのに、もっとも大きな役割を果たした。

★サッカー記者を大事に
 協会主催の「クラマー氏 感謝の会」には、中条さんのほかにも、当時の新聞社のサッカー担当記者が、招待を受けて参加していた。賀川浩さん(大阪産経)、松原明さん(東京中日)などである。
 当時のサッカー記者は、例外なく、クラマーさんから親しくしていただいていた。
 それは、クラマーさんのほうから、マス・メディアに積極的に働きかけたからである。
 クラマーさんは、ことあるごとに、サッカー担当記者に集まってもらって、自分の仕事を説明した。
 サッカー記者にとっても、クラマーさんの話を聞く機会は貴重だった。
 というのは、そのころは海外のスポーツ事情を知る手段が少なかったので、クラマーさんの話が、サッカーだけでなくいろいろな面で役に立ったからである。

★アマチュアリズム批判
 ぼく(牛木)自身、クラマーさんに啓発されたことが、たくさんある。
 その一つが「アマチュアリズム批判」である。
 そのころ、日本のスポーツを支配していたアマチュアリズムは「スポーツによって、お金や物質的利益を得るのは、不道徳である」という考えだった。
 プロのサッカー・コーチとして来日したクラマーさんは、日本独特の「アマチュアリズム」に驚いたようだ。
 クラマーさんは、日本の偏狭なアマチュアリズムを批判し、プロフェッショナリズムの導入を主張した。
 もう一つ、クラマーさんから教えられたのは「クラブ制度」である。
 日本のスポーツは「学校」が中心である。
 クラマーさんは、誰でも参加できる「クラブ」が、日本のスポーツに必要であることを説いた。
 こういうクラマーさんの考えの影響を受けて、ぼくは「読売サッカークラブ」の創設に動くことになった。


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サッカー日誌 / 2015年11月22日


「クラマー氏 感謝の会」(中)


日本スポーツ全体を変えた

日本サッカー協会主催追悼会
(11月19日・JFAハウス)

★全国リーグの提唱
 日本サッカー協会の主催で開かれた「デットマール・クラマー氏 感謝の会」で、協会最高顧問(元会長)の岡野俊一郎さんが、クラマーさんの業績を総括するスピーチをした。
 それを聞いて「なるほど」と改めて気付いたことがある。
 それは、クラマーさんは「サッカーだけでなく、日本のスポーツ全体を変えた」という指摘である。
 その一つが「全国リーグ」である。
 1960年代まで、日本のスポーツの選手権大会は、短期間の「勝ち抜きトーナメント」がほとんどだった。
 勝ち抜きト-ナメントでは、同じレベルのチーム同士が対戦する機会が少ない。トップレベルのチームによる「全国リーグ」を組織すべきだ。
 このクラマーさんの提案によって、東京オリンピック翌年の1965年から「日本サッカー・リーグ」がスタートし、現在のJリーグにつながった。

★他のスポーツが続く
 全国リーグ結成は、たちまち他のスポーツにも広がった。1967年からバレーボールとバスケットボールの「日本リーグ」が始まった。
 個人競技であるバドミントンも、1979年に「日本リーグ」を始めた。
 いまでは、ほとんどのスポーツで「全国リーグ」が行われている。
 いずれも、サッカーの「日本リーグ」に触発されたものである。つまり、バレーボールも、バスケットボールも、バドミントンも、クラマーさんに学んだわけである。
 クラマーさんは、実業団(企業)チームに大学チームを加えた全国リーグを提案したのだが、大学の参加は難しい。サッカーも企業チームだけで始まった。   
 バドミントンは、初期には学生チームを実業団とともに参加させたが続かなかった。

★テーピングの導入
 岡野さんの話の中に「日本に、テーピングを教えてくれたのは、クラマーさんだ」というエピソードがあった。
 ケガの予防、あるいは再発防止のために、関節などをテープで巻く。
 これが「スポーツ・テーピング」である。
 クラマーさんが来日した当時、日本には「スポーツ・テーピング」の考えはなかった。
 だから、スポーツ用品店でテープを売っていなかった。
 岡野さんは粘着用品を探してきて、鋏(はさみ)で細長く切ってテープを用意したという。
 テープの巻き方は、クラマーさんが直接、教えた。
 現在では、大相撲、野球など、あらゆるスポーツで、それぞれのスポーツ・テーピングが行われている。
 テープは、どこのスポーツ用品店でも売っている。
 その「もと」は、クラマーさんだったのである。


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サッカー日誌 / 2015年11月21日


「クラマー氏 感謝の会」(上)


五輪後の発展のために

日本サッカー協会主催追悼会
(11月19日・JFAハウス)

★愛弟子たち大集合
 日本サッカー協会の主催で「デットマール・クラマー氏 感謝の会」が行なわれた。
 クラマーさんは、1960年代に日本のサッカーを指導したドイツ人のコーチである。
 9月に90歳で亡くなった。
 日本のサッカーを根本的に改革し、現在の隆盛の基礎を築いた功績に感謝する追悼会だった。
 クラマーさんは、日本でいろいろな業績を残したが、主な仕事は、1964年東京オリンピック日本代表チームの強化とその後のための指導者(コーチ)育成だった。
 「感謝の会」には、東京オリンピック出場選手12人のうち9人が参加した。
 また1969年に東大検見川グラウンドで第1回FIFAコーチング・コースが開かれたときの参加者が6人参加した。
 クラマーさんの愛弟子の大集合だった。

★受けた指導を広める
 このクラマーの愛弟子たちが、いま全国各地でサッカー指導の中核になっている。
 これこそが、クラマーさんが日本サッカーに残した最大の遺産ではないか?
 「感謝の会」の参加者の顔触れを見て、そう思った。
 クラマーさんは、1964年東京オリンピックのあと、日本を去るに当たっての送別パーティーの席で、日本のサッカーの将来のために5つの提案をした。
 5つの提案のうちの2つは、コーチについてのものだった。
 クラマーさんのもとでコーチとして働いた長沼健、岡野俊一郎の2人、および指導を受けたオリンピック代表選手は、サッカー向上のために何をすべきかを学んできた。
 将来のために、この人材を活用しなければならない、そのためにコーチの制度と組織を整備すべきである。
 これが、クラマーさんの提案だった。

★マスコミにも呼びかけ
 クラマーさんは、東京オリンピックの試合が終わったあと、長沼、岡野の両コーチと話し合い、2人が、クラマーから学んだことを今後の日本のサッカーのために、生かすように求めた。
 選手たちのミーティングでも、同じように、自分たちが受けた指導を、全国に伝えるように話した。
 さらに、新聞社のサッカー担当記者を集めて、日本のサッカーの将来のために、自分が日本サッカー協会に提案しようとしていることを説明した。
 クラマーさんに与えられていた任務は、東京オリンピックのために代表チームを強化することだったが、クラマーさんは、その任務を超えて、日本のサッカーの未来を考えていた。そのためにコーチや選手やマスコミにまで宿題を残した。
 あれから半世紀余。
 「感謝の会」に集まった人びとが、クラマーさんの宿題を果してきたことがすばらしい。


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サッカー日誌 / 2015年11月19日


ハリル監督のチーム作り


W杯アジア2次予選E組 
日本 3対0 シンガポール
(11月12日、シンガポール=フジテレビ)
日本 2対0 カンボジア
(11月17日、プノンペン=日本テレビ)

★復帰起用の選手が活躍
 サッカー・ワールドカップ・ロシア大会のアジア2次予選の2順目の試合で、日本代表チームが、シンガポールとカンボジアに転戦した。2戦とも無失点で勝った。
 「ハリルホジッチ監督のチーム作りの方針が、ますます明らかになった」というのが、ぼくの感想である。
 ハリルホジッチ監督の第1戦のときから「新監督の良い点は用兵だ」と、ぼくは感じていた。
 今回は、それに加えて「選手を見る目」の確かさを示したと思う。
 金崎夢生(むう)と柏木陽介の起用が、それである
 金崎も柏木も、久しぶりの日本代表復帰だった。
 ともに、ユースのころから注目され、Jリーグや海外で実績を重ねてきたプレーヤーだが、ハリルホジッチ監督は、そういう経歴を知って起用したわけではないだろう。
 現在のJリーグでのプレーぶりを見て選んだのだと思う。

★「自分の目」で選ぶ
 金崎は、シンガポールとの試合で前線のワントップで先発した。これまでは岡崎慎司か本田圭佑が占めていたポジションである。
 前半20分に先取点を決めた。ゴール前でボールを受け、胸で落としてシュートした。いい形だった。
 柏木は、中盤のダブル・ボランチに長谷部誠と並んで起用された。これまでは遠藤保仁が勤めていた役割である。
 相手の攻めの起点をチェックし、前線へ走る味方に鋭いパスを出して攻めの起点となる。
 そういう場面が、なんどもあった。
 ハリルホジッチ監督が、自分の目で見て選んだプレーヤーが、期待通りに活躍した。
 勝つために安全な道を選ぶなら、実績のある岡崎や遠藤を使う手もあったはずである。
 安全策よりも「自分の目」を信頼した起用に感心した。

★組み合わせを試す
 「用兵」でも新しい試みをみせた。
 シンガポールとの試合では、岡崎、香川を先発からはずし、トップ下に清武弘嗣(ひろし)を起用した。
 カンボジアとの試合では、先発を8人入れ替え、本田を先発からはずし、香川のトップ下でスタートした。
 いろいろなプレーヤーを使って、いろいろな組み合わせを試してみる狙いだろう。
 前半は0対0で苦戦した。ダブル・ボランチの新コンビが、うまく機能していないように見えた。
 しかし、後半の最初から柏木を投入すると生き返った。
 柏木起用は今回の最大の収穫だったと思う。
 ハリルホジッチ監督は、その時点での「ベストの状態のプレーヤー」を起用する考えである。
 そうして試合を積み重ねていくことによって、代表チームの骨格が出来てくるのだろう。


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サッカー日誌 / 2015年11月10日


ラグビーW杯開催の問題点(下))


ファンフェスタ

2019年日本大会
(9月20日~11月2日、12都市)

★日本の視察団が感心
 ラグビーのワールドカップは4年後に日本で開かれる。
 その会場都市に決まっている12の自治体は、それぞれ、今回のイングランド大会に視察団を送った。
 その人たちは「ファンフェスタ」に感心したらしい。
 「ファンフェスタ」は、町の広場などに大型スクリーンを設けて行われる「パブリック・ビューイング(PV)」に、飲食物の屋台などを組み合わせた「お祭り広場」である。
 ぼくの知るところでは、2006年のサッカー・ワールドカップ・ドイツ大会のときに本格的に始まった。
 サッカーでは、2010年南アフリカ大会でも、2014年のブラジル大会でも行なわれていた。
 ラグビーでも、2011年のニュージーランド・ワールドカップで行われた。おそらく、サッカーのワールドカップにならったものだろう。
 それが、イングランドでも行われたのである。

★PVの放送権
 4年後に日本で開かれるラグビー・ワールドカップでも、各地で行われることになるだろう。
 今回、イングランド大会を視察した人たちが「ファンフェスタ」の実際を見たのはよかった。
 しかし、視察団の人たちは「ファンフェスタ」の背景と仕組みを、十分に理解して帰っただろうか?
 「ファンフェスタ」には、いろいろ問題もある。
 その一つはテレビの放送権である。
 ワールドカップのテレビ放送権は、日本ではおそらく、NHKと民放が共同で買うことになるだろう。 それは地上波と衛星波のテレビ放送の権利だろう。パブリック・ビューイングの権利は、別になるのではないか?
 2006 年のサッカー・ワールドカップ・ドイツ大会のときには、ドイツ国内組織委員会の会長だったベッケンバウアーの決断で、自国内のPVの権利を買い取ったという。

★スタジアム満員が前提
 それで、ドイツ国内では、自由にパブリック・ビューイングをすることができた。
 ぼくは、フランクフルトのマイン川の中に設けられた大スクリーンによる大掛かりな「ファンフェスタ」も楽しんだし、宿舎の隣の学校で行われていた小さな「パブリック・ビューイング」を覗いてみることもできた。
 パブリック・ビューイングだけでなく、屋台で飲み食いもできる。
 試合の入場券を手に入れられなかった人が、スタジアムに入ったのと同じ楽しみができるようにしている。
 ということは、入場券が売り切れて、スタジアムに入れない人が多勢いることが、このイベントの前提である。
 スポンサーの問題もある。
 大会についているスポンサーと同業種の別のスポンサーを「ファンフェスタ」につけることはできない。
 そういう、いろいろな問題を理解する必要がある。

 
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サッカー日誌 / 2015年11月09日


ラグビーW杯開催の問題点(中)


大赤字をトトで埋める

2019年日本大会
(9月20日~11月2日、12会場)

★180億円の上納金
 ラグビーのワールドカップの次の大会は、2019年に日本で開かれる。これが大赤字になりそうである。
 というのは、国際統括団体である「ワールドラグビー」(旧称国際ラグビー・フットボール評議会)に、9600万ポンドの上納金を納めなければならないからである。
 9600万ポンドが、日本円でいくらになるかは、国際的な為替相場の変動によるので確定はできないが、日本が開催地に立候補した時点では、約130億円だった。
 その後、アベノミックスで円安になったので、最近の相場では約180億円になる。
 この大金を日本は、入場料収入で賄わなければならない。
 現在のスポーツ大会の大きな財源は、テレビの放送権料とスポンサーの広告料だが、ラグビーのワールドカップでは、この二つの収入は「ワールドラグビー」に入って、日本の収入には、ならない仕組みである。

★日本側の収入は入場料だけ
 有料入場者数が、イングランド大会並みの約250万人になるとする。
 180億円の上納金を、入場料収入で賄うには、全試合が満員になるとして、入場料は平均1人、7,000円余にしなければならない。
 開幕試合と準決勝、決勝では、いちばん高額の席が20万円、いちばん安い席が1万円くらいになるのではないか。
 グループリーグの試合でも、高い席は3万円、安い席でも5千円ぐらいにしなければ、ならないだろう。
 これは、おおざっぱな、ぼくの憶測である。
 実際には、入場料が高すぎると、全試合を満員にすることはできない。
 また、総入場者数250万人という仮定の数字は、現在のスタジアムの収容能力からみれば現実的ではない。
 そういうわけで、上納金を入場料収入だけで賄うことは、とても不可能である。

★開催地も巨額の負担
 上納金のほかに、大会の運営費も日本の負担になる。
 そういう仕組みだから、ラグビー・ワールドカップの日本開催が、入場料収入だけでは、大赤字になることは明らかである。不足分を、どう埋めるのか?
 会場になる都市の自治体には、合計36億円の拠出を求めている。12会場だから、1会場当たり平均3億円である。
 さらにトトを中心とするスポーツ振興資金から補助を得る枠を確保している。
 自治体の負担の財源は住民の税金である。
 ラグビーの試合開催によって、観光客が増えるなど、地元の利益につながるのであれば、それでいいのかもしれない。
 しかし、トトのお金を、一つのスポーツ大会の赤字穴埋めに、なし崩し的に使っていいのだろうか?
 トトの収益は、いろいろなスポーツの普及と強化のためにもっと計画的に使って欲しいと思う。

 
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サッカー日誌 / 2015年11月08日


ラグビーW杯開催の問題点(上)


スタジアムの収容能力

2019年日本大会
(9月20日~11月2日、12都市)

★英大会は観客数新記録
 ラグビーのワールドカップ2015イングランド大会を、テレビで見ていて驚いたのは、どの試合も観客席が、ほぼ満員だったことである。
 日本対サモアのような、地元の英国人にとっては、あまり興味のなさそうなカードでも、スタンドは埋まっていた。
 全部で48試合の総観客数は、247万7805人で、史上最高だったという。
 1試合あたり5万1千人以上になる。
 2019年に日本でラグビー・ワールドカップを開催するとき、どれくらいの観客を集められるだろうか?
 心配になった。
 日本のワールドカップで、イングランド大会を凌ぐ数字を出すことは不可能である。
 日本大会の会場は12都市がすでに決まっているが、収容能力5万以上のスタジアムは、現時点では、横浜日産スタジアムと静岡県のエコバ(袋井市)の2つしかない。

★「味スタ」のスタンドを増設
 開幕試合は東京都調布市の東京スタジアム(味の素スタジアム)で行うことになった。定員49,970人である。
 ラグビーのワールドカップでは、開幕試合と決勝戦の会場は6万人以上の収容のスタジアムを要求されている。
 そのため、味スタは改修工事をしてスタンドを増設することになった。
 決勝戦の会場になる横浜スタジアムは72,329人収容である。ここは一応、基準を満たしている。
 しかし、国際統括団体である「ワールドラグビー」(旧称国際ラグビー・フットボール評議会)は10万人規模を希望していて不満だという。
 いちばん小規模なのは、岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)復興競技場だ。
 2011年3月11日東北大震災で甚大な津波の被害を蒙った町である。

★地方にスタジアムがない
 震災復興計画の核として、流失した小学校と中学校の跡地にラグビー場を建設することになった。12会場の中で唯一の新設である。
 ラグビー・ワールドカップ日本大会の計画では、鵜住居スタジアムの収容能力は16,187人となっている。
 ところが、釜石市の広報をみると、そのうち常設の観客席は1,000人分で、約15,000人のスタンドは仮設らしい。
 「なんたるムダか?」と思う。
 震災復興を支援するのならば、釜石の市民に長く役立つものにすべきではないか?
 他の会場も、それぞれ、スタンドの増設を含む改修工事を計画している。
 こうしてみると、日本には、地方に、5万人以上の規模のスタジアムが、ほとんどないことが分かる。
 ちなみに、上記以外のラグビーW杯開催地は、札幌、豊田、熊谷、東大阪(花園)、神戸、福岡、大分、熊本である。


 
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サッカー日誌 / 2015年11月05日


スポーツ組織を考える(下)


JOCと体協の役割

スポーツ政策研究会
(10月26日、四谷保健センター)

★選手強化の担い手は?
 「スポーツ政策研究会」10月例会での議論は、ぼくの提案した「スポーツ組織」のテーマからはずれて、「政府による金メダル目標の是非」のほうに傾いた。
 われわれの研究会は、ボランティアの勝手な集まりだから、議論がどこへ漂流しても差し支えはないのだが、参加者は、それぞれ別の問題意識を持っていて、議論を自分の関心のある問題に持っていこうとする傾向がある。
 議論が「金メダル問題」に傾いたのは、「選手強化」に関心を持つ人が多いからだろう。
 「選手強化はJOC(日本オリンピック委員会)の役割である」と考えている人もいるが、ぼく(牛木)は違う。 
 選手強化(レベルアップ)を担うのは、陸連、水連などの各スポーツ(競技)団体である

★存在感が薄いJOC
 各国オリンピック委員会(NOC)の主な役割は3つある。
 第一は、オリンピックの理念を自分の国で広めること、つまり「オリンピック・ムーブメント」の推進である。
 スポーツの普及による人びとの健康と福祉の増進、国際交流による世界平和の実現などである。
 第二は、4年に1度のオリンピック競技大会に選手団を派遣することである。
 オリンピック参加への「窓口」である。
 誤解されやすいのだが、スポーツ団体を統括するのは、NOCの役割ではない。
 第三には、自国の都市でのオリンピック競技大会の開催を引き受けることである。
 この点では、2020年東京オリンピック開催について、政府と東京都が前に出すぎて、JOCの存在感が薄いのは情けない。

★日体協がもっと仕事を
 選手強化の役割を担っているのは、日本陸上競技連盟、日本サッカー協会などの競技(スポーツ)団体である。
 競技団体は、それぞれ独立の団体で、それぞれの国際競技連盟(ISF)に加盟している。
 また、それぞれの世界選手権に参加している。
 競技団体は、国内では「日本体育協会」(日体協)に加盟している。一方、日本体育協会には、道都府県の体育協会も加盟している。さらに道都府県の体育協会は、市町村の体育協会で構成されている。
 市町村の体育協会のもとには、地元の競技団体がある。
 こうして見ると、日体協こそが、普及と強化を担っているスポーツ団体ではないか?
 日体協が現場の状況を吸い上げ、スポーツ政策を立案して、スポーツ庁を通じて実現させるべきではないか?
 日体協が、もっと仕事をすべきだと思う。  


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