サッカー日誌 / 2009年03月15日


東京五輪招致に反対する(8)


2度目の開催の意義は何か?

★日本だから何ができるか?
 東京都が2016年のオリンピック開催地に立候補してから、都の施設のいたるところに「日本だから、できる。あたらしいオリンピック」という標語が掲げられるようになった。スポーツの大会に行くと、必ずこの標語が電光掲示板に映し出される。
 標語だけでは、日本だから「何が」できるのかは分からない。これまでのオリンピックにはなかった「あたらしい」取組みで、日本でなければできないものって何だろうか?
 環境問題の解決や先端技術の活用を掲げた説明文を見かけたこともあるが、具体的に、どんなことを考えているのかは分からない。
 グローバル時代に、環境問題への取組みや先端技術の活用が、日本でなければできないのでは困ったものである。日本の特色を生かした大会をという意味なら、シカゴ、マドリード、リオデジャネイロも、それぞれの特色を生かした大会を計画しているはずである。

★五輪が生み出してきたもの
 これまでのオリンピックは、それぞれ何か新しいものを生み出してきた。もっとも、いいものばかりが生み出したとは限らない。
 1936年ベルリン大会は、大がかりな総合スポーツ・イベントを作り出したが、ヒトラーのナチス・ドイツの宣伝の場にもなった。
 1964年東京大会は、史上初のテレビ宇宙中継によってオリンピックを海外へ生中継で伝えたが、今になってみれば、オリンピックがテレビのためのショウになるきっかけだった。 
 1984年ロサンゼルス大会は、肥大化して財政的に破綻しかけていたオリンピックを立て直したが、商業主義化への踏み切り台になった。
 2008年の北京大会は開会式の壮大なスペクタクルで世界をアッといわせたが、中国のナショナリズムを誇示するオリンピックだった。

★空疎な美麗字句の開催意義
 半世紀前の1964年東京オリンピックは、世界に対しては敗戦から雄雄しく立ち直りつつある日本を示すイベントとなった。国内的には、大掛かりな施設の建設などが経済復興の引き金となった。それにくらべて、2016年の東京オリンピック開催の意義は、具体的には、ほとんど明らかにされていない。
 東京都の開催計画書には「アジアで初めてとなる2回目のオリンピック」という見出しで、空疎な美辞麗句が並べてある。「1国で2度開催するのはアジアでは東京が初めて」という意味だろうが、そんなことが開催の意義といえるだろうか?
 「大気汚染、交通渋滞」などの困難を「全力で克服してきた姿」を世界に示す、とも書いてある。そうであれば、オリンピックを開催する前に、環境汚染や交通渋滞のない東京を都民に見せてもらいたいものである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年03月12日


東京五輪招致に反対する(7)


経済効果にだまされるな

★2兆9400億円は利益ではない
 東京都の2016年オリンピック開催計画には「大会の経済波及効果は全国で2兆9400億円、東京都で1兆5500億円」という試算が載っている。
 ちょっと錯覚しやすいのだが、この金額は「オリンピックで得られる収入」ではない。オリンピックの準備と運営によって直接、間接に動くお金が経済効果で、それによって影響を受ける他の経済活動で流れるお金を含めたものが波及効果である。オリンピック開催の影響によって社会を流れるお金の量であって、収入ではないし、収入から支出を差し引いた利益でもない。
 この種の計算の根拠はしばしば怪しいのだが、ここでは仮にこの数字が正しいものとする。東京都がこの巨額の試算を示したのは「オリンピック開催は日本経済にとって、こんなに大きな刺激になりますよ」と言いたいのだろうと思う。

★巨額でもプラスとは言えない
 経済波及効果の金額が大きいことは、必ずしもいいことではない。極端な例をあげれば、よその国で戦争が起きれば多量の武器弾薬の需要が起きて大きな経済効果が生まれる。いわゆる「特需」である。武器弾薬を製造して輸出している国は儲かるだろうが、戦争に巻き込まれている国の経済は無茶苦茶に破壊されている。差し引き、人類にとって大きなマイナスである。
 オリンピック開催で例をとれば、大会中に役員や選手が交通渋滞に巻き込まれないようにするために環状道路の一つを完全に交通規制することが計画されている。交通規制のために動員される警備要員や設備にとってはプラスの経済効果が生まれる。
 一方、本来なら、その道路を使って経済活動をしているビジネスにとってはマイナスである。オリンピック開催は、プラスとマイナスをあわせて考えなければならない。

★「お祭り」の価値はあるのか?
 オリンピックは国際的なスポーツの「お祭り」だ。
 もともと、お祭りは秋の収穫を祝って行われたものである。「村祭り」そのものは利益を生まないが、規模は小さくとも経済効果は生む。村人は収穫の利益を分かち合い、労働の疲れを癒し、翌年の仕事のための英気を養った。だから村祭りは毎年、行う価値があった。
 オリンピックはどうか?
 大きなイベントだから、大きな経済効果が生まれるのは当然である。また「お祭り」だから必ずしも利益を生まなくてもいい。
 しかし、開催地にとっては、定期的に行われる村祭りのように「翌年につながる」効果があるわけではない。大きな花火を打ち上げて見せるだけに終わるのではないか?
 経済効果の金額にだまされないようにしたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年03月10日


東京五輪招致に反対する(6)


都市再生に大会を利用するな

★五輪意識の『10年後の東京』
 『10年後の東京』という文書がある。東京都が2006年に策定したものである。「東京が変わる」と副題がついている。これからの東京の都市計画の方針を示したものだが「都市戦略」という言葉を使っているのは、道路や施設のような「ハコモノ作り」だけの話じゃないぞ、都市の機能の話しだぞ、ということを示しているのだろうか?
 2006年の10年後は、東京が招致を目指している2016年のオリンピックである。この文書が東京オリンピック開催することを意識して書かれたものであることは明らかだ。
 「オリンピックを契機に更に高いレベルの成熟へ」「「オリンピックを梃子にさらなる自己変革を進める」などと、あちこちにオリンピックがちりばめられている。
 東京という都市が成熟し、自己変革を進めるには、オリンピックという外部の力を借りる必要があるということらしい。

★五輪を梃子の都市戦略は逆立ち
 これは考えが逆立ちしている。
 渋滞しない道路があり、スポーツが盛んで都民の関心が高い。だからオリンピックをやろう、というのなら話は分かる。
 ところが、前世紀の負の遺産である交通渋滞に悩まされているからオリンピックを開催できるように三つの環状道路を整備しよう、オリンピックを招致して東京の子どもたちのスポーツへの関心を高めようというようにも『10年後の東京』は読める。つまり、オリンピックを利用して「都市再生」を推進する考えである。
 それではオリンピックが来なければ道路を整備しないのか、子どもたちに夢を与えられないのか、ということになるが、もちろん、そんなことはないだろう。
 三つの環状道路が必要かどうか、子どもたちのために何をすればよいかは、ここでは論じない。ただ、都市再生戦略にオリンピックを利用しようという考え方は間違っている。

★成熟しすぎている東京
 『10年後の東京』のなかに「前回の東京五輪が東京のありさまを一変させたように、10年後のオリンピック開催は、成熟を遂げた東京をさらに機能的で魅力的な都市につくり変える大きな契機となる」という文章がある。
 前回というのは1964年の東京オリンピックのことである。しかし、1964年の東京と現在では事情が違いすぎる。
 半世紀前の東京は、戦争による廃墟からの復興途上だった。政治と経済を元気づけるために大きな刺激が必要だった。また、国際的な事業を成功させることによって、敗戦に打ちひしがれた国民に誇り自信を取り戻させる必要があった。
 現在の東京は成熟して太りすぎている。外部からの刺激で、これ以上太らせる必要はない。自分の力でダイエットしなければならない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年03月09日


東京五輪招致に反対する(5)


東京湾の埋め立て地をどう利用するか

★魅力的な「海の森」のスポーツ施設
 2016年オリンピック東京招致の計画の中で魅力的なのは、東京湾沿いのスポーツ施設である。陸上競技のオリンピック・スタジアムのほかに、ボートとカヌーの「海の森水上競技場」、セーリング(ヨット)の「若洲マリーナ」、カヌー・スラロームの葛西臨海公園の4会場が新設される。既設の室内競技場などの施設も改修して会場になる計画である。東京湾の海辺を望んで大きなスポーツセンターが整備されることになる。
 東京湾は、徳川家康の時代から、都市化によるごみと、港湾整備のために浚渫した汚泥の捨て場所として埋め立てられてきた。埋立地にさらに市街や工場などが広がり、ますます都市化が拡大してきた。
 その埋立地に木を植えて緑を増やし、そこにスポーツ施設を作るという「海の森」の計画はイメージとしてはすばらしい。

★海辺の施設は観衆処理がたいへん
 緑を広げスポーツ施設を作るのはいいのだが、そこでオリンピックを開くとなると問題がある。
 8万人のスタジアムは、将来活用のメドが立たないだけでなく「海の森」にふさわしくない。ここはオリンピックのときは仮設スタンドを作って10万人収容になる。水上競技場は1万4千人、葛西臨海公園は1万2千人のスタンドを作ることになっており、そのほかの会場も増設あるいは仮設のスタンドで収容能力を増やすことになる。
 短期間に集中して10数万人が海辺の施設に集まると帰りが大変である。平野部の施設だと四方八方にアクセスがあり、帰りも四方八方に散らすことができるから混雑は緩和されるが、埋め立て地だとほぼ三方が海だから集散の方角が制限される。
 山間部や海辺の施設で観衆処理に苦労している例は多い。

★都民の日常スポーツのために
 ボートやカヌーやヨットを志す人が、競技場や練習場が少なくて困っているのなら、水上競技場を作るのは悪くない。しかし万単位の観客席は必要ない。
 町の野球チームやサッカーチームで、試合のできるフィールドを探すのに苦労している都民は多い。海の森に観客席のないフィールドをたくさん作ったほうが都民のためである。
 海辺に新設される4会場だけで1400億円以上の建設費が見込まれている。その上に仮設や改修の費用がかかる。それだけの費用を17日間のオリンピックのためだけに使うのは、お金を海に捨てるようなものである。
 都民が日常的に使えるスポーツ施設を整備したら、土曜、日曜には都内のいたるところから人々がスポーツをするために集まるだろう。ウイークデーには、子どもたちのスポーツのために活用する方策を考えたらいい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年03月08日


東京五輪招致に反対する(4)


既存施設の改修は未来のために

★1964年大会施設の活用
 オリンピック開催に立候補している東京都は「コンパクトな大会」を売り物にしているが、ほぼ半世紀前の1964年東京オリンピックは、もっとコンパクトだった。
 千駄ヶ谷の国立競技場が中心で、隣接している現在の代々木オリンピック公園が選手村だった。そのほかの主要競技は代々木体育館、駒沢オリンピック公園などに集中し、半径4.5㎞以内に収まっていた。
 2016年東京オリンピックの計画は、この半世紀前の施設の大部分を改修して使用し、それに晴海の新設施設が加わることになっている。
 古い競技場を改修する計画は悪くない。半世紀たてばコンクリートは劣化し、設備は老朽化しているから改修の必要があるだろう。改修したあと、それぞれのスポーツで引き続いて活用できればいい。

★メディアの変化に対応できない
 しかし、既設の競技場をオリンピックで使うのには別の問題がある。
 たとえば、この半世紀の間のスポーツ自体の変化とメディアの進歩に、既設の競技場の構造では対応できないという問題がある。
 現在の陸上競技会では、レースが終わるとすぐに優勝者のテレビ・インタビューがある。これを「フラッシュ・インタビュー」という。次に金、銀、銅の3人をそれぞれ、メディア担当の役員が、その選手の国の言葉でインタビューして、ごく短い談話を英語にして取材記者たちに速報する。これを「フラッシュ・クオーツ」という。さらに金、銀、銅の3選手は通訳付きの公式記者会見をする。そのほかの選手たちは「ミックス・ゾーン」と呼ばれる場所を通って引き揚げ、そこで、てんでに記者たちのインタビューを受ける。ここでテレビのインタビューを受ける者もいる。こういうことは半世紀前にはなかった。

★国立競技場をどうするか
 東京の国立競技場(霞ヶ丘競技場)は代表的な例である。フラッシュ・インタビューやミックス・ゾーンを想定した構造にはなっていない。
 陸上競技の8レーンのトラックがあるが、現在のオリンピックの基準は9レーンである。しかし、レーンを増設するには敷地面積が足りない。また練習用のサブトラックがない。だから、ここでは国際競技会はできない。
 そうであれば、老朽化した現在の国立競技場を改装するときには、陸上競技用のトラックをつぶし、サッカー、ラグビーなどの球技場にすればいいと思うが、2016年の東京オリンピックの計画では、国立競技場はマラソンのスタート地点になっている。
 半世紀前のオリンピック施設を改修するのはいい。しかし、それはオリンピックのためではなく、都民のため、スポーツの未来のためであって欲しい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年03月07日


東京五輪招致に反対する(3)


コンパクト開催の大きな矛盾

★半径8キロ以内の大混雑
 2016年のオリンピック開催地に立候補している東京都は「オリンピック史上もっともコンパクトなオリンピックになる」と自慢している。サッカー予選会場を除けば、半径8㎞圏内に会場の90%が集中しているから、というのである。IOCに提出した開催計画でそう強調している。「東京の中心そのものが、巨大な一つの競技フィールドになる」とも書いてある。
 これは矛盾だらけの美辞麗句である。ふだんでさえ大混雑の大都市中心部に30前後の競技、数百種目のスポーツが押し込められ、17日間にひしめき合う。こんな大混雑が「環境と共生する新たな都市の姿を象徴する」と、どうして言えるのだろうか?
 日本の政治経済の中心が、2週間以上も「巨大な競技フィールド」になって、国全体の機能に支障を生じないのだろうか?

★オリンピック貴族に便利なだけ
 多くの競技場が車で20分以内で結ばれている。メーン・スタジアム、選手村、メディアセンターの主要施設が3㎞という近接した地域にある。だから便利だと言いたいのだろうが、コンパクト五輪は誰にとって便利なのだろうか?
 観客にとっては便利ではない。1人のお客さんが、1日のうちに、いろいろな競技を見て回ることはない。自宅あるいはホテルを出て、一つの会場にまっすぐ行き、まっすぐ帰るのが普通である。会場はばらばらにあったほうが混雑を避けられるからありがたい。
 各会場が近接していて都合がいいのは、いろいろな競技を視察して回るお偉がたである。IOCや日本のスポーツ界のトップクラスの委員たちだ。「オリンピック貴族」と呼ばれている。かつては本当の貴族が多かったが、いまではスポーツ・ビジネスに群がって、利用したり、利用されたりしている成り上がり者のビジネス・パーソンが多い。

★選手にとっても現実的でない。
 選手たちにとっても、コンパクト開催は必ずしも便利とは限らない。選手村から歩いてでも行ける距離の会場の場合は便利だろうが、実は現在のオリンピックでは、一流の選手たちは、ほとんど選手村に滞在しない。別の静かな環境のトレーニング施設を借り、その近くの宿舎を利用している。出場する日の直前に選手村に入ったり、近くの別のホテルに泊まったりする。競技場も宿舎も分散しているほうが、現代のスポーツにとっては現実的である。
 開催計画書の中に、北京オリンピックのときに多くの選手団が来日したことに触れている。中国でなく日本各地のトレーニング施設を利用したのである。東京オリンピックのときにも、多くの国の選手団が、それぞれ競技別に、日本各地に分散してトレーニングするだろう。それは悪くはないが、コンパクト五輪の考えとは矛盾している。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年03月06日


東京五輪招致に反対する(2)


日本のスポーツに役立つ施設を

★国際競技団体の過大な要求
 オリンピックのためのスタジアムには、陸上競技のトラックが9レーン必要である。国際陸上競技連盟がそう決めているからである。
 現在、首都圏に9レーンのトラックを持つスタジアムは2つある。東京の味の素スタジアムと横浜の日産スタジアムである。観客席は味スタが4万9,970人、日産が7万2,327人。オリンピック基準の8万人には及ばないが、日本で陸上競技会を開くには十分すぎる収容能力である。これ以上の大スタジアムは必要ない。
 国際陸連と国際オリンピック委員会は、日本のスポーツためを考えて基準を決めているわけではない。自分たちの都合で、せいぜい10日間のイベントのために、過大な要求をしているのである。国際競技団体の都合による無理な基準に合わせて、大会後に使い道のないスタジアムを作ることはない。そこまでしてオリンピックを開催する必要はない。

★各地にトレーニングセンターを
 日本の陸上競技を発展させるために必要なのは8万人の巨大な陸上競技場ではない。
 陸上競技をしている人たちにとって必要なのは、いつでも利用できるトレーニングのための施設である。日本各地に練習施設があれば、多くの人たちが陸上競技に親しみ、レベルを向上させることができる。
 たとえば北海道には、400メートルのトラックを持つ大室内トレーニング場を建設してはどうか。冬でも雪国の人が集まって、のびのびと練習することができる。
 ある県にはハンマー投げ専門のセンターを作る。室伏選手が、そのセンターの指導員になる。ハンマー投げの競技者人口は比較的、少ないかもしれないが、全国から利用者が集まれば、いい指導を受け、お互いに競い合い、効率的な練習ができるだろう。
 こういう施設のほうがオリンピック会場よりも日本のスポーツのためになる。

★長期分散型の施設作りを
 オリンピックは、短期集中型のイベントである。多くのスポーツと多くのアスリートを、短い期間に、一つの都市に集めて開催する。施設も狭い地域に集中して用意される。しかし大会期間が終わると、人びとは散り散りに去り、利用しにくい施設が集中して残る。あるいは壊されて土地は転用される。
 同じお金と労力をかけるなら、のちのちまでも利用できる施設を各地に分散してつくるほうがいい。短期集中でなく、長期分散型がいい。
 「オリンピックを開けば施設が残る」という考えがある。しかし、役に立たない施設を残してもしかたがない。オリンピックを開催しなくても必要な施設は作るべきである。
 スポーツ施設だけではない。道路だってそうだ。オリンピックのための道路を作るのではなく、都民の日常生活に必要な道路をオリンピックがなくても整備してもらいたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年03月04日


東京五輪招致に反対する(1)


8万人のスタジアムは大きなムダ

★落選したほうがいい
 東京オリンピック招致に反対だ。
 東京都が2016年の夏季オリンピック開催地に立候補していて、10月2日のIOC(国際オリンピック委員会)総会で開催地が決まる。候補都市に残っているのは東京のほかにシカゴ、マドリード、リオデジャネイロである。ここで、東京が落選したほうが、日本のスポーツのためにも、東京都のためにも、日本全体のためにもいい。そう思っている。
 オリンピック招致に反対する理由は、たくさんあるが、そのうちのいくつかを取り上げてみよう。そのいくつかだけでも、東京でオリンピックを開催しないほうがいい理由としては十分である。
 まず、オリンピックのために建設するという8万人収容の陸上競技場はムダである。

★五輪が終われば無用の長物
 オリンピック開催が決まれば、東京湾沿いの中央区晴海に8万人収容の大競技場を建設する計画である。ここで開閉会式と陸上競技を行うことになる。
 なぜ8万人の観客席が必要かといえば、IOCが開催の条件として要求しているからである。日本のスポーツ、あるいは東京都にとって必要だからではない。
 仮に東京開催が決まり、巨大スタジアムができたとして、オリンピックが終わった後に8万人の観客席を何に使うのだろうか?
 オリンピック期間中の10数日間だけはスタンドを埋めることは可能だろう。しかし、大会後に陸上競技の大会で8万人の観客席が埋まるとは、とても想像できない。
 ロックのコンサートのようなもので埋まることはあるかもしれないが、そのためには、9レーンの陸上競技のトラックは邪魔である。

★W杯のためには専用球技場を
 東京都民にとって8万人のコンサート会場が必要だとも思えないが、かりに巨大なイベント会場がぜひ欲しいのであれば、ロック・コンサートに向いた施設をオリンピックとは関係なく建設すればいい。
 日本サッカー協会が2018年あるいは2022年のワールドカップ開催の意思表明をし、それに関連して犬飼基昭会長が「8万人のオリンピック競技場ができることが前提」という趣旨の話をした。後になって「オリンピックが来なくても、2022年のワールドカップは狙う」と軌道修正したが、W杯後のサッカーにとって「8万人のスタジアム」が必要なのであれば、陸上競技用トラックのない、球技専用のスタジアムを建設すべきである。
 横浜の日産スタジアムなど、大型の陸上競技場がサッカー観戦に不向きなことは、ファンなら皆知っている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
     

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.