サッカー日誌 / 2011年04月30日


東京五輪1964とスポーツ医学


日本サッカー史研究会
(4月25日 JFAハウス)

◇大畠襄先生の報告
 日本サッカー史研究会の4月例会では、大畠襄(おおはた・のぞむ)先生の報告を聞いた。大畠先生は、長年にわたり日本のサッカーのために医学者として貢献し、2010年にサッカー殿堂に掲額された医学者である。
 日本代表のチームドクターを10年にわたって勤めたことがあり、20年以上も協会の医学委員長だった。東京慈恵医科大学出身で外科を専門に母校の教授を勤め、大学の健康医学センターに日本初のスポーツ外来部を開設した。大学での実績があり、現場での経験も豊富である。日本のスポーツ医学の歴史を身をもって作ってきたと言っていい。
 前年、日本サッカー史研究会にゲストとして招いて「慈恵医大のサッカー百年」について話してもらった。そのときに研究会の趣旨に賛同してメンバーに加わったので、今回は研究会の「仲間」として専門分野に関する報告をしたわけである。

◇スポーツと医学の結びつき
 初期の話を聞いていて「日本のスポーツ医学は1964年の東京オリンピックから始まったんだ」と気がついた。それ以前にも役員としてスポーツに貢献した医学者はいるが、スポーツの現場と本格的に結びついた医学者の活動は1960年代以後ではないかと思う。
 大畠先生の報告のなかに、東京オリンピックのとき首都圏の大学医学部が東京、埼玉、神奈川にまたがる30会場を分担したという話があった。1会場に医師、看護士、職員を3人一組で派遣した。慈恵医大は東京体育館の体操会場と明治神宮プールの水球会場を担当したという。
 この程度の体制では、選手や観客にケガ人や病人が出たときに応急手当をして救急車を呼ぶぐらいのことしかできなかっただろうが、ともかく、東京オリンピックでは、医学界がスポーツに全面的に協力する日本初の試みが行われた。

◇チームドクターの帯同
 東京オリンピックが終わったあとに、スポーツ医・科学を重要視する声が、じょじょに具体化しはじめた。医学に関しては、ケガ人や病人の治療だけでなく、予防やリハビリ、競技力向上への寄与に目が向けられるようになった。
 サッカーは海外に遠征するチームにドクターやマッサージ師を帯同させるようになった。1968年メキシコ・オリンピックでは、サッカーチームのために医師とマッサージ師が出かけた。日本オリンピック委員会の公式の派遣ではない。個人の資格で、サッカー協会の費用での非公式の同行だった。現在と違ってサッカー協会の財政は苦しかった。なけなしの協会財政のなかから経費を支出したのである。
 サッカーの日本代表チームに公式にチームドクターがつくようになったのは、1970年のバンコク・アジア競技大会からだという。そのときのチームドクターが大畠先生だった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月29日


東京のJクラブ運営を考える


J2 東京V 1-2 愛媛FC
(4月24日 東京・駒澤競技場)

◇ヴェルディ再興への道は?
 Jリーグ再開2日目はJ2の試合を見に行った。駒澤競技場の東京ヴェルディ対愛媛FCである。
 この試合を見に行った目的の一つは、新しいヴェルディの運営ぶりを見ることである。
もともとの経営母体だった読売系の日本テレビが手を引き、昨シーズンのはじめに旧読売クラブのOB個人が引き受けたが、スポンサーを集められずにシーズン途中で行き詰まった。そのあとをJリーグの事務局長が退職して引き継いだ。その新経営陣によってヴェルディ再興の道筋がつき始めているのかどうか? そこを知りたかった。
 ユニフォームの胸には「飯田産業」と会社名が入っている。背中にも広告がある。前年までは、胸や背中の広告スポンサーがつかないことがあった。そこのところは「一人前」になっている。ただし、ピッチまわりの看板広告はまだ少ない。

◇観客動員はまだまだ
 好天に恵まれたのに発表された観客数は4516人。ゴール裏のサポーター席は「そこそこ」だが、バックスタンドの観客はほとんどいない。豆をひとつかみ播いたようである。
 クラブ経営のためには、バックスタンドのお客さんを確保しなければならない。これは、ぼくの持論である。
 前年のシーズンに、前の経営者はバックスタンドを閉鎖して試合を運営した。味の素スタジアムの使用料が高すぎるので、スタンドの半分を借りないで経費節減をはかったのである。やむを得ない事情があったにせよ、消極的方針では再興はおぼつかない。
 ことしの新経営陣は、子どもたちのためのイベントを組み込むなど、観客動員に努力しているようすだったが、まだ成功していない。

◇都の競技場運営方針は?
 ヴェルディのホームは、ふつうは味の素スタジアムだが、駒澤を使ったのは震災の影響ではない。もともとの日程どおりである。
 味スタは使用料が高くて使いづらいので駒澤を使いたい。そういう考えは前の経営者にもあった。駒澤競技場の地元である世田谷区に働きかけもした。
 しかしナイター設備がないので、いまのままではJリーグの基準に合わない。また、建設されてから半世紀近くたって、スタンドは老朽化している。
 味スタも、駒澤も、もともと東京都の管理である。大きなスタンドを持ちながら、観客を集めるスポーツのためには、うまく利用されているとは言えないようだ。
 東京でJリーグにクラブが成り立つためには、まず東京都にスタジアム運営方針改革を考えてもらわなければならないのではないか、と思った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月28日


Jリーグ再開、震災の影響は?


J1 鹿島 0-3 横浜Fマリノス
(4月23日 東京・国立競技場)

◇鹿島のホームゲームを東京で
 Jリーグが大震災で7週間の中断のあと再開した日、東京はあいにくの風雨だった。
 国立競技場に鹿島アントラーズ対横浜Fマリノスを見に行った。鹿島のホームゲームだったが、県立カシマ・サッカー・スタジアムが震災で損傷したため、東京で開催したのである。
 ビジターの横浜Fマリノスのゴール裏応援席に「来年は鹿島でやろう」と書いた横幕が出ていた。「来年までには復興しようぜ」という激励のメッセージなのだろうか?
 試合前にアナウンスがあった。「このスタジアムは、地震に耐えるように作られています。地震があっても慌てずに、その場にとどまってください」という趣旨だったように思う。「本当に大丈夫なのだろうか」。思わず上を見上げて、記者席の上につり下がっている機器が落ちてこないかと不安になった。

◇震災の影響で鹿島が不利
 試合は鹿島が0-3で敗れた。スコアの上では鹿島の完敗だが、内容に大きな差があったわけではない。シュート数は鹿島が13、横浜が4である。
 試合の展開を決めたのは、立ち上がり3分にこぼれ球を拾って小椋が決めたロング・シュートである。試合が始まったばかりの時間帯で、鹿島の選手たちは試合のリズムに入りこめないでいた。その隙を突かれた。この失点を見て「鹿島の選手たちに落ち着きが欠けているのは、震災の影響かな」と思った。
 後半31分の2点目はコーナーキックからゴール前のヘディングの競り合いでこぼれたボールから。3点目は追加時間に入ってから、総反撃に出たあとの裏側を逆襲で突かれたものである。リードされているのだから、攻めに出て裏を突かれたのはやむを得ない。
 本来の力は鹿島が上だが、震災の影響で鹿島に不利な展開になったように思った。

◇仙台は貴重な白星
 鹿島は地元で試合できなかっただけでなく、主力の小笠原満男は大きな被害を受けた大船渡の高校出身で救援活動に動き回り、体調十分ではなかった。他の選手も多かれ少なかれ被害を受け、救援に力を割いている。その上、鹿島は3日前にアジア・チャンピオンズ・リーグの試合が入っていた。十分に休養と準備のできていた横浜との体調の差は大きかった。この不利な状況での1敗が今後の優勝争いに大きく響く可能性がある。
 この試合のハーフタイムに、J2の水戸が2-1で勝ったというアナウンスがあり、国立競技場のスタンドに歓声が沸いた。鹿島のサポーターは同じ茨城県のチームが勝ったことを喜んだのだろう。水戸は被災した地元のスタジアムでの試合だった。
 被災地の仙台はアウェーで川崎に逆転勝ちした。震災後、練習場を求めて転々としながらのチーム作りだったから、この1勝は貴重である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月18日


中村監督のアジアカップDVD


新しい映像も駆使して独自の構成
ビバ月例会(4月15日 東中野テラハウス)

◇サッカー狂の映画監督
 ビバ!サッカー研究会の4月例会では「サッカー狂の映画監督」中村和彦さんをゲストに招いてお話を聞いた。中村監督はサッカーをテーマにした、すぐれたドキュメンタリー映画を制作している。
 実は2月の例会に来ていただくことになっていたのだが急にヨーロッパ出張が入ったため変更、3月例会は東北太平洋岸震災の影響を考慮して中止したので、2カ月延期しての実現となった。
 障害者のサッカーをテーマにした感動的な作品「プライド in ブルー」「アイコンタクト」についてなど、いろいろなお話をうかがったのだが、ここでは日本代表チームの試合を収録したDVDについて紹介しよう。中村監督はアジアカップやオリンピック予選などの「日本代表激闘録シリーズ」のDVD制作もしている。

◇カタール大会DVD、5月発売
 日本が劇的な優勝をかざった1月のアジアカップ(カタール)のDVDも制作、5月11日に発売される。2月にヨーロッパに出張したのは、その仕事のためで、ザッケローニ監督、長友佑都、岡崎慎司らのインタビューを収録してきたという。
 ぼくは、サッカーのDVDについて、まったく知識がなく、テレビ中継の映像をそのまま収録するのだと思っていたが、そうではないらしい。
 テレビ中継にはなかった映像も駆使し、新しいインタビューなども加え、監督が独自の視点で再構成する。そういう一つの「新しい芸術作品」として制作されるものもあるということである。
 サッカーをよく知っている中村監督が手掛けたDVD作品であれば、新しい感動、新しい見方を得られるに違いないと思った。

◇李忠成の「駆け引き」の映像
 テレビ中継の映像は、20台以上のカメラの中から、ディレクターが選んで送り出す。ディレクターの視点で構成される作品ではあるが、その場、その場で即席に構成するものだから完成度は高くない。
 しかしDVDは、じっくりと考え抜いてまとめることができる。
 中継では選ばれなかった映像も利用することができる。中継カメラの国際映像のほかに、日本向けだけの別のカメラが撮影した映像も使える。
 アジアカップの決勝戦、李忠成のみごとなボレーシュートによるゴールの場面では、中継には出なかった映像も使ったという。中継カメラは左からドリブルで突き進んだ長友を追っていたが、正面に走り込んだ李忠成のフリーになるための「駆け引き」の動きを別のカメラがとらえていた。サッカー技術のうえでも重要な映像だ。
 DVDは一つの新しいサッカーの表現メディアであることを改めて知った。


中村監督(左端)とビバ!サッカー研究会のメンバー


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月17日


大震災、スポーツの対応(下)


地域クラブのネットワーク
(東北太平洋岸震災から1ヵ月)

◇朝日連載「地域スポーツノート」
 東北太平洋沿岸の大震災から1ヵ月たった4月11日付の朝日新聞(東京版)で、スポーツ面に「地域スポーツノート、震災1ヵ月の被災地から」という連載が始まった。被災地で地域のスポーツクラブがどうしているかを、現地に行って取材している。担当は編集委員の忠鉢信一記者である。忠鉢さんは帝京高校、筑波大学でサッカー選手だった。スポーツ記者になってから、ユニークな仕事をしてきている。
 サッカー出身の記者が、競技そのものだけでなく、社会的な背景に視野を広げてスポーツを取り上げてくれているのはうれしい。
 ぼくは1960年代から1990年代初めにかけて、読売新聞のスポーツ記者として同じような視野で記事を書くことを心掛けてきた。当時は、なかなか注目してもらえなかったぼくの記事の続編を、さらに掘り下げて書いてくれているような気持ちになる。

◇「コバルトーレ女川」
 都合4回の連載のうち、第1回は宮城県女川(おながわ)町の「コバルトーレ女川」を取り上げていた。女川町は大津波で壊滅的な被害を被っている。
 人口1万人ほどの漁業と原発の町に2006年、「スポーツによる町おこし」を掲げてサッカークラブが生まれ、選手を全国から集めてチームを作った。小学生からユースまでのチームもそろえた。トップチームは東北リーグ2部南グループである。
 大津波で選手たちが宿泊していた寮は全壊した。競技場のスタンドは遺体確認の場所に、ピッチは救難のヘリポートになった。選手たちはスポンサーの蒲鉾会社で働いているが「チームの活動は1年間休止」ということだった。
 しかし、その後、英字新聞やテレビにも取り上げられ、多くの援助の手が差し伸べられているようだ。ホームページを見ると、子どもたち対象の「育成活動」は再開したという。

◇塩釜FCの小幡忠義さん
 第3回(東京版4月14日付)には、塩釜FC理事長の小幡忠義さんが取り上げられていた。クラブ組織で子どもたちのサッカーを育ててきた草分けの一人である。
 ぼくは1960年代の後半、日本の子どもたちに小学生年代からサッカーを楽しませたいと考え、サッカーマガジン誌上でキャンペーンしたり、サッカー協会に働きかけたりしていた。小幡さんは、そういう考え方に賛同して地域で実践した方である。1964年、東京オリンピックの年に立ち上げたサッカー少年団を塩釜FCに発展させ、底辺のサッカー普及に努める一方、加藤久など多くのトップレベルの選手を育てた。
 そういう多くの教え子や全国の指導者仲間から、塩釜FCにあふれるばかりの支援物資が集まったという。東北のサッカークラブは地域に根をおろし、ネットワークでつながっている。地震と津波で根こそぎ倒されることはないはずだと確信した。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月15日


大震災、スポーツの対応(中)


幅の広い「サッカーの力」
(東北太平洋岸震災から1ヵ月)

◇電子メディアでライターも結束
 東北太平洋岸大震災が起きて1週間後くらいあとに仲間から「ライターとして災害支援に協力しましょう」と誘われた。「サッカーのチカラ」をテーマに文章を書いてもらいたい。それを集めて電子書籍を出版、その売り上げを災害支援に寄付する。そういう計画である。
 即座に書いてメールで送った。1988年にヒマラヤ登山の仕事をしたとき、エベレストの北側、標高5000㍍以上のベースキャンプの氷河の上で行われたサッカー試合の話を書いた。  
 チベット、ネパール、日本の隊員たちがプレーしているのを見た話である。
 「いつでも、どこでも、誰とでも」 サッカーはできる。酸素の薄いヒマラヤの高所でもできる。災害にくじけず、サッカーをして元気を出そう。そういう気持ちだった。
 107人のサッカーライターが寄稿したようだ。4月下旬にネット上で発売される。honto(http://hon-to.jp)。定価1400 円。うち経費を引いた1000円を支援にあてる。

◇サッカーを愛する人にできること
 ライターの無料寄稿による募金が、どれほどの成果を上げられるかはら分からない。しかし、ふだんはサッカーのことだけを書いているライターが、自分たちの仕事の対象の社会性に気付くきっかけになればいい。
 このほかにも、ネットを通じていろいろな呼びかけが来た。
 サッカーの好きな人びとの、さまざまな救援活動を「サッカーを愛する人にできること~Football Saves Japan~」というスローガンで結集しようという呼び掛けもあった。ビバ!サッカーも賛同して、呼び掛けに加わった。
 プレーヤーも、サポーターも、メディアの人たちも、サッカーの仲間として、連帯して復興に協力しようという趣旨である。救援物資をサッカー協会のビルに持ち寄って送り出したという報告があった。

◇いつでも、どこでも、誰とでも
 もちろん、救援や復興への協力は、サッカーだけの専売特許ではない。他のスポーツの人たちも、同じように活動しているだろう。
 でも「サッカーだからできること」の提案もあった。
 たとえば、原発事故の起きた福島や被災地から避難してきた家族の子どもたちを、地域のサッカークラブで受け入れてあげようという呼びかけである。主として関西のサッカークラブが名乗り出ていたようだ。子ども同士が、楽しくサッカーをプレーして仲間になれば、心の痛みを和らげることができるだろう。
 「いつでも、どこでも、誰とでも」というサッカーのスローガンを生かすことのできる提案である。子どもたちからトップのJリーグ、サッカー協会まで、同じ仲間として、同じ志をもって活動できるのが「サッカーのチカラ」だと思った。



【タイトル】サッカーのチカラ
【定価】税込1400円(うち諸経費・手数料分を除いた1000円を寄付)
【販売】honto(http://hon-to.jp)
【寄付先】財団法人日本サッカー協会
【発売】4月22日(金)
【購入方法】パソコン、iPhone&iPad、docomoスマートフォンのいずれかから(無料の会員登録が必要)
【著者】下記のFOOTBALL WRITER'S AID のみなさん
青山知雄、赤沼圭子、秋元大輔、浅田真樹、安藤隆人、安藤正純、飯田留美、いしかわごう、石倉利英、井芹貴志、伊藤寿学、いとうやまね、岩本義弘、上野直彦、牛木素吉郎、内田知宏、宇都宮徹壱、江藤高志、えのきどいちろう、江橋よしのり、大住良之、岡田康宏、奥間翔、小澤一郎、オスカル草葉、小田尚史、小野寺俊明、海江田哲朗、籠信明、粕谷秀樹、片野道郎、金子裕希、上岡真里江、神谷正明、川内イオ、河治良幸、川端暁彦、川端康生、川本梅花、菊地正典、菊地芳樹、北健一郎、熊崎敬、倉敷保雄、後藤健生、五島聡(カバーイラスト)、五味幹男、小室功、是永大輔、斉藤健仁、斎藤慎一郎、サカクラゲン、佐藤拓也、佐藤円、佐山一郎、澤山大輔、島崎英純、島田佳代子、清水英斗、下薗昌記、下田哲朗、白瀬まゆ美、杉江由次、祐保博美、鈴木潤、鈴木智之、鈴木康浩、高山知里、高村美砂、多岐太宿、田中滋、田中直希、土屋雅史、戸塚啓、豊福晋、中倉一志、長坂英生、永田淳、中田徹、中野和也、西岡明彦、西部謙司、馬場康平、早草紀子、原田公樹、ひぐらしひなつ、平床大輔、平山佳代、広瀬一郎、黄慈権、藤村仁美、前島芳雄、松尾真一郎、松原渓、ミカミカンタ、武藤文雄、元川悦子、森哲也、森雅史、守本和宏、矢沢彰悟、矢内由美子、山本浩、湯浅健二、吉崎エイジーニョ、頼野亜唯子、六川則夫、ロナウジーニョ ※敬称略、五十音順



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月14日


大震災、スポーツの対応(上)


迅速、適切な判断を評価する
(東北太平洋岸震災から1ヵ月)

◇Jリーグの中断、延期は迅速
 東北太平洋岸震災が起きてから1ヵ月たった時点で、この記事を書いている。被害に心を痛めている間に、桜は満開になり散り始めた。あっという間に1ヵ月過ぎた気がする。
 震災直後のサッカー界の対応は良かった。とくにJリーグの判断は迅速だった。
 地震が起きたのは3月11日。Jリーグはすでに開幕して第1節を終えており、震災の翌日(12日)と翌々日(13日)が第2節だった。それを、すぐに全試合中止と決めた。被災地の仙台での試合が予定されており、新幹線が停まって移動が足止めされるという事情もあったが、決断が早かったのはいい。
 地震発生から4日目の14日には3月中の全試合の中止を決めた。
 プロ野球ではセ・リーグとパ・リーグの開幕延期の決定が食い違い、とくにセは強引に開幕しようとして選手会とも対立した。それに比べて、Jリーグの判断は適切だった。

◇野球との家風の違い
 迅速な判断がいつでも適切であるとは限らない。じっくり考えて判断するのがよいときもある。しかし、突然の災害のような場合には緊急の判断が必要である。即座の判断は適切でないこともあるかもしれないが、中央ですばやく方針を示して末端の判断に役立てたほうが混乱は少ない。もちろん、とっさの判断が適切でなかった場合には、状況に応じて、それぞれの現場で変更しなければならない。そういう柔軟さも必要である。
 サッカーはセ・パに分かれているプロ野球と違って組織が一つである。プロとアマも同じサッカー協会に属している。
 また、サッカーは17条の競技規則でかなり大まかに競技方法を決めているが、野球は細かい競技規則に従ってプレーする。そういう「スポーツの家風」の違いも。震災への対応の違いに影響したかもしれない、。

◇協会はちょっと迷走したが……
 Jリーグに比べると、日本サッカー協会(JFA)は、ちょっと迷走した。
 震災2日後の13日に、JFAの田嶋幸三専務理事は。23日と29日に予定されていた日本代表の国際試合2試合を、いまこそ「東京でやりたい」と言明した。しかし、東京開催は不可能になり、15日には2試合とも中止を決め、日本代表による「復興支援試合」を大阪・長居競技場で行うと発表した。
 「復興支援試合」の相手チームとしては、もともと予定されていたニュージーランドに交渉していたが、地震を恐れて断られ、Jリーグ選抜との対戦にすることを17日に発表した。
 こういうふうに書いていくと、日本サッカー協会が右往左往しているように見える。そういう批判もあるようだ。しかし、状況の変化にしたがって、次つぎに柔軟に対策を打ち出したものとして、ぼくはサッカー協会の対応も評価したい。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月10日


ザック監督の3:4:3システム


東北大津波震災チャリティ試合(下)
日本代表 2-1Jリーグ選抜
(3月29日 大阪長居競技場)

◇マスコミ好みの戦術ネタ
 東北大震災復興支援チャリティゲームの前半に、日本代表のザッケローニ監督が3:4:3システムを試みた。
 ザッケローニ監督は、イタリアのACミランで3:4:3を使って話題をまいた。それで3:4:3はザック・サッカーの伝説的代名詞になっているようだ。だから、日本代表の監督になって以来、「3:4:3を使うのか?」という質問を繰り返し受けていた。
 今回の試合前々日と前日に、3:4:3を使った練習をし、それを報道陣に公開したので一部のマスコミとテレビは「いよいよ3:4:3が見られるぞ」とはしゃいだ。
 このチャリティ試合は、スター選手を集めたエキジビションとしての意味はあるが、サッカーとしての技術的、戦術的な見所は乏しい。そこで「3:4:3」は、マスコミにとって絶好の事前記事ネタとなった。

◇システムを選ぶ条件
 サッカーで「システム」という言葉は、選手の基本的な配置(布陣)とその機能をさして使われる。システムは、試合ごとに、主として次の条件を考えて選ばれる。まず、自チームを構成している選手のそれぞれの特性である。次に、相手チームの予想されるメンバーと作戦である。そして、その試合の置かれている状況である。
 だから、一つのチームが、いつでも同じシステムで戦い続け、勝ち続けるわけではない。じゃんけんで、最初にグーを出して勝ったからといって、ずっとグーを出し続ければ勝てるわけではないのと、似たようなものである。
 ザッケローニ監督も、ACミランで成功したことがあるからといって、いつでも同じシステムを使うはずはない。代表チームの場合は、自チームの顔ぶれも、相手チームも、試合の置かれている状況も、毎回違うのだから「なおさら」である。

◇練習の絶好の機会
 プレーヤーのほうは、どのようなシステムにも適応してチームプレーができるようでなければならない。したがって、ふだんのリーグでは、あまり使われない3:4:3にも慣れておく必要がある。
 そういう意味で、今回はザッケローニ監督が、3:4:3を試みる絶好の機会だった。選手たちはアジアカップを戦ってきてチームとしてまとまっている。相手は前日に練習しただけの寄せ集めである。状況は、勝負にこだわる必要のないエキジビションである。
 テレビ観戦だったので、実際に4:3:3がどう機能したのかは、よくは分からなかった。しかし、左サイドの長友佑都が中盤から前へ攻め上がり、右サイドの内田篤人が引き気味でバランスをとっているようだった。アジアカップの決勝で、途中から長友を中盤にあげたときと機能的には似ていたのかもしれない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月09日


トップレベルのエキジビション


東北大津波震災チャリティ試合(中)
日本代表 2-1 Jリーグ選抜
(3月29日 大阪長居競技場)


◇全員起用の難しさ
 今回のチャリティ・マッチは、一種のオールスター・ゲームだったから、選手の使い方が難しかっただろう。オールスター・ゲームでは、スターを見に来ているお客さんのために全部の選手の出番を用意する必要がある。
 今回は、さらに特別な意味があった。
 Jリーグ選抜には、被災地出身の選手もいる。被災地仙台の選手も選ばれている。日本代表には、シーズン中のヨーロッパ組の選手が公式国際試合ではないのに馳せ参じている。その全員が一つになって、復興を支援しようと願っている気持ちを、フィールドで、あるいはテレビの画面で示したい。
 だから、Jリーグ選抜は選ばれた20人全員がピッチに立ち、日本代表も26人のうち、足を痛めていた2人(本田拓也と細貝萌)のほかは全員が出場した。

◇W杯、アジア杯を思い出させるゴール
 次つぎに選手交代をすると、チームとしてのまとまったプレーをするのが難しい。「まともな試合」にならないおそれがある。
 そこで、日本代表のザッケローニ監督は、前半は1月のアジアカップで優勝したメンバーをほぼ固定して使った。前年のワールドカップでも、いっしょにプレーした仲間だから、息が合っている。
 前半15分に遠藤保仁が正面20㍍余のフリーキックを右隅へ直接決めて、ワールドカップを思い出させた。19分には岡崎慎司が走り出て、本田圭佑からのパスを巧みなシュートで決めて、アジアカップの殊勲を思い出させた。
 後半は最初から大半の選手を入れ替えた。チームとしてのいいプレーは少なくなったが、どの選手も、のびのびとプレーして、それぞれの個性を発揮した。

◇明るく元気づける試合
 Jリーグ選抜は、2日前に集まって前日、練習しただけの寄せ集めである。
 ストイコビッチ監督は、前半は固定したメンバーで小野伸二を軸にチームをまとめ、後半は次つぎにメンバーを入れ替えながら中村俊輔を中心に攻めを狙った。臨時の寄せ集めでも、それぞれの良さを生かしたチームプレーを、かなり組み立てていた。
 カズが登場したのは後半なかば。残り8分に期待どおりのゴール。まるでシナリオがあって演出されたような試合展開である。
 震災犠牲者への追悼もあるから派手なお祭り騒ぎはない。しかし、被災者を元気づける明るい雰囲気があり、エキジビションの良さを生かしながらも、真剣にいいプレーを見せようとする気持ちがテレビの画面からも感じられた。
 チャリティ・マッチとしてトップレベルのエキジビションだったと思う。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2011年04月01日


カズ出場の違和感と感動


東北大津波震災チャリティ試合(上)
日本代表 2-1 Jリーグ選抜
(3月29日 大阪長居競技場)

◇現場で見る価値はない?
 東北津波大震災の復興支援チャリティマッチは、大阪まで出かけるのは取りやめ、自宅でテレビ観戦した。
 ガソリンがない、電気がないというときに、大久保彦左みたいに出しゃばることはない。自宅でおとなしくしているのが、世のため人のためである。
 ただし、当初の計画通り、日本代表対ニュージーランド代表の国際試合だったら出かけるつもりだった。欧州に行っている選手のプレーぶりやザッケローニ監督の用兵を見ておくのは、今後の取材にも役立つだろうからである。
 ニュージーランドが来日を断り、Jリーグ選抜とのチャリティマッチになった時点で、「現場で見る必要はないな」と思った。さらにカズ(三浦知良)がJリーグ選抜に選ばれたのを知って行く気はまったくなくなった。

◇復興支援の特別な催し
 44歳でリーグでも出番が少なくなっているカズが、戦力としてJリーグ選抜にふさわしいとは思われない。選んだのは、テレビ局あるいはエージェントの、あざとい商法ではないか。これでは「ちゃんとした試合」には、ならないだろうと思ったのである。
 しかし、これは自分の「つむじ曲がり」のせいっだったと、テレビを見ながら気が付いて反省した。
 この試合は、復興支援の特別な催しである。カズの人気と人柄によって、多くの人が、この試合に関心を持ち、被災地を支援する気持ちが高まり、被災地の人びとが、ひと時でもテレビを楽しむことができるのであれば、これはチャリティゲームなのだから意味がある。
 試合は、その意味をちゃんと生かした展開になった。

◇みごとに感動を生み出す
 エキジビションは、公式戦のような真剣勝負にはならないが、エキジビションにはエキジビションの良さがある。そこにプレーする選手たちの難しさがある。
 カズをがちがちにマークしファウルで止めたりしては、エキジビションの楽しさは消えてしまう。といって「どうぞゴールしてください」と守りをしなかったら、しらける。
 カズは後半17分から出場し37分にゴールをあげた。GK川口から長いボールが前線に出たのに合わせて走り出し、闘莉王がヘディングでつないだボールを巧みに捉えた。走り出すタイミングと落ち着いてボールを捌いたテクニックは、みごとだった。  
 もちろん、相手が厳しく守っていれば、こんなに見事には決められなかったかもしれない。しかし、そうであっても、ひたむきにプレーし、きちんと決めたのはさすがである。    
 カズも、他のプレーヤーも、みごとに「感動」を生み出したと思う。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
     

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.