サッカー日誌 / 2010年07月31日


犬飼基昭会長退任の真相は?


日本サッカー協会理事・評議員会
(7月25日、東京・JFAハウス)

◇「健康上の理由」ではない
 日本サッカー協会の犬飼基昭会長が1期2年で退任したのは意外なニュースだった。2期4年務めるものと思われていたからである。
 退任が正式に決まった日にNHKテレビのニュースを見たら「健康上の理由で退任」とアナウンサーが言っていた。「本当かね」と、ぼくは疑った。翌朝の新聞をみると、やはりニュアンスが違う。
 犬飼会長は役員交代の一連の会議に出席せず「重責を全うするための気力、体力を維持できない」という本人のあいさつ文が記者会見の席で配られた。田嶋専務理事は、犬飼会長欠席の事情を質問され「理由は聞いていないが」としながら「疲れ、体調不良」と説明した。「健康上の理由」というのは、欠席した理由についての田嶋専務理事の弁明に過ぎない。
 犬飼会長が「やる気満々」だったことについては、多くの人の証言がある。「無理やり退任させられた」のが真相だろう。

◇朝日の伝えた推薦委員会の内幕
 この人事についての報道では、朝日新聞が先行していた。
 7月25日の理事・評議員会が開かれる前に24日付朝刊一面で報じ、そのなかで25人の理事による郵送による信任投票が行われていたことを特報している。信任投票はワールドカップ開幕前、つまり6月上旬までに行われていたという。
 朝日は、さらに、7月27日付朝刊スポーツ面に潮智史・編集委員の解説記事を掲載している。理事・評議員会に先立って7月22日に開かれた「次期役員候補推薦委員会」の内幕を伝えたものである。推薦委員会の内容や投票結果は公表されていないのだが、潮記者が探り出して書いたわけである。
 委員会で明らかにされた信任投票の結果では「犬飼前会長への投票はぎりぎり過半数にとどまった」という。また、推薦委員会では委員長の川淵三郎・名誉会長が「犬飼続投」を切り出したとも書いている。信任投票でぎりぎりながら過半数を得、委員長が提案しながら、続投を否決したのだろうか?

◇「犬飼降ろし」のシナリオ?
 朝日新聞の記事は事実だろう。けれど額面どおりには受け取れない。
 理事の信任投票は中身が問題である。朝日の潮記者の記事では、信任は「ぎりぎり過半数」としている。「ぎりぎり」であっても過半数を得たのだったら、協会の中枢で役職を担っている役員が支持しているのであれば続投できたはずである。
 内実はその逆で、協会の主要役員あるいは影響力の大きい関係者の間で「犬飼降ろし」の動きがあったのではないか。投票を行なったこと自体が、その一環ではないか?
 川淵委員長が最初に「続投」を「切り出した」というのも「本心」かどうか疑わしい。2年前に犬飼会長を推薦したのは前会長の川淵委員長自身だったのだから、自分から「退任」を提案するわけにはいかない。その立場上、一応、「続投案」を示した上で、他の委員の発言で退任へもっていくシナリオだったのではないか? そういうように裏を読むこともできる。

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サッカー日誌 / 2010年07月29日


犬飼基昭会長の退任は当然


日本サッカー協会理事・評議員会
(7月25日 東京・JFAハウス)

◇人柄にも見識にも失望
 日本サッカー協会の犬飼基昭会長が2年間の任期いっぱいで退任した。会長には定年制があるが、犬飼会長は、もともと2期4年務められることが年齢的に可能だとして川淵会長の後任に推薦され、本人もそのつもりだった。しかし、2年間の仕事振りが評価されなかったわけだ。
 犬飼氏とは個人的な付き合いはなかったが、会長に選ばれたときは、おおいに期待していた。浦和レッズの経営を経験しているし、その前には三菱の欧州駐在の責任者を務めている。経歴からみて経営能力も国際的視野もあるだろうと推測したからである。
 しかし就任して間もなく失望した。それはJリーグのシーズンを「秋~春制」に変更することを強硬に主張して押し付けようとしたからである。
 Jリーグは、日本サッカー協会の直接の管轄ではない。責任者は鬼武健二チェアマンである。会長の権威を振りかざして他の分野に介入しようとする姿勢に驚いた。人柄にも見識にも失望した。

◇リーグと協会の成り立ち
 リーグを秋に開幕して年を越えて翌年春に終わらせようという案は、Jリーグの前身の日本リーグ時代から何度も検討された。実行されたこともある。いろいろな考え方があり利害得失もある。そういう事情をよく知らないで、会長になったとたんに「思いつき」のように持ち出した。
 「Jリーグは協会の下部機構なんだから、会長が手を出すのは当然」というような口ぶりも伝えられた。「この人は、サッカーと協会の成り立ちに無知なんじゃないか」とも思った。
 サッカーの組織はクラブから始まっている。最初はクラブとクラブの対抗戦の形で試合をしていたが、試合の運営をしやすくするためにグループができる。それが「リーグ」である。一方、それぞれのクラブやリーグが、勝手に協議規則を決めたり日程を決めたりすれば混乱する。そこで、それぞれの利害や都合を調整するために、クラブの連合体として「協会」ができる。世界最初のThe Football Association(イングランド・サッカー協会)が1863年にできたのは、競技規則統一が目的だった。

◇再選を認めなかったのは正解
 そういう歴史的事情をみれば、まずクラブがあり、次にリーグがあり、協会はその間を取り持つ調整機関であることは明らかである。ところが、犬飼会長は、協会が親会社でリーグが子会社だと考えていたようだ。これは間違っている。
 日本全国で、すべてのレベルのサッカーがうまく行われるように調整するのが協会の役割である。リーグの運営は特段の支障がない限りリーグの独立性に委ねるべきものである。
 そういう基本的な事柄について、知識も経験もない人が、日本サッカー協会の会長を務めたのは不幸だった。再選を認めなかったのは、経緯はともあれ、結果としてはよかった。
 犬飼会長が「健康上の事情で」退いたという報道もあった。しかし、本人が「やる気十分」であったことは確かである。報道によれば、あらかじめ理事25人による信任投票を求めたところ、かなりの不信任があったという。こちらが本当だろう。

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サッカー日誌 / 2010年07月28日


本田圭佑のFKとシューズ


関大東京公開講座
7月23日 東京駅サピアタワー

◇現地観戦とテレビ視聴の違い
 ワールドカップから帰国1週間で4つ目の報告会に参加した。関西大学東京センターで開かれた「南アフリカ大会を振り返って」と題する公開講座である。元NHKアナウンサーの山本浩さん、サッカージャーナリストの後藤健生さん、元日本代表選手の山口素弘さんの3人によるトークショーだった。
 山本アナウンサーの進行で、大筋は日本チームの戦いを振り返る内容だったが、それぞれ観戦の立ち場が違っていたのが興味深かった。後藤さんは現地の記者席で取材し、山口さんは東京のスタジオでテレビを見て解説を担当した。山本さんは、はじめ日本でテレビで観戦し、途中で現地へ行き、また日本へ戻ってテレビで見た。
 一方、フロアの参加者にも、現地へ行って観客席で見た人、日本の自宅でテレビを視聴した人などがいた。ビバ!サッカーの7月例会(16日)では現地での観戦とテレビ視聴による視点の違いをテーマにしたが、その具体例のようなトークショーだった。

◇デンマーク戦の先制ゴール
 一つの例が、デンマークとの試合のときの本田圭佑の先制フリーキックである。
 前半17分にゴールまでおよそ30㍍のフリーキックをみごとに決めた。これが3対1の快勝のきっかけになった。
 メーンスタンド天井桟敷の記者席から見ていた限りでは、圭佑個人のみごとなキック力による一瞬の出来事である。
 ところが、テレビで見ていた人たちは、いろいろな種類の情報をたくさん得ている。蹴る前の本田の表情、ゴールキーパーの反応が画面に捉えられている。スロービデオによる再生もある。
 トークショーで、とくに取り上げられたのは、ボールの蹴り方だった。左足の甲の内側で押し出すように振り抜いて蹴っている。芝生の上で短いパスを正確に出すときに使うインサイドキックである。それを長い距離の浮き球のキックで使った。それが、テレビでは、よく分かったようだ。
 
◇美津濃の特製シューズ
 トークショーの会場には、美津濃が日本代表選手に提供したシューズが並べられていた。そのうちの一つが本田圭佑のために作った特製シューズだった。
 そのシューズの甲の内側の部分には、ボールに回転がかかりにくくなるような特別な革を使ってあるということだった。そういうシューズで、回転のかからない蹴り方をして、ゴールキーパーが予測しにくい、あのキックが生まれたのである。
 そのあと子どもたちの間で「無回転シューズ」と評判になって、美津濃のサッカー・シューズの売れ行きが増えたという話も聞いた。もちろん、シューズを変えただけで、うまく蹴ることができるわけではないが、テレビの影響力はおそろしい。
 32チームのなかで、日本はもっとも周到な準備をして参加した国だった。このフリーキックは、周到な準備がみごとに実った一つの例ではないかと思う。


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サッカー日誌 / 2010年07月25日


南アの人種問題とスポーツ


サロン2002月例会
(7月21日 筑波大附属高)

◇「虹の国」への理解不足
 ワールドカップから帰国後、3つ目の報告会に出た。11人の出席者のうち6人が南アフリカに行った人で、それぞれの体験を披露する会になった。特にテーマを定めない話だったが、聞いていて思ったのは、南アフリカの人種問題とスポーツについて、われわれの理解が不十分だったということだ。
 南アフリカは「虹(にじ)の国」といわれている。虹の七色のように、いろいろな種族・民族が集まって一つの国を作っているからである。
 まず、人口の1割を占めるに過ぎない白人である。英国系とオランダ系に大別できる。1980年代まで南アフリカを支配し、他の人種を抑圧していた集団である。
 次に一括して「カラード」と呼ばれている人たちがいる。移民してきた人たちと先住民との混血である。そのほかにインド系の人々が別にまとまりのあるコミュニティを作っている。合わせて人口の約1割である。大多数の約8割は、いわゆる「黒人」である。その中にも、いろいろな種族がある。

◇サッカーが最大のスポーツ
 こういう多様な人種の人々が南アフリカに移り住んできた時期に比べれば、スポーツの歴史は浅い。
 しかし、南アフリカでは、多くの人種が分かれ分かれのグループで社会を構成していたので、それぞれスポーツの受け入れ方に違いがあった。歴史的事情や文化的事情があり、あるいは遺伝的資質の違いもあったかもしれない。それが、南アフリカのスポーツ事情を複雑にしている。
 ぼくは「南アフリカで盛んなスポーツはラグビーだ」と思い込んでいた。サッカーは、それほど盛んでないと思っていた。
 ところが、最近出たアフリカ・サッカー事情の本を読んだ知識と現地に行った体験を重ねあわせると、そうではないことが分かってきた。
 アフリカで、もっとも普及しているスポーツは、ずっと前からサッカーである。ラグビーは総人口の数パーセントの英国系の人びとのスポーツに過ぎない。大衆のスポーツはサッカーだった。

◇ラグビーで寛容を、サッカーで団結を
 白人が支配していた時代は、ラグビーが国を代表するスポーツだった。
 アパルトハイト(人種隔離政策)が撤廃され、黒人が政権をとったあと、1995年に南アフリカでラグビーのワールドカップが開かれた。そのときマンデラ大統領は、ほとんど白人だけで構成されているラグビーの代表チーム「スプリングボックス」を国を挙げて応援するよう呼びかけた。それまで自分たちを抑圧してきた白人に対する「寛容」のサインだった。
 そのあと、マンデラ大統領はサッカーのワールドカップ開催を推進した。それは黒人大衆のスポーツであるサッカーによって国の「団結」を固めようとする試みだった。
 今回のサッカーのワールドカップで、選手と手をつないで入場するエスコート・キッズ22人は、大部分は黒人の子どもたちだったが、必ず2~3人の白人の子どもも選ばれていた。白人もサッカーの祭典に協力していることを示すシンボルだったのだと思う。


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サッカー日誌 / 2010年07月24日


南アフリカは危険だったか


「フットボール道場」
7月19日 明大前・Café Bar Libre

◇森田浩之さんの体験報告
 南アフリカから帰った翌日にビバ!サッカー研究会の月例会を開いたが、その後も2~3日おきに友人たちのワールドカップの報告会が続いている。自分自身の体験を補足するためにも、いろいろな人の見聞や意見を知りたいから、できるだけ出かけることにした。
 「フットボール道場」という催しの案内を受けたので行ってみた。ジャーナリストの森田浩之さんの南ア旅行体験を本人の語りと写真で見せる形で、十数人の内輪な集まりだった。
 森田さんは、1泊4万円の5つ星ホテルに泊まる一方、黒人居住区の一般家庭に民泊したり、難民の掘っ立て小屋(バラック)を訪ねたりしている。試合を見に行くためにはタクシーを借り上げて長距離を移動しているが、時間に余裕のあるときには15人乗りの小型バスに乗る体験もしている。
 いろいろなことを試みたが、特別に危ない目には遇わなかった。「南アフリカは治安が悪く危険だと日本のマスコミが書きたてたのは間違いだ」というのが一つのテーマだった。

◇誇大に伝えられた治安状況
 「南アフリカの治安の悪さは誇大に伝えられている」と、ぼく(牛木)は前から言っていた。なぜ、そう考えたか? 根拠は三つある。
 第一は、南アフリカには、おおぜいの人が生活していて、経済活動も盛んだからである。いたるところで暴力が横行していたら、人々は暮らせないし、ビジネスも成り立たないはずである。
 第二は、特殊な集団のなかでの犯罪件数を一般化した警告が多かったからである。新宿の歌舞伎町で起きた「やくざ」の抗争を例にひいて、日本中で暴力沙汰が毎日起きているような話をするのに似ている。
 第三に、ワールドカップのときには、南ア当局は厳重な警備で外国からきた人を守る体制をつくるだろうからである。大会時に警官を4万人増員するというニュースも伝えられていた。
実際に行ってみると、ぼくが考えていたとおりだった。大会期間中に凶悪犯罪はなかった。森田さんの旅行体験を聞いても「そうだろう」とうなずくことができた。

◇肌の色と貧しさへの偏見
 森田さんは、ガイドに案内されて黒人居住地に民泊したり、難民のバラックを訪ねたという話だった。「治安が悪い」という悪評を逆手にとって、黒人居住区域などを案内する「体験ツアー」を売り込んでいるエージェントがいるわけだ。しかし、黒人が多く住んでいる地域でも、難民が集まっている場所でも、多くの住民はちゃんと日常生活を営んでいる。黒人が住んでいる地域だから治安が悪い、貧しい人たちの住んでいる場所だから危ないと考えるのは偏見と先入観に災いされている。
 だからといって「南アフリカは安全な国だ」というわけではない。
 治安の悪い部分は別にある。そういう集団に、わざわざ近づくようでは安全は保証できない。また一般に住まいの戸締りは厳重だし、盛り場では置き引きや引ったくりもある。用心は必要である。
 ただし、それは、世界のどこの国にもあることである。超安全な日本を基準に考えるのは大きな間違いである。若い女の子が深夜に盛り場で遊びまわっても大丈夫な国は、日本以外にはあまりない。


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サッカー日誌 / 2010年07月23日


ネット時代のW杯テレビ観戦


ビバ研7月例会
(7月16日 東中野テラハウス)

◇第1回W杯報告会
 ビバ!サッカー研究会の6月例会はワールドカップ開催中のためお休み。7月は「ワールドカップ第1回報告会」をタイトルに開いた。「第1回」としたのは、8月に第2回、9月に第3回と、これから、いろいろな角度で南アフリカ大会を取り上げようと考えたからである。
 第1回は、前日夕に南アフリカから帰国したばかりの牛木が「現地観戦報告」を、会員の藤田直樹さんが「テレビ観戦報告」をした。
 藤田さんの「テレビ観戦」につての報告には新しい観察や考えがいろいろあって興味深かった。
 コンピューターと衛星通信の急速な発達によって、テレビ中継の方法もテレビ観戦の方法も変わってきている。それがテーマだった。いろいろな話が出たなかから、とりあえず、ここでは一つだけ紹介しておこう。
 「テレビ観戦とツイッター」の話である。

◇テレビ観戦とツイッター
 1年ほど前から、インターネットを利用した「ツイッター」が、はやっている。独り言を「つぶやく」ように、ごく短い報告や意見を発信する通信サービスである。
 必ずしも特定の相手に向けて「つぶやく」わけではない。あるいは、特定の誰かが聞いてくれることを期待しているわけでもない。しかし、特定のテーマについての「つぶやき」を世界中から探し出して聞く(読む)ことができる。それによって、地球上のあちこちに離ればなれにいる人たちと「つぶやき」を交換しあって、いっしょにお茶を飲みながら雑談するように、ネット空間上で話し合いができる。
 藤田さんは、他のビバ研究会の仲間と「つぶやき」を交換しながら、ワールドカップの中継を見たらしい。それぞれの自宅や事務所で見ているのだが、スポーツカフェでいっしょに見ているように、いっしょに楽しんだのである。一人が「ひどいファウルだなぁ」とつぶやくと他の一人が「レッドカード出してもいいよな」とつぶやき返す。そんな具合だったらしい。

◇新しい試合の楽しみ方 
 特定の有名人の「つぶやき」を聞くこともできる。全試合をテレビ中継したスカパーは、元日本代表監督イビチャ・オシムの「つぶやき」を提供した。誰かがシュートした場面を見て、オシムが「彼はエゴイストだ、ひとりでプレーしている」と感想を述べると、それが瞬時に世界中に伝わる仕掛けである。
 あるいは、ブラジル対オランダの試合のとき、ブラジルにいるファンとオランダにいるファンの「つぶやき」を、それぞれ聞く(読む)こともできる。その国の人の反応や意見を即座に知ることができるわけである。
 というような具合で「テレビ中継とネットの融合でサッカーの新しい楽しみ方が加わった」ということになるのかもしれない。
 藤田さんは、こういう変化を全面的に肯定して紹介したわけではない。その欠点や弊害も鋭く指摘した。詳しいことは改めて別の形で、藤田さん自身から紹介してもらいたいと考えている。

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南アフリカW杯 / 2010年07月19日


「ビバ!ハウス」を撤収


南ア・ワールドカップ旅日誌(36)
7月14日(水)
(プレトリア→東京)

◇安全、快適だった40日
 南アフリカの首都、プレトリアに開設していた「ビバ!ハウス」を撤収して、日本に帰る日が来た。40日間にわたる滞在だった。ずっと庭に掲げてあった「鯉のぼり」は収納して、邸宅のオーナーの一族が経営している保育園に寄付した。
 11回目のワールドカップだが、滞在も取材も、こんなに快適で楽だったことはない。警備のしっかりした大きな邸宅で仲間たちと暮らし、邸宅のオーナーの家族や友人がアルバイトで車を提供、運転してくれ、一番心配していた安全と移動が確保された。
 いっしょに宿泊した仲間に料理の専門家がいて、食事作りを引き受けてくれた。これが非常に助かった。期間中、ずっと元気でいられたのは、しっかり食べ、適度に飲んだからだろう。飲むほうは、ときには適度ではないこともあったけれど。
 「ビバ!ハウス」の開設・運営に努力してくれたすべての人たちに感謝する。

◇人種差別とサッカー
 「ビバ!ハウス」の生活にも欠点があった。それは南アフリカのサッカーを支えている一般大衆の生活に触れる機会が少なかったことである。
 借りた邸宅は、旧白人居住区の高級住宅地にあって、オーナーの一族はみな白人、レストランやショッピングに行っても、お客さんの大部分は白人、働いている人たちは、みな黒人だった。車を運転してくれたオーナーの義理の息子とその友人は、ワールドカップ休暇中の学生だが、ラグビーが好きでサッカーには、あまり興味がなかった。一方、移動の車や列車の中からは、郊外の学校の校庭で、黒人の子供たちがサッカーをして遊んでいるのを見かけた。といって、南アフリカで「サッカーは黒人のスポーツ。ラグビーは白人のスポーツ」と割り切ってしまうのは正しくない。
 人種差別とスポーツ問題は複雑なので、もう少し調べてから、考えてみたいと思う。


左が牛木、右が世話をしてくれた邸宅のオーナーの息子バイロン。



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南アフリカW杯 / 2010年07月15日


南アフリカ大会の残したもの


南ア・ワールドカップ旅日誌(35)
7月13日(火)
(プレトリア ビバ!ハウス)

◇アフリカへの見方を変えた
 「海外からのファンが、友好的な南アフリカを賞賛」
 閉幕の翌日、地元の新聞にこんな見出しの記事が掲載されていた。アムステルダムから来たファンが「こんなに道路網が整備されていて、ホテルもちゃんとしているとは思わなかった。オランダよりもいい」「南アフリカの人たちは、みな明るく親切だった」と語ったという。日本から行ったぼくたちも同じ感想を持った。テレビ報道による影響も含めて、アフリカへの見方を変えたという点で今回のワールドカップの役割は大きかった。
 「南アフリカは殺人が多い」「交通事情が悪く移動がたいへんだ」という大会前の報道は、かなり偏見や先入観に影響されたものだった。ワールドカップに絡んだ凶悪犯罪や大事故はなかった。競技場付近で盗難やひったくりがあったが、これはいつのワールドカップにもつきもので、南アフリカの土地柄のせいではない。

◇大衆の誇りと自信
 「スペインがチャンピオン。すばらしい大会になったのは南アフリカの功績」という見出しの記事もあった。これまでに比べて勝るとも劣らない運営で大会をやり遂げたことは、南アフリカの人々に誇りと自信を与えたに違いない。競技場で地元の人から「4年前のドイツ大会に比べて組織と運営はどうか?」と質問された。「ドイツに負けないくらい、しっかりやっているだろう」という誇りが口ぶりからうかがえた。
 運営の成功を支えたのは、あらゆる部門で働いていたボランティアだった。これほど多数のボランティアが動員された大会は、これまでになかっただろう。
 ボランティアのほとんどは、それほど恵まれてはいない階層の黒人だった。海外から来たサポーターやメディアの人びとに、笑顔で親切に応対してくれた。大会の成功にもっとも貢献したのはVIP席のお偉方ではなく、サッカーの好きな大衆だった。


ボランティアの登録に行列する人たち(左側の列、右側はメディアの登録)。


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南アフリカW杯 / 2010年07月13日


的中者なしの決勝戦予想


南ア・ワールドカップ旅日誌(33)
7月12日(月)
(プレトリア ビバ!ハウス)

◇今井カメラマン募集のトト
 31日間のワールドカップが終わった。その間、首都プレトリアの高級住宅地に借りた「ビバ!ハウス」を根拠地に競技場通いを続けた。今回はフォトグラファーの今井恭司さんと、ずっといっしょだった。今井さんは1982年スペイン大会以来、ワールドカップを撮り続けているベテランである。
 準決勝が終わると、あと1試合となって、多忙だった今井さんにも多少の余裕ができたようだ。Eメールで「決勝戦予想」を募集した。勝者、スコアを延長戦、PK戦を含めて予想し、的中者には今井さんが賞品を出すというわけだ。フォトグラファーのほかに、今回、いっしょになったビバ仲間などを含めて65人が応募した。
 決勝戦の翌朝、今井さんが結果を整理した。スペイン優勝予想が38人、オランダが27人。しかし延長1対0でスペイン勝ちを予想した人はいなかった。的中者なしである。

◇奔放な攻め合いを期待したが……
 スペイン優勢は一般的な予想だった。欧州選手権優勝チームだし、華麗なパスのサッカーが評価されていたからである
 しかし、スペインは強い相手からは、あまり得点をあげていない。決勝トーナメントに入ってからは、みな1対0の辛勝である。だから、延長1対0でスペインの勝ちという予想はありそうなものだが、なかった。多くの人は奔放な攻め合いを期待していたようだ。延長0対0でPK戦という予想は2人あった。互角の守り合いという考えである。
 ぼくは内心では、1対0でスペイン勝ちを予想していたが、投票では3対0でオランダ勝ちとした。穴狙いである。3対0ほどの力の差があると考えたわけではない。オランダが先取点をあげ、スペインが総反撃に出て、その裏を突いた逆襲でオランダが得点を加えるという試合展開を想定したわけである。


パソコンを叩いて予想を整理する今井恭司さん。

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南アフリカW杯 / 2010年07月13日


延長の熱戦、スペインが初優勝


南ア・ワールドカップ旅日誌(33)
7月11日(日)

決勝戦 スペイン 1対0(延長) オランダ
(ヨハネスブルグ サッカーシティ)

◇観客専用列車で競技場へ
 決勝戦。お偉方が来るため高速道路が閉鎖されるというので、プレトリアから列車 Metro Rail でサッカーシティまで行くことにした。決勝戦の切符を持っている人のための専用列車で無料、1時間余りということだった。午後4時8分発、試合は午後8時30分からなので、十分間に合う計算だった。
 ところが、列車の出発が30分遅れ、さらに、あとわずかで競技場駅というところで停まったまま45分間も動かなかった。サッカーシティの駅のプラットフォームに人があふれているためという車内のアナウンスだった。サポーターが駅構内で気勢をあげているのではないか、と想像した。
 競技場に着いたのが午後7時15分。午後6時30分に始まった閉会式には間に合わなかった。でも公共の乗り物を利用し、大会運営の一部を垣間見ることができた。

◇内容は60点、スリルは満点
 決勝戦は好試合にはならなかった。1か月余の連戦の疲れと、優勝を目前にしてのプレッシャーのためだろう。パスにも、シュートにも、ミスが多かった。
 両チーム合わせて14枚ものイエローカードが出た。オランダの守りのかなめ、ヘイティンハは延長後半になってから2枚目の警告で退場になった。その後、終了間際にスペインの決勝点が生まれたので、オランダは反則で自滅したようなものである。相手の突進を中盤のファウルで止めるのは、この大会で多くみられた。よくない傾向である。
 スペインは優勢に攻めながら、枠を外したシュートが多かった。19本のうち13本が枠外である。内容としては60点の試合だった。
 しかし、1点を争う緊迫した激闘だったのでスリルは満点だった。サポーターたちは、はらはら、どきどきし続けだっただろう。


列車で決勝戦へ。スペイン応援の地元のお嬢さんたちと。プレトリア駅で。

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