サッカー日誌 / 2007年12月29日


オセアニアは「お荷物」か?


クラブ・ワールドカップ2007から (6)
セパハン 3対1 ワイタケレ
(12月7日・東京国立競技場)

◆ブラッター発言に異議あり
 FIFA(国際サッカー連盟)のブラッター会長が「クラブ・ワールドカップへのオセアニア代表の参加を考え直したい」述べたという。12月12日に東京で行われた日本人記者との懇談会の席での発言である。
 日本が主張して開催国チームの出場が認められ、チーム数が一つ増えた。そのとばっちりで、今回は準々決勝の前に1回戦としてワイタケレ・ユナイテッド(ニュージーランド)対セパハン(イラン)の試合が行われた。結果は3対1でオセアニア代表の負けだった。
 「オセアニアのレベルは格段に低いから、クラブ・ワールドカップに直接、出場させるのは適当でないかもしれない」というのが、ブラッター発言の趣旨である。
 ブラッター会長のこの発言に異議がある。FIFAの本来の方針に反している。またこの試合への評価が適切でない。

◆FIFAの方針と矛盾
 ブラッター発言は、FIFAの本来の考えと矛盾している。
 欧州と南米のチャンピオン同士による旧トヨタカップは「高いレベルのチームの試合を1試合だけ」というものだった。試合内容としても、必要な日数から見ても、また経費の点から見ても、効率のいいイベントだった。
 その旧トヨタカップを、FIFAがとりつぶして、世界6地域の代表による現在のクラブ・ワールドカップにした。欧州と南米だけでなく世界全地域の参加できるタイトルとし、サッカーの世界的な普及とレベルアップに役立てるためである。このFIFAの方針は、大義名分としては正しい。
 しかし、そうすると、テレビ放映にとっては都合の悪い、また観客の集まりにくいカードも出てくる。それは当然、予想されていたことである。

◆ワイタケレは完敗ではない
 ワイタケレは、セパハンに完敗したわけではない。失点は前半と後半の立ちあがりに応対を誤ったのが原因だった。はやりの言葉で言えば「試合の入り方」を間違えた。
 ワイタケレは、両サイドのプレーヤーも最初から下がって、5人のラインで守備を固めようとした。そのうえ、世界的な大会に参加するのははじめてとあって、緊張しすぎていた。そこを試合慣れしたセパハンにつかれた。
 ニュージーランドのサッカーは、もともとイングランド系である。選手の多くは背が高い。立ち上がりにゴール前への「放り込み」で相手をおびやかしておけば、その後に小柄だが足技のいいトトリを生かすことができたかもしれない。トトリはソロモン群島出身である。南の島のドリブルのうまい選手が世界の舞台に立つことができる。それがFIFAがクラブ・ワールドカップを主催することの意義ではないか?

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サッカー日誌 / 2007年12月27日


アフリカで育つ若い星


クラブ・ワールドカップ2007から(5)
エトワール・サヘル 1対0 パチューカ
(12月9日・東京国立競技場)

◆いい経験をしたエトワール・サヘル
 アフリカ代表のエトワール・サヘルは、クラブ・ワールドカップで、もっともいい経験をしたチームだろう。初戦の準々決勝でメキシコのパチューカに勝ったあと、フランス人のベルトラン監督は「日本にさらに1週間滞在し、合わせて3試合できる」と喜んだ。
 準決勝の相手は南米アルゼンチンのボカ・ジュニアーズ。1対0で惜敗したが、3位決定戦では日本の浦和レッズと対戦して2対2。PK戦で4位になったが、試合そのものは引き分けである。
 まず、自分たちよりやや上のチームを破り、次いで格上の強豪に挑戦し、最後に地元の利を持つ相手と互角に渡りあった。老巧な中米のチームと戦い、テクニックのすぐれた南米の名門に食い下がり、レベル上昇中の日本のトップチームと争った。
 タイプの違う地域のサッカーとの、きびしい勝負を体験することができた。

◆劣勢をはね返して勝つ
 準々決勝のパチューカとの試合では、サヘルは終始、押されていた。ボール支配率は、パチューカ64%、サヘル36%だった。個人技、チーム力、経験のすべての面でメキシコが上だから、これはやむをえない。その劣勢をはね返して勝った。
 シュート数はパチューカ12、サヘル11。ほぼ互角である。サヘルがいい戦いをしたということができる。
 もちろん、幸運もあった。パチューカの個人技とパスを組み合わせた攻めを、かなり反則で防いだ。ファウル数は、パチューカ13、サヘル23である。
 後半なかばの74分にパチューカが、ゴールから30㍍のフリーキックでシュートし、ゴールキーパーがはじいたボールを拾ってゴールへ叩き込んだ。しかしオーストラリア人の審判がオフサイドをとった。

◆19歳の選手が活躍
 決勝点は、後半終了間近の85分。相手の守りがクリアしたボールを拾って、約25㍍のシュートをムサ・ナリーが決めた。サヘルの選手は、ほとんどがアラブ系のチュニジア人だが、ナリーはガーナから来ている黒人選手である。
 チュニジアは、アフリカ北部、地中海沿岸で旧フランス領だった。アフリカのいい選手はヨーロッパに流れる。残っているトップクラスの多くは20歳前後の若手だ。ガーナから来ているなナリーも19歳。サヘルの戦法は、逆襲速攻だったが、その先頭に立っているストライカーのシェルミティも19歳である。
 驚くのは、そういう若い選手が、鋭い足技を持っていることである。ブラジルやアルゼンチンなら、次つぎにタレントが登場するのは分かる。アフリカのアラブ系の国でも、若い星(エトワール)が次つぎに生まれてくるのだろうか?

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サッカー日誌 / 2007年12月23日


浦和レッズ、実力のランクは


クラブ・ワールドカップ2007から(4)
3位決定戦 浦和レッズ 2対2(PK4-2)エトワール・サヘル
(12月16日・横浜国際総合競技場)

◆「世界3位」の大見出し?
 クラブ・ワールドカップで、浦和レッドダイヤモンズが3位になると、スポーツ紙の一面に「浦和、世界3位」と大見出しがおどった。
 「世界大会で3位」を縮めたものだというのなら、事実としては、間違いではない。でも、この表現は、浦和レッズの実力が世界のクラブチームのなかで3番目だという印象を与える。
 サッカーの世界を知っている人が、そういう受け取り方をすることはないだろうが、一般の人は、深く考えないで「ことばの魔法」にかかる。同じ事務所で働いている女性が「世界3位ってすごいですねぇ」と感心していた。
 せっかくサッカーに関心を持ってくれたのだから、水をさすこともない。「よくやりましたねぇ」とあいづちを打つしかなかった。

◆世界の100位も難しい
 浦和の実力ランキングが、世界の数多くのクラブの中で、どれくらいかを、おおまかにでも測ることは不可能である。ただ、ぼくの独断と偏見でいえば、世界で100位以内に入れることも難しい。南米のブラジルやアルゼンチン、欧州のイングランド、イタリア、スペインなどのトップリーグで上位、中位で戦うのは無理である。かりに10カ国のトップリーグで、10位以内に入れないとすれば、世界の100位以内とはいえないわけである。
 優勝したACミランは、世界のトップクラスとして動かない評価を得ている。そのミランに「1対0で善戦したではないか」という見方があるかもしれない。しかし、ミランにとっては、勝ちさえすればいい試合だったので点差は問題でない。
 「浦和の善戦に意味はない」というつもりはない。食い下がっただけでも、たいしたものである。観客にとってはいい試合だったし、チームにとってはいい経験だった。

◆アフリカのレベルが上?
 「世界の何位か」を論ずることが、そもそも見当違いだろう。
 3位決定戦は、チュニジアのエトワール・サヘルが相手で、アジアとアフリカの代表対決に興味があった。
 試合内容はまったく互角だった。シュート数は12対15でサヘルが多かった。しかし、ゴールの枠内に飛んだのは8対7で浦和がわずかに多い。結果は2対2の引き分けである。浦和の3位はPK戦によるもので、サッカーの勝負としては意味がない。
 浦和にはワシントンとネネがいた。サッカー王国ブラジルからの外国人選手である。
 サヘルの外国籍選手は先発ではガーナのムサ・ナリーだけ。全部アフリカ出身である。
 アジアとアフリカのサッカーをくらべれば、アフリカのレベルが上だといえるかもしれない。

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サッカー日誌 / 2007年12月22日


老練と若手、試合巧者のボカ


クラブ・ワールドカップ2007から (3)
準決勝 ボカ・ジュニアーズ 1対0 エトワール・サヘル
(12月12日・東京国立競技場)

◆決勝点の殊勲者はパレルモ
 南米対アフリカのクラブ・ワールドカップ準決勝で、多くのマスコミは、ボカ・ジュニアーズのカルドソをヒーローとして取り上げた。ゴールを決めた若手である。たとえば12月13日付け読売朝刊スポーツ面の見出しは「21歳カルドソ、左足突き刺した」だった。
 しかし、ぼくの見たところ、前半37分の1点を生んだ殊勲者は、プレーを三つさかのぼって、中盤中央から左サイドへパスを出した34歳のパレルモである。
 中盤の前の方で競り合いからこぼれた浮き球を、トップから下がっていたパレルモが、ワンタッチで左へ出した。そこにはパラシオがフリーで出ていた。パラシオがドリブルで食い込んで、ゴール前へパスを出した。そこに最前線に進出していたカルドソがいた。
 チャンスを作ったのは、無造作に、ぽんと左へ出たパレルモのパスである。フリーになる味方を、中盤の争いの中で、ちゃんと見ていた。そこがすばらしい。

◆ベテランと若手の組み合わせ
 「ラプラタ川で産湯(うぶゆ)をつかった男の子は生まれたときからボールを蹴る」といわれるアルゼンチンである。すぐれたプレーヤーが、つぎつぎに生まれ育つのは不思議ではない。
 しかし、トップクラスの上から数百人は、ほとんどが外国に出ていて、代表選手クラスは国内ではプレーしていない。だから名門クラブのボカ・ジュニアーズでも、スター選手を揃えるのは難しい。すでに欧州のクラブでのキャリアを終えて帰国しているベテラン選手と、これから外国へ出て稼ぎたいとチャンスを狙っている若手を組み合わせてチームを構成するほかはない。
 左へのパスを出したパレルモは、スペインから戻ったベテランである。シュートを決めたカルドソは、ボカが育てた若手である。

◆バルガスの退場もしのぎきる
 ラストパスを出したパラシオは25歳。いまが働き盛りだ。バルセロナに移るというニュースが流れたこともあるが、まだアルゼンチンに残っていた。
 ボカ・ジュニアーズのルッソ監督は「ベテランと若手で構成しているチームのつなぎがうまく言っている」と話していた。そこにパラシオも加わって、べテラン、中堅、若手のトリオによるゴールが生まれた。
 ボカは、後半なかばの65分に中盤のバルガスが2枚目のイエローカードで退場になった。しかし、個人のテクニックを生かしながら、巧みにパスをつないでサヘルの反撃をかわした。ベテランも若手も、試合巧者である。
 ただし、バルガスの退場は、決勝戦を考えると痛手だっただろう。2枚目の反則は、相手の近くで足を高く上げた「危険なプレー」で、やらずもがなだった。

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サッカー日誌 / 2007年12月21日


ACミランの試合戦略


クラブ・ワールドカップ2007から (2)
準決勝 ACミラン 1対0 浦和レッズ
(12月13日・横浜国際総合競技場)

◆チームとして「機を見るに敏」
 クラブ・ワールドカップ準決勝でACミランが浦和レッズから1点を挙げたとき、ぼくはノートに「機を見るに敏」と書き留めた。「チャンスをすばやく見つけ、見つけるとすばやく行動する」という意味である。
 後半なかばの68分、スローインからのボールを受けると、カカが突如、アクセルを踏みマークの坪井を置き去りにして、左サイドをダッシュした。左から食い込んでゴール前へパス。セードルフが難なく決めた。
 キックオフから試合終了まで、90分間の戦いを見通して「今がチャンスだ」という瞬間が必ずある。その瞬間を感じてカカが加速する。
 同じことをチーム全員が感じ取って、ゴール前へ攻め込み、ゴールが生まれる。
 チームとして「機を見るに敏」だと思ったのである。

◆いちばんよい瞬間を待つ
 試合後の記者会見でミランのアンチェロッティ監督は「チャンスを待って、浦和の注意力がちょっと衰えたときを狙った。いちばんよい瞬間を待ってゴールを狙うのがミランのやり方だ」と話した。「いちばんよい瞬間」をカカが感じとり、他のチームメートも同時に感じとって、一気に攻め込んだわけである。チームとして「機を見るに敏」だと思ったのは正しかった。
 このゴールの4分前に、ミランは、ジラルディーノに代えて、34歳のインザーギを出した。あるいは、この選手交代が「そろそろチャンスだぞ」という合図だったのかもしれない。インザーギがトップに立ち、カカは左サイドに出て「その瞬間」を狙っていた。
 スタンドから見ていても、浦和のがんばりが限界に近づきつつあることが感じられた。1点を取られた7分後に守りの中心の闘莉王は左ももを痛めて退場した。

◆大量点は狙わない
 浦和は前半を0に抑え、後半も1失点だけだった。世界最高のスター軍団を相手に大健闘だと言っていい。しかし、もちろん1対0のスコアが実力のレベルを示しているわけではない。
 ミランは1点を取る必要があった。しかし1点取れば十分だった。決勝に出られればいいのだから大量点はいらない。そのために、無理をしないで1点を取る機会をうかがい、1点をとれば、それ以上の無理はしなかった。それが試合戦略だった。
 カカの個人技もすばらしかった。左から突破したとき、カバーに入った浦和の守りの間を通してセードルフにパスした。ゴール近くにインザーギもいたが、後ろにいたセードルフのほうが「点を足りやすい場所だった」と判断したのだという。あの速さのなかでの一瞬の判断も「機を見るに敏」である。

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サッカー日誌 / 2007年12月19日


決勝戦のチーム戦術


クラブ・ワールドカップ2007から (1)
決勝 ACミラン 4対2 ボカ・ジュニアーズ
(12月16日・横浜国際総合競技場)

◆ミランの攻め、ボカの守り
 クラブ・ワールドカップ決勝は、見どころの多い試合だった。とくに前半は双方のチーム戦術が興味深かった。
 テクニックと速さと戦術的判断力の組み合わされた華麗なミランの攻めを、ボカがチームの守りで、どう食い止めるかかが、一つの焦点だった。
 21分にミランが、カカの攻め込みとインザーギの巧みな動きを組み合わせて先制した。ボカの守りを攻め崩して試合の流れを決めたように見えた。しかしボカは、直後の22分にショートコーナーの機会を生かして同点とした。それで、試合はおもしろくなった。
 前半は1対1。シュート数は7対7で同じ、ボール支配率はミラン52%、ボカ48%とほぼ互角だった。
 見た目の形勢はボカがやや優勢、鋭い攻めはミラノの方が目立った。

◆ブロックによる守り
 記者席から双眼鏡で、ボカの守りを見ていた。
 カカやセードルフの攻め込みをチェックし、2人がかりで守る。双眼鏡の視野のなかでは、きびしく、激しい個人の戦いによる守りに見えた。
 しかし、双眼鏡から目を離して守備陣全体を見ると、守りのバランスは崩れていない。
 守備ラインは4人の横並び。その前にバタグリアがいる。そして両サイドからゴンザレスとカルドソが下がってくる。
 4人のラインの前に3人が並び、ゴールの前に網の目のブロックを作っている。進入してきた相手をきびしくチェックしても、ブロック全体は崩れない。守りのテクニックと一人一人の判断力がチームとして結びついている。その激しく堅い守りのうえに逆襲を組み立てた。

◆速さと頭脳的コンビの攻め
 流れを変えたのは、後半の立ち上がり、50分のミランの2点目である。この得点はペナルティエリア右外からのフリーキックの機会を生かしたもので、守備ラインからあがっていたネスタが決めた。ミランの華麗な前線トリオに、ボカの守りが攻め崩されたわけではない。しかし、その後、反撃に出ようとするボカの裏側をミランの攻めの速さがついて、追加点が生まれ、勝負が決まった。
 ミランの4点のなかで、もっとも印象に残ったのは前半の先取点である。
 カカの速いドリブルとともに、インザーギが同じサイドに走りこみ、ボカの守りを引き付けておいたうえで、すばやくゴール前へ移動した。カカは、引き付けた相手の守りの間からインザーギに的確なパスを出した。速さと頭脳的なコンビネーションとテクニックがみごとに組み合わされた攻めだった。


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サッカー日誌 / 2007年12月01日


日本代表・岡田新監督の課題(下)


目前の山を越えるために全力を

◆国際的な実績は評価できない
「W杯予選を勝ち抜き、本大会を戦ったただ一人の日本人監督」という表現が、11月29日付けの読売新聞夕刊に載っていた。事実としては間違いではないが、この実績は、まっとうには評価できない。
 1998年のフランス・ワールドカップに予選を経て出場したには違いないが、このときはアジア予選の終盤、中央アジアでの転戦中、カザフスタンで加茂周監督が解任されたあと、コーチから昇格したもので、自分でチームを作り上げたわけではない。
 その後の試合も危なっかしいものだった。第三代表決定戦で、イラクに延長Ⅴゴール勝ちした「ジョホールバルの奇跡」がもてはやされているが、それだけである。
 本番のフランスでは,1次リーグで3戦全敗。最後のジャマイカとの試合で「城を柱に戦う」と宣言したが、その城彰二がまったく不振だったのが忘れられない。

◆あと10ヵ月を乗り切るのが仕事
 あれから9年が過ぎている。
 その間に、岡田監督は、コンサドーレ札幌と横浜F・マリノスで実績を残しているが、国際的な経験は少ない。国際試合を戦う経験は、これから新たに積んでいかなければならない。ワールドカップの3次予選を戦いながら、国際試合の戦い方を身につけていくことになる。これも、岡田監督の課題である。
 2008年2月から9月まで、タイ、バーレーン、オマーンとホーム・アンド・アウエーで争う。楽に勝てる相手とはいえないにしても比較的、恵まれたグループである。初戦のタイ戦がホームというのも、新監督にとっていい日程である。
 危機管理を引き受けた監督としては、これから10ヵ月、とりあえず、チームをまとめて目の前の山越えるために全力を傾けるしかない。

◆次の「危機管理」が必要か?
 最終予選に進み、さらに2010年南アフリカ・ワールドカップへ向かって、ますます険しくなる国際試合の山また山を越えていく力量が岡田監督にあるかどうか? これは大きな不安である。それだけの経験と実績は、まだないからである。
 オシム監督が倒れたあと差し迫った「危機管理」のためには、協会としては岡田監督起用しか手はなかっただろう。しかし、さらにその後、ワールドカップの本番に向けては、力量と実績のある外国人監督を用意する「危機管理」が必要かもしれない。そういう目からみれば、誤報に終わった「オジェック監督説」は、その先取りだったといえるだろう。
 もちろん、3次予選を、つぎつぎと勝ち抜く間に、岡田監督が選手たちの信頼を確立し、国際試合を戦う力量を示すことができれば、話は別である。「予選を勝ち抜き、本大会を戦ったただ一人の日本人監督」の実績は確固としたものになる。

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