サッカー日誌 / 2011年06月30日


女子サッカーの未来のために


女子ワールドカップ観戦日誌(1)
(6月23日 ドイツ入り)

★世界の動きを知りたい
 「なでしこジャパン」の活躍を見るよりも、世界の女子サッカーはどんなものか、女子ワールドカップの未来はどうなるだろうか、それを知りたいと思ってドイツに来た。6月26日から7月17日まで22日間にわたって9都市で試合がある。
 男子のワールドカップについては、大会を日本に紹介し、日本開催のためにキャンペーンをし、1970年以来、11回連続で現地取材をして、ジャーナリストとして、かなりの貢献をしたと自負している。だが、女子サッカーについては、まったく無関心だった。半世紀以上にわたる記者生活を通じて「サッカーは男のスポーツ」だと信じていた。
 最近、女子サッカーを熱心に応援している若い友人たちが出てきたのに刺激されて、サッカー人生の最後の仕事の一つとして、日本の女子サッカーの未来に役立つことができないかと考えている。

★フランクフルトにビバ!ハウス
 6月23日午後にフランクフルトに着き、まず「ビバ!ハウス」に入った。フランクフルト市内、Uバーン(地下鉄)のDornbusch 駅に近いアパートの2階1部屋である、
 5年前の男子ワールドカップのときには、ザクセンハウゼンの居酒屋街に近いペンションの4部屋を借りきって「ビバ!ハウス」と名付け、仲間たちが入れ替わり立ち代り現れてにぎやかに楽しんだ。今回は、市街地に近くて、便利で、しかも閑静な住宅街を選んだ。ここを根拠にじっくり、女子ワールドカップを見て回る計画だ。
 フランクフルト市内には、女子ワールドカップの飾り付けをあまり見かけない。
 これは意外だった。というのは、ドイツの大会組織委員会は観光局と組んで熱心に外国へ事前の広報活動を展開していたからである。「歓迎使節団」が参加各国を回った。東京でも6月8日に、はなやかなプレゼンテーションをした。

★開幕前の静かな雰囲気
 翌日、3週間あまり後に決勝戦が行われる「バルト・スタジアム」へ入ってみた。緑に囲まれた競技場は、なんの飾りつけもなく静まりかえっている。「ボランティアセンター」と書かれた横幕を見つけて近づいたら警備員に追い払われた。近くのサッカー協会の事務所も数人の事務員が仕事をしているだけである。幹部は開幕試合の行われるベルリンへ、もう出かけているのかもしれない。
 スタジアム駅の地下道のタイル壁画は女子サッカー選手になっていた。フランクフルト中央駅に戻ったら、乗ってきた列車のドアの外側に大会マークが貼ってあった。また乗車券センターの入り口に「開幕まであと2日」の掲示板があるのに気がついた。
 でも、男子ワールドカップの国を挙げての熱狂的「お祭り気分」に比べれば静かなものである。日常生活を変えない中で、ふつうに大会を開くのも一つの「在り方」だと思った。


フランクフルト駅構内の「あと2日」の掲示。



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サッカー日誌 / 2011年06月24日


サッカー協会創立事情の新知見


日本サッカー史研究会6月例会
(6月20日 JFAハウス会議室)

★福島寿男さんの報告
 日本サッカー史研究会の6月例会では、会員の福島寿男さんの報告を聞いた。福島さんは広く文献を探して新しい事実を見い出し、優れた考察で日本のサッカー史を書き直しつつある。日本サッカー史研究の第一人者であると、ぼくは信じている。
 今回の報告は、1921年(大正10年)に日本にサッカー協会ができたときの事情に関するものだった。
 1919年(大正8年)にイングランドのサッカー協会(The FA)から日本に大きな銀杯が贈られてきた。それがきっかけとなって大日本蹴球協会(サッカー協会)が設立された。多くの本にはそう書いてある。ところが、銀杯が贈られてから協会設立まで2年以上もかかっている。それはなぜか? 詳しいことは福島さん自身がネット上に書いている報告や、今後発表されるであろう論文を見てほしい。

★組織化や役員選定で混乱
 福島さんの報告を聞いて、ぼくなりに考えたことは次のようである。
 英国からの銀杯を受け取ったのは、当時の大日本体育協会の会長で、東京高等師範の校長だった嘉納治五郎である。嘉納はすぐに東京高師教授で蹴球部長だった内野台嶺に協会設立を命じた。ところが、これが、なかなか捗らなかった。
 内野は「その間のいろいろな事情を書く必要はないだろう」というような思わせぶりな文章を残しているだけである。その、いろいろな事情を、福島さんが解き明かしている。
 要するに、そのころはまだほとんどなかったスポーツ別の競技団体を、どのようにして作るかが明らかでなかったので、組織化や役員選定で混乱したということだろう。当時、競技別の団体としては漕艇(ボート)だけがあり、陸上競技や水泳は体育協会が直轄していた。
 サッカーは漕艇に次いで日本で2番目の独立の競技団体になったらしい。

★会長人事、東西の対立など
 英国の銀杯を受け取ったことや、当時の東京のサッカーの勢力図からは、東京高師の校長で体協の会長である嘉納が蹴球(サッカー)協会の初代会長になって当然のように思われる。しかし、そのころ、師範系以外の大学サッカーもはじまっていた。さらにスポーツ界全体では関東と関西の対立もあった。そういうことが会長人事にからんで、サッカー
協会の設立が遅れたのではないか。
 英国が日本に銀杯を贈ってきた経緯についても、福島さんは定説を覆す新知見を以前にサッカー史研究会で報告しているe
 今年、2011年は体育協会創立100周年であり、サッカー協会創立90周年である。
 この機会に、初期の大日本体育協会の状況、大日本蹴球協会創立の事情を振り返っておく必要があるように思う。


サッカー史研究会、福島寿男さん。



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サッカー日誌 / 2011年06月23日


クウェート戦の星勘定


男子五輪アジア2次予選第1戦
日本 3-1 クウェート
(6月19日 愛知・豊田スタジアム)

★2点差はよかった
 ロンドン・オリンピック・サッカーのアジア2次予選、日本対クウェートの第1戦が愛知県の豊田で行われた。日本が3―1で危なげなく快勝。この結果はもちろんいい。
 23日にアウェーで行われる第2戦に0-1で敗れて1勝1敗になったとしても、得点の合計は3-2で日本が最終予選に進出できる。だから2点差をつけたのは良かった。
 もし2-1の1点差だったらアウェーで0-1の負けだと得点合計2-2となる。その場合はアウェーであげた1点が2倍に勘定されるので2-4でクウェートが進出する。そういう計算をしてみると、日本にとって2点差の勝利は必要条件だった。
 なぜなら、アウェーで日本が0-1で敗れる可能性は十分に想定の範囲内だからである。日本のレベルが上だとしても力の差はそれほどない。クウェートが積極的に攻めれば、日本の守りから1点をとる可能性は十分ある。

★1失点はよくない
 しかし、3点をリードしたあとに1点を失ったのはよくない。アウェーのゴールが2倍になるケースがあるのだから、リードした以上はしっかり守るべきである。
 第2戦でクウェートが2-0で勝つと得点合計3-3。アウェー・ダブルで3-4となりクウェートの進出になる。クウェートに望みを与えたのだからホームでの失点は厳しく反省しなければならない。
 ともあれ、初戦で勝ったのはよかった。快勝の原因は選手起用が当たったことである。
 関塚隆監督は中盤に山村和也と山本康弘を起用した。1日の豪州との親善試合では、山村の相方は山口蛍だった。
 「相手が守備的にくること予想して、中盤にボールを動かせるプレーヤーを起用した」というのが、試合後の記者会見での関塚監督の説明だった。

★両監督の采配で明暗
 クウェートが下がって守ったため、日本は中盤で比較的楽にボールを動かすことができた。ほとんど中盤を支配して攻め続け後半16分までに3-0とリードした。切り札の永井謙佑は足首捻挫でベンチだったが、攻めは狙い通りだった。
 後半22分の失点は、右バックの酒井宏樹のミスでボールを奪われて攻め込まれたものだった。ミスは常に起こりうる。それをカバーする守りの組織が機能しなかったのは問題点である。
 クウェートの敗因は「守備策」である。個人の力強さでは日本を上回っているのだから、それを生かして最初から攻勢をかければおもしろかっただろう。
 後半立ち上がりの7分ほど、クウェートは反撃を狙って攻勢に出た。あの攻めを前半から試みて先取点をあげていればクウェートに勝機があったかもしれない。


試合前の豊田スタジアム正面。観客は若者たちが多かった。



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サッカー日誌 / 2011年06月21日


「なでしこ」の真摯な使命感


女子国際親善試合 日本 1-1 韓国
(6月18日 愛媛ニンジニア・スタジアム)

★芝生に水しぶきの雨中戦
 女子ワールドカップへの出発を前に「なでしこジャパン」が韓国女子代表と親善試合をした。それを愛媛県松山まで見に行った。
 あいにく、かなりの雨だった。ニンジニア・スタジアムの芝は見た目には見事な緑なのだが、水はけがよくないようで走る足元から水しぶきである。グラウンダーのパスは蹴った瞬間は走るが水溜りで急に止まる。そんな中で「なでしこ」がドリブルとパスで攻めていたのは賢明でないように思った。しかし、ワールドカップの本番を前にチームのスタイルを変えたくなかったのかもしれない。ピッチの状態への対応をプレーヤーたちの判断に任せたのだとすれば、勝負にこだわる必要のない「親善試合」なのだから経験を積ませるために、それも一つの選択である。
 相手の韓国は縦へのパスで日本の守りの背後をつく雨中戦戦法だった。

★澤穂希が頼り、W杯に不安
 前半はボールの支配率では日本が優勢だったが、いい形からのシュートは韓国にあった。しかし、ゴールキーパーの海堀あゆみがしっかり止めた。濡れたボールがすべりやすい中で海堀の慎重な守りはよかった。
 後半は日本の中盤の中心、澤穂希が攻守に積極的に動いていい形を作るようになった。雨中戦に慣れてきたのかもしれないが、32歳の澤が軸にならないと形にならないのでは、ワールドカップを戦い抜くためには、いささか不安である。
 後半25分に、日本は澤を起点にパスの速い組み立てから宮間あやのシュートで先取点。しかし、その5分後に韓国が同点にした。ゴールキーパーの海堀が飛び出して防ぎそこなったボールを拾われたものだった。それまでは堅実に守っていた海堀のミスだが、韓国の反撃の鋭さもよかった。韓国は女子リーグができて3年目。急速に伸びているそうだ。

★進んでファンサービス
 ひどいグラウンド状態のなかで「なでしこ」の闘志にあふれる守りはよかった。近賀ゆかりと阪口夢穂が、何度も水しぶきとともにスライディング・タックルを試みた。身を挺して守るプレーぶりは感動的だった。
 韓国を相手に引き分けは「なでしこ」にとっては、かなり悔しかったようだが、それでも試合後、選手たちは、報道陣の囲みインタビューに丁寧に答えていた。
 それを終えて外へ出ると、色紙やサイン帳を持った少女たちが、雨に濡れながら待ち受けていた。バスに乗り込む前に進んで近づいて、快くサービスしていた。
 自分たちの力と努力で女子のサッカーを盛んにしようという真摯な姿勢が感じられた。
 男子の最近の若いプレーヤーからは、あまり窺うことのできない使命感を「なでしこ」は持っているようだ。


報道陣の囲み取材にこたえる澤。


出口で待っていた少女たちにサインをする「なでしこ」。




 
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サッカー日誌 / 2011年06月17日


若い世代に実戦の経験が必要


親善試合 U-22日本 3対1 U-22豪州
(6月1日 新潟・東北電力ビッグスワン)  

◇センターバックに不安?
 新潟で行われたキリンカップの第1戦、日本代表対ペルー代表の前座に、U-22代表の日本対豪州(オーストラリア)の親善試合があった。この試合では、翌年のロンドン・オリンピックをめざしている日本の若い代表チームの「守り」に注目して見た。
 というのは友人から「U-22のセンターバックは不安だよ」と聞いていたからである。
 U-22代表チームが出場するオリンピックのアジア予選は、この試合の18日後に始まる。最初の相手はクウェートである。直前になって「守りが不安」では困ったものである。
キリンカップに出ている日本代表は、ワールドカップのためのチーム作りを目的にしている。ワールドカップのアジア予選は9月からだからまだ時間がある。
 この日の2試合では、6月19日にクウェートとの第1戦(豊田)を控えたU-22のほうに注目しなければならないと思った。

◇開始3分で失点
 キックオフから3分後に、友人の不安が的外れではないことが分かった。日本が攻めこんでコーナーキックのチャンス。そのあとの逆襲速攻で、たちまち1点を失ったのである。
 この失点の良くないところが二つある。
 一つは、開始早々で相手の出方を見極めないうちに逆襲を食らったことである。「前後半のキックオフ後の10分間は慎重に」とよく言われるが、その定石を無視していた。
 もう一つは、2人のセンターバック(村松大輔と浜田水輝)の連係が悪く、攻めこんだ相手に2人とも引き寄せられて、ゴールを決めたニコルスをフリーにしたことである。
 つまり、試合運びの巧さがなく、守りのコンビネーションもできていなかった。
 この後も前半はずっと豪州のペースだった。豪州の右サイドからの攻めに、しばしばピンチを招いた。前半終了間際に永井謙佑のゴールで同点にできたのは好運だった。

◇守備ラインのリーダーが必要
 試合後の記者会見で関塚隆監督は「最初はゾーンで守ることにしていたが、豪州の10番と11番(トップ下と攻撃的な中盤プレーヤー)が下がってきたのに対応できなかった。それでハーフタイムに指示してマンツーマンで厳しくマークさせるようにした」と語った。そのためか、後半は持ち直し、永井と大迫勇也のゴールで逆転勝ちすることができた。
 しかし、問題は立ち上がりに相手の出方を見極めることができず、フィールド内にいるプレーヤーの判断で対応できなかったことである。
 22歳以下のプレーヤーで経験不足だから仕方がない、と言えばそれまでである。
 守備ラインのプレーヤーの多くは、Jリーグでは控えで厳しい実戦の経験を積む機会がない。だから守りでリーダーシップをとれる選手は育ってこない。若い選手に実戦の経験を積ませる方策を考えなければならないと思った。


試合後の記者会見での関塚監督。



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サッカー日誌 / 2011年06月16日


「なでしこ」の現状と未来を語る


ビバ!公開シンポジウム
(6月14日 東京青山・こどもの城研修室)  

◇ドイツ女子W杯を前に
 「ビバ!サッカー研究会」の7月例会に代えて公開シンポジウムを開いた。毎年、1度か2度、会員以外の人にも呼び掛けて講演会やシンポジウムを開いている。その一つだ。
6月下旬から7月中旬にかけてドイツで女子のワールドカップが開かれる。その前に女子サッカーを取り上げようという趣旨である。
 タイトルは「なでしこ、しなやかに、つよく」。サブタイトルは「女子サッカーの現状と未来」。パネリストには、元なでしこ日本代表の四方菜穂さん、中地舞さん、それに女子サッカーを取材し続けているライターの砂坂美紀さん、江橋よしのりさんをお願いした。江橋さんは司会兼である。
 実は、ぼくは、ドイツ女子W杯を取材に行くことにしている。そのために女子のサッカーを勉強しておこうというつもりもある。

◇2つの主要なポイント
 司会の江橋さんがいろいろな話題を取り上げたなかに2つの主要なポイントがあった。
 一つは、日本代表「なでしこ」の強さが、現在の世界のなかで、どのくらいの位置にいるのかである。もう一つは、日本の女子サッカーの未来を明るくするためには、いま何をしなければならないのかである。
 出演の4人は、もちろん、その道の専門家だから「現実」については、よく知っている。その認識は共通している。しかし、聴衆は必ずしも女子サッカー通ではない。その前で、それを、どう表現するかについては違いがあった。
 ライターのお二人は「なでしこ」がベスト4、あるいは決勝に進出する夢を描こうとしているように見受けられた。一方、元選手のお二人は「世界のトップ」に挑む現実の厳しさを語った。

◇女子の未来は明るい
 女子W杯の展望は別に取り上げるつもりである。ここでは、日本の女子サッカーの未来については紹介しておきたい。元「なでしこ」代表の2人のコメントがすばらしかった。
 四方さんは「トップレベルが世界で活躍することによって、女の子たちがサッカーに興味を持ってくれるだろう。それが、やがては日本代表の強化につながる」と話した。
 中地さんは「自分たちより少し前に、日本の女子サッカーの苦しい時代があった。そのころに、なんとか日本の女子サッカーを立ち直らせようと、先輩たちが恵まれないなかで懸命だった。その背中を忘れないで未来のために努力をするつもりだ」と述べた。
 「元なでしこ」は、こういうしっかりした考えを持っている。この若い世代が、これから女子サッカーの普及と発展を担うのだからだから、日本の女子サッカーの未来は明るいと思う。




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サッカー日誌 / 2011年06月01日


代表チーム強化方針の間違い


コパアメリカ不参加問題始末(下)
(5月17日 出場辞退を正式発表)  

◇二つの「もったいない」説
 日本が南米選手権へ参加を取りやめたことについて「日本代表強化の貴重なチャンスを逃した」と考える仲間が多い。その根拠は二つある。
 一つは、代表が一つのチームとして、まとまって練習や試合をする期間をムダにしたのは「もったいない」という考えである。そういう期間は、なかなか得られないのだから、せっかく空いた6月~7月を有効に使うべきだったというわけだ。 
 もう一つは、代表チームを強化するためには高いレベルの相手との国際試合の経験を
積む必要があり、その機会をを逃したのは「もったいない」という意見である。南米の代表チームがタイトルをかけて争う大会に加わることができるのは、強い相手と対戦する絶好の機会だった。
 二つの「もったいない」説は「もっとも」のように思えるが、ぼくの考えは違う。

◇Jクラブ優先は当然
 一番目の「もったいない」は「代表チームの強化は代表監督のもとに選手を集め一つのチームとして鍛え上げることだ」という考えにもとづいている。
 しかし、代表チームが長期にわたって選手を拘束するのは必ずしも有効ではない。選手が主としてプレーするのは所属のクラブである。選手を根付いている土壌から引っこ抜いて磨き上げても、そのときだけ、おいしそうに見えるだけで、やがてしぼんでしまう。一人一人の選手を、その選手が根をおろしている土壌で成長させるのが本筋である。
 そういう意味で、Jリーグが震災で中断した期間の日程を埋めることを優先させ、7月に代表選手を出すことを拒んだのは正しい。代表が先か、クラブが先かと言えば、クラブが先であり、元である。
 日常の国際試合は、その都度、選手を招集して行うのでいい。

◇若手主体は受け入れられない
 選手を伸ばすためには、レベルの高い相手との真剣な試合の経験が必要である。それが、もっとも必要なのは、まだ国際試合の経験が少ない若手である。
 「それなら、U-22の代表で南米選手権に参加すればよかった」という意見もある。しかし、南米サッカー連盟が、日本を招待するために出していた条件は「ベストメンバーの日本代表チームを送ること」だった。だから若手主体のチームを送るわけにはいかなかった。
 同じ意味で、Jリーグのクラブからだけの選抜も、欧州組だけによる編成も無理だった。そういうチームを「日本代表」と称して参加させるのは、南米連盟に対して「信義にもとる」ことになる。
 そういうわけで今回の南米選手権不参加の根っこの原因は大震災ではない。もともと日本サッカー協会が招待を求め、参加を約束していたのが間違いだったというほかはない。



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