サッカー日誌 / 2016年08月31日


ドーピングとリオ五輪(中)


パラリンピックの場合

IPC発表
(8月3日、リオデジャネイロ)

★ロシアの参加を全面禁止
 リオデジャネイロ・オリンピックでは、ロシアの選手のドーピング疑惑は、陸上競技以外では不問に付された。
 ところが、9月に行われるパラリンピックでは、ロシアの選手の出場は全面的にできなくなった。
 国際パラリンピック委員会(ⅠPC)が、ロシア・パラリンピック委員会を資格停止にしたからである。
 パラリンピックでのドーピングの扱いには、難しい問題があるように思う。
 パラリンピックは障害のある人たちの国際スポーツ大会である。
 参加選手には、それぞれの障害の治療のための薬を使っている人も多いだろう。
 その薬のなかに、ドーピング禁止規則に引っかかるものがあるかもしれない。
 それを一律に禁止すると、治療を妨げることになる。
 
★オリンピックとの違い
 また、国際陸連や国際水連などの競技団体が、個々の選手の障害やその治療を把握することは困難だろう。
 そういうような理由で、国際パラリンピック委員会は、オリンピックと同じ措置をとるわけにはいかなかったのだろうと推測した。
 「しかし……」と、不審に思ったことがある。
 国際パラリンピック委員会は、個々の選手のドーピングを調査して処罰することをしないで、ロシア・パラリンピック委員会を資格停止にした。
 そのために、ロシアの障害者は、全員がパラリンピックに出場できないことになった
 ということは、国際パラリンピック委員会は、ロシアの組織的ドーピングの証拠を把握したに違いない。
 ロシアの国ぐるみのドーピングに、パラリンピックが含まれていた証拠を握っているから処分ができたのだろう。

★WADAの報告をもとに
 パラリンピックは、WADA(世界反ドーピング機関)の報告をもとにロシア・パラリンピック委員会を資格停止処分にした。
 一方、オリンピックも、WADAの報告をもとに、ロシア・オリンピック委員会の処分を見送ったはずである。
 同じWADAの報告をもとにしながら、なぜ処分が正反対になったのだろうか?
 IOC(国際オリンピック委員会)は、オリンピック開幕直前にスポーツ大国ロシアを除外しては、オリンピックそのものが危うくなると判断したのだと思う。
 IOCは、大会直前だったので、やむをえず、実務的な措置を選択したのだろう。
 オリンピックのあと、IOCがロシア・オリンピック委員会に対して改めて措置を取るかどうかに注目している。


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サッカー日誌 / 2016年08月29日


ドーピングとリオ五輪(上)


IOCと競技団体の権限

IOC臨時理事会
(7月24日、電話会議) 

★ロシア陸上は参加禁止
 リオデジャネイロ・オリンピックの前に、ドーピングが大きな問題になった。
 過去の大会で、ロシアの選手たちがドーピングをしていたことが公表されたからである。
 ドーピングは、競技力を向上させるために特殊な薬剤を使うことである。
 まず、ロシアの陸上競技選手が摘発され、国際陸上競技連盟は、ロシア陸上競技連盟を資格停止処分にした。
 そのため、ロシアの陸上競技選手は、リオデジャネイロ・オリンピックに参加できなかった。
 ロシアのドーピングは、国ぐるみの大がかりなもので、陸上競技だけでなく、ほかの多くのスポーツでも行われていたことが明らかになった。
 そこで、陸上競技だけでなく、ロシアのオリンピック参加を全面的に禁止すべきだという声が出た。

★IOCの三つの条件
 IOC(国際オリンピック委員会)は、電話による緊急理事会を開いた。
 IOCの結論は、こうだった。
 ①過去にドーピングで処分を受けた選手は、処罰の期間が終わっていても、オリンピック参加を認めない。
 ②国内の検査機関による潔白証明では不十分。国際的な機関による検査が必要。
 ③個々の選手の参加資格認定は、それぞれの国際競技連盟の判断に委ねる。
 このうち、①の「処罰期間が終わっても、オリンピック参加は認めない」という項目は、きびしい。
 一度、ドーピング検査に引っかかったら、永久にオリンピクには出られないことになる。
 それを、既往(過去)に遡って適用するのには、法理論上の問題もあるのではないか?

★競技団体の仕事
 ②の「国際的な機関による検査を受ける」ことは、選手個人にとっては、たいへんなように思える。
 しかし、オリンピックに出場するようなレベルの選手は、毎年、世界選手権などの国際競技会に参加して、ドーピング検査を受けているので、それほど難しい問題ではない。
 ③の「参加資格認定を、それぞれの国際競技連盟の判断に委ねる」という決定に対しては、マスコミで厳しい批判が伝えられた。
 「IOCが、ロシアの参加を全面的に禁止しなかったのは、ロシア政府の圧力に屈したのではないか」という意見である。
 この批判は、見当違いだ。
 個々の選手の参加資格を決めるのは、もともと競技団体(国際陸連など)の権限である。
 IOCは、オリンピック参加資格の大枠を決めて、あとは競技団体に任せた。
 この措置は当然である。


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サッカー日誌 / 2016年08月28日


リオ五輪のテレビ視聴率


サッカーが週間ベスト20入り

リオデジャネイロ・オリンピック(8月5日~21日)

★甲子園との比較
 購読している新聞に、毎週1度、関東地方のテレビ視聴率のベスト20が掲載される。
 それを興味深く見ている。
 スポーツの人気の一つの「指標」としてである。
 8月の視聴率には、とくに注目した。
 というのは、リオデジャネイロのオリンピックと甲子園の高校野球選手権が、ほとんど同時に行われたからである。
 どちらも、NHKが全面的にテレビ中継した。
 どちらの視聴率が高かっただろうか?
 8月第3週(15日~21日)をみると、リオ五輪の圧勝である。
 リオ五輪の中継は、ベスト20の半数の10を占め、甲子園の高校野球は、まったく顔を出していない。
 ただし、この比較は公正ではない。
 オリンピックは国民的関心事であり、高校野球は出場校の地元の地方的関心事だからである。

★「日の丸バンザイ」
 甲子園で優勝した作新学園の地元、栃木県だけの視聴率を調べれば、高校野球の視聴率がダントツだったかもしれない。
 リオデジャネイロ・オリンピックの視聴率をみても、ベスト20に入っているのは、卓球など、日本が活躍する競技がほとんどである。「日の丸バンザイ」である。
 その中で……。
 ぼくの目を引いたのは、サッカーの男子決勝(NHK、8月21日)が16.8%で、16位に入っていたことである。
 男子サッカー決勝は、ブラジル対ドイツだった。
 日本は関係ないのに、週間視聴率ベスト20に入った。
 「日の丸がらみ」でない中継では、ただ一つである。
 サッカーというスポーツそのものに対する関心が、日本でも高いことを示しているのではないか?
 
★サッカーそのものへの関心
 ブラジル対ドイツは、興味深いカードである。
 南米対欧州である、
 サッカー強国の若手プレーヤーを見ることが出来る。
 ブラジルのネイマールがオーバーエージで出ている。
 「サッカー通(つう)」ならチャンネルを回しても不思議はない。
 しかし、週間視聴率調査の対象は、一般の人びとである。
 そのなかで、ブラジル対ドイツのサッカーが、ベスト20のなかに入った。
 マニアではない、ふつうの人びとが、けっこう、サッカーの知識を持っているからではないかと思った。
 もちろん、視聴率による人気の評価は、そう単純ではない。放送の時間帯や、同じ時間帯の他のチャンネル(裏番組)に影響されるからである、
 それにしても……。
 日本に関係のない、サッカー決勝戦の視聴率が高かったのには驚いた。


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サッカー日誌 / 2016年08月27日


リオ五輪、テレビ観戦記(7)


南米初開催の意義

閉会式
(8月21日、マラカナン・スタジアム)

★IOCにとっては
 リオデジャネイロ大会は、南米大陸で初めて行われたオリンピックだった。
 しかし、その意義を、日本のマスコミは、あまり論じなかったように思う。
 南米各国では、どうだったのだろうか?
 五輪マークの五つの色は、世界の5大陸を表しているといいう説がある。
 それはともあれ、オリンピック精神を地球上のすべての大陸に広めることは、IOC(国際オリンピック委員会)にとって、もっとも重要な課題だろう。
 そういう意味で、オリンピックが南米大陸で開催されたことは、IOCにとっては、非常に意味のあることだった。
 オリンピックの理念を、南米諸国にPRする機会になったからである。

★アマチュアリズム反対
 オリンピックは、南米諸国では、あまり高く評価されていない。そういう話を読んだことがある。
 オリンピックの理念は、もともと「アマチュアリズム」だった。「スポーツによって、金銭的、物質的利益を得てはならない」という「考え」である。
 ブラジルには、そういうオリンピックの理念に反対する「考え」が多いという。
 というのは、欧州系の人たちのスポーツクラブが、アフリカ系のサッカー選手を締め出すために「アマチュアリズム」を利用してきた歴史があるからである。
 肉体的労働によって身体が鍛えられている人たちが、スポーツで活躍するのは公平でない。
 スポーツは「仕事」とは関係のない「趣味」だ。
 そういう「考え」である。
 そういう理屈で、欧州系のスポーツクラブは、肉体労働者であるアフリカ系の人たちを受け入れなかった。
 1930年代ころまでの話だという。

★大衆の支持がない
 そういうわけで、ブラジルの人たちはオリンピックに関心がないだけでなく、反対だということだった。
 この見方が、正しいか、どうかは知らない。
 しかし、ぼくがブラジルへ行ったときの見聞では「なるほど、そうかな」と思った事例がいくつかあった。
 たとえば、2014年のサッカー・ワールドカップのとき、サンパウロのスタジアムに行く道路に「オリンピック反対」の看板が掲げられていた。
 リオのコパカバーナ海岸でも、オリンピック反対の砂のディスプレイを見た。
 オリンピックに対して大衆の支持がないのである。
 だから、今回のリオデジャネイロ・オリンピックで、地元の盛り上がりが低かったという報道は不思議ではなかった。
 サッカーのワールドカップは、南米では、すでに4度、行われている。アフリカでも行われている。
オリンピックは、アフリカ大陸では、まだ開かれたことはない。


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サッカー日誌 / 2016年08月25日


リオ五輪、テレビ観戦記(6)


個人の力とチームワーク

陸上男子400メートルリレーで銀
(8月19日、マラカナン・オリンピック競技場)

★アンダーハンド・パス
 リオデジャネイロ・オリンピックの終盤、陸上競技、男子400メートルリレーで、日本チームが銀メダルを得た。
 陸上トラックの個人種目では、日本の選手はメダルを取れない。
 一人、一人の走力では劣るからである。
 しかし、その一人、一人の力を足し合わせたリレーでは、世界2位になった。
 すばらしい。
 と、ともに、不思議である。
 1足す1が2以上になる。
 マスコミ各紙は、日本チームの「アンダーハンド・パス」が、タイムを縮めることができた要因だとして詳細に解説していた。
 それを読んで「なるほど」と、分ったような気にはなったが、理解できない点もあった。

★速さか、確実性か?
 リレーでは、バトンの受け渡しが3度ある。
 そのとき、次走者が待っていて、前走者が近づいてから腰の横でバトン受け渡しするのが確実である。
 一方、次走者が早めにスタートし、お互いに腕を伸ばして受け渡しする方法もある。
 後者のほうが、腕を伸ばした分だけ走る距離を短く出来る。1度について60cmだという。
 3度の受け渡しで合計180cmである。時間にして0秒13になるのだそうだ。
 0.1秒以下の争いだから、この違いは大きい。
 アンダーハンド・パスでタイムが縮まるのなら、日本以外の国も、アンダーハンドをすればいいのではないか?
 そう思ったのだが、アンダーハンド・パスでは、バトンを落とす危険が大きいらしい。
 「速さか、確実性か?」という問題である。

★手放しでは喜べない
 日本チームは、バトンを落とす危険が大きいリスクはあっても、タイムを縮める道を選んだ。
 そこで、バトンの受け渡しの精度を高めるために、固定したメンバーで練習を積み重ねた。
 そういう報道を読んで思った。
 「欧米の多くの国では、この方法は取れないのではないか?」
 ジャマイカや米国には、レベルの高いスプリンターが多い。
 その選手たちが、国内予選で個人の力を競ってオリンピック代表の座を、きびしく争う。
 そういうなかでは、オリンピック代表選手を、あらかじめ固定して、チームとしての練習をさせることは難しい。
 日本がアンダーハンド・パスを選ぶことができたのは、国際レベルの選手が少ないために、あらかじめ選手を決めて練習することが出来たからではないか。
 そう考えると、個人の力よりも、チームの技術によって得た「銀」を、手放しで喜ぶわけにはいかない。


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サッカー日誌 / 2016年08月24日


リオ五輪、テレビ観戦記(5)


水泳、金藤理絵の金メダル

競泳女子200平泳ぎ決勝
(8月11日、オリンピック・プール)

★山間部からのスイマー
 リオデジャネイロ・オリンピックの水泳競技で興味深かったのは、女子200メートル平泳ぎ、金藤理絵の金メダルだった。
 金藤は27歳。広島県庄原市の出身である。
 地図で見ると、広島県庄原市は、瀬戸内海側の広島と日本海側の島根の間、中国山脈の山の中のようである。
 海のない山間部から、水泳の金メダリストが生まれたのは、なぜだろうか?
 原因は、いくつもあるだろうが、その一つは、おそらく、山間部の学校にも、水泳プールがあったことだろう。
 太平洋戦争が終わったあと、全国の学校に水泳プールが建設された。
 資金も物資も不足していた時代に、学校プールの建設が進められた。
 なぜだろうか?
 当時の占領軍、あるいは文部省の政策だったのだろうか?

★民間クラブの役割
 金藤選手が育った広島県庄原市には、水泳の専門指導者がいなかった。
 それで、金藤選手は、隣の三次市のスイミングクラブに通ったという。
 この報道にも注目した。
 学校にプールがあっても、専門の競泳コーチがいなければ、選手は育たない。
 学校の体育の先生は、一般生徒に「泳ぎ方」を教えることは出来るだろうが、オリンピックの競泳選手を育てるのは、また別の仕事である。
 たまたま、その学校に、その種目の専門家がいればいいが、
そういう偶然はめったにない。
 金藤選手の場合、「選手」として育てる仕事は、学校外のクラブが引き受けた。
 それが「金メダル」を生んだ。

★東京1964の遺産
 水泳や体操で、町のクラブが多くなったのは、1964年の東京オリンピック以後である。
 それまでは、学校の部活が「選手」の供給源だったが、1964年の東京オリンピックを機会に、水泳や体操では、スポーツクラブが選手を育てるようになった。
 金藤選手がクラブで育ったのは「東京1964の遺産」が、52年後に実ったといっていいのではないだろうか?
 さらに…。
 金藤選手が通った三次市のクラブには夜間照明がなかったので、自動車のライトをつけて明るくして練習したという。
 居住地の庄原市から三次市のスイミングクラブへ通ったのは、もとより、ご両親が自動車で送迎したのだろう。
 自家用車の普及も「金メダル」の要因の一つだったのではないかと考えた。


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サッカー日誌 / 2016年08月22日


リオ五輪、テレビ観戦記(4)


水泳個人メドレーの金

競泳
(8月6日~14日、オリンピック・プール)

★万能型の金メダル
 リオデジャネイロ大会の競泳で、日本は金2、銀2、銅7だった。
 なかなかの成績である。
 金メダルを得たのは、まず萩野公介の400メートル個人メドレーだった。背泳、平泳ぎ、バタフライ、自由形を組み合わせて泳ぐ、いわば「万能型」の種目である。
 萩野は200メートル個人メドレーでも銀だった。
 この結果をみて、日本の水泳の「移り変り」を考えた。
 太平洋戦争が終わったあと、日本のスポーツで、いちはやく国際レベルに顔を出したのが競泳だった。
 400メートル、1500メートル自由形で、古橋広之進、橋爪四郎が、つぎつぎに世界新記録を出した。
 そのころ中学生だったぼくたちにとって「古橋、橋爪」は、のちの「長嶋、王」以上の英雄だった。

★「国民皆泳」の特訓
 現在の日本の競泳の様子は違う。
 リオでは、400メートル自由形と1500メートル自由形の決勝に、日本選手の姿はなかった。
 なぜ、敗戦後すぐの時期には、長距離の自由形で日本が活躍できたのだろうか?
 ぼくの憶測は、こうである。
 多くのスポーツは、戦争中にはできなかったが、水泳は禁止されるどころか、奨励されていた。
 海軍はもちろん、陸軍の兵隊さんにとっても「泳げる」ことが重要だとされていたからである。
 大陸で敵を攻めるときに、クリーク(運河)を泳いで渡って突撃しなくてはならない。
 だから「国民皆泳」である。
 当時、小学校(国民学校)にプールはなかったが、小学5年生だったときに、夏に海で合宿して水泳の特訓を受けた。

★敗戦後の日本水泳界
 近くの川で犬掻きをしていた程度の子どもを1週間の合宿で特訓し、最終日には2000メートルの遠泳をさせた。
 そういう時代だったから、戦争中の子どもに「かなづち」は、ほとんどいなかった。
 戦後いちはやく、水泳がスポーツとして復活したのは、そのためだったのだろうと考えている。
 1956年のメルボルン・オリンピックでは、200メートル平泳ぎで、古川勝と吉村昌弘が金、銀のメダルをとった。また新種目だった200メートルバタフライで石本隆が銀メダルだった。
 これも、敗戦の痛手から立ち直ろうとしていた日本人の士気を鼓舞したビタミン剤だった。
 平泳ぎで潜水泳法(その後禁止に)を開発し、新しく生まれた種目のバタフライを強化したのが実ったのだと思う。
 世界的に、まだ普及していない種目を強化し、成果をあげたのだった。
 いまは万能型の選手が活躍している。
 日本の水泳の幅が広がったのだと思う。


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サッカー日誌 / 2016年08月19日


リオ五輪、テレビ観戦記(3)


サッカー日本の敗退

サッカー・グループリーグB組
日本 4対5 ナイジェリア(8月4日、マナウス)
日本 2対2 コロンビア (8月7日、マナウス)
日本 1対0 スウェーデン(8月10日、サルバドール)
 
★1勝1分け1敗
 リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーで、日本はグループ・リーグ1勝1分け1敗で敗退した。
 残念ではあったが、予想外とはいえない。
 「金メダルを狙える」というのが、ぼくの希望的予想だった。
参加各国のレベルは、ほぼ同じなのでベスト4は、十分に望めると思っていた。
 結果的には、ぼくの予想は「大はずれ」だった。ただし、各国のレベルは「ほぼ同じ」という見方は、必ずしも、当っていなかったとはいえない。
 力は同じだが、勝負に負けたのである。
 同じレベルの相手に勝てなかったのだから「戦い方」がまずかったというべきだろう。
 そういう意味で、敗退の原因は「手倉森誠監督の采配にあった」と思う。
 結果論ではあるが…。

★短期決戦の戦い方
 オリンピックのサッカー競技のような短期決戦の「戦い方」は難しい。
 優勝候補であれば、準決勝あたりにピークを持っていくことを目標にコンディションを調整する。
 ライバルとの「勝負」が、そのあたりになるからである。
 そのため、優勝候補は第1戦では苦戦することが多い。
 一方、比較的レベルの低いチームは初戦が勝負である。
 上位進出の望みは薄いが、最初の試合で「強敵」を倒すことを目標にして、第1戦に勝負をかける。
 リオデジャネイロ・オリンピックの場合、日本のサッカーは難しい立ち場だった。
 優勝候補ではない。
力をセーブして初戦を戦う立ち場ではない。
 初戦に勝つことに、まず全力を注がなくてはならない。

★第1戦がポイント
 一方で、各チームのレベルが、ほぼ同じであれば、金メダルも「夢」ではない。
 「金」を狙うためには、まず、準決勝あたりを見据えて、チームの調子をあげていくことになる。
 初戦必勝か?
 優勝狙いのコンディショニングか?
 難しいところである。
 ぼくは、第1戦のナイジェリアとの戦い方がポイントだとみていた。
 そのナイジェリア戦に4対5で敗れた。
 4点を取ったので「攻めは良かった」という見方もある。
 ぼくの考えは違う。
 初戦は引き分けでもいい。
 守りを重視して戦うべきだったと思う。


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サッカー日誌 / 2016年08月14日


リオ五輪、テレビ観戦記(2)


体操のチームワークとは?

大会第4日 体操男子団体決勝
(8月8日、オリンピック・アリーナ)
 
★3大会ぶりの金メダル
 リオデジャネイロ・オリンピックの序盤戦で、もっとも感動したのは、体操男子団体の金メダルである。
 エースの内村航平選手は、オリンピックで数々のメダルを取ってきたが、男子団体の金メダルだけがなかった。
 男子団体の金メダルを取るのが「悲願」だったという。
 今回のリオデジャネイロ・オリンピックで、男子団体に日本が3大会ぶりに優勝し、内村選手の「悲願」はかなえられた。
 マスコミの報道では、日本男子体操チームの「他の4人」が「内村の思い」にこたえて「一つになって」生まれた金メダルだという。
 マスコミの書きたてる「美談」にケチをつける気持ちはない。
 「他の4人」が「内村さんの悲願のために」という気持ちで演技したのは、本当だろう。
 すばらしい。

★内村選手の「悲願」に応える
 しかし、その「チームワーク」が、具体的に、どのように表れたのかは、理解できなかった。
 サッカーであれば、もっともすぐれたテクニックを持つストライカーを生かすために、自分でシュートしないでパスすることはある。
 しかし体操では演技するのは一人一人、べつべつである。
 内村選手に合わせて、他の選手が特別の演技をすることは想像できない。
 体操の「チームワーク」は、技術、戦術的な問題ではなく、精神的な問題だろうと想像した。
 とはいえ、選手たちは「内村選手の悲願」がなくても、それぞれが、ベストの演技を心がけるはずである。
 個人競技である体操のチームワークが、どんなふうに発揮されたのかは、新聞やテレビを通じては理解できなかった。

★予選のミスの原因は?
 体操男子団体は、2日前の予選では日本はミスが多く4位だった。
 予選の得点が決勝に持ち越されるわけではないので、予選で成績が悪くても、決勝進出ができさえすれば問題はない。
 内村選手は「予選のミスの原因はわかっているので、決勝では心配ない」と語っていたという。
 それでは、予選のときのミスの原因は何だったのか?
 決勝が終わったあとに、それを明らかにしてもらえるだろうと思っていたが、ぼくの見たかぎりでは、その点に触れた報道はなかった。
 男子団体の金メダルは、みごとだった。
 しかし、ぼくには、二つの疑問が残った。
 体操のチームワークとは何か?
 予選のミスの原因は何か?
 どなたかに、ご教示いただければと思う。


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サッカー日誌 / 2016年08月11日


リオ五輪、テレビ観戦記(1)


サッカー場での入場行進

開会式
(8月5日、マラカナン・スタジアム)
 
★陸上競技場ではない
 リオデジャネイロ・オリンピックの開会式を、テレビで見た人は多いだろう。日本時間では、8月6日(土)の午前だった。みごとな「テレビのためのショウ」だった。
 ところで……。
 この開会式の会場が、サッカー専用のスタジアムだったことに留意した人は、どれくらいいただろうか?
 ぼくの見聞した限りでは、テレビも新聞も、この点には触れていなかった。
 これまでの夏季オリンピックでは、開会式は陸上競技場で行なわれていた。
 各国の選手団は、陸上競技のトラックを行進して入場した。
 リオデジャネイロ・オリンピックでは、開会式の会場は「マラカナン・スタジアム」だった。
 マラカナンは、サッカー専用のスタジアムで、陸上競技のトラックはない。

★お祭り気分の行進
 マラカナン・スタジアムで、各国選手団は、サッカー・フィールドの中央を横切って行進し、フィールドの周辺に整列した。
 スタンドの観衆と選手団が一体となってフィールドを、円形に取り囲み、その中で、いろいろな催しが行われた。
 これは、オリンピック史上、新しい形である。
 これまでの開会式では、選手団は「縦隊」で、陸上競技場のトラックを「正々堂々」と行進した。
 その行進が、開会式の「見世物」だった。
 しかし、マラカナンでは、選手団は、開会式を「楽しむ」側にも、まわっていた。
 選手団の入場行進は「正々堂々」ではなく「お祭り気分」で、思い思いに入り乱れて入場した。
 テレビ・カメラの前で「Vサイン」をしたり、寝転んでみせたりした選手もいた。

★開会式のための競技場?
 マラカナン・スタジアムは、1950年のサッカー・ワールドカップのために建設された。
 10万人収容の当時、世界最大の競技場である。
 そのスタジアムが、70年後のオリンピックの開会式で使われた。
 10万人収容のスタジアムが、70年にわたって有効に使われ続けていたことに注目したい。
 それは、マラカナンが「サッカー・スタジアム」だったからである。
 日本では、国民体育大会のために、各地に数万人収容の観客席を持つ陸上競技場が建設されている。
 しかし、その観客席が、その後、陸上競技会で埋まることは、ほとんどない。
 それでも、大きな観客席を持つ陸上競技場を建設するのは「国体の開会式で要求されているから」だという。
 しかし、開会式は、陸上競技場でなくても出来るのである。


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