サッカー日誌 / 2014年12月30日


東西対立時代のサッカー


西ドイツ対ソ連のビデオを見る

サロン2002忘年会兼お宝映像上映会
(12月28日 錦糸町・フットボールサロン4-4-2)

★1972年欧州選手権決勝
 「サロン2002」の忘年会は「お宝影像上映会」を兼ねて行うのが、ここ数年の例になっている。筑波大学OBの中塚義実さん主宰の「サッカーとスポーツ文化を語る会」である。
 2014年の忘年会では、1972年6月18日にスイスのバーゼル・スタジアムで行われた欧州選手権決勝、西ドイツ対ソ連の試合のビデオを見た。
 上映の前に、ぼくが、ちょっと余計な解説を試みた。
 第2次大戦が終わった後、世界は自由主義の西側と社会主義の東側に分かれて対立した。
 スポーツでは、ソ連を中心とする東側が、水泳や体操などでオリンピックのメダルをたくさん取って優勢だった。
 サッカーでも、当時はアマチュアだけだったオリンピックでは、東側が金メダルを取っていた。しかし、プロの出るワールドカップなどでは、東側は西側に勝てなかった。

★東西対決、東は勝てない
 1972年の欧州選手権決勝も、その例である。西側代表の西ドイツと東側代表のソ連が対決して、西側の西ドイツが3対0で完勝した。
 なぜ、サッカーでは東側は、西側に勝てなかったのか。
 それが、この試合のビデオを見れば分るだろう。
 というのが、ぼくの事前の解説だった。
 ビデオを見ると二つのことが分かる。
 一つは、パスを受けるときのボール・コントロールが、西ドイツのほうがすばやいことである。
 西ドイツの選手は、ワンタッチでボールをコントロールするが、ソ連の選手は2度か3度、ボールに触ってコントロールする。
 さらに、ソ連の選手は、ボールを納めてから周りを見てパスを出す。
 一方、西ドイツの選手は、あらかじめ周りを見ていて、パスを受けた瞬間にパスを出すことができる。

★創造力の違い
 この二つの違いのために、守から攻への展開の速さで、西ドイツが上回っていた。それが3対0の結果を生んだ。
 ソ連もノンストップで、いいパスをつなぐことはある。
 しかし、それは三角パスによる突破のような、数人のグループによる型にはまった場面でのコンビプレーである。
 ソ連の選手は、よく訓練されてはいるが、フィールド全体を見渡し、自分の判断で攻めを作り出す力が乏しい。そこに、自由主義の国と全体主義の国の違いがあるように思った。
 サッカーの面白さは創造性にあるが、全体主義体制のなかでは個人の創造性が伸びない。
 この試合は、ベッケンバウアーの守備ラインからの攻め上がりなどで、1974年代の「トータルサッカー」のはじまりになったものとして知られている。
 いろいろな意味で興味深いビデオだったが、忘年会だったので、後半はみな酔っ払っていて、突っ込んだ議論はできなかった。残念!


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月28日


IOCのオリンピック自己批判


アジェンダ2020の評価

スポーツ政策研究会
(12月22日 明大駿河台)

★五輪の未来への道筋
 国際オリンピック委員会(IOC)が、12月上旬にモナコで臨時総会を開き「アジェンダ2020」という40項目の提案を可決した。
 日本のマスコミでも、かなり大きく報道されたが、主として「2020年の東京オリンピックの実施競技に、野球が追加される見通しになった」という点にスポットを当てていた。
 それはそれで間違いではないが「アジェンダ2020」全体の内容は「オリンピックの将来をどうするか」という道筋についての考えをまとめたもので、野球の追加というような具体的な問題が焦点ではない。
 ぼくが参加している「スポーツ政策研究会」では、12月の例会で、このテーマを取上げた。
 IOCの「アジェンダ2020」を、どう評価するかということである。
 これは、東京大会で野球を実施するかどうかという具体的な問題よりも重要だと思う。

★オリンピックの自己批判
 原文はOlympic Agenda 2020、20+20 Recommendationsというタイトルで20ページある。
 それに Context and Backgroundという附属文書100ページがついている。
 英文はIOCのホームページで見ることができる。
 これはオリンピックについてのIOCの自己分析、あるいは自己批判である。
 オリンピックについての、過去のさまざまな問題を洗い出し、それを14の分科会で検討した。その結果を40項目の提案にまとめている。筋道立てて自己批判をした手続きは高く評価したい。
 14の分科会は、IOC委員が分担してチェアマンとなって6月に会合を開いて広く意見を聞いて検討している。
 バッハ会長自身も第7分科会の「オリンピック・チャンネルの創設」を主宰している。日本の竹田恒和委員は、第13分科会の「スポンサー、マーケティング戦略の見直し」を担当している。

★改めて内容の検討を
 オリンピックの巨大化に歯止めをかけようとしたロゲ前会長の路線を、前年9月に就任したバッハ新会長が変更しようとしているだけだという批判も研究会で紹介された。
 新体制が、旧体制へのアンチテーゼを打ち出すのは、よくあることだが、それも進歩への原動力で悪くはない。
 それを民主的に、精力的に、組織的に行ったのは、見事だと思う。ドイツ人の会長らしい論理的なやり方である。
 そういう「手続き」は評価すべきだと思うが、その結論がいいかどうかは、また別の問題である。
 オリンピックの肥大化をどう解決するのか? 
 「オリンピック精神」は、このままでいいのか?
 そういう基本的な問題に「アジェンダ2020」は、解決策を示しているだろうか?
 年が明けたら、改めて検討してみたい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月26日


メンヘングラッドバッハ取材報告


スポーツによる地方振興

ビバ!サッカー公開講演会
(12月20日 東京渋谷)

★2014年最後のビバ!イベント
 わが「ビバ!サッカー研究会」では、毎月1度の割合で開いていた月例会を今年度から廃止した。理由は主宰者(牛木)が高齢になって「くたびれた」ことである。まことに不本意ではあるが、加齢には抵抗できないので、やむをえない。
 代わって幹事有志が随時、企画するイベントに協力することにした。ありていに言えば、自分でお神輿(みこし)をかつぐ力はなくなったが、お神輿を出してくれるのであれば乗っかろうというわけである。
 古参メンバーである幹事諸氏が「2014年の総まとめのイベント」として公開講演会を企画してくれた。「公開」というのは会員でなくても誰でも参加できるという意味である。
 テーマは、ぼくが9月にドイツに出かけたときの「メンヘングラッドバッハ取材報告」だった。
 これも幹事たちが決めて、ぼくは乗っかっただけである。

★女子W杯の会場都市
 ぼくが机を置いている渋谷の「岡田ビル」の事務所のメンバーで、9月にミュンヘンの「オクトーバーフェスト」へ観光旅行に出かけた。それに参加して「ビール祭り」を楽しんだあと、皆と別れて一人でドイツ北西部の町、メンヘングラッドバッハへ取材に行った。
 その内容については、10月はじめに、このブログで紹介しているので、ここでは繰り返さない。
 要するに「スポーツの国際大会は、オリンピック型の中央集中開催よりも、ワールドカップ型の地方分散型がいい」という、ぼくの持論の事例として、2011年女子ワールドカップ会場の一つだった地方都市を調べに行ったのである。
 メンヘングラッドバッハは、ドイツ北西部、鉄道の幹線からは外れた、オランダとの国境に近い町である。
 かつてはルール工業地帯の一角だったが、石炭産業が衰退してからは、経済的には恵まれていない。

★バイスバイラー通り1番地
 人口26万の地方都市だが「サッカーの町」としては、世界的に知られている。
 そうなったのは、1970年代に「ボルシア・メンヘングラッドバッハ」が、ブンデスリーガで優勝したからだという。その功労者は、へネス・バイスバイラー監督だった。
 今回、訪ねていって、はじめて気がついたのだが、ボルシア・メンヘングラッドバッハのクラブ所在地は「バイスバイラー通り1番地」だった。サッカーチームを優勝させた監督の名前を、公道につけているのである。
 そういう「サッカーの町」だから、2011年の女子ワールド
カップのときに、開催地として名乗りを上げ、地方分散の大会の成功に貢献した。
 スポーツによる地方都市振興の要件は、1時期でも強いチームを持つこと、その思い出を市民全部が共有することではないかと思った。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月24日


ガンバ三冠の功労者は?


ビバ!サッカー大賞の候補に!

天皇杯決勝 ガンバ大阪 3対1 モンテディオ山形
(12月13日 横浜・日産スタジアム)

★歴史に残すべき記録
 ガンバ大阪が天皇杯を制して、ナビスコ・カップ、Jリーグと合わせ、2014年の三冠を達成した。これは、日本のサッカーの歴史に特筆すべき記録だと思う。
 これまでにも「三冠」の例はある。Jリーグでは1997~98年に鹿島アントラーズが達成している。
 Jリーグ発足前の実業団サッカーの時代でも三菱重工や古河電工などの「三冠」があった。大学や高校でも「三冠」を話題にすることがある。
 ただし本来の「三冠」は全国的なリーグとカップのタイトルを取った上で天皇杯に優勝することだろう。
 今回のガンバ大阪の「三冠」は、もちろん、この要件を満たしている。さらに、Jリーグ全体のレベルが上がって競争が激しくなっているなかで、J2からJ1に復帰してすぐ三冠へ駆け上がったのが見事である。
 だから、過去の「三冠」以上に高く評価すべきだと思う。

★隠れた功労にスポットを
 そういうわけで、いま選考中で、1月に発表予定の「ビバ!サッカー大賞」で、ガンバの三冠は最有力候補である。
 ただし「じゃじゃーん!」と鳴り物入りで選定しているわがビバ!サッカー大賞は、単にタイトルをとっただけでは表彰の対象とはしない。
 優勝したチームは、すでにトロフィーをもらっている。ガンバの場合は、もう三つももらっている。その上にビバ!サッカーが冠をかぶせる必要はない。
 「ビバ!サッカー大賞」の趣旨は二つある。
 一つは、その年の重要な出来事を歴史に残すことである。
 「ビバ!サッカー大賞」の受賞者一覧をみれば、日本のサッカーの歴史が分るようにしたい。そういう意味では「ガンバの三冠」を、はずすことはできない。
 もう一つは多くのマスコミが取り上げない「隠れた功労」にスポットを当てることである。

★ビバ大賞選考にご協力を!
 そういうふうに考えると「ガンバの三冠」を対象にするにしても、チームはすでに表彰されているのだから、ビバ!サッカーとしては、三冠達成の原動力になった功労にスポットを当てたい。
 遠藤保仁選手のリーダーシップだろうか?
 長谷川健太監督の用兵手腕だろうか?
 あるいはチーム立て直しを担当したスタッフのなかの誰かだろうか?
 ぼくは新聞記者としては現役を退いており、また東京に住んでいるので、大阪のガンバの内情を自由に取材できる立場にはない。
 そこで、ガンバ大阪、あるいは遠藤選手、長谷川監督などについて詳しい人のご推薦を得たい。
 どなたでもネット上でバーチャル選考委員に加わって、お正月までに、ご意見をお寄せいただきたい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月11日


野球とソフトの東京五輪実施


「まやかし」の合併は必要なしに

IOC臨時総会、アジェンダ2020を可決
(12月8日、9日 モナコ)

★東京が実施競技追加申請へ
 2020年の東京オリンピックで、野球がソフトボールとともに実施されることが確実な情勢になってきた。
 IOC(国際オリンピック委員会)の臨時総会で承認されたオリンピック改革案「アジェンダ2020」のなかに「オリンピックの開催都市が実施競技の追加を提案できる」という項目が入っている。東京側が提案して認められれば、すでに決まっている28競技に追加することができるわけである。
 伝えられているところでは、男子の野球と女子のソフトボールを、一つの競技(Sport)の2種目(Event)として追加申請するらしい。
 しかし、そうだとすると、女子の野球と男子のソフトボールは、東京大会に出られないことになる。これではIOCが掲げている男女平等の原則に反している。

★もともと別のスポーツ
 野球とソフトボールは、もともと別のスポーツである。国際連盟もWBICとISFに分かれている。
 しかし、昨年(2013年)4月に、東京で合同会議を開いて2つの国際連盟を合併してWBSCとすることを決めた。ただし「暫定的に」と断りをつけて、当面は別の組織として活動を続けることになっている。
 これは、野球とソフトボールをオリンピックに復活させるための便宜的な策である。
 夏季オリンピックでは、実施競技数の上限を28にすることが決まっていた。そこへ野球とソフトボールの2競技をともに加えるのは難しい。そこで2つの国際連盟の上に屋根を渡して仮設の門を作り、オリンピックへの窓口を一つにすることにしたのである。一つの競技のなかで、野球は男子種目、ソフトボールは女子種目という「まやかし」である。

★競技数制限廃止で新事態
 そのために、野球の女子とソフトボールの男子が犠牲になる形になったのだが、今回のオリンピック改革で、また新しい事態が出てきた。
 実施規模の上限を28競技(スポーツ)としていたのをやめて、310種目(イベント)としたことである。
 野球とソフトボールを、それぞれ独立の2競技としても実施規模の制限とは関係がなくなった。
 種目数は現在のところ306だから、野球とソフトボールが男女をそれぞれ1種目ずつとして加える余地はある。
 しかもIOCの関係者は、追加競技については種目数についても「杓子定規には適用しない」と語っている(12月10日付讀賣新聞朝刊)。
 そうであれば、野球とソフトボールの国際連盟の形式的な婚約は意味がない。やがて解消するだろうと推測している。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月10日


ガンバ大阪の優勝を考える


Jリーグ最終節(12月6日)
ガンバ大阪 0対0 徳島(鳴門大塚 NHK総合)
名古屋 2対1 浦和(埼玉スタジアム)

★興奮した終盤のドラマ
 Jリーグ終盤の第33節と最終節で「優勝」が、浦和とガンバ大阪の手の間を往復するのを、どちらかを応援しているわけでもないのに「どきどき」しながらテレビを見ていた。
 最終節ではガンバ大阪は「勝てば優勝」だったが,守りをがんばる徳島から得点することができなかった。
 一方、同じ時刻に行われた試合で、浦和は開始2分に名古屋から先取点をあげ「このまま進めば浦和の優勝」というケースになった。そういう状況がハーフタイムを含めて1時間25分の間、続いた。
 後半27分に浦和が同点に追いつかれ、今度は「このまま終わればガンバの優勝」という状況になった。
 しかし、浦和が1点とれば、また状況はひっくり返る。だから「どきどき」である。
 結果は、ガンバは引き分けに終わったものの、浦和が1対2で敗れたので、ガンバの9年ぶり2度目の優勝となった。

★全体のレベルは上がった
 Jリーグ終盤のドラマを見ながら「Jリーグ全体のレベルは上がっている」と思った。
 多くのスタープレーヤーが欧州のクラブに出たために「Jリーグのレベルが下がった」という意見がある。
 それも一つの見方だが、J2、J3を含めて、全体のレベルは高くなっているのではないだろうか?
 富士山の頂上は、強風に積雪が吹き飛ばされて下がったように見えるかもしれないが、山そのものは、しっかりとそびえている。
 ガンバ大阪がJ2からJ1に復帰の1年目に優勝したことが、それを示している。J2上位とJ1に力の差は、ほとんどない、ということである。
 J1トップのガンバ大阪が、最下位の徳島ヴォルティスに勝てなかったのも、その例である。

★リーグ優勝のカギ
 技術と戦術能力がしっかりしていて、かつ個性的なプレーヤーが多い。それがリーグのレベルを維持している。
 これが、もう一つの感想である。
 日本代表や首都圏のクラブのプレーヤーを見る機会は多いが、地方のクラブのプレーヤーを見る機会はあまりない。
 今回、Jリーグ終盤の試合をテレビで見る機会を得て、ガンバ大阪と対戦した徳島や、浦和と対戦した鳥栖に、見どころのあるプレーヤーがいることに気がついた。
 多くのチームに、いいプレーヤーがいる。富士山の中腹には豊かに樹が繁っている。
 20歳代の若手、中堅だけでなく、30歳代のベテランにもいいプレーヤーがいる。日本のサッカーの選手層は厚くなっている。こういうプレーヤーをどう集め、どう組み合わせて戦うか?
 リーグ優勝のカギは、クラブの強化担当役員が握っているのではないか?


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月07日


明暗を分けた終了寸前のゴール


Jリーグ第33節(11月29日)
鳥栖 1対1 浦和(佐賀ベアスタ NHK総合テレビ)
ガンバ大阪 3対1 神戸(大阪万博 NHK-BS録画)

★浦和に痛恨の失点
 Jリーグ1部でガンバ大阪が優勝した。
 優勝が決まったのは最終節の徳島との試合だが、事実上、明暗を分けたのは、その1週間前の試合だった。
 この時点で浦和レッズが勝ち点61でトップ。ガンバ大阪は勝ち点59で2位だった。
 この第33節の試合で浦和が勝ち、ガンバが負ければ浦和の優勝が決まるところだった。ガンバが勝って優勝決定が最終節に持ち越されても、浦和は最終戦の対名古屋に勝ちさえすれば優勝で、ガンバに自力優勝の目はなかった。
 第33節の試合で、ガンバは着々と得点していたが、浦和も後半24分にペナルティキックでリードした。このままなら優勝争いは最終節に持ち越されるが浦和有利である。
 浦和の試合の最後に4分間の追加時間があった。その追加時間が3分を過ぎたときに浦和が痛恨の失点をした。

★土壇場でGKも攻めに
 鳥栖がコーナーキックを得る。残り時間はほとんどない。
 鳥栖はゴールキーパーも相手ゴール前まで出て行った。文字通りの全員攻撃である。そのコーナーキックがディフェンダーの小林久晃にぴたりと合い、ヘディングで同点ゴールが決まって1対1の引き分けになった。
 浦和とガンバ大阪は、ともに勝ち点62で並んだが、得失点差ではガンバが7点も上回っている。しかもガンバの最終戦の相手は最下位の徳島である。
 ガンバの優勝の可能性が大きく膨らみ、浦和の自力優勝の可能性は土壇場の失点で消えた。
 鳥栖は、最後のチャンスにゴールキーパーまで攻めに出て行って浦和の守備を混乱させて成功した。たが、ゴールを決めたのはゴールキーパーではない。
 ところが翌日、同じようなケースでゴールキーパーが決勝ゴールを決めたケースが生まれた。

★山形はGKがゴール
 J2のJ1昇格決定プレーオフ準決勝である。
 磐田対山形(11月30日、ヤマハ)の後半、追加時間の92分に山形がコーナーキックを得た。ゴールキーパーの山岸範宏が前線に進出、そのヘディングが山なりの軌道でゴールし、山形が2対1で勝った。
 引き分けなら磐田が勝ち上がるケースだったから、起死回生の決勝点である。
 Jリーグでは、J3を含めてゴールキーパーの得点は7例目、ヘディングでは初だという。
 終了間際のゴールが決定的になることは珍しくはない。日本代表チームは、アジア予選などの試合で、しばしば終了間際のゴールで救われている。
 しかし、イチかバチかのゴールキーパー前線進出のドラマが2日続き、一つはゴールキーパー自身が得点したのは、珍記録の部類だろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月06日


バスケットボールの日本除名


スポーツ組織のあり方が背景に

FIBA理事会
(11月26日 ジュネーブ)

★米国型の組織になるのを恐れる
 国際バスケットボール連盟(FIBA)が、日本バスケットボール協会(JBA)を資格停止処分にした。このままではオリンピック予選にも出られない。
 処分の理由は、全国リーグがbjリーグとNBLに分かれていてJBAが、しっかり統括していないことだという。
 多くの人びとにとっては分りにくい話だろう。マスコミの解説も十分でない。JBA自身が問題の本質を把握していないようにも見受けられる。
 いろいろな事情はあるのだろうが、ぼくの見るところでは二つの大きな背景がある。
 一つには、バスケットボールが米国で生まれたスポーツであることだ。
 米国のメジャースポーツは、野球に代表されるようにプロとアマチュアが別の組織である。バスケットボールでもプロのNBAは独立の組織である。

★プロアマ共存の組織をめざす
 一方、欧州ではプロもアマを同じ組織で統括する考えが有力である。プロアマ共存を貫いてきたFIFA(国際サッカー連盟)が、その代表である。
 欧州に本部があるFIBAは、サッカー型のプロアマ共存を目指していて、日本のプロが米国型の独立組織になるのを恐れているのだと思われる。
 もう一つの背景は「実業団(企業)スポーツ」へのこだわりである。これは日本のほうの事情である。
 バスケットボールの「日本リーグ」は、もともとアマチュアの実業団チームによる全国リーグだった。
 2000年に大和証券がバスケットボール・チームを廃部にしたとき、サッカーを運営しているアルビレックス新潟が、その選手たちを引き取ってチームを作った。
 その「新潟アルビレックスBB」は、プロのクラブチームで「実業団」ではなかった。

★実業団への未練
 そのため実業団リーグである日本バスケットボール・リーグは「新潟アルビレックスBB」を排除した。
 排除された新潟が別に組織したのが「bjリーグ」である。「bjリーグ」は、企業ではなく地域に根ざしたプロのクラブリーグを掲げている。
 ぼくは、サッカーのアルビレックス新潟の発足に関わったとき「地域のクラブによるプロ」の考えを新潟の関係者に吹き込んだ。その影響がバスケットボールにも及んだのではないかと、いささか責任を感じながら、関心を持って事態を見守ってきた。
 その後、企業スポーツ衰退の流れに抗しきれずに日本リーグはプロを容認する「NBL」に改組された。しかし、まだ「実業団」への未練を断ち切れないでいる。それが2リーグ統合への障害になっている。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月05日


チョウディンをめぐる情報


日本を変えたビルマの留学生

日本サッカー史研究会
(11月28日 JFAハウス会議室)

★謎の多い功労者
 1920年代にミャンマー(ビルマ)から来日していた留学生が日本のサッカーを変えた。
 チョウディンである。
 サッカー殿堂には、すでに掲額されているが、その功績はあまり知られていない。
 指導を受けた諸先輩の思い出話が、当時の雑誌やサッカー部誌などに断片的に掲載されているのだが、業績をまとめたものはない。来日前の経歴と帰国後の消息も、ほとんど分っていない。謎の多い人物である。
 できれば、きちんとまとめておくべきだと思い、とりあえず現在までに分っていることを、チョウディンについて調べている後藤健生さんを中心に11月のサッカー史研究会で報告してもらった。
 ミャンマー国内の政治事情などのために、新しい情報を探すのは難しいのだが、それでも、いろいろな面白い話を聞くことができた。

★スコットランド系のサッカー
 カタカナではチョウ・ディン、ローマ字ではKyaw Dinと表記されることが多いが、実はミャンマーの人名には姓と名の区別はない。チョウディンで一つの名前だそうだ。
 そしてチョウディンは、ミャンマーで最も多数を占めるバマー族の名前だという。バマー族の祖先は、チベットから中国の雲南を経て入ってきた民族で、顔つきも体格もアジア系である。
 ところが日本に残されている写真を見ると、チョウディンは背が非常に高く風貌は欧州系かインド系のようである。
 これも「謎」である。
 チョウディンは、短いパスをつないで攻めるサッカーを日本に教えた。そのころ日本では、大きく蹴って走るイングランド系のサッカーをしていたらしい。チョウディンが教えたのは、当時のスコットランド系のショートパスだった。

★日本のサッカーを近代化
 体格のいいイングランドに対抗するため、比較的小柄なスコットランド人がショートパスを開発したと言われている。
 チョウディンは、どこでスコットランドのサッカーを学んだのだろうか? 
 当時、ビルマは英国の植民地だったが、イングランドよりスコットランドの影響のほうが大きかったのだろうか?
 これも「謎」の一つである。
 チョウディンは工学を学んでいた。そのころ工学はスコットランドが主流だったという説も紹介された。
 来日前に学んでいた学校の教員がスコットランド人だった可能性もある。
 チョウディンに学んだショートパスによって、日本代表チームは、1930年に極東大会で初優勝、1936年のベルリン・オリンピックでスウェーデンを破った。
 チョウディンが、日本のサッカーを近代化した最大の功労者だったことは間違いない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年12月04日


ラグビーW杯を成功させるには


健全な財政計画が必要だ
みなとポーツフォーラム
(11月26日 麻布区民センター)

★「成功」の定義は何か
 「みなとスポーツフォーラム」11月例会のテーマは「ラグビーワールドカップ2019のマーケティング・プロモーション」だった。電通から組織委員会に出向してマーケティング部長を務めている宮田庄悟さんが、広報と資金集めの立場から講演した。
 そのなかで「ラグビー・ワールドカップ成功の定義」という話が出た。
 ぼくは「成功」の要件を次のように考えた。
 第一に、参加チームが気持ちよく、公正に試合をできることである。
 第二には、日本の大衆がラグビー・ワールドカップ開催をサポートして盛り上げることである。
 そして第三には、大会が日本のスポーツの未来に役立つ財産を残すことである。施設が将来に役立ち、開催がスポーツ普及の刺激になることが重要である。

★大きな赤字が心配
 この三つの成功の要件を達成することは、日本のスポーツ界の力からみれば難しくはないと思う。
 組織委員会の立場では、第二の大衆のサポートを心配しているようだった。しかし、会場都市の地元への働きかけをしっかりすれば、地元の市民が協力して盛り上げ、ほとんどの試合でスタンドを満員にすることも不可能ではないと思う。
 問題は、全試合が満員になっても大きな赤字が出そうなことである。
 三つの要件を満たしても、大きな赤字を残しては、競技会としての成功を財政面での失敗が帳消しにする。
 大きな赤字が予想されている理由は次の通りである。
 日本は、統括団体の「ワールドラグビー」(旧名IRB)に9600万ポンド(約160億円)の保証金を納めなければならない。一方、テレビの放映権料と広告スポンサー収入は「ワールドラグビー」に入る。日本側の収入は入場料と寄付金だけである。

★トトで穴埋めしていいのか?
 入場料収入で「ワールドラグビー」への上納金をまかなうことは不可能である。全試合が満員になるとしても、入場料金を高額にしなければ採算が合わない。入場料金が高額だとスタジアムを満員にするのは難しい。
 みなとスポーツ・フォーラムで講演した宮田庄悟さんは「黒字にするために入場料を高くすることはない」と繰り返し述べた。ということは「赤字は覚悟の上」であるらしい。
 その赤字を誰が埋めるのか?
 政府(文部科学省)は、運営費については補助しない方針だという。そうすると頼りは「トトカルチョ」である。すでにトトから35億円を補助することが決まっている。それが、さらに増えるのだろうか?
 トトはスポーツ全体のための資金源である。それを国際大会の赤字の穴埋めに使うことが、悪い前例になるのではないか心配である。



コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ   

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.