サッカー日誌 / 2009年07月27日


「スポーツ基本法」制定への諸問題(中)


未来への展望と理念が必要だ

スポーツ法学会専門委
(7月4日 岸記念体育会館)

★アマチュアリズムの「しっぽ」
 スポーツ法学会のなかで「スポーツ基本法」についてのプロジェクト・チームを作り、法案の要綱を検討している。それを見ると、新しい考えで新しい法律を作ろうとしながら、古い考えに引きずられているところも見える。
 一つはアマチュアリズムの「しっぽ」を引きずっていることである。
 「スポーツは、政治的、商業的または金銭的な弊害から保護されなければならない」という文言がある。「弊害から保護する」のはいいが、ことさらに「商業的」「金銭的」弊害を強調するのは、かつて日本のスポーツが偏狭なアマチュアリズムに支配されていたころの名残ではないか。1986年までの日本体協のアマチュア規程は「スポーツによって金銭的、物質的利益を得てはならない」「スポーツを商業的に利用させてはならない」というものだった。それが現実的でないことは、とっくに明らかになっている。

★学校および企業のスポーツの扱い
 もう一つは学校および企業のスポーツとの関係である。
 スポーツ法学会の要項案には「国および地方公共団体は、学校においては体育およびスポーツの機会を保障し、地域・職場においてはスポーツの機会を保障し、また相互に連携を深めなければならない」とある。
 日本のスポーツは学校教育と深く結びついて発達してきた。また第2次世界大戦終了後は企業のスポーツに支えられてきた。
 だが、日本のスポーツ環境は劇的に変わろうとしている。学校スポーツの限界が明らかになり、企業の社内スポーツからの撤退が相次ぎ、地域のクラブによってスポーツを支える動きが加速している。そのようなときに、ことさらに、学校と企業にスポーツへの関与を義務付けるのが適当だろうか?

★地域でスポーツに参加する権利
 「スポーツ基本法」が必要とされているのは、古いアマチュアリズムや学校・企業のスポーツに代わって、新しい時代に対応したスポーツの在り方を示すためではないだろうか。
 プロとアマチュアの垣根が取り払われ、学校スポーツが変容を余儀なくされ、企業スポーツは崩壊しつつある。加えてグローバル化の波が押し寄せている。
 そういう時代の変化に目を向けて、日本のスポーツの未来はどうなるのか、また、どういう方向にもっていくべきか。そういうビジョンを持ち、理念をはっきりさせたうえで、それをポーツ基本法の「法の精神」として考えなければならない。
 学校や企業でスポーツをするな、というわけではない。学校内や企業内でなくても、地域のクラブでスポーツをすることができる自由が「スポーツに参加する基本的な権利」として重要になってきている。そこに目を向けなければならない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年07月26日


「スポーツ基本法」制定への諸問題(上)


新しい基本法がなぜ、必要か?

スポーツ法学会専門委
(7月4日 岸記念体育会館)

★基本法とは何か
 「スポーツ基本法」を制定しようという動きがある。6月に自民党が国会に法案を提出したが衆議院解散で廃案になった。しかし、今後、改めて提案される可能性はある。ただし、いろいろな考えがあって、民主党案もあるが、自民党案とは立場の違いが大きい。
 縁あって所属している日本スポーツ法学会の中に「スポーツ基本法」制定を10年以上にわたって検討してきているグループがある。その「スポーツ基本法立法専門委員会」が開かれたので、勉強のつもりで出席した。
 「基本法」とは憲法と他の諸法の中間にあるような性質の法律らしい。「スポーツ基本法」は、スポーツが国と国民の間でどうあるべきかを抽象的に方向づけし、スポーツについての具体的な法律あるいは政策を定める基準にしようとするもののようだ。法律の専門家の方がたの議論を聞きながら、そういうふうに受け取った。

★「振興法」との違いは?
 スポーツについての法律としては「スポーツ振興法」がある。1964年の東京オリンピック開催を控えて1961年に制定されたものである。当時、ぼくは新聞社の運動部でスポーツ行政を担当していて、体協と文部省で制定の経過などを取材した覚えがある。
 「振興法」があるのに、なぜ「基本法」が必要なのか? 違いはどこにあるのか? そこらあたりは国民に分かりやすく説明する必要があるだろう。
 「スポーツ振興法は、教育行政の立場から作られた。いわば文部省(当時)がスポーツについての施策をやりやすいようにという狙いで作られた」という趣旨の話が出た。
 そのとおりだと思うが、法律は、ほとんどが、そういうものではないか、とも思った。
 この疑問に対しては「お役所の立場からみて都合のいい法律ではなく、国民の立場から国に対して、こういうことをすべきだと義務付ける法律が必要だ」という説明があった。

★スポーツ庁設置は難しい?
 スポーツ基本法制定を推進している人たちの考えは、みな同じなのだろうか?
 オリンピックでメダルを取るために、国が税金を使って援助する。それがいいことかどうか明確でない。そこで、メダル獲得を援助する施策の裏付けを法律で作りたいということもあるらしい。6月に自民党がまとめた案では「国家戦略」として強化をはかることがうたわれている。一方では、一般大衆のスポーツ振興のほうが重要だという意見もある。
 日本体育協会あるいは日本オリンピック委員会では「スポーツ庁」の設置を要望している。スポーツ行政が文部科学省、労働厚生省などに分かれて所管されているのを一本化してほしいというわけである。しかし、これも所管を失う官庁が反対するのは目に見えており、自民党案でも表現が後退しているらしい。
 スポーツ基本法の制定を推進するには「なぜ必要か」の考えを統一する必要がある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年07月21日


米国と南アフリカの未来


コンフェデレーションズ・カップ
(6月14日~29日 南アフリカ)

★三役に上がってきた第3勢力
 大相撲の番付にたとえれば、過去のワールドカップの実績から見てブラジル、イタリアは横綱クラス、現在の成績から見て欧州チャンピオンのスペインは大関クラスというところだろうか。米国は前頭上位、南アフリカは前頭下位というぼくのイメージだった。
 ワールドカップ南アフリカ大会1年前のコンフェデレーションズ・カップが終わってみると、米国は三役入りが近付いているし、南アフリカも幕内上位への足がかりをつかんでいる。そういう感じだ。欧州、南米以外の第3勢力台頭である。
 ブラジルは、B組リーグでイタリアに完勝し、途中で苦戦しながらも、結局は優勝した。ブラジル・サッカーの底力には、いつものことながら感心する。
 でも、コンフェデ2009がサッカーの歴史のなかで記憶されるのは、ブラジル優勝によってではなく、米国と南アフリカの上位進出によってではないだろうか?

★米国は個人の力に未来がある
 米国はB組リーグで、イタリア、ブラジルに連敗した。テレビで見ていて、横綱とは格が違うのかなと思った。しかし、イタリアがエジプトに敗れ、リーグ最終戦で米国がエジプトに勝ったので、得失点差で4強に進出した。
 準決勝では2対0でスペインの連続無敗記録を35で止めた。平幕が大関の連勝を止めた形である。
 決勝戦では前半に2点リードしたが、ブラジルの後半の反撃を食い止めきれず、後半終了寸前に逆転された。横綱を土俵際まで追いつめたが、押し戻された敗戦だった。
 米国は、選手の個人個人の力に未来がある。多民族、混血の国だから、いろいろなタイプの選手が登場する可能性がある。その選手たちが欧州のクラブや国際試合で経験を積み、有能な監督がまとめれば、小結あるいは関脇は、もうすぐである。

★パスワークのいい南アフリカ
 南アフリカはA組リーグで、組み合わせに恵まれながら1勝1引き分け1敗。ベスト4に進出できたのはラッキーだった。
 しかし、準決勝でブラジル相手にがんばった試合をテレビで見た限りでは、試合ぶりは悪くない。一人一人の判断のいいパスがつながっている。選手の体質的な素質を見極めることはできなかったが、前頭上位に進出する可能性は十分ある。
 横綱、大関クラスは、コンフェデを本場所とは心得ていないだろうから、この大会のパーフォーマンスだけでワールドカップを占うことはできない。
 しかし、米国や南アフリカが、あと1年でさらに伸びる可能性は予見できた。
 日本が1次リーグで、米国あるいは南アフリカと当たることも考えられる。岡田監督が「だいじょうぶ。日本のサッカーで勝てる」と思っているのなら危うい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年07月06日


サッカー周辺のサッカーに支援を


視聴覚障害者サッカー日本選手権
(7月5日 アミノバイタル・フィールド)

★目の不自由な人のサッカー
 目の不自由な人たちのサッカーを見に行った。第8回視聴覚障害者サッカー日本選手権の決勝戦である。会場は味の素スタジアムに隣接しているアミノバイタル・フィールド。主としてアメリカン・フットボールが使用している人工芝の競技場である。7月4日、5日の2日間、11チームが参加。決勝戦では茨城県のAvanzare がラッキー・ストライカーズ福岡を3対0で破って優勝した。3位は東京のたまハッサーズだった。
 「ブラインド・サッカー」は、コートの広さも試合の方法もフットサルに似ている。タッチラインにはフェンスがあり、ボールの中には鈴が入っている。4人のフィールド・プレーヤーは、視力の差を公平にするためにアイマスクをして全盲状態でプレーする。ゴールキーパーは健常者で目の見える状態でプレーする。そのほかにゴール裏にコーラーが、サイドにコーチがいる。いずれも目の見える人で、声を出してプレーヤーをガイドする。

★楽しいサッカーの原点がある
 ブラインド・サッカーを見るのははじめてではないが、見るたびに、目が見えなくても活発に、楽しそうにスポーツができることに感心する。
 ボールの中の鈴の音を頼りにドリブルする。ボールを足元から離すと鈴の音が聞こえなくなるから、足もとにボールをくっつけるようにして進むのだが、かなり速い。ディフェンダーのまたの間を抜いてドリブルしたりする。
 ゴール裏のコーラーの声を目指してシュートする。パスを受けて振り返りざま、鋭いシュートをゴールの枠に飛ばす場面が何度もあった。
 回りの様子も、コートの中での敵味方の位置も、目で見なくても脳のなかに描かれるようだ。人間の能力は広くて、柔軟なものだと思う。
 われわれは、目が見えることに頼って、持っている能力や素質の、ごく一部しか活用していないのではないかと思った。サッカーに限ったことではない。

★サッカーはみんなのスポーツ
 このスポーツの特徴は、障害者と健常者がいっしょにプレーしているところだ。目の見えるゴールキーパーやコーラーは困っている人を助ける補助者でなく、プレーヤーとしてチームの一員である。目が見える利点と目の見えない利点があり、それが組み合わされてチームワークを作っている。
 多くのボランティアが大会運営を手伝っていた。その人たちも明るく、大会を楽しんでいた。みんなが力を出し合って運営し、プレーをする。スポーツのはじまったころは、こうだったんだろう。これがスポーツの原点なんだろうと思った。
 サッカーの周辺には、このほかにも知的障害者やホームレスのサッカーなどがある。世界選手権もある。そういう「サッカー周辺のサッカー」に、日本サッカー協会は温かく手を差し伸べて協力してほしいと思う。「サッカーはみんなのスポーツ」なのだから。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年07月04日


岡田監督の「四強宣言」(下)


第1戦の勝利に全力を

★岡田監督更迭論
 「協会は日本代表の監督を変えるだろうかね?」。南アフリカ大会の出場権が決まったとき、仲間の一人が、こう発言した。「岡田監督をやめさせろ」という主張である。
 アジア予選で勝つには岡田監督のサッカーでよかった。しかし世界の強豪が集まる決勝大会本番は「あのサッカー」では勝てない。世界の舞台の経験を積んだ欧州か南米のベテラン監督を招くべきだという考えである。
 仲間の主張も理解できないわけではない。外国には予選の監督と本番の監督が違った例もある。
 予選は試合ごとに選手を集めて戦うホーム・アンド・アウェーの長期戦である。決勝大会は同じメンバーで一つの国を会場に戦う短期決戦である。戦い方がまったく違うのだから、それぞれの戦い方に向いた監督を起用するのも一つの考えである。

★「岡田ジャパン」で戦えるか?
 しかし、監督を変えるなんて、日本サッカー協会は考えもしていないだろう。
 日本は一人の監督のもとで時間をかけて「一つのチーム」に作り上げる「集中強化方式」だ。予選を戦いながら作り上げた「岡田ジャパン」を本番にぶつける方針である。だから、予選を勝ち抜いた監督を変えるという発想はない。
 だが、アジア予選で勝ったチームが本番で通用するという保証はない。アジアとは違うタイプの国の代表チームを次つぎに相手にしなければならないからである。
幅の広いさまざまな能力を選手個人が持っていて、それを組み合わせてチームにするという「選抜編成方式」なら、いろいろなタイプを相手に柔軟に戦い方を変えることができるかもしれない。しかし「一つのチーム」が先にあるのであれば柔軟な対応は難しい。
 日本は、岡田監督の「一つのチーム」で、南アフリカへ臨むことになる。

★現実的な目標は「ベスト16」
 おおざっぱな言い方をすれば、岡田監督のサッカーは「労働量」が命である。速いパスをすばやくつないで走り、全員が動き回って守るサッカーである。南アフリカでベスト4に残るなら、タイプの違う強豪を次つぎに相手にして、準決勝を含めて3週間に6試合を戦わなければならないが「労働量のサッカー」で、その見通しが立つのだろうか?
 「意気込み」を強調しても、世界のサッカーを知っている選手たちがついてくるとは思えない。現実を見据えてチーム作りをするのなら「初戦に勝つこと」に照準を合わせるべきである。「岡田ジャパンのチームのサッカー」を、第1戦で展開するほかに方法はない。相手がブラジルであろうとスペインであろうと初戦に全力である。ベスト4までの戦いを見通して調整するレベルには、日本のサッカーは到達していない。
 その上での努力目標として「ベスト16」あたりが現実的である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2009年07月01日


岡田監督の「四強宣言」(中)


日本にベスト4の力はあるか?

★冷笑派と期待派
 「ワールドカップ南アフリカ大会でベスト4をめざす」という岡田監督の発言に対して2通りの反応がある。「冷笑派」と「期待派」である。
 冷笑派は、世界のサッカーをよく知っている人たちだ。「高い目標を掲げて努力することは必要だ」と表向きは敬意を表しても、内心では「いまの日本のサッカーでは、とても無理だよ」と冷ややかに見ている。
 期待派には2種類ある。
 一つのグループは「ボールはどちらの方向にも転がる」というサッカーのことわざを信じている。レベルに差はあっても「サッカーの勝負は、どう転がるか分からない」と幸運に期待している。もう一つのグループは、日本のサッカーに、十分な実力があると思っている。「前回はジーコがだめだった」と岡田監督の手腕に期待している。

★外国人監督の見方
 キリンカップの試合後、ベルギーのベルコーテレン監督に対して「ワールドカップで日本はベスト4に入れると思うか」という質問が出た。岡田監督の「四強宣言」がマスコミの間でも「ひとり歩き」しはじめた瞬間だった。
 ベルコ―テルン監督は、礼儀正しい冷笑派だった。「高い目標を掲げるのは必要なことです。ただし、世界には4強を目指している国が、ほかにもたくさんあります」
 日本の決勝大会進出が決まった後の横浜でのアジア予選最終戦で、カタールのメツ監督に対しても同じ質問が出た。
 フランス人のメツ監督は率直な冷笑派だった。
 「日本の選手はテクニックにすぐれていて、高い資質を持っている。しかし4強に進出するのは難しい」
 
★強力な相手には対抗できない
 メツ監督は、日本の4強進出が難しい理由を次のように説明した。
 「世界を相手に戦うには、日本はアスレティックに(体力的に)もっと強くなくてはならない。ワールドカップで、強い相手に厳しい守りを受けたとき、あるいは攻撃で積極的に仕掛けられたてとき、現在の日本チームでは対抗できない」
 「メツ監督がそう言っていましたよ」ときかれて、岡田監督は「うちの場合は全員でやるサッカーだから」とかわした。欧州や南米の選手の個人的な強さに対してチームプレーで対抗するという意味だろうか?
 中村俊輔らの選手たちは、世界の中での自分たちの力を十分に知っているだろう。その上で戦う準備をしようとしているだろう。そうだとすれば、選手の意欲を掻き立てるために「四強宣言」をするのはプラスが少ないのではないか?

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
     

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.