サッカー日誌 / 2015年05月27日


サッカー協会の中期計画(下)


構造改革への取り組みが必要
(5月14日、JFA理事会)


★11項目のアクションプラン
 サッカー協会が発表した「JFA中期計画2015-2022」は5つの章に分けられていて、その最後は「アクションプラン2022」である。
 過去の10年計画を総括し、現在の状況を分析したうえで、新しい目標と基本戦略を定め、最後に具体的な実行計画を策定している。
 アクションプランは11のカテゴリーに分けられている。
 普及、国内競技会、審判、指導者、育成、代表強化、国際競技会、マーケティング、トップリーグ連携、地域/都道府県協会連携、基盤である。
 その他に「女子サッカー」と「フットサル・ビーチサッカー」が付け加えられている。
 それぞれの分野ごとに、課題を明らかにし、目標を定め、重点施策を挙げている。
 分野の連携も考えて、うまく、まとめられている。

★学校中心の構造が問題
 日本のスポーツ団体で、これほど、しっかりと計画を立てて実行しようとしているところは、サッカーだけだと思う。
 その点は、高く評価したうえで、注文もある。
 一つは、日本のサッカー構造の基本的な問題点についての改革が、徹底していないことである。
 たとえば、学校スポーツの問題がある。
 日本のスポーツの底辺は、学校の部活によって支えられている。
 サッカーでも、中学や高校の選手権が「選手育成」の場になっている。
 それも、ほとんどが「勝ち抜きトーナメント」である。
 学校や企業単位でない「クラブ」のスポーツと、勝ち抜きでない「総当たりのリーグ」が、必要なことは、50年以上前から指摘されている。改善策は講じられてはきたが、現在でも地方や高校、中学のレベルでは改革は進んでいない。

★基本的な課題を重視せよ
 学校の部活はスポーツ普及に貢献をしてきたし、現在も普及と育成の両面で大きな役割を果たしている。
 また、リーグ戦が広まらないのは、グラウンドの確保が難しいことも一つの理由である。
 そういうわけで、学校スポーツによる勝ち抜きトーナメンントが主流のスポーツ構造を変えるのは難しい。
 しかし、この構造が変わらない限り、日本のサッカーは、これ以上はよくならないし、レベルも世界のトップクラスにはならないだろう。
 ほかにも重要な課題がある。
 誰でも利用できるサッカー・グラウンドが、軟式野球場に比べて極端に少ないことである。
 あらゆる問題を洗い出したアクションプランも必要ではあるが、基本的な課題を重点的に掲げ、実情を調査し、解決への道筋を示して欲しい。


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サッカー日誌 / 2015年05月25日


サッカー協会の中期計画(中)


代表チームの新しい目標
(5月14日、JFA理事会)

★2018年までにトップ20に
 日本サッカー協会(JFA )は2005年の「宣言」で2015年までに実現する三つの約束をした。その三つのうち強化についての目標は実現できなかった。
 その目標は「日本代表チームを、世界のトップ10に入るチームとする」というものだった。
 しかし、現実は、2015年のFIFAランキングは50位で、公約とは、ほど遠いものだった。
 そこで、これから迎える8年間の「中期計画」では、改めて新しい目標を設定した。
 第一は、FIFAワールドカップに出場し続けること。
 第二は、2018年までにFIFAランキングトップ20に入ること。
 第三は、2022年までにFIFAランキングで、トップ10に入ること。
 この三つである。

★アジアカップ敗退が痛い
 直近の目標である「2018年までに20位以内」は、現在の日本代表チームのレベルからみれば、実力的には不可能ではないように思われるが、実はかなり難しい。
 FIFAのランキングは、過去4年間の国際試合の結果をポイントにして、コンピューターで積算して作られている。
 ポイントは、その試合の重要性に応じて違う。
 ワールドカップは、もっとも重要な大会だから、その成績のポイントは多い。
 また、アジアカップも地域の選手権だから重要性は高く、優勝すればポイントは多い。
 ところが、2015年~2018年の4年間を考えると、アジアカップは、2015年1月にオーストラリアで開かれて日本は準々決勝で敗退している。したがってアジアカップでのポイントは多くない。優勝したオーストラリアと2位の韓国が、ポイントを稼いでいる。

★W杯上位進出が必要
 また、日本はアジアカップ敗退の結果、ワールドカップ前年のコンフェデレーションズ・カップに出場できないので、ここでポイントを稼ぐこともできない。
 こういうふうに考えると、日本代表チームが、2018年までにFIFAランキングのポイントを積み上げる機会は、ほとんどない。
 ロシア・ワールドカップのアジア予選で勝ち進み、出場権を得たうえで、ワールドカップ本番で上位に進出する。
 これ以外に「2018年までにFIFAランキングトップ20に入る」という目標を達成する方法はないようである。
 さらに「2022年までにFIFAランキングでトップ10に入る」という目標は、いまの状況からみれば「夢」である。
 FIFAランキングに重要な意味があるとは思わないが、目標として掲げるのであれば、実現への道筋を示して欲しいものである。


「JFA中期企画」の冊子の表紙


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サッカー日誌 / 2015年05月23日


サッカー協会の中期計画(上)


強化と普及の三つの約束
(5月14日、JFA理事会)

★公約の公表を評価
 日本サッカー協会が「JFA中期計画2015-2022」を策定して、理事会で承認されたうえで発表した。
 上質紙にカラーで印刷した48ページのきれいな冊子にまとめられている。
 協会のホームページ上でも公開されている。
 「きれいごとだけだ。具体的にどう実行するのか?」という批判もあるだろう。
 しかし「きれいごと」であっても、理想あるいは目標を掲げるのはいい。すぐには実現できない「きれいごと」だからこそ「理想」であり「目標」である。
 スポーツ団体が具体的な目標を掲げる例は少ない。
 目標を公約すると、実現できなかった場合に、厳しく追及されるおそれがあるからである。
 サッカー協会が「紙上プラン」であるにせよ、今後8年の仕事の「公約」を公表したことを評価したい。

★過去の「10年計画」の総括
 日本サッカー協会(JFA)が、長期の計画を公表したのは2005年1月の「JFA2005年宣言」が始まりである。
 今回の「中期計画」は「JFA2005年宣言」からの10年を総括したうえで、今後の8年間の方針を示したものである。
 10年前の目標は三つあった。
 第一は「サッカー・ファミリー」を500万人にすることだった。これについては、2015年の登録が526万人になり「達成された」というのが、JFAの自己評価である。
 この数字の出し方には問題があるようだが、サッカーをしている人の数も、サポートしている人の数も、大きく伸びているのは疑いのないところだろう。
 もう一つの目標は、日本サッカー協会が「世界のトップ10の組織になる」というものだった これも、人材、施設、財政基盤などの点で「達成された」という「自己評価」である。

★代表チームの成績
 三つの目標のうちで、達成できなかったのは「日本代表チームが、世界のトップ10に入る」ことだった。
 この時点での日本代表チームのFIFAランキングは50位で、目標とは大きく、かけ離れている。
 これは、やむをえないことではある。
 国内のサッカー人口や組織は、日本国内での努力で数値を上げることができる。
 しかし、代表チームの成績は、相手のあることである。
 日本が強化に力を入れても、ほかの国もレベルアップの努力をするから、順位を上げるのは容易ではない。
 ここで重要なのは、FIFAランキングの数字ではない。
 日本代表チームのレベルアップの実質的な内容である。
 これを数字で示すのは難しい。
 しかし、ぼくの見るところでは、日本代表チームは、この10年間に、大きく良くなって来ていると思う。


「JFA中期計画」冊子の中扉。


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サッカー日誌 / 2015年05月19日


東京五輪1964の遺産(下)


クラマーのサッカー改革
クラブ組織と全国リーグの提案

★東京五輪の最大の遺産
 いまになって振り返れば、1964年の東京オリンピックから、もっとも大きな遺産を受け取ったのはサッカーである。
 このオリンピックが、きっかけになって日本のサッカーは、大きく変わった。
 これは、当時の西ドイツから招いたデットマール・クラマー・コーチのおかげである。
 クラマーは、1964年の東京オリンピックに出場する日本代表チームを強化するために日本へ招かれた。
 クラマーのおかげで、代表チームは東京オリンピックでアルゼンチンから1勝を挙げ、それが、さらに4年後のメキシコ・オリンピックの銅メダルに結びついた。
 しかし、クラマーのさらに大きな遺産は、東京オリンピックのあとの日本のサッカーのために残した「提言」である。
 そのなかでも重要だったのは「クラブ組織」と「全国リーグ」創設の提案だった。

★読売クラブとJSL
 その当時の日本のスポ―ツは、学校と実業団(企業)のチームが主力だった。
 「特定の身分や団体の人だけでなく、誰でも参加出来るスポーツ・クラブが必要だ」というのが、クラマーさんの考えだった。
 その考えに基づいて創設されたのが「読売サッカー・クラブ」(現在の東京ヴェルディ)である。将来のプロ化を見据えて、クラブ組織として創設された。
 東京オリンピックの翌年、1965年から「日本サッカーリーグ」(JSL)が発足した。
 当時は、関東、関西などの地域別に、大学と実業団のリーグが組織されていた。
 「高いレベルのチーム同士で試合ができるリーグを作るべきだ」と言うのが、クラマーさんの提案だった。
 日本リーグは、九州の八幡製鉄や広島の東洋工業を含む全国リーグとして創設された。

★Jリーグへの道を開く
 学校と企業のチームが主流だった当時の日本のスポーツを「クラブ組織」に組み換えるのは容易ではなかったが「読売サッカー・クラブ」の創設は、クラマー提言を受けて推進され、東京オリンピックの5年後に創設された。
 日本での本格的なサッカー・クラブの始まりだった。
 日本サッカーリーグ(JSL)は、東京オリンピックの翌年に発足した。
 クラマー提案を、すぐに実行に移した当時の企業チームの人たちの英断が見事だった。古河電工の西村章一さん、東洋工業の重松良典さんが中心だった。
 プロ野球以外では日本初の全国リーグだった。
 この二つのクラマー改革の実行が、現在のJリーグへの道を切り開いた。
 そういう目で見れば、Jリーグは東京オリンピック1964の大きな遺産の一つである。


(訂正のお知らせ)
 「東京五輪1964の遺産(中)柔道」の記事のうち「柔道の重量級の金メダルをヘーシンクに奪われたとした」とあるのは誤りでした。
 ご指摘を受けて修正しました。


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サッカー日誌 / 2015年05月16日


東京五輪1964の遺産(中)


柔道とバレーボールの国際化


★日本の要望で五輪競技に
 1964年の東京オリンピックによって、日本のスポーツが多くの点で変わった。
 その一つは、柔道とバレーボールの国際化だろう。 
 この二つのスポーツは、開催国である日本の要望によって、オリンピック競技になった。
 当時は、どちらも国際的に普及しているスポーツとは言えなかった。
 しかし、日本が金メダルを取れる可能性が強かったので、強引に東京オリンピックの実施競技に押し込んだ。
 狙い通り、日本は金メダルの数を増やした。
 そのうえ、この2つのスポーツは、オリンピック競技になったことによって、国際的な普及を加速させた。
 これは、東京五輪1964のプラスの遺産である。
 しかし、世界的な普及が進むにつれて、日本の金メダルの望みは薄くなっていった。

★東欧圏のレベルアップ
 柔道では、東京大会ですでに、無差別の金メダルを、オランダのヘーシンクに奪われた。
 バレーボールは、東欧圏の社会主義国が、強化に力を入れるようになり、日本の地位は下がっていった。
 ソ連を中心とする東側(社会主義国)と米国を中心とする西側(自由主義国)の対立が厳しかった時代である。
 東側は「社会主義の優位」を示す事例の一つとして、オリンピックの金メダル数を誇示していた。
 西側では、それほど競技水準の高くなかったバレーボールなどのオリンピック競技への採用は、ソ連やポーランドなどの東側の国にとり、金メダルを増やすチャンスになった。
 それに対抗して、西側の米国などでも、バレーボールの競技レベルが高くなり、日本の金メダルのチャンスは、しだいに低くなった。

★プラスとマイナスの遺産 
 柔道とバレーボールが、東京1964から、オリンピック競技に採用されたことは、この2つのスポーツの世界的普及に貢献した。これは、プラスの遺産である。
 一方で、この2つのスポーツのなかでの、日本の国際的地位は低下した。
 これは、日本のスポーツの国際競争力にとっては、マイナスの遺産である。
 しかし、オリンピック競技になったことによって、日本の国内でも、バレーボールは「メジャー・スポーツ」としての地位を確立した。
 それまでは、日本のバレーボールは、日本独特の「9人制」で、砂浜で楽しむ「レクリエーション・スポーツ」として扱われていたように思う。
 東京五輪1964以後は国際的な「6人制」バレーボールがメジャーになった。
 日本のバレーボールにとって、これは大きな遺産だった。



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サッカー日誌 / 2015年05月14日


東京五輪1964の遺産(上)


復興日本の姿を世界に伝えた

★頓挫した回顧座談会
 1964年の東京オリンピックから、昨年(2014年)がちょうど50年だった。2020年には2度目の東京オリンピックがくる。
 というわけで、昨年は「半世紀前の東京オリンピックが何を残したか」を点検して、2020年の準備に役立てるいい機会だったが、ぼくの見た範囲では、マスコミにしっかりした企画はなかった。
 実は、ぼくは1964年当時のオリンピック担当記者の座談会を企画して、どこかに売り込むことを考えていた。
 元朝日新聞の中条一雄さん、元読売新聞のぼく(牛木)に、元毎日新聞の記者を加える考えだった。
 これは、もともと中条さんのアイデアである。
 ところが、お願いした元毎日新聞記者に断られた。
 それで、この企画は頓挫した。

★思い出を記録に残す
 お願いした元毎日新聞記者は、陸上競技のオリンピック選手だった人で、スポーツ記者の先輩として、ぼくが手見習っていた方である。
 しかし、新聞社を退職したあとは「マスコミの仕事は、いっさい、お断りして、趣味の油絵を楽しんでいる」ということだった。
 引き受けて頂けなかったのは、ご本人の人生観に基づくものだろうから、やむを得ない。
 しかし、いまになって考えると、ぜひ実現させておきたかった企画である。
 当時のマスコミ関係者の思い出を記録に残し、2020年東京五輪の役に立てるべきだった。
 というわけで、いささかタイミングはずれるのだが、ぼく自身の思い出だけでも、ここに書き留めておこうと思う。

★日本の復興をPR
 1964の東京オリンピックが残した大きな成果の一つは、敗戦後の日本の復興ぶりを、世界に示したことだった。
 ロサンゼルスの日系社会のリーダーだった和田フレッド勇さんに聞いた話である。
 「米国人は、東京オリンピックの開会式が、テレビで衛星中継されたのを見て、日本はこんな、すばらしいことができる国なのかと驚いた。彼らの日系人を見る目が変った」
 おそらく、米国の人びとの多くは、日本は米国より、はるかに遅れた国だと思っていたのだろう。
 後進地域のアジアの国が、立派にオリンピックを開き、それをテレビで衛星中継する技術を持っているとは、想像していなかったのだろう。
 まさに、この時期に開発された衛星中継が、タイミングよく、 日本の姿を世界にPRした。


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サッカー日誌 / 2015年05月13日


「ベレーザ」若手の個人技に感嘆


なでしこリーグ第7節
日テレ「ベレーザ」2対1 INAC神戸
(5月6日 西が丘=BSスカパー・テレビ)

★見事な「ベレーザ」の先制点
 若い女子プレーヤーのテクニックに感嘆した。
 なでしこリーグの日テレ「ベレーザ」対INAC神戸の試合である。
 とくに前半38分、ベレーザの先制点は、すばらしかった。
 中盤の有吉佐織からペナルティエリア左寄りの長谷川唯にパスが出た。
 そのとき、左サイドの田中美南が、オーバーラップして、神戸の守備の背後に走り出た。
 長谷川は相手の守りに囲まれながら、すばやいフェイントでかわし、密集守備の頭越しに浮き球を田中に合わせた。
 田中はゴールライン近くで受け、ワンタッチで、ほとんど角度のないところから、右上隅へシュートを決めた。
 相手のマークをかわし、相手守備の頭越しに浮き球で必殺のパスを合わせた長谷川のテクニックと判断のすばやさが鮮やかだった。

★長谷川と田中の個人能力
 ゴールを決めた田中の難しいシュートも見事だった。
 長谷川にパスがでたとき、次の攻め手を予測して相手守備の背後に走り出た判断と出足の早さが非凡である。
 パスを受けて、すぐに角度のないところからのシュートを選択しゴールを決めた。
 まれに見るスーパーゴールである。
 基礎には、長谷川と田中の個人のテクニックがあった。
 次に、的確ですばやい判断力がテクニックを生かした。
 さらに、2人の個人技術と個人の戦術能力が、一瞬のうちに組み合わされて「グループの戦術」として実った。
 長谷川は18歳、田中は21歳。2人とも、ベレーザの若手育成チームの「メニーナ」育ちである。
 旧読売サッカークラブを引き継ぐ東京ヴェルディ1969の若手育成の伝統が、いまも機能しているのだろうと思った。

★「クラブ組織」による育成
 「ベレーザ」のホームページの選手紹介によれば、長谷川も田中も、兄が少年サッカー・チームにいたのが動機で、5歳ごろからボールを蹴り始めたらしい。
 このことは、いい選手が育つには、遺伝的素質に加えて、次のような環境条件があることを示している。
 一つは、男の子のサッカーの普及が、女の子のサッカー普及に結びつくことである。
 次に小学校入学前後の幼い年齢からボールを蹴り始めることである。
 第三は、クラブが選手を育てることである。
 選手を育てるために重要なのは、学校チームや協会の英才教育ではなく「クラブ組織」である。これは、ぼくが長年にわたって主張し続けていることである。
 ベレーザの若手の見事なプレーは、ぼくの主張の正しさを裏付けているように思った。


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サッカー日誌 / 2015年05月09日


スポーツ団体の会長を考える(下)


サッカー協会の次期会長は?

★年功序列による昇進
 スポーツ団体の会長について考え始めた「きっかけ」は、サッカーライター仲間の大住良之さんとの懇談である。
 別の要件で、大住さんが渋谷のぼく(牛木)の事務所を訪ねてきてくれて、3時間あまりにわたって懇談した。そのなかで、大住さんが「サッカー協会の会長」の話をした。
 現在の大仁邦弥会長の任期は、来年(2016年)で終わる。定年制があって再選はできない。
 その後任を「どう選ぶか」である。
 「田嶋幸三・副会長の昇格ではないのか?」
 ぼくは安易な見通しを述べた。
 田嶋さんが、必ずしも適任だと思っているわけではない。
 サッカー協会のなかの人事の流れが、そうなっているのではないか、と推測しただけである。
 年功序列で副会長からの昇進だろうという、ありきたりの推測である。

★田嶋幸三はFIFA理事に
 田嶋さんは、5月1日のAFC(アジア・サッカー連盟)の理事会で、FIFA(国際サッカー連盟)の理事に推薦された。本人は、国内の仕事よりも、国際的な場で活躍したいという気持ちだとみられている。
 副会長は、ほかに2人いるが、一人はJリーグの代表であり、もう一人は女性の代表である。
 次期会長は専務理事の原博実かもしれない。
 これは、事務機構のなかでの年功序列による考えである。
 協会の仕事の中で日本代表チームの強化が、もっとも重要だという考えに基づく推測もある。
 日本代表チームの監督として、2010年の南アフリカ・ワールドカップで、日本をベスト16に進めた岡田武史の名前をあげる人もいる。
 代表選手だった中田英寿や宮本恒靖も考えられる。
 これは、年齢的に、もう少し先の話だろう。

★「仲間内会長」の欠点
 仲間内の年功序列で会長を選ぶのには欠点もある。外部への影響力が少ないことである。
 日本サッカー協会は、メキシコ・オリンピック銅メダルの監督、コーチだった長沼健、岡野俊一郎以来、仲間内からの会長が続いている。
 ラグビーが、元総理大臣の森喜朗会長のもとで、日本のスポーツ界内での影響力を強めてきたのを見ると、サッカーにも強力な政治力のある「大物会長」が欲しい気もする。
 経営能力のある有能な人材を外部から雇い入れるのは、日本のスポーツ界ではなじみが薄いから、いまのところは、現実的でないだろう。
 結局、大仁会長の後任は、また仲間内から選ばれることになるだろう。それでいい。
 日本のサッカーの在り方について、しっかりとした見識を持ち、経営手腕があり、政治力のある人材が「仲間内」から出てきて欲しい。



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サッカー日誌 / 2015年05月08日


スポーツ団体の会長を考える(中)


実務の手腕を買われた起用

★バスケット会長に川淵三郎氏
 日本バスケットボール協会の会長に川淵三郎が就任する。Jリーグ創設を推進し日本サッカー協会の会長を勤めた、あの川淵さんである。
 日本のバスケットボール界が全国リーグの構成をめぐって二つに割れ、国際バスケットボール連盟(FIBA)の介入を招いた。
 その混乱を収拾するために、Jリーグ創設をまとめた手腕を買われて、川淵さんが担ぎ出された。
 川淵さんは、二つのリーグの統合をうまくまとめた。
 そこで、日本バスケットボール協会再建のために、川淵さんに会長になってもらおうというわけである。
 スポーツ団体の会長に、ほかのスポーツ出身者が就任するのは、日本では、ふつうではない。
 バスケットボール界の中では抵抗があるだろう。
 しかし、ぼくの考えでは、実務的な手腕を買って外部から会長を招くのは、悪くない。

★プロの経営者
 それで思い出したのが、1984年ロサンゼルス・オリンピックの組織委員会会長のピーター・ユーベロスである。
 ユーベロスは、それまでオリンピックに直接の関係はなかった。旅行会社を経営して成功した人物だった。
 公募に応じて、有給でロサンゼルス・オリンピックの運営を任されたのである。
 そのころオリンピックは財政的に開催困難になっていた。
 ユーベロスは、広告やテレビ放映の収入を導入し「オリンピックの商業化」をはかって建て直した。
 その後、オリンピックを成功させた手腕を買われて、野球の大リーグのコミッショナーも勤めた。
 ユーベロスは、実務的な手腕を評価されて、スポーツ団体に雇われたものである。
 経営のプロフェショナルである。

★能力によって人材を雇う
 サッカー出身の川淵さんが、バスケットボールの会長就任を求められたのも、実務上の手腕を買われたものである。
 あえて言えば「バスケットボールが川淵三郎を雇った」のである。
 米国の会社では、有能な経営者を社長として雇うのは、ふつうのことである。その場合、雇い主は「株主」である。
 スポーツ団体の場合は、どうだろうか?
 多くの場合は、協会に加盟しているクラブ(チーム)を代表している評議員会だろう。
 しかし、各クラブには「会長を雇っている」という感覚はないのではないか?
 会長のほうでも「プロとして経営を任されている」という意識は薄いだろう。
 今回のバスケットボール協会の場合は、FIBAから押し付けられた改革の結果で、川淵執行部は1年間の暫定的なものらしい。
 ユーベロスの場合とは事情が違うが、日本のスポーツ団体も、能力によって人材を導入することを考えてはどうか。

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サッカー日誌 / 2015年05月07日


スポーツ団体の会長を考える(上)


ラグビー協会の「大物会長」

★森喜朗会長が退任へ
 スポーツ団体の会長には、いくつかのタイプがある。
 多いのは「大物会長」である。
 財界あるいは政界のお偉方を担ぎ出してトップに座わってもらう。
 資金集めや、大きなプロジェクト推進のために、影響力を発揮してもらう狙いである。
 日本ラグビー協会の会長は森喜朗さんだった。
 元総理大臣。政界の大物である。
 森さんは2020年東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会会長に就任した。
 そこで、オリンピックに専念するため、6月でラグビーの会長は退くことを日本ラグビー協会の理事会で表明した。
 後任には、経団連の名誉会長、御手洗富士夫さんが有力だと伝えられている。
 「政界の大物」から「財界の大物」へ、である。

★後任は「財界の大物」
 ラグビー協会では、2019年にワールドカップを日本で開催するための資金集めが重要な課題になっている。
 そのためにも、財界の大物を迎える必要があるのだろう。
 森喜朗さんは、高校、大学(早大)でラグビー部に籍を置いた経歴があり、ラグビーに特別な思い入れがある。
 ラグビー協会の会長を退任しても「政界の大物」としての力はあるから、ラグビーのために今後も影響力を行使するだろう。  
 政界、財界の「大物2頭立て」になって、ラグビーの影響力は、ますます大きくなるのではないか?
 森喜朗さんの力を背景に、いま、日本のスポーツを動かしている重要な人物が2人いる。
 一人は、国会議員スポーツ連盟の遠藤利明さんである。
 自民党の衆議院議員で、オリンピック担当大臣の有力候補である。中央大学のラグビー部出身だ。

★ラグビー・トライアングル
 もう一人は、日本スポーツ振興センター(JSC)の河野一郎理事長である。
 もともとは、東京医科歯科大学出身のお医者さんだが、ラグビーのチームドクターを勤めたのをきっかけに、ラグビー協会の強化委員長などを経て、JOC(日本オリンピック委員会)の委員としてスポーツ行政の中枢に食い込んだ。
 日本スポーツ振興センターは、独立行政法人でトトのお金を配分する権限を持っている。
 資金源を握っているのだから、事実上、日本のスポーツ界を握っているようなものである。
 というわけで、森喜朗さんを背景に日本のスポーツを政治面では遠藤さん、行政面では河野さんが動かしている。
 この「ラグビー・トライアングル」の力で、ラグビーはワールドカップ2019の開催を乗り切ろうとしている。

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