サッカー日誌 / 2008年10月18日


日本代表、前と後のラインは、まだ二流


W杯アジア最終予選A組、日本1-1ウズベキスタン
(10月15日、埼玉スタジアム)

★総合力は「格上」ではない
 「どうして日本は勝てないんですか?」
 テレビで日本代表の試合を見た人から、よくきかれる。アナウンサーや解説者が「日本が勝って当然」というような話をする。画面では日本がほとんどボールを支配して優勢である。ところが結果は意外な苦戦。「どうして?」というわけだ。
 「強くないからだよ」というのが答えである。ワールドカップ・アジア最終予選のなかで日本は「格上」ではない。ウズベキスタンと実力は互角である。ホームでの試合だから「勝つべき」ではあったが「勝つのが当然」ではない。
 引き分けのあとの記者会見でウズベキスタン代表のカシモフ監督は、日本代表への評価をきかれて「中盤は一流だ」と答えた。裏を返せば前線と守備ラインは二流ということである。総合力では一流半だ。

★中盤はアジアで一流だが……
 一人一人のボール扱いでは、日本の選手はアジアでは「ちょっと格上」である。これは、ここ十数年の日本サッカー全体の水準向上を反映している。中盤の選手の個人戦術能力(判断力)は「たしかに格上」である。中村俊輔、稲本潤一、長谷部誠は、欧州で活躍しているトリオだ。判断がはやく、それぞれボールを持っていないときの位置の取り方がいい。これに相手によって、あるいは状況によって、攻めの得意な選手か守りの得意な選手を加えれば、攻守にバランスのとれた中盤になる。
 中村俊輔は「岡田ジャパン」の中核になった。「まわりを見る」「あらかじめ見る」「先を見る」の三つの「見る」が磨きあげられてきた。ウズベキスタン戦の前半40分の1点も俊輔の大久保へのパスから生まれた。ただ、いい形にはなるのだがゴールはなかなか生まれない。前線の決定力が二流だからである。

★守備ラインの問題点
 守備ラインにも問題がある。
 前半27分に先取点を奪われたとき、守備ラインは自ら乱れていた。逆襲速攻の縦パスを闘莉王がクリアしようとしてミスキックし、近くの相手にヘディングで裏側へ落とされた。それに反応してシェバロフはすばやく裏側へ走りこんだ。
 ミスをした闘莉王はあわてて追いかけた。内側にいた中澤も、相手の攻撃のエースであるシャッキフを捨てて外側へ追って出た。
 日本の守備ラインには、もう一人、内田篤人がいた。20歳の新鋭で攻撃参加ではめざましく活躍している。その内田が、フリーでゴール正面に走り出るシャキッフを追い切れなかった。戻ってはいたのだが、闘莉王のミスのあと、相手のすばやい攻めに対して、予測と反応が遅れたのである。ベテランは下り坂で、新鋭は守りでは未熟である。

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サッカー日誌 / 2008年10月17日


個性を育てる三つの条件


来日のクラマーさんに聞く
(10月12日、浦和ロイヤル・パインズ・ホテル)

★選手に考えさせる
 デトマール・クラマーさんが、さいたま市で開かれた催しで講演するため短期間ではあるが来日した。そこで9月のドイツ・ツアーでお世話になったお礼をのべようと仲間たちで宿舎を訪ねた。そのときに「子どもたちを、どう教育したらいいか」という話が出た。
 日本のサッカー選手は、よく教え込まれてうまくなったが個性的でない。「しっかりと教育しながら個性を伸ばすには、どうすればよいか」というテーマである。
 「コーチの考えを教えるのではなくて選手に考えさせろ」というのがクラマーさんの第一の答えである。
 1964年の東京オリンピックを前に日本代表チームを指導したとき、八重樫茂生選手に「ゲームメークをやれ」と指示した。「どういうふうにするのですか?」と八重樫がきいた。「それは自分で考えろ」とクラマーさん。「答えは選手の口から言わせなければならない」

★一人一人と話し合う
 クラマーさんの第二の答えは「一人一人の選手と話し合う」ことだった。
 バイエルン・ミュンヘンの監督をしたとき、チームはスターぞろいだった。ベッケンバウアーやゲルト.・ミュラーがいた。そういうスターを含めて、すべての選手と個々に話しあいをした。ルンメニゲはまだ若かった。日曜日の昼はいつも、ルンメニゲと一緒に食事をした。「選手は一人一人違うのだから、それぞれに話をしてやり、それぞれから話を聞いてやる必要がある。そうして選手との間の垣根を取り払わなくてはならない」という。
 みんな一緒に同じように練習させ、チーム全体に一括して指示を出して、それで「監督の仕事は終わり」ではない。
 最初に日本に来たとき足を痛めて練習を休もうとした選手がいた。痛めたほうの足を使わなくてもできる練習を厳しく課したが、そのときも1対1で話し合って納得させた。

★個性を伸ばせる環境を
 「子どものころの環境もだいじだ」というのが第三の答えである。
 クラマーさんがいま住んでいるのは、ライト・イム・ヴィンクルというチロル渓谷の中の小さな村だが、ここから冬のオリンピックの金メダリストが二人出ている。一人は女子のスキー距離選手で、もう一人は男子のジャンプの選手である。
 「冬は雪が積もってサッカー場は距離スキーの練習場になる。近くの丘には中規模のジャンプ台があって、子どもたちは80㍍くらい平気で飛んでいる。そういう環境の中で遊んで育って、その中からメダリストが生まれるんだ」
 モーツアルトのような素質をもった子供がいても、ピアノのない家庭で育ったのではモーツアルトは生まれない。子どもたちが、自分からスポーツをしたくなるような環境が必要だ、ということだった。

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サッカー日誌 / 2008年10月16日


個性を育てる放任と教育


土持功コーチのお話から
(10月10日、東京ヴェルディのビバ講座)

★河野広貴を育てる
 「よみうり・日本テレビ文化センター新宿」で開いている「東京ヴェルディのビバ!サッカー講座」第2期第2回の講師に「ヴェルディSS相模原」の土持功監督を招いた。東京ヴェルディの河野広貴を育てたコーチである。
 河野広貴は18歳、前年U-17の日本代表に選ばれ、ヴェルディのユースから一軍にあがった。年季の入ったファンからは「読売っぽいプレーヤーだ」と評価されている。ヴェルディの前身「読売クラブ」が1980年代に生み出したプレーヤーに似た雰囲気を持っているという意味だろう。
 「わくわくさせるテクニックを持っている」「激しさがある」「勝負にこだわる」。この三つが「読売っぽさでしょう」と土持さんは言う。土持コーチ自身、読売クラブ創設の1968年に読売クラブのユースに入ったプレーヤーだった。

★「読売っぽい」プレーヤー
 個性が強いのも「読売っぽい」プレーヤーの特徴だった。小見幸隆、戸塚哲也、都並敏史、松木安太郎などクラブ育ちで日本代表になった選手たちである。ドリブルにせよ、タックルにせよ、シュートにせよ、自分の得意なテクニックを持ち、それを遠慮なくフィールド上で発揮した。当時、日本のサッカーの主力だった学校育ちの選手たちは、よくいえば優等生で、悪く言えば型にはまっていた。そのなかで異色の顔触れだった。
 河野広貴は果敢にドリブルを仕掛け、勝負を挑む。それが1980年代の読売クラブの個性派を思い出させる。
 どのようにして、新しい個性派を育てることができたのか? 土持さんは言う。「中学3年までの子に、基本的には、教えない。自分でやれ、ですよ。得意わざが一つできればいい。いろんなことを教えたりはしない」。極端に言えば放任主義である。

★挨拶は教える
 勝手にやらせるだけで教育はしないのか?
「子どもたち同士の試合のなかに入って、足技で抜いたり、ドリブルをタックルで止めたりする。子どもたちは悔しがってムキになって立ち向かってくる。そんなふうですよ」
 挨拶だけは教えるそうだ。グラウンドのなかで練習や試合の前後に並んで挨拶するのに、町で出会ったときは満足に挨拶できない者が多い。顔見知りの先輩やコーチや友だちに会ったら、笑顔で「こんにちは」と自分から大きな声を出せるようでなくてはならない。グラウンドの中だけ積極的で世の中に出て引っこみ思案では個性も本物ではない。
 1か月前のドイツ・ツアーで「ボーフム」のクラブを見学したとき、プロの選手たちが、見知らぬぼくたちと目が合うと、向こうから「グーテンターク」と声をかけてくれたのを思い出した。

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サッカー日誌 / 2008年10月14日


ユース育成は成果を上げていない


古沼貞雄先生のお話から
(9月26日、東京ヴェルディのビバ講座)

★ユース代表出身が少ない
 毎月2回、第二、第四金曜日の夜に東京の「よみうり・日本テレビ文化センター新宿」で、東京ヴェルディに協力してもらって「ビバ!サッカー講座」を開いている。9月26日には、古沼貞雄さんを招いてお話を聞いた。
 古沼さんは帝京高の監督として高校サッカーで大きな業績を残し、現在ヴェルディのユース育成アドバイザーをしている。だからユース年代の選手育成については高校の状況も、クラブの実情もよくご存じである。
 いろいろなお話をうかがったなかで、とくに興味深かったのは「日本代表にクラブ・ユース出身が少ない」という指摘だった。ワールドカップ予選を戦っている岡田監督の日本代表先発メンバーでも、U-23の北京オリンピック代表でも、Jリーグ・クラブのユース出身は少ない。多くは高校、大学で育った選手だということである。

★協会の育成は成功していない
 「日本サッカー協会の若手育成が成功していない」という指摘もあった。U-15日本代表の合宿を見に行ったときの感想である。
 「練習を始めたときは、こんな練習のやり方でいいのか」と思ったという。長年、高校生を指導してきた目から見ると、練習方法にもの足りないものがあったのだろう。
 「でも、あとで紅白試合をしたのを見て驚いた。選手たちはみな、すばらしく巧い。高校で、こんないい選手を集められたことはない」
 つまり、いい素材を選抜しているのだが、サッカー協会のコーチの指導はよくないということである。
 協会の指導者は、高いレベルのコーチ研修を受けて理論武装はしているのだろうが、高校年代の若者を扱う経験は足りないのかもしれない。

★「集中育成策」の誤り
 古沼さんのお話を聞いて、いわゆる「トレセン方式」は実を結んでいないのではないかと考えた。
U-15, U-18の代表選手が、上の年代の代表チームに順調に上がって来ていないのであれば、協会の「集中育成策」は失敗だと言えるだろう。
 協会による「集中育成」は弊害を伴う。優秀な指導者がいないと集めた英才をみなつぶしてしまう。あるいは同じタイプの選手ばかり育って個性が伸びない恐れがある。
 ぼくの考えでは、各地のクラブによる「分散育成」のほうが望ましい。各クラブが競争すれば指導が多様化し、コーチのレベルが上がる。英才が全部つぶされる可能性は少なくなる。そう考えていたのだが、クラブ・ユースからも、いい選手が出てこないのであれば、コーチの「集中養成」である指導者資格制度に問題があるのかもしれない。

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