ワールドカップ12大会取材のサッカージャーナリストのブログ
牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評
サッカー日誌 / 2012年10月30日
フットサルのW杯準備(下)
決勝トーナメント進出の可能性は
フットサル国際親善試合
日本 3対1 ウクライナ
(10月27日 旭川・大雪アリーナ:フジテレビ)
★「カズ弾出た!」
フットサル・ワールドカップへの準備試合第2戦で、日本が3対1でウクライナに勝った。カズが3点目をあげた。
カズは「やっと(フットサルの)ファミリーに入れた気がする」と喜んだ。
新聞は「カズ弾出た!」と、びっくりマーク付きの大見出しである。
テレビにとっても願ってもない展開だっただろう。フジテレビは深夜ではあるが地上波で録画放送した。開始早々の2分に日本が先制、8分に追いつかれたが、すぐ2対1と勝ち越し、14分にカズのゴールが出た。
後半はウクライナに押し込まれたが守りきって0対0。
日本が守りきれるかどうか? ハラハラドキドキしながら見た人も多かっただろう。
カズを加えたのは「マスコミ対策」として大成功だった。
★守りが重要だ
事前のPRとして成功だったとしても、それが本番のワールドカップに結びつくとは限らない。
11月1日からタイで行われるフットサル・ワールドカップでは、日本は非常にきびしい組み合わせになっている。
グループリーグC組で、ブラジル、ポルトガル、リビアと当たる。
準備試合でブラジルと引き分けたといっても、準備試合の結果は本番にはほとんど関係ない。
6組に分かれて行われるグループリーグ各組上位2チームの計12チームのほか、各組3位のなかから成績のいい4チームが決勝トーナメントに進出する。
グループ3位になった場合、得失点差で進出が決まるが可能性が強い。だから負けるにしても大敗は致命傷である。グループリーグでは守りが重要である。
★45歳と20歳のコンビ
そういうわけで、カズの攻撃力が本番で役立つかどうかよりも、カズがフットサルの守備方法に慣れていないことが問題になりそうだと思った。本番でカズの全面的な起用は難しいだろう。
そういうふうに見ているが、それでもカズの3点目には感心した。
逸見勝利ラファエルが、中央突破しようとする。そのこぼれ球を倒れこみながら押し込んだ。
「逸見はシュート力があるし、ああいうことがあるかなと思って詰めていった」というのが、カズの話である。
東京でのブラジルとの試合を見たとき、ぼくは逸見が積極的に個人技による突破とシュートを狙うのに注目していた。
カズも同じように見ていたようだ。
20歳の逸見の才能を45歳のカズが生かした。このカズの能力が本番でも役に立ってほしいと思う。
フットサル国際親善試合
日本 3対1 ウクライナ
(10月27日 旭川・大雪アリーナ:フジテレビ)
★「カズ弾出た!」
フットサル・ワールドカップへの準備試合第2戦で、日本が3対1でウクライナに勝った。カズが3点目をあげた。
カズは「やっと(フットサルの)ファミリーに入れた気がする」と喜んだ。
新聞は「カズ弾出た!」と、びっくりマーク付きの大見出しである。
テレビにとっても願ってもない展開だっただろう。フジテレビは深夜ではあるが地上波で録画放送した。開始早々の2分に日本が先制、8分に追いつかれたが、すぐ2対1と勝ち越し、14分にカズのゴールが出た。
後半はウクライナに押し込まれたが守りきって0対0。
日本が守りきれるかどうか? ハラハラドキドキしながら見た人も多かっただろう。
カズを加えたのは「マスコミ対策」として大成功だった。
★守りが重要だ
事前のPRとして成功だったとしても、それが本番のワールドカップに結びつくとは限らない。
11月1日からタイで行われるフットサル・ワールドカップでは、日本は非常にきびしい組み合わせになっている。
グループリーグC組で、ブラジル、ポルトガル、リビアと当たる。
準備試合でブラジルと引き分けたといっても、準備試合の結果は本番にはほとんど関係ない。
6組に分かれて行われるグループリーグ各組上位2チームの計12チームのほか、各組3位のなかから成績のいい4チームが決勝トーナメントに進出する。
グループ3位になった場合、得失点差で進出が決まるが可能性が強い。だから負けるにしても大敗は致命傷である。グループリーグでは守りが重要である。
★45歳と20歳のコンビ
そういうわけで、カズの攻撃力が本番で役立つかどうかよりも、カズがフットサルの守備方法に慣れていないことが問題になりそうだと思った。本番でカズの全面的な起用は難しいだろう。
そういうふうに見ているが、それでもカズの3点目には感心した。
逸見勝利ラファエルが、中央突破しようとする。そのこぼれ球を倒れこみながら押し込んだ。
「逸見はシュート力があるし、ああいうことがあるかなと思って詰めていった」というのが、カズの話である。
東京でのブラジルとの試合を見たとき、ぼくは逸見が積極的に個人技による突破とシュートを狙うのに注目していた。
カズも同じように見ていたようだ。
20歳の逸見の才能を45歳のカズが生かした。このカズの能力が本番でも役に立ってほしいと思う。
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サッカー日誌 / 2012年10月29日
フットサルのW杯準備(中)
日本は伸びている
フットサル国際親善試合
日本 3対3 ブラジル
(10月24日 東京・代々木体育館)
★親善試合でのプレーぶり
「日本のフットサルは、ぐんぐん伸びているな」
ブラジルとの親善試合を見て、そう思った。
ワールドカップ優勝候補のブラジルと引き分けたからではない。
これは11月の本番のための準備試合である。
ブラジルのマルコス・アウレリオ・ソラト監督によれば長旅をしてきて、かつ12時間の時差がある。それでも毎日の練習量は落とさないようにしている。ワールドカップのときにベストの体調に持っていくためである。だから体調はよくない。またベテランの主力選手は、体調を考えて無理な起用はしていない。つまりベストメンバーではない。
そういうわけで、3対3の引き分けを額面どおりに受け取ることは出来ない。
しかし、そうであっても、日本代表のプレーぶりから「日本のフットサルの進歩」を感じ取った。
★スリリングな試合展開
5年前(2007年)にFリーグができたとき、開幕試合を見に行った。そのときの感想は「これは前途多難だ」というものだった。
個人のテクニックとしては、めまぐるしい展開に必要な、すばやいボール扱いが出来ない。試合としては、単調で盛り上がりがない。そういう印象だった。
その後も、ときどきFリーグの試合を見に行ったが、印象は変わらなかった。
しかし、日本代表のブラジルとの親善試合では、まったく違った。個人のテクニックも良かったし、試合展開はスリリングだった。
日本が2対0とリード、ブラジルが前半のうちに1点差とし、後半なかばまでに3対2と逆転した。
しかし、日本は、その直後にコーナーキックから同点とし、そのスコアを守りきった。
★若い逸見の成長に期待
親善試合ではあっても、魅力的な試合を展開できたのは、チームとしてのレベルアップによるものだろう。これは、スペインから招いたロドリゴ監督の功績だろうと推察した。
個人では逸見(へんみ)勝利ラファエルが目を引いた。
キックオフ早々の最初のシュートが逸見だった。開始3分の日本の先取点は、逸見が速いドリブルで抜いてシュートして決めたものだった。その技術と速さと積極性がいい。
「彼は生粋(きっすい)のフットサルプレーヤーだ」とロドリゴ監督は評価した。
12歳までブラジルで育ち、13歳から日本でフットサルを続けているという。
「6歳から12歳までの間の技術習得が決定的だ」とロドリゴ監督は言う。
20歳。チーム最年少である。日本代表の主力は30歳代が多い。逸見の成長に期待したいと思った。
フットサル国際親善試合
日本 3対3 ブラジル
(10月24日 東京・代々木体育館)
★親善試合でのプレーぶり
「日本のフットサルは、ぐんぐん伸びているな」
ブラジルとの親善試合を見て、そう思った。
ワールドカップ優勝候補のブラジルと引き分けたからではない。
これは11月の本番のための準備試合である。
ブラジルのマルコス・アウレリオ・ソラト監督によれば長旅をしてきて、かつ12時間の時差がある。それでも毎日の練習量は落とさないようにしている。ワールドカップのときにベストの体調に持っていくためである。だから体調はよくない。またベテランの主力選手は、体調を考えて無理な起用はしていない。つまりベストメンバーではない。
そういうわけで、3対3の引き分けを額面どおりに受け取ることは出来ない。
しかし、そうであっても、日本代表のプレーぶりから「日本のフットサルの進歩」を感じ取った。
★スリリングな試合展開
5年前(2007年)にFリーグができたとき、開幕試合を見に行った。そのときの感想は「これは前途多難だ」というものだった。
個人のテクニックとしては、めまぐるしい展開に必要な、すばやいボール扱いが出来ない。試合としては、単調で盛り上がりがない。そういう印象だった。
その後も、ときどきFリーグの試合を見に行ったが、印象は変わらなかった。
しかし、日本代表のブラジルとの親善試合では、まったく違った。個人のテクニックも良かったし、試合展開はスリリングだった。
日本が2対0とリード、ブラジルが前半のうちに1点差とし、後半なかばまでに3対2と逆転した。
しかし、日本は、その直後にコーナーキックから同点とし、そのスコアを守りきった。
★若い逸見の成長に期待
親善試合ではあっても、魅力的な試合を展開できたのは、チームとしてのレベルアップによるものだろう。これは、スペインから招いたロドリゴ監督の功績だろうと推察した。
個人では逸見(へんみ)勝利ラファエルが目を引いた。
キックオフ早々の最初のシュートが逸見だった。開始3分の日本の先取点は、逸見が速いドリブルで抜いてシュートして決めたものだった。その技術と速さと積極性がいい。
「彼は生粋(きっすい)のフットサルプレーヤーだ」とロドリゴ監督は評価した。
12歳までブラジルで育ち、13歳から日本でフットサルを続けているという。
「6歳から12歳までの間の技術習得が決定的だ」とロドリゴ監督は言う。
20歳。チーム最年少である。日本代表の主力は30歳代が多い。逸見の成長に期待したいと思った。
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サッカー日誌 / 2012年10月28日
フットサルのW杯準備(上)
カズ選出への賛否両論
フットサル国際親善試合
日本 3対3 ブラジル
(10月24日 東京・代々木体育館)
★選出理由は実力か?
11月上旬にタイで行われるフットサル・ワールドカップの日本代表に三浦知良(カズ)が選ばれた。これについて、ぼくの周辺のビバ!サッカー仲間で意見が分かれている。
「カズが入ったために、これまでFリーグでがんばってきた本来のフットサル選手が1人、外されることになる。これはフェアではない」。そういう考えがある。
人情としては理解できるが、ぼくの考えは違う。
カズが戦力として必要であり、選手登録の要件を満たしているのであれば、選ぶのが当然である。ここは実力の世界である。
これに対して別の見方もある。
「カズは実力では、本来のフットサル・プレーヤーには及ばない。それでも選ぶのは、マスコミ受け、とくにテレビの視聴率稼ぎのためだ」
★マスコミの圧力?
カズがはいればマスコミが注目する。テレビの視聴率も上がる。だからカズを選ぶように圧力がかかったのだ。そういう見方である。
タイで開かれるフットサル・ワールドカップに、新聞社も特派員を派遣することにしたようだ。「カズが代表にならなければ派遣しない」としていた社もあったらしい。「日本が敗退したら、すぐ帰れ」と言われている特派員もいるそうだ。
テレビが視聴率を上げるために試合開始時間に口を出す時代だから、カズの起用をテレビが推進したことも、十分、考えられる。
ただし、サッカー協会の説明は、こうである。
「チームをまとめるための精神的なリーダーとして、カズの実績と経験を生かしたい」
★フットサルの将来にプラス
ワールドカップ前の準備試合、ブラジルとの対戦にカズが登場した。
日本チームのミゲル・ロドリゴ監督の口ぶりからすると、この時点では、戦力としては十分ではなかったようだ。
「初めて試合に出た子どものような気持ちだっただろう」と話していた。
ビバ!サッカーの仲間で、フットサルにいれ込んでいる連中はカズ選出に好意的である。
カズが加わったことによって、交代要員が1人、マイナスになったとしても「カズの人気でフットサルへの関心が高まれば普及のためには大きなプラスだ」という考えである。
その点は、ミゲル・ロドリゴ監督も似た考えだった。
「カズがフットサルの国際的経験を積めば、日本のフットサルの将来のために役立つだろう」。
将来の指導者として期待することができるというわけだ。
フットサル国際親善試合
日本 3対3 ブラジル
(10月24日 東京・代々木体育館)
★選出理由は実力か?
11月上旬にタイで行われるフットサル・ワールドカップの日本代表に三浦知良(カズ)が選ばれた。これについて、ぼくの周辺のビバ!サッカー仲間で意見が分かれている。
「カズが入ったために、これまでFリーグでがんばってきた本来のフットサル選手が1人、外されることになる。これはフェアではない」。そういう考えがある。
人情としては理解できるが、ぼくの考えは違う。
カズが戦力として必要であり、選手登録の要件を満たしているのであれば、選ぶのが当然である。ここは実力の世界である。
これに対して別の見方もある。
「カズは実力では、本来のフットサル・プレーヤーには及ばない。それでも選ぶのは、マスコミ受け、とくにテレビの視聴率稼ぎのためだ」
★マスコミの圧力?
カズがはいればマスコミが注目する。テレビの視聴率も上がる。だからカズを選ぶように圧力がかかったのだ。そういう見方である。
タイで開かれるフットサル・ワールドカップに、新聞社も特派員を派遣することにしたようだ。「カズが代表にならなければ派遣しない」としていた社もあったらしい。「日本が敗退したら、すぐ帰れ」と言われている特派員もいるそうだ。
テレビが視聴率を上げるために試合開始時間に口を出す時代だから、カズの起用をテレビが推進したことも、十分、考えられる。
ただし、サッカー協会の説明は、こうである。
「チームをまとめるための精神的なリーダーとして、カズの実績と経験を生かしたい」
★フットサルの将来にプラス
ワールドカップ前の準備試合、ブラジルとの対戦にカズが登場した。
日本チームのミゲル・ロドリゴ監督の口ぶりからすると、この時点では、戦力としては十分ではなかったようだ。
「初めて試合に出た子どものような気持ちだっただろう」と話していた。
ビバ!サッカーの仲間で、フットサルにいれ込んでいる連中はカズ選出に好意的である。
カズが加わったことによって、交代要員が1人、マイナスになったとしても「カズの人気でフットサルへの関心が高まれば普及のためには大きなプラスだ」という考えである。
その点は、ミゲル・ロドリゴ監督も似た考えだった。
「カズがフットサルの国際的経験を積めば、日本のフットサルの将来のために役立つだろう」。
将来の指導者として期待することができるというわけだ。
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サッカー日誌 / 2012年10月21日
記者会見のいま、むかし
財徳健治さんの思い出話
ビバ!サッカー研究会10月例会
(10月19日 東中野「呑んべえ」)
★新聞社のサッカー担当
ビバ!サッカー研究会の10月例会に財徳健治さんを招いて、お話を聞いた。財徳さんは広島・修道高校、慶応大学の中心選手として活躍したのち、サンスポ、東京新聞でスポーツ記者となった。東京新聞運動部長などを歴任し現在編集委員。スポーツ評論の筆を振るっている。
新聞社のサッカー担当記者としては、ぼく(牛木)より1世代若い。ぼくは1956年に新聞社に入り、1960年台~70年代が働き盛りだった。財徳さんは1970年代後半に登場した。
財徳さんは、自分が東京でサッカーを担当しはじめたばかりのころの話をした。
そのころの新聞社では、サッカーを知っている記者は少なかった。東京では毎日の荒井義行さんと読売のぼくだけだった。朝日の中条一雄さんは、すでに管理職になっていて現場の取材をすることは少なかった。
★記者会見をリードする
財徳さんが東京でサッカー担当になったころ、試合のあとの監督記者会見での質問は、ぼくと毎日の荒井記者がリードしていた。そのことを財徳さんが紹介した。
そのころ、他の新聞社のサッカー担当記者の多くは、ほかのスポーツの出身者だった。たとえば朝日の中条さんの後継者はアイスホッケー出身者だった。そのため、場合によっては見当違いの記事を書く可能性があった。
そこで、多少なりともサッカーを知っているぼくや荒井さんが、わざとその試合のポイントについての質問をして、他社の記者に気づいてもらえるように誘導した。
それが、いいことだったというつもりはない。「談合」みたいなものだと言われれば、その通りである。ただサッカーを正しく広めたいという一心だった。
当時は新米だったはずの財徳記者が、そのことに気づいていたことに驚いた。
★最近のライターへの批判
財徳さんは、ばりばりの選手出身だからサッカーをよく知っている。そこで、ぼくや荒井さんと同じように、他社の記者に正しいサッカー報道をしてもらえるように記者会見などで配慮したという。
一方で、独自の記事を書くための工夫もした。また新しい知識を得るために、いまでも積極的に現場取材もしている。
現在のサッカー記者の様子は、だいぶ違う。
サッカーそのものを知らない記者はほとんどいない。だから他社の記者のために「配慮」をする必要はない。
逆に自分の取材のポイントを知られたくないように、共同記者会見では、ほとんど質問をしない記者もいる。
一方で、サッカー通ではあるが、高いレベルのチームでの経験がないライターも多くなっている。そういうなかには、頭の中だけの戦術論を展開している人もいる。
そういうライターには、財徳さんは批判的だった。
ビバ!サッカー研究会10月例会
(10月19日 東中野「呑んべえ」)
★新聞社のサッカー担当
ビバ!サッカー研究会の10月例会に財徳健治さんを招いて、お話を聞いた。財徳さんは広島・修道高校、慶応大学の中心選手として活躍したのち、サンスポ、東京新聞でスポーツ記者となった。東京新聞運動部長などを歴任し現在編集委員。スポーツ評論の筆を振るっている。
新聞社のサッカー担当記者としては、ぼく(牛木)より1世代若い。ぼくは1956年に新聞社に入り、1960年台~70年代が働き盛りだった。財徳さんは1970年代後半に登場した。
財徳さんは、自分が東京でサッカーを担当しはじめたばかりのころの話をした。
そのころの新聞社では、サッカーを知っている記者は少なかった。東京では毎日の荒井義行さんと読売のぼくだけだった。朝日の中条一雄さんは、すでに管理職になっていて現場の取材をすることは少なかった。
★記者会見をリードする
財徳さんが東京でサッカー担当になったころ、試合のあとの監督記者会見での質問は、ぼくと毎日の荒井記者がリードしていた。そのことを財徳さんが紹介した。
そのころ、他の新聞社のサッカー担当記者の多くは、ほかのスポーツの出身者だった。たとえば朝日の中条さんの後継者はアイスホッケー出身者だった。そのため、場合によっては見当違いの記事を書く可能性があった。
そこで、多少なりともサッカーを知っているぼくや荒井さんが、わざとその試合のポイントについての質問をして、他社の記者に気づいてもらえるように誘導した。
それが、いいことだったというつもりはない。「談合」みたいなものだと言われれば、その通りである。ただサッカーを正しく広めたいという一心だった。
当時は新米だったはずの財徳記者が、そのことに気づいていたことに驚いた。
★最近のライターへの批判
財徳さんは、ばりばりの選手出身だからサッカーをよく知っている。そこで、ぼくや荒井さんと同じように、他社の記者に正しいサッカー報道をしてもらえるように記者会見などで配慮したという。
一方で、独自の記事を書くための工夫もした。また新しい知識を得るために、いまでも積極的に現場取材もしている。
現在のサッカー記者の様子は、だいぶ違う。
サッカーそのものを知らない記者はほとんどいない。だから他社の記者のために「配慮」をする必要はない。
逆に自分の取材のポイントを知られたくないように、共同記者会見では、ほとんど質問をしない記者もいる。
一方で、サッカー通ではあるが、高いレベルのチームでの経験がないライターも多くなっている。そういうなかには、頭の中だけの戦術論を展開している人もいる。
そういうライターには、財徳さんは批判的だった。
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サッカー日誌 / 2012年10月18日
望月三起也さんの功績
「なでしこ」組織の基礎作り
日本サッカー史研究会10月例会
(10月15日 JFAハウス)
★女子サッカーを推進
望月三起也さんは有名な漫画家である。力強いタッチの作品に熱狂的なファンも多い。
サッカー狂としても知られている。「サッカーマガジン」に連載されていた「ワイルド・イレブン依怙贔屓」などを愛読していた人も多いと思う。
サッカー人気を盛り上げるために芸能人による「The ミイラ」というチームを作って監督兼選手として活動している。
しかし、望月さんが「なでしこJapan」の基礎を作った功労者であることは、あまり知られていないだろうと思う。
日本サッカー協会が「日本女子サッカー連盟」の発足を認めたのは、1979年。女子日本選手権を創設し、女子代表チーム、いまの「なでしこJapan」を編成したのが 1981年。
望月さんは、それより前から女子のサッカーに注目し、応援し、組織化し、協会に女子サッカーを認めさせるよう後押ししていた。
★「チキン・リーグ」の命名者
1960年代の後半あたりから、関東と関西で女子のサッカー・チームが生まれ始めていた。
それを1970年代に組織化し、日本サッカー協会に認めさせるために動いたのが望月さんだった。そういうふうに、ぼくは見ている。
東京と神奈川に生まれたチームの間で、まだ協会公認ではないが「チキン・リーグ」と呼ばれる試合が行われるようになった。
「チキン・リーグという名前は、ぼくがつけたんですよ」と、望月さんは言う。
ニワトリに餌を与えると、ギャアギャア鳴きながら餌の周りに集まる。同じように、ボールの周りに群がって、口はうるさい。そんなレベルだったから「チキン(ニワトリ)」と名づけた。もちろん、やがて「チキン」の段階から抜け出して、世界に羽ばたくことを展望しての話である。
★協会を動かす
こうして、1970年代に女子サッカーが少しずつ広がり、組織化されていったのだが、日本サッカー協会は、なかなか、公認しようとはしなかった。女子サッカーの組織を協会に認めさせるために努力したのが、三菱養和クラブを拠点としていた望月さんたちのグループだった。
その当時の事情を聞くために、日本サッカー史研究会の10月例会に望月さんに来ていただいた。売れっ子の漫画家だから非常にお忙しい。また、大きな病気から回復して間もなくだった。しかし快く、非常に張り切って、お話をしていただくことが出来た。
「なでしこブーム」で、女子サッカーに関わっていたいろいろな人がマスコミで脚光を浴びている。
「なでしこ」を世に出すために、多くの個人的な犠牲を払って基礎作りに努力した望月さんのような人の功績もきちんと歴史に残すべきだと思う。
日本サッカー史研究会10月例会
(10月15日 JFAハウス)
★女子サッカーを推進
望月三起也さんは有名な漫画家である。力強いタッチの作品に熱狂的なファンも多い。
サッカー狂としても知られている。「サッカーマガジン」に連載されていた「ワイルド・イレブン依怙贔屓」などを愛読していた人も多いと思う。
サッカー人気を盛り上げるために芸能人による「The ミイラ」というチームを作って監督兼選手として活動している。
しかし、望月さんが「なでしこJapan」の基礎を作った功労者であることは、あまり知られていないだろうと思う。
日本サッカー協会が「日本女子サッカー連盟」の発足を認めたのは、1979年。女子日本選手権を創設し、女子代表チーム、いまの「なでしこJapan」を編成したのが 1981年。
望月さんは、それより前から女子のサッカーに注目し、応援し、組織化し、協会に女子サッカーを認めさせるよう後押ししていた。
★「チキン・リーグ」の命名者
1960年代の後半あたりから、関東と関西で女子のサッカー・チームが生まれ始めていた。
それを1970年代に組織化し、日本サッカー協会に認めさせるために動いたのが望月さんだった。そういうふうに、ぼくは見ている。
東京と神奈川に生まれたチームの間で、まだ協会公認ではないが「チキン・リーグ」と呼ばれる試合が行われるようになった。
「チキン・リーグという名前は、ぼくがつけたんですよ」と、望月さんは言う。
ニワトリに餌を与えると、ギャアギャア鳴きながら餌の周りに集まる。同じように、ボールの周りに群がって、口はうるさい。そんなレベルだったから「チキン(ニワトリ)」と名づけた。もちろん、やがて「チキン」の段階から抜け出して、世界に羽ばたくことを展望しての話である。
★協会を動かす
こうして、1970年代に女子サッカーが少しずつ広がり、組織化されていったのだが、日本サッカー協会は、なかなか、公認しようとはしなかった。女子サッカーの組織を協会に認めさせるために努力したのが、三菱養和クラブを拠点としていた望月さんたちのグループだった。
その当時の事情を聞くために、日本サッカー史研究会の10月例会に望月さんに来ていただいた。売れっ子の漫画家だから非常にお忙しい。また、大きな病気から回復して間もなくだった。しかし快く、非常に張り切って、お話をしていただくことが出来た。
「なでしこブーム」で、女子サッカーに関わっていたいろいろな人がマスコミで脚光を浴びている。
「なでしこ」を世に出すために、多くの個人的な犠牲を払って基礎作りに努力した望月さんのような人の功績もきちんと歴史に残すべきだと思う。
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サッカー日誌 / 2012年10月06日
「生活体育」のフットサル大会
暮らしのなかのスポーツ組織
「サロン2002」9月研究会
(9月26日 東京・筑波大学附属高校)
★韓国・龍仁市の韓日大会
韓国のソウルに近い龍仁市で毎年開かれているフットサル大会がある。「国民生活体育会長杯 王の中の王 フットサル大会」という名称である。主催者は「国民生活体育連合会」となっている。後援には「龍仁市生活体育会」という団体も加わっている。
この大会の話をきいて、主催者、後援者の名前に含まれている「生活体育」という用語に興味を持った。日本では、あまり使われていない言葉だ。ふつうの人びとが日常の暮らしの中で楽しんでいるスポーツを指すのだろう。
「韓国では、サッカー協会のような競技団体はトップレベルにつながるスポーツだけを管轄していて、草の根レベルは、別の組織が担当しているようです」
スポーツ文化の研究会「サロン2002」の9月例会で聞いた話では、そういうことだった。
★日本の「社会体育」との違い
日本には「社会体育」という言葉があるが、「生活体育」とは意味合いが違うようだ。
「社会体育」は、「学校体育」と対比して使われていて、スポーツをする場所、あるいは世代の違いを示している。
一方、韓国の「生活体育」は、「競技スポーツ」に対するもので、スポーツをする目的とレベルの違いを示しているのではないだろうか。
韓国では、金メダルにつながるエリート強化と一般大衆の健康スポーツを分けている。そして、その組織が別になっている。大会も別に行われている。そういうことだろうと推察した。
それぞれに、メリットとデメリットがあるだろう。
しかし、日本でも、オリンピックの金メダルをめざすスポーツ組織とは別に、暮らしのなかのスポーツの組織を考えてみる必要があるのではないだろうか?
★競技スポーツの協力
日本では、金メダルを目指して選手強化を担当している「日本オリンピック委員会」(JOC)のほかに「日本体育協会」(体協)がある。
しかしJOCも体協も、ともに競技団体連合で選手強化(競技力向上)を主要な目的にしている。
日本体育協会は、都道府県体協の連合でもあるが、各地の体協は、それぞれの地域の競技団体連合である。
つまり、日本の主要な二つのスポーツ組織は、どちらも競技スポーツが中心になっていて「生活体育」という考え方は主流ではない。これは一つの問題点だろう。
韓国のフットサル大会の競技の主管は全国フットサル連合会と京畿道および龍仁市フットサル連合会となっている。技術的な運営は競技団体が担当しているわけである。
競技スポーツと生活スポーツが協力している形だろうと思った。
「サロン2002」9月研究会
(9月26日 東京・筑波大学附属高校)
★韓国・龍仁市の韓日大会
韓国のソウルに近い龍仁市で毎年開かれているフットサル大会がある。「国民生活体育会長杯 王の中の王 フットサル大会」という名称である。主催者は「国民生活体育連合会」となっている。後援には「龍仁市生活体育会」という団体も加わっている。
この大会の話をきいて、主催者、後援者の名前に含まれている「生活体育」という用語に興味を持った。日本では、あまり使われていない言葉だ。ふつうの人びとが日常の暮らしの中で楽しんでいるスポーツを指すのだろう。
「韓国では、サッカー協会のような競技団体はトップレベルにつながるスポーツだけを管轄していて、草の根レベルは、別の組織が担当しているようです」
スポーツ文化の研究会「サロン2002」の9月例会で聞いた話では、そういうことだった。
★日本の「社会体育」との違い
日本には「社会体育」という言葉があるが、「生活体育」とは意味合いが違うようだ。
「社会体育」は、「学校体育」と対比して使われていて、スポーツをする場所、あるいは世代の違いを示している。
一方、韓国の「生活体育」は、「競技スポーツ」に対するもので、スポーツをする目的とレベルの違いを示しているのではないだろうか。
韓国では、金メダルにつながるエリート強化と一般大衆の健康スポーツを分けている。そして、その組織が別になっている。大会も別に行われている。そういうことだろうと推察した。
それぞれに、メリットとデメリットがあるだろう。
しかし、日本でも、オリンピックの金メダルをめざすスポーツ組織とは別に、暮らしのなかのスポーツの組織を考えてみる必要があるのではないだろうか?
★競技スポーツの協力
日本では、金メダルを目指して選手強化を担当している「日本オリンピック委員会」(JOC)のほかに「日本体育協会」(体協)がある。
しかしJOCも体協も、ともに競技団体連合で選手強化(競技力向上)を主要な目的にしている。
日本体育協会は、都道府県体協の連合でもあるが、各地の体協は、それぞれの地域の競技団体連合である。
つまり、日本の主要な二つのスポーツ組織は、どちらも競技スポーツが中心になっていて「生活体育」という考え方は主流ではない。これは一つの問題点だろう。
韓国のフットサル大会の競技の主管は全国フットサル連合会と京畿道および龍仁市フットサル連合会となっている。技術的な運営は競技団体が担当しているわけである。
競技スポーツと生活スポーツが協力している形だろうと思った。
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サッカー日誌 / 2012年10月03日
「高校サッカー90年史」の完成
旧制中学と新制高校の通史を掲載
日本サッカー史研究会9月例会
(9月24日 東京・JFAハウス会議室)
★一般の書店でも発売中
全国高等学校体育連盟(高体連)編集の「高校サッカー90年史」ができあがり、講談社から発売されている。印刷部数は8000で、少なくはないのだが、全国の高校サッカー部に優先的に配本するので、一般に売り出される部数は多くない。しかし、大きな書店では売っているし、町の本屋さんでも注文すれば取り寄せてくれるはずである。
日本サッカー史研究会の9月例会では、「90年史」の編集責任者だった高体連の北原由先生と「高校サッカー年鑑」を毎年編集している白髭隆幸さんに解説をお願いした。お二人ともサッカー史研究会の常連メンバーである。
「高校サッカー史」は、40年史(非売品)と60年史(講談社発売)が、これまでに出ている。この2冊は1918(大正7)年に関西でスタートした大阪毎日新聞主催の大会の記録を主に収録している。90年史は、その継続版として出されたのだが、構成は、かなり違ったのになっている。
★学制改革による区分
今回の「90年史」の構成が、これまでの「40年史」「60年史」と違う点が二つある。
一つは、記録の掲載を簡略にしたことである。
「40年史」以降は、毎年、「高校サッカー年鑑」(講談社発売)が発行されていて、これに、その年度の全国大会全試合の記録が収録されている。「詳しくは年鑑を見てください」という形になっている。
もう一つは、記録を簡略にしたのに代わって、文章による通史を掲載したことである。
通史の執筆は、ぼく(牛木)が担当した。
執筆にさいして、90回大会までの歴史を二つに分けた。
戦前から戦後1947年までの「全国中等学校選手権大会」とその後の「全国高等学校選手権大会」である。この二つの大会は連続してはいるが、学制改革によって性格は大きく変わっている。
★「100年史」は5年後に
過去に出た「40年史」と「60年史」は、ともに大阪毎日新聞よって関西で始まった大会の記録を中心に作られている。
しかし、1934年までは、東京、名古屋など各地で、それぞれ中等学校のサッカー大会が行われていた。
今回の「90年史」では、そういう大会の記録も収録したいと思ったが、手が及ばなかった。各地の県立図書館などで、むかしの新聞を調べれば分かるのではないかと思っている。「100年史」への課題である。
ところで「90年史」と銘打っているが、実は1918(大正7)年の大会創設から90年ではない。「第90回大会記念誌」とするのが正しい。
というのは、天皇の崩御や戦争のために中止されて、回数を数えていない大会があるからだ。
そういうわけで「100年史」は、正真正銘の100年にあたる2017年に編集する予定になっている。
日本サッカー史研究会9月例会
(9月24日 東京・JFAハウス会議室)
★一般の書店でも発売中
全国高等学校体育連盟(高体連)編集の「高校サッカー90年史」ができあがり、講談社から発売されている。印刷部数は8000で、少なくはないのだが、全国の高校サッカー部に優先的に配本するので、一般に売り出される部数は多くない。しかし、大きな書店では売っているし、町の本屋さんでも注文すれば取り寄せてくれるはずである。
日本サッカー史研究会の9月例会では、「90年史」の編集責任者だった高体連の北原由先生と「高校サッカー年鑑」を毎年編集している白髭隆幸さんに解説をお願いした。お二人ともサッカー史研究会の常連メンバーである。
「高校サッカー史」は、40年史(非売品)と60年史(講談社発売)が、これまでに出ている。この2冊は1918(大正7)年に関西でスタートした大阪毎日新聞主催の大会の記録を主に収録している。90年史は、その継続版として出されたのだが、構成は、かなり違ったのになっている。
★学制改革による区分
今回の「90年史」の構成が、これまでの「40年史」「60年史」と違う点が二つある。
一つは、記録の掲載を簡略にしたことである。
「40年史」以降は、毎年、「高校サッカー年鑑」(講談社発売)が発行されていて、これに、その年度の全国大会全試合の記録が収録されている。「詳しくは年鑑を見てください」という形になっている。
もう一つは、記録を簡略にしたのに代わって、文章による通史を掲載したことである。
通史の執筆は、ぼく(牛木)が担当した。
執筆にさいして、90回大会までの歴史を二つに分けた。
戦前から戦後1947年までの「全国中等学校選手権大会」とその後の「全国高等学校選手権大会」である。この二つの大会は連続してはいるが、学制改革によって性格は大きく変わっている。
★「100年史」は5年後に
過去に出た「40年史」と「60年史」は、ともに大阪毎日新聞よって関西で始まった大会の記録を中心に作られている。
しかし、1934年までは、東京、名古屋など各地で、それぞれ中等学校のサッカー大会が行われていた。
今回の「90年史」では、そういう大会の記録も収録したいと思ったが、手が及ばなかった。各地の県立図書館などで、むかしの新聞を調べれば分かるのではないかと思っている。「100年史」への課題である。
ところで「90年史」と銘打っているが、実は1918(大正7)年の大会創設から90年ではない。「第90回大会記念誌」とするのが正しい。
というのは、天皇の崩御や戦争のために中止されて、回数を数えていない大会があるからだ。
そういうわけで「100年史」は、正真正銘の100年にあたる2017年に編集する予定になっている。
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