ワールドカップ12大会取材のサッカージャーナリストのブログ
牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評
サッカー日誌 / 2012年01月27日
「スポーツ宣言日本」を批判する
筑波大教授、清水諭さんのお話を聴いて
サロン2002 1月例会
(1月25日 筑波大附属高校)
★訴える力のない作文
日本体育協会(体協)と日本リンピック委員会(JOC)が昨年、平成23年(2011年)7月15日に「スポーツ宣言日本、二十一世紀におけるスポーツの使命」と題する宣言文を発表した。ぼくに言わせれば、内容空疎で訴える力のない作文である。
1911年(明治44年)に嘉納治五郎が中心になって「大日本体育協会」を創立した。これが現在の体協とJOCの始まりである。その100周年にあたって、福島、京都、広島の3会場で記念シンポジウムを開き、東京で総括シンポジウムをした。その内容を踏まえて、発表されたのが「スポーツ宣言日本」である。
筑波大学名誉教授の佐伯年詩雄さんが中心になってまとめたものだということである。全文3600字の長文だが、抽象的な文言の羅列で「21世紀のスポーツ」を展望した具体的な提言はなにもない。
★焦点の定まらない抽象表現
「サロン2002」の月例会で、この「宣言」が取り上げられた。「サロン2002」は、サッカーを中心にスポーツ文化を語り合う会である。ぼくは、かなり熱心に参加している。
1月例会では、筑波大学教授の清水諭さんを招いて、この「宣言」制定の経緯などを解説していただいた。清水さんは広島のシンポジウムでコーディネーターを務めている。
「宣言」についての、ぼくの見方は、こうである。
要点は3カ条にまとめて書いてある。1は「豊かな地域生活への寄与」、2は「環境と共生の時代への寄与」、3は「フェアプレーを通じての平和と友好への寄与」である。
それぞれの項目に、スポーツの良さについての「お題目」を無理に関連付けて書き加えているので焦点が定まっていない。いろいろな人の考えを当たり障りなく盛り込もうとした跡が歴然としている。読みにくく分かりにくい。抽象的な表現ばかりで悪文に近い。
★過去も未来も見ていない
体協100年の機会に出す「宣言」だから、これまでの100年を振り返って、良かったところ、間違っていたところ、時代とともに変わったところを検討し、宣言の土台にするのが、ふつうだろう。しかし、過去の総括は、あえて行わなかったという。
過去の総括を踏まえて、めざしている目標、やろうとしている方針を示さなければ「マニュフェスト」とは言えない。そういう具体的なプランは、まったく示されていない。
つまり、過去も未来も見ていなし、語ってもいない。
100年前、嘉納治五郎は「日本体育協会創立とストックホルム・オリンピック大会予選会開催に関する趣旨書」を書いた。表題に具体的な目標が明確に示されている。
また、国民の体力が衰えてきていることを懸念し、体育を振興する必要がある趣旨を、文中で説明している。現状を憂え、未来へ提言している。こちらは格調高い文章である。
サロン2002 1月例会
(1月25日 筑波大附属高校)
★訴える力のない作文
日本体育協会(体協)と日本リンピック委員会(JOC)が昨年、平成23年(2011年)7月15日に「スポーツ宣言日本、二十一世紀におけるスポーツの使命」と題する宣言文を発表した。ぼくに言わせれば、内容空疎で訴える力のない作文である。
1911年(明治44年)に嘉納治五郎が中心になって「大日本体育協会」を創立した。これが現在の体協とJOCの始まりである。その100周年にあたって、福島、京都、広島の3会場で記念シンポジウムを開き、東京で総括シンポジウムをした。その内容を踏まえて、発表されたのが「スポーツ宣言日本」である。
筑波大学名誉教授の佐伯年詩雄さんが中心になってまとめたものだということである。全文3600字の長文だが、抽象的な文言の羅列で「21世紀のスポーツ」を展望した具体的な提言はなにもない。
★焦点の定まらない抽象表現
「サロン2002」の月例会で、この「宣言」が取り上げられた。「サロン2002」は、サッカーを中心にスポーツ文化を語り合う会である。ぼくは、かなり熱心に参加している。
1月例会では、筑波大学教授の清水諭さんを招いて、この「宣言」制定の経緯などを解説していただいた。清水さんは広島のシンポジウムでコーディネーターを務めている。
「宣言」についての、ぼくの見方は、こうである。
要点は3カ条にまとめて書いてある。1は「豊かな地域生活への寄与」、2は「環境と共生の時代への寄与」、3は「フェアプレーを通じての平和と友好への寄与」である。
それぞれの項目に、スポーツの良さについての「お題目」を無理に関連付けて書き加えているので焦点が定まっていない。いろいろな人の考えを当たり障りなく盛り込もうとした跡が歴然としている。読みにくく分かりにくい。抽象的な表現ばかりで悪文に近い。
★過去も未来も見ていない
体協100年の機会に出す「宣言」だから、これまでの100年を振り返って、良かったところ、間違っていたところ、時代とともに変わったところを検討し、宣言の土台にするのが、ふつうだろう。しかし、過去の総括は、あえて行わなかったという。
過去の総括を踏まえて、めざしている目標、やろうとしている方針を示さなければ「マニュフェスト」とは言えない。そういう具体的なプランは、まったく示されていない。
つまり、過去も未来も見ていなし、語ってもいない。
100年前、嘉納治五郎は「日本体育協会創立とストックホルム・オリンピック大会予選会開催に関する趣旨書」を書いた。表題に具体的な目標が明確に示されている。
また、国民の体力が衰えてきていることを懸念し、体育を振興する必要がある趣旨を、文中で説明している。現状を憂え、未来へ提言している。こちらは格調高い文章である。
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サッカー日誌 / 2012年01月24日
用品の歴史を掘り起こそう
前東京協会会長、安田一男さんに聞く
サッカー史研究会1月例会
(1月23日 JFAハウス会議室 )
★戦後復興期から多方面で功績
日本サッカー史研究会の1月例会にゲストとして安田一男さんを招いた。
安田さんは、戦後復興期からのサッカーに、いろいろな面で深く関わってきている。
まず、早稲田大学の選手であり、コーチであり、監督だった。当時は大学が日本のサッカーの主流であり、早稲田がその中心だった。
審判員としても国内、国外で活躍した。試合の笛を吹き、旗を振った回数は、当時の審判員の中で、もっとも多いのではないかと思う。
また、東京都サッカー協会の理事長、会長を長年、務めた。全国の都道府県協会の中で、東京都協会が、もっとも大きく、加盟チームの構成も複雑である。
昨年、東京都協会の会長を勇退したので、時間的余裕ができたのではないかと思い、研究会でお話していただくことをお願いしたら、快く引き受けてくださった。
★サッカー用具業界の話
安田さんのお父さんの重春さんは、1932年(昭和7年)から東京の小石川で「安田靴店」を開いていた。ここはサッカーシューズを注文で作ってくれる数少ない店の一つだった。
長男の一男さんは、早大卒業後、一時、会社勤めをしたが、やがて父親のあとを引き継いでサッカー用具メーカーを経営した。
研究会では、安田さんにいろいろな話をしていただいたが、運動具業界については、他の人からは、なかなか聞けない話だった。
サッカーシューズの裏には、スタッド(ぼっち)という突起が付いている。
1960年ころまでは、この突起はプレーヤーが、それぞれ自分で付け替えた。牛革の切れ端(屑革)を金具で円形に打ち抜いて、それを重ねて「靴釘」で靴裏に釘で打ちつけた。靴釘は、先が柔らかく靴底に入っている薄い鉄板に当たると折れ曲がる釘である。
★古い用具はありませんか?
そのころは、サッカー部の部室には、スタッドを打ち抜くための金具や木製の台や槌が用意されていた。
ボールは中に入っているゴムの袋から細長いチューブが出ていて、そこからポンプで空気を詰めたあと、チューブを中に押し込んで革の紐で入口を閉めた。紐を閉めるためのニードルという金具もあった。
安田さんからサッカー用具の変遷の話を聞きながら、用具の歴史も調べて残しておかなければならないと思った。
サッカー協会のミュージアムにも、そういう古いシューズ、ボール、用具などは、ほとんどないそうだ。古いサッカーシューズやボールや用具を持っている方がおられたら、ぜひ寄贈していただくよう、お願いする。

左が安田さん、右は牛木。
サッカー史研究会1月例会
(1月23日 JFAハウス会議室 )
★戦後復興期から多方面で功績
日本サッカー史研究会の1月例会にゲストとして安田一男さんを招いた。
安田さんは、戦後復興期からのサッカーに、いろいろな面で深く関わってきている。
まず、早稲田大学の選手であり、コーチであり、監督だった。当時は大学が日本のサッカーの主流であり、早稲田がその中心だった。
審判員としても国内、国外で活躍した。試合の笛を吹き、旗を振った回数は、当時の審判員の中で、もっとも多いのではないかと思う。
また、東京都サッカー協会の理事長、会長を長年、務めた。全国の都道府県協会の中で、東京都協会が、もっとも大きく、加盟チームの構成も複雑である。
昨年、東京都協会の会長を勇退したので、時間的余裕ができたのではないかと思い、研究会でお話していただくことをお願いしたら、快く引き受けてくださった。
★サッカー用具業界の話
安田さんのお父さんの重春さんは、1932年(昭和7年)から東京の小石川で「安田靴店」を開いていた。ここはサッカーシューズを注文で作ってくれる数少ない店の一つだった。
長男の一男さんは、早大卒業後、一時、会社勤めをしたが、やがて父親のあとを引き継いでサッカー用具メーカーを経営した。
研究会では、安田さんにいろいろな話をしていただいたが、運動具業界については、他の人からは、なかなか聞けない話だった。
サッカーシューズの裏には、スタッド(ぼっち)という突起が付いている。
1960年ころまでは、この突起はプレーヤーが、それぞれ自分で付け替えた。牛革の切れ端(屑革)を金具で円形に打ち抜いて、それを重ねて「靴釘」で靴裏に釘で打ちつけた。靴釘は、先が柔らかく靴底に入っている薄い鉄板に当たると折れ曲がる釘である。
★古い用具はありませんか?
そのころは、サッカー部の部室には、スタッドを打ち抜くための金具や木製の台や槌が用意されていた。
ボールは中に入っているゴムの袋から細長いチューブが出ていて、そこからポンプで空気を詰めたあと、チューブを中に押し込んで革の紐で入口を閉めた。紐を閉めるためのニードルという金具もあった。
安田さんからサッカー用具の変遷の話を聞きながら、用具の歴史も調べて残しておかなければならないと思った。
サッカー協会のミュージアムにも、そういう古いシューズ、ボール、用具などは、ほとんどないそうだ。古いサッカーシューズやボールや用具を持っている方がおられたら、ぜひ寄贈していただくよう、お願いする。

左が安田さん、右は牛木。
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サッカー日誌 / 2012年01月22日
プロ野球の「うらばなし」
元セリーグ事務局長、渋沢良一さんに聞く
ビバ!サッカー1月例会
(1月20日・東中野「テラハウス」)
★他のスポーツの事情も
新春1月のビバ!サッカー研究会例会は、元セントラル・リーグ事務局長の渋沢良一さんをゲスト講師に迎えて「プロ野球の裏話」を聞いた。
ビバの月例会で、サッカー以外のスポーツをテーマにしたのは初めてである。
いろいろなスポーツは、それぞれ独自の問題を抱えていると同時に、他のスポーツと共通する問題も持っている。ほかのスポーツの事情を知れば、サッカーへの理解を深めるのにも役立つだろう。そういう趣旨で、プロ野球を取り上げた。
巨人を通じてプロ野球に強力な影響力を持つナベツネこと渡辺恒雄さんの人柄、1969年に起きた八百長事件「プロ野球の黒い霧」、1970年代後半の「江川問題」など、いろいろな話が出てきたが、微妙なところもあるので、お話の具体的な内容は当面、公表しないことにした。
★プロ野球の「黒い霧」
1969~71年にわたった「黒い霧」事件は、野球賭博に絡んだ「敗退行為」の事件だった。敗退行為とは、わざと試合に負けるようにプレーすることである。
この事件が起きた当時、ぼくは「サッカーではありえないことだ」と思っていた。
たとえば、イタリアのサッカーには「トトカルチョ」がある。公認の「サッカーの賭け」である。13試合の勝ち、引き分け、負けを予想して、的中すれば莫大な配当金がもらえる。
しかし、全チームのチャンスが同じだとして全試合の結果が的中するのは3の13乗、1,594,323分の1の確率である。約160万のケースの結果を仕組むのは不可能だろう。
また、公認の「賭け」があるのだから、暴力団による非合法の「賭け」は成り立たないだろうと思っていた。堂々と賭けられるのに法律違反の危険を冒す必要はないからである。
だから、サッカーでは賭けにまつわる八百長はないだろうと思っていた。
★サッカーの八百長
しかし、この考えは甘かった。
いま、ヨーロッパと韓国でサッカーの「敗退行為」が問題になり、FIFAは神経をとがらせて防止策に懸命である。
160万分の1のトトカルチョについて「八百長」を仕組むことは事実上、不可能である。トトカルチョは夢を見るためのもので、当たる可能性は、きわめて小さい。
ところが「時には当たる方がいい」と思う人も多い。ときどき当たると、その快感が癖になる。これは競馬、競輪など「当選率のいいギャンブル」の弊害である。
そこに1~数試合の勝敗、あるいは得点を当てる賭けを暴力団が仕組む余地が生まれる。
そういうわけで、サッカーでも「敗退行為」に神経をとがらせる必要がある。プロ野球の「黒い霧」の苦い経験に学ぶことが、いまこそ、必要だろうと考えた。

元セリーグ事務局長、渋沢良一さん。
ビバ!サッカー1月例会
(1月20日・東中野「テラハウス」)
★他のスポーツの事情も
新春1月のビバ!サッカー研究会例会は、元セントラル・リーグ事務局長の渋沢良一さんをゲスト講師に迎えて「プロ野球の裏話」を聞いた。
ビバの月例会で、サッカー以外のスポーツをテーマにしたのは初めてである。
いろいろなスポーツは、それぞれ独自の問題を抱えていると同時に、他のスポーツと共通する問題も持っている。ほかのスポーツの事情を知れば、サッカーへの理解を深めるのにも役立つだろう。そういう趣旨で、プロ野球を取り上げた。
巨人を通じてプロ野球に強力な影響力を持つナベツネこと渡辺恒雄さんの人柄、1969年に起きた八百長事件「プロ野球の黒い霧」、1970年代後半の「江川問題」など、いろいろな話が出てきたが、微妙なところもあるので、お話の具体的な内容は当面、公表しないことにした。
★プロ野球の「黒い霧」
1969~71年にわたった「黒い霧」事件は、野球賭博に絡んだ「敗退行為」の事件だった。敗退行為とは、わざと試合に負けるようにプレーすることである。
この事件が起きた当時、ぼくは「サッカーではありえないことだ」と思っていた。
たとえば、イタリアのサッカーには「トトカルチョ」がある。公認の「サッカーの賭け」である。13試合の勝ち、引き分け、負けを予想して、的中すれば莫大な配当金がもらえる。
しかし、全チームのチャンスが同じだとして全試合の結果が的中するのは3の13乗、1,594,323分の1の確率である。約160万のケースの結果を仕組むのは不可能だろう。
また、公認の「賭け」があるのだから、暴力団による非合法の「賭け」は成り立たないだろうと思っていた。堂々と賭けられるのに法律違反の危険を冒す必要はないからである。
だから、サッカーでは賭けにまつわる八百長はないだろうと思っていた。
★サッカーの八百長
しかし、この考えは甘かった。
いま、ヨーロッパと韓国でサッカーの「敗退行為」が問題になり、FIFAは神経をとがらせて防止策に懸命である。
160万分の1のトトカルチョについて「八百長」を仕組むことは事実上、不可能である。トトカルチョは夢を見るためのもので、当たる可能性は、きわめて小さい。
ところが「時には当たる方がいい」と思う人も多い。ときどき当たると、その快感が癖になる。これは競馬、競輪など「当選率のいいギャンブル」の弊害である。
そこに1~数試合の勝敗、あるいは得点を当てる賭けを暴力団が仕組む余地が生まれる。
そういうわけで、サッカーでも「敗退行為」に神経をとがらせる必要がある。プロ野球の「黒い霧」の苦い経験に学ぶことが、いまこそ、必要だろうと考えた。

元セリーグ事務局長、渋沢良一さん。
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サッカー日誌 / 2012年01月21日
ビバ!サッカー大賞(下)
ザッケローニ監督に男子「殊勲賞」
★今回は男子にも別に三賞
2011年のビバ!サッカー大賞には「女子サッカー開拓の功労者」を選び、その三賞も「なでしこJapan 」から選んだ。
それだけでは、男子に対して不公平である。というわけで今回は、男子サッカーの三賞を別に選ぶことにしする。
皆さん、忘れてはいませんか?
男子の日本代表チームは、1月にカタールで開かれたアジア・カップで優勝した。7月に女子が「世界一」になったので、男子はその陰に隠れてしまったが、男子の「アジア一」も、きちんと評価しておかなくてはならない。
この優勝には2つの意味がある。第1はもちろんアジアのタイトルを取り戻したことである。第2はザッケローニ監督が就任まもなくで手腕を証明したことである。
★監督の用兵を評価、李忠成に敢闘賞
ザッケローニ監督にとって、1月のアジア・カップは難しい大会だった。就任して実質4ヵ月後。初めてのタイトルを賭けた大会だった。しかも、日本サッカー協会は就任するときに、この大会で3位以内に入ることを望んでいた。というのは、4位以下だと次の大会に1次予選から出なければならないからである。低いレベルの国を相手の1次予選に出ると、国際試合の日程が苦しくなり、今後の強化に支障が出る。
ザッケローニ監督は、準備期間が短かったにもかかわらず、この課題をクリアしただけでなく、タイトルを取り戻した。その手腕に殊勲賞である。
決勝戦の延長後半、交代出場した李忠成の決勝点はみごとだった。貢献した選手、その後に活躍した選手はほかにもいるが、あの強烈な印象を記憶に留めるために、李忠成に敢闘賞を贈る。
★柏のフロントに技能賞
Jリーグでは、柏レイソルがJ2から復帰して、たちまちJ1優勝に駆けのぼったのが目覚ましかった。ネルシーニョ監督の手腕が大きかったが、ここは「隠れた功績」にスポットライトを当てる意味で、柏のフロント・スタッフに技能賞を贈る。2010年の夏にJ2落ちが濃厚になったとき、ブラジルから旧知のネルシーニョを連れてきてJ2に落ちたあとも続投させた。J2に落ちても戦力の低下を最低限に食い止めた。その見識を評価する。
「趣旨は分かる気がするが、男子の三賞はタイトルと中身がぴったり来ないなあ」と友人が言う。だが、ビバ!の表彰は自由自在。それでいいのだ。
ぼく個人にとっても、2011年はいろいろなことがあった。なかでも、6月~7月に、どこへ行こうかと迷ったあげく、ドイツへ行ったら「なでしこJapan」の優勝にめぐり合わせた。ドイツ行きの決断は、ぼくとしては「殊勲賞」と「技能賞」だった。
★今回は男子にも別に三賞
2011年のビバ!サッカー大賞には「女子サッカー開拓の功労者」を選び、その三賞も「なでしこJapan 」から選んだ。
それだけでは、男子に対して不公平である。というわけで今回は、男子サッカーの三賞を別に選ぶことにしする。
皆さん、忘れてはいませんか?
男子の日本代表チームは、1月にカタールで開かれたアジア・カップで優勝した。7月に女子が「世界一」になったので、男子はその陰に隠れてしまったが、男子の「アジア一」も、きちんと評価しておかなくてはならない。
この優勝には2つの意味がある。第1はもちろんアジアのタイトルを取り戻したことである。第2はザッケローニ監督が就任まもなくで手腕を証明したことである。
★監督の用兵を評価、李忠成に敢闘賞
ザッケローニ監督にとって、1月のアジア・カップは難しい大会だった。就任して実質4ヵ月後。初めてのタイトルを賭けた大会だった。しかも、日本サッカー協会は就任するときに、この大会で3位以内に入ることを望んでいた。というのは、4位以下だと次の大会に1次予選から出なければならないからである。低いレベルの国を相手の1次予選に出ると、国際試合の日程が苦しくなり、今後の強化に支障が出る。
ザッケローニ監督は、準備期間が短かったにもかかわらず、この課題をクリアしただけでなく、タイトルを取り戻した。その手腕に殊勲賞である。
決勝戦の延長後半、交代出場した李忠成の決勝点はみごとだった。貢献した選手、その後に活躍した選手はほかにもいるが、あの強烈な印象を記憶に留めるために、李忠成に敢闘賞を贈る。
★柏のフロントに技能賞
Jリーグでは、柏レイソルがJ2から復帰して、たちまちJ1優勝に駆けのぼったのが目覚ましかった。ネルシーニョ監督の手腕が大きかったが、ここは「隠れた功績」にスポットライトを当てる意味で、柏のフロント・スタッフに技能賞を贈る。2010年の夏にJ2落ちが濃厚になったとき、ブラジルから旧知のネルシーニョを連れてきてJ2に落ちたあとも続投させた。J2に落ちても戦力の低下を最低限に食い止めた。その見識を評価する。
「趣旨は分かる気がするが、男子の三賞はタイトルと中身がぴったり来ないなあ」と友人が言う。だが、ビバ!の表彰は自由自在。それでいいのだ。
ぼく個人にとっても、2011年はいろいろなことがあった。なかでも、6月~7月に、どこへ行こうかと迷ったあげく、ドイツへ行ったら「なでしこJapan」の優勝にめぐり合わせた。ドイツ行きの決断は、ぼくとしては「殊勲賞」と「技能賞」だった。
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サッカー日誌 / 2012年01月20日
ビバ!サッカー大賞(中)
「なでしこJapan」に三賞
★佐々木監督に技能賞
かずかずの賞を受けた「なでしこJapan」に、さらに賞を重ねることは、ビバ!サッカーの本意ではない。だからグランプリには「日本の女子サッカーの土壌を耕した人と団体」を選んで隠れた功績を顕彰した。
しかし、一方で「ビバ!サッカー大賞」は、その年度の業績を歴史に留めることも趣旨としている。したがって「なでしこJapan」そのものの業績も記録しておかないわけにはいかない。そこで恒例の三賞は、冠に冠を重ねるようではあるが「なでしこJapan」の中から選ぶことにした。
ただし、選考理由で「ビバ!の独自性」を強調することにする。
まず、技能賞は「なでしこJapan」の佐々木則夫監督である。
FIFAの最優秀監督賞受賞者が、なぜ技能賞か?
★女子スポーツ指導の新境地
佐々木監督は選手たちを自ら育てたわけではない。ベレーザなどのクラブが生みだした選手を集めて「なでしこJapan」をまとめあげた。
これは、日本の女子スポーツでは画期的なことである。
女子バレーボールで、1964年の東京オリンピックの金メダルを獲得した大松博文監督は、自分が鍛えた「日紡貝塚」を基礎にチームを作った。1976年のモントリオール・オリンピックで優勝した山田重雄監督は、自分が育てた「日立武蔵」を主力にチームをまとめた。「おれについて来い」といわれた男性監督主導の女子チームだった。
「なでしこJapan」の佐々木監督は違う。
他のクラブが生んだ選手の個性を生かしてチームをまとめた。男子では当たり前のやり方だが、女子スポーツの指導ではユニークである。その手腕に「技能賞」である。
★澤に敢闘賞、海堀に殊勲賞
敢闘賞には澤穂希を選ぶ。FIFAの最優秀選手に「敢闘賞」は失礼だ、という考えもあるだろう。しかし思うに、敢闘したからこそ「最優秀」に選ばれたのである。その「もと」のほうに光を当てたい。
とくに器用なわけではなく、とくにスピードがあるわけではない。それでも万人が認める最優秀になったのは、すぐれた判断力のためである。敢闘の根源は「脳の中」にある。
殊勲賞にはゴールキーパー、海堀あゆみを選ぶ。
ドイツ女子ワールドカップの決勝戦は、延長を含めた120分では米国と2対2の引き分けだった。トロフィーが日本に渡ったのはPK戦の結果である。
PK戦で海堀が相手のシュートを2本止めたのが「世界一」につながった。とくに1本目、逆に飛んだが足に当てて防いだ。見事だった。これこそ殊勲だった。
★佐々木監督に技能賞
かずかずの賞を受けた「なでしこJapan」に、さらに賞を重ねることは、ビバ!サッカーの本意ではない。だからグランプリには「日本の女子サッカーの土壌を耕した人と団体」を選んで隠れた功績を顕彰した。
しかし、一方で「ビバ!サッカー大賞」は、その年度の業績を歴史に留めることも趣旨としている。したがって「なでしこJapan」そのものの業績も記録しておかないわけにはいかない。そこで恒例の三賞は、冠に冠を重ねるようではあるが「なでしこJapan」の中から選ぶことにした。
ただし、選考理由で「ビバ!の独自性」を強調することにする。
まず、技能賞は「なでしこJapan」の佐々木則夫監督である。
FIFAの最優秀監督賞受賞者が、なぜ技能賞か?
★女子スポーツ指導の新境地
佐々木監督は選手たちを自ら育てたわけではない。ベレーザなどのクラブが生みだした選手を集めて「なでしこJapan」をまとめあげた。
これは、日本の女子スポーツでは画期的なことである。
女子バレーボールで、1964年の東京オリンピックの金メダルを獲得した大松博文監督は、自分が鍛えた「日紡貝塚」を基礎にチームを作った。1976年のモントリオール・オリンピックで優勝した山田重雄監督は、自分が育てた「日立武蔵」を主力にチームをまとめた。「おれについて来い」といわれた男性監督主導の女子チームだった。
「なでしこJapan」の佐々木監督は違う。
他のクラブが生んだ選手の個性を生かしてチームをまとめた。男子では当たり前のやり方だが、女子スポーツの指導ではユニークである。その手腕に「技能賞」である。
★澤に敢闘賞、海堀に殊勲賞
敢闘賞には澤穂希を選ぶ。FIFAの最優秀選手に「敢闘賞」は失礼だ、という考えもあるだろう。しかし思うに、敢闘したからこそ「最優秀」に選ばれたのである。その「もと」のほうに光を当てたい。
とくに器用なわけではなく、とくにスピードがあるわけではない。それでも万人が認める最優秀になったのは、すぐれた判断力のためである。敢闘の根源は「脳の中」にある。
殊勲賞にはゴールキーパー、海堀あゆみを選ぶ。
ドイツ女子ワールドカップの決勝戦は、延長を含めた120分では米国と2対2の引き分けだった。トロフィーが日本に渡ったのはPK戦の結果である。
PK戦で海堀が相手のシュートを2本止めたのが「世界一」につながった。とくに1本目、逆に飛んだが足に当てて防いだ。見事だった。これこそ殊勲だった。
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サッカー日誌 / 2012年01月19日
ビバ!サッカー大賞(上)
女子サッカーを育てた人びとに
★苦難の年に明るい話題
例年なら「ジャジャーン!」と鳴り物入りで、ビバ!サッカーが独断と偏見で選ぶ「サッカー大賞」を発表するところだが、2011年度については鳴り物はやめることにする。3月11日の東北大震災の犠牲者、被害者のことを思うと浮かれる気持ちにはならない。地震と津波は人力の及ぶところではないから耐え忍ぶほかはないが、原発事故は人災だ。原発ハンターイ!
日本では民主党政権が右往左往し、中東・アフリカ北部では動乱が続発し、欧州では深刻な経済危機が見舞った。
そういう苦難の年だったが、日本のサッカーでは明るいニュースが続いた。
1月には、男子の日本代表チームがアジアカップで優勝した。
7月には、女子の日本代表チームがワールドカップで優勝した。
★荒地を耕し、種を蒔いた功績
日本のサッカーにとって「なでしこJapan」の世界一が、もっとも大きな話題だったことは確かだろう。わが「ビバ!サッカー」のグランプリにも「なでしこJapan」を選ぶのが当然かもしれない。
しかし、である。「なでしこJapan」は、FIFA や総理大臣や自治体やマスコミから、数え切れないほどの表彰を受けている。その冠の上に冠を重ねるようなことは、ビバ!のとるところではない。
ビバ!サッカーの表彰は、その年度の重要な出来事を記録に留めることを一つの趣旨としている。しかし、それだけではなく、重要だがマスコミが取り上げないような隠れた功績にスポットを当てることも使命としている。というわけで、今回は日本サッカーの荒地を耕し、女子サッカーの種をまいた先覚者、功労者に大賞を差し上げることにする。
★1960年代からの開拓者
「女子サッカー初期の功労者って誰なんだ? 特定できるのか?」
そういう声が聞こえてくる。
権威あるわがビバ!サッカーの表彰は、賞状も賞金もなく、ただ、その意義を歴史に留めるだけである。したがって、表彰状を渡す人物あるいは団体を特定する必要はない。不特定多数の功績にも陽を当てることができる。
個人的に知っている人を取り上げれば、1960年代に関西で神戸女学院にサッカーを始めさせた田辺五兵衛さん、読売サッカークラブでベレーザのもとをはじめた相川亮一コーチなどが浮かぶ。1990年代のバブル崩壊期に多くのスポンサーが撤退したなかで、苦境を支えた少数の企業や個人も含めたい。そのほかにも、いろいろな個人や団体があるだろう。
「なでしこ」が花開いたのは、そういう人たちが土壌を作ったからである。
★苦難の年に明るい話題
例年なら「ジャジャーン!」と鳴り物入りで、ビバ!サッカーが独断と偏見で選ぶ「サッカー大賞」を発表するところだが、2011年度については鳴り物はやめることにする。3月11日の東北大震災の犠牲者、被害者のことを思うと浮かれる気持ちにはならない。地震と津波は人力の及ぶところではないから耐え忍ぶほかはないが、原発事故は人災だ。原発ハンターイ!
日本では民主党政権が右往左往し、中東・アフリカ北部では動乱が続発し、欧州では深刻な経済危機が見舞った。
そういう苦難の年だったが、日本のサッカーでは明るいニュースが続いた。
1月には、男子の日本代表チームがアジアカップで優勝した。
7月には、女子の日本代表チームがワールドカップで優勝した。
★荒地を耕し、種を蒔いた功績
日本のサッカーにとって「なでしこJapan」の世界一が、もっとも大きな話題だったことは確かだろう。わが「ビバ!サッカー」のグランプリにも「なでしこJapan」を選ぶのが当然かもしれない。
しかし、である。「なでしこJapan」は、FIFA や総理大臣や自治体やマスコミから、数え切れないほどの表彰を受けている。その冠の上に冠を重ねるようなことは、ビバ!のとるところではない。
ビバ!サッカーの表彰は、その年度の重要な出来事を記録に留めることを一つの趣旨としている。しかし、それだけではなく、重要だがマスコミが取り上げないような隠れた功績にスポットを当てることも使命としている。というわけで、今回は日本サッカーの荒地を耕し、女子サッカーの種をまいた先覚者、功労者に大賞を差し上げることにする。
★1960年代からの開拓者
「女子サッカー初期の功労者って誰なんだ? 特定できるのか?」
そういう声が聞こえてくる。
権威あるわがビバ!サッカーの表彰は、賞状も賞金もなく、ただ、その意義を歴史に留めるだけである。したがって、表彰状を渡す人物あるいは団体を特定する必要はない。不特定多数の功績にも陽を当てることができる。
個人的に知っている人を取り上げれば、1960年代に関西で神戸女学院にサッカーを始めさせた田辺五兵衛さん、読売サッカークラブでベレーザのもとをはじめた相川亮一コーチなどが浮かぶ。1990年代のバブル崩壊期に多くのスポンサーが撤退したなかで、苦境を支えた少数の企業や個人も含めたい。そのほかにも、いろいろな個人や団体があるだろう。
「なでしこ」が花開いたのは、そういう人たちが土壌を作ったからである。
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サッカー日誌 / 2012年01月18日
高校選手権2011観戦記(7)
勝ちにこだわった市船の優勝
第7日 決勝(1月9日 東京・国立競技場)
市立船橋(千葉)2対1(延長) 四日市中央工(三重)
★試合経過はドラマティック
高校選手権の決勝を見た人たちから「すばらしい試合でしたね」という感想を聞いた。国立競技場で見た人からも、テレビで見た人からも聞いた。多くの人を「ハラハラ、ドキドキ」させるものがあったのだろう。
四日市中央工が開始1分にコーナーキックから先取点を挙げる。そのあと市立船橋が、優勢に試合を進めるが攻めきれない。
1対0のまま終わるかと思われたが、船橋が後半、追加時間に入ってから、これもコーナーキックから得点して同点。延長後半5分にエース和泉竜司の攻め込みで決勝点。9大会ぶり5度目の優勝となった。
四中工は、あと2分持ちこたえれば優勝できたところだった。
こういうふうに試合経過をみると、なかなかスリリングで劇的だった。
★試合内容には不満
しかし、多くの人たちの感想とは違って、ぼくは決勝戦の内容に、いささか不満だった。
四中工の先取点から船橋の同点までの90分間、どちらのチームにも、いい形の攻めがなかった。試合開始直後の1点も、終了どたん場の同点も、コーナーキックからである。
四中工はリードを守ろうとする。守りは巧みだったが、あまり攻めに出ない。
船橋は守備ラインを押し上げて、相手の蹴り出したボールを拾うが、前半は縦に大きく蹴るだけ。後半に和泉を中心につないで攻め始めたが攻めきれない。
活発な攻め合いになったのは、延長になってからである。
船橋の決勝点は見事な攻めだったが、それも、四中工が攻めに出て前がかりになり、4人守備ラインが孤立しているところへ攻め込んだものだった。
船橋が試合運びで四中工を上回っての逆転だった。
★理想の指導と選手権の戦い
船橋も四中工も、リスクを冒してゴールを襲うのを避け、失点を恐れて守りに重きを置いていた。守りは厳しく、巧みだったが、攻めは攻めきれない。
「決勝戦らしく、手綱を解き放って奔放に攻めあって欲しかった」と思うのは、思い込みで古い高校サッカーのイメージを追う老記者の繰りごとだろうか?。
「(いいサッカーをめざすより)勝ちにこだわる試合をする」というのが船橋の朝岡隆蔵監督の方針であり、選手たちの心掛けだった。頂点をめざす以上は、勝ち抜くことにこだわらなければならないのは当然かもしれない。
一方で「高校サッカーのあり方がこれでいいのか」という考えもある。高校の監督たちは、そのジレンマに身を置きながら指導し、戦っている。
この問題は、改めて考えてみることにしたい。

試合開始前の国立競技場千駄ヶ谷門。
第7日 決勝(1月9日 東京・国立競技場)
市立船橋(千葉)2対1(延長) 四日市中央工(三重)
★試合経過はドラマティック
高校選手権の決勝を見た人たちから「すばらしい試合でしたね」という感想を聞いた。国立競技場で見た人からも、テレビで見た人からも聞いた。多くの人を「ハラハラ、ドキドキ」させるものがあったのだろう。
四日市中央工が開始1分にコーナーキックから先取点を挙げる。そのあと市立船橋が、優勢に試合を進めるが攻めきれない。
1対0のまま終わるかと思われたが、船橋が後半、追加時間に入ってから、これもコーナーキックから得点して同点。延長後半5分にエース和泉竜司の攻め込みで決勝点。9大会ぶり5度目の優勝となった。
四中工は、あと2分持ちこたえれば優勝できたところだった。
こういうふうに試合経過をみると、なかなかスリリングで劇的だった。
★試合内容には不満
しかし、多くの人たちの感想とは違って、ぼくは決勝戦の内容に、いささか不満だった。
四中工の先取点から船橋の同点までの90分間、どちらのチームにも、いい形の攻めがなかった。試合開始直後の1点も、終了どたん場の同点も、コーナーキックからである。
四中工はリードを守ろうとする。守りは巧みだったが、あまり攻めに出ない。
船橋は守備ラインを押し上げて、相手の蹴り出したボールを拾うが、前半は縦に大きく蹴るだけ。後半に和泉を中心につないで攻め始めたが攻めきれない。
活発な攻め合いになったのは、延長になってからである。
船橋の決勝点は見事な攻めだったが、それも、四中工が攻めに出て前がかりになり、4人守備ラインが孤立しているところへ攻め込んだものだった。
船橋が試合運びで四中工を上回っての逆転だった。
★理想の指導と選手権の戦い
船橋も四中工も、リスクを冒してゴールを襲うのを避け、失点を恐れて守りに重きを置いていた。守りは厳しく、巧みだったが、攻めは攻めきれない。
「決勝戦らしく、手綱を解き放って奔放に攻めあって欲しかった」と思うのは、思い込みで古い高校サッカーのイメージを追う老記者の繰りごとだろうか?。
「(いいサッカーをめざすより)勝ちにこだわる試合をする」というのが船橋の朝岡隆蔵監督の方針であり、選手たちの心掛けだった。頂点をめざす以上は、勝ち抜くことにこだわらなければならないのは当然かもしれない。
一方で「高校サッカーのあり方がこれでいいのか」という考えもある。高校の監督たちは、そのジレンマに身を置きながら指導し、戦っている。
この問題は、改めて考えてみることにしたい。

試合開始前の国立競技場千駄ヶ谷門。
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サッカー日誌 / 2012年01月14日
高校選手権2011観戦記(6)
試合運び巧みな市立船橋
第6日 準決勝(1月7日 東京・国立競技場)
市立船橋(千葉)2対1大分(大分)
四日市中央工(三重)6対1尚志(福島)
★また「リスタートから!」
準決勝第1試合は市立船橋対大分。1点差だが内容は船橋の完勝だった。
船橋の先取点は前半24分。正面20メートル余りからのフリーキックを渡辺健斗が直接決めた。船橋の得点はフリーキックやコーナーキックからが多い。「また、リスタートからか!」と思ったが、相手の守りのなかに食い込むことが難しければ、その周辺から蹴り込む機会を生かすのも一つの手だろう。
船橋は前半、後ろでパスを回しながら、ゆっくりチャンスをうかがっていた。しかし、先取点を挙げてからは速いパスを組み立てる得意の攻めになり、後半11分に前線の3人でパスをつないで2点目を加えた。
大分は前半、守りを固めて引きぎみだった。中盤から厳しく出てくる攻撃的なサッカーをしなかった。
★最後には「時間稼ぎ」も
前半の大分の出方が予想外だったので、船橋の選手たちは様子を見て、状況によって攻め方を変えたらしい。試合後に船橋の朝岡隆蔵監督は「選手たちが経験知を生かして柔軟に対応してくれた」と話した。言葉を変えれば「都会地のチームらしく試合経験が多くて試合運びが巧妙だ」ということだろう。
後半36分に大分がコーナーキックを生かして1点差に。残り「9分+追加時間」である。
ここで船橋は、ショートコーナーでボールを回したり、ゆっくりと選手交代をしたり、倒れた選手がなかなか起き上がらなかったりと、時間稼ぎをはじめた。
「高校生らしくない」プレーだが、これも「巧妙な試合運び」なんだろう。
大分は「これまでは2トップだったのを1トップにした」(朴英雄監督)という。船橋の攻撃の中心である和泉竜司の足技を警戒しすぎたようだ。
★四中工が意外な大勝
準決勝第2試合は、四日市中央工業対尚志。6対1と意外な大差になった。しかし、試合内容では、それほど大きな差はなく、むしろ尚志のほうが攻勢、シュート数の記録は15本対14本で尚志のほうが多かった。
前半35分に四中工がコーナーキックを生かし国吉祐介のシュートで先制した。「練習していたセットプレー」のパターンが、うまく当たったのだといいいう。この1点が大差になる分かれ目となった。
尚志は、反撃に出ようとますます前がかりになり、その裏をつかれて、次々と失点した。四中工では、2点を挙げた浅野琢磨の長いドリブルが効いていた。
尚志は震災・原発事故の被害地からの参加でベスト4へ進出し注目を集めていたが、試合運びが「まとも」過ぎた。

決勝に進出した四中工のバス。
第6日 準決勝(1月7日 東京・国立競技場)
市立船橋(千葉)2対1大分(大分)
四日市中央工(三重)6対1尚志(福島)
★また「リスタートから!」
準決勝第1試合は市立船橋対大分。1点差だが内容は船橋の完勝だった。
船橋の先取点は前半24分。正面20メートル余りからのフリーキックを渡辺健斗が直接決めた。船橋の得点はフリーキックやコーナーキックからが多い。「また、リスタートからか!」と思ったが、相手の守りのなかに食い込むことが難しければ、その周辺から蹴り込む機会を生かすのも一つの手だろう。
船橋は前半、後ろでパスを回しながら、ゆっくりチャンスをうかがっていた。しかし、先取点を挙げてからは速いパスを組み立てる得意の攻めになり、後半11分に前線の3人でパスをつないで2点目を加えた。
大分は前半、守りを固めて引きぎみだった。中盤から厳しく出てくる攻撃的なサッカーをしなかった。
★最後には「時間稼ぎ」も
前半の大分の出方が予想外だったので、船橋の選手たちは様子を見て、状況によって攻め方を変えたらしい。試合後に船橋の朝岡隆蔵監督は「選手たちが経験知を生かして柔軟に対応してくれた」と話した。言葉を変えれば「都会地のチームらしく試合経験が多くて試合運びが巧妙だ」ということだろう。
後半36分に大分がコーナーキックを生かして1点差に。残り「9分+追加時間」である。
ここで船橋は、ショートコーナーでボールを回したり、ゆっくりと選手交代をしたり、倒れた選手がなかなか起き上がらなかったりと、時間稼ぎをはじめた。
「高校生らしくない」プレーだが、これも「巧妙な試合運び」なんだろう。
大分は「これまでは2トップだったのを1トップにした」(朴英雄監督)という。船橋の攻撃の中心である和泉竜司の足技を警戒しすぎたようだ。
★四中工が意外な大勝
準決勝第2試合は、四日市中央工業対尚志。6対1と意外な大差になった。しかし、試合内容では、それほど大きな差はなく、むしろ尚志のほうが攻勢、シュート数の記録は15本対14本で尚志のほうが多かった。
前半35分に四中工がコーナーキックを生かし国吉祐介のシュートで先制した。「練習していたセットプレー」のパターンが、うまく当たったのだといいいう。この1点が大差になる分かれ目となった。
尚志は、反撃に出ようとますます前がかりになり、その裏をつかれて、次々と失点した。四中工では、2点を挙げた浅野琢磨の長いドリブルが効いていた。
尚志は震災・原発事故の被害地からの参加でベスト4へ進出し注目を集めていたが、試合運びが「まとも」過ぎた。

決勝に進出した四中工のバス。
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サッカー日誌 / 2012年01月13日
高校選手権2011観戦記(5)
今回のベスト4は「やや小粒」?
第5日 準々決勝(1月5日・駒澤競技場)
四日市中央工(三重)2対2(PK)中京大中京(愛知)
市立船橋(千葉)2対0矢板中央(栃木)
★バックスタンドで観戦
準々決勝は2会場で2試合ずつ。自宅から比較的近い駒澤競技場に行く。
メーンスタンドの記者席に座らないでバックスタンドにもぐりこんだ。南西からの日ざしが暖かいからである。風はやや強いが快晴。
第一試合は四日市中央工業対中京大附属中京。
中京は宮市剛のワントップを生かす攻めである。宮市はアーセナルに行った宮市亮の弟で身長1メートル85の長身。テクニックに柔らかさがあり、速さもあり、シュート力もある。判断もいいように見えた。前半17分の先取点はみごとだった。
中盤の左サイド2人も1年生。守備ラインの応和祐希も1年生。応和は1メートル80で守りの中心である。中京は名古屋グランパスのユースなど中部地区のクラブ育ちを集めているらしい。岡山哲也監督はグランパスからの出向だという。若い素材を伸ばして欲しいものだ。
★劇的同点、PK戦で四中工がベスト4
四中工は、3年生の主将国吉祐介が攻守のかなめである。4人の守備ラインの前に「アンカー」として立ち、守りをチェックし、攻めの起点になる。体格もいい。将来を期待できそうである。トップの2年生浅野拓磨の速いドリブルと積極的な姿勢、左サイド田村大樹の攻め上がりなどが面白かった。適材適所という感じの布陣だ。
前半35分に四中工が追いついたが、後半8分に中京が正面のフリーキックを直接決めてリード。そのまま終わりそうな形勢だった。
ところが追加時間(2分)に入ったとたんに、四中工が自陣内でフリーキックを得た。相手のゴールまで65メートルほどの距離だった。残り時間がないので大きく前線へ蹴る。ボールは風に乗ってペナルティエリアまで飛び、そこで国吉がヘディングに競り勝ってつなぎ、浅野がボレーで決めて劇的な同点。PK戦で四日市がベスト4に進んだ。
★船橋、こすからく2得点
第2試合は市立船橋対矢板中央。
バックスタンドから向こう側を双眼鏡で覗いたら、矢板ベンチに元帝京高の名監督、古沼貞雄さんがデンと座っていた。矢板の「軍師」というところだろうか。
船橋は速いつなぎ、矢板は縦へ蹴るという形。船橋が優勢だったが、ともに決定的な攻めは作れない。
船橋の前半の1点は左コーナー近くのフリーキックからのヘディング、後半の1点は右コーナーキックからのヘディングだった。こすからく、リスタートのチャンスを作って点を取るといった感じである。
埼玉スタジアムでは、大分(大分)と尚志(福島)が勝ち進んだ。
今回のベスト4は、ややスケールが小さいような気がするが、どうだろうか?

囲み取材を受ける四中工の樋口士郎監督。
第5日 準々決勝(1月5日・駒澤競技場)
四日市中央工(三重)2対2(PK)中京大中京(愛知)
市立船橋(千葉)2対0矢板中央(栃木)
★バックスタンドで観戦
準々決勝は2会場で2試合ずつ。自宅から比較的近い駒澤競技場に行く。
メーンスタンドの記者席に座らないでバックスタンドにもぐりこんだ。南西からの日ざしが暖かいからである。風はやや強いが快晴。
第一試合は四日市中央工業対中京大附属中京。
中京は宮市剛のワントップを生かす攻めである。宮市はアーセナルに行った宮市亮の弟で身長1メートル85の長身。テクニックに柔らかさがあり、速さもあり、シュート力もある。判断もいいように見えた。前半17分の先取点はみごとだった。
中盤の左サイド2人も1年生。守備ラインの応和祐希も1年生。応和は1メートル80で守りの中心である。中京は名古屋グランパスのユースなど中部地区のクラブ育ちを集めているらしい。岡山哲也監督はグランパスからの出向だという。若い素材を伸ばして欲しいものだ。
★劇的同点、PK戦で四中工がベスト4
四中工は、3年生の主将国吉祐介が攻守のかなめである。4人の守備ラインの前に「アンカー」として立ち、守りをチェックし、攻めの起点になる。体格もいい。将来を期待できそうである。トップの2年生浅野拓磨の速いドリブルと積極的な姿勢、左サイド田村大樹の攻め上がりなどが面白かった。適材適所という感じの布陣だ。
前半35分に四中工が追いついたが、後半8分に中京が正面のフリーキックを直接決めてリード。そのまま終わりそうな形勢だった。
ところが追加時間(2分)に入ったとたんに、四中工が自陣内でフリーキックを得た。相手のゴールまで65メートルほどの距離だった。残り時間がないので大きく前線へ蹴る。ボールは風に乗ってペナルティエリアまで飛び、そこで国吉がヘディングに競り勝ってつなぎ、浅野がボレーで決めて劇的な同点。PK戦で四日市がベスト4に進んだ。
★船橋、こすからく2得点
第2試合は市立船橋対矢板中央。
バックスタンドから向こう側を双眼鏡で覗いたら、矢板ベンチに元帝京高の名監督、古沼貞雄さんがデンと座っていた。矢板の「軍師」というところだろうか。
船橋は速いつなぎ、矢板は縦へ蹴るという形。船橋が優勢だったが、ともに決定的な攻めは作れない。
船橋の前半の1点は左コーナー近くのフリーキックからのヘディング、後半の1点は右コーナーキックからのヘディングだった。こすからく、リスタートのチャンスを作って点を取るといった感じである。
埼玉スタジアムでは、大分(大分)と尚志(福島)が勝ち進んだ。
今回のベスト4は、ややスケールが小さいような気がするが、どうだろうか?

囲み取材を受ける四中工の樋口士郎監督。
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サッカー日誌 / 2012年01月12日
高校選手権2011観戦記(4)
被災地福島の尚志がPK勝ち
第4日 3回戦(1月3日)
尚志(福島) 3対3(PK)桐光(神奈川)
横浜ニッパツ三ツ沢:tvk
矢板中央(栃木) 1対1(PK) 国学院久我山(東京B)
埼玉スタジアム:日本テレビ
★テレビ多チャンネル観戦
3回戦はテレビで観戦した。駒澤競技場に行く予定にしていたのだが、わが故郷の新潟代表も、わが居住地の東京A代表も敗退したので取り止めた。
高校サッカー選手権は、東京の日本テレビをキー局に全国の民間放送43社で中継されている。全試合が電波にのり、出場校の地元では必ず見ることができる。しかし全試合をどこでも見られるわけではない。
BSとCSのチャンネルを使えば、技術的には全試合の映像を全国で放映できるのだろうが、これはテレビ会社側の経営、編成、系列の都合で簡単ではないようだ。
東京都三鷹市にあるぼくの家は、地元のケーブルテレビに加入していて日本テレビのほか埼玉、神奈川の地方局の番組も見ることができる。というわけで、この日は埼玉と神奈川の会場の試合を自宅で見ることにした。
★人混みの中で「個の力」を出せない
まず、午後0時5分から横浜のニッパツ三ツ沢球技場で行われた桐光学園(神奈川)対尚志(福島)の中継を見た。
桐光は首都圏のチームらしい足技とパスのチームのようだ。しかし、それが生かされているのは中盤だけで、ゴール前への進入は「放り込み」と「走りこみ」である。ゴール前の「人混み」の中で個人技による決定的なプレーはできない。
尚志は東北大震災の被災地からの参加で話題になっている。守備ラインの前に3人を並べる「3人ボランチ」で守りを固め、逆襲をねらうということだった。残念ながらテレビの画面では全体の布陣は分かりにくい。
前半に尚志が1対0とリード。しかし後半は点の取り合いで、一時は桐光が3対2と逆転した。
★PK戦用にGK交代
尚志は後半、逆転されたあと、メンバー交代をして「3人ボランチ」を「2人ボランチ」にして攻勢に転じたらしい。それが実って3対3の同点。
PK戦では、桐光の最初の2人が外し、尚志は4人目まできちんと決めた。足技の都会チームはPK戦に弱いようだ。被災地のチームが恵まれたことを祝福したい。
続いて、埼玉スタジアムの矢板中央(栃木)対国学院久我山(東京B)を見た。矢板中央が立ち上がり23秒で先取点。しかし国学院久我山が14分に追いついて、これも引き分け、PK戦になった。PK戦では、国学院久我山の3人目がゴールキーパーに止められた。
矢板が、後半終了の30秒前にPK戦に備えてゴールキーパーを交代したのが当たった。
そのほかの注目カードでは、市立船橋(神奈川)が清水商(静岡)に3対0で完勝。大分が青森山田に1対0で勝った。

競技場のテレビ中継車。
第4日 3回戦(1月3日)
尚志(福島) 3対3(PK)桐光(神奈川)
横浜ニッパツ三ツ沢:tvk
矢板中央(栃木) 1対1(PK) 国学院久我山(東京B)
埼玉スタジアム:日本テレビ
★テレビ多チャンネル観戦
3回戦はテレビで観戦した。駒澤競技場に行く予定にしていたのだが、わが故郷の新潟代表も、わが居住地の東京A代表も敗退したので取り止めた。
高校サッカー選手権は、東京の日本テレビをキー局に全国の民間放送43社で中継されている。全試合が電波にのり、出場校の地元では必ず見ることができる。しかし全試合をどこでも見られるわけではない。
BSとCSのチャンネルを使えば、技術的には全試合の映像を全国で放映できるのだろうが、これはテレビ会社側の経営、編成、系列の都合で簡単ではないようだ。
東京都三鷹市にあるぼくの家は、地元のケーブルテレビに加入していて日本テレビのほか埼玉、神奈川の地方局の番組も見ることができる。というわけで、この日は埼玉と神奈川の会場の試合を自宅で見ることにした。
★人混みの中で「個の力」を出せない
まず、午後0時5分から横浜のニッパツ三ツ沢球技場で行われた桐光学園(神奈川)対尚志(福島)の中継を見た。
桐光は首都圏のチームらしい足技とパスのチームのようだ。しかし、それが生かされているのは中盤だけで、ゴール前への進入は「放り込み」と「走りこみ」である。ゴール前の「人混み」の中で個人技による決定的なプレーはできない。
尚志は東北大震災の被災地からの参加で話題になっている。守備ラインの前に3人を並べる「3人ボランチ」で守りを固め、逆襲をねらうということだった。残念ながらテレビの画面では全体の布陣は分かりにくい。
前半に尚志が1対0とリード。しかし後半は点の取り合いで、一時は桐光が3対2と逆転した。
★PK戦用にGK交代
尚志は後半、逆転されたあと、メンバー交代をして「3人ボランチ」を「2人ボランチ」にして攻勢に転じたらしい。それが実って3対3の同点。
PK戦では、桐光の最初の2人が外し、尚志は4人目まできちんと決めた。足技の都会チームはPK戦に弱いようだ。被災地のチームが恵まれたことを祝福したい。
続いて、埼玉スタジアムの矢板中央(栃木)対国学院久我山(東京B)を見た。矢板中央が立ち上がり23秒で先取点。しかし国学院久我山が14分に追いついて、これも引き分け、PK戦になった。PK戦では、国学院久我山の3人目がゴールキーパーに止められた。
矢板が、後半終了の30秒前にPK戦に備えてゴールキーパーを交代したのが当たった。
そのほかの注目カードでは、市立船橋(神奈川)が清水商(静岡)に3対0で完勝。大分が青森山田に1対0で勝った。

競技場のテレビ中継車。
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