サッカー日誌 / 2009年11月26日


「雲を抜けて、太陽へ!」 


岡野俊一郎さんの自伝
発行 東京新聞出版部 2009年 1333円+税

★貴重な日本スポーツ史の資料
 岡野俊一郎さんの自伝が発売されている。2008年9月1日から12月27日まで96回にわたって東京新聞と中日新聞の夕刊に「この道」というタイトルで連載されたものをまとめたものである。書名は「雲を抜けて、太陽へ!」。
 東大、日本代表でサッカー選手であり、サッカー協会、日本体育協会、FIFAの役員を務め、国際オリンピック委員会(IOC)委員である。太平洋戦争中から、敗戦、戦後の復興、そして日本のスポーツの発展、サッカーの興隆とともに歩み、貢献をしてきた。その思い出を淡々と平明な文章で綴っている。貴重な日本スポーツ史の資料である。
 岡野さんの業績は、十分に知っているつもりだったが、新聞連載中に読んで「ほう、そうだったのか」と改めて裏を知った話も多い。2002年日韓ワールドカップのときの日本代表チームの監督にトルシエを選んだときの話なども、その一つである。

★自由な校風とサッカー
 岡野さんは戦時中に東京都立の五中(旧制)に入学した。在学中に学校制度が変わり、五中がそのまま新制の小石川高校になった。同じ学校に6年間続けて在学したわけである。
 五中は大正7年の創立のときから、英国のパブリック・スクールを理想として自由なジェントルマン教育をしてきた。そしてサッカーが校技だった。そういう学校に6年間いたことは、岡野さんの恵まれた境涯のなかでも、もっとも恵まれたことではないかと思う。
 学校の校章の入っているノートの裏に「よく遊び、よく眠れ。暇があったら勉強しろ」と印刷してあったという。学期末試験のとき監督の先生がいないこともあったという。「勉強はやらされるものではなく、自分の意思でやるものだということだ。ある意味では非常に厳しい考えである」と岡野さんは書いている。そういう校風のなかで、サッカーも自ら学んだ。それが素質と個性を伸ばしたのだと思う。

★自分の考えを自由にグラウンドで
 岡野さんは五中、小石川高校、東大で「試合の反省、練習で気づいたこと、そして海外からの情報をノートにつけていた。そしてそれを実戦で生かしてきた」という。「人から指図されず、自分で考えたことをグラウンドで自由にやれる。サッカーが一番好きな理由は、そのことだったのかもしれない」
 どの学校でも、五中のような教育をすべきだというつもりはない。いろいろな校風の教育があっていい。誰でも、岡野さんのように、のびのびと自分で考えてサッカーができるというつもりもない。人それぞれに独自の個性がある。
 しかし、つい、思いは、この国のサッカーのことになる。
 すぐれた素質の若者を集め、同じようなトレーニングをさせ、同じようなプレーを教えこんでいる国から、世界のトップクラスのプレーヤーは生まれないだろうと。

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サッカー日誌 / 2009年11月23日


南ア・香港遠征の成果は?


アジアカップ予選A組 香港 0対4 日本
11月18日(水) 香港
テレビ中継 NHK BS-7(日本時間19:30から)

★俊輔が軸の手慣れた布陣
 日本代表チームは、南アフリカへの遠征の帰途に、香港でも試合をした。南アフリカとの親善試合は翌年のワールドカップに備える強化のため。香港との試合はアジアカップ予選の公式戦である。
 香港戦の日本の布陣は、中村俊輔を軸に、これまでにも試みた組み合わせだった。公式戦のグループ・リーグだから手堅く勝ち星を積み上げたいという考えだろう。俊輔(エスパニョール)に長谷部(ウォルフスブルク)、松井(グルノーブル)を加えて中盤を構成したのは、欧州組がコンビを組める貴重な機会を生かしてチームになじませる意味もある。国内組の遠藤保仁、中村憲剛を加えて中盤のメンバーは固まっている
 センターバックは、中澤と闘莉王が頼りだが、年齢的に峠を越えておりケガも心配である。ディフェンダーは3人目、4人目が浮かび上がっていない。

★岡崎登場も得点力不足
 香港からのテレビ生中継だったが、帰宅が遅くなり、家に帰ってテレビをつけたら後半25分だった。1対0。「え、1点しか入ってないの?」とびっくりである。10月8日に静岡の日本平で行われた日本のホームの試合は6対0だったから「アウェーでも楽勝だろう」という考えが頭の中に忍び込んでいたようだ。
 でも、すぐに遠藤からのパスで佐藤寿人のヘディングによる2点目が入り、続いて俊輔のフリーキックと岡崎慎司のPKで、結局、4対0になった。
 それにしても、終わり近くまで70分余りの間に1点だけとは情けない。静岡のとき、香港はレギュラーのディフェンダーが3人来られなかったということだったが、地元に帰ってメンバーがそろえば、やっぱり簡単に点をとらせてはくれないのか、岡崎が登場しても日本の得点力不足はまだ解決していないな、と考えた。

★攻め手の変化と個人の強さが必要
 日本の前線は岡崎と大久保嘉人のツートップだった。
 ビデオで最初から見返してみると、前半15分過ぎからは日本が攻め続けている。岡田監督が強調していた速いパスの組み立てや、低くて速いクロスによる攻めを実行している。それでも点が入らない。前半33分の1点は長谷部の20㍍余のミドルシュートだった。
 相手が引いてゴール前を厚く守り、キープレーヤーを厳しくマークされると、決まりきった攻めでは崩せない。状況に応じた攻め手の変化が必要である。現在の日本代表チームは、それが乏しい。
 ワールドカップの本番では、格上の相手に対して守りからの逆襲速攻しかできないこともあるだろう。その場合には個人の強さと速さが必要である。いまのところ、それもない。
 10日間の南ア・香港遠征の成果は乏しかったのではないだろうか?

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サッカー日誌 / 2009年11月15日


南アフリカ対日本戦のテレビ中継


南アフリカ 0対0 日本
11月14日(土) ポートエリザベス
テレビ中継 テレビ東京
(日本時間23:50から。1時間20分遅れ)

★フィールドと新布陣の明と暗
 日本代表が南アフリカに遠征して行われた親善試合は、現地時間午後3時半(日本時間午後10時半)開始だった。太陽が西に傾き、キックオフのときはフィールドの手前3分の1ほどがメーンスタンドの屋根の影で暗く、向こう側は夕日に輝いて明るかった。テレビ画面は、明暗があると調節が難しいらしく、前半は影の部分が見にくかった。
 日本は、前日にスペインから駆け付けた中村俊輔を前半はベンチに置き、稲本をワン・ボランチにして長谷部と遠藤を中盤の前に出し、本田が右、大久保が左、トップは岡崎だった。最初は攻勢で長谷部と岡崎のミドル・シュートがあったが、その後は南アフリカに盛り返されて、ほぼ互角。画面は明るい部分が多かったが、日本の試合ぶりには、あまり明るい材料はなかった。ワールドカップのための強化試合だから、新しい布陣を試みてみたことに多少の明るさがあったというしかない。

★「四強宣言」のひとり歩き
 後半14分に俊輔が交代出場したころから、スタンドの影が全面に広がり、テレビカメラの露出が調節しやすくなったようで、フィールドは暗いが画面は見やすくなった。
 日本の試合ぶりは、俊輔中心の手慣れた攻めで分かりやすくなった。しかし、前線には岡崎と大久保を並べたものの決定力不足は以前と同じ。結局、0対0の引き分けで、格別に明るくはならなかった。
 ネルソン・マンデラ・ベイ競技場はワールドカップで準々決勝の会場に予定されている。アナウンサーは「ベスト4をめざす日本は、来年ここで試合をすることになるかもしれません」とコメントしていた。そりゃ、ここで試合をする「可能性」はあるさ。でも準々決勝で試合をするには、まずグループ・リーグを突破しなきゃあね。岡田監督の不用意な「四強宣言」がテレビを通じて「ひとり歩き」している。

★本番で1勝も無理?
 テレビで見た限り、この日の試合ぶりでは「四強」どころか、本番で1勝もおぼつかない。テレビが根拠のない見通しを振りまいて、多くの人々に過大な期待を持たせるのは困るな、と思った。南アフリカも個人のテクニックと戦術能力では日本と同じレベルに見えたが、地元の利があるし、これからさらに伸びる潜在能力は大きそうだから、こちらはグループ・リーグ突破を望めるかもしれない。
 もちろん、日本にも望みがないわけではない。今後の7ヵ月間でチームとしてさらにまとまるかもしれないし、今回は出場しなかった選手で新しい組み合わせができるかもしれない。でも、この試合では、そういう明るさは感じられなかった。
 中継の解説は湘南ベルマーレ監督の反町康治だった。きびしい評価を聞きたかったけど、「わっしょい」の好きなテレビで、そんな話をしたら今後は使ってもらえないかもね。

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サッカー日誌 / 2009年11月12日


ACL決勝戦から(下)


アジア・リーグの将来に不安
浦項スティーラーズ 2対1 アルイテハド
11月7日(土) 国立競技場

★あて外れの決勝日本開催
 ACLの大会方式は、2009年度から大きく変わった。決勝戦をホーム・アンド・アウェーではなく、あらかじめ決められた会場での一発勝負にしたのも、その一つである。
 そこで日本が会場地に立候補して、決勝は東京の国立競技場で開催されることになったのだが、日本からは4チームが参加しながらことごとく敗退し、決勝戦は外国同士のカードになった。日本サッカー協会にとっては大きな当て外れだった。
 がらがらのスタンドで決勝戦をしたのでは「みっともない」と、関係方面へ招待券をかなり、ばらまいたらしい。発表された観客数は25,473人だが有料入場者数ではない。
 タイトルの知名度が高く、魅力的な決勝戦になっている過去の実績があれば、外国同士の試合でもスタジアムを埋めることができるかもしれない。しかしアジアのチャンピオンズ・リーグは、それほどの知名度も実績もない。

★大会方式の大型化
 アジアの全加盟国のチームに参加機会が得られるように門戸を開き、グループ・リーグの出場国を24チームから32チームに増やした。それに伴って総試合数も大幅に増えた。
 グループ・リーグの段階から、勝ちチームに賞金(引き分けの場合は半額ずつ)を出し、優勝賞金は60万米ドル(約5400万円)から150万ドル(約1億3500万円)に大きく増額された。アウェー・チームには旅費の補助金も出た。
 こういう大型化が図られたのは、テレビの放映権料と広告収入を当てにしてのことである。いずれにせよ、企業からの巨額な資金があってのことである。しかし、多チャンネル化によるソフト(番組)争奪戦に伴って世界的に起きたテレビ放映権料の巨額化は、そろそろ峠を越すころである。グローバルな経済破綻の波も収まらないでいる。そうであれば、大型化したACLを維持していけるかどうかには不安がある。

★欧州のマネは難しい
 お手本になっている欧州チャンピオンズ・リーグには世界最高レベルのチームがひしめいている。また欧州の中心部は飛行機で数時間以内の広さである。サッカーのレベルが低く、地域広大なアジアでマネをするのは無理だろう。
 一つの国から4チームも参加できるのであれば、各国のチャンピオンを集めて「アジアのクラブ選手権」を決めるという意味は薄くなる。レベルの低い国のチームが早い段階で敗退し、準々決勝、準決勝の段階で同じ国のクラブの「同士討ち」が、しばしば起きるようであれば、なおさらである。
 試合数が増えて、テレビでの露出機会が増えるのはメリットだが、それも試合のレベルが魅力的で視聴率が上がってのことである。
 AFCチャンピオンンズ・リーグの将来については悲観的にならざるを得ない。

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サッカー日誌 / 2009年11月10日


ACL決勝戦から(中)


南米2強国出身の監督、考え方の違い
浦項スティーラーズ 2対1 アルイテハド
11月7日(土) 国立競技場

★6ヶ国語乱れ飛ぶ記者会見
 ACL決勝戦後の監督記者会見は6ヶ国語が乱れ飛んだ。共通用語の英語、会場国の日本語、対戦国の韓国語とアラビア語、アルイテハドの監督がアルゼンチン人でスペイン語、浦項の監督がブラジル人でポルトガル語である。ここで渦を巻いた「異文化理解」と「異文化衝突」も興味深く観察した。その中でおもしろいと思ったことを一つ紹介する。
 ただし、6ヵ国語の同時通訳のなかで、日本語訳のチャンネルを通して聴いたのだから見当違いや誤解があるかもしれない。そのつもりで読んでもらいたい。
 後半24分に浦項が2対0とリードしたあとにとった「逃げきり作戦」についての両方の監督の考え方である。
 浦項は中盤の選手もゴール前に下がり、前線には両翼に2人を残して、ボールを拾うと両翼へ大きく蹴り出した。前に出てくるアルイテハドの裏側を突く作戦である。

★カルデロン監督、「遅延行為」に不満
 敗れたアルイテハドのガブリエル・カルデロン監督はアルゼンチン人である。試合後の記者会見で最初のうちは冷静に話していたが、終わりごろに「最後の20分間は、相手(浦項)は試合をしようとはしなかった。それに対して、審判は何も措置しようとはしなかった」とまくし立てた。
 浦項は2点のリードを守ろうとゴール前に下がって守りを固め、ボールを得ると前線へ大きく蹴りだして単発的な逆襲を狙った。観客にとっては、おもしろくない戦い方かもしれないが、よくあることだし、ルール上の問題はない。
 選手交代やケガやフリーキックのときに、のろのろ動いて時間稼ぎをするのは「遅延行為」である。それに対して主審が警告を出さなかったことについて、カルデロン監督は不満を述べたのかもしれない。

★ファリアス監督、「ルールの範囲内で当然」
 続いて記者会見をした浦項のセルジオ・ファリアス監督はブラジル人である。若いが、なかなか、しっかりしている。「アルイテハドはレベルの高いチームだ」と礼儀正しく相手をほめたたえ、それに対して自分たちがとった作戦について明快に説明した。
 遅延行為について質問されると「選手交代ではある程度の時間はかかる。ケガをした選手の手当てをするのは当然だ」と答えたうえで、こう付け加えた。「ブラジルでは、ルールで許されている範囲内では、あらゆることをするのだ」。
 「ひとこと多い」とぼくは思った。でも、これがサッカー文化の違いかもしれない。
 別の話だが、表彰式で、アルイテハドの選手は掛けられた2位のメダルを、すぐはずした。つい先ごろ、どこかの国で同じような行為が問題になったけど、これも文化の違いだろうか?

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サッカー日誌 / 2009年11月09日


ACL決勝戦から(上)


ブラジル人監督が導いた浦項の優勝
浦項スティーラーズ 2対1 アルイテハド
11月7日 国立競技場

★アジアの「異文化対決」に興味
 AFC(アジア・サッカー連盟)チャンピオンズ・リーグ決勝戦が、東京の国立競技場で行われた。
 会場は日本だが、カードは韓国対サウジアラビア。このACLに日本からは4チーム出場したけれど、それぞれ途中で敗退したからである。
 でも、アジアの外国クラブチーム同士の試合を見る機会はなかなかないから、それも見る価値があるとアジアの「異文化対決」に興味を持って見に行った。
 クラブチームだから、代表チームとは違って、他の国の選手も加わっている。監督は浦項スティーラーズがブラジル人、アルイテハドがアルゼンチン人である。それでも、基礎には、それぞれの「お国ぶり」がある。そういうチーム内の「異文化協力」が試合に、どう表れるかにも注目した。

★外国籍選手をうまく使う
 浦項はトップのステポが背の高いマケドニアの選手、攻撃右サイドのデニウソンが足技のいいブラジル選手。前半はもっぱら、韓国にはいないタイプのこの2人のコンビで右サイドから攻めようとしていた。守りは韓国サッカーの特徴を生かして出足の早さと激しい当たりである。
 アルイテハドは、中盤と前線にモロッコ、オマーン、チュニジアと外国籍の選手は3人。しかし、サウジアラビアのチームは、もともとアフリカ系黒人とアラブ人で構成されているので人種的な違和感はない。攻めはモロッコ籍のアブシェルアンとチュニジア籍のシェルミッティの強力なシュートを武器にしていた。守りは中盤がしっかりしていた。中心選手のハリリとオマーンのハディドの2人のボランチの動きが多く、強かった。
 両チームとも、自国の選手に外国選手を、うまく組み合わせて使っていた。

★フリーキックが分けた明暗
 前半はアルイテハドがやや優勢だったが0対0。後半にアルイテハドは、速いパスを組み立てて攻めるようになり、浦項が守りに追われる場面もあった。しかし12分と21分に浦項がフリーキックを生かして得点。アルイテハドの猛反撃を29分の1点に抑えて逃げ切った。
 浦項の監督はブラジル人のセルジオ・ファリアス。「中盤のマークが厳しかったから、フリーキックが多くなる。そのチャンスに相手の弱点を狙った」という。前半にアルイテハドがフリーキックからの好機をのがした場面が2度あり、セットプレーが明暗を分けた。
 浦項は、前半は外人コンビによる攻めを見せ、後半は一転して中盤省略の逆襲で韓国人選手のキックの強さと正確さを生かした。ファリアス監督の試合運びが成功して初優勝。韓国勢としては3年ぶり7度目のアジア・クラブ・チャンピオンになった。

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サッカー日誌 / 2009年11月08日


2位のメダル授与をやめよう


ヤマザキナビスコカップ表彰式のトラブル
11月3日 国立競技場

★「いさぎよい敗者」であって欲しいが…
 川崎フロンターレの選手たちを弁護するつもりはない。いさぎよい敗者(グッド・ルーザー)であって欲しかった。人々の注目を集めるプロとして、あこがれの目で見ている子どもたちの「お手本」になる態度を示してもらいたかった。ヤマザキナビスコカップの決勝で敗れた川崎フロンターレの選手たちが、表彰式で授与されたメダルをすぐはずすなど、態度が悪かった件である。
 Jリーグの幹部がすぐ問題にした。大金を提供してくれているスポンサーの社長が表彰式でカップの授与などをしたのだから、Jリーグの困惑と怒りは理解できる。フロンターレの社長は鬼武チェアマンに謝罪し、2位の賞金5000万円の返上を申し出た。
 一方で、選手たちの気持ちも、よくわかる。悔しい気持ちを抑えきれず、敗れた自分自身に腹を立てて、ダダッ子のような態度をとってしまったのだろう。

★簡潔に優勝者だけの表彰を
 決勝戦のあとにいつも思う。その場での表彰は簡潔に優勝者だけにして欲しい。
 試合が終わったら、優勝チームはすぐ貴賓席に上がってカップとメダルを受ける。敗れたチームはフィールドから見守る。そのあと優勝チームはフィールドで「ビクトリーラン」などで喜びを爆発させていい。敗れたチームは静かにロッカールームに去る。
 付け加えると、優勝カップは一つで十分だ。正月の全日本選手権では、マスコミのカップやら過去の協会役員の名のカップやら、いろいろ授与されるが、天皇杯の上にさらにいくつもの冠を重ねるなんて恐れ多いことだ。
 ヤマザキナビスコカップの場合、スポンサー名のカップを残すか、本来の「Jリーグカップ」を残すかは、悩ましいところだろうが、合併して「ヤマザキナビスコ・Jリーグカップ」ではどうだろうか?

★2位のメダルを渡すのは後日に
 死力を尽くして戦って敗れたあと、悔しさを抑えきれないのは自然な感情だ。高い所に上がって人目にさらされ、偉い人からメダルを掛けられても感激するはずはない。
 2位チームの表彰は必要ないという考えではない。決勝戦直後の閉会式でメダルを渡すのをやめようという提案である。
 翌日に、お偉方が2位チームのクラブを訪れ、前日の健闘をねぎらってメダルを渡すというのはどうだろうか?
 そのころには、選手たちの気持ちも静まっているだろう。前日の試合を冷静に振り返る余裕もあるだろう。
 訪れた協会あるいはリーグの役員はプレーヤーの先輩として、あるいは人生の先輩として、2位まで勝ち進んだ試合ぶりを、親しく語ることができるだろう。

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サッカー日誌 / 2009年11月05日


カップ戦らしい盛り上がりのナビスコ杯決勝


ヤマザキナビスコカップ決勝
FC東京 2対0 川崎フロンターレ
11月3日(祝) 国立競技場

★「博報堂DY」仕掛けの成果?
 快晴。国立競技場を埋めた44,308人の大観衆。双方のサポーターの熱烈な、しかし節度のある大声援。すばらしい雰囲気がヤマザキナビスコカップの決勝を盛り上げた。試合もカップ戦のファイナルらしい白熱した内容だった。
 このリーグ・カップは、日本サッカーの3大タイトルの一つだが、全国のチームが参加できる天皇杯、実力日本一を争うJリーグにくらべて、タイトルの価値としては、やや低いと言ってもいいだろう。J1チームだけの争いであり、運不運の要素が強い勝ち抜き戦だからである。
 それを「3大タイトル」の一つにふさわしい雰囲気に盛り上げた主催者の努力を評価したい。主催はJリーグで、お金を出したのは特別協賛のヤマザキナビスコ株式会社だが、背後の仕掛け人は広告企業の「博報堂DY」ではないかと推測した。

★前夜祭で盛り上げの仕込み
 決勝戦の前日に新高輪ホテルで「前夜祭」があった。一流ホテルでのはなやかなパーティーに、監督、選手がネクタイをして出席し、舞台の上でテレビ局のコメンテーターの質問に答え、そのあとパーティーのフロアにおりて記者たちに取り囲まれる。
 ふつうなら、チームとしては試合の前日に、わざとらしい演出にわずらわせられたくないところだが、監督も選手も積極的に協力していた。いまどきの若いひとは「ノリがいい」とも言えるけれど、こういう大がかりな仕掛けにのって「あすは重要な試合だ」という思いを強くしているように見受けられた。カップ戦の一発勝負であとがない。その緊張感を盛り上げ、それが翌日の試合ぶりに表れたのではないだろうか?
 観客動員の努力も他のイベントよりよかったと思う。広告エージェントやテレビ局の仕掛けを嫌う人もいるだろうが、このイベントに関しては成果が弊害よりかなり大きい。

★米本拓司のひのき舞台
 今回のナビスコカップは、18歳の米本拓司がスポットライトを浴びる舞台になった。
 これは「たまたま」で仕掛けてできることではない。
 米本は、前夜祭で「ニューヒーロー賞」の表彰を受け、決勝戦では前半22分にロングシュートで先制点を決めてMVPに選ばれた。
 川崎フロンターレの猛反撃を防いだ守備陣の中で、ゴールキーパーの権田修一も功労者だが、米本の先制点が試合の流れを決めたので、MVPは妥当なところである
 ともあれ、この2人の新人が将来、日本のサッカーを背負って立つように成長すれば、この決勝戦は2人の登場した舞台として記憶されるものになるだろう。
 城福浩監督の手腕と人柄も評価しなくてはならない。名監督として名を残すには、さらに実績が必要だろうが、今回の優勝は、その足掛かりにはなった。


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サッカー日誌 / 2009年11月01日


東京の五輪招致失敗再考


東アジアの委員は支持しなかった?
(IOC総会 10月2日・コペンハーゲン) 

★東アジアの票は取れなかった?
 2016年の夏季オリンピック開催地に立候補していた東京が落選したとき、この時評で次のように書いた。
「東京の22票の大半はアジアの委員の票だろう。第2回の投票では2票減って20票になったが、アジアの票は残っただろうと推測できる。これは日本のスポーツ界にとっては、失敗の中の成功だったと思う。というのは、アジアを一つにまとめることができたからである」
 しかし、この推測は考え直す必要がありそうだ。
 というのは、ある通信社が、イタリアの委員の話として「(東京は)韓国、中国、香港、台湾などの票を取り損ねた」と語ったと報じたからである。別の筋からも「ピョンヤンの委員はわからないが他の東北アジアの委員は東京を支持しなかった」という推測を聞いた。

★近隣諸国の委員の神経を逆なで
 ぼくも、投票前には「韓国と中国の委員は東京を支持しないだろう」と思っていた。これは根拠のない憶測ではない。招致活動にかかわっていた有力筋が「ソウルと北京に支持を依頼して帰国したら、石原知事の放言が報道されるのだから、せっかくの働きかけがむだになる」と嘆いたのを聞いていたからである。「過去の日本の植民地政策にもいいところがあった」というたぐいの発言で「近隣の国の神経を逆なでする」というのである。
 だから直前には「東京支持は、せいぜい15票だろう」と推測していた。それが22票もとったので「アジアの票をまとめるのに成功したのだろう」と早とちりしたのである。
 投票の内訳は公表されていない。またIOC委員は国を代表しているのではなく、個人として投票する。だから、どちらの推測が正しいか、明確にはわからないが、「日本のスポーツ界にとっては、失敗の中の成功だった」という前の記述は取り消すことにする。

★間違いだらけの招致運動
 振り返ってみると、150億円以上を使った東京の招致運動のやり方は、間違いだらけだった。
 「地球環境を守るオリンピック」を、最大のキャッチフレーズにしていたが、東京の実情をみれば、とんでもない見当違いだと分かる。東京都が「環境」を守りたいのであれば、オリンピックではなく「東京の都市環境を守る事業」に都民の税金を使うべきだろう。
 オリンピックはスポーツの大会である。東京開催はまず「世界と東京のスポーツのため」でなければならない。ところが、東京の招致運動では「スポーツ」はうしろのほうに押しやられていた。
 「21世紀の世界と東京のスポーツはどのようであるべきか」をまず考え、そこから招致と開催を考えるべきだった。

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