サッカー日誌 / 2014年04月30日


国立競技場さよならツアー


ビバ!サッカー研究会
(4月27日 霞ヶ丘国立競技場)

★7月からの取り壊しを前に
 国立競技場の「さよならツアー」に参加した。
 国立競技場は1958年の第3回アジア競技大会のときに、明治神宮外苑競技場を取り壊して建設され、1964年の東京オリンピックのためにスタンドを増設して現在に至っている。
 しかし、2020年オリンピックのための新国立競技場を建設することになり、7月から取り壊しが始まる。
 そこで、取り壊しの前に、現在の国立競技場を見てもらうイベントが行われており、ビバ!サッカー研究会が団体で申し込んで29人が参加した。フィールドのすぐ傍まで降りて芝生に触り、聖火台の傍まで上がってスタジアムの内外を見渡した。
 快晴に恵まれて快適なスタジアム・ツアーを楽しみ、そのあと信濃町駅構内の「ジョン万次郎」で延長戦をして盛り上がった。
 でも、ただ一つ残念だったことがある。それは、国立競技場を取り壊したあとをどうするかという問題を話し合えなかったことである。

★「新国立競技場」に反対
 スタンドのもっとも高い場所、聖火台の傍まで上がって見渡すと、5万4千人収容の現在の規模でも神宮外苑全体の配置からみて大き過ぎる事が分かる。
 バックスタンド側の最上部は下の道路部分にはみ出して、かぶさっている。その外側の絵画館前広場との間の樹木は最小限である。8万人収容の巨大なドーム「新国立競技場」ができると、その緑も失われるに違いない。
 反対意見を押し切って進められている「新国立競技場」計画」を阻止する必要があると痛感した。
 現在の競技場を取り壊したあと、どうすればいいか?
 陸上競技場として作り直すのは将来の利用を考えればムダである。
 なぜなら常設のサブトラックが作れないので、オリンピック後に国際的な陸上競技会を開催できないからである。

★6万人規模の国立球技場を
 神宮外苑全体の環境と景観を考えると、スポーツ施設を作るのならサッカーとラグビーのための6万人規模の「国立球技場」が限度だと思う。
 陸上競技のトラックがなくなり、収容人員も大きくは増やさないので、現在より規模は小さくなる
 2019年のラグビー・ワールドカップのために6万人収容では足りないのなら不足分は仮設にすればいい。
 2020年東京オリンピックのための陸上競技場は、別に考える必要がある。ぼくの考えでは、東京都所有の味の素スタジアムに変更するのがいい。
 味の素スタジアムは約5万人収容である。オリンピックのために8万人のスタンドが必要だというのなら、3万人分を仮設で増やせばいい。
 ほかにも、いろいろ意見があるだろう。国立競技場ツアーを機会にビバ仲間と話し合いをしてみたかった。


ビバ!サッカー研究会の国立競技場ツアー

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サッカー日誌 / 2014年04月29日


「FIFAマスター」修了の体験記


宮本恒靖『日本サッカーの未来地図』
(発行KADOKAWA 定価本体1300円)

★歴史と経営と法律を学ぶ
 2度のワールドカップに出場し,日本代表チームのキャプテンを務めた宮本恒靖さんは、2011年のシーズンを終わって選手生活を退き、2012年9月~2013年8月の1年間、「FIFAマスター」に入学してスポーツ経営学を勉強した。
 『日本サッカーの未来地図』はその体験記である。
 「FIFAマスター」は、スポーツ団体を運営する人材を養成するための、いわば「大学院」のようだ。CIES(国際スポーツ研究センター)がFIFA(国際サッカー連盟)と協力して運営している。
 まず、英国レスターの大学で「歴史」を、次にイタリアのミラノで「経営」を、最後にスイスのヌーシャテルで「法律」を学んだ。
 24の国と地域から30人の受講者が選ばれたなかで、トップレベルのプレーヤーの経歴を持っていたのは宮本恒靖さんだけだったらしい。

★卒論を実行に移す行動力
 弁護士の資格を持つような人に混じって専門用語の多い授業を英語で受ける。それをプロ選手出身者がやり遂げた。
 しかも、いろいろな国の人たちがグループを作って課題をこなしていくなかで、リーダーシップを発揮したようすが読み取れる。たいしたものである。
 最後に、卒業論文にあたる「ファイナル・プロジェクト」を5カ国の男女混成グループで作った。
 自分たちで決めたテーマは、ボスニア・ヘルツェゴビナに子どもたちを対象にした「スポーツ・アカデミー」をつくる計画だった。
 ボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴスラビアの一部で民族対立による紛争の続いていた国である。その国でスポーツを「民族融和」に役立てようという計画である。
 「卒業論文」として書き上げただけでなく、その後、それを実現しようと動き始めている。その行動力にも感心した。

★スポーツ経営の専門家養成
 「FIFAマスター」が始まった趣旨は何だろうか?
 宮本恒靖さんの本を読んで初めて腑に落ちた。
 かつては、スポーツ団体の運営は、そのスポーツのOBのボランティアによって支えられていた。
 しかし、1980年代から、主としてテレビ放映権料の増大によって、スポーツクラブあるいはスポーツ団体の運営は大きなビジネスになった。そのため経営の専門家を雇って委ねる必要が出てきた。「FIFAマスター」は、その専門家を養成するためのものである。
 経営の専門家になるには経営と法律の勉強は欠かせない。
 だが歴史の勉強は、なぜ必要なのだろうか?
 思うに、スポーツ組織の運営は企業の経営とは違うからである。スポーツ団体は営利が目的ではなく多くの人たちのための公共的な組織として発達してきた。
 そのことを知るためにスポーツの歴史を学ばなければならないのだろうと思った。


『日本サッカーの未来地図』の表紙

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サッカー日誌 / 2014年04月25日


中条一雄さんを囲む会


日本サッカー史研究会
(4月20日 東京神保町・新世界菜館)

★戦中、戦後のサッカーを語る
 日本サッカー史研究会の4月例会は、JFAハウスの会議室がふさがっていたので、月曜夜の予定を変更して日曜の昼に「中条一雄さんを囲む会」として開いた。
 中条さんは、旧制の広島一中、広島高校、東大でサッカー選手だった。広島高校では昭和22年の旧制インターハイで優勝している。
 中条さんは、東大に進んだ後、一時、日本サッカー協会で事務のアルバイトをしていた。
その後、協会で働いていた縁で朝日新聞に入社してスポーツ記者になった。
 太平洋戦争中と敗戦直後の日本のサッカーを語ることのできる貴重なジャーナリストである。
 すこぶるお元気だが、ご高齢なので夜の会を避けて昼食会にして、お話を聞いた。

★広島原爆、奇跡の生き残り
 中条さんは旧制の広島高校在学中に原爆にあった。爆心地の近くだったが奇跡的に生き残った。勤労動員で運転していたトラックが故障し、工場の中でトラックの下に入って修理していたので、トラックが遮蔽物となって直撃を免れたのである。
 しかし自宅は跡形もなくなり、ご両親は行方不明だった。
 ご両親を探して数日間、焼け跡をさまよい歩いたすえ、ふらふらと足が学校に向かったという。
 旧制の広島高校(現在の広島大学)は爆心地から3キロの場所にあった。校舎は大破していたが焼失は免れていた。
 傾いているサッカー部の部室を開けてみたら、ゆがんだボールが出てきた。それを拾い出して壁に向かって蹴った。
 やがて、少しずつ生き残った仲間が集まってきてサッカーが復活した。
 周りは一面の焼け野が原である。住むところはない。食べるものも満足にない。そういうなかでボールを蹴り始めた話には驚くほかはない。

★敗戦直後の朝日の貢献
 中条さんは、自分の書いたものを『中条一雄の仕事』というタイトルのシリーズにして本にまとめている。その第5集に以上の話が掲載されている。
 『中条一雄の仕事』はご本人の意向で200冊~300冊しか作らない私家版だが貴重な資料である。
 敗戦直後から朝日新聞はいろいろな大会を後援し、競技団体では外貨が自由に使えなかった時期に欧州のチームを招くなど、サッカーを援助した。サッカーの記事の扱いも、もっとも大きかった。
 そのころ朝日新聞社には、日本最初のサッカー記者といっていい長老の山田午郎さん、敗戦直後の協会を取り仕切っていた宮本能冬さん、大阪運動部の大谷四郎さん、それに東京運動部の中条さんがいた。
 この人たちは、戦後の日本サッカー復興に貢献した功労者である。


中条さんを囲む会。

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サッカー日誌 / 2014年04月14日


続・「オリンピック評論」の場が必要だ


PARCシンポジウム
(4月12日 東京ウイメンズプラザ・ホール)

★反対派だけの集まり
 オリンピック反対のシンポジウムに行ってみた。
 DVD「検証!オリンピック」を制作したPARC(アジア太平洋資料センター)の主催である。
 ぼくはオリンピック反対だから、演壇に上がった方々とおおむね同じ考えである。ほかのフロアの参加者も、みなオリンピック反対論者のようだった。
 「これでいのか」と考えた。
 オリンピック反対の人たちだけが集まって、同じ意見の先生がたのお話を聞き「そうだ、そうだ」とうなずきあっているのでは、実りある内容にならないのではないか?
 賛成の人と反対の人が、ともに演壇に上がって討論しなければ、問題の全体像が浮かび上がらないのではないか?
 相手の鋭い追及を受けることがなければ、自分たちの主張を鍛えることもできないのではないか?

★マスメディアは五輪一辺倒
 といっても実際には難しい。
 多数を占めている体制側は、自分たちのパブリシティの場に反対派を招いて批判を聞こうとはしないだろう。また反対派の集会に出かけて「つるし上げ」にあいたいとも思わないだろう。
 だから、演壇は中立の第三者が用意して、双方を対等に扱う必要がある。
 本来なら、日本でそういうことのできる中立の第三者は大手の新聞である。
 ところが、オリンピックに関しては日本のマスメディアは賛成一辺倒である。「オリンピックは良いもの」と信じ込んでいる多数の国民に迎合して情緒的に盛り上げている。五輪批判を取り上げることは、めったにない。
 中立の演壇を提供してもらうことは、とても期待できそうにない。

★ネットメディアは頼れるか?
 というわけで-。
 「旧来のマスメディアは頼りにならないから新興のインターネット・メディアで」という声もある。
 シンポジウムのパネリストの一人は、社会学が専門の阿部潔さん(関西大学教授)だった。
 阿部さんは「ネットメディアが、マスメディアに代わる役割を担うのは難しい」というお考えのようだった。
 ネット上に出てくる個人の意見はマスコミ以上に情緒的である。「いいね」と言っても理論的な根拠は示さない。
 なかなか厳しい状況のようだが、オリンピックをめぐる議論ができる共通の演壇が欲しい。
 新しいネットメディアと従来の印刷メディアを統合した雑誌「オリンピック評論」を創刊できないものかと考えた。


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サッカー日誌 / 2014年04月11日


「オリンピック評論」の場が必要だ


スポーツ政策研究会4月例会
(4月7日 東京・駿河台明大研究棟会議室)

★DVD「検証!オリンピック」
 スポーツ政策研究会の4月例会で、スポーツ評論家の谷口源太郎さんがオリンピック批判のDVDを紹介した。
 「検証!オリンピック~華やかな舞台の裏で~」(アジア太平洋資料センター=PARC、定価本体8000円)である。
 商業主義、ナショナリズム、環境破壊などのオリンピックの問題点を約25分の映像にまとめてある。
 そのなかに、オリンピックがナショナリズムの誇示や商品宣伝のためのショーになっているという批判があった。これはIOC(国際オリンピック委員会)の問題である。
 施設建設のために、たくさんの野鳥がすむ湾岸の環境が破壊される問題も紹介された。神宮外苑の新国立競技場建設のためにアパートから立ち退きをせまられている住民の声も取上げられていた。これは2020年の東京オリンピック開催計画にともなう問題である。

★多くの弊害を列挙
 DVDを監修した谷口さんは、東京オリンピックについては開催反対の立場である。しかしオリンピックそのものについては、DVDでは、弊害を列挙しながら部分的な改革案を示している。たとえばナショナリズム誇示の場になるのを防ぐために国旗、国歌の使用をやめようと提案している。
 ぼくは、オリンピックそのものに反対である。
 航空機や通信手段が発達した現代では、いろいろなスポーツの国際競技会が、毎年、世界各地で開かれている。4年に一度、多くのスポーツと多数の選手役員を1都市に集める意義はなくなっている。時代遅れである。DVDに示されているような多くの弊害を伴っているのだから、改革するより、廃止したほうがいいと考えている。
 オリンピックそのものに反対だから、東京開催にも反対である。即刻、返上すべきだと思う。

★同じ土俵で議論を
 研究会では「オリンピック賛成論」も出た。
 「東京開催を引き受けた以上、計画の不都合な部分は修正して準備を進めるべきだ」という意見である。
 意見の一致は得られなかったが、いろいろな考えを交換したのは良かった。
 一般の人たちの多くは「オリンピックはいいものだ」と信じているだろう。マスコミが弊害を取上げないからである。
 そういう人たちにオリンピックの弊害を知ってもらおうというのが、谷口さんたちが制作したDVDの意図である。
 これに対して次のような意見が出た。
 「オリンピック反対を主張する人たちが集まって声を上げても、耳を傾けるのは、もともと反対の人たちだけで、多くの人たちに関心を持ってもらうことにはならない」。
 なるほど。 賛否両論が同じ土俵で議論する「オリンピック評論」の場が必要だと思った。

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サッカー日誌 / 2014年04月08日


女子ユース世界一の評価


女子U-17ワールドカップ決勝
日本2-0スペイン
(4月4日 サンホセ・コスタリカ)

★いい試合をしたに違いない
 土曜日だったが締め切りの迫っている仕事があったので事務所に出たら仲間が「女子U-17ワールドカップ決勝の中継を見ましたか? 日本チームは良かったですよ」と話しかけてきた。
 せっかくフジテレビが中継してくれたのに、ぼくはテレビを見ていない。日本時間の土曜日未明で、まだベッドの中だった。
 だから、なんとも言えないのだが「ゴールキーパーをかわして決めた得点がすばらしかった」というので、きっと、いい試合をしたに違いないと思った。
 その日の夕刊と翌日の朝刊を見るとボール支配率は相手のスペインが53%で上回っているが、シュートは日本15本、相手6本で日本が圧倒している。
 また読売新聞の記事では「(日本は)スペインの守備陣を巧みな個人技と連係プレーで何度も突破した」とある。

★将来、伸びるかどうか?
 見ていないので、この試合については、まともなことは言えないのだが、一般論として読んでいただきたい。
 「個人技で突破した」ということなので「それはいい」と思った。
 U-17(高校生年代)では、型にはまった攻守のパターンを教え込んで鍛えれば国際試合で勝つ可能性は高い。多くの外国では、この年代では「チームとして鍛える」ことをしていないからである。
 しかし「チームとして鍛える」と試合の局面に応じて自分の判断でプレーを選択する能力が育ちにくい。
 ところが、おとな(成人)のチームになると、個人の判断力が決定的に重要になる。
 そういうわけで、ユース年代で勝ったからといって、それが将来につながるとは限らない。
 結果よりも、これから伸びるかどうかが問題である。

★高倉麻子監督の戦い方
 仲間の話と新聞報道でみるかぎり、高倉麻子監督は個人の個性と能力を生かす戦いをしたようである。
 高倉監督は、元読売クラブ(ヴェルディの前身)のベレーザで育った「なでしこ」だった。
 読売クラブ時代のベレーザの選手鍛錬とチーム作りは、学校スポーツ出身者によるサッカー協会の育成の考え方とは違っていた。
 ベレーザは瑠偉ラモスや小見幸隆などの男子のプレーヤーを相手に鍛えられながら自らの力で伸びてきた。そのなかでプレーを創造する力が身についてきた。そういう高倉麻子の経験が「リトルなでしこ」の監督としても生かされているのではないかと想像した。
 そうであれば、女子U-17ワールドカップでの優勝は、未来につながるだろうと思う。

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サッカー日誌 / 2014年04月03日


東京五輪1964施設の「志」


未来を考えていた建築家

構想日本フォーラム
(3月31日 東京赤坂・日本財団ビル)

★駒沢公園の設計者
 新国立競技場問題を取り上げるというので「構想日本」という団体のフォーラムに行ってみた。主催者を中心にした仲間の集まりだったようで、会員でない超後期高齢者のぼくが聴きに行ったのは「場違い」な感じだったし、これまでに、取り上げられてきた議論を超える内容でもなかった。
 しかし、建築家の松隈洋さん(京都工芸繊維大学教授)が紹介した資料のなかに、ぼくが知っていた人たちが何人も登場し、あらためて諸先輩の見識に感銘を受けた。
 その諸先輩とは、1964年の東京オリンピックの準備に関わった方々である。
 その一人は、1964年大会の会場になった駒沢オリンピック公園の基本構想を作った高山英華さんである。
 英華さんは、戦前にサッカーの日本代表選手として活躍した名選手である。ぼくは大学生のころにサッカー部の大先輩としてお世話になり、スポーツ記者になってからは東京オリンピック準備の取材先だった。

★代々木競技場の設計者
 英華さんは駒沢オリンピック公園を設計するとき、オリンピックのあとに、どう利用されるかを想定していた。都民が快適にスポーツを楽しめる公園空間を考え、体育館や競技場は現在の標準からみれば小規模なものにしている。その後、ホッケー場はホッケーの貴重な競技場として活用された。サッカーの補助フィールドは、現在も毎週水曜日に高齢者のサッカーのために開放されている。
 もう一人、1964年東京リンピックの施設設計者として思い出すのは、水泳会場になった代々木体育館を設計した丹下健三さんである。個人的なお付き合いがあったわけではなく、取材先の一つだった。
 そのころ、ぼくはスポーツ記者として、丹下さんの代々木体育館に批判的だった。あの奇妙な形の屋内競技場をオリンピック後に、どのように使うのかと書いた覚えがある.。

★五輪後にどう使われるか?
 ところが……。
 丹下さん自身が、そのことを心配していたらしい。
 「問題は今後にあるように思われる。オリンピックという典型的な状況を念頭において設計されたこの建物が、どう使われるということである」(「建築文化」1965年1月号)
 国立代々木競技場の第二体育館は、バスケットボールの競技場として現在に至るまで極めて有効に活用されている。
 水泳会場だった第一体育館は、丹下さんの心配していた通りになった。「冬季も水泳場として一般に開放してほしい」というのが、丹下さんの夢だったが、現在は主としてロック・コンサートなどの会場として使われている。
 ともあれ、高山英華さんも丹下健三さんも、オリンピックという特別なイベントの施設と取り組みながらも、それを未来にどう役立てるのかを考えていた。
 2020年東京オリンピックのための施設計画に、その「志」がないのが心配である。


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サッカー日誌 / 2014年04月02日


人工芝の校庭開放とNPO


「サロン2002」公開シンポジウム
(3月30日 東京・筑波大学文京キャンパス)

★「みなとラグビースクール」
 スポーツ文化研究会「サロン2002」主催のシンポジウムに参加した。「スポーツクラブの法人化を語ろう!」というタイトルだった。
 例年、サロン2002の公開シンポジウムには、わが「ビバ!サッカー研究会」が協力しているのだが、今回は少し距離を置いた。テーマとタイトルが多くの人にとっての関心事ではなかったからである。
 ところが、シンポジウムで聞いたお話は十分に一般に役立つ内容だった。
 「みなとラグビースクール」代表の黒崎祐一さんのお話が、特に興味深かった。
 黒崎さんは、東京都心の港区でラグビーの普及活動を行っている。港区には神宮外苑の秩父宮ラグビー場がある。いわば日本のラグビーの「お膝元」である。

★小学校の校庭に人工芝
 黒崎さんは、区立青山小学校の人工芝の校庭で日曜日に子どもたち(幼児から中学生まで)を対象にした「みなとラグビースクール」を開いている。
 校庭に人工芝を敷いてもらうために、黒崎さんは都議会議員などの人脈を駆使して港区に働きかけたらしい。
 天然芝でなくて「人工芝」にしたところに感心した。
 現在の人工芝は、開発された当初にくらべると非常に進化していて、擦過傷などの危険はなくラグビーで使っても快適だということである。
 都内の別の区で校庭をいっせいに天然芝にしたところがあるが、維持管理がたいへんだと聞いた。また梅雨前の4月~5月に芝生の張替えや補修をするのでその時期は、全校いっせいに校庭が使えなくなるということだった。
 校庭を人工芝にして「学校開放」を進めるのがいいのでは、と考えた。

★クラブと区協会を立ち上げる
 「みなとラグビースクール」はNPO法人(非営利の民間団体)である。公立の学校施設を借りるのに営利目的、あるいは限られたメンバーだけの組織では具合が悪い。
 子どもたちの「スクール」のほかに、おとなの「クラブ」も立ち上げた。初心者、女性も歓迎。強いチームを作ることだけでなく、ラグビーを楽しんでもらうことを目的にしている。
 クラブは一般社団法人港区ラグビーフットボール協会が表看板である。区単位のラグビー協会はなかったが、これも黒崎さんたちが設立した。
 「子どもたちのための仕事をするには、市区町村単位の協会が必要です」という。交渉相手が市役所、区役所だからだろう。
 それも任意団体では具合が悪い。限定されたメンバーで責任のある仕事ができるように一般社団法人にしたわけだ。
 NPOからクラブへ、さらに一般社団法人へという筋道が示唆に富んでいると思った。

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サッカー日誌 / 2014年04月01日


「FCバルセロナ」の運営再考


クラブの性質が変わった

ビバ!サッカー研究会
(3月28日 東中野・テラハウス)

★小池正通さんの報告
 半年ぶりに「ビバ!サッカー研究会」を開いた。毎月一度の月例会を昨年(2013年)9月で打ち切り、随時、有志の企画で開催することにしていたところ、FCバルセロナのソシオで評議員である小池正通さんから「ビバの皆さんに、お話ししたい」と申し出があり、いつもの場所で、いつものように開いた。いつものように楽しいサッカー仲間の集まりにになった。
 同じようなサッカー仲間の集まりである「サロン2002」の1月例会で、小池さんは「バルサの運営のすごさ」について報告したのだが、「まだ、話しきれなかったことがある」というので、ビバ!が補足説明の場を提供したしだいだった。
 そういう事情だから、いろいろな話が出たのだが、ここでは一点だけ取り上げて紹介しよう。
 それは「クラブ」とは何か? クラブの在り方はどのように変わってきているか? ということである。

★「クラブ」とは何か?
 16万人の会員(ソシオ)を持つ世界的に有名な巨大クラブの運営を説明したなかで、小池さんは二つの点を強調した。
 一つは、バルサのソシオが会長の任免権を持っていることである。小池さんは「これは他に例のないことだろう」と話したが、ぼくの知る限り、そうではない。世界の多くのクラブのほとんどは、会員によって構成され、会員が執行部の任免権を持つ。仲間の集まりが「クラブ」で、仲間のなかからリーダーを選ぶ。これがふつうである。
 小池さんの主張の、もう一つのポイントは「FCバルセロナ」は、バルセロナ市あるいはバルセロナ県という地域のクラブではなく「カタルーニャ」という一つの「民族」のクラブだということである。この点については、ぼくも同じ考えである。「FCバルセロナ」の憲章を読み、その歴史を知れば、それは明らかだと思う。クラブの会員は、もともとは「カタルーニャ人」に限定されていたのである。

★交通と通信の発達が変えた。
 クラブが会員の資格を限定するのも、もともとは当たり前のことである。メキシコで「クルブ・イスラエリタ」というユダヤ人だけのクラブを取材したことがある。蕎麦同業組合というのがあれば、それは、お蕎麦屋さん限定のクラブである。
 かつては、狭い地域のなかだけに、そういう「クラブ」があった。しかし現代では、FCバルセロナは、遠く日本にもソシオを持ち、日本人のソシオは、もちろんカタルーニャ人ではない。
 交通と通信の驚異的な発達が「クラブ」の性質と在り方を変えたのである。
 国の内外に16万人の会員を持つクラブの運営には無理が伴っているのではないか? それが、会長の交代や役員の間の内紛の原因になっているのではないか?
 これは、ぼくの邪推である。

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