サッカー日誌 / 2010年01月25日


高橋ロクさんの思い出


監督としてだけでなく、普及にも大きな功績
日本サッカー史研究会例会
1月18日 JFAハウス会議室

★「走る日立」とは何か?
 原則として毎月第3月曜日の夜に「日本サッカー史研究会」という有志の集まりを開いている。場所は日本サッカー協会の会議室。誰でも参加できる開かれた集まりである。
 1月の例会では、1960年代に日本代表チームの監督だった高橋英辰(ひでとき)さん、愛称「ロクさん」を取り上げた。ロクさんは、日立の監督として1972年度にJリーグの前身、日本リーグで優勝、天皇杯もとった。そのころ「走る日立」と言われたチームの主力として活躍した野村六彦さんと松永章さんにゲストとして来ていただいた。
 「走る日立」とは何だったのか? 
 松永さんは「オシムが言ってた走るサッカーと同じですよ。それを35年以上前にやっていたんです」と言う。野村さんは「まず身体が走る、次いでボールが走る、頭が走る、ということです」とロクさんの言葉を紹介した。

★代表監督としての悲運
 高橋さんは、1960年に日本代表の監督になった。ローマ・オリンピック予選敗退のあとを受け、4年後の東京オリンピックをめざして新たにチームを強化するためだった。その夏に代表チームを率いて欧州に2ヵ月の遠征をした。そこで西ドイツのデットマール・クラマーさんと会うことになる。
 しかし、1962年のアジア競技大会(ジャカルタ)で不振だったためもあって、この年を最後に代表監督の座を下りる。夢の東京オリンピックを2年後に控え、志なかばで辞めなければならなかったのは残念無念だったに違いない。
 クラマーさんが高橋監督を信頼していなかったという話もある。欧州などサッカー先進国の情報が乏しかった時代だから、クラマーさんがもたらした新しいサッカーを消化しきれなったのは、やむを得ない。

★ロク・フットボールクラブ
 クラマーさんと折り合わなかったにしても、ロクさんはクラマーの考え方やトレーニング方法を熱心に学んだ。それに自分自身の理論と経験を組み合わせたのが「走る日立」として実ったのだと思う。
 ロクさんは、欧州などで学んだこと、外国の文献などで読んだことを、雑誌などにしばしば紹介した。テレビの衛星中継などなかった時代に、なんとかして進んだサッカーを日本に広く知らせようと努力したのである。知識を自分だけのために囲い込むようなことはしなかった。普及のために尽くした功績は、監督としての業績以上に評価されていい。
 研究会に参加した仲間が、さいたま市と秋田市に「ロク・フットボールクラブ」があることをネット上で見つけて知らせてくれた。どちらも高橋英辰さんにゆかりがあり、そのサッカー普及の志に敬愛の念をこめて名付けられたクラブである。

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サッカー日誌 / 2010年01月24日


オランダの弱点はメンタリティ?


ビバ!サッカー研究会1月例会
(1月15日・東中野テラハウス)
ゲスト:土屋潤二さん(オランダ滞在9年のフィジカル・トレーナー)

★歴史、国土、社会に目を向ける
 ビバ!サッカー研究会の1月例会で、土屋潤二さんを招いてオランダの話を聞いた。
 土屋さんは筑波大学を出て、ドイツで4年、オランダで9年間、学びかつ働いた方である。名門フェイエルノルトや横浜F・マリノスなどで仕事をしてきている。
 ビバ月例会では、南アフリカ・ワールドカップで優勝候補になりそうな国を取り上げている。11月はアルゼンチン、12月はブラジルの話を聞いたが、南ア大会のグループリーグで日本がオランダと同じ組になったので、今回はオランダをテーマにした。
 代表チームだけを取り上げるのではない。歴史、国土、社会などに目を向けて、その国のサッカーの特徴を作りだした背景を考える。そういう趣旨である。
 土屋さんはオランダで長く暮らし、いろいろなスポーツクラブで働いてきているから、そういうお話を聞くには、うってつけだった、

★粘り強さがない
 国土は低い平野続きで芝生のフィールドがいくらでもとれる。周辺の大国から脅かされながら独立を保ってきた歴史があるので柔軟に知恵を働かせることに、たけている。いろいろな人種を受け入れて多様な要素を持つ社会を形作っている。そういうなかから「トータル・フットボール」と呼ばれるサッカーを生み出した。おおよそ、そういう話だった。
 興味を引いたのは「オランダの選手はPKを蹴りたがらない」という指摘だった。失敗をおそれて引っ込み思案になるという。あるいは、リードされると、あきらめが早く、粘り強く反撃を狙うことができないという
 そういうメンタリティであれば、ワールドカップで日本が立ちあがりに「がんがん」動いて圧倒し、先取点を挙げることができれば、オランダが落ち込んでチャンスがあるのではないか、と考えた。

★シミュレーションが大好き
 ただし、日本がオランダと当たるのは第2戦である。初戦であれば日本が最初から「がんがん」行くことができるが、第2戦ではどうか? 相手は第1戦に勝って意気上がっているかもしれない。そうであれば、実力的には勝ち味は薄い。
 また、オランダのサッカーファンは「シミュレーション」が大好きという話があった。「相手が4:4:2でこうくれば、こちらはこういく」というような話を、飽きもせずに繰り返しているという。
 そうであれば、いまごろ、オランダの人びとは、日本代表のこれまでの試合を分析し、「岡田ジャパン」のやり口を「まるはだか(丸裸)」にして、対策をシミュレーションしているだろう。
 日本がオランダに勝つのは、難しそうである。

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サッカー日誌 / 2010年01月22日


日本サッカー大賞(下)


技能賞はJ得点王の前田遼一
ストイコビッチに番外賞

★日本人では7年ぶり得点王
 ビバ!サッカーの殊勲賞、敢闘賞に続いて、技能賞にはジュビロ磐田の前田遼一選手を選んだ。2009年度はリーグの全34試合に出場し20得点をあげた。日本人の得点王は2002年の高原直泰(磐田)以来、7年振りである。強豪チームの名だたる外国人選手が取り続けてきたタイトルに割り込んだことを、ビバの記録に残しておきたい。
 20得点は例年に比べると少ないが、PKによる得点は1点もない。実質的には悪くない。
2位に並んだエジミウソン(浦和)とジュニーニョ(川崎)は17点で、それぞれPKによる得点も含まれている。
 前田は暁星中、暁星高のころから注目されていた素材で、ユースなどの代表にも選ばれていたが、使いこなされていなかった。ジュビロでは、ケガのためもあって、リーグ戦でシーズン・フル出場は始めてである。28歳にして、やっと花開いた。

★得点能力を生かしたのは誰か?
 得点王になるのは、本人の能力と努力のほかにも必要な条件がある。
 一つは、いいアシスト役とのコンビである。ボールに触れただけでゴールになるような質のいいパスを出す。そういう中盤あるいはトップ下のプレーヤーが必要である。
 もう一つの条件は、監督が、その選手の得点能力を生かす使い方をしてくれることである。前線からの守りを要求するあまり得点能力を犠牲にするようだと得点王は生まれない。
 そういうことを考えると、技能賞は前田本人に与えるよりも、前田を生かして使った監督かチームメートに与えるべきかもしれない。
 ぼくは、ジュビロ磐田の試合を見る機会や取材する機会がなかったので内情を知らない。そこで、とりあえず前田本人を技能賞に選んだ。前田の能力を生かした「ほんとの技能賞」に値する授賞対象をご存知の方は、ご教示ねがいたい。

★ベンチからゴールの超技能に番外賞
 実は、技能賞には別の候補を考えていた。それは名古屋グランパスのストイコビッチ監督である。10月17日、横浜・日産スタジアムのマリノスとの試合の後半40分、ゴール前で倒れた選手が出たのでプレーを止めるために、ゴールキーパーがボールを大きく蹴り出した。そのボールがベンチ前に来たのを、ストイコビッチ監督がベンチから出て行って、ラインの外からノーバウンドで大きく蹴り返した。それがみごとにゴールに入った。「実測52㍍」だという超ロングシュートである。
 ストイコビッチ監督は、スタンドに向けて両手を上げて得意満面だったが、主審はレッドカードを出し監督退席、次の試合も出場停止となった。
 このスーパーゴールに技能賞を出したかったのだが「悪ふざけ」ととられて、ビバ!サッカーにもレッドカードが出されるおそれがある。それで、番外特別賞とする。

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サッカー日誌 / 2010年01月21日


日本サッカー大賞(中)


殊勲賞は岡崎、敢闘賞は明大
日本代表と天皇杯に関連して

★岡田日本は対象外
 恒例のビバ!サッカーの3賞も選考する。
 2009年度のトップレベルのサッカーで起きた出来事で、大きなものが3つあった。
 国際的なものでは、日本代表のワールドカップ決勝大会進出がある。しかし、岡田監督は「世界のベスト4をめざす」と言うのだから、アジア予選を通過したぐらいで表彰するわけにはいかない。
 国内では、リーグで鹿島アントラーズのリーグ3連覇、天皇杯でガンバ大阪の2連覇などがあった。いずれも達成困難な記録である。しかし、鹿島は「大賞」で表彰したので3賞の対象からは外すことにする。
 カップ戦2連覇も達成困難な記録である。ただJリーグ発足後でも2005~06年に浦和レッズの前例がある。新たな業績とは言い難い。

★代表でゴール量産の岡崎
 しかし、日本代表チームに関連することも記録に留めて置きたいので、殊勲賞に岡崎慎司を選ぶことにした。
 岡崎は滝川二高のときに高校選手権で活躍し、清水エスパルスに入って5年目。日本代表に選ばれたのは2008年の9月からである。2009年には日本代表チームで16試合に15得点。国際サッカー歴史統計協会(IFFHS)の世界得点ランキング1位に選ばれた。国によって試合数も大会方式も違うので「世界の得点王」と呼ぶのは適当ではないが、「決定力がない」と言われていた日本代表でゴールを量産したのは殊勲である。
 国際舞台で強い相手に通用するかどうかは未知数だが「岡田ジャパン」に新しい選択肢を与えたことは評価に値する。こういう選手が、高校では認めたれていたのに、日本サッカー協会の「英才育成」の対象に入っていなかったのは、一つの問題点である。

★天皇杯で波乱を起こした明大
 国内のイベントでは、全日本選手権で男子はガンバ大阪の2連覇、女子は日テレ・ベレーザの3連覇がある。運が大きな比重を占めるカップ戦に連覇するのは、たいへんなことだが、記録としては初めてではない。
 そこで、男子の天皇杯でJリーグ勢を連破した明治大学を敢闘賞に選ぶことにした。
 明大は、天皇杯の2回戦でJ2の湘南ベルマーレを1対0で破り、3回戦でJ1のモンテディオ山形に3対0で勝った。準々決勝でJ1のアルビレックス新潟に敗れたが、Jリーグ発足以降、プロのJチームを、大学勢が破ったのは初めてだった。
 このことが、日本サッカーの歴史の上で、どういう意味を持つのかは、まだ明らかではない。偶然の結果かもしれない。しかし、カップ戦の面白さを示してくれたことだけでも、ビバ表彰の記録に留めておく価値はあるだろう。

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サッカー日誌 / 2010年01月19日


日本サッカー大賞(上)


グランプリは「鹿島アントラーズの運営」
リーグ3連覇で新しい伝統を築く

★3連覇を生み出した「要因」
 じゃじゃーん! と鳴り物入りで、ビバの2009年度「日本サッカー大賞」を選考する。
 「もう2010年の1月後半だぞ。いまごろ2009年の話とは間が抜けてるじゃないか」という声も聞こえるが、わがビバ!サッカーは、融通無礙(ゆうずうむげ)である。唯一の選考委員の都合もあり、天皇杯が終わり、高校選手権が終わるのを待って、じっくり選考したのだ。
 じゃじゃーん!
 「2009年度の日本サッカー大賞は、Jリーグ3連覇を記録した鹿島アントラーズの運営」に決定いたしまーす!
 「運営ってなんだ。チームや監督じゃないのか」という質問が出そうだが、そのとおり。3連覇そのものではなく、3連覇を生み出した「要因」にスポットを当てる。

★運営スタッフの功績
 単に優勝しただけでは表彰しないのが、ビバ表彰の伝統である。優勝は、カップをもらったときに、すでに表彰されている。そのカップの上に、さらにカップを重ねるようなことは、ビバ!サッカーではしない。
 ビバには2つの選考基準がある。
 一つは、新しい記録を歴史に留めることである。
 もう一つは、新しい功績を歴史に留めることである。
 アントラーズの3連覇はJリーグ史上初である。通算7度目の優勝は記録更新である。これは新しい記録である。しかし、それだけでは、表彰するのに十分ではない。
 記録を生みだしたのはアントラーズの運営スタッフ、いわゆる「フロント」が、Jリーグ発足以来、一貫してチーム作りを成功させてきた。その功績こそ表彰に値する。

★ジーコの基礎を発展させる
 鹿島アントラーズの前身は住友金属サッカー部だが、浦和の前身の三菱のようなトップレベルのチームだったわけではない。
 Jリーグに加わったときは、ほとんどゼロからに出発だったと言っていい。しかし、ブラジルからジーコを招き、そのプロのノウハウを学び、それを受けついで発展させてきた。
 アントラーズの社長も、運営スタッフもJリーグ発足以来、17年間に入れ替わっている。社長やスタッフが変ると、前任者の業績をないがしろにして、とかく新しいことを試みたがるものである。しかし、アントラーズはジーコたちが残した路線を受けつぎ、そこに新しいものを加えて、新しいものを積み重ねてきた。いまや、それが鹿島の「伝統」になりつつある。
 鹿島アントラーズ歴代のスタッフの適切な運営に大賞を贈ることにする。

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サッカー日誌 / 2010年01月16日


第88回高校選手権(5)


クラブ育ちと中高一貫
高校サッカーの様変わりを考える

★山梨学院は全員クラブ育ち
 高校選手権大会のプロ(冊子)で調べると、初出場で初優勝した山梨学院のメンバーの「前所属チーム」は全員がクラブである。中学校サッカー部出身は一人もいない。
 決勝戦に出場した14人(交代を含む)のうち、4人はFC東京ジュニアユース(中学生年齢)の「FC東京U-15むさし」である。準決勝、決勝で活躍した殊勲者の伊東拓弥は「レイソルSS青梅」、ストライカーの佐野敬祐は「名古屋グランパスエイト三好FC」とある。Jリーグ・クラブ系列のチームからスカウトして集められているわけである。
 「背の高い選手がいないんです」と横森監督は言っていた。体格がよく、運動能力が高い子は、Jクラブの「ユース」にあがる。テクニックはいいが小柄な子は、あげてもらえなかったので高校のサッカー部で「選手権」をめざす―― のだろうなと推測した。
 「将来に複数の路線があるのは悪くないのかな」とも思った。

★青森山田は一貫教育
 準優勝の青森山田の選手の「前所属チーム」は中学とクラブが半々だが、決勝戦で出場した13人では10人が中学校サッカー部出身である。そのうち6人は青森山田附属中学から上がってきている。こちらは中高一貫教育による育成である。
 ルーテル学院(熊本)、日章学園(宮崎)、神村学園(鹿児島)も中高一貫組のようだ。
 中高一貫の利点が二つある。
 一つは、良い指導者に恵まれればの話だが、6年間続けて、よいサッカーを身につけることができることである。
 もう一つは、中学のときに、年上の強い、あるいは、うまい選手といっしょに練習できることである。ただし、高校の上に、さらにいいクラブチームがないと、高校では年上のレベルの高い選手を直接、見習うことはできない。

★現在は過渡期
 高校選手権のプロ(冊子)を見た限りでは、ほとんどの出場校が、クラブと中学の両方の出身者で構成されている。中学サッカー部出身者だけというのは、地方勢の一部である。 高校サッカーは「様変わり」しつつある。これには、二つの問題点があると考えた。 
一つは「中学校のサッカーは、どうなっているのか?」である。
 Jクラブあるいは高校選手権全国大会をめざすような選手にとっては「様変わり」によってチャンスは広がっている。しかし、ふつうの中学生にとって、サッカーをする場が狭くなっているようなことは、ないのだろうか?
 もう一つは「高校サッカーは、これからどうなっていくのだろうか」である。
 クラブ育ち中心、クラブ育ちと中学校サッカー部出身者の混在、中学サッカー部出身者のみ、中高一貫の育成と、現在の高校サッカーは過渡期にある。

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サッカー日誌 / 2010年01月15日


第88回高校選手権(4)


山梨学院・横森監督、4度目の正直
高校監督の経験+クラブ育ちの選手

★27年ぶりの決勝進出
 優勝した山梨学院の横森巧監督は、25年以上前に韮崎高を率いて高校選手権に5度出場し、そのうち4度はベスト4に進んだ。しかし、3度も決勝に進出したのに1度も優勝できなかった。山梨学院の監督として優勝したのは、横森個人としては「4度目の正直」だった。前回の決勝進出は1982年度の第61回大会である。
 「27年前との違いはなんですか」と聞かれて、横森監督は「運でしょう。今回は運が良かった」と答えた。
 本当のところは、今回、横森監督が成功したのには、いろいろな要因がある。
 第1は、選手がよかったことである。韮崎は県立校で、集められる選手は限られていた。山梨学院は私立でサッカー部を重点強化している。選手の大部分はクラブ育ちで、JリーグのFC東京のジュニア・ユース出身が多い。

★高校指導者としての経験
 第2は、韮崎は指折りのサッカーの名門校だったが、山梨学院は5年前からサッカーを強化し始めた新興チームであることだ。名門校はうるさい先輩が大勢いてやりにくいこともある。新興チームに迎えられた立ち場だと思うようにできる。
 第3には、高校の指導者としての長年の経験がある。教員として、またサッカー部の監督として、若者たちの扱いには年季が入っている。
 第4には、サッカーにじっくり取り組む時間があることだ。現役の高校教員だと授業の準備や学校内の行事などに時間をとられるが、教員としては定年退職後だからサッカーに打ち込める。
 第5には、「高校選手権の戦い方」を知り尽くしていることだ。技術論や戦術論のマニュアル通りでは勝てないことを長年の経験で身にしみて知っている。

★一石二鳥の指示
 決勝戦で山梨学院の選手たちは、最初の20分くらいの間に、入りそうもないロングシュートを、どんどん試みた。これも横森監督の作戦だった。
 「青森山田も立ち上がりに勝負をかけて前へ出ようとするだろう。遠くからでもシュートを打って、相手を下がらせる」という狙いだった。攻めの最後は「シュートで終わらせよう」と指示したという。中盤でボールを奪われないように、という趣旨を「シュートで終わらせよう」という言葉で示したわけである。中盤でボールを奪われないように心掛け、かつ相手を下がらせる。そのための指示として「シュートで終わらせろ」という言葉は一石二鳥だった。その効果をベテランの監督は、しっかり計算していた。
 技術のある選手たちを、高校生指導のベテランが使いこなした。それが山梨学院優勝のいちばんの要因だったのだろうと思う。

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サッカー日誌 / 2010年01月14日


第88回高校選手権(3)


山梨学院、立ち上がり勝負で初優勝

決勝 山梨学院(山梨)1-0 青森山田(青森)
1月11日(祝)東京・国立競技場

★燃えに燃えて走る
 決勝戦が始まったとき「ああ、やはり高校サッカーだな」と思った。
 激しいボールの奪い合い、縦への蹴り合いの応酬、攻めを急いでパスミスの連続……。かつての高校選手権でよく見られた試合ぶりである。
 そうなったのは双方の監督の作戦の結果だったらしい。
 山梨学院の横森巧監督は「前半が勝負だ。立ち上がりに目いっぱいやれ」と指示したという。青森山田の黒田剛監督は「相手は最初から飛ばしてくるぞ。開始10分~15分、集中していこう」と注意したという。
 選手たちは燃えに燃えて、最初から走り回り、激しく当たろうとした。意気込みとスピードが、ボールをコントロールする技術力を超えていた。それで縦へと急ぎすぎ、ミスが多くなったのだろう。

★青森山田のミスを拾う
 3分ほどたってから、山梨学院にすこし落ち着きが出てきた。中盤で相手のミスを拾い、すばやくパスをつないでサイドから走りこむ。そういう攻めが出はじめた。
 11分にそれが実る。相手のパスミスを拾ってつなぎ、左サイドの鈴木峻太がゴールライン際まで持ち込み後ろへパス。ゴールエリアの角のあたりで碓井鉄平が蹴りこんだ。
 テンポの速い攻防のなかで青森山田のほうにミスが多かった。山梨学院はそのミスをついて、スピードのなかでも技術を生かすことができた。
 その後、試合のテンポは、しだいに落ち着いてきて、青森山田にもかなりチャンスはあった。しかし中盤の起点の柴崎岳が抑えられて得点はできなかった。ボールはコントロールできるのだが、パス出し、シュートの判断がちょっと遅い。そこに山梨学院との差があった。1-0。山梨学院の初優勝である。

★「高校選手権の戦い方」
 決勝戦では最初から飛ばす。これは一つの「高校選手権の戦い方」である。
 短期集中のカップ戦(勝ち抜きトーナメント)だから、試合と試合の間に休養する期間が少ない。だから、準決勝までの試合は鞭(ムチ)の入れどころが難しい。優勝を狙うチームの監督は、決勝戦に進出するまでの体力の配分、気力の盛り上げ方を考える。
 しかし、決勝戦になれば、もう次の試合を考える必要はない。最初から鞭をいれて先取点を狙う。疲れが出ても後半は「勢い」で気力の戦いをする。
 ただし、今回の決勝戦は、かつての「高校選手権の戦い方」とは違う点もあった。先取点をあげたあとの山梨学院は、後半、青森山田の総攻撃に押し込まれたとき、気力を振り絞って守っただけでなく、集中力を保ち、一人一人の判断力を組み立ててプレーしていた。
 山梨学院の選手の個人の能力の高さが優勝へと導いたように思う。

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サッカー日誌 / 2010年01月13日


第88回高校選手権(2)


同点ドラマ、白熱のPK戦

準決勝第2試合
青森山田(青森)2-2(PK3-2) 関西大第一(大阪)
1月9日(土)東京・国立競技場 

★2点リードに最後の4分で追いつく
 「サッカーの怖さを思い知らされました」。
 青森山田の黒田剛監督の言葉には実感がこもっていた。最後の4分になって2点を叩き込まれて同点、PK戦へ。2点のリードを保って勝ちきろうとした奮闘が一瞬にして消えた感じだった。
 活発な攻め合いだったが、中盤を支配していたのは青森山田だった。前半31分にPKで先取点。これは成田鷹晃のドリブル突破が相手の反則を誘ったもの。39分に2点目。中盤の椎名伸志がドリブルしながら相手ゴールキーパーが前へ出ているのを見て、その頭越しにループシュート。好判断と技ありのゴールだった。
 テクニックでまさっており、後半もパスをつないで攻めていたから、この2点のリードで勝ちきれる ― ほとんどの観客が、そう思っていたに違いない。

★追加時間に同点ゴール
 関大一が1点差にしたとき、時計は後半44分だった。左からボールをつないで攻め込み、競り合いで奪ったボールを久保綾祐が叩き込んだ。最後の総攻撃がやっと実った形だが、追いつくにはもう1点必要だ。ロスタイムの表示が「3分」と出た。
 追加時間1分に、関大一がフリーキックを得た。センターサークルの後方外側、ゴールまで75㍍ほどある位置だった。
 関大一のフィールドプレーヤーは、10人全員がゴール前へ進出した。ゴールキーパーの樫根啓人が中盤まで出てきてフリーキックを蹴った。ゴール前へ放り込まれた混戦から跳ね返されたボールが右サイドにいた井村一貴の前へこぼれた。迷わず左足を振りぬいたシュートがゴールに突き刺さった。
 同点。この大会では、準決勝までは延長戦はない。PK戦である。

★PK戦でGK櫛引が殊勲
 なぜ、ぎりぎりの時間帯になって2分の間に2点も入るのか?
 青森山田の試合運びの欠陥を取り上げることはできる。中盤での反則、猛反撃に浮足立つ経験不足、危機をコントロールできるリーダー不在など。しかし、奇跡を生んだのは、関大一のチーム一丸となった執念としか思えなかった。ゴールキーパーが中盤まで出てきてフリーキックを蹴った姿に、それが表れていた。
 PK戦では、青森山田のゴールキーパー、櫛引政敏が5本のうち最初の2本と最後の5本目を叩き出した。櫛引は夏の高校総体のとき、神村学園とのPK戦では、すべて読み違えて1本も防げなかった。それからPKの止め方を研究したという。若い選手は経験によって鍛えられる。
 選手たちにとっても、観客にとっても、思い出に残る白熱の準決勝だった。

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サッカー日誌 / 2010年01月11日


第88回高校選手権(1)


技術と判断力のいい山梨学院

準決勝第1試合 山梨学院(山梨)2-0 矢板中央(栃木)
1月9日(土)東京・国立競技場

★ベスト4は粒ぞろい
 高校サッカー選手権は、準決勝からしか見に行けなかった。国立競技場でベスト4をいきなり見ての感想は「高校の選手は、みなうまいなあ」である。1、2回戦から見ていれば、それほどでもない選手も目についたのだろうが、ベスト4に出てくるようなチームは、選手の粒がそろっている。
 特によかったのは山梨学院だ。短いパスをつないで攻めるのが特徴だった。その攻めは、ちゃんと機能しているように思った。
 ところが翌日の新聞をみると、ぼくの印象とは違う。
「持ち前のパスサッカーを封じられたのはシュート数13-18を見れば一目瞭然」(朝日)、「自慢のパスサッカーは寸断された」(読売)とある。
 準々決勝までの4試合では、もっとパスがつながっていたのだろう。

★シュートの判断がいい
 準決勝ともなれば、相手もレベルが高いから、そう簡単には攻めさせてはくれない。それでも、山梨学院はよくパスをつないでいるように見えた。中盤での相手のプレスが厳しくても、それをしのぐだけのテクニックを持っていた。
目についたのは中盤の守りの碓井鉄平、前線から中盤にかけて攻守に動き回った伊東拓弥、ドリブルのいい左サイドの鈴木峻太、左ディフェンダーの藤巻謙である。
 ゴール前では、相手の守りはさらに厳しいから、なかなかシュートはできない。それでも13本のシュートが記録したのは立派である。
 感心したのは、シュートのタイミングがいいことだ。とくに相手の守備ラインの外側からの中距離シュートを適切な判断で放っていた。
 一人一人の判断力のよさに感心した。

★矢板の猛反撃をしのぐ
 前半34分の1点目は右スローインからチャンスを作り、碓井がドリブルで攻め込みシュート、相手のゴールキーパーがはじいたのを左から詰めていた鈴木が決めた。
 一方の矢板中央は、身長1㍍87の中田充樹をトップに押し立てて激しく反撃した。後半のシュート数は13-3と一方的である。ただし、積極的にシュートしたのはいいのだが、相手のディフェンスに正面からぶつけたり、ゴールの枠外に飛んだり、得点にはなりそうもない無理な、あるいは不正確なシュートが多かった。
 とはいえ、矢板中央の後半の猛反撃は、高校サッカーらしいスリリングなものだった。
 山梨学院は、矢板の猛攻をしのぎにしのいで、後半40分に2点目をあげた。すばやい逆襲からの縦パスを伊東がつなぎ、碓井が決めた。
 山梨学院の勝因は、判断のいいシュートと粘り強い守りだった。

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