サッカー日誌 / 2015年12月31日


新国立競技場、今後の問題(5)


トトから建設・維持費

設計・施工案を最終決定
(12月22日・関係閣僚会議)
「未来へ手渡す会シンポ」
(12月23日・東京信濃町)

★工費の4分の1
 新国立競技場の設計・施工案が決まった新聞報道と同じ日の紙面に、建設費にトトの収益をあてるという記事が掲載されていた。
 新国立競技場の工費は、旧競技場の解体費などを含めると1581億円と試算されている。
 政府と東京都は、3週間前の12月1日に、その負担割合について合意している。
 国が2分の1、都とトト(スポーツ振興くじ)が4分の1ずつということである。
 トトのお金を400億円近く使うわけである。
 トトの売り上げは、半分が当選者への賞金になり、運営費を除いた残りが収益になる。
 収益の3分の1が国庫に納付され、残りがスポーツのためにスポーツ団体や地方自治体への助成に当てられている。
 その中から新国立競技場の工費も出されるわけである。

★スポーツへの直接援助
 トトの収益のうち、国庫納付金の割合を3分の1から4分の1に引き下げ、スポーツへの助成を、それぞれ4分の3に引き上げる。
 要するに、政府に納める割合を減らして、その分を直接スポーツへの助成に回す。そういう考えらしい。
 いい方向だと思う。なぜなら、トトはもともと、スポーツ振興のためのものだからである。
 この案は、9ヶ月前の3月に、国会のスポーツ振興議員連盟で打ち出したもので新しい案ではない。また今後、法律の改正などが必要なので決定したわけではない。
 ともあれ、トトの収益を新国立競技場の建設に使うのが適切かどうか?
 これは、考えてみる必要がある。

★トト財源を垂れ流すな
 建設工費だけでなく、出来上がったあとにも、トトのお金が、新国立競技場に、つぎ込まれる可能性がある。
 競技場の維持・管理費は年間35億円になるという試算がある。人件費などのほかに、芝生やナイター設備の管理に、お金がかかる。
 これを、使用料でまかなうことは、できそうにない。
 1年は52週である。
 仮に、年間の維持管理費が35億円だとすると、1週あたりは6700万円余りになる。 
 この金額を使用料として支払うことができるスポーツ・イベントはないだろう。
 そこで、その穴埋めを、トトに頼ろうという考えが生まれているわけである。
 本来は政府予算で賄うべき国の施設の建設と維持管理の穴埋めに、トトの財源を垂れ流していいのだろうか?


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サッカー日誌 / 2015年12月30日


新国立競技場、今後の問題(4)


神宮外苑の環境と景観

設計・施工案を最終決定
(12月22日・関係閣僚会議)
「未来へ手渡す会シンポ」
(12月23日・東京信濃町)

★「そもそも論」がない
 「神宮外苑と国立競技場を未来に手渡す会」のシンポジウムで、サッカー・ジャーナリストの後藤健生さんが「新国立競技場の議論には“そもそも論”が欠けていた」と指摘した。
 そもそも、なぜ国立競技場を建てかえる必要があるのか?
 そもそも、神宮外苑を、どう再整備すべきなのか?
 そういう原則を議論しないで、工費が高すぎるという批判ではじまり、東京オリンピックに間に合わせるための工期の信頼性で決着した。
 目的を考えずに、手段だけが問題にされたのである。
 「そもそも論」を、改めて考えてみたい。
 そもそも。
 国立競技場が建設されたのは、1958年の第3回アジア競技大会のためである。それから半世紀以上たっている。
 鉄筋コンクリート自体が劣化していた。地震対策もあって建てかえるほかはない状態だった。

★建てかえは、そもそも必要
 そこへ2019年のラグビー・ワールドカップと2020年東京オリンピックの開催計画が重なり、建てかえ予算をつけやすい状況になった。
 ラグビーのワールドカップのためには、工期が間に合わない結果になったが「東京オリンピックのため」は、建てかえ予算をとるための名目になった。それだけである。
 そういうわけで、国立競技場の建てかえは、そもそも、必要だったのである。
 だから、明治神宮外苑を、どう整備するかは、オリンピックに関係なく考えるべきだった。
 神宮外苑の再整備について、三つの考え方があったと思う。
 第一は、明治天皇の遺徳を偲ぶために作られた明治神宮外苑の「たたずまい」を保つことである。
 これは、2020年東京オリンピックの記念碑になるような建造物を残そうという考えとは相容れない。

★スポーツか、環境か?
 神宮外苑を再整備する前に、この貴重な敷地を、スポーツセンターにするのか、都民のための自然公園にするのかを、そもそも決めておく必要があった。
 しかし、そういう議論は、あまり行なわれなかった。
 スポーツセンターにするのであれば、陸上競技場を残すべきだろう。
 一方、自然公園として整備するのであれば、巨大なスタジアムはないほうがいい。
 新国立競技場の「設計・施工」の採用案は、高さ49.2メートルである。
 70メートル以上だった当初のハディド案にくらべると、景観への影響は小さい。
 しかし、5万人規模の旧国立競技場は、高さ30メートルだった。
 8万人規模のスタジアムを作るとなると、環境と景観を守ることは難しいようだ。


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サッカー日誌 / 2015年12月29日


新国立競技場、今後の問題(3)


サッカー専用にするのか?

設計・施工案を最終決定
(12月22日・関係閣僚会議)
「未来へ手渡す会シンポ」
(12月23日・東京信濃町)

★トラックの上に観客席増設?
 東京オリンピック2020のあと、新国立競技場を陸上競技では使えないのだとすれば、何に使うのだろうか?
 新聞などには「サッカー、ラグビーなどの球技場に」と書いてある。
 ラグビーのためには、秩父宮ラグビー場を、東京オリンピックの後に改装することになっている。ラグビーは、改装された秩父宮ラグビー場を使い続けることになるだろう。
 そうであれば、新国立競技場は、ほとんど「サッカー専用」の球技場になる。
 しかし、2020年の東京オリンピックのときに陸上競技を行なうことは大前提である。だから400メートルのトラックは作るほかはない。
 オリンピックの後には、トラックの上に張り出すように、スタンドを継ぎ足して、観客席を増やすのだろうか?

★サッカー場としての設計を
 大成建設グループの設計・施工案は、スタンドは三層構造で傾斜が急である。サッカーの試合を見るのにはいい。
 このスタンドの最下段を、オリンピックのあとには、トラックの上まで延長できる設計案になっているのだろうか?
 そのあたりが、ぼくには、よく理解できない。
 東京オリンピック後に、サッカー専用競技場にする予定であれば、はじめからサッカー場にふさわしい設計にしておくべきだろう。
 こまかい部分は、手直しできるにしても、スタンドの構造の大改造は難しい
 サッカー場として設計したうえで、陸上競技の施設を仮設することを考えなければならない。
 オリンピックの陸上競技を、仮設の施設で行なうのがいいのかどうか?
 これは、これで別の問題ではあるが…。

★過去の五輪スタジアム
 「神宮外苑と国立競技場を未来に手渡す会」のシンポジウムで、サッカー・ジャーナリストの後藤健生さんが、過去のオリンピックのメーン・スタジアムが、大会後にどう使われているかを話した。
 シドニーのスタジアムは、クリケットとフットボールに使っている。 
 アトランタは、野球場に改装されてブレーブスの本拠地である。
 アテネ、ロンドンは、サッカー・スタジアムである。
 陸上競技で常時活用されているところはない。
 東京オリンピックの新国立競技場も、似たような運命をたどるのだろう。
 陸上競技場として建設し、サッカー競技場として使う。
 陸上競技にとって有益でないし、サッカーにとっても使いにくいものになる恐れがある。



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サッカー日誌 / 2015年12月28日


新国立競技場、今後の問題(2)


陸上競技場として残すのか?

設計・施工案を最終決定
(12月22日・関係閣僚会議)
「未来へ手渡す会シンポ」
(12月23日・東京信濃町)

★サブトラックを残せない
 新国立競技場を、東京オリンピック2020のあと、どう使うのか?
 これが、もっとも重要な問題だが、あまり議論されていない。
 というより、議論が表に出るのを避けているようだ。
 東京オリンピックで陸上競技場として使うために、新国立競技場を建設するのだが、オリンピックのあとに陸上競技で使う見通しは示されていない。
 将来は役に立たないものに、千数百億円の建設費を投じることが分れば、世論の非難を浴びかねない。
 だから、表に出ないようにしているのではないか?
 オリンピックのあとに、陸上競技場として使えない、もっとも大きな理由は、サブトラックを残せないことである。
 公式の陸上競技会を開くためには、競技場の近くに練習用の400メートルのトラックが必要である。それが国際的な規則である。

★東京五輪では仮設
 2020年の東京オリンピックのときには、神宮外苑の絵画館前の広場に、サブトラックを仮設することになっている。
 このサブトラックは、オリンピックの後には撤去する予定である。
 オリンピック後には、サブトラックがなくなるのだから、その後は、新国立競技場で公式の陸上競技会は開けない。
 つまり、新国立競技場は、陸上競技場としては、2020年のオリンピック限りのものである。
 サブトラックを、2020年後にも残すことはできないのだろうか?
 陸上競技のためには、それが望ましい。
 しかし、神宮外苑の限られた敷地に、400メートルのトラックを二つも作るのは、環境を守るためには問題である。

★球技専用スタジアムに?
 サブトラックを残せないのであれば、新国立競技場内の400メートル・トラックは、東京オリンピックのあとは、まったくのムダになる。
 陸上競技にとって役に立たないだけでなく、サッカーなどの球技の観客にとても邪魔である。
 そういうスタジアムを、2020年、1年だけのために、1千億円以上をつぎ込んで建設していいのだろうか?
 選択肢は2つある。
 一つは、神宮外苑の環境と景観を犠牲にして、サブトラックを残すことである。つまり、陸上競技場として使うことである。
 もう一つは、東京オリンピックのあと、陸上競技のトラックの部分に観客席を増設して、8万人収容の球技スタジアムにすることである。つまり、サッカーなどの球技専用の大スタジアムにすることである。


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サッカー日誌 / 2015年12月27日


新国立競技場、今後の問題(1)


将来は何に使うのか?

設計・施工案を最終決定
(12月22日・関係閣僚会議)
「未来へ手渡す会シンポ」
(12月23日・東京信濃町)

★サッカーは見やすい
 東京オリンピック2020のメーンスタジアムになる新国立競技場の設計・施工案が決まった。
 当初の案が白紙撤回されたあと、新提案を公募し、最終的に残った2案のうち、大成建設グループの案が選ばれた。
 曲折はあったが、これで「本決まり」だろう。
 最後に残った2案は、ともに当初のザハ・ハディド案よりも簡素でいいように思った。神宮外苑の景観を、それほどは損なわない。デザインとしては、甲乙つけがたい。
 大成建設グループの案は、有名な建築家の隈研吾さんのデザインである。
 観客席は3層構造、傾斜が急だから、サッカーの試合は、見やすいだろう。
 将来は8万人のお客さんを集める予定のスタジアムである。観客にとって見やすいことは重要である。
 隈さんの案に決まったのは、サッカーにとってはよかった。

★ハディド案撤回は成果
 設計・施工案が決まった翌日に「神宮外苑と国立競技場を未来へ手渡す会」のシンポジウムがあった。
 「未来へ手渡す会」は、3年越しで「神宮外苑の環境と景観」を守るための運動を続けてきたグループである。
 環境にそぐはない重厚巨大な当初のザハ・ハディド案が白紙撤回されたのは「未来へ手渡す会」にとって、大きな成果だった。
 その代わりに、公募によって提案されたA案(大成建設グープ)とB案(竹中工務店グループ)の、どちらがいいかを論議するのが、シンポジウムの狙いだったのだろう。
 パネリストは、主として大学の先生で、建築、土木、あるいは環境問題の専門家だった。
 しかし、シンポジウムの前日にA案に決まったので、A案とB案を比較して、どちらが環境にとっていいのかを議論しても、あまり意味のない状況になった。

★まだ、問題は多い
 そういう意味では、ピントのずれたシンポジウムになったのだが、フロアで聞いていて、新国立競技場の今後については、まだ、多くの問題が残されていることに気がついた。ぼくにとっては、勉強になったシンポジウムだった。
 「たとえば」である。
 サッカーにとって見やすい観客席になるにしても、新国立競技場が、東京オリンピック2020のあと、主としてサッカーの試合のために使われるのかどうかは、明らかになっていない。
 オリンピックのときに、開閉会式と陸上競技に使うことは大前提だが、そのための設計が、オリンピック後の利用に役立つかどうかは疑問である。
 また、将来的に8万人収容のサッカー・スタジアムにするという構想が、神宮外苑の環境と景観にとって、いいかどうかにも議論の余地がある。


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サッカー日誌 / 2015年12月22日


日本ラグビーの将来(下)


トップリーグを盛り上げるには

「サロン2002」例会
(12月16日・筑波大附属高)

★観客数が伸びない
 日本のラグビーの将来を左右するのは、高校生年代と「トップリーグ」だろう。
 サロン2002の12月例会で、ラグビー協会の関係者のお話を聞いて、そう思った。
 底辺を担うのは高校生年代であり、頂上を担っているのは「トップリーグ」ではないか。
 ラグビーの観客数は、プロ以外のスポーツでは、もっとも多いといっていい。
 しかし「トップリーグ」の観客数は伸び悩みだという。
 「トップリーグ」のレベルは高い。
 ニュージーランドや南アフリカ代表の世界的レベルの選手が、日本の「トップリーグ」のチームでプレーしている。
 レベルが高く、おもしろい試合が多いのに、観客数は、それほど伸びない。
 なぜだろうか?

★大学ラグビーとの比較
 早慶明の大学ラグビーが、国立競技場に多数の観衆を集めた時代があった。
 トップリーグの関係者は、それにくらべて、現在のラグビーのサポーターが少ないと感じているようだ。
 「早慶明ラグビーは、学校行事だったんですよ」という話を聞いた。
 学校行事として応援に行くのだから、授業に出席するのと同じ扱いになったのだろうか?
「トップリーグ」は、企業チームのリーグである。
 大学の学生や卒業生が母校のチームを応援に行くのと比べるのは無理である。
 関東大学ラグビーでは、入場料収入を、対戦する両校のラグビー部と関東ラグビー協会の三者が、三分の一ずつ分けるのだと聞いたことがある。
 そうだとすれば、入場料収入は三者にとって重要なので、それぞれが観客を増やすことに力を入れることになる。

★地域のクラブにすべきだ
 大きな会社にとっては、スポーツの入場料収入は微々たるものである。
割り当てられた入場券を一生懸命売る手間を掛けるより、福利厚生費で買い取って、社員に無料で配ったほうがいい。
 しかし、タダの切符をもらった人は、必ずしも見にいくとは限らない。雨が降ったり、ちょっと都合が悪かったりすると、スタジアムには出かけない。
 企業チームの集りである「トップリーグ」のスタンドが埋まらないのは、そのためではないか、と考えた。
 「トップリーグ」のチームは、企業から独立して、地域のクラブとして自主運営すべきではないか?
 選手たちは社員ではなく、フルタイムの「プロ」であるべきではないか?
 日本のラグビーの将来は、その決断にかかっていると思う。


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サッカー日誌 / 2015年12月21日


日本ラグビーの将来(中)


集中強化主義でいいのか?

「サロン2002」例会
(12月16日・筑波大附属高)

★「しぼって強化」
 「サロン2002」の12月例会で聞いたラグビー関係者のお話のなかに「しぼって強化」という言葉があった。
 代表チームについてである。
 いい選手を集めて、集中的に「一つのチーム」として鍛え上げる。
 それを「しぼって強化」というらしい。
 ラグビー協会の方針だという。
 「集中強化主義」ではないか、と思った。
 サッカーの代表チーム作りとは違う。
 サッカーでは、選手たちは、いろいろなチームに分散している。
 主力の大部分は、ヨーロッパで、プレーしている。
 この選手たちを、常時集めて「一つのチーム」として鍛え上げることは不可能である。

★短期の強化には有効
 いろいろなクラブでプレーしている選手たちを、その都度、集めて代表チームを編成する。
 それが、現在のサッカーの「代表チーム作り」である。
 選手には、臨時に集められてもチームとしてプレー出来る適応力が求められる。
 一方、ラグビーの「しぼって強化」は、短期間にチームを強くするためには有効である。
 同じ仲間で、同じ練習を重ね、お互いを知り、チームプレーをまとめることができるからである。
 日本のサッカーでも、かつては、集中強化方式を重視していた時期があった。
 1964年東京オリンピックのための「選手強化」は、少数精鋭による「集中強化」だった。
 それが1968年メキシコ・オリンピックの銅メダルとして実った。

★集中強化の弊害
 しかし、集中強化には弊害がある。
 一つには「しぼって強化」した代表チームが終わったあと、次の世代が続かないことである。
 サッカーでメキシコ・オリンピック銅メダルのあと、杉山、釜本などが引退すると代表チーム衰退の時期が続いた。
 また、少数の選手にしぼって強化すると、ほかの多くの選手たちが、代表チームへの関心を失う。
 「代表選手は代表チームでやればいい。われわれは自分のクラブでやる」という気持ちになる。
 強化にとっても、普及にとっても、大きなマイナスである。
 日本のラグビーの最大の課題は、競技人口の縮小を食い止めることではないかと思う。とくに高校チームの減少が問題である。
 そういう状況の中で、代表チームの「しぼって強化」を続けることがいいのだろうか?


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サッカー日誌 / 2015年12月20日


日本ラグビーの将来(上)


高校チームの急減が問題

「サロン2002」例会
(12月16日・筑波大附属高)

★ワールドカップの追い風
 「サロン2,002」の12月例会で、ラグビー関係者のお話を聞いた。
 「サロン2002」は、筑波大学附属高校の中塚義実先生が主宰している「サッカーを語る会」である。
 サッカーが中心だが、そのほかのスポーツも取り上げる。
 とくに、ラグビーは、同じフットボールの仲間だから、ときどきテーマになる。
 2015年は、ラグビーにスポットが当たった年だった。
 ラグビー・ワールドカップで、日本代表が南アフリカに勝ち、五郎丸選手が「時の人」になった。
 2019年のワールドカップは日本で開かれる。
 日本のラグビーにとっては、強い「追い風」が吹いたと言っていい。
 日本ラグビー協会は、この「追い風」を利用して、ラグビー振興をはかりたいところである。

★高校チーム数の急減
 しかし、日本のラグビーには、いろいろな問題があるように思った。
 第一は、競技人口が急速に減りつつあることである。
 現在、日本ラグビー協会に登録している競技者数は、子どもから大人まで約10万人だという。
 他のスポーツに比べて「非常に少ない」とは言えないだろうが、登録人口の中心である高等学校のチーム数が大きく減っているのは問題である。
 ラグビーのチームのある高校は、かつては2000校くらいあった。それが、しだいに減って1000校をきりかねない状況らしい。
 日本全体の人口が少なくなっている。高校の生徒数も減っている。
 そのために、ラグビーにとって最低限必要な15人の部員を確保するのが難しくなっているのだという。

★クラブを増やすべきだ
 人口が減っているのも、高校生の数が減っているのも、ラグビーだけの問題ではない。
 しかし、一つのチームの人数が多いラグビーで、高校単位のチームにこだわっていれば、高校チームの数が減るのは当然である。
 実際には、2校あるいは3校の生徒が連合して「高校選手権」に出場しているチームも、かなりあるという。
 はいい。
 通っている高校に「ラグビー部」がないために、ラグビーができない生徒に機会を与えることができる。
 一つの高校が単位でないのであれば「高校チーム」ではなく「ユースクラブ」である。
 ラグビーに限ったことではないのだが、「学校」にこだわらずに、年齢別の「クラブ」で、スポーツ振興を考えるべきではないだろうか?


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サッカー日誌 / 2015年12月17日


新国立競技場の計画案比較


はじめにデザインありき?

設計・施工の技術提案書公表
(12月14日・JSC )

★ハディド案に比べて
 2020年東京オリンピックのメーン・スタジアムになる「新国立競技場」の計画案が、文部科学省外郭団体の日本スポーツ振興センター(JSC)から発表された。
 大手建設業者の2グループだけが公募に応じたという。
 2つの案は、どちらも、当初のザハ・ハディドさんの作品より「すっきり」している。
 ハディドさんの作品は、スタジアム全体を開閉できる総屋根で覆うもので、高さ70メートルの巨大なものだった。
 事業主体であるJSCの当時の責任者の考えに応じたのだろう。
 東京オリンピックの記念建築として後世に残す豪勢な建造物にする。
 これまでにはなかった斬新なものにする。
 そういう考えだったのだろう。

★「和風」のイメージ
 ハディド案は、この考えに応えたものだった。
 巨大な鋼鉄のアーチが支える構造で、重厚な外観を作り出した。
 オリンピック史上はじめての室内開閉会式場、陸上競技場になるはずだった。
 しかし、そのために工費が当初の予算を大幅に上回る見通しとなり、世論の批判を受けて白紙撤回に追い込まれた。
 改めて行われた公募に応じた2案は、ともに「杜のスタジアム」がコンセプトである。
 木材を表に出した「和風」のイメージである。
 これも、JSCの新しい基準に応じたものである。
 A案もB案も似たり寄ったりで甲乙をつけ難いが、外観のデザインについていえば、カラマツの柱で外側を支えるB案のほうが、より「すっきり」しているように思う。
 新聞報道とホームページを見た限りでの話である。

★将来の利用のためには?
 ただし、重要なのは外観のデザインだけではない。
 「機能」のほうが、もっと重要である。
 その点で新聞に載っていた川淵三郎さんの話がよかった。
 「観客席についてはA案がいい。スタンドの傾斜が急なほうが見やすいから」。
 東京オリンピックのPRのためには「かっこいい」スタジアムが欲しい。
 とはいえ、スタジアムは、オリンピックのあと長く使い続けるものである。将来にわたって「使いやすい」ものでなくてはならない
 将来は、8万人以上の観客を収容する予定なのだから、観客にとって見やすいことは、きわめて重要である。
 ハディドの作品でも、今回、発表された2案でも、報道は外観中心で「はじめにデザインありき」のような印象だった。
 だが、新国立競技場は「お飾り」ではない。


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サッカー日誌 / 2015年12月16日


ドーピングをめぐる諸問題(下)


禁止との「いたちごっこ」

ロシア陸上競技選手を摘発
11月9日、WADAが違反を発表
11月13日、国際陸連が資格停止に

★興奮剤の使用
 ドーピング・チェックは「いたちごっこ」である。
 検査の新しい方法が開発されると、別の新しいドーピングの方法が登場する。
 1950年代の後半に新聞社のスポーツ記者になって以来、ずっとドーピングのニュースに付き合い続けていた。
 新聞社の運動部に入って、最初にやらされた仕事が外国の通信社のスポーツ関係の電文の翻訳だった。
 そのなかに、イタリアの自転車選手の興奮剤使用のニュースがあった。ドーピングが問題になり始めたのは、この事件が始まりだったと思う。
 興奮剤は、疲れを忘れさせ、集中力を持続させるためのものである。レースの直前に服用するため、レース後にも成分が残っていて、尿検査で検出された。 
 また、人間の体の中には、もともとはない成分なので、異物と判定できた。

★筋肉増強ホルモン
 その後に、筋肉増強ホルモン(アナボリック・ステロイド)の使用が始まった。
 1976年のモントリオール・オリンピックのとき、東欧の女子競泳選手の筋肉が異常に盛り上がっているのに驚いた。ドーピングによるトレーニングによるものだったろう。
 筋肉を鍛えるトレーニングは、競技の直前に行なうものではない。だから競技会の前に使用を取りやめていれば、競技後の検査で発見することは難しい。
 また、もともと人間の体の中で作られているものなので、異常に大きな数値が出なければ摘発できない。
 検査する側は、筋肉増強剤を検出する方法を開発した。
 また、競技後だけでなく、日常的に「抜き打ち検査」をするようになった。
 しかし、すべてのスポーツ選手を、日常的に検査することは不可能である。

★血液ドーピング
 「血液ドーピング」も登場した。
 エネルギーのもとになる酸素を供給する血液を増やすために、競技の前に輸血するのである。
 それに対して、輸血した他人の血液を判別する検査が開発された。
 そうすると、あらかじめ自分の血液を採取して保存しておき、競技会の前に輸血する方法が工夫された。
 自分自身の血液だから「異物」ではない。
 このように、検査が強化されると、それを潜り抜ける新しいドーピングが始まる。
 検査を潜り抜ける新しいドーピングの開発などは、個人の力でできるものではない。
 大きな組織が専門家を動員して行うに違いない。
 今回のロシアの陸上競技の問題は、組織的なドーピングにメスを入れた点に大きな意味がある。


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