サッカー日誌 / 2013年12月31日


貴重なペレの映像で思ったこと


「サロン2002」忘年会
(12月28日 フットボールラウンジ4-4-2)

★1958年W杯のゴール
 「サロン2002」の忘年会に参加した。
 会場は錦糸町駅から歩いて数分のサッカーバーだった。
 登録メンバーが集まって話をするクラブのような場所である。
 ともあれ、感じのいい広いスペースで、ゆっくりサッカー談義を楽しんだ。
 「サロン2002」の忘年会ではサッカーの「お宝映像」を持ち寄って、それを見ながら飲み、食い、話をする。
 今回は「ペレの映像」がテーマだった。
 ペレは、1950年台から1960年代にかけて活躍したブラジルのスーパースターである。
 1958年ワールドカップ・スウェーデン大会で世界に登場したときのゴールシーンなどを次つぎに見た。

★映画フィルムの時代
 ペレのみごとなテクニックを楽しみながら、こうして現在でもペレがデビューしたころの映像を見ることができるのは実にラッキーであることに気がついた。
 ペレが17歳でスターになったころは、テレビが普及していない時代である。ビデオテープレコーダーはまだ開発されたばかりで非常に高価で、実用化されていなかった。
 そのころ動く映像を記録する方法は映画だった。
 だから初期のペレのプレーの映像は、もとは映画フィルムである。それを後にビデオに変換したものを、いまわれわれが鑑賞しているわけである。
 サッカーの試合を映画で記録するには、カメラを少なくとも90分間、まわし続けなくてはならない。
 ペレのみごとなシュートが、いつ決まるかは分らないのだから、手を抜くわけにはいかない。
 必要なフィルムの量も半端じゃなかっただろう。経費も手間も大変だっただろうと想像した。

★まさに「お宝映像」
 そういう手間とお金をかけて映像記録を残すことができたのは、サッカーの試合だからであり、ワールドカップだったからに違いない。
 ほかのスポーツでは経費の点で難しかっただろう。サッカーでも、ワールドカップのような重要な試合でなければ、できなかっただろう。
 そういう時代にぺレがワールドカップに登場し、そのプレーを、いま見ることができるのは幸いである。
 まさに「お宝映像」である。
 映像でみるペレのテクニックも、他のブラジルのプレーヤーとのチームプレーも、現在の世界のトップレベルと比べて見劣りしない。
 55年前に、この映像を日本で見ることができていれば、日本のサッカーは、もっと早く進歩することができたのではないかと考えた。

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サッカー日誌 / 2013年12月28日


ブラジルW杯の旅行計画


国内移動と宿泊が問題
史上最高のべラボー価格

★入場券は手に入る?
 ブラジル・ワールドカップの組み合わせと日程が決まったので観戦旅行計画を立て始めている人も多いだろう。
 観戦旅行には三つの問題がある。入場券、交通手段、宿泊である。
 入場券については今回からFIFAが販売方法を変え、すべてネットを通じての直接販売にした。そのため入場券を組み込んだツアーは公式には募集されていない。
 大手の旅行社が募集しているツアーは「入場券は各自で取得してください」ということになっている。ただし、ぼくの推測では日本の試合については、入場券入手は難しくはないだろう。
 日本チームの試合の入場券は、日本に居住している人だけを対象に2014年2月7日締め切りで募集が行われている。
 販売予定枚数を上回る応募があった場合は抽選になるが当たる確率は、かなり高いだろうと、ぼくは予想している。

★国内移動費と宿泊費が問題
 というのは、日本から地球の反対側まで長い休暇をとって見にいける人は、それほど多くはないだろうからである。
 また、相手チームのコートジボアールなどから来るサポーターが多いとも思われない。地元のブラジル人にとっても興味のあるカードではない。
 そういうわけで、日本戦に関しては、最終的には供給が需要を上回るだろうと見ている。
 一方、ネット上では早くもヤミ切符が流通している。いまのところ値段は定価の数倍だが、試合日になれば現地ではダフ屋の価格が定価を下回る可能性もある。
 観戦計画の問題は試合の切符よりもブラジル国内の交通手段と宿泊である。
 2013年12月末の時点でネット上で探した限りでは2014年6月のブラジルの国内航空運賃とホテル料金は、通常の4~5倍である。

★様子をみる手もある
 ホテル代については、2~3月以降に下がり始める可能性がある。過去のワールドカップでは、そうだった。ブラジルでも同じになると保証はできないが、旅行社が押えているベッドが売れなくて市場に溢れ出るかもしれない。
 ブラジル国内の移動手段は、いちばんの問題である。
 ただっ広い国なので離れた都市への移動は飛行機に頼ることになる。
 ところが、ネット上で調べたところでは空席は、ほとんどない。あっても価格はべラボーである
 そういうわけで、2013年末の時点で、日本の大手旅行会社が募集を始めたツアーの値段も大べラボーである。日本戦3試合を含め17日間で178万円余というのがあった。入場券は各自取得である。
 絶対に見に行く必要があるのであればべラボーな価格でも利用するしかないが、そうでなければ、3月ごろまで様子をみる手もあるのではないか?

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サッカー日誌 / 2013年12月23日


大学サッカーの役割は?


サッカー史研究会公開シンポジウム
(12月20日 JFAバーチャル・スタジアム)

★竹腰重丸を語る
 サッカー史研究会の主催で公開シンポジウムを開いた。
 「日本のサッカーの発展と東京大学ア式蹴球部 ~竹腰重丸の業績を中心に~」というタイトルである。
 日本のサッカーの歴史の概略を、ぼくが説明したうえで、一般社団法人東京大学LB会(東大サッカー部OB会)の浅見俊雄理事長が、偉大な先輩である竹腰重丸の生涯について映像を駆使して語った。
 大筋はサッカー史研究会の月例会ですでに報告された内容だが、今回はそれを多くの人に知ってもらえるようシンポジウムの形で公開したのである。
 東大の現役のサッカー部員、約60人にも聴衆として参加してもらった。
 先輩たちが日本のサッカーの歴史のなかで果たしてきた仕事を知ってもらうために、大学リーグが終わったこの時期に開いて、なかば強制的に参加させたのである。

★東大黄金時代の使命感
 1920年代から1930年代にかけて、戦前の日本のサッカーは大学を中心に発展した。
 東京高師(現在の筑波大)にはじまり、東大、早大、慶大が、それぞれ関東で黄金時代を築いた。
 東大は1926年~1930年(大正15年~昭和5年)にかけて関東大学リーグで6連覇を記録している。当時は関東大学リーグが日本のサッカーの最高レベルだったから、事実上、6年連続の日本一だった。東大サッカーの黄金時代である。
 また、1930年(昭和5年)の極東大会のときに、初めて選抜による日本代表チームが編成され、日本サッカー史上初めての国際大会優勝をなしとげた。その主力は東大だった
 そのころの大学サッカーの人たちは、日本のサッカーのリーダーとして、普及とレベルアップを担っているという使命感を持っていた。

★大学サッカーの意義
 そういう話をしたのだが、最後にフロアから、厳しい質問が出た。
「過去に東大のサッカーがすばらしい仕事をしてきたことは分かったが、いまの時代に東大のサッカーは、どういう役割を担っているのか?」
 これは東大だけでなく大学サッカー全体に投げかけられた批判だと言っていい。
 いまの日本代表はJリーグ出身のプレーヤーで構成されている。
 普及と育成は小学生年代の少年チームが担っている。
 そういう日本のサッカーの現状のなかで、大学サッカーにどんな意味があるのだろうか?
 学生生活での一部としてスポーツを楽しむことには意義がある。しかし、それは同好会でも同じである。
 大学を代表する体育会(東大の名称は運動会)のチームとして、どんな存在意義があるのかを考えなければならない。

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サッカー日誌 / 2013年12月17日


新国立競技場の問題点


スポーツ政策研究会12月例会
(12月9日 明大駿河台研究棟)

★莫大な工事費と景観破壊
 スポーツ政策研究会の12月例会で「新国立競技場の問題点」について、ぼくが「問題提起」をした。
 特に専門的な知識を持っているわけではない。新しい情報を得たわけでもない。しかし関心を持っていたので、研究会のテーマに取り上げてもらうよう幹事に提案したところ「微妙な段階なので関係者に話してもらうのは難しい」ということだった。
 そこで言いだしっぺのぼくが、問題点だけでも、まとめて発表する破目になった。
 現在の国立競技場を建て替えて、2020年東京オリンピックの主競技場にする。それが新国立競技場である。建設については、さまざまな問題を抱えている。
 神宮外苑の景観と環境を破壊すること、莫大な建設費と維持費がかかることなどが指摘されている。

★年間の経費は140億円
 ぼくは別の問題を心配している。
 2020東京オリンピックのあと、新国立競技場は使用料が高すぎて、スポーツで使用できなくなるのではないか、ということである。
 この件については、先に控えめな試算を示して、このブログのなかで指摘した。
 その後、建設費推定は1300億円から1800億円に増えた。
 コンクリート建造物の耐用期限は50年と仮定したが、いまでは30年と見積もられているという。建設業の専門家から聞いた話である。
 建設費を単純に(金利を考えないで)30で割ると、1年あたりは60億円になる。
 スポーツ振興センターが示した試算によると年間の維持管理費は42億円だという。
 これを合わせると、年間の経費は140億円余になる。
 この経費をどこから捻出するのか?

★巨大なスポーツの廃墟に
 ネーミングライツなどの広告費は、現在の他の例からみて、多めに見積もっても、せいぜい10億円だろう。残りの130億円は使用料で稼がなくてはならない。
 1年は52週である。130億円を52で割ると、1週あたりの使用料は2億5千万円になる。
 この金額を陸上競技やサッカー、ラグビーの競技会で支払えるとは想像できない。ロック・コンサートでも、とても無理な数字だろう。
 ところが、スポーツ振興センターは、年間42億円の経費で4億円の黒字になるという試算を示した。建設費は勘定にいれない計算である。
 それでも1週あたりの経費は約8000万円になる。スポーツの競技会で支払える額ではない。
 というわけで、新国立競技場は、2020年東京オリピックのあと、巨大なスポーツの廃墟となるだろうと想像している。


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サッカー日誌 / 2013年12月13日


宿泊と入場券入手が楽に?


W杯2014の組み合わせ抽選
(12月6日 コスタドサウイペ)

★マスコミの過熱報道に驚く
 ワールドカップ2014ブラジル大会組み合わせ抽選会の過熱報道に驚いた。
 NHKは地上波とBS波の両方で深夜の生中継である。新聞は翌7日付夕刊の一面扱いだった。
 「サッカーのワールドカップが、ここまで認知されるようになったのか」と感慨深い。
 ワールドカップの世界的な人気を、日本の新聞で、はじめて紹介したのは、ぼくである。
 1958年6月9日付けの東京新聞に「最大の観衆、最大の熱狂」と題する1958年スウェーデン大会の紹介記事が載っている。新米記者だったぼくが書いた記事である。
 その後、ワールドカップが世界でもっとも重要なスポーツ大会であることを日本の読者に知ってもらおうと努力してきたが、なかなか認めてもらえなかった。
 それが、今や新聞の一面扱いになった!

★運、不運は重要でない
 テレビも新聞も報道の焦点を「日本が組み合わせに恵まれたかどうか」に当てていた。
 しかし、ぼくの考えでは、組み合わせの運、不運は重要ではない。
 勝ち進めば、いずれ強敵と勝負しなければならない。
 レベルの低い相手に恵まれて勝ち進んでも価値は小さい。
 1回戦で優勝候補を倒すほうが価値はある。
 というわけで、ぼくは対戦相手の強弱ではなく、試合地と対戦カードの人気度に注目していた
 そういう点から見ても結果は上乗だった。
 日本が1、2戦を行うレシーフェとナタールは、リオやサンンパウロからは遠いブラジル東北部の町である。しかし、海水浴場のあるリゾート地だからホテルはかなり多い。
 日本のサポーターが応援に出かける場合、宿泊の予約は難しくないはずである。

★海外向けチケットは余る?
 2013年12月の時点では、インターネットでホテルを探すと翌年6月の予約はほとんどふさがっている。しかし、開幕が近づくにつれて空室が出て値段も下がるだろうと、ぼくは予想している。過去の経験ではそうである。ブラジルでもそうなると確言はできないが予想通りになる可能性はある。
 もう一つの問題は入場券の確保である。
 これには規則上、微妙な問題があるので、詳しくは説明しないが、日本の相手のコートジボアール、ギリシャ、コロンビアから非常に大勢のサポーターが来るとは思えない。そうであれば海外向けのチケットは余るはずである。ネット上の流通価格も下がるだろう。
 ホテルにしても、入場券にしても、ぼくの見通しが正しいと確言はしない。
 しかし、ブラジル行きを計画している日本のサポーターにとって組み合わせ抽選は、いい結果だったと思う。

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サッカー日誌 / 2013年12月03日


日本初の女性指導者、綾部美知枝


日本サッカー史研究会11月例会
(11月18日 JFAハウス会議室)

★「健太、泣くじゃねえだよ」
 日本サッカー史研究会の11月例会に静岡県の清水から綾部美知枝さんに来ていただいた。綾部さんは日本の女性サッカー指導者第1号である。現在は日本サッカー協会の特任理事を務めている。
 ぼくが綾部さんを知ったのは、「よみうりランド」で行われた1977年の全日本少年サッカー大会のときである。
 優勝した清水FCの監督が綾部さんだった。
 決勝戦で埼玉代表の下落合サッカー少年団と激戦のすえ延長引き分け、両チーム優勝となった。
 下落合の子どもたちは優勝を喜んでいたのだが、清水FCの子どもたちは、ぽろぽろ涙をこぼしていた。勝てなかったのが悔しかったのである。
 清水の中心は長谷川健太だった。泣きじゃくる長谷川少年に「健太、泣くじゃねえだよ」と綾部監督が言ったのが、今でも耳に残っている。

★日本代表を生んだ指導力
 このときのチームには、大榎克己、堀池巧もいた。みなのちに日本代表になった。今になって思うと、これは綾部さんのすぐれた指導の賜物である。
 綾部さんは子どもたちにやる気を起こさせるような、さまざまな指導法を工夫して子どもたちを育てた。ぼくは、それを取材して当時の「サッカーマガジン」誌上で紹介している。
 実は、そのことを、ぼくはすっかり忘れていたのだが、綾部さんは覚えていた。「マスコミで取り上げられて褒められた
のは、あれが初めてだった」という。
 優れた指導者を見分ける目があったことを、ぼくは、ちょっと自慢したい。
 清水FCは市内の小学校からサッカーの上手な子を選抜して編成した英才教育のチームだった。
 男の子の選抜チームの監督に女性の綾部さんを起用したのは、清水のサッカーの大親分、堀田哲爾さんである。

★堀田哲爾さんが登用
 綾部さんは高校では陸上競技とバレーボールをし、体育大学では創作ダンスを専攻していた。清水の飯田小学校で2年生の担任になったとき、子どもたちに「先生、サッカーをやろうや」と誘われてサッカーをはじめたという。
 それがきっかけで、コーチング・スクールを受講し、小学校単位だったサッカー少年団の指導者になり、清水FCの監督になった。
 綾部さんを登用した堀田哲爾さんも小学校の先生だった。しかし、およそ公立学校の先生らしくない思い切った仕事をする人だった。
 小学校対抗の試合が文部省の方針で禁止されているのに、市内で小学校のリーグを組織し、単独のサッカー少年団が争う全国大会に選抜チームの清水FCで参加した。
 無茶苦茶なやり方に批判もあったが、その大胆さが日本で最初の本格的女性サッカー指導者を生んだのだと思う。

(お断り)11月25日付で掲載した記事のなかで得点経過を間違えていました。読者のご指摘で気がつきました。修正して掲載し直してあります。(牛木)

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サッカー日誌 / 2013年12月02日


続ザック・ジャパンの現在地(下)


強化は順調に進んでいる

日本 2対2 オランダ(11月16日 ベルギー・ゲンク)
日本 3対2 ベルギー(11月19日 ブリュッセル)
(2試合ともテレビ朝日)

★監督解任論の無定見
 ザック・ジャパンが10月東欧遠征で2連敗すると、一部のサポーターから「監督を代えろ!」という声が起きた。
 サッカー協会も気にしたとみえて、原博実・強化部長が「ザッケローニにブラジルまでやってもらう」と、わざわざ談話を出していた。
 ザッケローニ更迭の選択肢がなかったわけではない。
 ワールドカップのアジア予選を勝ち抜くことと、本番のブラジル大会を戦うことには、大きな違いがある。
 ザッケローニ監督が「アジア予選を突破」という課題を果たした時点で「ご苦労さま」と契約期間満了にして、本番はワールドカップを戦った経験のある監督に託す手もあった。
 しかし、それは予選が終わった時点の問題である。続投が決まったあとに、強化のための親善試合で負けたからといって「解任」を唱えるのは見当違いである。

★マスコミも一喜一憂
 マスコミも一喜一憂のように見えた。
 たとえば読売新聞である。
 東欧遠征2連敗のあと「ザック主力固定のツケ」という見出しの批判を載せている(10月17日付け朝刊)。
 11月のベルギー遠征のあとは「復調ザックJ」という上下二回の連載で「連係、強豪にも通用」と手の平を返したようである(11月26日~27日付朝刊)。
 朝日新聞は、東欧連敗のあと「停滞ザック・ジャパン」という三回の連載をした(10月17日~19日付朝刊)。
 11月の遠征の後は「ザックJ、好転の兆し」と、にわかに楽観論になった(11月26日付朝刊)。
 いずれも、論評の中身はいいのだが、見出しだけ見ると親善試合の勝敗に振り回されて、ザッケローニ評価をころころと変えているように見える。

★適応力のある人材
 ワールドカップ・ブラジル大会まで6カ月余りである。
 この時点で親善試合の勝敗や内容に一喜一憂しても意味はない。
 一人ひとりのプレーヤーに何ができて、何ができないかを見極めること。これが2度にわたる秋の欧州遠征の主な狙いだっただろう。
 その意味では、国内組のプレーヤーが、欧州組の主力に溶け込んで、欧州のチームを相手に力を示すことができたのは大きな収穫だった。
 チームとしてのブラッシュアップは、大会の1~2カ月前になってからのことである。
 代表チームを長期にわたって「一つのチーム」として鍛えあげることは、現在の日本のサッカーでは可能でもないし、有効でもない。
 随時編成のチームに入っても力を発揮できる幅の広い適応力を持つ若手が登場しつつある。
 ザッケローニの強化は順調に進んでいるように思う。

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サッカー日誌 / 2013年12月01日


続ザック・ジャパンの現在地(中)


山口蛍と森重のユーティリティ

日本 2対2 オランダ(11月16日 ベルギー・ゲンク)
日本 3対2 ベルギー(11月19日 ブリュッセル)
(2試合ともテレビ朝日)

★チームの骨格は変えない
 ワールドカップ・ブラジル大会の本番まで、あと半年あまりの時点で、ザッケローニ監督は、どのようなチーム作りを頭に描いているのだろうか?
 10月と11月の欧州遠征での選手起用をみたところでは、チームの骨格は変えないようである。
 アジア予選を勝ち抜き、6月のコンフェデレーションズ・カップが終わったあと、新しい構想でチーム作りを始める選択肢もあった。
 ザッケローニ監督も、そういう可能性を示唆していた。
 しかし実際には、アジア予選を戦った主力を残すことになった。代表チームの部屋から出て行ったのは控えだったメンバーであり、新たに入って来たのは補強要員だった。
 したがって欧州遠征の狙いの一つは、新たな補強要員が主力メンバーに溶け込めるかどうかを見ることだっただろう。

★山口蛍の三つの役割
 各ポジションで骨格が固まっていないのはワントップだけである。したがって欧州遠征ではワントップ以外のポジションでは、これまでの主力以外に誰が起用されるかがポイントだった。
 その意味で注目されたのは中盤の山口蛍である。オランダ戦ではフル出場、ベルギー戦では前半に出場した。
中2日の連戦だったので遠藤保仁を休ませるためでもあったが、山口にとってはワ-ルドカップ要員の有力候補として認められる大きなチャンスだった。
 三つの重要なポイントがあった。
 第一は相手の攻撃をチェックする守りである。第二は前線へのパスの供給である。第三には長谷部あるいは遠藤との連係である。
 守りと連係ではよかった。パス出しでは相手にインターセプトされてピンチを招いた場面が何度かあった。

★守りに高さを加えた森重
 守備ラインに森重真人が起用されたのにも注目した。
 ベルギー戦にフル出場。吉田麻也と組んでセンターバックを勤めた。
 森重は身長183cmである。これまで吉田とコンビを組んでいた今野泰幸の178cmより5cm高い。相手のベルギーに長身選手が多かったし、本番のワールドカップでも背の高い相手に当たる可能性が強いから、身長がありヘディングの競り合いに強いセンターバックを用意したいところである。
 ベルギーは、先制点をあげながら後半に逆にリードされたので、ゴール前への放り込みによる強攻を試みた。
 森重は、その競り合いには、ほとんど負けていなかったように見えた。
 吉田とのコンビは十分ではなかったし、パスミスでピンチを招いた場面もあった。
 とはいえ、山口と森重が、欧州組中心のチームに溶け込んでプレーできたのは収穫だったと思う。

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