サッカー日誌 / 2012年06月30日


サッカー協会の新体制(3)


第一課題は女子サッカー振興

日本サッカー協会評議員会
(6月24日 JFAハウス)

★新会長の任期
 大仁新会長の任期は2012年7月から2014年3月までの1年9ヵ月である。会長の任期はもともと2年だが、年度の区切りを変更することになっているので今回は少し短い。しかし、大仁会長は67歳である。次の会長改選のときには、まだ定年の70歳に達しないから再選される資格はある。2016年3月末まで会長を務める可能性がある。
 とはいえ、2年足らず、あるいは4年足らずの間に多くの課題を片付けることは難しい。そこで重点的に一つのテーマに取り組んでほしいと思う。
 ぼくの考えでは課題の第一は「女子サッカー振興」である。

★女子W杯に立候補を
 女子サッカーは副会長のときの担当だった。大仁新会長にとっては、事情を知り尽くしている分野である。「なでしこJapan」が世界一となり、U-20のワールドカップが、日本で開催されることになっている。タイミングもいい。
 任期中にやって欲しい仕事の一つは、女子ワールドカップ開催国への立候補である。
 会長就任の記者会見で立候補することは明言した。問題は、2019年に立候補するか、2023年をめざすかである。
 2019年はラグビー・ワールドカップの日本開催とぶつかる。資金調達やスタジアム使用のバッティングが難しい問題である。

★球技専用スタジアムを
 2023年だと10年以上先になるが準備期間が十分にとれるのは悪くない。単なる一過性のお祭りとしてではなく、しっかり準備して、開催をテコに次の二つのことを実現して欲しい。
 一つは、女子の底辺拡大である。日本だけでなくアジア全体を視野にいれて欲しい。
 もう一つは、将来に役立つような形の開催である。サッカーだけでなく、日本のスポーツ全体を視野に入れて欲しい。
 そのために、地方の中小都市のネットワークで、大会後に活用できる球技専用スタジアムで開催する構想を打ち出して欲しい。
 その構想をまとめるだけでも歴史に残る功績になると思う。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月28日


サッカー協会の新体制(2)


大仁新会長、当面の課題

日本サッカー協会評議員会
(6月24日 JFAハウス)

★前会長の引き継ぎ事項
 日本サッカー協会の大仁邦弥新会長は、これから何をするべきだろうか?
 小倉純二前会長は、次の4つの課題を引き継いだという。
 1.ブラジルW杯出場権獲得をめざす男子日本代表の強化。
 2.女子サッカーの拡大強化。
 3.東日本大震災の被災地支援。
 4.公益財団法人としての組織整備。
 この4つは小倉前会長のもとで、すでにスタートしていることである。これを引き継いで実行していくのは当たり前だろう。
 1と4は大仁新会長が副会長として担当していた仕事である。

★新会長、当面の課題
 大仁新会長はこの4項目に次の項目を重点課題として加えた。
 1.年間日程の検討(Jリーグのシーズンの問題)
 2.協会とJリーグの技術委員会の統合。
 3.東京に協会のトレーニングセンターを作る。
 これらは、以前からサッカー界で話題になっていて解決策が見つかっていないテーマである。新しい課題ではなく、新会長の目の前に転がっている「当面の課題」だと言っていい。
 以前から話題になっていて解決していないのは、いろいろ難しい問題があるからである。目の前に転がっているからといって安易に拾い上げてもらっては困る。

★Jリーグ秋春制の問題
 シーズンの問題は、とくに慎重に考えてもらいたい。
 大仁新会長は「(Jリーグの)秋春制を検討するということではなく、日本のサッカー全体にとって、どの時期に試合をするのがいいかを考えたい」と慎重な言い回しをしていた。その言葉通りであって欲しい。
 日本代表チーム強化が最優先で、そのために「Jリーグのシーズンを西ヨーロッパに合わせるべきだ」というような短絡した言説がまかり通っている。この考えは間違っている。
 日本サッカー協会の最優先の課題は、代表チームの強化ではなく、日本のサッカー全体をどうすればいいかである。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月27日


サッカー協会の新体制(1)


大仁新会長決定のいきさつ

日本サッカー協会評議員会
(6月24日 JFAハウス)

★穏やかで平凡な人事
 日本サッカー協会の新会長に大仁邦弥さんが決まった。副会長からの昇格である。2年前に犬飼会長が解任同様の状況で交代したのにくらべると穏やかで平凡な人事だった。
 10ヵ月ほど前から、新会長人事について、いろいろな噂が耳に入っていた。
 小倉純二会長は在任2年だが、すでに70歳の定年を超えているので再任できない。しかし有力な後任候補がいないという話だった。
 大仁副会長はおとなしすぎる、田嶋幸三副会長は国際的な仕事に専念してFIFA理事を目指したいということだった。

★財界人移入は無理 
 そのため、外部の財界などから会長を迎えようという声も出ていた。具体的な名前も出ていたらしい。
 サッカー出身の有力な財界人は何人もいる。しかし引き受ける人はいないだろうと思った。
 ぼくは、最終的には副会長兼専務理事の田嶋幸三の昇格になるのではないかと予想していた。小倉会長がFIFA理事として国際的な仕事で多忙だったので、国内の問題は田嶋専務理事が仕切っていると思っていたからである。 
 そうであれば、会長に昇格してもらって国内の仕事に専念してもらうのがいいのではないか、と考えた。

★田嶋副会長に国際的野心
 ところが、いろいろな人の話を聞いてみると「田嶋昇格説」を支持する人は意外に少ない。出身校の筑波大学の先輩たちや地方のサッカー協会の人たちが「まだ早いだろう」とか「彼は会長には向いていないよ」などという。
 そのうえ、田嶋副会長自身が「国際的な方面で仕事をしたい」と強く希望し、会長候補を辞退していると伝わってきた。小倉会長がFIFA理事も定年になる。そのあとが空白になるのを埋めたいということだろう。
 そうなると、もう一人の副会長、大仁邦弥さんの昇格しかない。年功序列である。だから平凡で穏当な結果になった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月25日


「ダイヤモンドサッカー」の影響


日本サッカー史研究会6月例会
(6月18日 JFAハウス会議室)

★普及と向上への貢献
 1968年から1988年にかけて「三菱ダイヤモンドサッカー」というテレビ番組があった。20年間にわたって、再放送等を含め994回の放送が記録されている。
 「サッカー好きなら、誰でも、この番組を知っているよ」と思う人もいるだろう。しかし、そういう人は、いまとなっては少数派のはずである。なぜならJリーグ発足以前の番組で、当時はサッカーファンの数そのものが少なく、したがって視聴率も低かったからである。また放送したのが東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で、当時はネット局が少なく、全国的には見ることのできない地域も多かったからである。
 視聴者の絶対数は少なかったはずだが、この番組は、日本のサッカーの普及と向上に無視できない影響を残したはずだと、ぼくは考えている。そこで、日本サッカー史研究会で改めて取り上げて検討することにした。

★いろいろなスタイルを紹介
 この番組を担当したプロデュ―サ―、ディレクターの寺尾皖次(かんじ)さんとアナウンサーの金子勝彦さんのお話を聞くほかに、サッカー・ジャーナリストの大住良之さんにゲストとして来ていただいた。大住さんは番組の影響を受けた世代の一人だからである。
 この番組が誕生した経緯などについては、すでに、いろいろ書かれている。「ダイヤモンドサッカーの時代」(エクスナレッジ社、2008年)という本も出ている。今回は事実関係を究明することや功労者を探ることではなく、どういう人たちに、どういう影響を与えたかを知るヒントを得たいと思った。
 大住さんは「世界には、いろいろなサッカーがあることを教えてくれた」と語った。この考えは面白い。単なる技術や戦術の話ではなく、サッカーの「スタイル」に関することである。

★メキシコW杯紹介の映像
 この番組は最初、イングランド・リーグの試合の紹介から始まった。イングランドは、その2年前のワールドカップで優勝している。そのため、番組を見たサッカーの関係者(主として指導者や選手)が「イングランドのサッカーが世界のスタンダードだ」と思い込むのではないか? その当時、そういうふうに、ぼくは心配していた。
 大住さんの経験ではそうではない。もっとも大きな影響を与えたのは、1970年9月から1年間にわたって放映された1970年メキシコ・ワールドカップの映像である。この大会ではブラジルが優勝した。そのおかげで、イングランドのような力強いスタイルが万能ではなく、ブラジルのようなテクニックが重要であることを知ることができた。
 その後、ドイツやイタリアなどの試合も、次つぎに放映された。「世界のサッカーは、さまざまだ」と、心ある視聴者は知ったのだった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月24日


W杯新潟10年、遺産を未来へ


新潟県サッカー協会シンポジウム
(6月17日 ANAクラウンプラザホテル新潟)

★新潟サッカーの自慢
 地元のチームを応援するのと同じように「お国自慢」も大目に見てもらいと思う。ぼくは新潟出身なので、新潟のサッカーがいいことをすれば自慢したい。
 2002年の日韓ワールドカップから10年たった。それを記念して新潟県サッカー協会が記念のイベントをした。
 実は前日に東京の日本サッカー協会の建物のなかで同じようなシンポジウムがあった。しかし、これは日本サッカー協会の主催ではなかった。協会は7月1日に日産スタジアムで記念イベントを行うが、2002W杯10年の記念のイベントを開こうと考えたのは新潟が最初だという。これは、ぼくの自慢ではなく新潟県サッカー協会会長の自慢である。
 ワールドカップ2002から10年。この間に、もっとも大きな成果をあげたのは新潟である。これは十分に自慢に値する。

◆アルビレックスの成果
 新潟県サッカー協会のイベントは2つに分かれていた。
 まず、アルビレックス新潟の選手と女子のレディースの選手のトークショウがあった。
 アルビレックス新潟は、ワールドカップ2002招致にともなって生まれたクラブである。その選手たちが10年記念のイベントに協力できたことは大きな成果の証明である。
 続いて、シンポジウムがあった。ぼくが基調講演をし、そのあとで東京から招いた岡野俊一郎さんと10年前に新潟開催に苦労した方々によるパネル・ディスカッションがあった。当時の県知事だった平山征夫さん、新潟県サッカー協会会長だった馬場潤一郎さんなど豪華な顔ぶれだった。
 シンポジウムは、さらに2部に分かれていた。過去10年の総括と「これからの新潟」のための前向きな討論である。

★女子W杯を新潟で
 このシンポジウムは、過去を振り返るだけでなく、未来を語るものだった。それが、よかったと思う。思い出を語るにしても、それは今後につながるものでなくてはならない。
 ぼくは基調講演で持論を述べた。
 「これからは中央集中のビッグ・イベントの時代ではない。中小都市に分散して、そのネットワークでスポーツを盛んにしよう」
 元新潟県知事の平山さんは「自分が現在の知事なら、女子ワールドカップ新潟開催に、すぐ手をあげるな」と話した。十日町市長の関口芳史さんは「十日町で国際大会を開こう」と夢を語った。十日町は人口6万の小都市である。2002年ワールドカップのときは、クロアチア・チームのキャンプ地になり、その遺産を現在に活用している。
 「ワールドカップの遺産を未来へ」。そういう前向きの姿勢を保ちたい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月23日


アルビ新潟、前途は明るい!


J1第14節
新潟 1対0 清水
(6月16日 東北電力ビッグスワン)

★不振の原因が心配
 Jリーグ再開のJ1第14節は、アルビレックス新潟対清水エスパルスの試合を見た。
 新潟まで、わざわざ出かけたわけではない。翌日に新潟県サッカー協会主催のイベントがあり、そこで講演とコーディネーターを担当することになっていたので、どうせ行くならと1日早く出かけて前夜の試合を見たのである。
 アルビレックス新潟は、ぼくの出身地のチームであり、クラブの創設には、いささかの協力をしている。だから、ひとかたならぬ関心を持っているのだが、今季は2つの心配をしていた。
 一つは成績不振である。この時点まで2勝3引き分け8敗で順位は下から2番目。降格圏内である。勝敗は時によりけり、運によりけりなので、一喜一憂はしないのだが、不振の原因は見極めなければならない。

★雨でも観客数はリーグ一
 もう一つの心配は観客数が減少しているという報道である。観客数は成績や天候に左右されるものなので、これも一喜一憂はしないが、観客数減少の原因は調べる必要がある。クラブの運営方針が原因であれば考え直してもらわなければならない。
 あいにくの雨だった。友人の車で競技場に向かったのだが、途中の道があまり渋滞していない。「これは2万人を切るかな」と友人が運転しながら心配した。新潟では、観客数が少ない目安は2万人を切ること、渋滞がないことらしい。
 この日の試合の観衆は2万3797人だった。この節の9試合のなかで最多である。
 雨にもかかわらず、子ども連れ、家族連れが多かった。これは新潟の観客の特徴である。
 一家をあげて地元のチームを応援する人たちが多いのは欧州のクラブ並みだ。サポーターの基礎的な人口は減っていないのだろうと思った。

★柳下監督、デビュー戦勝利
 試合は1対0で新潟が勝った。柳下正明監督のデビュー戦勝利だった。今シーズン、すでに5人の監督が成績不振で交代しているが、新監督が初戦で勝ったのは初めてだそうだ。
 新潟は前半、押されっぱなしだった。しかし、39分にあげた1点はみごとだった。すばやくパスを組み立て、左サイドから田中亜土夢が送ったボールを藤田征也が決めた。数少なかったチャンスを、すかさず生かしたのがいい。田中は新潟市出身で地元のホープ、藤田は北海道出身でU-14からU-20まで日本代表に選ばれていた。雪国出身の選手が活躍しているのはうれしい。 
 後半は清水の反撃をしっかり押さえた。守りはしっかりしている。
 成績不振のチームを見るとき欠点だけに注目してはいけない。いいところがあれば、それを生かして立ち直ることができるはずである。新潟の前途は明るいと思った。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月22日


Jリーグ・クラブの運営


松本育夫さんに聞く
ビバ!サッカー研究会6月例会
(6月15日 東中野テラハウス)

★メキシコの銅メダリスト
 ビバ!サッカー研究会の6月例会には、元サガン鳥栖監督の松本育夫さんに来ていただいた。1968年メキシコ・オリンピックの銅メダリストである。あの当時、サッカー記者は少なかった。みな選手たちと仲間として、あるいは先輩として付き合っていた。ぼくも、当時の選手たちと親しくしてもらっている。だから、ボランティアの集まりであるぼくの「研究会」にも来ていただけたのである。
 松本育夫さんには、ぼくが主宰しているもう一つの集まり「日本サッカー史研究会」の3月例会に来ていただいた。そのときのお話が非常に有益だったので「もっと多くの人に聞いてもらうべきだ」という声が仲間の間で起き「ビバ研」にも来ていただいたわけである。
 むかしのよしみに甘えてはいけないので「仏の顔は3度だが、牛木の顔は1度だけ」と言っているのだが、松本育夫さんには「2度目」のお願いをして聞きいれていただいた。

★『人の心に火をつける』
 今回のテーマは「Jリーグ・クラブの経営」だった。
 Jリーグ・クラブの経営には、いろいろ難しい問題がある。
 地方と都会地のクラブの違い、大企業の背景がないクラブの経営、親会社から出向してくるサッカーを知らない経営者などである。こういう問題について、松本育夫さんは90分にわたって熱弁をふるった。
 「サッカーを知らない経営者ではうまくいかない」「監督の任期は3年が適当」「チーム作りは監督ではなくクラブの責任」など育夫さんの考えは多くの分野にわたっている。
 松本育夫さんには、すでにいくつも著書があるので、そのお考えについては、これらの著書を読んでいただきたい。最新の著書は『人の心に火をつける』(2012年6月、株式会社カンゼン)である。

★チームはクラブが作る
 この本のなかに「チームは監督でなくクラブが責任を持って作るもの」という項目がある。チームの成績が悪いと監督の責任にされることが多い。しかし、選手を集め契約するのはクラブであり、監督を選んで契約するのもクラブである。その責任者がゼネラル・マネジャー、あるいは強化部長である。監督をクビにするのならゼネラル・マネジャー、あるいは強化部長にも責任をとってもらわなくてはならない。
 一方でクラブ経営の財政面もある。これは社長あるいは総務部長の仕事だろう。この点についての松本育夫さんの考えの軸は「サポーターを大事に」である。選手たちは誰から報酬を得ているのか? お金を払って応援してくれているサポーターから給料をもらっているのだ。そういう考えを選手に徹底させたという。
 社長も、ゼネラル・マネジャーも監督も経験した松本育夫の言葉には重みがある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月13日


豪と引き分け、守備ラインに危機


W杯アジア最終予選B組第3戦

オーストラリア 1対1 日本
(6月12日 ブリスベーン:NHKテレビBS)

★3人が次に出られない
 ワールドカップ2014ブラジル大会のアジア最終予選で、日本はオーストラリア(豪州)と1対1で引き分けた。敵地での勝ち点1だから結果は悪くない。2勝1引き分け、B組で断然トップである。
 しかし大きな問題を残した。守備ラインで次の試合に出場できないプレーヤーを3人も出したことである。
 この試合では、センターバックの吉田麻也がケガで参加できなかった。代わって起用されたのは栗原勇蔵だった。その栗原が前半22分と後半44分の2つの警告で退場になった。
 もう一人のセンターバック今野泰幸は前半29分に警告を受けた。累積2枚目で次の試合は出場できない。後半24分には内田篤人が警告を受けた。これも累積2枚目で次の試合は出場できない。守備ラインの計3人が9月11日の対イラク戦に出られないことになった。

★ファウルで守るな!
 テレビで見ていての感想は「ファウルで守るなよ!」である。
 栗原の最初の警告は、相手がクリアして蹴り出した長い縦へのボールを、前線に残っていたケーヒルと競り合いながら引っぱったものだった。相手のロングボールによる逆襲を警戒して、今野と2人で残っていたのだからケーヒルを追走する形になったのは不用意だった。
 後半終了近くに2枚目の警告を受けた。1枚目と同じように相手のトップのプレーヤーをマークしていて、ロングボールが蹴られる前に、ちょっと退いてオフサイドにかけようとした。ボールが蹴られた瞬間に再びマークに付こうとして相手にぶつかった。前線でゴールを狙っている相手がパスを受けようとしたのを妨害する結果になった。イエローカードはやむを得ない。2枚目だから続いてレッドカードが出た。

★芝生と審判に文句は言えない
 今野は、味方のパスミスをインターセプトした相手を追いかけて足を引っ掛けた。その反則で警告を受けた。パスミスもトリッピングも、グラウンドが悪いために起きたように、テレビの画面では見えたが、アウエーの試合で芝生に文句は言えない。
 内田の警告は相手のコーナーキックのときだった。高いボールをゴールキーパーがはじき飛ばした。中継の画面では内田の反則は見えなかったが、その後、いろんな角度からの映像が出たのを見ると、ゴールキーパーと競り合うおそれのある相手のディフェンダーを抑えたらしい。厳しい判定だが審判が悪いとは言えない。この内田の反則によるPKで同点にされた。
 ぼくの見るところ、日本では最近、「反則で守ること」を大目に見る風潮がある。しかし反則で守ることに慣れていると、こういうときに痛い目にあう。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月10日


ヨルダンに完勝、殊勲は遠藤保仁


W杯アジア最終予選B組第2戦
日本代表 6対0 ヨルダン
(6月8日 埼玉スタジアム)

★怖いような2連続完勝
 ワールドカップ2014ブラジル大会アジア最終予選の第2戦で、日本はヨルダンに6対0で大勝した。第1戦でオマーンに3対0で勝ったのに続き2試合連続の完勝である。
 記録を振り返ると、過去のワールドカップ最終予選はスタートから苦戦の連続だった。それに比べると、今回は目の覚めるような、ちょっと怖いようなスタートダッシュである。
 第2戦の先発メンバーは第1戦と同じだった。それを見て記者席で考えた。
 第1戦の両翼からの攻めをヨルダンは知っているはずだ。だからサイドの守りを固めてくるだろう。そうであれば、日本の狙いは中央からの攻めである。
 第1戦で日本の得点は左サイドの攻めからだった。ヨルダンが日本の左サイドを警戒してくれば、右サイドへ振って攻めることも考えられる。その場合は岡崎慎司、内田篤人の右サイドの出来がカギになる。

★中盤の底からのパス
 記者席でのぼくの「仮想ゲームプラン」は当たった。
 日本は、第1戦と同じように左からの攻めで脅かした。しかし、得点は左からではなかった。前半の4点は中央と右サイドからの攻めで生まれた。
 前半18分の先制点は右コーナーキックからだった。22分と31分の2点目、3」点目はともに中央の本田圭佑のゴールだった。35分の香川真司のゴールも右からの攻めである。
 そのなかで、ぼくの「ゲームプラン」になかったのは遠藤保仁の活躍である。
 ヨルダンは、日本の左からの攻めを警戒して、そのサイドの守りは引き気味だった。
 そのために、日本の中盤後方(ボランチ)の遠藤へのマークは厳しくなかった。その遠藤から前線へ、あるいは右サイドへ絶好のパスが出た。3点目までのチャンス作りの殊勲者は遠藤である。

★パンにバターを塗るパス
 遠藤から本田、香川あるいは岡崎への絶妙のパスは何度もあった、そのなかでもみごとだったのは、前半22分の2点目を生んだ本田へのパスである。
 攻め込まれていた相手がボールを奪い返して反攻に出ようとしたのに対し、内田篤人が競りかけてボールがこぼれた。それを拾ってワンタッチで相手の守備ラインの裏側、ゴールキーパーとの間のスペースに出した。そこへ本田が走り込んだ。さわればシュートになるようなパスだった。こういうパスを、ドイツでは「パンにバターを塗る」と形容すると聞いたことがある。そういうボールだった。ボールがこぼれ出た位置にいたこと、一瞬のうちに、相手が反攻に出ようとした裏側をついたこと、その狙いが本田とぴたりと一致していたこと、いずれも単なる偶然ではない。技術と判断力のすばやさが、本田を生かしたゴールだった。


コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2012年06月05日


本田圭佑を生かすザックの試み


W杯アジア最終予選B組第1戦

日本代表 3対0 オマーン代表
(6月3日 埼玉スタジアム2002)

★第2線で左右に動く本田
 ワールドカップ2014ブラジル大会のアジア最終予選がはじまった。その第1戦で、日本はオマーンに3対0で勝った。予想以上の完勝だった。
 完勝の最大の要因は、ザッケローニ監督の作戦がみごとに当たったことである。
 前田遼一をワントップに置く。これが1人だけの攻撃の最前線(第1線)である
 その後ろに本田圭佑を配置する。同じラインの両翼に香川真司と岡崎慎司がいる。この3人が攻撃の「第2線」である。
 システムの形だけを見れば、これまでにも試みられていた「4:(2:3):1」である。
 しかし、この日は「トップ下」の本田の動き方が違った。第2線から前線に飛び出すよりも、第2線を左右に、横に動くことで機能していた。これは、ザッケローニ監督の新しい試みだったのではないか?

★両翼からの攻め
 本田が左に寄ったときは、左翼からの攻めである。守備ラインから攻め上がる長友佑都と香川との攻めをサポートする。
 右に寄ったときは、守備ラインの内田篤人と岡崎による攻めをサポートする。
 最前線に飛び出すのは、その「お膳立て」をしたあとである。
 このようにして、本田を軸に左右両翼からの攻めを単純明快におこなった。
 「左からはクロスでチャンスを作り、右からは直接攻め込む。タイプの違うサイドからの攻めを、われわれは持っている」とザッケローニ監督は話していた。
 結果としては、日本の3点は、みな左サイドからの攻めで生まれた。左の香川、長友の攻めはみごとだった。右の内田はフィードの正確さに欠け、岡崎も本調子ではなかった。しかし、右からの攻めもあるから、左からの攻めが生きたのだろう。

★オマーンにチャンスなし
 「これまでの試合のビデオを見ると、オマーンは中央を厚く守ってくる、だから両サイドから攻め崩すように指示した」とザケローに監督は言う。守備を固めてくる相手を攻め崩す方法は、ほかにもあるが、オマーンの守り方に対しては、サイドからの崩しに徹底するのがいいという判断である。その作戦はみごとに奏功したが、残念だったのは9本あったコーナーキックを一度も生かせなかったことである。
 本田を高い位置で左右に動かすことによって、守りにも利点が生まれた。ボランチの長谷部誠と遠藤保仁が余裕を持って守りに重点を置くことができたからである。
 オマーンは、守りから単発的な逆襲速攻を狙うほかはなかった。右サイドからの攻め込みと、長い前線への放り込みを試みたが、シュートは1本記録されただけ。ゴールのチャンスは、まったくなかった。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ   

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.