サッカー日誌 / 2013年02月28日


近江達さんを歴史に残そう


町のクラブと少年指導の先覚者

1月11日逝去。2月23日「お別れ会」
(大阪枚方市 枚方フットボール・クラブ)

★先駆的な考えを実行
 枚方(ひらかた)フットボール・クラブ創設者の近江達(おうみ・すすむ)さんが1月に亡くなられた。83歳だった。
 「有名人じゃないんだから、おおげさにするな」という遺言で、枚方クラブの代表者が連絡を受けたのも、近親者だけで葬儀を済ませたあとだったという。
 ご自分では「有名人じゃない」と言ったとのことだが、心あるサッカー愛好者の間では、よく知られていた方である。
 近江さんは、1970年代に二つの先駆的な仕事をした。
 一つは、日本では初めての「町のフットボール・クラブ」を創設したことである。
 もう一つは、子どもたちのサッカーを伸ばすために「教えないこと」を主張したことである。
 どちらも、そのころの日本のスポーツの「考え方」とは違うものだった。近江さんは、先駆的な考えを主張しただけでなく「枚方クラブ」で実行して成果を残した。

★地域クラブの始祖
 枚方フットボール・クラブ創設は1969年である。
 この年に読売サッカークラブ(ヴェルディの前身)が創設された。翌年には神戸フットボール・クラブが発足した。
 日本のスポーツの主流は学校と企業のチームだったが、ようやく、そのころから「クラブ」が芽生え始めた。
 読売クラブ創設は、読売新聞社の絶対的な権力者だった正力松太郎のバックアップによって可能になった。
 神戸フットボール・クラブは、神戸一中のOBの力でスタートした。
 それぞれ、企業と学校のスポーツが背景にあった。
 枚方クラブは、そうではない。
 大都市近郊の住宅団地の少年サッカー・スクールをクラブに組織したのである。本当の「地域クラブ」の始まりだった。

★教えるよりもプレーさせろ
 小学生年代の子どもたちを指導していて、近江さんが気づいたことがある。「教えるよりも、プレーさせろ」である。
 マニュアル(教科書)どおりに教えても、子どもたちは育たない。自由に試合をさせていたら、子どもたちは、おのずからテクニックを身につけ、戦術能力に目覚める。
 そういう方針で、テクニックのある選手を育て、ユース年代のチームのレベルを上げた。
 近江さんは、自分の考えを「サッカーマガジン」に1976年から30回にわたって連載した。そのほかにも発表の機会があった。それで「近江教」の信者ができた。
 しかし、現在でも、近江さんの考え方は、日本のサッカーの主流には認められてはいないように思う。日本サッカー協会のマニュアル指導が押し付けられている。
 近江さんの考えと実績を正しく評価し、その功績を歴史に残す方法を考えたいと思う。


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サッカー日誌 / 2013年02月27日


「サッカー検定」、初の1級が3人


「ねらえ! 知識の得点王」
合格者特別表彰式 
(2月24日 日本サッカー・ミュージアム)

★8千人の頂点
 サッカーの知識をテストする「サッカー検定」が行われている。「ねらえ! 知識の得点王」というキャッチフレーズである。その第6回特別表彰式に検定委員のメンバーとして出席した。
 7級から1級まであるのだが、今回、初めて1級の検定が行われ3人が合格した。その3人に表彰状を渡すのが、ぼくの役割だった。
 これまでの2級合格者に1級の受験資格があり、34人が申し込んで、1人が欠席、33人が東京の会場で筆記試験を受けた。その中から3人が合格した。難関である。
 7級以上の合格者の合計は約8000人だそうだ。「8千人の頂点です」と主催者側から説明があった。
 3人とも20歳代~30歳代の男性だった。お名前は額に入れて、1年間、サッカー・ミュージアム内に掲げる。おもしろいアイデアの表彰である。

★歴史の分野が難しい
 表彰式の前に関係者が控え室で1級の問題を見ていた。
 「難しいね。4割くらいしか出来ないよ」という声もあった。8割正解が合格の基準だということである。
 サッカーの歴史、ルール、戦術、記録、エピソードなどの分野から出題されている。
 「歴史の分野ができないな」というのが多くの人の感想である。
 サッカーが好きな人なら、ルールや技術・戦術の基礎的なことは、たいてい知っている。検定に合格するには正確な知識が必要だが、解説書などで「受験勉強」することができる。
 しかし、サッカーの歴史の知識は、プレーをするにも観戦するにも直接には必要がない。一般向けのサッカーの本に概略は書いてあるが、1級検定に値するような専門的なレベルになると、適当な参考書はない。

★「蹴球」と訳した人は?
 控え室で、こんな質問が出た。
 「サッカーを蹴球と訳したのは誰だろうか?」
 これは、はっきりしていない。英語のFootballの訳語で明治時代は「フートボール」と表記したものが多い。
 Footballを漢字にするのなら「足球」がふつうだろう。中国語では「足球」である。それを「蹴球」としたのは「蹴鞠」(けまり)の影響だろう。ということで、ひとしきり蹴鞠も話題になった。その蹴鞠についても分かっていないことが多い。
 というように、歴史の範囲は広く、未知なことがらも多い。だから出題する側にとっても難しい分野である。
 しかし、サッカーを文化として理解するためには歴史の知識は重要である。
 「知識の得点王」には、その知識を生かして、サッカー史研究をアシストしてもらいたいと思った。

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サッカー日誌 / 2013年02月26日


今季のJリーグを占う


FUJI XEROX SUPER CUP 2013
広島 1-0 柏
(2月23日 東京・国立競技場)

★開幕前の試合、三つの意味
 ゼロックス・スーパー・サッカーには三つの意味がある。
 第一は1週間後のJリーグ開幕を盛り上げる「お祭り」である。試合前に、スタジアム周辺の広場などで「Jリーグ40クラブのグルメ大集合」「マスコット大集合」などの催しがあった。快晴無風の好天に恵まれたから楽しいイベントになっただろう。
 ただし、このイベントは、一般の人たちには、あまり知られていないのではないか? さらに盛り上げるために新聞広告の利用など、くふうの余地がありそうだ。 
 試合には二つの意味がある。
 一つは、今季の審判の基準の公開である。選ばれた審判員が今季の標準になる笛を吹いてみせる。
 試合の内容は、1週間後から始まるJリーグを占う材料である。

★柏の新戦力に注目
 今季のJリーグを占う材料として、ぼくは柏レイソルの二人の新戦力に注目した。
 一人はストライカーのクレオ(クレベルソン・ガブリエル・コルドバ)だ。ポルトガル、ブラジル、セルビアのクラブでプレーし、中国の広州恒大からレンタルで加わった。柏は、クレオをワントップに立て、そこにボールを合わせる攻めを試みた。
 もう一人は韓国の釜山アイパークから移籍したキム・チャンス(金昌洙)である。韓国代表だ。中盤の右サイドで起用された。守備ラインの中央を3人で固めた新布陣だったから中盤のサイド・プレーヤーの守りは重要だった。
 しかし、クレオもキムも、この試合では目立った働きはなかった。
 新戦力を、どのようにチームに溶け込ませるか? 
 柏は、それを探っている段階のように思った。

★広島のスーパーゴール
 サンフレッチェ広島は、リーグ優勝の前年とほぼ同じメンバーで、同じスタイルで戦った。
 鋭い得点力が持ち味の佐藤寿人をトップに押し立て、中盤でパスをまわし、チャンスを見極めて攻め込む。
 前半29分に広島が得点。
 フジゼロックス2013は佐藤のスーパーゴールで記憶されることになるだろう。そう思ったほどみごとなボレーシュートだった。
 広島が1対0で勝ったが、この結果で今季のJリーグを占うことができるわけではない。
 柏も広島もアジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)に出場するから過酷な日程を強いられる。
 柏は、それを見越して補強し厚い選手層で乗り越える考えだ。広島は同じ顔ぶれで連戦を戦い抜けるかどうか? 今季はきびしい戦いになりそうである。

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サッカー日誌 / 2013年02月22日


サッカー専門誌の変遷


読者はプレーヤーからファンへ

サッカー史研究会2月例会
(2月18日 JFAハウス会議室)

★国吉好弘さんの報告
 サッカー史研究会の2月例会で、国吉好弘さんのお話を聞いた。
 国吉さんは「サッカー・マガジン」「ワールド・サッカー・マガジン」の編集長をへて両誌を統括する「スーパーバイザー(主幹)」をつとめた。『サッカー・マルチ大事典』(ベースボール・マガジン社刊、2001年、改訂版2006年)をまとめ、サッカーの「もの知り博士」としても知られている。サッカー史研究会の常連である。
 「サッカー・マガジン」の創刊は1966年。日本ではじめてのサッカー専門の商業誌だった。
 国吉さんは1983年にベースボール・マガジンに入社し、最初から、ずっと「サッカー・マガジン」の編集に携わってきた。その間に、編集方針が移り変わった様子が、国吉さんの話から、うかがえた。

★創刊当時の編集方針
 創刊当時のことは、ぼくが補足して話した。1966年2月の創刊準備号から寄稿していたので、ある程度、事情を知っているからである。
 サッカー専門の商業雑誌発刊を思い立ったのは、ベースボール・マガジン社創立者の池田恒雄社長(当時)である。
 メキシコ・オリンピック銅メダルより2年前だから、日本代表チームの活躍に触発されたわけではない。
 Jリーグの前身である「日本サッカーリーグ」(JSL)の2年目で、その将来性に着目したものだった。池田社長の先見性のアイデアである。
 とはいえ、会社チームによる当時の日本リーグの観客は僅かだった。したがってファン層を対象に雑誌を発刊するのは無理だった。
 池田社長の指示は、少年を含むプレーヤーと指導者を対象に技術講座を入れることと、国内ニュース重視だった。

★海外情報収集へ貢献
 国吉さんが入社したころから様子は変わってきていたらしい。欧米のサッカーについての関心が高まり、国吉さんは語学力を生かして海外情報の収集にも貢献した。
 国内ものから海外ものへ、技術・戦術ものからスター・プレ-ヤーものへ、読者はプレーヤーや指導者からサポーターやファンへ。
 そういう変化にともなって、編集方針も変わった。
 編集長の好みによっても変わったようだ。
 出来事(事実)をだいじにするニュース報道よりも、描写で読者を引きつける文学的表現を好む編集長が出てきた。
 つまり、サッカーは競技者、あるいは指導者だけのものでなく、見て楽しむ、あるいは読んで楽しむ大衆のためのものになった。
 サッカー専門誌の編集方針の移り変わりを、そういうふうに受け取った。

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サッカー日誌 / 2013年02月21日


高校選手権の運営秘話


高体連サッカーの底力

ビバ!サッカー研究会2月例会
(2月15日 東中野テラハウス)

★雪で決勝延期の裏事情
 ビバ!サッカー研究会2月例会は「高校サッカーのいま」をテーマに、北原由(きたはら・ゆかり)先生をゲスト講師に招いた。
 北原さんは、東京有数の進学校である都立武蔵高校・付属中学校の理科実習の先生である。その傍ら全国高等学校体育連盟(高体連)サッカー専門部役員として長年、高校サッカーの運営に携わってきた。
 その間の苦労話、思い出話を語りながら、高校サッカーがいま抱えている問題を解説していただいた。
 お話は、2012年度高校選手権決勝の雪による延期決定の裏話から始まった。
 教育を守らなければならない立場の高体連、中継編成の都合がある民放テレビ、運営指導の責任がある日本サッカー協会(JFA)。三者の折り合いをつけて6日後に延期した。それを主導したのは、高体連サッカー専門部だった。

★みごとな現実的対応
 すでに新学期が始まっていたにもかかわらず、次の土曜日に延期して「高校日本一」を決めた。
 それぞれの立場からの批判はあるだろうが、ぼくは「みごとな決断だった」と思う。
 建前に固執せず現実に即して処理した。民放テレビの事情を理解しながら、それに引きずられなかった。決勝に進出していた両校の事情と選手たちの気持ちを尊重した。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。その間をすりぬけて実際的な解決を選んだ。高校サッカーの歴史のなかで記憶しておくべき決断だったと思う。 
 首都圏開催になってから正月の高校選手権大会は急速に発展した。その間にいろいろな事件や問題があった。
 それを乗り越えることが出来たのは、首都圏の高校の先生方が正月返上で献身的に活動してきたお陰である。

★隆盛を支えているもの
 「高体連の底力」だと北原先生は表現した。しかし、ぼくは「高体連サッカーの底力」というべきだと思う。というのは、全国の高校の校長先生によって構成されている高体連自体の努力だとは思えないからである。
 サッカー専門部はサッカー部の顧問の先生方で構成されている。多くは体育担当だろうが、北原先生のように他の教科の先生もいる。そういう先生方が、生徒たちとサッカーへの愛情で、ボランティアで大会を運営している。
 しかも、保守的になりがちな教育界の中で、新しい試みを取り入れることを恐れなかった。それが、高校サッカーの隆盛を支えている。
 高体連の他のスポーツ専門部が、サッカーを羨んでいることが三つあるという。国立競技場を満員にする成人の日の決勝戦、高校選手権選抜チームの毎年の欧州遠征、「高校サッカー年鑑」の発行である。いずれも、はじめたときには保守派の批判があったことである。


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サッカー日誌 / 2013年02月08日


親善試合、ラトビア戦の意味


キリンチャレンジカップ2013
日本代表 3-0 ラトビア代表
(2月6日 ホームズスタジアム神戸)

★テレビの苦しい三段論法
 テレビ中継のアナウンサーが繰り返し言っていた。 
 「この試合は、日本のサッカーにとって大切な年の、最初の試合です」。
 「ははあ、テレビ局は、この試合を中継することの意義付けに苦労しているんだな」と思った。
 あまり適当ではない時期に、欧州から選手たちを集めて親善試合をする。そのことに、どんな意義があるのか? そういう疑問があるからだろう。
 しかし「重要な試合」と、うたわなければ視聴率に影響する。そこで……。
 2013年は、ワールドカップ出場が決まる重要な年である。 
 なにごとも、最初が重要である。
 だから、この日本対ラトビアの親善試合は重要である。
 そういう、苦しい三段論法のようだ。

★ザック監督にとっては
 ザッケローニ監督にとっては「非常に大切」ではないにしても、選手たちを集められる貴重な機会である。
 いくつかの狙いをもって試合に臨んだだろう。
 その一つは、すでに評価の定まっている選手たちの組み合わせのテストである。
 前半は岡崎慎司のワントップを試みた。本田圭佑、香川真司と前線のエース3人が揃ったので、そのポジションの組み合わせを変えてみたのである。
 今後の試合で3人が揃うこともある。1人あるいは2人がケガなどで欠けることも考えられる。
 いろいろなケースで、どういうことができるかをみたのだろうと思う。
 3人とも、欧州からのとんぼ返りの試合で、調子は良くなかっただろうが、それぞれの特徴は見せた。

★体調不良で神戸行き取りやめ
 特別な意義付けをしなくても親善試合には、それなりの価値がある。国際親善に役立ち、選手とチームが経験を積み、お客さんはスター選手ののびのびとしたプレーを楽しむ。
 ところで、ぼくは、この試合を見に神戸に行くことにしていたのだが、当日の朝に取りやめた。
 前日の夕方、首から上に違和感があったからである。
 当日の朝、東京は雪が降り続き、寒さも厳しかった。
 体調と年齢と天候を勘案して、無理はしないでテレビで見ることにした。
 ホテルの予約も、新幹線の切符もキャンセルした。
 「どうせ、重要でない試合だよ」というのが、ぼくの「酸っぱい葡萄」である。
 神戸に行かないで地元のクリニックで検査を受けた。
 幸いにして灰色の脳細胞に新しい異常はなかった。

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スポーツ報道 / 2013年02月07日


柔道五輪監督の「暴力問題」


マスコミが伝えた識者の意見

★セルジオ越後のコメント
 学校スポーツ指導者や柔道女子オリンピック監督の暴力が問題になり、マスコミが多くの識者の意見を紹介した。
 そのなかで、もっとも「おもしろかった」のは、セルジオ越後さんのコメントである。
 「おもしろかった」というと語弊があるかもしれない。
 「興味深かった」と言い直そう。
 1月31日付の朝日新聞に「ブラジルなら大乱闘」という見出しで掲載されていた。
 「ブラジルで指導者が選手を殴れば、殴り返されて大乱闘になる」。
 実際に乱闘になることは、めったにないだろうが「ブラジルではコーチと選手は対等だ」ということだ。
 「残念だが、体罰は日本の文化の一部になっている」ともセルジオさんは言っている。
 日本のスポーツ文化では、指導者は選手より上位にいる。そのために選手のほうが一方的に殴られることになる。

★山下泰裕さんの談話
 柔道で無敵の世界チャンピオンだった山下泰裕さんの談話も載っていた。
 「自分は殴られたことも殴ったこともない」。
 それはそうだろう。殴ろうとしたら逆に投げ飛ばされかねない……これは冗談。
 実際には殴られたとしても、山下さんが反抗するようなことはなかっただろう。指導者、年長者を敬うことが、日本の文化だからである。
 一方、山下さんであれば、指導するときに殴る必要はないだろう。暴力に訴えなくても、金メダルの実績と実力で相手を心服させることができるからである。
 山下さんは、指導者の暴力が日本の柔道に特別にあると考えている。「正直に言うと、日本の柔道界には暴力や体罰という体質が残っている」。
 
★背後に「大学スポーツ」の弊害
 セルジオさんの言うように「体罰は日本の文化の一部」になっているにしても、日本の古い伝統的文化であるとは、ぼくは思わない。
 師を敬い、年長者を尊ぶのは東洋の伝統的文化だが、それを悪用して弱い立場の者に暴力をふるうのは、スポーツ界では戦後になってからが、ほとんどではないだろうか?
 山下さんは、日本の柔道界の体質だと述べている。
 そういう文化、あるいは体質は、なぜ生まれ、どのように育ってきたのだろうか?
 週刊文春は2月14日号で「全真相」と題する記事をのせている。
 それによれば「柔道の乱」の背景には、日本柔道連盟内の学閥争いがあるという。
 うーむ。これも「学校スポーツ」の弊害の一つか、と思った。

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スポーツ報道 / 2013年02月02日


五輪女子柔道監督の暴力問題


日本スポーツの体質の転換点
(JOCへ告発 1月30日付け朝刊報道)


★新聞も及び腰の扱い
 ロンドン・オリンピック女子柔道の園田隆二監督が選手たちに「暴力」を振るっていたことが明るみに出た。ぼくは、1月30日付の朝刊の報道で知った。
 読売新聞は社会面肩(左上隅)3段の扱いだった。朝日新聞は第二社会面肩3段の扱いだった。
 前年のロンドン・オリンピックを大騒ぎして扱っていたことを思うと控えめである。
 新聞の記事の扱いは、その日の他のニュースとの「兼ね合い」によって決まる。この日は平成13年度の政府予算案決定が最大のニュースだった。
 それでも、柔道五輪監督の不祥事は、一面で扱ってもいい重要な問題だったのではないか? マスコミの報道が「及び腰」のように思った。
 その日の朝の記者会見で全日本柔道連盟が事実を認めると夕刊では一面扱いになった。

★柔道連盟の責任回避
 この問題では、全日本柔道連盟の対応に問題がある。
 第一は、前年の9月に選手たちが柔道連盟に訴え出たとき監督を解任しなかったことである。選手たちから信頼されていない監督を、4年後の次のオリンピックまで続投させるのは理解できない。
 第二には、マスコミに隠していたことである。内部で処理して、もみ消してしまうつもりだったのだろう。選手たちがJOC(日本オリンピック委員会)に告発したのでマスコミの知るところになった。
 第三には、問題が明るみに出たあとも、柔道連盟が監督続投を明言したことである。連盟の責任で処置しないで、本人が「進退伺」を出すのを待った。
 柔道連盟の責任回避の姿勢が明らかだ。

★選手たちの行動はみごと
 柔道連盟の応対には「指導暴力もときには必要」と考えていることが透けて見える。日本のスポーツの古い、間違った精神論が尾を引いている。
 マスコミで伝えられている識者の意見の一部にも、それが見える。
 一方、被害者である若い女子トップ選手15人の行動はみごとだった。まず、所属の柔道連盟に訴え、うやむやに処理されると、JOC(日本オリンピック委員会)へ告発した。選手たちの意識と行動が競技団体の古い体質を上回った。
 全柔連と選手たちの動きの背後に、柔道界内部の派閥争いがある可能性も考えられる。
 しかし、そうではあっても、これは日本のスポーツの体質が変わりつつあることを示すものではないか?
 歴史的に見れば、一つの転換点といえると思う。

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