サッカー日誌 / 2009年02月16日


日本代表、対オーストラリア戦の評価


W杯アジア最終予選A組
日本 0対0 オーストラリア
(2月11日、横浜・日産スタジアム)


★オーストラリアへの過大評価
 「日本代表は強くなったね。引き分けだったけど内容は優勢だったね」。横浜で行われたワールドカップ予選、オーストラリアとの試合をテレビで見た友人が、何人もこう言っていた。強敵相手に押しまくっていたのは「すごいじゃないか」というのである。
 思うに、この友人たちは「オーストラリアは強敵で、この試合がワールドカップへのヤマ場だ」と信じ込んでいたらしい。でも、オーストラリアは日本よりも格上だとは言えないし、この試合が南アフリカ行きの切符を手にするための最難関だったわけでもない。
 それでも、友人たちが「この大事な試合を見逃しては」とテレビのチャンネルを回したのは、テレビ局がそういうふうに前宣伝をしたからである。また新聞もその提灯を持ったからである。「テレビは強敵相手の大事な試合だと言わないと視聴率が上がらないからな」と、サッカー記者の大先輩の賀川浩さんは、試合の前に言っていた。

★W杯予選としては引き分けでいいが……
 オーストラリアにとっては、0対0の引き分けは大成功である。グループAの首位を守り、予選突破へ大きく前進したからである。
 日本にとっても、ワールドカップの予選としてみれば、引き分けは悪くない。グループ2位までが南アフリカへの切符を手にできるのだから、当面のライバルと引き分けて勝ち点1を積み上げたのは2位以内へ一歩前進である。
 岡田監督は、試合後の記者会見で「最後にパワープレーに出る考えは全くなかった」と話した。アイスホッケーでのパワープレーはゴールキーパーまで攻めに上げて捨て身の総攻撃に出ることだが、岡田監督が「パワープレー」と言ったのは失点のリスクを冒して点を取りに行くつもりはないという意味だろう。逆襲をくらって0対1で負けた場合のマイナスは、総攻撃で1点を取れる可能性に比べてあまりにも大きいのだから当然である。

★勝負としては情けない
 しかし、サッカーの勝負としてみれば、この引き分けは情けない。ホームゲームなのだから、この程度の相手には勝ちに行かなければならない。
 「この程度の相手」と言うと目をむく人がいるかもしれないが、ぼくの考えでは、日本のレベルはオーストラリアより上である。少なくとも同等である。それも最近になって日本が強くなったからではなく、もともと10年くらい前から日本が上だったのである。
 2006年のドイツ・ワールドカップのとき1対3で逆転負けした印象が強いものだから「オーストラリアは強い」と思われているが、一つ一つの勝負は、そのときの条件によって行方が変わる。内容を子細に検討すれば、日本が劣っていなことは分かるはずである。 
 今回の試合についていえば、劣勢を引き分けに持ち込んだオーストラリアのピム監督の勝利で、優勢をものにできなかった岡田監督の敗北だった。

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サッカー日誌 / 2009年02月08日


Jリーグが変えた高校サッカー


第87回全国高校サッカー選手権大会
12月30日~1月12日


★歴史に残る決勝戦
 いささか、というより、かなりタイミングがずれたが、年末から正月にかけて開かれた高校サッカー選手権を振り返っておきたい。今回の大会には「高校サッカーの様変わり」が端的に表れていたように思う。それを書き留めておこう。
 1月12日の決勝戦では広島皆実が鹿児島城西を3対2で破って優勝した。逆転、同点、再逆転とスリリングな展開だった。高校サッカーの決勝戦史上、5指に入る好試合ではなかったかと思う。第84回の野洲の優勝、第55回大会の浦和南対静岡学園などと並ぶ、あるいはそれ以上に、歴史に語り継がれるべきだった試合ではないか。
 静岡学園と野洲は、それまでの高校サッカーとは違うイメージの技術と戦術で旋風を巻き起こした。だが今回、決勝進出の2チームは高校サッカー界全体の様変わりを示していたと思う。ともに初の決勝初進出だった。

★サンフレッチェと高校
 優勝した広島皆見の選手の多くはサンフレッチェ広島のジュニア・ユース(中学生年齢相当)出身者である。サンフレッチェは若手育成の組織作りに力を入れていて、ジュニア・ユースのスクールとチームを、いくつも持っている。
 そこの子どもたちの中で、トップクラスはサンフレッチェのユース・チーム(高校生年齢相当)に上がる。上がれなかった2番手クラスが、いくつかの高校で「高体連のサッカー部」に入る。「Jのユースに上がれなくて落ち込んでくる子もいれば、わしはサンフレッチェだったんだ、とふんぞり返る子もいる」という藤井潔監督の話である。
 いずれにしても、中学生年代にJの組織が伸ばした若者の受け皿に高校サッカーがなって、さらに伸ばしているわけである。「中体連育ちもいますよ」と藤井監督は言ってはいたが、中学校のサッカーでは出来ないことを、Jと高校の連携でやっているわけである。

★大迫勇也は本物だ!
 鹿児島城西では、大迫勇也の得点力が話題だった。6試合で10得点の大会新記録。身長1㍍82と大型でテクニックと速さがある。マークしている相手を一瞬で振り切るプレー、密集の中で、すばやく切り返してシュートするプレーなどが大きく取りあげられた。
 だが、ぼくは、体の大きさや速さや強さよりも、頭の中身に注目した。中盤でヘディングを競り合いながら周りの味方のうちフリーな方にパスを落とす。そういう場面をたまたま見たので、そのあと、ボールが来る前に大迫がまわりをどう見ているか、次にどうしようとしているかを観察していた。疑いもなく、大迫は判断力に優れ、頭の回転がすばやい。それにリーダーシップの素質もあるようだ。釜本邦茂以来の大物だと思う。
 大迫は城西の系列校の鹿児島育英館中学の体育科から進学した。つまりサッカーの中高一貫教育で伸びてきた。「中体連」のサッカーが、ここでも問われている。

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サッカー日誌 / 2009年02月07日


日本代表、ことしは若手「登竜」の年


キリンチャレンジカップ2009
日本 5対1 フィンランド
(2月4日、東京・国立競技場)


★北欧相手の大勝に隔世の感
 「相手が弱すぎるよ」というのが日本対フィンランドの試合を見た多くの人の感想だった。5対1。日本の大勝である。
 「北欧チームに対して、相手が弱すぎるよとは……」と、ぼくは隔世の感である。
 半世紀以上前の話だが、大学2年生のころに、スウェーデンからユールゴルデンというチームが来日したことがある。記録を見ると日本代表と2試合して5対1、9対1とスウェーデンの大勝だった。
 スウェーデンはサッカーでは伝統のある強国でフィンランドとは違う。しかし、今回の試合の先発メンバーのうち5人は、スウェーデンでプレーしている選手だった。ユールゴルデン所属もいた。個々の選手のレベルはフィンランドも差はないはずである。しかし、日本の若手選手の技術は、明らかにフィンランド選手より格上だった。

★守りが弱ければ若手ものびのび
ただし、今回のフィンランドはベスト・メンバーではなかった。試合後の記者会見でフィンランドの記者が「今日のメンバーの中で、代表に上がれるプレーを見せた者はいたか?」とバクスター監督に質問した。フィンランドの記者から見れば、来日したチームは「代表」ではないということだ。実際に、U-23 の顔触れに数人のベテランを配したというところだった。
とはいえ、相手がこのレベルの親善試合で、激しく守って来ないのであれば、日本の若い選手ものびのびと技量を発揮できることが分かった。
最初の2得点を挙げた岡崎慎司は22歳。熊本での対イエメン戦で1ゴール、1アシストを記録したのに続く活躍だ。20歳の内田厚篤人は右のディフェンダーに定着した。22歳の長友佑郎、21歳の安田理大もいいところを見せた。

★真剣勝負の国際経験を積ませよう
 19歳の香川真司は、熊本ではドリブルで持ち過ぎてイエメンの密集守備にからめとられていたが、今回はパスを出すほうでよさを見せていた。これは監督の指示だったのだろう。
 こういう若手が、ワールドカップ予選、アジアカップ予選を通じて、真剣勝負の国際試合で経験を積んで欲しい。そうすれば、日本代表の若鯉にとって2009年は「うし年」ではなく「登竜」の年になるかもしれない。
フィンランド戦は、1週間後のワールドカップ予選、対オーストラリアに備えての準備のための試合だった。背の高い相手に対する練習のつもりでフィンランドを招いたのだろうが差がありすぎて、そのための練習にはならなかった。またオーストラリアの監督が偵察に来ていたのだから、この日のやり方で2月11日の試合を戦うことはないだろう。でも若手に出番があると楽しみだなと思った。 

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サッカー日誌 / 2009年02月05日


ビバ!サッカー2008年度表彰(下)


技能賞に中条一雄著「デットマール・クラマー」

★「日本サッカーの恩人」を歴史に
 ビバ!サッカー2008年度表彰の大賞、殊勲賞、敢闘賞を選んだが、残る技能賞の選考で、はたと行き詰まった。「技能」にふさわしい業績が思い当たらない。
 サッカーのテクニックを対象にしているわけではない。異色のアイデア、他の人とは違う努力でサッカーに役立つ仕事をした人、あるいは団体に贈りたいのだが、昨近、クリエイティブな業績が見当たらない。「該当者なし」とすることも考えたが、せっかくの機会だから、もっと広く知られるべき業績に光を当てたい。
 そこで2008年度ビバ!サッカーの技能賞は、ベースボールマガジン社から『デットマール・クラマー、日本サッカー改革論』を出した中条一雄さんに贈ることにした。身内といっていいくらい身近な先輩だから気が引けるのだが、この本はメキシコ・オリンピック銅メダル40年の年に「日本サッカーの恩人」を歴史に記録した貴重な仕事である。
 
★11年間にわたるしつこい取材
 日本代表チームがクラマーさんと出会った1960年に、中条さんはクラマーさんと会った最初の日本人ジャーナリストとなった。それ以来、半世紀近く、クラマーさんと親しく付き合ってきている。だからクラマーさんの仕事を、ほとんど知り尽くしている。
 それでも、資料や思い出だけに頼らずに、クラマーさん自身から、しつこく取材を重ねて本にまとめた。南ドイツのチロルの谷間の村に住んでいるクラマーさんを11年間に3度にわたって訪ね、それぞれ約1週間、午前、午後と根堀り葉堀りインタビューして、疑問に思っていたことを解き明かした。日本サッカー協会が外国人コーチを招くに当たって、なぜドイツを選んだか、クラマーさんがどうのようにして指名されたかは、この本で初めて解明されている。安直な取材でまとめた他の本に推測として書かれていることは正しくない。
 本が出来上がったとき中条さんは82歳。若々しい情熱と努力がすばらしい。

★「クラマーさん、ありがとう」
 中条さんは、日本のサッカーを根本的に変えてくれたクラマーさんに感謝する気持ちで、この本を書いた。だから、中条さんが希望した本の題名は「クラマーさん、ありがとう」だった。出版社は「日本サッカー改革論、デットマール・クラマー」という案を出してきた。交渉のお手伝いをした僕が折衷案を出して「デットマール・クラマー、日本サッカー改革論」と順番を変え、表紙にドイツ語で「Danke schön,Herr Cramer !」と入れてもらった。クラマーさんが、非常に喜んでくれたことは、もちろんである。
 実は「技能賞」でなく「メディア特別賞」として表彰するつもりでいた。前に後藤健生さんの『日本サッカー史』にメディア特別賞を出したことがある。
 ぼくの気がついていない「技能賞」候補があれば、ご推薦いただきたい。中条さんの表彰は「メディア特別賞」のほうが、ふさわしいかもしれない。


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サッカー日誌 / 2009年02月04日


ビバ!サッカー2008年度表彰(中)


殊勲賞に「なでしこ」、敢闘賞に我那覇

★東アジア女子選手権のタイトルに価値
 サッカー大賞に「大分トリニータのサポーター1万人大移動」を選んだので、次は恒例の三賞を選考する。
 グランプリ選考のとき女子サッカーも考えたのだが、大賞が大分に決まったので、女子サッカーを「殊勲賞」に選ぶこととした。
 2008年は北京オリンピックの年だった。日本の女子代表はベスト4に進出して健闘ぶりが話題になった。
 しかし、ぼくはオリンピックよりも2月に重慶で開かれた東アジア選手権で北朝鮮、中国、韓国を破って、日本女子代表として初のタイトルを獲得したことを重視したい。こっちのほうが、歴史に残すべき業績である。そこで東アジア・チャンピオンの日本女子代表「なでしこジャパン」に殊勲賞を贈る。

★初タイトルの意義は大きい
 「オリンピックは世界の大会じゃないか。なぜ、たった4カ国の東アジア選手権のほうを取り上げるのか?」と友人が口をとんがらせた。
 この友人は「初タイトル」の意義が分かっていない。誰も通っていないところに道を切り開いて進むのは難しい仕事である。前の人たちの通った道をたどるのは、それほど困難ではない。
 北京オリンピックでは、ベスト4といっても世界のトップクラスの米国やドイツには勝てなかった。このどちらかに勝って初のメダルなら銅でも殊勲賞だろう。東アジア選手権では、これまで、なかなか勝てなかった北朝鮮や中国を破っている。
 それに「オリンピック至上主義」の考えに、ぼくは長年反対している。オリンピックよりも個別のスポーツを、世界よりもアジアを、まず大事にすべきである。
 
★ドーピング疑惑と戦った我那覇
 「敢闘賞」は川崎フロンターレの我那覇和樹選手が有力候補だと、これは問題がこじれたときから考えていた。
 2007年4月に練習後、チームの担当医からビタミンB1の入った生理的食塩水の点滴を受けた。これが「ドーピング禁止規則違反」だとされて、公式戦6試合出場停止の処罰を受けた。これに対して、我那覇選手は敢然と処分取り消しを求める申し立てをし、Jリーグ側の理不尽な妨害をはねのけながら国際スポーツ仲裁裁判所(CAS)から「処分取り消し」の裁定をかち取った。国際サッカー連盟(FIFA)は違反記録を削除した。
 この問題では、Jリーグの処置も、フロンターレの態度も、合理性と慎重さと潔ぎよさに欠けていた。我那覇が医師団と弁護士団の協力を得て、これと敢然と戦ったことに「敢闘賞」を贈る。理不尽な権力と戦う者に栄光あれ。


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サッカー日誌 / 2009年02月01日


ビバ!サッカー2008年度表彰(上)


大分サポーター大移動に大賞!

★地方クラブがナビスコ・カップ優勝
 じゃじゃーん! と毎年、鳴り物入りでビバ!サッカーの表彰を発表しているのだが、今回は非常に遅れてしまった。忘れていたわけではないのだが、ただ一人の選考委員が後期高齢者になって、ちょっと忙しいと手が回らなくなってしまう。
 トロフィーも賞状もなく、セレモニーもないのだから、多少遅れたところで、誰かに迷惑をかけるわけではない。しかし、真にすぐれた業績を記録にとどめるという歴史的使命を持っているので、選考委員が元気な限り、やめるわけにはいかない。
 というわけで、タイミングはずれたが2008年度ビバ!サッカーの表彰を発表する。
 じゃじゃーん! 日本サッカー大賞は、ナビスコ・カップに優勝し、地域で育ったJクラブとして、はじめて全国タイトルをとった大分トリニータの、サポーターに決まりました。え! なぜチームでなく、サポーターなのかって?

★「サロン2002」シンポでの報告
 12月からずっと頭の中で選考していて「大賞」には大分トリニータ、あるいは女子サッカーが浮かんでいた。女子代表チームは北京オリンピックでベスト4に進出、男子のふがいなさに比べて健闘は目立ったが、メダルは取れなかった。しかし、その中核となった「ベレーザ」が2年連続2冠を達成したので、こっちのほうかな、とも考えていた。
 ただし、わがサッカー大賞は単にタイトルをとっただけでは表彰しない。優勝してすでにカップをもらっているのだから、その上に、さらに冠を重ねるようなことはしない。真に歴史に残すに値する業績を記録できるものでなければならない。
 思い悩んでいたところ、1月31日にスポーツ文化研究の集まりである「サロン2002」の公開シンポジウムがあった。そこで大分から来たパネリストの宮明透さんの報告を聞き「トリニータでいこう」と踏み切ったのである。

★サポーター1万人の大移動
 ナビスコ・カップ決勝の応援に上京したサポーターが、国立競技場のゴール裏スタンドからバックスタンドまであふれ出ている。その映像を、宮明さんがシンポジウムで見せた。その数1万数千人。壮観である。大分から上京するのに、もちろん飛行機だけでは運びきれない。新幹線も、船も、貸切バスも、自家用車も使ったという。
 サポーターの多くは、後期、ではない、前々期高齢者くらいの年齢である。また、それよりちょっと若い奥様方も多いそうだ。こういう層のサッカー・ファンが地方にあふれてきたのは新しい社会現象である。
 トリニータを生み、育ててきたクラブ関係者の苦労もある。地域との「絆」(きずな)を大切にすることを訴えながら、いいチーム創りをしたシャムスカ監督の見識もある。そういう努力の結実として、サポーター1万人の大移動に「大賞」を贈ることとする。

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