サッカー日誌 / 2010年08月31日


日本代表、後任監督の選び方(上)


著名で高価な指導者がいいのか?
(8月24日 決定先延ばしの記者会見)

◇決定を焦らないのは正解
 日本代表監督が、なかなか決まらなかったので日本サッカー協会を批判する向きがあったようだ。しかし、この点については、ぼくは「焦らないのが正解」という意見である。
 ワールドカップが終わったあと、すぐに岡田武史監督の後任を決まるはずだったが、協会会長交代などもあって延び延びになっていた。それでも8月中旬には発表できるはずだったのに交渉が難航して9月の親善試合は、原博実・技術委員長が監督代行を務めることになった。
 協会は、欧州で交渉にあたっていた原委員長を呼び戻して「決定先延ばし」を発表した。交渉中の候補は3人いるが、この時点では条件面で合意できていないということだった。
 原委員長は「世界的な実績を持つ指導者を探している」と語った。実績を持つ指導者の代理人は名声を掲げて高い報酬を吹っ掛ける。しかし、その言いなりになることはない。お互いに「駆け引き」だから、じっくり腰を据えて交渉すればいい。

◇無名の指導者を選ぶ手も
 「世界的な実績を持つ指導者」を求めるのは、犬飼基昭前会長のもとで強化担当の大仁邦弥副会長と原委員長が決めた方針だろう。それも一つの考え方だが、ぼくの意見は違う。
 実績のある監督の報酬が実力に見合うかどうかには疑問がある。
 金(ゴールド)は希少金属なので価格は高いが、実用には一般的ではない。鉄はいろいろ役に立つうえ、多量にあるので比較的安価である。
 実績のある指導者は少ないから報酬は高い。しかし、必ずしも、日本のサッカーを率いるのに向いているとは限らない。一方、世界中にサッカーのコーチはたくさんいる。そういう人たちの報酬は、それほど高くはない。その中から、日本が求めている能力を持つ監督を探すこともできる。
 実績がある高価な監督を探すよりも、著名ではないが有能なタレントを求めたほうが経済的である。
 「価値と価格のバランスのいい監督を求めるべきだった」と、ぼくは思う。

◇読売クラブでの経験
 こういう考えは、ぼくの過去の経験に基づいている。
 40年ほど前、いまのヴェルディの前身である「読売サッカークラブ」の運営に関係していたころ、若いオランダ人のファン・バルコムを監督に招いた。当時の西ドイツ・サッカー協会の関係者にツテを求めて、無名だが有望なコーチを安いギャラで紹介してもらったのである。ファン・バルコムは、読売クラブで成功した実績を足がかりに、その後、いろいろな国で活躍した。
 1980年代には、西ドイツからルディ・グーテンドルフを招いた。実績のある監督だったが、ちょうど仕事がなかったときで、比較的安く2年契約できた。価値と価格のバランスが読売クラブに有利だった。グーテンドルフは、読売クラブを初優勝させたあと、ドイツの名門ヘルタ・ベルリンと契約した、
 単独クラブと代表チームでは事情は違うが、一般的には著名なクラブの監督より代表チームの監督のほうが報酬は低い。「代表監督に法外な報酬を払う必要はない」というのが、ぼくの意見である。



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サッカー日誌 / 2010年08月28日


ワールドカップの旅行術


ビバ!サッカー研究会8月例会
(8月20日、東中野テラハウス)

◇「ビバ!ハウス」運営報告
 ビバ!サッカー研究会の8月例会で「ビバ!ハウス」担当メンバーの運営報告があった。
ワールドカップのときに仲間たちと共同で邸宅を借り切って「ビバ!ハウス」と名づけた。首都プレトリアの丘の中腹にある高級住宅街、敷地4000平方メートルの豪邸である。5寝室9ベッドだが、廊下脇のコーナーにもう一つベッドがあり、居間のソファ、床に置いたマットレスなどで、多いときは20人泊まった。数日だけの人もおり、40日間、通して滞在した人もいる。40数人が延べ約400泊した。
 邸宅の借り賃は、40日間で2万8000米ドル。ほかに洗濯や掃除をしてくれたメイドさんの賃金や使用したキッチンの器具の破損修理費などがかかった。あらかじめ宿泊日数に応じて円で分担金を集め、米ドルで支払った。1ドル=100円の計算で集めたが、その後ドルが値下がりして剰余が出そうだったので、パン、ジュース、牛乳、卵、ハム、ベーコンなどを買って、キッチンに置いておき、朝食は自由に食べられるようにした。「朝食無料」である。

◇宿泊費節約が目的
 仲間のなかに和食のシェフがいて、希望者には昼食と夕食も準備してくれた。これは食券制にして1食500円程度で食材購入費にあてた。シャワーのお湯が出にくくなるなど、共同生活に伴う小さなトラブルはあったが、おおむね快適に過ごすことができて、宿泊した人は、みな満足したと思う。
 4年前のドイツ大会でも、フランクフルトのペンションを借りて、4室6ベッド(補助を入れて7ベッド)の「ビバ!ハウス」を開設した。それがうまくいったので、今回は、それを大がかりにしたのだが、南アフリカの状況に合わせて、少し違う形になった。
 開幕前、6月1日付の日本経済新聞に、ぼくたちの計画が紹介された。南アフリカは治安が悪いので、安全のために警報設備の完備した一軒家を借り切ったという趣旨である。
 しかし、ビバ!ハウスを計画した理由は「安全」のためばかりではない。もっとも大きな理由は「宿泊費」である。ワールドカップ期間中のホテルの値段は、あまりに高すぎた。

◇移動の車も確保
 友人のジャーナリストが、前年の11月にFIFAがメディア用に指定したホテルを予約しようとしたら1泊4万円だった。様子を見て開幕4カ月前の2月初めに申し込んだら1泊2万円に値下がりしていた。その後、円高になったので、実際には1泊1万8000円くらいになったという。それでも長期滞在には高すぎる。普通の時期なら1泊6000円くらいの中級ホテルである。
そこで、われわれはネットで探し、交渉して「ビバ!ハウス」を開設したわけである。
 「安全」と「宿泊」のほかに「移動」も問題である。4年前のドイツの場合は、地下鉄の駅のすぐそばの宿舎を借りた。中央駅まで15分ほどだったので、国内移動は鉄道を気軽に利用できた。しかし、南アフリカでは、公共交通機関の利用が難しかったので車が必要だった。レンタカーを借りたほか、ビバ!ハウスのオーナーの家族や友人が「アルバイト」で協力してくれた。日本チームの試合の会場ヘは、バスを借りてみなで遠征した。
 という次第で「ビバ!ハウス」運営は大成功だったという報告だった。

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サッカー日誌 / 2010年08月25日


岡田監督、直前の方針転換の背景


ビバ!サッカー研究会8月例会
(8月20日 東中野テラハウス)

◇好成績の要因は「岡ちゃんターン」
 ビバ!サッカー研究会の8月例会で「岡田監督の方針転換」を取り上げた。
 日露戦争の日本海海戦で東郷平八郎提督の率いる連合艦隊はロシアのバルチック艦隊と遭遇すると突然、向きを変えて敵艦隊の針路の前面に立ちふさがった。敵に横腹をさらすような大胆な作戦だった。「敵前大回頭」(トーゴー・ターン)と呼ばれている。これが成功して戦史に残る大勝利を収めた。
 ワールドカップ南アフリカ大会開幕直前に、岡田武史監督は、戦い方の方針をがらりと変更した。「東郷ターン」に似た意外性である。「岡ちゃんターン」と呼ぶべきか?
 日本を出発する前までは、中村俊輔中心に「攻撃的なサッカー」を掲げてチーム作りをしていた。ところが、その後、スイスでの合宿を経て南アフリカ入りする3週間足らずのうちに、選手起用も、布陣も変えて「守備重点のサッカー」に方針を転換した。
 それがベスト16に進出し、パラグアイと引き分ける好成績につながったのだと思う。

◇2年5カ月のチーム作りは?
 日本を出発するまで岡田監督が掲げていたのは「日本人に向いた攻撃的サッカー」だった。中村俊輔を主軸にすばやくパスをつないで攻める。守りは前線から激しくプレスをかけ続けて高い位置(前方)でボールを奪う。そういう狙いだった。
 ところが南アフリカでは、それまで、ほとんど使っていなかった阿部勇樹を守備ラインの前にアンカーとして置いて引き気味に守りを固め、本田圭佑をワントップに置いて低い位置(後方)から逆襲を狙った。180度の方針転換である。ゴールキーパーも川島永嗣にかえた。
 それが成功したのだから、岡田監督の「英断」は評価しよう。勝てば官軍である。
 だが、それにしても……。
 岡田監督が2008年1月の就任以来、2年5カ月にわたって続きてきたチーム作りは、いったい何だったのか? 「日本人に向いたサッカー」はどうしたのか? それを追及しないわけにはいかない。 

◇代表は随時編成でいい
 直前の方針変更の理由を、岡田監督は「これまでの主力が調子を崩して元へ戻らなかったから」と説明したが、そうとばかりは思えない。真相は、これから、しだいに明らかになるだろう。
 守備重視への方針変更は、岡田監督一人の考えだったのだろうか? 日本海海戦の「東郷ターン」を立案したのは秋山真之参謀だったが「岡ちゃんターン」の背後にも名参謀がいたのだろうか? 選手たちのミーティングで出た考えだという話もあるが、本当だろうか? そこも知りたいところである。
 2年5カ月かけて「一つのチーム」を作ろうとしながら、最後にまとめきれずに方針転換をした。そして、わずか3週間足らずのうちに、新戦力、新布陣でまとまった。
 こうしてみると、2年以上かけて一つのチームを作りあげる「集中強化策」に疑問が出る。国際試合のたびに、そのときに集められる選手でチームを作る「随時編成」でいいのではないか? 欧州や南米の多くの国はそうしている。選手の能力は、随時編成に柔軟に適応できるレベルに達している。

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サッカー日誌 / 2010年08月24日


Jリーグ・アカデミー不要論


選手育成はクラブの仕事だ
(8月19日 サロン2002月例会)

◇学校でも学園でもない
 「サロン2002」というスポーツ文化の研究会がある。その8月の月例会で「Jリーグ・アカデミー」についての話を聞いた。8年間にわたって、活動に携わっていた人から丁寧な説明があった。しかし、ぼくには、なかなか趣旨が呑み込めなかった。「Jリーグ・アカデミーなんて、いらないんじゃないの?」というのが、ぼくの率直な感想である。
 辞書で調べると「アカデミー」とは、学校あるいは学園のことである。古代ギリシャのプラトンが弟子を教えた庭園の名に由来している。教育用の施設があって、先生(指導者)がいて、生徒が集まっている組織である。しかし、Jリーグ・アカデミーは「学校」でも「学園」でもない。施設も常駐している先生も生徒もいない。Jリーグの活動の一部を担う「組織」があるだけである。
 日本サッカー協会(JFA)が福島と熊本で開いている「JFAアカデミー」と名称が似ているので紛らわしい。JFAのほうは施設があり、指導者と生徒が常駐しているから、こちらは「学園」である。

◇プロ選手養成が目的
 「Jリーグ・アカデミーの目的はなんですか?」と訊いてみた。
 「Jリーグで活躍するプロ選手を育てることです」というのが答だった。
 選手育成は、それぞれのクラブの仕事ではないのか? Jリーグが中央集権的にプロ選手を作り出そうとしているのか? それが、まず疑問である。
 この点については「実際に選手を育てるのはクラブです。クラブに育成センターを置き、若い選手を正しく指導できるようにしています」という趣旨の説明だった。
 各クラブがユースやジュニアユースの年齢のチームを持っている。その指導者を教育し、正しい育成の方法を指導する。そういう活動をしてきている。ユース以下の年齢の育成に力を入れて成果をあげているかどうかを評価して表彰する制度も作ったという。
 「日本型育成システムの確立」をめざしているのだという説明もあった。

◇JFAとの役割分担を明確に
 選手を育てているのは、学校を含めた全国の数多くの「クラブ」である。その中からプロになる選手も出てくる。Jリーグのクラブが囲い込んだタレントだけがプロになるわけではない。  
 また、Jリーグ加盟クラブの育成活動を「プロ選手を作り出すため」とだけ考えるのも疑問である。Jリーグのクラブで育ってアマチュアとしてプレーしている選手もたくさんいる。
 育成に役立つ情報を集めて提供するような仕事は有益だが、それは、すべてのクラブのためでなければならない。全国のサッカー全体にサービスをする仕事は協会(JFA)の役割ではないか?
 Jリーグが設立された当初は、世界のクラブがどういうものか、あまり知られていなかった。だから、プロのチームを持つクラブでも、少年やユースのプレーヤーを育てるものだということを知ってもらわなければならなかった。そういうわけで、Jリーグ・アカデミーのような啓蒙活動が必要だったのかもしれない。でも、そろそろ、協会(JFA)とJリーグの役割分担を明確にするときだろう。

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サッカー日誌 / 2010年08月20日


音の聞こえないサッカー


映画「アイコンタクト」
(9月18日~ ポレポレ東中野で公開)

◇人間と社会とスポーツ
 映画「アイコンタクト」(中村和彦監督)の試写を見せてもらう機会があった。
 「もう一つのなでしこジャパン、ろう(聾)者女子サッカー」と副題がついている。2009年の夏に、聴覚障がい(碍)者のスポーツ大会「デフリンピック」が台北で開かれた。その女子サッカーに参加した日本代表チームを扱った劇場用ドキュメンタリーである。
 しかし、ただのサッカー映画ではない。これは、人間について、社会について、そしてスポーツについて、心を揺さぶり、考えさせる映画である。
 映画の前半のなかに「聴覚障がい」について紹介する部分が織り込まれている。周りを知り、コミュニケーションをとることが人間にとって、どんなに大切か。その手段として音を利用できないハンデを乗り越えるために、どうしているか。そういうことを映画に引き込まれながら理解した。
 音の聞こえるぼくたちが、耳をいかにムダに使っているか、いかに耳に頼りすぎているかとも考えた。

◇カラスの標章を使えない
 台北のデフリンピックに出場した選手たちが、それぞれ、どのように育ってきたかも、映画の前半で紹介されている。
 音が聞こえないことは、さまざまな工夫や努力によって乗り越えているが、もっと大きな問題は、障がい者に対する社会の無知と偏見である。子どものときには学校でいじめられ、成長したら職場で差別される。結婚や出産にも悩みがある。
 スポーツの世界では、差別がないようであって欲しいが、そうはいかない。
 選手たちは、ブルーのユニフォームを着て出場しているが、胸のマークは「3本足のカラス」ではない。日本代表ではあるが、日本サッカー協会の代表ではないから協会の標章は使わせてもらえないらしい。
 ところが、ドイツのチームは協会の標章を使っており、監督はドイツ・サッカー協会から派遣されている。日本でも「サッカーは一つ」という考えで、差別しないようにできないのだろうか?

◇「音のないサッカー」の迫力
 映画の後半はデフリンピックの試合の場面である。
 試合の前に「君が代」演奏がある。見慣れた場面だが「選手たちには聞こえていません」という説明が字幕で入った。映像を見ているだけでは、そのことに気づかなかった。
 プレーの様子は、普通のサッカーと変わらない。しかし審判の笛は聞こえない。味方の指示も声では伝わらない。だから、常に周りを良く見てプレーしなければならない。チームプレーを組み立てるために「アイコンタクト」が、普通の試合以上に重要である。
 選手たちの闘志、プレーの激しさも、すばらしい。映画では「音のないサッカー」の迫力を伝える特別の工夫が行なわれている。どういう工夫か? それは映画を見てもらいたい。 
 9月にロードショーの行なわれる映画館は、ぼくたちビバ!サッカー研究会が月例会に使わせてもらっている東京・東中野駅近くの会場のすぐ近くである。もう一度見ようと思っている。

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サッカー日誌 / 2010年08月16日


小倉純二・新会長の課題(下)


未来のための路線つくり
(7月25日 就任記者会見)

◇2年の間にできること
 小倉純二・新会長の任期は1期2年だけである。今回はFIFA理事であるため特例で、70歳の定年を過ぎているが会長になる資格があった。しかし、FIFA理事の任期は2011年6月で終わる。そのため2012年に会長に再選される資格はない。
 わずか2年の間に新しい仕事をやり遂げるのは難しい。したがって、新会長の課題は、大きな仕事を成し遂げることではなくて、未来のための路線を示すことである。
 就任の記者会見で、小倉・新会長は、すぐにしなければならない課題として、日本サッカー協会の「公益財団法人」化をあげた。日本サッカー協会は、もともと旧民法第34条による「公益法人」だった。しかし2008年12月に新しい法律が施行されて、2013年11月末までに、新しい法律による「公益財団法人」にすることを決めなければならないことになった。
 これは、いわば協会の衣替えで、新路線のための前提あるいはスタートラインである。

◇協会の「公益財団法人」化
 新しい法律による「一般財団法人」は利益を求めないで仕事をする団体である。届出によって設立することが出来る。そのうえで「公益法人」として認可を受ければ「公益財団法人」になる。
 公益法人として認められれば、税金などで優遇措置を受けられるが、一方でいろいろな制約もある。
 まず「公益目的事業を行なうことを主たる目的」としなければならない。公益目的事業は、法律の別表で23種類に分けられており、サッカー協会の場合は、「教育、スポーツを通じて国民の心身の健全な発達に寄与し、又は豊かな人間性を涵養すること」を目的とすることになる。また、その事業は「不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与する」ものでなくてはならない。さらに「総事業費の50%以上のウエートで公益目的事業を実施すること」が必要である。
 協会は、加盟チームの間の大会を組織し、代表チームを強化し、またその費用を調達するために有料試合などの収益事業を行なっている。しかし、それだけでは「公益性」を主張するのは難しい。

◇市町村に一つずつグラウンドを
 しかし、もともとサッカーでは「1%のトップレベルが99%の草の根に役立つ」といいうのがFIFAの組織の理念である。だから「公益法人」の規定は、サッカーの考え方と矛盾しないはずである。
 法律や手続きの細かいことは分かりにくいが、法人の衣替えに当たって「主としてサッカーの普及によって、国民の心身の健全な発達に寄与し、かつ豊かな人間性を涵養するための事業」を行なうことを、規約に書き込むことになるのだろう。
 その上で、公益性を具体化する新しいプロジェクトを、小倉会長の新路線で検討して欲しいと思う。
 たとえば、である。
 全国に1700あまりある市町村に、一つずつ、専用グラウンドを持つスポーツクラブを作ることをめざし、それを推進する事業は考えられないだろうか。少子化で廃校になる小・中学校が増えているので、その施設を活用するなど、具体的な道筋を描くことは出来そうに思う。

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サッカー日誌 / 2010年08月11日


小倉純二・新会長の課題(中)


前会長が残した施策の後始末
(7月25日 就任記者会見)

◇「秋春制」をどうするか?
 日本サッカー協会の小倉純二・新会長の当面の課題は、犬飼基昭・前会長が打ち出していた施策をどう引き継ぐかである。
 Jリーグのシーズンを「秋春制」、つまり冬期に持ってくる案は、犬飼前会長が強引に推し進めようとしていた問題だから、就任の記者会見でも質問が出た。
 「北は北海道から南は沖縄まで、季節にかかわらず試合の出来る施設があることに越したことはない。現実には北に施設はない。各クラブにも経営があるので無理強いすべきではない」というのが、小倉・新会長の答えだった。
 前会長の顔も立てて「(季節にかかわらず全国で試合が)可能であれば、日本が強くなるためには、やるべきだ」と一応は秋春制の趣旨には賛意を表したが、Jリーグの問題に強引に手を突っ込もうとするような姿勢や、北日本の雪国を犠牲にしていいというな代表強化中心の考えでないことは明らかだ。

◇代表監督をどうするか?
 日本代表チームの新監督決定については「技術担当の大仁副会長、原技術委員長の2人を全面的に信頼して任せます」と語った。すでに犬飼・前会長のときに動き出している問題だから、急に方針を変更することはないという判断だろう。きわめて穏当な考えである。
 ただし、日本代表チームは、サッカー協会の直接の管轄である。Jリーグのシーズンの問題とは違って協会の会長に権限がある。日本人にするか、外国から招くか? ユースや五輪代表も兼ねて担当させるか? 報酬はいくらぐらいが適当か? 具体的な人選を始める前に、基本的な方針を担当の理事・委員長と協議し、指示する必要はある。
 しかし、今回の場合は犬飼・前会長と担当役員の大仁、原の間で方針は決まっていたはずである。それを白紙に戻すことも、できないわけではなかっただろうが、小倉会長は、そういう荒技はしない人柄である。

◇W杯招致をどうするか?
 2022年のワールドカップ招致は、小倉・新会長にとって頭の痛い問題である。国際的な人脈の広さと強さを期待されているが、FIFAの理事として状況を熟知しているから日本が選ばれる可能性が薄いことを充分に知っている。「そんなに期待されても困る」と内心では思っているだろう。
 この件については「FIFA理事の一人一人に働きかけたい」という発言に注目した。
 犬飼・前会長が立ち上げた招致委員会は、12月のFIFA理事会までの1年足らずの招致運動の費用として約10億円の予算を組んだ。そして、視察に来たFIFAの調査委員を歓待し、全国紙に全面広告を出すなど派手なPR活動を展開した。広告企業にメリットはあっただろうが、招致実現に、それほど効果があるとは思われない。投票権を持っている理事に日本開催の利点を地道に説得するのは本筋である。
 小倉・新会長は、招致委員会の委員長を犬飼・前会長から引き継いだが、招致は実現しなくて当たり前。招致費用が無駄遣いになれば、その責任は前会長にある。

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サッカー日誌 / 2010年08月10日


小倉純二・新会長の課題(上)


代表強化が第一ではない
(7月25日 就任記者会見)

◇「草の根」に目を向ける
 日本サッカー協会の新会長に就任した小倉純二さんの記者会見の言葉は、すばらしかった。
 「草の根から、トップまで、もう一度、日本のサッカーを活性化させる努力をしたい」
 当たり前の発言のようだが、当たり前でない。なぜなら、日本サッカー協会は長い間、「トップ」の代表チーム強化を唯一最高の目標のように掲げてきて「草の根」の底辺は二の次、三の次のように扱ってきたからである。しかし、小倉さんは、就任最初の記者会見で「草の根」に目を向けている姿勢を明らかにした。
 「草の根」は、全国各地で行われている子どもたちからお年寄りまで、あらゆる年代の人たちのサッカーである。その中からJリーグや日本代表の選手が出てくることはあるにしても、トップレベルの選手を育成することが「草の根」のサッカーの目的ではない。逆に、トップレベルのサッカーが草の根サッカーへの刺激あるいは模範になることに、トップレベル強化の意義がある。

◇いいサッカーの普及が重要
 サッカー協会のもっとも重要な仕事は、北は北海道から南は沖縄まで、日本全国至る所で、多くの人たちが、いいサッカーを楽しめるようにすることである。
 楽しいサッカーが普及することによって、その中から優れた選手が育ち、結果として代表チームが好成績をあげる可能性は大きい。しかし、仮に代表チームが好成績をあげられなくても、だからといって、サッカーの普及は無意味だということはない。
 逆に、代表チームを強化するために、あらゆる犠牲を払って、その結果として草の根のサッカーをスポイルすることになったとしたらどうだろう。金メダルのあとにペンペン草も生えないようでは、次の世代の金メダルは望めない。「元も子もない」結果になる。
 「草の根」のサッカーが目的か? トップレベルの強化が第一か?
 サッカー協会の仕事として「草の根」が大切なことは明らかである。

◇広い視野の考え方を評価
 こんな常識的なことが、これまでの日本のサッカーでは当たり前ではなかった。
 1965年に日本サッカーリーグが結成されたとき、さらに、その後身として1992にJリーグが発足したとき、目的としてうたわれたのは「日本サッカーのレベルアップ」だった。 ここでいう「レベルアップ」は日本全国のサッカーを良くすることではない。一握りのトップレベルの「選手強化」である。
 2008年に犬飼基昭会長が就任したときもそうだった。Jリーグの「秋春制」シーズンを強硬に主張した理由は「日本代表強化のため」だった。北海道や東北のサッカーについての配慮は二の次だった。
 だからこそ、小倉新会長が就任最初の記者会見で「草の根」に言及したのは重要だった。一つ一つの政策をどうするかという個別の問題の前に、その前提として「日本のサッカーをどうするか」という考え方がある。小倉会長が、広い視野の考えを示したことを評価したい。
 残念なのは、このような小倉会長の考え方にスポットを当てたマスコミが少なかったことである。

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サッカー日誌 / 2010年08月05日


「ワールドカップ」の商標権


日本サッカー史研究会
(7月26日 東京・JFAハウス)

◇FIFA が戦前に日本で登録
 「ワールドカップ」と日本語で書いたTシャツを売り出してもいいだろうか? あるいは “World Cup” 印のサッカーボールを作ってもいいだろうか? これは、なかなか、面倒な問題のようだ。
FIFA(国際サッカー連盟)は「ワールドカップ」という名称を、日本文と英文の両方で、日本で「商標登録」している。この登録が有効であれば、この「ワールドカップ」の呼称を使った商品を、勝手に日本で売り出すことはできないはずである。
 FIFAが「ワールドカップ」を日本で商標登録したのは最近ではない。1937年(昭和12年)7月8日に出願している。サッカーがそれほど盛んでなく、ワールドカップの名前も、ほとんど知られていなかった当時の日本で、FIFAは大会の名称が勝手にビジネスに使われないように手を打ったわけだ。
 前の年に日本はベルリン・オリンピックに参加したので、そのときにFIFAから依頼されて日本サッカー協会(当時は大日本蹴球協会)が登録の手続きを代行したのではないか、と想像した。

◇現在も更新されていて有効?
 この話を聞いたのは、毎月1回開いている「日本サッカー史研究会」の7月例会のときだった。南アフリカのワールドカップが終わったすぐあとだったので、「ワールドカップとメディアの歴史」をテーマにして、サッカーの文献資料に詳しい福島寿男さんに「ワールドカップについての日本の本と資料」について報告してもらった。そのなかで福島さんが「ワールドカップ」という言葉が戦前から使われていた一つの例として紹介した。ぼくには初耳だった。
 その後、仲間が調べてくれたところでは、商標登録は10年ごとに更新料を払って手続きすれば、いつまでも使い続けられる.とのことである。FIFAは更新を続けている。
 また登録は、商品の種類によって分類された「類」ごとに行うが、FIFAは「運動用具」を含む第28類など2つの類に登録している。したがって「ワールドカップ印」のサッカーボールを売り出すと問題になりそうである。

◇「ワールドカップ」という言葉
 ところが、話はそう単純ではないらしい。2006年のワールドカップのときに、ドイツでこの問題についての訴訟があった。ドイツの裁判所の判決は「ワールドカップという言葉の商標登録は無効」というものだった。「ワールドカップ」は、一般に広く普及している普通名詞だから、特定の人あるいは団体が独占することはできない、という理由だった。FIFA側の敗訴である。
 ただし、現在、FIFAが使っているのは「FIFAワールドカップ」という名称である。TM(トレードマーク)という文字を小さくつけて独占権を主張している。「牛乳」という普通名詞はダメだが、固有名詞の「明治牛乳」「雪印牛乳」なら商標登録できる、というようなものだろうか?
 ここでは、聞きかじったことを紹介しておくだけにする。詳しく正確なことを知りたい人は専門家に聞いてもらいたい。それにしても「ワールドカップ」という言葉一つだけでも、サッカー史のテーマとして調べなければならないことが、いろいろあるものだと思った。

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サッカー日誌 / 2010年08月03日


犬養会長失脚の致命傷


日本サッカー協会理事・評議員会
(7月25日 東京・JFAハウス)

◇「東アジア大会問題」の影響
 日本サッカー協会の犬飼基昭会長が退任に追い込まれたのは、いろいろな原因が積み重なってのことだろう。人間、戦うつもりで仕事をすれば、矢傷、刀傷はいくつも受ける。しかし、討ち死にするときには「致命傷」がある。犬飼会長の致命傷は何だったのだろうか?
 ぼくの見たところでは、いちばんの致命傷は「東アジア選手権見直し発言」である。
 日本、中国、韓国などが中心になって「東アジア・サッカー連盟」が作られている。そして東アジア・サッカー選手権大会が開かれている。2010年2月には東京で開催された。
 犬飼会長は、この大会にも、連盟のあり方にも反対だったらしい。日本で開催するのは決まっていたことだから仕方がないが、開催準備に消極的な姿勢だったという。さらに大会で日本が最下位に終わったあと「日本代表強化の障害になる」などという理由で、大会のあり方の見直しを東アジア・サッカー連盟(小倉純二会長)に申し入れている。

◇国際感覚と政治力の欠如
 犬飼会長の「東アジア・サッカー選手権批判」には、少なくとも三つの問題がある。
 第1は東アジア選手権が国際的なものであることについての配慮がないことである。2002年の日韓共催ワールドカップのあと、中国、韓国などとの連帯を強化する必要があるという考えから東アジアの結びつきが生まれた。スポーツだけの問題ではなく国際的、政治的な背景があった。そういうことを知っていれば「思いつき」を公言する前に、加盟国協会の責任者として各国の間で慎重に協議しなければならなかったはずである。それをしなかったことに、犬飼会長の国際感覚のなさが、あらわれている。
 第2には、東アジア連盟と大会の創設は、日本が中心になってはじまったという歴史的背景について無知ではないかと思われることである。知っていれば、連盟を創設した岡野俊一郎初代会長や、そのあとを引き継いでいた小倉純二会長に、あらかじめ相談すべきところだが、逆に犬飼会長の意向をマスコミで知って収拾に動いたという話である。犬飼会長の政治力のなさが、ここにあらわれている。
 
◇自ら糧道を断つ発言
 以上の2つは、本質的にはきわめて重要な問題だが、犬飼会長失脚の直接の致命傷になったのは、もっと世俗的な第3の問題だったのではないかと、ぼくは推測している。
 仮にである。サッカーのスポンサーになっている企業の人が犬飼発言を聞けば「自分でやっている事業に自らケチをつけるような団体は、今後は支援できない」と思うだろう。
 そこで、いちばん、あわてるのは企業と協会を取り持っている広告会社の担当者だろう。
 広告会社の担当者は犬飼会長のところに飛んでいって「スポンサーの立ち場も考えてください」と懇願するだろう。しかし、犬飼会長が持論を変えなければ、協会に影響力のある実力者のところへいって「犬飼会長を何とかしてください」と陳情するだろう。
 実力者は犬飼会長を呼んで「もう、お前ではサッカー協会はもたない」と引導を渡すだろう。
 サッカー協会の糧道を断つ結果になりかねない発言がマスコミで流れたのは致命傷である。


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