サッカー日誌 / 2013年05月30日


もう一つの玉木正之批判


ビバ!サッカー研究会月例会
(5月17日 東中野テラハウス)

★五十嵐峩岑さんを招いて
 ビバ!サッカー研究会の5月例会に五十嵐雅人さんを招いて、お話を聞いた。
 五十嵐さんは日本サッカー狂会の会員で、その会報「FOOTBALL」にユニークな論評を寄稿している。「峩岑」(がじん)というペンネームを使っている。
 スポーツライターの玉木正之さんに対する五十嵐さんの批判を、このコラムで紹介したら、いろいろな反応があった。
 そこで、五十嵐さんに来ていただいて、直接、説明をうかがう機会を作ることにした。
 取り上げた玉木正之批判は「大化の改新と蹴鞠」についてのものである。
 日本書紀に中大兄皇子が中臣鎌足に出会う場面がある。第二十四巻、皇極天皇三年正月の項である。
 この場面に出てくる球技が「フットボール」(蹴鞠)か「ホッケー」(杖球)かが議論の分かれ目になっている。

★野球とサッカーの普及
 専門の学者の間でも説は分かれているが、蹴鞠説が有力のようである。ところが、専門家ではない玉木正之さんは「ホッケー説」をいろいろな著作で繰り返し主張している。
 その根拠について五十嵐さんが玉木さんに問い合わせた。
 それに対する玉木さんの応答が誠意の感じられないものだった。その経緯を五十嵐さんが資料を示して説明した。
 この会では、もう一つ別の事例がとりあげられた。
 それは、野球とフットボールの日本での普及の問題である。
 この二つのスポーツは、明治初期にほとんど同時に日本に伝わった。ところが、野球が急速に人気スポーツとして広まったのに対しフットボールの普及は非常に遅れた。
 なぜか?
 この問題について玉木さんは「一対一の勝負説」を、これも著作の中で繰り返し説いている。

★「一対一の勝負説」批判
 「日本は一対一の勝負の文化で集団対集団の勝負になじまない。野球は投手と打者の一対一の勝負だが、サッカーはチーム対チームの勝負である。だから日本では野球のほうが好まれた」。これが「一対一の勝負説」である。
 五十嵐さんはこの玉木さんの説に決定的な反論をした。
 明治初期に日本に入ってきた当時の野球は投手と打者の勝負ではなかったことである。この当時のルールでは、投手は打者が打ちやすいボールを投げなければならなかった。
 打ちやすいボールを9球投げることができなかったら打者は一塁に進んだ。つまり「四球」ではなく「九球」だった。
 五十嵐さんは『サッカーと日本人論』(パブリック・ブレイン、2012。1400円+税)という著書を出している。ネット上のアマゾンで購入できる。くわしいことは、その本で読んで欲しい。

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サッカー日誌 / 2013年05月27日


竹腰重丸を育てた町、臼杵


日本サッカー史研究会例会
(4月15日 JFAハウス会議室)

★臼杵ツアーの報告
 日本サッカー史研究会の4月例会は「竹腰重丸を語る」シンポジウム(3月23日)の報告だった。
 竹腰重丸は戦前から戦後にかけて、プレーヤーとして、コーチとして、そして協会の役員として大きな功績を残した日本サッカー史上の偉大な功労者である。シンポジウムの開かれた大分県の臼杵は竹腰重丸が生まれ育った町である。
 シンポジウムでは、日本サッカー協会顧問の浅見俊雄さんが竹腰重丸の生い立ちと業績について報告をした。その内容は前月の研究会で事前に検討済みだったのだが、実際に現地に行って見ると、また新たな事実や見方が出てきた。「百聞は一見に如(し)かず」である。
 臼杵市の教育委員会は小学校卒業のときの成績表を探し出してくれていた。「全甲」(全科目が最高の評価)である。
 「偉い仕事をする人は子どものときから優秀なんだ」と感心した。

★上級武士の地域に育つ
 シンポジウム翌日、市の教育委員会,郷土史研究者などの方々が、臼杵市内を案内してくださった。
 竹腰重丸が生まれ育った家の跡にも案内された。いまはアパートが建っていた。
 シンポジウムの実行委員長を務めてくださった市会議員の方がご一緒だった。その方がびっくり仰天した。竹腰家の跡地の隣が、その市会議員の実家の跡地だった。あまりの「偶然」に、ほかの人たちも驚いた。
 しかし「偶然」には違いないが、極めて稀な確率の偶然ではない。
 そこは旧臼杵藩の上級武士の屋敷のあった地域である。その地域に育った人びとが中等以上の教育を受けて地域の指導者になったのだろう。少数の上級武士の社会から指導者層が生まれていたのである。

★涙を洗った川
 竹腰重丸のお母さんは臼杵藩の家老の娘だった。子どもたちを「武家のしきたり」で厳しく躾(しつ)けたという。
 友だちと喧嘩して泣いて帰ると「男の子が涙を見せるものではない」と叱った。それで重丸は家の近くの小川で顔を洗ってから帰った。その小川もちゃんと残っていた。
 竹腰重丸は臼杵ではサッカーをしていない。サッカーを知ったのは、中学2年で大連(現在の中国遼寧省)に移ってからである。
 現在は、ほとんどの子どもたちが小学生のころからボールを蹴り始めている。そのおかげでボール・テクニックは非常に巧い。しかし、すぐれたプレーヤーになるには技術が巧いだけでなく心が強くなければならない。その心の強さは、生まれ育った地域と家庭が育てるものだろうと思った。
 研究会では、スライドショーで臼杵ツアーの様子を見てもらいながら、そのことが報告された。


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サッカー日誌 / 2013年05月26日


ヨルダンに敗れた原因は?


W杯アジア最終予選
ヨルダン 2対1 日本(3月26日・アンマン)
ビバ!サッカー4月例会(4月19日 東中野テラハウス)

★ボールは丸い
 ビバ!サッカー研究会の4月例会では、3月にアンマンで行なわれたワールドカップ・アジア最終予選のヨルダン対日本の試合を取り上げた。日本が1対2で敗れた試合である。
 日本は、負けたけれども残り2試合で勝ち点1をあげればブラジル大会への出場権を確保できる。だから重大事態ではないのだが「なぜ、負けたんだ」といきりたったサポーターもいたようである。
 半世紀以上にわたってサッカーを見てきている者にとっては敗戦は少しも不思議ではない。
 「ボールは丸い。どちらにでも転ぶ」というサッカーの格言どおりである。
 レベルに差があっても番狂わせが起きることはある。そういう試合をいくつも見てきている。
 まして、この試合は予選を勝ち抜いてきたチームによるリーグ戦である。レベルに大きな差があるわけではない。

★アウェーの不利
 日本のホームで行なわれた試合では6対0で日本が大勝している。その相手になぜ負けたのか?
 そういう質問が参加者から出た。 
 「サッカーでは、そういうこともあるんですよ」と答えたいのが本音である。しかし、そう言っては身も蓋もない。
 「アウェーは不利ということでしょうね」と常識的な意見を返すことになった。
 時差、気候、準備期間、観客の応援など、いろいろな点でアウェーが不利なことは明らかである。
 「守りが大事だ」というアウェーの試合の原則が攻めを消極的にすることもある。
 「勝てば出場決定」という状況だったが、直前に「引き分けでもいい」ということになった。それが選手たちの気持ちに響いたのではないか、という意見もあった。

★「携帯」を奪われる
 ビバ!サッカーの月例会で報告をしてくれたのは女性だった。ヨルダンまで観戦に出かけたのである。
 イスラムの国に、若い女性がサッカーを見に行くことができるような世の中になったのはすばらしい。かつてはイスラムの国で女性がサッカー場に行くようなことはできなかったと思う。
 今回は無事に試合を見て帰ることはできたのだが一つ事故があった。
 試合が終わったあと競技場からホテルへ戻るためにタクシーを予約していた。
 あらかじめ決めてあった場所で迎えのタクシーと連絡をとるために携帯電話を使っていたところ、地元の群集に取り囲まれ携帯電話を奪われてしまった。
 いろいろなことが起きる、それもサッカーの面白さだ。そう言っては「不謹慎」だろうか?



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サッカー日誌 / 2013年05月10日


東京五輪開催計画批判(7)


猪瀬知事失言が示す開催意義のなさ
(4月27日付け ニューヨーク・タイムズ)

★イスラム批判で逆効果
 オリンピック招致をめぐって東京都の猪瀬直樹知事の失言が問題になった。
 ニューヨーク・タイムズのインタビューで、ライバル都市のイスタンブールを批判し「イスラム諸国が共有しているのはアラー(神)だけで、お互いにけんかばかりしている」などと述べたという。
 これは「他都市との比較や批判をしてはならない」というIOCの規範に触れる発言である。
 また9月の開催都市決定の投票で東京が、イスラム圏のIOC委員の支持を得られない可能性が大きくなった。
 猪瀬知事はロンドンとニューヨークを訪問し、それぞれ現地で記者会見をしてオリンピック東京招致のPRをした。ニューヨーク・タイムズのインタビューは、東京都のほうから申し入れて行なったものだった。それが逆効果になったわけである。

★イスタンブール開催の意義
 猪瀬失言の背景には、2020年オリンピック東京開催の意義に説得力がないことがある。
 猪瀬知事自身が「イスラム圏初というのは、そんなに意味があるのかな?」と話し、それが失言のきっかけになったことを認めている。
 IOCの目的は、オリンピックの理念を世界に広めることにある。だから2016年大会は、南米大陸初のブラジルで開くことが認められた。
 トルコのイスタンブールが、イスラム圏の地域で初めて開催しようと名乗りを上げていることにも、同じように意義がある。
 オリンピックは女性に門戸を広げる方針を進めている。女性の地位が低い国の多いイスラム諸国のなかで、トルコは急速に開かれつつある国である。それを促す意味でも、イスタンブールが舞台になることに意義がある。
 
★説得力のない東京のビジョン
 イスタンブールは「欧州とアジアをつなぐ街」での開催をうたっている。これも魅力的なキャッチ・フレーズである。
 それにくらべて東京の開催ビジョンは、まったく説得力がない。
 「世界でもっとも先進的で安全な都市の一つである東京の中心で、ダイナミックなスポーツ祭典とオリンピックの価値を提供する」と招致ファイルは繰り返し述べている。
 キャッチ・フレーズは「Discover Tomorrow」である。
 どちらも、抽象的で中身がない。
 この理念の乏しさ、開催意義のなさが、東京の開催計画の最大の弱点である。
 猪瀬知事はロンドン、ニューヨークと海外出張に出て、外から東京招致計画を振り返って、ようやく、その説得力不足に気付いたのではないか?
 その焦りが、失言を生んだのではないか?

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サッカー日誌 / 2013年05月09日


東京五輪開催計画批判(6)


ベイエリア会場群の将来
都民のスポーツに役立つのか?

★維持運営は都民の負担に
 2020年オリンピック東京開催計画では、東京湾の埋立地に21の会場を用意することになっている。そのうちの20会場は東京都が建設し、東京都の所有になる。1会場だけが江東区の所有の夢の島のスポーツセンターで、ここはオリンピックのときだけ馬術の会場になる。
 都が担当する20会場のうち17会場が新設である。
 ということは、オリンピックのために東京都民の税金で多くの施設が作られ、オリンピックの後、その施設を維持運営するためにも継続的に都民のお金が注ぎ込まれ続けるということである。
 大部分の施設は、それぞれ2千人から2万人までの観客席を設けることになっている。しかし、オリンピックが終わったあと多数の観客を集める競技会を開催し、その入場料収入で体育館などの維持、運営をまかなうことができるわけではない。

★未来への資産にならない
 そういうわけで、東京ベイエリアに新設される施設は必ずしも「スポーツの未来への資産」になるわけではない。多くは、大会後には開発用地や公共公園に戻される。スポーツ競技場として残す施設も、観客席はオリンピックのための仮設部分を多くして大会後は縮小する。
 スポーツ施設として大会後に残る予定の施設もある。
 水泳会場として建設される「オリンピック・アクアティックス・センター」、バレーボール会場の「有明アリーナ」、ホッケー会場の「大井スポーツセンター」などである。
 水泳連盟、バレーボール協会、ホッケー協会などは、オリンピック後に、ベイエリアの新施設が全国大会あるいは国際大会の拠点として使えることを期待している。
 しかし、その維持運営費を入場料収入などで賄う見通しがあるわけではない。

★駒沢公園の遺産は活用しない
 国際オリンピック委員会(IOC)は、オリンピックが未来への遺産(Heritage)になることを求めている。
 しかし、ベイエリアのオリンピック施設は、日本のスポーツ、あるいは東京都民のスポーツの未来に、それほど役立ちそうにはない。
 1964年に開かれた東京オリンピックでは、神宮外苑の国立競技場と世田谷区駒沢公園の施設が主な会場だった。
 半世紀以上たって、駒沢公園の競技場、体育館などは老朽化し建て替えの時期に来ている。
 そういう「遺産」を生き返らせて、東京で2度目のオリンピックを開こうというのであれば、まだしもである。
 駒沢公園の過去の「遺産」を活用しないで、東京ベイエリアにオリンピックのときだけのスポーツ施設を作る。これは都民の税金のムダ遣いではないか?

(注)個々の競技施設の紹介は、読売新聞都内版2月9日付け~21日付けに12回連載された。オリンピック招致礼賛の立場からの視点だけで、将来の活用についての批判はまったくない記事だった。

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サッカー日誌 / 2013年05月03日


東京五輪開催計画批判(5)


スポーツの未来像が見えない
新国立競技場の活用に疑問

★大会後の維持の経費をどうするか?
 2020年オリンピック東京開催計画の大きな問題点は日本のスポーツの未来像が見えないことである。
 東京オリンピック開催によって、日本のスポーツがどう変わるのか? どのように変えていくのか?
 そういうイメージ、あるいは理念は描かれていない。
 東京開催が決まって多くの新しい競技場がすべて完成したとする。
 その壮大なスポーツ施設を大会後にどう活用するのか? どのように維持管理していくのか?
 大会後の維持の経費をどうするか?
 これは大きな問題である。
 神宮外苑には巨大で壮麗な新国立競技場が出現する。
 開閉できる屋根に覆われたドームの中に、国際大会を開催できる9レーンの陸上競技のトラックと天然芝のフィールドがある。

★管理に大きな経費
 この新国立競技場を、オリンピックが終わったあとに、だれが、どう維持するのだろうか?
 巨大な屋根を開閉し、ドームのなかをエアコンで管理するには人件費や電気代など相当な経費がかかる。
 室内で天然芝のフィールドを維持するのは難しい。屋根を開いても日照時間が限られ、また風通しが悪くなるからである。この問題は、大分の県営陸上競技場で、すでに経験済みである。
 陸上競技の大会を開催するには、スタジアムのほかに練習用のサブトラック、投擲(とうてき)場を設ける必要がある。
 オリンピックのときには隣接した広場に仮設するにしても大会後にも常設して維持するのであれば、その敷地が必要である。現在は草野球のためのフィールドになっている絵画館前広場をつぶすのだろうか?

★陸上競技では維持できない
 このような問題を乗り越えながら、超近代的なスタジアムを維持運営していくには莫大な経費がかかる。
 それを使用料でまかなうことはできそうにない。ポップ・コンサートなどの芸能イベントの会場に貸し出すことで、ある程度の収入を見込めるかもしれない。
 しかし陸上競技大会で、そのレベルの使用料を払うことは、まず不可能である。
 つまり、オリンピック後に新国立競技場を陸上競技では使えそうにないということである。これにも、すでに例がある。
 東京(味の素)スタジアムや横浜国際(日産)競技場が、国際規格の9レーンのトラックを備えながら、本格的な国際陸上競技会を開催できないでいることである。
 トトの収益を新国立競技場の維持運営にあてるつもりだろうか? その場合はスポーツ振興のための他の助成が犠牲になるわけである。

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