サッカー日誌 / 2008年01月30日


グランプリは中村俊輔


2007年度ビバ!サッカー大賞(上)

★国内に大賞候補なし
 ビバ!サッカーが選考する日本サッカーの表彰を、2007年度は1カ月遅れで発表する。
 発表が遅れた理由の一つは、グランプリに値する有力候補がなくて選考が難航したことである。
 前年、2年連続の技能賞だったオシム監督は、アジアカップで4位に終わり、その後に脳梗塞で倒れた。大賞を出す機会がなくなったのは残念だ。浦和レッズはアジア・チャンピオンズ・リーグで優勝したが国内では無冠に終わった。ほかにも、とくにきわだった業績は、国内には見当たらない。
 選考が遅れたもう一つの理由は、ただ一人の権威ある選考委員が、年末年始に服用した液体のために、首よりも上のほうの健康状態がよくなかったことである。
 というわけで、例年のように「ジャジャーン」と鳴り物入りで景気よくアナウンスするのは遠慮することにした。
 
★冠を重ねる表彰は避けたいが……
 さて、ビバ!サッカーが独断と偏見を持って公平無私に選考する2007年度日本サッカー大賞は、グラスゴー・セルチックで活躍し、欧州チャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で、みごとなフリーキックを決めて、その名をとどろかせた、中村俊輔に決定いたしまーす!
 国内のサッカーでは、これぞと思う候補がいない。そこで海外に目を向けたのだが、中村俊輔には、ちょっと選びづらいところがあった。
 というのは、俊輔が大活躍したのは、欧州のシーズンでは2006年後半~2007年前半で日本のサッカー・カレンダーとはずれがある。だからニュースとしては新鮮さに乏しいのが難である。
 俊輔はスコットランドでは、選手会と記者協会の両方から年間最優秀選手に選ばれた。日本でも賞をもらっている。冠の上に冠をかぶせるような表彰は、できれば避けたい。
 
★歴史に記録するために
 この表彰は、カップも、賞状も、賞金もない。ただ、その名を歴史に留めることだけが目的である。
 1970年代から続いている過去の表彰のリストを眺めれば、その趣旨を理解してもらえるはずである。リストに載っているもので、その後、その名をはずかしめたものはなく、当時は認められていない功績をいち早く顕彰して世に紹介したものは、いくつもある。
 幸いにして現在では日本でもサッカーが盛んになり、マスコミからも注目されるようになったから、隠れた功績が世に出ないことは、あまりない。
 中村俊輔などは、十分に認められているわけではあるが、それでも、後世の人がビバ!サッカーの表彰リストを見たときに、その名前がなければ正しい歴史が伝わらないおそれがある。というわけで、2007年を代表する名前として中村俊輔を書き留めることにした。

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サッカー日誌 / 2008年01月28日


岡田日本丸の船出


日本代表 0対0 チリ代表
(1月26日・国立競技場)

★オシム色塗り替えは中途半端
 岡田武史船長のもとでの日本代表丸の船出は、ちょっと不安だった。目的の港は、南アフリカのワールドカップに決まっているが、どういう航路を取るつもりなのか、よく見えない。
 乗り組み員は、ほとんど全部、オシム前船長のときと同じ顔ぶれである。甲板上の配置は、多少変わっているが、船長がどういう意図で、ちょっとだけ配置を変えたのか、意図は伝わってこない。
 ディフェンダーの内田篤人だけが新しい船員だった。これも、どういう仕事を期待して起用したのか、この日の働きぶりからは見えなかった。
 オシム前船長が訓練してきた乗組員を一挙に変えるのは危険である。しかし新船長の色も加えたい。見たところ、その狙いは中途半端だった。
 
★若手のチリは狙いがはっきり
 岡田日本丸の初航海につきあったチリ代表丸の船長は、マルセロ・ビエルサだ。2002年のワールドカップのとき、アルゼンチンを率いていたベテランである。乗り組み員は、若手ばかり。11人の平均年齢は22.7歳だった。
 ビエルサ丸の狙いは、はっきりしていた。
 若い乗組員を自由奔放に働かせ、その中から今後の重要な航海で使える船員を見つけよういう考えである。練習船の遠洋航海で技量を試そうというところだろう。
 結果は0対0の引き分け。船出といっても、今回は練習航海だから、結果はそれほど重要ではない。
 しかし、大寒のさなかのナイターで、震えながら観戦した観衆には気の毒な内容だった。茶の間で、ぬくぬくとテレビを見た人たちも、もの足らなかったに違いない。
 
★一つ一つ勝っていけ 
 岡田武史監督は、日本代表チームを引き受けると、ラグビー日本代表の監督だった大西鉄之祐さんの「接近・展開・連続」という言葉を引用して、めざすサッカーを説明した。また、ワールドカップでのベスト4を、実現可能な目標として掲げた。つまり、ワールドカップのベスト4をめざして「こういうサッカーをしたい」と語ったわけである。
 しかし、いま、岡田監督に課せられている任務は、アジア予選を突破することである。とりあえずは、3次予選を勝ち抜くことである。当面の仕事は、2月6日のタイとのホームゲームに勝つことである。
 監督として、いま語るべきこと、いま考えるべきことは、次の試合をいかに戦うかである。夢を語る前に、一つ、一つの試合に勝つことをめざしてほしい。

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サッカー日誌 / 2008年01月26日


流通経済大付属柏高は史上最強?


高校サッカーは変わったか?(下)
~2007年度高校選手権から~
準々決勝 流経大柏高 0対0(PK)東福岡高(1月5日・市原臨海)
準決勝 流経大柏高 6対0 津工高(1月6日・国立競技場)
決勝 流経大柏高 4対0 藤枝東高(1月14日・国立競技場)

★決勝戦の人気に驚く
 2007年度高校サッカーの決勝戦の日、キックオフの3時間前に国立競技場に行ったら、切符売り場の前は長蛇の列だった。並んでバックスタンドの1500円の一般席を買ったが、ぼくの20人くらい後ろで売り切れになった。危ないところだった。
 決勝戦の人気が盛り上がったのには驚く。決勝を成人の日に固定したのが成功したのかもしれない。準決勝から1週間のPR期間があったのが効いたのだろうか?
 準々決勝のときは、千葉県の市原駅前で食べ物屋さんに入ったら、レジのところに切符が置いてあった。1500円の席を1000円でというから、買って競技場に向かった。よく見ると「ご招待」と印刷してある。試合会場の地元に配布したのを、ちゃっかり転売したらしい。高校サッカーに民放テレビが参入したころ、なんとかスタンドを埋めようと招待券をまいたのを思い出した。当時は転売どころか、ただでも、なかなか見に来てくれなかった。

★流経大柏のレベルに驚く
 決勝戦では、流経大柏高のレベルが高いのに驚いた。
 チームとしての戦い方のスタイルは、それまでに見てきた三鷹高や藤枝東高と似ているが、一つ一つのプレーの質が高い。公立校と違って、全国から素材を集められるからだろうが、テクニックのいい選手が揃っている。ボール扱いのすばやさ、巧みさが、一段、上である。
 中盤でボールが渡ると、相手が2人、3人と取り囲んでプレスをかける。しかし、囲まれても、あわてることなく、味方を見ていてパスを出す。そういう判断も、すばやく的確である。それに最終ラインの守りがいい。
「流経大柏は史上最強チームだろう」という声があった。準々決勝は東福岡高と0対0でPK戦だったから、絶対的に強いとは言えないが、決勝戦のできはすばらしかった。

★大前元紀選手の活躍に驚く
 流経大柏の大前元紀選手の活躍にも驚いた。決勝戦では2ゴール1アシスト、全4得点にからんだ。高校総体と全日本ユースと合わせて3大会の得点王である。
 相手の守りに取り囲まれても、しっかりボールをコントロールでき、すばやく味方を見つけてパスを出せる。シュートは鋭い。そのうえ、ゴール前でいいポジションに入り込むのがうまい。「ゴールのにおいをかぐ」ことのできるタイプではないかと思った。
 1㍍66と小柄なのを危ぶむ声もある。しかし、身長を武器にして高校で活躍した選手が、Jリーグや国際試合で思うように活躍できない例も多い。体格のハンデを技術と判断力ではね返してきた大前が、厳しい試合にもまれて、さらに伸びて欲しいと思う。
 高校サッカーでは、熱心で個性のある教員が強いチームを作っている。その点は変わっていないが、素材である選手は変わってきていると思う。

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サッカー日誌 / 2008年01月18日


藤枝東の攻守のスタイル


高校サッカーは変わったか?(中)
~2007年度高校選手権から~
準々決勝 藤枝東高 2対0 三鷹高(1月5日・市原臨海)
準決勝  藤枝東高 1対0 高川学園(1月6日・国立競技場)

★藤枝東ジュニアユース育ち
 準々決勝は、千葉県市原臨海と埼玉県さいたま駒場の二つのスタジアムで行われた。ぼくは市原のほうに見に行った。住んでいる地元の三鷹高がベスト8に進出し、市原で試合をすることになったからである。
 相手は藤枝東だった。さすがサッカーどころ静岡の名門チームである。初出場の三鷹高とは、ちょっと格が違った。藤枝が終始優勢で、前半に評判のエース、河井陽介の巧みなシュートで先制、後半にもコーナーキックを生かして1点を加えた。
 違いを生んだのは個人の力の差である。どちらの選手も、ボール扱いはみなしっかりしているが、藤枝のほうがテクニックのレベルが高く、粒が揃っている。
 藤枝東高の選手の多くは「藤枝東ジュニア・ユース」の出身である。地元での選手育成が役立っているようだ。

★プレスの守りからエースを生かす
 しかし、両チームのプレーのスタイルは、よく似ていた。
 守りでは、中盤でボールをもっている相手を2人、3人で囲んでプレスをかける。グループによる集中守備である。
 ボールを奪うと短いパスをすばやくつないで、速攻を組み立てる。そしてペナルティエリア内で、味方のエースにボールがわたればチャンスである。
 藤枝東も、三鷹も、本質的には、そういう、グループでのプレス守備からパスの速攻、そしてエースを生かすというスタイルだった。
 メンバー全員の技術水準があがっている。だからグループで守り、パスの組み立てで攻めることができる。しかし、最後の決め手は、一段上の技量を持つエースである。ペナルティエリア内でエースにボールが渡ったときチャンスが生まれる。
 
★みごとなパターンの攻め
 藤枝東は準決勝では高川学園に勝った。優勢に試合を進めていたが、得点は1点だけ。前半11分にエースの河井が決めた。すばやくパスをつないで攻め込み、ペナルティエリア内で松田純也が受けた背後に、河井が回りこむように走りこんでヒールパスを受け、シュートした。みごとな攻めのパターンだった。
 これは「いつも練習していた形」(松田の話)だったらしい。練習でやっていた形を試合で実行できたのは、もちろん、すばらしい。しかし、こういうパターンを選手たちのアイデアで当意即妙に、いろいろ披露できたら、もっとすばらしい。
 高校チームに、ACミランなみのプレーを望むのは無理な注文である。しかし、日本のサッカーがさらに高いレベルをめざすためには、選手たちの自主的なアイデアを伸ばすことが必要である。今の学校スポーツには、それは望めないことかもしれない。

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サッカー日誌 / 2008年01月15日


三鷹高が開拓した首都圏の新しいファン


高校サッカーは変わったか?(上)
~2007年度高校選手権から~
1回戦、三鷹高 3対1 高知中央高(12月30日・国立競技場)
2回戦、三鷹高 1対0 矢板中央高(1月2日・西が丘)
3回戦、三鷹高 2対0 宮城工(1月3日・駒沢)

★応援グッズの販売
 高校サッカーの全国大会に都立三鷹高が西東京代表で出場した。ぼくは地元の三鷹市に住んでいる。大会前、新聞の地域版に「応援用のタオルマフラーとウインドブレーカーを学校の昇降口で販売する」と出ていたので買いに行った。「近ごろは高校サッカーでも、また公立校のチームでも、こういうPRをするのか、世の中、開けたな」と感心した。
 学校に行ったら、校門の前に「学校での販売は終了しました。三鷹駅前のFC東京ショップで販売しています」と張り紙がしてある。「プロのJリーグ・クラブも協力するのか」と、これまた感心した。
 行ってみると、FC東京ショップの前の駐車用スペースにテントをはらせてもらって、サッカー部保護者会のお父さん、お母さんが売っていた。千円のタオルは売り切れ。三千円のウインドブレーカーを買って帰った。
 
★応援席は同窓会 
 三鷹高の初戦は12月30日、国立競技場の開幕試合である。白のウインドブレーカーを着てバックスタンドの応援席にもぐりこんだ。
 応援に来ている人たちは予想以上に多かった。座る場所を見つけるのに苦労するほどだった。卒業生が多いようで、かっての同級生を見つけて「やあ、久しぶり」などと、あちこちで、あいさつしている。
 これまで三鷹高では、サッカー部OB以外で、試合の応援に来てくれる卒業生は、ほとんどいなかっただろう。都立高の全国大会出場が新聞やテレビで取り上げられたから、ほかの卒業生も関心を持ってくれたのに違いない。応援グッズ販売を材料に同窓会に働きかけたのかもしれない。
 初出場が、同窓会の中にサッカーファンを開拓したわけだ。
 
★ベッドタウンに地元意識
 1回戦で高知中央に逆転勝ち。都立高校が全国大会で勝ったのは56大会ぶりだそうだ。さらに2回戦、3回戦も勝ち進み、ベスト8に進出して、地元の関心は一気に盛り上がった。
 ぼくの自宅の近くに深大寺がある。周辺に蕎麦(そば)屋さんが多いので有名なところである。3回戦に勝ったあと初詣に行ったら、近くの蕎麦屋で地元のおじさんが「三鷹高校がまた勝ったぞ。次は応援に行かなきゃな」と興奮していた。蕎麦屋の主人は「早く負けて欲しいよ。商売にならん」と冗談を言っていた。自宅でテレビを見ている人が多く、お客の出足がにぶいということらしい。
 三鷹市は都心に通勤する人たちのベッドタウンとして人口が増えた町である。しかし、三鷹高サッカーの活躍のおかげで、新住民にも郷土意識が育っているようである。 

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サッカー日誌 / 2008年01月02日


地域の特色はなくなっていない


クラブ・ワールドカップ2007から (7)
浦和 3対1 セパハン
(12月10日・豊田スタジアム)

◆グローバル化はない
 浦和のオジェック監督が「サッカーのグローバル化はない」と断言した。クラブ・ワールドカップ最終日、3位決定戦後の記者会見のときである。
 「世界中で同じようなサッカーが行われるようになり、地域の特色がなくなっていると自分は思う。あなたの考えはどうか?」という誘導質問を跳ね返した答えだった。
 相手の考えをたずねる立ち場の記者が、自分の意見を記者会見で述べるのはどうかと思うが、質問者の考えも見当違いではない。テレビの衛星中継や航空機の発達もあって、世界中がサッカーの情報を、たちまちのうちに共有できるようになっている。選手や監督の交流も多い。そのおかげで、新しい技術や戦術はすぐに他の地域に伝えられえる。
 1924年のパリ・オリンピックでウルグアイが優勝したときに、欧州のサッカー界が南米のスタイルにびっくりしたようなことは、現代では起こりそうにない。

◆パチューカのスタイル
 そうであっても、世界の各地域のサッカーのスタイルは、クラブ・ワールドカップにも、ちゃんと現れている。その点に注目すればオジェック監督の考えは当たっている。
 たとえば、メキシコのパチューカ。メキシコは南米とも北米とも交流の多い国であり、ワールドカップを2度も開催した国である。それでも、メキシコ伝統のサッカー・スタイルは単独クラブのパチューカにも明らかだ。
 個人のテクニックを生かし、個人のアイデアでグループの攻めを組み立てる。しかし、フィールドを大きく使うチームとしての組み立ては得意ではない。守りは、ときとして激しく、反則も多い。そういうスタイルは、パチューカの特徴でもあった。
 サポーターの応援もメキシコ独特の伝統どおり。「アラビオ、アラバオ、ビンボンバン、メヒコ、メヒコ、ラララ」の合唱が国立競技場でもこだました。

◆日本のサッカーの特色は?
 今回のクラブ・ワールドカップでは同じ地域同士の試合があった。アジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)1位の浦和レッズと2位のイラン・セパハンの対戦である。日本が主張した開催国枠が認めれらたが、浦和がアジア代表になったのでセパハンが出場権を得た。ACL決勝の再戦になって、大会の趣旨から見れば意義の乏しいカードだった。
 セパハンは中東アジア(アラブ諸国)のクラブらしい特色があった。同じアジア同士でも、地域内の地域でそれぞれに特色がある。
 ただし、日本のクラブチームに日本独特の色はきわだってはいない。浦和はドイツ人オジェック監督のもと、どちらかといえば欧州スタイルのサッカーだが、攻めでワシントン、守りでネネとブラジル選手が活躍している。日本のサッカー自体に、まだ欧州や南米のサッカーを溶け込ませるだけの伝統がないためかもしれない。


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