サッカー日誌 / 2014年09月26日


女子W杯を誘致するために


地方に専用スタジアムを
日本女子代表 5対0 ガーナ女子代表
(9月13日 山形県天童スタジアム)

★地方中都市での国際試合
 女子サッカーの国際親善試合を見るために、東京から山形県の天童市まで出かけた。
 それほど重要ではない試合にわざわざ出掛けたのは、地方の競技場でサッカーの国際試合が、どのように運営されるのかを見たかったからである。
 女子サッカーのワールドカップを近い将来に日本で開催することを日本サッカー協会が検討している。そのときには東京や大阪のような大都市ではなく、地方の中小都市を会場にしてもらいたいと、ぼくは思っている。
 オリンピックのような多くのスポーツを1都市に集めて開くスポーツ大会は、混雑し過ぎて弊害が大きい。
 サッカーの男子ワールドカップは地方分散開催だが、世界中から多くのサポーターが集まるので、宿泊施設などを考えると、ある程度大きな都市でなければ会場にできない。
 その点、女子のワールドカップは、それほど大掛かりではないから、地方分散開催に打って付けである。

★山形・天童くらいの地域を会場に
 2011年の女子ワールドカップをドイツで取材したとき、会場になった各地の中小都市の運営ぶりを見て「将来の国際スポーツ大会のあり方はこれだ」と思った。
 それぞれ市の自治体とスポーツ団体が運営を担当し、簡素だが効率よく、楽しい雰囲気を作り出していた。
 それを見て、女子サッカーのワールドカップを日本に誘致して「地方分散開催」の見本にしてはどうかと考えた。日本のスポーツの将来を考えるために役立つに違いない。
 天童市は人口約6万2千人。その町にモンテデオ山形が本拠にしているスタジアムがある。隣の山形市の人口は約25万4千人。「合わせて30万人あまりの地域で女子ワールドカップの試合を運営出来ないかな」と見に行ったわけである。
 天童の町には、いたるところに「なでしこジャパン、ようこそ天童へ」というのぼりが立っていた。町で初めての国際試合を盛り上げようという意気込みが感じられた。

★陸上競技場との兼用は無理
 ところが、スタジアムに行ってみて「これではダメだ」と思った。
 天童市のNDソフトスタジアム山形は陸上競技場である。サッカーにとっては運営が難しい。
 たとえばメディアのための設備である。
 スタンド下に報道陣の仕事場であるメディアセンターや記者会見場が設けられていたが、狭くて不便である。スタンド下の大部分が陸上競技の用具置き場などになっていて、十分なスペースがとれないようだった。
 陸上競技会には多くのチームが参加するので更衣室などもたくさん設備しなければならないが、サッカーでは2チーム分あればいい。そのほかにも、いろいろな問題があって、陸上競技場とサッカー場の兼用は無理である。
 女子ワールドカップ開催のためには、球技専用のスタジアムが必要だと思った。


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サッカー日誌 / 2014年09月23日


なでしこジャパンへの不安


アジア競技大会壮行試合
日本女子代表 5対0 ガーナ女子代表
(9月13日 山形県天童スタジアム)

★相手が弱すぎる
 インチョン(仁川)のアジア競技大会が始まる前に行なわれた「なでしこジャパン」の親善試合を山形県の天童まで見に行った。相手はアフリカから招いたガーナである。
 前半で5対0。
 「まるで練習試合だ」というのが、前半を終わった時点でのぼくの感想である。
 「なでしこ」は、キックオフの15秒後に先制ゴール、11分に2点目をあげ、次つぎに得点を重ねた。
 日本がボールをほとんど支配し、ガーナは立ち上がりを叩かれて、守りが「がたがた」になっていた。
 レベルに差があり過ぎて、本番に向けての準備試合にもならない。
 翌日には日本を発ち、その翌日にはアジア競技大会の第1戦がある。「なでしこ」にとっては、そのためのウォーミングアップに過ぎなかっただろう。

★W杯優勝メンバーが中核
 相手が厳しくマークして来ないので、好きなようにプレーできる。だから「女子日本代表は、こんなことが出来る」という見本を見せたようなものである。
 先制点も2点目も宮間あやが、お膳立てをした。
 先制点は、中盤でボールを受けると、すぐ相手守備ラインの裏側をつくパスを出し、2点目は阪口夢穂に速いパスを出して中央突破をした。常に状況を見ていて的確な攻めを選択する。そのすばやい判断力が見事だった。
 18分の3点目は川澄奈穂美の左からの突破が起点だった。
 1点目と3点目を決めたのは高瀬愛美だった。
 攻めの中核を担ったのは、2011年の女子ワールドカップで優勝したときのメンバーだった。
 守備ラインは新しい顔ぶれだったが、相手がほとんど攻めてこなかったので、守りを試されることはなかった。
 
★新戦力が育っていない
 ところが、である。
 後半になると、がらりと様子が変わった。
 「なでしこ」は6人の交代をし、宮間も後半の最初から引っ込んだ。
 日本優勢は変わらなかったが点が取れない。後半は0対0である。
 「宮間がいないと点が取れないんだ」というのが、後半についての、ぼくの感想である。
 宮間をはじめとするワールドカップ優勝のメンバーと、その後に登用された若手との落差が思いのほかに大きい。
 若手にもボール扱いの巧みな者もいる。速さに特徴のある者もいる。シュートの得意な者もいる。
 しかし、相手の抵抗が強くなり瞬間的な判断のすばやさが求められる場面になると局面打開のプレーができない。
 新戦力に創造性のある選手が育っていないのが「なでしこジャパン」の未来についての不安である。


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サッカー日誌 / 2014年09月13日


アギーレ語録のはじまり


試合後の記者会見から
(9月9日 横浜・日産スタジアム)

★「高いボールは禁止か?」
 日本代表のアギーレ新監督は、顔つきがいかめしく、発言もまじめ一方で、堅苦しい印象だった。
 ところが、9月のキリン・チャレンジカップの第2戦、ベネズエラとの試合のあとの記者会見では、積極的におしゃべりし、次つぎに冗談が飛び出した。「アギーレ語録のはじまりだな」と思った。
 この試合の日本代表は、浮き球をゴール前へ上げる攻めが多かった。そこで「なぜ高いボールで攻めるのか?」という質問が出た。
 「高いボールは禁止されているのですか?」というのが、アギーレ監督の答えだった。
もちろん冗談である。ゴール前への「放り込み」を禁止する取り決めはない。
 短いパスをつなぐ攻めだけでなく、ハイクロスを使ってもいい、という考えだろう。

★会見の応対も百戦錬磨
 見当違いな質問にもユーモアで答えた。
 「もし、あなたがジャーナリストだったら、きょうのアギーレ監督に何点をつけますか?」という質問が出た。
 就任早々の親善試合である。監督の手腕を評価する試合ではない。質問の趣旨そのものが見当違いである。質問の仕方も、まわりくどい。
 アギーレ監督は苦笑いして答えた。
 「お互いに自分の仕事をしましょう」
 チームを率いるのは監督の仕事である。その仕事ぶりを評価するのは、ジャーナリストの仕事である。
 その立場を引っ繰り返した質問で、勝利を挙げられなかった監督を批判しようとしたのだろうが、その挑発には乗らなかった。
 記者会見の応対も「百戦錬磨」である。
  
★親善試合でのミスは歓迎
 2試合で4失点と守りのミスが多かった。
 「親善試合でのミスは歓迎だ」とアギーレ監督は話した。
 「来年1月のアジアカップでは、ミスをしても幸運にめぐまれて失点しないように希望している」
 誰が、どういうミスをするか?
 それを見極めるのが、勝負が問題ではない親善試合の目的である。
 冗談めかしたなかに、厳しい発言が含まれていた。
 「今回出場した選手たちをどう評価したかは、次の試合での起用で分るでしょう」
 「ミスが多かった選手は、今後は起用しない」という厳しい方針の意思表示である。
 アギーレ監督が、来年1月のアジアカップに目標を定めていることも明らかになった。
 監督への評価はアジアカップ後のことになる。

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サッカー日誌 / 2014年09月11日


アギーレ・ジャパンの第2戦


新しい血の導入が成果

キリン・チャレンジカップ
日本 2対2 ベネズエラ
(9月9日 横浜日産スタジアム)

★柿谷と大迫を同時に起用
 アギーレ新監督の第2戦はベネズエラ相手に2対2の引き分けだった。親善試合だから結果は重要でない。アギーレ監督にとっては起用した選手の能力を見極めることが目的だっただろう。
 先発メンバーの前線には柿谷曜一朗と大迫勇也を同時に起用した。前線3人の中央は大迫、左が柿谷、右が第1戦に続いて本田圭佑である。
 柿谷と大迫は、1年前にザッケローニ監督が起用し始めたときからワントップのポジション争いで注目されていた。
 その2人を同時に使う。これは新しいアイデアである。
 「アギーレは、選手個人を見ているだけでなく、その組み合わせも試しているな」と思った。
 2人のプレーは悪くはなかった。
 大迫は、前線でよく持ちこたえ、柿谷は前線への飛び出しで、前半唯一の絶好機を作った。

★武藤と柴崎が得点
 しかし、大迫も柿谷もゴールを生むことが出来ないまま前半だけで交代した。
 アギーレ・ジャパンの初ゴールをあげたのは、後半から左サイドに起用された武藤嘉紀だった。また1対1の同点にされたあと、日本の2点目をあげたのは、先発で中盤に起用されていた柴崎岳だった。
 武藤も柴崎も22歳。アギール監督が初めて起用した若手である。「良かったのは新しい血が入ったことだ」とアギーレ監督は、自分の選択が結果を出したことを喜んでいた。
 武藤は後半6分、中盤で相手のクリアを拾うと、そのままゴールに向かって突進した。
 左に岡崎慎司が、右に本田が進出していたが、武藤はパスする気配も見せず、自分でシュートを決めた。
 得意のドリブル、タックルを持ちこたえた腰の強さ。いずれにも感心したが、両翼の2人の先輩をおとりに使って自分でシュートした図太さが頼もしい。

★2試合4失点は多すぎる
 柴崎は後半22分、1対1の同点の場面で後方から進出、左サイドに食い込んだ岡崎のクロスを受け、みごとなボレーシュートを決めた。すばやい反応と運動能力を示したプレーだった。
 柴崎は中盤の攻撃的ポジションの左サイドで起用され、前半から、いいパスを出していた。
 前半の半ば過ぎから、森重真人や細貝萌が中盤でミスを繰り返してピンチを招いていたなかで、柴崎の落ち着いたパスは光っていた。
 武藤は慶大とFC東京、柴崎は鹿島アントラーズの所属である。
 国内にすぐれた素材がいることを明らかにしたのは、アギーレ・ジャパンの最初の成果だと思う。
 日本の失点は、またもミスがらみだった。2試合で4失点は多すぎる。今後の最大の課題である。

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サッカー日誌 / 2014年09月09日


アギーレ・ジャパンの第1戦


世界との「個の力」の差を痛感

キリン・チャレンジカップ
日本 0対2 ウルグアイ
(9月5日 札幌ドーム)

★ミスが問題ではない
 ハビエル・アギーレ新監督の指揮する日本代表が第1戦でウルグアイに0対2で敗れた。
 親善試合だから勝敗は重要ではない。タイトルのかかった大会を控えているわけではないから、チーム作りのための試合でもない。
 アギーレ監督にとっては、集めた選手の力量を自分の目で確かめてみる機会に過ぎなかっただろう。
 日本の失点は2点ともミスがらみだった。
 前半34分の1点目は、新たにストッパーに起用された坂井達弥がバックパスを大きくトラップしたのを、相手に掻っ攫われて攻め込まれたものだった。
 後半25分の2点目は、酒井宏樹が高いクロスをクリアしようとしてヘディングで内側へ跳ね返し、ゴール前の相手に拾われたのが「もと」だった。
 しかし、この試合では、ミスは大きな問題ではない。
 アギーレ監督にとしては、今後もミスを繰り返すようなら代表チームに呼ばないだけの話である。
 
★プレーに対する厳しさ
 問題は「プレーに対する厳しさ」である。
 坂井がバックパスを受けるとき、ウルグアイのトップのカバニは、相手がミスをする可能性を想定して詰め寄ろうとしていた。他の2人の前線プレーヤーもダッシュする態勢をとっていた。カバニがボールを奪うと、すばやくパスをつないで攻め込み、折り返しを受けたカバニが決めた。
 ミスを狙われている厳しい気配を覚らずに、緩慢にボールを処理しようとして生まれた日本側のミスである。
坂井だけの問題ではない。「自分たちがボールをキープしているから」と気を許している場面が、日本側には、ほかにも目に付いた。
 相手のミスの可能性にも感覚を研ぎ澄ませているウルグアイの選手の厳しさとの差は大きい。

★イメージを共有した攻め
 後半の2失点目の場合は、外側にクリアすべきところを内側に入れてしまった酒井のヘディングが「ミス」だった。
 その前に失点の遠因となったウルグアイの攻めがあった。
左サイドからフィールドを横切る形でバックパスぎみに次つぎとつないで日本の守備陣を引きずり、右サイドに後方から進出した選手がフリーでクロスをあげた。これが酒井のミスを誘い出した。
 左サイドにボールが出たとき、まるで、あらかじめ決められていたかのように、後方からが次つぎに選手が出てきて左サイドへの横断パスを組み立てた。それが見事だった。
 戦況に応じて、すべての選手がイメージを共有して攻めに加わる。一人一人の選手の判断力の高さが生み出したチームプレーである。
 ワールドカップのあと「世界のトップレベルと日本の違いは個の力だ」という意見が出ていたが「個の力」はドリブルの速さやキックの力強さだけを指すのではない。
 プレーへの感覚を研ぎ澄まし、すばやく状況を判断する。そういう能力を含めた「個人の総合力」である。
 ウルグアイとの試合では、そういう意味での「個の力」の差を見せつけられた。

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サッカー日誌 / 2014年09月08日


山口芳忠、日本の守りを変えた男


第74回日本サッカー史研究会
(9月1日 JFAハウス会議室)

★東京五輪直前に代表に
 日本サッカー史研究会の例会に、山口芳忠さんに来ていただいた。1964年東京、1968年メキシコのオリンピックで活躍した名ディフェンダーである。
 山口さんは、もともと中盤のプレーヤーだった。それが東京オリンピック直前に左サイドバックに起用され、代表チームのレギュラーに定着した。
 山口さんの話では、東京オリンピックの年の夏に行なわれた40日間のヨーロッパ遠征の途中で、左サイドバックの宮本征勝選手が負傷して帰国したのが、きっかけだった。
 代わりのサイドバックの選手が、うまくいかなかったが、ほかにディフェンダーがいなかったので、窮余の策で起用されたのだという。
 それにしても、身長1m67cmの小柄な中盤の控えメンバーが守備ラインに起用されたのは意外だった。サイドバック起用は、遠征中の応急措置だと思われていた。

★東京、メキシコ五輪で活躍
 同じ時期に、もう1チーム、日本代表Bチームを編成して東南アジア遠征が行なわれており、両チームが帰国してから東京オリンピックの代表選手を選ぶことになっていた。
 山口芳忠選手は当時、19歳。中大2年生で欧州遠征のチームのなかで最年少だった。オリンピック・チームに選ばれるとは、本人は思っていなかった。
 ところが、意外にもオリンピック代表に選ばれた。
 そして初戦、対アルゼンチン戦の前日に、長沼監督、岡野コーチの部屋に呼ばれて先発を告げられ、クラマー・コーチからサイドバックとしてのプレーについて、こと細かな指示を受けた。
 東京オリンピックのときは夢中でプレーしていて、ほとんど何も覚えていないという。
 それから4年後のメキシコの銅メダルまで、小柄なサイドバックとしての山口芳忠の活躍が続くことになる。

◆時代の流れと共に
 山口選手が活躍したのは、日本のサッカーが大きく変わりつつある時期だった。
 1962年度の高校選手権で藤枝東高が優勝したときのシステムは「WMフォーメーション」で、山口選手のポジションはインサイド・フォワード(インナー)だった。いまのシステムでいえば、フォワードの第2線にあたる。
 中大でも最初はWMのサイドハーフだった。現在のシステムでは、中盤のサイドのポジションである。
 東京オリンピックでは、4人のディフェンダーによる現代のシステムの左サイドだった。
 テクニックがあり、相手の動きを読む頭脳があり、相手の速さについて厳しいマークを続ける粘り強さがある。そういうディフェンダーが必要になっていたときだった。
 山口芳忠の起用は、その時代の流れに沿ったものだったのだと思う。
 そういう意味で、」山口芳忠は日本のサッカーの守りを変えた男だった。


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サッカー日誌 / 2014年09月01日


ブラジルW杯観戦旅行始末


ビバ!サッカー公開報告会
(8月29日 アットビジネスセンター渋谷)

★「自分たちのサッカー」に?
 ブラジル・ワールドカップ公開が終わって1ヵ月半後にビバ!サッカー研究会で報告会を開いた。
 現地に行って見た人、テレビで観戦した人が集まって、いろんなテーマについて考えを交換した。
 参加者の中にいろんな部門の専門家もいる。ほかの集まりでは聞けないような意見を聞くことが出来る。
 開幕試合の西村雄一主審のPK判定については、元日本サッカー協会審判委員長の浅見俊雄さんに意見を求めた。
「反則でシュートチャンスを止めるような行為を厳しくとるのはFIFAの方針だ」ということだった
 日本の敗退については、元日本代表選手で、東京ヴェルディ、柏レイソルの役員を務めた小見幸隆さんに発言してもらった。
 「自分たちのサッカーができなかったというような言い方はおかしい」という厳しい指摘があった。

★観戦旅行の経費
 興味深かったのは現地に観戦に行った人の話である。
 ワールドカップを見に現地に行くには三つの問題がある。
 第一は、ブラジル国内の移動費である。
 ブラジルは広大な国なので国内の移動は、ほとんど飛行機に頼ることになる。その国内航空運賃がかなりの負担だった。
 たとえば、サンパウロから試合会場の都市に行く国内航空運賃は片道5万円前後だった。
 日本の3試合を中心に大会前半に6試合を見て回った人の国内航空運賃は約37万円だったという報告があった。
 第二の問題は宿泊費である。
 ワールドカップ期間中のホテル代は、どの大会でも開幕3ヵ月くらい前までに予約しようとすると非常な高額である。その後は大会が近づくにつれて下がるのだが、多くの人は
 早めにホテルを確保するから1泊1万5千円から2万5千ほどかかったようである。
 
★決勝のチケットを当日入手
 第三の問題は試合チケットの入手である。
 今回は、チケットが確保できないのでブラジル行きを断念した人が多かったようだ。
 しかし、実際には現地に行けば、チケットを手に入れることは、そんなに難しくはなかった。
 報告会のあとの延長戦(懇談会)で聞いた話だが、大会の後半、準々決勝から決勝までを見に行った人がいた。その人は6試合の入場券を全部、定価で手に入れた。
 決勝戦の切符は持っていなかったのだが、当日、マラカナンの駅の近くで、ふつうの人から譲ってもらえた。
 スタジアム周辺は警備厳重で、入場券を持っていない人は近寄れなかったのだが、その外側ではダフ屋などが売買していたという。
 それも、ネット上に出ているようなべラボーな高額ではなかったらしい。


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