サッカー日誌 / 2007年06月19日


30年前のサッカーを見た?


J1 清水 1-1 横浜M
(6月16日、日本平)

★やけっぱちの放り込み
 エスパルス対F・マリノスの試合を見た。感想は「30年前のサッカーみたいだ」というところである。
 テクニックも、スピードも、試合のシステムも、もちろん30年前とは格段の違いである。でも、戦法の考え方は似たようなものだという印象だった。
 後半18分にエスパルスがコーナーキックから先取点をあげた。マリノスは、長身のハーフナーらを投入して反撃をはじめた。ところが後半29分に守りの中心の栗原が2度目の警告で退場になる。
 マリノスは「やけのやんぱち」である。ゴール前に、どんどん放り込んで1点を狙った。これが功を奏して終了まぎわの42分に同点ゴール。田中隼磨の放り込みをハーフナーがヘディング、田中裕介のシュートが相手のディフェンダーに当たって入り、1対1の引き分けになった。
 
★労働量とスピードのサッカー
 記録はオウン・ゴールだが、後半反撃を策してつぎ込んだ3人がからんでの得点だから、マリノス交代策の的中とも言える。しかし、劣勢をなんとかしようと、ゴール前への放り込みに頼るのは、30年前のサッカーに似ている。あのころ「早稲田の百姓一揆」といわれる戦法があったのを思い出した。
 マリノスは、前半、激しく動き、きびしいチェックでエスパルスを押さえ込んだ。
 梅雨入りの翌日だったが、快晴で日差しが強かった。暑さの中で労働量のサッカーがどこまで続くのかな、と思っていたが、やはり後半は動きが落ちた。
 エスパルスは、逆襲速攻狙いである。縦の攻撃はスピードがある。だが、スピードの頂点でゴール前へ走りこんでも、余裕を持ってゴールを狙うことができない。チャンスの数は多かったが、シュートはことごとく外れた。
 
★サッカー環境は変わったが…
 「動け! 走れ! スピードだ!」。これも、30年前に、よく聞いた掛け声である。
 走るサッカー、スピードのサッカーが「古くさい」というつもりはない。でも、いかにスピーディーに攻めても、シュートがゴールの枠内にとばなければ、点は入らない。
 労働量とスピードのサッカーは、しょせん、J1中位争いのサッカーかな、とも思った。
 この試合は、静岡の日本平スタジアムだった。中規模の優雅なサッカー場である。芝生も美しい。スタンドは15,078人の観衆で、ほぼ埋まっていた。地元清水のサポーターが懸命に応援し、横浜からのサポーターもゴール裏を埋めて、熱気にあふれていた。サッカーを取巻く環境は、30年前には、とても想像できなかったように変わっている。
 でも、試合の戦略についての考え方は、あまり進歩していないんじゃないか、と気がかりである。
 
(サッカー新俳句) 労働と速さを競う暑さかな
 
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サッカー日誌 / 2007年06月15日


田村修一さんの新しい本 ~ フィリップ・トルシエ『オシムジャパンよ!』


★バランスのとれた評価と意見
 『オシムジャパンよ! 日本サッカーへの提言』(アスキー新書)を読んだ。2006年ワールドカップ後を総括したものの中で、もっとも、しっかりした内容の本である。
 フィリップ・トルシエの著作として出ているが、「取材・構成」となっている田村修一さんの本だと言ってもいいだろう。
 田村さんは、ぼくたちサッカーライターの仲間である。フランス語が得意なので、トルシエが、日本に来たときから、ずっと密着取材し、2002年日韓大会のあとも、トルシエと親しくつき合っている。トルシエに関する本を何冊も書いている。
 今度の本の内容は、主として、ジーコ・ジャパンとオシム・ジャパンについて、トルシエが話した意見と評価である。意見はバランスがとれていて説得力があり、評価は主観的でなく公正である。
 
★ジーコジャパンよ!
 タイトルは『オシムジャパンよ! 日本サッカーへの提言』となっているが、もっとも、おもしろいのは、3章構成の最初の「第1章 ジーコジャパンよ!」だ。
 ジーコは、トルシエが若手のうちから育てた選手を率いてドイツ・ワールドカップを戦った。2人のチーム作りの違いについて「型に嵌めるトルシエから、自主性に任せるジーコへ」と書いている。
 ドイツ大会第1戦、対オーストラリア戦の敗因についても書いているが、自分の後任者を袋叩きにするようなことはしていない。「日本にジーコはまだ早すぎた」というのが、トルシエの結論である。
 第2章が「オシムジャパンよ」だ。オシムの仕事は「これから」だから、評価はしていないが、その方針を理解しながらも、適切な意見を述べている。
 
★違いを生む「個の力」
 最後の第3章は「日本サッカーよ」である。
 この中では、日本と直接関係があるとはいえないが、グローバル化と世界のトップレベルのサッカーの変容についての意見が興味深かった。おおまかに言えば、どのチームも同じようなサッカーになっていくなかで、違いを生むのは「個の力」だという趣旨である。最近、よく目にする「労働量とスピード」を強調する意見とは、だいぶニュアンスが違う。
 トルシエの本だが、編者の田村修一の考え方も、構成に反映されているに違いない。ただしオシムの名を入れた本のタイトルは、おそらく出版社の意向によるものだろう。
 いずれにせよ、もっと、もっと、突っ込んで、田村さん自身の意見も聞きたかったので、ぼくの主宰している「ビバ!サッカー研究会」の月例会(7月1日)で話をしてくれるように、田村さんに頼んだら、快く引き受けてくれた。
 
(サッカー新俳句)梅雨入りやサッカー本の風通し
 
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サッカー日誌 / 2007年06月11日


外国同士の対戦のおもしろさ


キリンカップ 2007 から (下)
(第2戦 コロンビア 1対0 モンテネグロ
6月3日・松本アルウイン)


★素顔の代表チーム
 キリンカップの第2戦はコロンビア対モンテネグロ。会場は長野県松本市のアルウインスタジアムだった。
 競技場は松本駅からは、ちょっと遠い。「試合のあるときだけ運行」のシャトル・バスで30分近くかかる。運賃は片道500円。
 北アルプスの山並みを望み、簡素で美しいサッカー場である。スタンドは1万人余りの観客でにぎわっていた。
 外国の代表チーム同士の試合を日本で見ることができる。これはキリンカップの「ありがたい」ところである。ワールドカップと違って、両チームとも必ずしもベスト・メンバー、ベスト・コンディションではない。しかし、そのために、欧州対中南米の「素顔のサッカー」を見ることができる。
 
★コロンビアの個人能力
 ワールドカップのような、重要なタイトルのかかった大会では、代表チームはきびしくまとめ上げられている。そのために最近は、どこの国のチームも、同じようなサッカーをする。いわば「世界水準」で厚化粧している。
 キリンカップに来るチームは、そうではない。その国でふだん行われているサッカーを色濃く代表している。いわば「素顔の代表チーム」である。
 最終戦で日本と対戦するコロンビアは、ラテン・アメリカの代表らしい個人の足技とアイデアを生かしたチームだった。主力は外国でプレーしている選手だ。
 攻めで目立ったのは、身長1メートル67と小柄なダビド・フェレイラ(アトレチコ・パラナエンセ、ブラジル)だった。ドリブルの得意な足技タイプである。しかし、彼だけなら日本のきびしい守りで食い止められそうだ。
 
★外国勢にきびしい日程
 後半なかばから出場したエディソン・ペレア(ボルドー)はうるさそうだ。ボールを受けに寄ると見せて反転してスペースへ走る。ドリブルで抜くと見せて、スルーパスを出す。そういう個人のアイデアで周りを生かしている。「日本戦では先発だろうな」と思った。
 コロンビアの守りは、4バックの中央の2人が強い。コルドバ(インテル・ミラノ)とマリオ・ジェぺス(パリ・サンジェルマン)である。長身で判断力もいい。
 6月5日、埼玉スタジアムの最終戦では、エディソン・ペレアは思ったとおり先発だったが、守りの中心のコルドバは出なかった。主力選手をフルに使わないのは、中1日の連戦だったからだろう。結果は0対0の引き分けだった。
 モンテネグロも、中1日での連戦だった。
 キリンカップの日程が、外国勢にきびしすぎる。これには両監督とも苦情を述べていた。
 
(サッカー新俳句) 山並みを背に異文化の試合かな
 
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サッカー日誌 / 2007年06月10日


オシム監督は欧州組を使うか?


キリンカップ 2007 から(中)
(第1戦 日本 2対0 モンテネグロ 6月1日・静岡エコパ)
(最終戦 日本 0対0 コロンビア  6月5日・埼玉スタジアム)


★伝説の逆説的選手起用
 キリンカップ最終戦で、オシム監督は、ヨーロッパでプレーしている4人を揃って先発メンバーに並べた。これについて「17年前の手をまた使った」という報道があった。
 1990年のイタリアのワールドカップのとき、ユーゴスラビア代表監督だったオシムは、1次リーグ第1戦でスター選手を全部、起用して敗れた。
 大会前の強化試合で、オシム監督は人気選手を使わなかった。それをメディアがこぞって批判していた。そこで、本番第1戦では、メディアとファンが要求する選手を揃って起用して「スターを並べても勝てないのだ」ということを見せつけた。そうしておいて第2戦からは自分の思い通りの選手起用をして勝ち続けた。
 キリンカップ最終戦で、欧州組の4選手を全部先発させたのは、伝説になっている逆説的選手起用を、また試みたのだろうというわけである。

★欧州組は今後も使う
 しかし、キリンカップでの欧州組起用を17年前の伝説と並べるのは適当でない。今回の欧州組起用は「今後は使わないため」ではなく「今後も使うため」だったからである。
 キリンカップ最終戦で先発した欧州組4人のうち、稲本潤一と中田浩二は前半だけで退いた。だからといって「稲本と中田は失格」ときめ付けるのは見当違いである。
 試合後の記者会見で、オシム監督は「うまいだけで走らなければ使わない」と言いながらも「きょう、うまくいかなかった原因は、はっきりしている。フィジカル・コンディション(体調)が十分でなかったことだ」と付け加えた。つまり「体調が整えば使える」ということである。
 差し迫った目標である7月のアジアカップまでに、欧州組が体調を整え、オシムのサッカーを理解する時間は十分ある。
 
★メディアを気にしすぎる
 オシム監督がメディアを気にしていることは確かである。その点では17年前と同巧異曲である。
 第1戦では中村俊輔を使わなかった。「右足首を痛めている」ということだった。
「最終戦では使うのか?」という質問に、オシム監督は「皆さん(マスコミ)はスターが好きだが、スターであっても100%の力を出せなければ使わない」と答えた。
 そして、さらに「スターを出せば埼玉スタジアムで観客が1万5千人増えるのかもしれないが、だからといって政府の圧力には屈しない」と冗談を言った。
 「政府の圧力」は安倍首相でないだろう。総理大臣が代表チームに関心を持ってくれるようなら、日本のサッカー熱も本物である。オシムの言う「政府」はサッカー協会筋なのだろうか?
 
(サッカー新俳句) 梅雨近く選手起用に奇策あり

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サッカー日誌 / 2007年06月09日


オシム監督「神風システム」の狙い


キリンカップサッカー 2007 から (上)
(第1戦 日本 2対0 モンテネグロ 6月1日・静岡エコパ)
(最終戦 日本 0対0 コロンビア 6月5日・埼玉スタジアム)


★稲本がトップ下、俊輔が右サイド
 日本代表のオシム監督はキリンカップ最終戦の試合前、選手たちに「きょうは神風システム」だと宣言したという。
 高原直泰をワントップに置き、第二線に中村俊輔、稲本潤一、遠藤保仁を並べた。中盤プレーヤーを3人そろって前線に使う「攻撃的布陣」である。守備が手薄になるから「リスクの大きい構成だ」と承知のうえだった。
 面食らったのはトップ下に起用された稲本だっただろう。もともと中盤の守備的位置のプレーヤーである。トップ下は前日の練習で5分間やらされただけ。しかし5分間だけでも練習させたのは、オシム監督が前日から、このシステムを構想していた証拠である。
 俊輔の右サイドも変則である。スピードで突破するタイプではない。その俊輔を、攻めでは前に走り、守りでは後ろに戻らなければならない立ち場に置いた。
 
★いきなりプールに放り込む
 「水泳の金づち指導みたいだな」と思った。初心者をプールに放り込んで、ばたばたさせる。それで水に慣れさせる。そういう指導法に似ている。
 欧州組のスター選手を不慣れなポジションに放り込んで、その反応を見ようとしたのではないか?
 いきなり与えられたポジションで、どういう動きをしたらよいか。選手は自分自身で判断しなければならない。そのようすを見ることによって、選手の戦術能力を見極める。これは稲本にとって難しい課題だった。
 俊輔の場合は、前に、後ろにと走り回らなければならないポジションで、前線での守りの能力と労働量を試された。「スター選手でも、いろいろなことができなければ代表チームでは使わない」というオシムの意思表示だったのかもしれない。
 
★不慣れなポジションでテスト
 第1戦では、こういうことがあった。
 高原と矢野貴章の2トップだったが、後半17分に中盤の山岸智に代えて佐藤寿人を出した。寿人はトップのプレーヤーである。しかし、トップには高原と矢野ががんばっている。寿人は左サイドのポジションでうろうろした。
 それを見て「不慣れなポジションに放り込んでようすを見ているんだな」と、オシム監督の狙いを憶測したわけである。
 このときは5分後に高原に代えて中盤プレーヤーの水野晃樹を出したので、寿人は本来のトップに入ることができた。
 最終戦の稲本は、不慣れなトップ下を前半ずっと続けて、後半から羽生直剛に代わった。俊輔は後半は内側に入れるようになり、最後までプレーした。
 
(サッカー新俳句) 初夏の風に選手をテストかな


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