サッカー日誌 / 2015年07月03日


日本サッカー・リーグ50年(5)


「リーグ年鑑」の編集

JSL50周年記念パーティー
(6月9日、品川プリンスホテル)

★記録を残すべきだ
 日本サッカーリーグ(JSL)が発足したのは、1964年東京オリンピックの翌年、1965年6月である。
 さらに、その翌年、2年目のリーグが始まってから、ぼく(牛木)が「リーグの記録を、きちんと残しておくべきだ」と思いついて、初代の日本リーグ総務主事の西村章一さんに「リーグ年鑑を作ろう」と提案した。
 西村さんは「分った」と、すぐに手配してくれた。
 外部の意見に耳を傾け、その是非を即座に判断し、実行に移す。
 この「仕事の早さ」が、当時の丸の内ビジネスマンの、すばらしいところだったと思う。
 西村さんが、丸の内の加盟企業チームの運営委員を動員し、ぼくがサッカー記者会の担当記者に協力を求めて編集作業がはじまった。
 ところが、1年目のシーズンの試合記録は、きちんと整理されていなかった。

★1年目が重要
 東京文京区の本郷に三菱の会社の寮があった。
 その一室に、何度も集まって、新聞記事を照合しながら、初年度の記録を集めて整理した。
 「1966年度版」として発行されたのは、2年目のシーズンの前半が終わった1966年7月である。
 年鑑は、シーズンのはじめに、その年の年度のタイトルで発行されるものである。
 したがって「日本サッカーリーグ年鑑」の第1号は「半年遅れ」だったことになる。
 しかし、1年目の記録が収録できたのは貴重だった。
 1年目の記録が整理されれば、それをモデルとして2年目以降を発行することができる。
 何年かたったあとで、さかのぼって資料を集めるのは容易ではない。
 大事なのは1年目である。

★サッカー記者が協力
 その後、いろいろ曲折はあったが、その後、サッカー年鑑は、ずっと発行され続けている。
 これは貴重な財産である。
 大企業のエリート社員である運営委員が、畑違いの編集作業に携わったのは珍しい経験であったに違いない。
 50年記念パーティーの席上で表彰された、当時の常任運営委員の本間良定さん(三菱重工)や西本八寿雄さん(古河電工)が「あれは楽しい思い出です」と言ってくれた。
 当時のサッカー記者が、サッカーの出身者でなくても、ボランティアで協力してくれた。
 朝日新聞の伊藤紀顕さん、共同通信の鈴木(奈良原)武士さん、東京新聞の海藤栄治さんなどである。
 今日のサッカー繁栄に貢献した方々だと思う。
 ちなみに、第1号、1966年版の表紙の写真は、当時、古河電工の川淵三郎選手のプレーである。



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (【蹴球亭】サッカー感戦家)
2015-07-03 14:47:03
このJSL年鑑があるから記録を探すのに大変役立ちます。これがJリーグに引き継がれていくのですが、大変残念ながら1998年だけ市販されませんでした(Jリーグが一応作ってますが)。これは小学館・Jリーグの落ち度だと思ってます。
 
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