AFCアジアカップ2007 / 2007年08月31日


オシム監督の戦略への疑問


アジアカップ2007の日本代表(2)
「オシム監督の戦略への疑問」

◆第1戦の選手起用と布陣
 アジアカップ2007に、日本代表が優勝をめざす固い決意をもって臨んだのだとすれば、オシム監督の戦略には、理解しかねるところが、いくつかあった。
 その第一は、7月9日の第1戦(ハノイ)のときの選手起用と布陣である。
 この試合で、オシム監督はワントップのシステムをとり、高原1人を最前線に据えた。
 攻撃の第2線はトップ下に遠藤。中村俊輔が右サイドである。
 第2線の左サイドは山岸だった。これまで、日本代表でそれほど活躍していない山岸を大事な試合で起用した狙いが分からなかった。
 高原のワントップも「奇策」である。高原は前線で「おとり」になってプレーするタイプではない。高原が最前線で孤立していれば、ゴール前を固めている相手の密集守備の中で、厳しくマークされっぱなしになる。

◆カタールに痛い引き分け
 ワントップのトップ下に遠藤を置いたのも分かりにくい。
 オシム監督は、6月4日に埼玉スタジアムで行われたコロンビアとの試合でも、同じシステムをとっていた。このときのトップ下は稲本だった。稲本は不慣れなポジションで苦労していた。システム自体もうまく機能しなかった。結果は0対0の引き分けだった。
 アジアカップの第1戦でも、オシム監督が固執したシステムがうまくいったようには見えなかった。結果はカタールと1対1の引き分けだった。
 この引き分けは日本にとって痛かった。というのは、日本はB組の最終戦でベトナムと当たることになっていたからである。ベトナムは前日の第1戦で、地元の大声援を受けて、UAEに2対0で勝っている。日本がグループの第1、2戦に勝って勝ち点6をあげていれば、最終戦は相手が地元であっても、気楽に戦うことが出来たはずである。

◆なぜ休養させないのか?
 第2戦のUAEとの試合(7月13日)からは、前線は高原、巻のツートップになり、中盤からの組み立ては中村俊輔が軸になった。このシステムのほうが安定していた。
 オシム監督は、大会期間中を通じて、1日も休養日を設けなった。これも、理解しがたいことだった。
 耐え難い暑さの中で、23日間に6試合である。練習を休む日をはさみ、主力に、ほっとする日を与えることが必要だったのではないか。しかし、オシム監督は試合のない日は必ず練習をし、練習の前に蒸し暑いフィールドで選手を集めて、10分以上も話しをしていた。
 ワールドカップが最終目標で、アジアカップは「ワールドカップ予選のための強化の手段」というのなら、これでもいいのかもしれない。そうであれば、オシム監督にとっても、優勝へのモチベーションは低かったことになる。

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AFCアジアカップ2007 / 2007年08月11日


モチベーションの低い戦い


アジアカップ2007の日本代表(1)
「モチベーションの低い戦い」

◆ベスト4で満足していいか
 東南アジア4カ国の共同開催で行われたアジアカップ2007(第14回)で、日本は4位に終わった。3回連続、4度目の優勝をめざしていたにしては「ふがいない」結果だが、オシム・ジャパンに対する批判や非難は、それほどには聞かれない。
 オシム監督の課題は「2010年ワールドカップ出場」で、アジアカップ参加は「チーム強化の過程」という考えがある。日本サッカー協会も、その周辺のマスコミの多くも、そう考えているようだ。それが厳しい批判の少ない原因に違いない。
 現地での取材から帰国して日本の新聞を見たら「ワールドカップのアジア枠が4.5であることを考えれば4位は及第点」という論評が載っていた。
 選手たちは、もちろん、優勝をめざしてがんばったに違いない。しかし、協会やマスコミが、こういう考えでは、いま一つ燃え切れないものがあったのではないか?

◆アジアのタイトルを重視しよう
 現地で各国の試合振りを見ていて考えた。「アジアカップよりもワールドカップ予選を重視するのは、間違っているのではないか?」と。
 他の国の多くは「アジアカップが、もっとも重要な大会だ」と考えて参加している。中東のサウジアラビアなどは、優勝した経験があるから、その栄光の再現を国民に期待されている。だから、アジアカップは代表チーム最高の目標である。
 東南アジアの国々はアジアNo.1の優勝を争うには力不足だから、当面の目標は東南アジア(SEA)の競技会である。しかし、アジアカップは、その上の最高の目標である。
 日本はアジアのサッカーの重要な一国だ。しかも前回のチャンピオンとして出場している。各国は日本を目標にチャレンジしてきている。そうであれば、日本代表チームは、この大会を最重要タイトルとして受けて立つべきではなかったか?

◆もっとも困難なタイトル
 日本には「なにがなんでもアジアのタイトルを守ろう」という気持ちが薄かった。日本が4位にとどまった背景には、このモチベーションの低さがあったように思う。
 これは監督や選手の責任ではない。日本サッカー協会の方針とマスコミの世論作りの問題である。
 日本が参加する大会の中で、アジアカップは、もっとも難しい大会である。
 ワールドカップ予選では、アジアで4チームあるいは5チームが出場権をかちとることができる。アジアカップのタイトルは、アジア全体で1チームしかとれない。どちらが、より困難かは明らかだ。
 その困難なタイトルを、トルシエとジーコはとった。オシムはとれなかった。この事実は、アジアのサッカーの歴史に冷たく残ることになるだろう。

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AFCアジアカップ2007 / 2007年08月02日


イラクの歴史的勝利を生んだもの


7月30日(日)大会最終日・決勝
イラク 1対0 サウジアラビア
(ジャカルタ、ブンカルノ・スタジアム)

◆モチベーションの偉大さ
 アジアカップの優勝はイラクだった。米国の進攻による戦火、その後の国内の混乱にもかかわらず、タイトルをかちとった。イラクのサッカーの歴史的勝利であり、世界のサッカーの歴史に記憶されていい優勝だった。
 イラクの選手たちを燃え立たせたのは「混乱に苦しむ祖国の国民に優勝を贈りたい」という熱い思いだった。鋭い出足でサウジアラビアの攻撃を食い止め、力を振り絞って逆襲の速攻に走る。その姿に「モチベーションの偉大さ」を痛感させられた。
「きょうは朝から必ず勝てるという気がしていた。選手たちも勝利を確信していた」とブラジル人のビエイラ監督が、試合後の記者会見で語った。
 準決勝の日、バグダッドでは、決勝進出を祝う市民のお祭り騒ぎにからんで、50人以上の死者が出た。そのニュースが選手たちの気持ちを、さらに燃え立たせたという。

◆コーナーキックから決勝点
 技術的、戦術的には、とくに高度な試合だったわけではない。
 イラクの決勝点は、後半なかばすぎの73分。右コーナーキックからファーサイドに飛んだボールをユーネスがヘッディングで叩き込んだ。この得点場面だけなら、イラクがたまたまコーナーキックから幸運なゴールをあげたようにも見える。
 しかし、このコーナーキックは、サウジアラビアの総攻撃をしのいだあとの逆襲で、長い距離を一気に走った結果、得られたものだった。
 また、ユーネスのヘディングは、このチャンスに気力を振り絞って集中した結果だった。
 気力と体力を保ち続け、一瞬のチャンスに集中力を発揮できたのはなぜか? それは「この試合を何のために、誰のために戦っているか」という気持ちによるものだったと思う。勝負は、技術、戦術を超えた要素で決まることもある。

◆国内混乱のなかのオアシス
 決勝点をあげたユーネスは24歳。4年前からカタールのクラブでプレーしており、得点王になった。殊勲のコーナーキックを蹴ったハワルも24歳。UAEのクラブに所属している。ユース代表から育った若手の多くが、国内の紛争を避けて中東の他の国に出ているが、アジアカップが再結集の機会になった。
 国内ではシーア派、スンニ派、クルド族の対立抗争が渦巻いている。しかしサッカーの代表チームは三派一体だという。
 決勝戦の翌日、ジャカルタからバンコクへ向かう飛行機で、帰国するイランチームと乗り合わせた。役員が大きなカップを誇らしげに抱えて乗り込み、選手たちは、すてきな笑顔で乗客のサインに応じていた。
 つかの間の平和かもしれないが、混乱の砂漠に見出したサッカーのオアシスだった。

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