コンフェデ杯2013 / 2013年06月22日


史上最高のプレーで敗戦


コンフェデ旅行記(6)
6月19日(水)
<A組>イタリア4対3日本(レシーフェ) 
      ブラジル2対0メキシコ(フォルタレーザ)

★強豪イタリアを翻弄
 「日本サッカー史上最高の試合だ」
 レシーフェ・スタジアムのメーンスタンド最上段、天井桟敷の記者席から、はるか下のフィールドを見下ろしながら、そう思った。
 少なくとも前半40分までのプレーぶりはそうだった。
 日本が主導権を握って試合を進め、中盤でボールをキープし、すばやいパスをまわしてイタリアをきりきり舞いさせていた。
 21分の先制点はPKだが、相手のミスを見逃さずに攻め込み、岡崎の速いドリブルがイタリアのゴールキーパーの反則を招いた結果だった。
 33分には香川がゴール前で浮き球を受けて振り返りざまのシュートを決めた。みごとな個人技だった。
 そのあと、中盤でボールをまわしてイタリアを翻弄した。
 スタンドから「オーレ! オーレ!」の掛け声が湧いた。

★メキシコ五輪を上回る?
 このまま進めば「日本サッカー史上最高の試合になる」と思った。
 1968年メキシコ・オリンピックの三位決定戦が日本代表の史上最高の試合だと考えているが、それを上回る勝利になるのではないか?
 メキシコの三位決定戦は銅メダルという歴史的な結果をともなった。このレシーフェでの試合はまだグループリーグである。しかし1968年当時のオリンピックはアマチュアの大会だった。コンフェデレーションズ・カップは世界最高のプロレベルの選手権である。
 ここでイタリアを破れば、結果としても、試合内容からいっても、45年前の銅メダルを上回る価値がある。
 そんな「甘い夢」を見ながら日本のプレーに酔っていた。

★未来を照らすプレーぶり
 日本の選手たちは、ドーハのワールドカップ予選最終戦からの転戦で疲労が濃いはずである。4日前にはブラジルに完敗してショックを受けている。その疲労とショックを乗り越えて強敵に果敢にチャレンジしていることに感動した。
 積極的にシュートを試みた前向きのプレーぶりも良かった。
 岡崎と香川が個人の特長を生かしてプレーしてゴールを生んだのは収穫だった。
 本田と香川の連係が成熟しつつあることを見せた場面もあった。
 イタリアの猛反撃にゴールの奪い合いになったが、最後まで強豪と互角にぶつかり合ったのは、いい経験になった。
 日本代表の未来を明るく照らした試合ぶりだった。
 それでも、結果はイタリアの逆転勝ちだった。
 なぜ、勝ちきれなかったのか? そのことは改めて考えてみよう。


レシーフェのスタジアム

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
コンフェデ杯2013 / 2013年06月21日


真のサポーターは混雑に耐える


コンフェデ旅行記(5)
6月16日
<A組>イタリア2対1メキシコ(リオデジャネイロ)
<B組>スペイン2対1ウルグアイ(レシーフェ)

★レシーフェへ移動
 開幕試合で日本が敗れた翌朝、次の日本の試合地レシーフェへ移動した。
 ブラジリアの空港のロビーは大混雑である。前夜の4万人のサポーターの一部なのだろう。 
 チェックインを待つ数百人の行列の最後に並んだ。
 ぼくの前にいる人物が大会の役員らしく首からADカードをぶら下げている。
 すると空港の係員らしい人がきて「こちらへ」と直接カウンターへ案内した。
 「なるほど、大会関係者には優先窓口があるんだ」と気が付いて、バッグにしまい込んでいたカードを取り出してぶら下げ、あとに続いた。
 おかげで「乗り遅れるんじゃないか」といらいらしないですんだ。

★真のサポーター
 ブラジルのサポーターは、ぎゅうぎゅう詰めのバスや地下鉄でスタジアムに行く。貧しいけれど自前で大きな旗や横幕を作る。雨の中でも立ちっぱなしで声をからす。しばしば自分たちのチームがふがいなく負ける。
 そういう苦難に耐えてこそ真のサポーターである。
 旅行中に読んでいる『サッカー狂の社会学』という本にそう書いてあった。1970年代の話だが、いまでもその伝統が続いているのだろうか?
 だから狭い空港ロビーの大混雑の中で、じっと我慢して行列しているのだろうか?
 カードをぶら下げて優先窓口に行くような人物はファンの風上に置けないのではないかと反省した。

★3年前と変わらぬスペイン
 約2時間半の飛行でレシーフェに到着。
 メディア用の指定ホテルは、美しい砂浜の海水浴場に沿って立ち並ぶリゾートホテルの一つだった。
 午後4時からリオデジャネイロで行われている試合をメディアセンターのテレビで見る。  
 イタリアがバロッテリの力ずくの押し込みゴールでメキシコから決勝点をあげた。バロッテリは大喜びでシャツを脱いで上半身裸になりイエローカードを受けた。
 午後7時からA組のスペイン対ウルグアイを見る。
 スペインは3年前のワールドカップで優勝したときと顔ぶれも試合ぶりも、ほとんど変わっていない。
 中盤でパスをつないでキープしチャンスを見つけたときに鋭く攻める。このバルセロナ流で決勝に進み、地元のブラジルと対戦することになると、たいへんな盛り上がりになりそうだ。


レシーフェの海水浴場に面したメディア用指定ホテル。
ブルーツリー・レシーフェ・タワー。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
コンフェデ杯2013 / 2013年06月20日


世界との違いを認めよう


コンフェデ旅行記(4)
6月15日
<A組>ブラジル 3対0 日本
(ブラジリア・ナショナルスタジアム)

★敗因はいろいろあるが…
 日本は第1戦でブラジルに敗れた。
 相手のブラジルはサッカー王国でしかも地元での公式戦である。サポーターの声援も一方的に多かった。
 日本はワールドカップ予選のイラク戦を終えてドーハから転戦してきた。遠征の疲れで体調が十分でなかった。
 立ち上がり早々の3分に失点した。出鼻をくじかれたのが痛かった。
 岡崎をワン・トップに使った。このザッケローニ監督のプランが狂った。
 というように、敗因はいろいろ挙げられている。
 しかし、つまるところはサッカー全体のレベルの差である。日本のサッカーはまだ世界のトップレベルには遠い。
 そのことを見つめないで、体調や作戦の誤算だけに敗因を求めても未来へはつながらない。

★日本の善戦を評価
 ザッケローニ監督は「日本の課題は選手のパーソナリティーだ」と述べた。開始早々の3分に失点したために萎縮して「持っている良さ」を出しきれなかったという意味である。
 ぼくの受けた印象は、ちょっと違う。
 立ち上がりにリードされても、くじけずにがんばり、前半は追加点を許さずに持ちこたえた。ここで積極的に反撃に出たら、その裏をつかれて前半のうちに3対0くらいになっていただろう。日本の選手たちの冷静な判断と粘り強さを評価したい。日本の善戦だったと思う。
 痛かったのは後半3分の2点目である。ブラジルを相手に2点をリードされては逆転の望みは薄くなった。しかしその後も追加点は許さず抵抗し続けた。
 後半、追加時間にとられた3点目は「力尽きた」という感じだった。

★場外では騒ぎも
 日本とブラジルの違いを二つ考えた。
 一つは、1対1での力の差である。守りでは内田も長友も個人的には対抗できたとはいえなかった。攻めでは、まともに勝負できていたのは香川だけだった。
 もう一つは、個人の判断の「ひらめき」である。一つ一つの場面で、どういうプレーを選択すべきかの判断がブラジルの選手は的確ですばやい。
 こういう違いが、どこから生まれて来たのかを社会や文化との関連で考えてみたい。
 試合開始の前にスタジアムの周辺を回ってみた。
 多くの人びとが、きちんと列を作って整然と入場していたのは意外だった。
 だが、ある一つの広場を機動隊やパトカーや騎馬警官が取り囲んでいた。催涙弾を投げ込んだ爆音が聞こえ白煙が見えた。逮捕者が出たとのことだった。
 この国のサッカーを知るには一筋縄ではいかない。


スタジアム周辺を規制する騎馬警官隊。100騎以上いた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
コンフェデ杯2013 / 2013年06月19日


手続きにもお国柄が出る


コンフェデ旅行記(3)
6月14日 ブラジリア

★歩いてスタジアムへ
 大会取材に現地に入って、まずしなければならないことはアクレディテーションである。首からぶらさげるADカードを作ってもらう。これがないと動きがとれない。
 前夜遅くリオデジャネイロ経由でブラジリアに到着。翌朝スタジアムの隣に開設されているはずのアクレディテーション・センターへ行こうとした。ところが「スタジアム周辺は厳しく交通規制されているから近寄れない」とホテルの前のタクシーに乗車拒否された。
 やむなくホテルのフロントに相談した。
 「ご案内します」とボーイ(といってもおじさん)が付いてきてくれた。
 タクシーの運転手を説得してくれるのかと思ったら、そうではない。バスの停留所へでも案内してくれるのかと思ったがそうでもない。どんどん歩き続けて約20分でスタジアムに着いた。
 快晴微風。緑の公園を通りぬけ、いい運動だった。

★アクレディテーション
 手続きは、最近はどの国際大会でも同じである。
 最初の窓口でパスポートを見せる。
 数ヵ月前にFIFAにネットで取材登録をして承認されている。それをコンピューターで照合して本人であることを確認するだけである。
 次に、ずらりと並んでいるカメラの一つの前で顔写真を撮る。
 そのあと引渡し窓口の前で待っていると呼び出されて顔写真つきのカードを渡される。
 流れ作業になっているのだが、開幕前日は大勢の関係者が到着するから混雑する。
 大勢のボランティアがつきっきりで面倒を見てくれる。
 事情不案内で、ポルトガル語の分らない人が多いのだから、これは助かる。

★穏やかな開幕前夜。
 カードを受け取るために待っている大勢の記者や関係者といっしょに、その世話をしているボランティアの人たちも窓口の前にたむろして談笑している。
 そのために、出来上がったカードを渡すための呼び出しのアナウンスが聞き取りにくい。しかし、呼び出し係はべつに気にしていない。
 「ブラジルの人たちは乱雑を楽しむんだ」と勝手に結論した。
 3年前にドイツで行なわれた女子ワールドカップでも同じやり方だったが、このときは窓口の前に並べてある椅子に座って待つように指示された。みな整然と待っていた。
 「ドイツ人は規律正しいのが好きなんだ」と、これは常識的な結論である。
 スタジアム周辺は穏やかだった。交通規制が行なわれている様子はなかった。町にも騒いでいる人はいなかった。


案内してくれたホテルの従業員(左)と。
メディアセンター入り口で。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
コンフェデ杯2013 / 2013年06月17日


ブラジル・サッカーの社会学


コンフェデ旅行記(2)
6月13日 ドバイ→ブラジリア

★米国の女性研究者の本
 東京→ドバイ→リオデジャネイロ→ブラジリアと飛行機を乗り継ぐ長旅の間に読もうと、一冊の本を機内持ち込み荷物に入れた。
   ジャネット・リーヴァー著、亀山佳明/西山けい子訳
  『サッカー狂の社会学ブラジルの社会とスポーツ』
  (世界思想社1996年第1刷発行、2003年第3刷発行)
 著者はセントルイスのワシントン大学2年生の夏休みにロンドンに旅行した。たまたま1966年ワールドカップ・イングランド大会の年で、このスポーツに世界各国の大衆がいかに熱狂しているかを、はじめて体験した。
 翌年の夏、ポルトガル語の勉強のために交換留学生のプログラムに参加してブラジルのクリチバに滞在した。
 その最初の週に、ホームステイの家族がサッカーの試合を見に連れて行ってくれた、
 それがブラジル・サッカーの研究にのめりこむきっかけになった。

★歯ごたえのある読み物
 大学院を出て大学の先生になり、スポーツ社会学の研究者として「ブラジルのサッカー」についての論文を書き続けた。
その間に英語とポルトガル語の多数の文献をよみこなしている。そのエッセンスが引用され、出典はすべて巻末に紹介されている。
 また非常に多くの人たちにインタビューして「聞き取り調査」をしている。クラブの役員、サポーターの代表、FIFAや協会の役員など「下から上まで」である。
 世界的なスター選手にも直接会って話しをきいている。
 ペレとはその後、友人として長い付き合いを続けている。
 この本は論文集ではなく一般の人たちのために書かれたものだが、スター選手や名勝負の物語ではない。だから読み物としてはちょっと歯ごたえがある。

★対立から生まれ、対立を統合する
 著者の考えを大雑把に紹介するとつぎのようになる。
 スポーツは対立から生まれ対立を激しくしている。しかし一方で、対立をやわらげ統合している。ブラジルのサッカーには、そのことがはっきり出ている。
 リオデジャネイロでは「フルミネンセ」が豊かなエリートたちのクラブ、「フラメンゴ」が貧しい一般大衆のクラブである。社会階層の対立を代表している。
 しかしワールドカップでは「セレソン」(代表チーム)を一体になって応援する。社会階層の対立を国のレベルで統合している。
 内容は1970年代のものだから、ブラジルのサッカーも社会も現在では大きく変わっている。
 どのように変わり、どの点が変わっていないか?
 来年のワールドカップでそれを見てみたいと思った。



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
コンフェデ杯2013 / 2013年06月16日


ドバイ経由でブラジルへ


コンフェデ旅行記(1)
6月12日 成田→ドバイ

★機内の新聞に関連記事
 81歳の誕生日に成田空港を出発、ブラジルに向かった。コンフェデレーションズ・カップ取材のためである。
 まず中東アラブ首長国連邦(UAE)のドバイへ。
 丸い地球の向こう側へ行くのだから、どこを経由しても距離と時間はそんなに変わらないはずである。
 今回はFIFAのスポンサーになっているエミレーツ航空で中東のアラブ首長国連邦のドバイ経由にした。
 機内でもらったドバイの英字新聞KHALEEJ TIMESのスポーツ面にコンフェデ杯関連の記事が出ていた。アフリカ代表のナイジェリアについてだった。
 「スーパーイーグルス(ナイジェリア)は国際大会で20年ぶりに脚光を浴びることを狙っている。欧州でプレーしているスターたちと自国のクラブから登用した若手をうまく溶けあわせることができるかどうかがカギである」。
 そういい趣旨だった。

★高齢者の「試し旅」
 コンフェデレーションズ・カップ取材は初めてである
 この大会が始まったのは1998年で、そのころぼくは大学の教員をしていた。6~7月は学期中で休めない。次の年のワールドカップのときには無理に都合をつけさせてもらいたいので、ほかの大会は自粛していた。
 今回のコンフェデレーションズ・カップは逆に無理をしてでも行こうと思った。それは翌年のワールドカップの準備のためである。
 「試し酒」という落語がある。
 一升の酒を飲めるかどうかテストされることになった男が、その前に試しに一升飲んでみる噺である。
 超後期高齢者になって地球半周往復の長期一人旅ができるかどうか?
 今回は「試し旅」である。

★コンフェデ杯の見どころ
 来年のワールドカップ出場権を獲得した日本代表チームの再スタートにも、もちろん注目している。
 アフリカ代表のナイジェリアは5月31日に米国での親善試合でメキシコと2対2で引き分けている。
 メキシコはコンフェデ杯で日本と同じAグループだ。
 アジア代表の日本、アフリカ代表のナイジェリア、北中米カリブ海代表のメキシコ。それぞれがトップレベルの欧州、南米の代表チームとどのくらい戦えるか?
 これがコンフェデ杯の見どころの一つだろう。
 3チームとも、欧州など他の地域のクラブでプレーしている選手が主力である。それに国内のクラブから新戦力を加えることができるかどうか?
 これも、ナイジェリアだけの問題ではない。
 そんなことを考えながらドバイまで10時間10分の飛行だった。

 
乗り継ぎのドバイ空港のレストランで。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2013年06月15日


「消化試合」の戦い方


W杯アジア最終予選B組
イラク0-1日本
(6月11日 カタール・ドーハ=NHK-BS1)

★相手に敬意をはらう
 ワールドカップ予選、イラクとのアウェーの試合は日本のブラジル行きの切符が確定したあとだった。いわゆる「消化試合」である。
 しかしザッケローニ監督は「ワールドカップの試合であることを尊重し、相手に敬意をはらって戦う」と語った。
 日本にとっては「消化試合」であっても、試合の結果は他のチームの順位に関係してくる。日本が勝手に手を抜くわけにはいかない。しっかりと勝利をめざして試合をするぞ。そういう意味の「建前宣言」である。
 実際にはキャプテンの長谷部誠が警告累積で出場停止、エースの本田圭佑は「右太ももに違和感がある」という理由でベンチだった。しかし香川真司、遠藤保仁などの主力は疲れを押して出場した。その一方で酒井宏樹など新しい戦力も起用した。
 現実的で穏当なチーム編成だったと思う。

★みごとな遠藤、岡崎の闘志
 日本もイラクも、なんどもチャンスを作りながら詰めきれずに0対0で引き分け寸前だったが、後半44分に岡崎慎司が決勝点をあげた。
 岡崎と遠藤がドリブルと走り出しを織り交ぜて走りながらパスをつないだ。この速攻はみごとだった。
 相手のイラクは後半37分に1人退場になっていた。それでも、引き分けでは脱落する立場だったから、残り時間が少なくなったので総攻撃に出なければならなかった。その裏側をついての逆襲だった。
 それにしても、遠征の疲れの上に試合開始時には35度の暑さだった。そんななかで90分戦い続けたすえである。
 消化試合であっても最後まで気力を振り絞ったプレーに感心した。これこそ「相手に敬意を払うプレー」だろう。

★メッシが欲しいよ
 ただし、全体としては日本の試合ぶりはよくなかった。
 いつものように、パスをつないでリズムのある攻めを組みたてようとするのだが、すばやいパスがずれる。
 それでも、中盤を制して優勢だったのだがシュートが決まらない。
 疲労もあるだろう。暑さもあるだろう。芝生が悪いこともあるだろう。
 しかし、1週間前のオーストラリアとの対戦では埼玉スタジアムのすばらしい芝生で試合をしながら得点はPKによるもので、まともなゴールはなかった。
 「岡崎もいいがメッシが欲しいよ」というのが、テレビを見ながらの無責任な感想である。
 放り込みでも、パスの組み立てでも、点はなかなか入らないものである。最後はゴール前の厳しい守りを個人の技と力でかわすスーパースターが必要である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2013年06月12日


ザッケローニ監督の布陣変更


栗原投入、長友中盤の狙い
W杯アジア最終予選B組
日本1-1豪州
(6月4日 埼玉スタジアム2002)

★後半34分の選手交代
 ブラジルへの切符を決めた埼玉スタジアムの対オーストラリア戦で、ザッケローニ監督は後半34分に布陣を変更した。トップの前田遼一に代えて栗原勇蔵をディフェンスラインに入れ、左のディフェンダーだった長友佑都を中盤に上げたのである。
 0対0の状況で、このままで引き分けに終われば、日本のブラジル大会進出が決まるところだった。
 ところが、その2分後にオーストラリアが先取点をあげた。そこで試合後の記者会見で、この交代についての質問が出た。
 選手交代は「守り固め」だったのか? 
 この交代が響いて失点したのではないか?
 そういう疑問である
 ぼくの見たところでは、この布陣変更はザッケローニ監督の「予定の行動」である。

★長友の負担を軽減
 布陣変更の狙いは長友の負担を軽くすることである。
 長友は守備ラインの左サイドで守りを担当しながら前線に攻めあがってチャンスを作ることも求められている。
 中盤でオーストラリアのクロスの起点を押さえる仕事もある。
 欧州のシーズンを終えて帰国したばかりの長友にとって体力的に厳しい。
 そこで、試合の終盤には、守備プレーヤーを投入して長友を前に出し、守りの負担を減らして、攻めに力を注げるようにした。
 つまり攻守兼用の布陣変更である。
 ザッケローニ監督は同じ布陣変更を以前にすでにテストしている。その場だけの守り固めではない。少しずつ戦法のレパートリーを増やしているのである。

★メンバー固定への批判
 「ザッケローニ監督は限られた顔ぶれしか起用しない」という見方がある。本田、香川、長友などメンバーが固定している。新しい戦力を招集しても試合には出さない。そういう批判である。
 ワールドカップ予選の試合では、これはやむをえないことだと思う。
 欧州各国でプレーしている選手を、そのつど呼び集めて日本代表を編成する。
 だから、勝ちを求めるには、できるだけ同じ顔ぶれで、手馴れたコンビネーションを生かすほかはない。
 戦い方も同じで新しい方法はテストしながら少しずつ加えていくわけである。
 オーストラリア戦は終了寸前にPKを得て引き分け。アジア最終予選はB組1位で突破した。
 これから1年後のブラジルまでは準備期間。その間の選手起用と戦い方は違ったものになるだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2013年06月09日


東京五輪のPR方針変更


招致の大義名分が弱いことに気付く

スポーツ・アコード会議
(5月30日 サンクトペテルブルク)

★「なぜ」を薄めて「いかに」を強調
 2020年のオリンピック開催地に立候補している3都市が5月下旬にロシアで開かれた国際会議でプレゼンテーションをした。さまざまな国際スポーツ団体の代表が集まる「スポーツ・アコード会議」である。
 このプレゼンテーションで東京都は招致運動の路線を変更した。「なぜ、東京か?」と意義を強調するのは避けて「このようなオリンピックにする」と開催能力に重点を置いてPRすることにしたのである。
 「WhyよりもHowを」だという。
 路線変更の理由は、開催意義のアピールでは、トルコのイスタンブールと太刀打ちできないことにある。
 イスタンブールは「東西の架け橋に」とうたっている。アジアとヨーロッパの境界に位置し市内のボスポラス海峡に三つ目の橋を建設すると具体的な計画も発表した。
「イスラム圏で初めてのオリンピック」という声もある。

★「未来をつかむ」は意味不明
 これにくらべて、東京の招致理念には説得力がない。
 「Discover Tomorrow(未来をつかむ)」を標語に掲げているが抽象的で意味不明である。
 計画書には、東京大会を通じて、世界のスポーツ界が「未来をつかむことができる」と書いてある。
 「東京大会は、革新性とインスピレーションを結びつけ、オリンピックの価値スポーツやオリンピック・ムーブメントがもたらす広範な恩恵とレガシーを示すものとなる」という説明である。
 これを読んで東京開催の意義を理解できる人がいるだろうか?
 「イスラム圏で初が、そんなに重要なのか?」と言っていた猪瀬直樹知事もやっと気が付いて「なぜ東京か?」という「Why」には触れないことにしたのである。

★開催能力も不十分
 20分間のプレゼンテーションで、猪瀬知事が強調したのは東京都の能力だった。
 「東京は世界でもっとも安全な都市」というのがアピールの第一点だった。たしかに深夜に女性が出歩けるような都会は他の国には少ない。
 「オリンピックのためにすぐ使える基金を4500億円持っている」と財政面で不安のないことも紹介した。経済力でマドリードに優っていることを示唆したのだろう。
 相手の優っているフィールドでの戦いを避け、こちらの有利な局面での争いに引き込む。作戦としてはいい。
 しかし、実は東京の競技会場はほとんどできていない。メーンスタジアムも東京湾岸の諸施設も、まだペーパープランである。開催能力がライバル都市よりも上とはいえない。
 開催意義を明確に説明できないで、無理やり東京にオリンピックを持ってこようとしている。これが実情である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2013年06月08日


ブラジルW杯進出決定を喜ぶ


ワールドカップ・アジア最終予選B組
日本 1対1 オーストラリア
(6月4日 埼玉スタジアム2002)

★終わり良ければよし
 日本代表がワールドカップ2014ブラジル大会への出場を決めた。5大会連続である。
 まずは、日本代表が出場権を得たことを祝いたい。
 「終わりよければすべてよし」。内容よりも結果がだいじな試合だった。
 しかし、実をいうと、ぼくは「出場権」についてはそれほど気にしてはいなかった。
 あと2試合を残して勝ち点1を加えればいい。敗れても同じグループの他のカードの結果によって圏内に残る可能性は極めて高い。心配する必要はほとんどない状況だった。
 それにもかかわらず、事前の盛り上がりは異常といっていいほどだった。
 テレビも新聞も「世紀の決戦」のように煽り立て、6万枚の入場券はたちまち売り切れた。
 
★オーストラリアとの勝負
 この試合について、ぼくが注目していたのは「出場権」ではなく、オーストラリアとの「勝負」だった。
 引き分けでもいい試合だったが、アジア・オセアニア地域のNo.1を争う試合としての「結果」にこだわって欲しかった。
 「日本はオーストラリアが苦手」というのが、多くのマスコミの見方である。
 オーストラリアの選手は体格も体力も日本選手より遥かにいい。前線の長身のストライカーを目標に放り込んでくる攻めは脅威だ。そういう論調である。
 ぼくの考えは違う。
 「放り込み」で2点も3点も取られることは、めったにない。よほどレベルが違うか、条件が悪い場合だけである。
 過去の試合でも技術と戦術では日本が上だった。まともに争えば、日本のほうが有利である。

★両チームとも得点は「事故」
 しかしオーストラリア代表も伸びてきている。代表選手の大半は欧州などのクラブでプレーしていて国際的な経験を積んでいる。日本代表と状況は似ている。
 今度の試合は、両国代表が、ほぼ同じ条件で「力比べ」をする機会だと思った。日本のホームだから、日本が1対0、あるいは2対1で勝つことを期待していた。
 試合の内容は期待通りだった。
 日本は本田圭佑と香川真司を軸にしたパスの組み立てがみごとだった。
 オーストラリアは、ケーヒルを先頭に立てた逆襲速攻が、いいチャンスを作った。
 しかし結果は「期待はずれ」だった。
 ともに、いい攻めをしていたにもかかわらす、ゴールに結びつかなかった。双方の得点は「事故」といっていいような偶然の結果だった。

                        
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ   

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.