サッカー日誌 / 2009年05月30日


ゴールキーパーを海外に出せないか?


キリンカップ第2戦
ベルギー1-1チリ(5月29日 蘇我フクアリ)

★現実的な話ではないが……
 試合を見ながらヘンなことを考えた。「日本のゴールキーパーが欧州のチームでプレーできないだろうか?」
 現実的な話ではない。欧州でプレーしている日本人選手は中盤か前線のプレーヤーばかりで、守りのポジションの選手はほとんどいない。体格の問題もあるし、ゴールキーパーは1チーム1人しか出場できないから、そこに日本人が入りこむ可能性はまずない。2部リーグでも、あるいは2軍でも難しいだろう。
 でも、欧州の大男を相手に高いボールを競り合い、力強いシュートを跳ね返すことによって鍛えられれば、日本のゴールキーパーのレベルが、もう一つ上にあがるのではないか?
 そう考えたのは、ベルギー対チリに試合で双方のゴールキーパーが派手に活躍したからである。

★強烈なシュートを防ぐ
 双方あわせて29本のシュートがあり、チリのピントとベルギーのスティーネンが、それを受け止め、はじき出した。コーナーキックやクロスの高い球をジャンプしてしっかり確保した場面もあった。
 シュートの強烈さ、高いボールへの競り合いの激しさが、日本のサッカーとはちょっと違う。日本は、こういう相手を労働量と組織力による守りで食い止めているが、ゴールキーパーは奔放な力攻めにさらされる経験をつんだほうが鍛えられるだろう。
 チリはパスをつないで65%のボールを支配して攻め、ベルギーは激しいタックルで対抗したが、双方に強烈なミドルシュートがあった。
 チームとしての総合力は、日本が上かもしれないが、個人のパワーは、南米のチームも欧州のチームも日本より、かなり上である。

★外国勢同士の対戦の見どころ
 キリンカップでは、外国チーム同士の試合がある。これもまた、おもしろい。
 来日チームは「代表」といっても必ずしもベストメンバーではない。自国のシーズン終盤あるいは終了直後だから、各クラブの事情もあり、ケガで選べない選手もいる。また、この機会に新たに代表に選ぶ選手をテストする狙いもある。
 というわけで、キリンカップに来日する外国勢は、チームとしては十分にはまとまっていないが、選手個人としては「アピール」の機会だから「いいところ」を見せようとする。そのために、思い切ったシュートやドリブルが見られる。
 ベルギー対チリの試合で、ゴールキーパーの活躍場面がかなりあったのは、その副産物である。そういう場面を見たので、日本のゴールキーパーが欧州で鍛えられれば、と空想したわけである。

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サッカー日誌 / 2009年05月28日


憲剛を生かす新システム


キリンカップ第1戦 日本4-0チリ
(5月27日 大阪長居競技場)

★岡崎とともに攻撃的に使う
 キリンカップ第1戦の日本代表の選手起用には、これまでとは、ちょっと変わった点がいくつかあった。そのなかで「おや?」と思ったのは、岡崎慎司と中村憲剛のポジションである。
 発表された先発メンバーでは、岡崎はFWで玉田圭司とのツートップ、憲剛はMFだった。これまでのポジションどおりで不思議はない。
 キックオフのときには憲剛は中盤前方の左サイドにいた。ところが間もなく2人が目まぐるしく動いて位置関係が分かりにくくなった。岡崎が左サイドに出て、憲剛がトップ下に入ってくる。攻撃的MFの右サイドは本田圭祐で、玉田のワントップという形になった。
 4対0で快勝したあと、岡田監督は「きょうは憲剛を攻撃的に生かすためのシステムだった」と手の内を明かした。

★ジェラードのようなイメージ
 「憲剛にはジェラード(イングランド)のようなイメージを持っている。得点能力のある選手だ。それを生かしたいと思った」と岡田監督は話した。
 後半、憲剛にシュートの絶好機が2度あった。後半18分には、相手守備の裏側に抜け出し、ゴールキーパーと1対1となったが、シュートを右外にはずした。岡田監督の狙いは「あと1歩」だった。
 岡崎は前半の2点をたたき出した。20分には本田のシュートをゴールキーパーがはじいたところにすばやく飛び込んで決め、24分には中盤右に進出した中澤佑二からの長いパスを受け、巧みにさばいてゴールした。どちらもゴール正面で、やや後方から飛び出した形だった。岡崎は23歳である。右サイドに起用された本田も同じ1986年生まれ。U-23世代から上がってきた若手が元気だった。

★チーム編成の選択肢が広がる
 一方で守備ラインの両サイドには駒野友一と今野泰幸が復活、フル出場した。センターバックは中澤と阿部勇樹である。守りは試合経験豊富な顔触れで固めている。きわどい場面もあったが無失点に抑えた。このところ若手を両サイドバックに起用してサイドからの攻め上がりを狙う試合が多かったが、この日はサイドからのチャンスは少なく、速いパスで、正面から相手の裏側に抜ける攻めだった。岡田監督の試みが、ぴたりと当たった。
 もちろん、これは一つの試みである。選手の状態により、相手により、また状況によりやり方は考えなくてはならない。
 相手のチリは、最強の顔触れではないし最良の状態で来日しているわけでもない。だから快勝を額面通りに評価することはできないが、ベテランと若手がともにまとまってきて、チーム編成の選択肢が広がっているのを示したのは成果だった。

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サッカー日誌 / 2009年05月23日


3番目のリーグのレベル


JFL第11節 横河武蔵野FC 2対0 刈谷FC
(5月16日 武蔵野競技場)

★レベルはむかしのJSLが上
 JFLの試合を見る機会があった。「サロン2002」というサッカー仲間の会があり、その総会の前にJFLの試合を見る企画があったのに参加したのである。
 試合を見ながら仲間が「かつてのJSLと同じくらいのレベルですか」と聞く。JSLは日本サッカー・リーグのことで、いまのJリーグの前身の全国リーグである。
「いやあ、むかしの日本リーグのほうが、だいぶ上でしょう」というのが、ぼくの答えである。実はJFLのレベルは「思っていたより低いな」と思っていたところだった。
 1980年代の日本リーグは、いまの浦和レッズの前身の三菱重工業や、いまの横浜F・マリノスの前身の日産自動車などが上位を争っていた。20年あまり前の話だが、日本リーグは当時の日本のトップリーグだった。いまのJFLはJリーグ1部から数えれば、社会人3番目のリーグである。この二つを比べるのは適当でなかった。

★プロとアマを分ける錯覚
 JSLとJFLを比較しようとしたのは、ローマ字の略称が似ているためである。一種の錯覚である。
 もう一つの錯覚は、いまのJFLは「アマチュア」のトップリーグだから、アマチュアだった昔の日本リーグと比べるのが当然だと思ったことである。日本リーグの構成チームは、大部分が実業団(企業)チームで選手は「アマチュア」という建前だった。事実、ほとんどの選手は「社員」だった。
 Jリーグはプロである。プロは強いのが当然、プロとアマは別だと考えるのであれば、JFLをJSLと比較することになるが、サッカーの世界ではプロとアマは「ひと続き」である。昔の日本リーグ1部と比べるべきはJリーグの1部だろう。JFLは昔の関東リーグと比較しなければ公正でない。関東リーグと比べればJFLのレベルは高い。

★運営面では大きな進歩
 運営の面ではJFLは昔の日本リーグより明らかに上である。 
 武蔵野競技場の芝生はすばらしかった。日本リーグ当時は、はげちょろけの芝生か,土ほこりのグラウンドだった。1000円の入場料をとり、スタンドには2000人くらいの観客がいた。協賛スポンサーもたくさんついていた。立派なプログラムも売っていた。
 厳密にみれば、JFLの選手たちは純粋のアマチュアではないだろう。しかし。プロとアマの境目をはっきりさせないのが、サッカーの組織のいいところである。
 いいグラウンドが増え、いい運営ができるようになってきた。選手たちの技術も、むかしの地域チームにくらべれば、かなり上である。
 財政的にはまだ苦しいだろうが、日本のサッカーの将来は、このレベルのリーグの充実にかかっているのではないかと思った。

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サッカー日誌 / 2009年05月13日


浦和対川崎、ゴールは全部異文化育ち


J1第11節 浦和レッズ 2対3 川崎フロンターレ
(5月10日 埼玉スタジアム2002)

★連戦の疲労に暑さが加わる
 Jリーグ第11節第2日、快晴。ワイド版ゴールデンウイーク最後の日である。アジア・チャンピオン・リーグ(ACL)に出場している4チームがからむ4試合が行われた。4チームにとっては、この3週間余に7試合の強行日程の最後である。鹿島、ガンバ大阪、川崎は勝ち、名古屋は引き分けた。とくに鹿島は「地獄の23日間」を5勝2分けで乗りきった。オリベイラ監督のチーム管理と用兵の成功である。
 川崎フロンターレは、浦和レッズの2度のリードに追いつき逆転勝ちした。埼玉スタジアムは気温29.3度。連戦の疲労に暑さが加わった。
 後半に選手たちの疲れがどっとでたようだったが、先に足が止まったのは、ACLの試合がなかった浦和のほうだった。浦和は首位争いから1歩後退し、川崎は上位進出への足がかりをつかんだ。

★アシストも退場も異文化がらみ
 厳しい対決の中で双方合わせて5点を生んだのは、みな異国文化のなかで育った選手だった。浦和の1点目はエジミウソン、川崎の最初の同点はジュニーニョ、浦和の2点目は闘莉王、川崎の再同点はレナチーニョ。みなブラジル育ちである。
 後半31分の決勝点は鄭大世(チョン・テセ)。愛知県生まれの日本育ちだが、家庭内では母国朝鮮の文化のなかで育っただろう。
 アシストも浦和2点目の阿部以外は異文化育ちだった。川崎の2点目はPKだが、そのもとになったのはジュニーニョのドリブルに対する闘莉王の反則だった。
 この反則は、ペナルティ・エリアに入るか入らないかのぎりぎりの場所だった。これをきっかけに荒れ模様となった。後半44分に川崎のヴィトール・ジュニオールが主審に抗議して立て続けに警告を受けて退場になった。

★連戦を戦い抜くための要素
 タイムアップの笛が鳴ったあと、双方の選手が整列するときに、まず浦和の闘莉王が、続いてゴールキーパーの都筑が主審に文句を言った。繰り返し文句をつけた都筑に、西村雄一主審は、試合終了後ではあるが、イエローカードを出した。「やっと日本人が登場した」というところだが、見方によっては、都筑は闘莉王の「身代わり」である。
 人間、疲れ果てると「本性」が出る。体力が衰えたところで気力も衰えるのが日本文化育ち、闘争心むきだしになるのが異文化育ち、といったら「こじつけ」にすぎるだろうか?
 過密日程を戦い抜くために考えなければならない要素はいろいろある。選手層の厚さ、選手の体調管理、試合のスタイル、監督の用兵方針などなど……。
 そのなかに選手たちの育った文化の違いも含まれるのではないかと、浦和対川崎の試合を見て、ちらっと頭をかすめた。


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サッカー日誌 / 2009年05月10日


FC東京は、なぜ点がはいらないか?


J1第11節 FC東京 0対0 京都サンガ
(5月9日 味の素スタジアム)

★味スタに自転車の大群
 ゴールデンウイーク明け最初の土曜日、最長16日間の休みをとった人にとっては休暇終了前日の土曜日。3日続きの雨のあと富士が白く浮かびあがる快晴だった。
 ぼくの家のベランダから西へ遠く丹沢と富士が見える。その右に味の素スタジアムが見える。「眺望絶佳、通勤不便」だが、味の素スタジアムへは歩いて15分である。
 実は、味の素スタジアムの東入口まで15分なのだが、そこから構内に入って京王線飛田給駅側の正面入口までは、さらに歩いて15分かかる。実質歩いて30分である。
 Jリーグ序盤戦のころは東入口から構内を歩く道は桜満開だった。いまは新緑むせるがごとくである。その通路の片側が自転車置き場になっていて、立錐の余地がないと言っていいほど自転車がびっしりだった。
 FC東京の観客動員の努力を、この自転車の大群が示している。

★自転車観戦優遇策
 自転車置き場の端に受付があって自転車で来た人の「ポイントカード」に判を押している。ポイントが貯まると記念品でもくれるのだろう。つまり自転車で観戦に来るのを奨励するための作戦である。
 FC東京は、Jリーグ入りを目指しはじめたころから、当時建設中の東京スタジアム(味の素スタジアム)周辺の住民と提携するのに努力してきた。その結果が「自転車で応援に来る人たち」につながっている。車で来る人のために駐車場を用意することはできないが、自転車で来る人は駐輪場を用意して優遇しているわけである。
 「じゃ、なぜお前は自転車でなく歩いて行くんだ」と言われそうである。
 実は最初は自転車で行ったのである。でも、ぼくの家は、ちょっと高台にあって,行きは下りだからいいのだが、帰りは登りになって、この歳で自転車ではちょっと苦しい。

★七分の力でシュートせよ
 この日の観衆は18,221人だった。2万人台へもう一息である。しかし、試合は0対0の引き分けだった。自転車でやってきたFC東京のサポーターには不満な結果である。
 FC東京は多彩な攻めを展開して終始、優勢だった。でもゴールを割れない。  「京都の守備ががんばった」と言うこともできるが、シュートのほとんどがゴールの枠の外に飛ぶか、ゴールキーパーの正面にいくのである。
 半世紀以上前の話だが、当時、シュートの名人だった先輩の早川純生さん(湘南中、東大、日本鋼管)が「七分の力でシュートしろ」と言ったのを思い出した。こちらはボールに足を当てるのが精いっぱいで力を加減するどころではないのだが「うまい人のレベルはそうなんだ」と感心したものである。
 これがプロのFC東京に当てはまるかどうかは保証の限りではないが……。


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サッカー日誌 / 2009年05月10日


FC東京は、なぜ点がはいらないか?


J1第11節 FC東京 0対0 京都サンガ
(5月9日・味の素スタジアム)

★味スタに自転車の大群
 ゴールデンウイーク明け最初の土曜日、最長16日間の休みをとった人にとっては休暇終了前日の土曜日。3日続きの雨のあと富士が白く浮かびあがる快晴だった。
 ぼくの家のベランダから西へ遠く丹沢と富士が見える。その右に味の素スタジアムが見える。「眺望絶佳、通勤不便」だが、味の素スタジアムへは歩いて15分である。
 実は、味の素スタジアムの東入口まで15分なのだが、そこから構内に入って京王線飛田給駅側の正面入口までは、さらに歩いて15分かかる。実質歩いて30分である。
 Jリーグ序盤戦のころは東入口から構内を歩く道は桜満開だった。いまは新緑むせるがごとくである。その通路の片側が自転車置き場になっていて、立錐の余地がないと言っていいほど自転車がびっしりだった。
 FC東京の観客動員の努力を、この自転車の大群が示している。

★自転車観戦優遇策
 自転車置き場の端に受付があって自転車で来た人の「ポイントカード」に判を押している。ポイントが貯まると記念品でもくれるのだろう。つまり自転車で観戦に来るのを奨励するための作戦である。
 FC東京は、Jリーグ入りを目指しはじめたころから、当時建設中の東京スタジアム(味の素スタジアム)周辺の住民と提携するのに努力してきた。その結果が「自転車で応援に来る人たち」につながっている。車で来る人のために駐車場を用意することはできないが、自転車で来る人は駐輪場を用意して優遇しているわけである。
 「じゃ、なぜお前は自転車でなく歩いて行くんだ」と言われそうである。
 実は最初は自転車で行ったのである。でも、ぼくの家は、ちょっと高台にあって,行きは下りだからいいのだが、帰りは登りになって、この歳で自転車ではちょっと苦しい。

★七分の力でシュートせよ
 この日の観衆は18,221人だった。2万人台へもう一息である。しかし、試合は0対0の引き分けだった。自転車でやってきたFC東京のサポーターには不満な結果である。
 FC東京は多彩な攻めを展開して終始、優勢だった。でもゴールを割れない。  「京都の守備ががんばった」と言うこともできるが、シュートのほとんどがゴールの枠の外に飛ぶか、ゴールキーパーの正面にいくのである。
 半世紀以上前の話だが、当時、シュートの名人だった先輩の早川純生さん(湘南中、東大、日本鋼管)が「七分の力でシュートしろ」と言ったのを思い出した。こちらはボールに足を当てるのが精いっぱいで力を加減するどころではないのだが「うまい人のレベルはそうなんだ」と感心したものである。
 これがプロのFC東京に当てはまるかどうかは保証の限りではないが……。


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サッカー日誌 / 2009年05月07日


ヴェルディに土屋が復帰


J2第13節 東京ヴェルディ 2対1 横浜FC
(5月5日 味の素スタジアム)

★若手活用方針を修正
 「子どもの日」は、あいにくの雨だった。Jリーグはゴールデンウイークの連戦が終盤である。
 東京ヴェルディの守備ラインには、大ベテランの土屋征夫がリーグ戦10試合ぶりに復帰していた。第3節、3月22日の対富山で足を痛めて以来である。
 高木監督は開幕以来、若手を起用してする方針だった。守備ラインは第5節まで4人のうち3人が新人だった。17歳の高橋祥平と18歳の和田拓也はヴェルディのユース・チームからの登用、22歳の藤田優人は明大出の新入団である。
 新人3人の中に34歳の土屋が加わっていた。いささか大胆すぎる守備ラインの編成である。土屋が負傷したあとは26歳の富沢清太郎が埋めたが、高橋と藤田はずっと起用し続けた。この若手起用方針が、この日は修正された。

★安定したベテラン2人の守り
 4人の守備ラインの中央に初めて富沢と土屋が並んだ。つまりセンターバック2人はベテラン・コンビだった。両サイドは若手の藤田と高橋である。
 富沢は、土屋欠場のあとを埋めていたときは、右も左もケアしながら守っていた。若いプレーヤーは技術や労働量はあっても経験が足りない。動きが不安定だから、そのあとを一人でカバーしなければならなかった。
 しかし、この日は左隣の土屋がベテランだから、その点は安心できる。右側は藤田でJリーグでは新人でも大学では厳しい勝負の経験があり、Jリーグにもそろそろ慣れてきている。復帰の土屋にとっても同じようなことが言える。左隣の高橋が若さに任せて飛び出しても、内側をそれほど気にしないでカバーできる。
 前半、相手の横浜FCのシュートはわずか2本。ヴェルディは10本で2ゴールだった。

★チーム構成にもバランスが必要
 高木監督は後半5分に土屋を下げて岩倉と交代させた。
 試合後の高木監督の話では「土屋の足はほとんど完治している」という。後半早々に交代させたのは、長く試合に出ていないのでゲーム感覚が衰えている可能性を考慮してのことのようだ。
 土屋が退いてから、ヴェルディは横浜の反撃に押され続け、29分に1点を返されて薄氷を踏むような試合をした。後半のシュート数は横浜が9本、ヴェルディが5本だった。
 ベテランのほうがいいというつもりはない。
 相手次第ということもある。今季の横浜FCは戦力不足で低迷している。外人選手もいない。大型ストライカーもいない。ベテランのうまさで対応できる相手だったということもできる。
 とはいえ、チーム構成にも「老壮幼」のバランスが必要である。


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サッカー日誌 / 2009年05月06日


Jリーガーはクラブで後輩の相手を


読売クラブOB 座談会
(5月3日 東京都内)

★若手と動線が交わらない
 東京ヴェルディの前身である「読売サッカークラブ」のかつての名選手から話を聞く機会があった。小見幸隆、ジョージ与那城、ラモス瑠偉、都並敏史、松木安太郎のみなさんである。
 読売クラブが創立されてから現在のヴェルディまで40年になる。この機会に日本で初めての本格的クラブ組織のチームとして残した業績を記録しておこうと、忙しい中を集まってもらって座談会形式で思い出話をしてもらったのである。
 その中で「Jリーグができてから、トップチームとユースチームの動線が交わらなくなった」という話が出た。トップチームと若手以下が交わる機会が少なくなったというのである。クラブハウスの仕切りのために実際に動線(通り道)が交わらないということもあるようだが、気持ちの上での交流も少なくなってきたらしい。

★与那城やラモスの時代は
 ブラジルからジョージ与那城やラモスが読売クラブに来たころ、都並や松木はまだ小、中学生だった。しかしトップチームと少年チームが、今にくらべれば小屋といってもいい程度の質素な当時のクラブハウスから同じ通路でグラウンドに出て、仕切りフェンスのないフィールドで練習した。
 ジョージやラモスは自分たちの練習が終わるとユース以下の練習に加わった。若手は練習時間が終わっても居残って、さらにいっしょにボールを蹴った。
 おとなが子供を相手に遊んでやるといった程度の練習ではなかった。スター選手たちは本気で少年たちと勝負してドリブルやタックルをした。子どもたちは悔しがって「もう一丁」「もう一丁」とむしゃぶりつくように、おとなに挑戦した。
 その結果、高校生年代で一軍に上がり、さらに日本代表に選ばれるまでに成長した。

★思い上がりと過保護
 いろいろな世代がともに練習できるのは、3年あるいは4年で区切られる学校スポーツにはないクラブの良さである。ところが「地域にねざすクラブ」を掲げるJリーグができてから、逆にそのメリットがなくなったという。
 単にクラブハウスの構造の問題ではないようだ。
 毎週、毎週、生活をかけ、ビジネスとして勝負しているプロなのだから子どもたちの相手なんかできない、という考え方があるようだ。
 これは「プロは特別だ」という選手の思い上がりでもあり、勝たせるためにトップチームを守ろうとするクラブ側の「過保護」でもある。
 練習が終わると、さっさとクラブを去るJリーガーが多いのだろうか? 
 サッカーが好きだから居残って若手の相手をしてやる気持ちはないのだろうか?

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サッカー日誌 / 2009年05月04日


石川直宏のハット・トリック


FC東京 3対2 大宮アルディージャ
(5月2日 味の素スタジアム)

★ひらめきの「チャンス感覚」
 快晴、さわやかなゴールデン・ウイーク。味の素スタジアムで石川直宏のハット・トリックを見た。3点ともみごとな得点だった。
 1点目は開始4分である。後方右ハーフラインのかなり手前から徳永が長いボールを逆サイドのカポレに送り、カポレが相手と競り合いながらヘディングで内側に落し、赤嶺に渡した。そのとき石川が第2列から相手守備の間にすばやく走りこみ、赤嶺からのワンタッチ・パスを受けてシュートした。
 2点目は25分。右サイドから徳永―羽生とパスがつながったとき、やはり第2列から相手守備の間のスペースへ走りこんで抜けた。
 味方がチャンスを作ったとき、パスを出してもらえる場所を稲妻のように感じとって走り出る。ひらめくような「チャンス感覚」である。

★頭脳に技ありの3点目
 3点目は後半12分。左サイドで徳永のスローインを受けたとき、ボールに触らずに流してゴールのほうへ向き、そのままワンタッチでゴールキーパーの手先をかすめてゴール左上すみに決めた。相手の守りが詰めてこないことを読み取って選択した頭脳的で技巧的なゴールだった。
 プレーヤーをほめるとき、よく使われる言葉は「テクニック」「スピード」「運動量」である。しかし、それは能力が外に現れた形であって源泉は「頭脳」の内側にある。
 石川のハット・トリックを生んだもとは、最初の2点についていえば、相手の守りの隙間を見抜き、そこへパスを出してもらえるだろうと予測した判断力である。3点目についていえば、相手の守りの甘さを見抜き、意表をつくシュートを選択した判断力である。
 判断の能力は脳の内側に蓄積されていて、それが瞬時に引き出されるのである。

★クラブ育ちが伸びる
 脳の内側の能力が伸びるためには、ユース年代のころまでの環境が大きく影響すると、ぼくは考えている。
 石川直宏は、横須賀シーガルスで5歳のときからボールを扱い始めた。シーガルスは、まだ日本ではサッカーが盛んでなかった1970年代からサッカー少年団として活動していたクラブである。そのあと追浜のクラブに進み、横浜Fマリノス・ユースを経てJリーグに上がってきた。いわゆる「クラブ育ち」だ。
 旧来の体育会系学校スポーツで鍛えられるよりも、「クラブ育ち」のほうが頭脳の内側は伸びるのではないか。直宏の才能もクラブで伸びてきたのではないか。
 もっとも最近は、Jリーグのユース(高校生年代)に上がると、若い才能の伸びが止まるという説がある。直宏が「クラブ育ち」の最後の成功例でなければいいのだが、と思う。

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サッカー日誌 / 2009年05月01日


ヴェルディの足が「早く止まる」


J2 東京ヴェルディ 2対4 ロアッソ熊本
(4月29日 味の素スタジアム)

★2点リードを逆転される
 ゴールデンウィーク序盤のファミリー Join デイズに、東京ヴェルディが屈辱的な逆転負けを喫した。前半31分までに2対0とリードしながら、そのあと熊本に4点をとられたのである。高木監督は「サポーターに申し訳ない試合をしてしまった」と嘆いた。
 サッカーでは、いろいろなことが起きる。大逆転も珍しくはない。問題はなぜ、それが起きたかである。
 熊本は前半38分に1点差とし、後半5分、8分と立て続けに得点して逆転、20分に4点目を加えた。北野監督は「前半のような試合を続けていけば、相手の足が早く止まることはわかっていた」から後半に逆転できると信じていたという。ヴェルディの高木監督は「後半に足が止まった」と敗因を語った。つまりヴェルディのほうが体力的に劣っていたことを、双方が認めたわけである。

★熊本の「連戦対策」が成功?
 ヴェルディは中3日の試合だった。疲労が回復していないことは分かっている。しかし地元だ。熊本は中2日で、しかも九州からの遠征である。熊本のほうが条件は悪い。にもかかわらず、ヴェルディのほうが先に疲れたのはなぜだろうか?
 先発メンバーを見ると、ヴェルディは11人全部が4日前の試合と同じである。熊本は7人が3日前に先発していて残り4人のうち3人は交代出場もしていない。出場停止やケガやケガからの回復など、いろいろ内部事情もあるだろうから、いちがいには言えないにしても、熊本の「連戦対策」が当たったのかもしれない。
 このあと、ゴールデンウィーク期間中の連戦がさらに続く。ここで体力負けして差をつけられると、その後の取り返しは難しくなる。J2は試合数が多く、シーズン中断期間が少ないから、なおさら「連戦対策」が必要である。

★体力だけの問題ではない
 連戦対策でメンバーを変えるためには、ほぼ同じレベルの交代要員が必要である。つまり選手層が厚くなければならない。体力トレーナーの能力も関係がある。優秀なトレーナーを雇っているかどうかである。これはフロントの問題である。
 体力的に強ければいいというものでもない。運動量頼りのサッカーだけで連戦を乗り切るのは無理である。監督がどういうふうに戦い方を組み立てていくかが問われる。
 ヴェルディの試合ぶりが非常に悪かったわけではない。形勢は互角以上だった。大黒は2点にからんだあとも、何度も絶好のシュートチャンスに恵まれたが、ポストに当てたり、ゴールキーパーの攻守に阻まれたりした。体調が万全なら一つはゴールできただろう。
 メンタルな問題もある。2点目をあげたあと、あるいは後半がはじまって間もなくの時間帯にゆるみが出た。これもヴェルディの弱点かなとも思った。


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