サッカー日誌 / 2016年03月08日


『ベルリンの奇跡』再考(下)


戦争で失われた名選手

サッカー史研究会
(2月15日・JFAハウス会議室)

★竹内悌三の悲劇
 サッカー史研究会の2月例会では『ベルリンの奇跡』(東京新聞刊)の著者、竹之内響介さんを招いて、お話を聞いた。
 竹之内さんの本は、1936年ベルリン・オリンピックのサッカーをテーマにしたものである。
 竹内悌三選手と、そのお嬢さんの石井幹子(もとこ)さんがストーリーの軸になっている。
 竹内悌三は、ベルリン・オリンピック日本代表の守りの主力選手だった。
 その娘の石井幹子さんは、現在は世界的に活躍している照明デザイナーである。
 竹内選手は、ベルリン・オリンピックのあと、結婚して幹子さんをもうけた。
 しかし、その後、軍に召集され、満州(現在の中国東北部)で敗戦を迎え、ソ連(ロシア)軍に抑留され、シベリアで酷寒と重労働と飢餓のすえに死去した。幹子さんの成長を見届けることはできなかった。

★帰らぬ人となった4人
 戦争のため軍に駆り出されたスポーツ選手は多い。その多くが戦死している。
 ベルリン・オリンピックのサッカー代表選手では、16人のうち、竹内悌三を含め4人が「帰らぬ人」となった。
 最初の犠牲者は、ベルリンでは控え選手だった高橋豊二(東京帝大=現東大)である。開戦前の昭和15年(1940年)に、海軍航空隊で訓練中、事故で殉職した。
 松永行(文理大=現在の筑波大)は、昭和17年(1942年)の暮れに、南太平洋、ソロモン群島のガダルカナル島で米軍の砲撃の犠牲になる。
 右近徳太郎(慶応大)は、同じ南太平洋のブーゲンビル島で全滅した部隊の一員だった。
 圧倒的な戦力の米軍に取り囲まれ、ジャングルのなかで飢えと疾病に耐えていた部隊が、最後の突撃をしたのは、昭和19年(1944年)3月だったと伝えられている。

★平和への願い
 戦争がなければ、これらの俊英の名選手たちは、どんなにすばらしい青春をおくり、社会に役立つ仕事をしたことだろうか?
 竹之内さんの本は、そういうことを思わせる。
 「平和への願い」が、この本のテーマの一つである。
 イングランドで「ラグビーの聖地」とされているツィッケナム・スタジアムを取材したとき、「大戦(Great War)で亡くなったラガーメンのために」と記された二つの銘板を見た。
 2度にわたる大戦で、多くの英国のラグビー選手が犠牲になったのだろう。
 日本のサッカーでも、戦争で亡くなったサッカー選手の名簿を作り、各地のスタジアムに、追悼の銘盤を掲げることを考えて欲しい。
 日本代表選手だった戦死者については、サッカー・ミュージアムに、まとめて特別の掲額をしては、どうだろうか?


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