サッカー日誌 / 2011年08月26日


自己評価と外部評価の違い


「殿堂入り」の当惑(下)

サッカー殿堂掲額者発表
(8月9日 日本サッカー協会)

★人は死して「仕事」を残す
 人生のタイムアップが近付くと余計なことが頭に浮かぶ。
 自分のしてきたことは世の中の役に立ったのだろうか? それを人びとが認めてくれているだろうか? などなど……。
 「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」という。
 冷静に考えれば虎の残した皮は敷物として役に立つが、人が名を残しても世の役には立たない。それでも名を残したいと思うのが凡人の浅ましさである。スポーツ殿堂のようなものの役割の一つは、そういう凡人に対する「慰め」かもしれない。
 名を残すよりも「敷物」、ではない。「仕事」を残す方がいい。
 ところが、その「仕事」に対しても、本人が自負していることと、外から見ている人の評価は、かなり違う。そのことを知った。

★数字が評価されるのか?
 殿堂入りのお祝いをいただいたなかに「50年以上にわたって、サッカー記者の仕事を続けたことに敬意を表します」という言葉があった。
 「ありがとう」と謝意を表しながら、あまのじゃくな気持ちが起きた。「長いことやればいいというものではないよな」と。
 ただし、これは、長生きした結果であるので、長寿は自分でも喜んでいる。
 「ワールドカップを、11回も続けて取材したのは、たいしたものだ」というのもあった。
 11回連続の取材は、いまのところ日本記録だが、あとには10回連続の記者が続いている。早晩、破られる運命の記録である。
 本人は数字でなく、仕事の内容を見てもらいたいと思っているのだが、それは客観的評価にはなりにくいらしい。
 
★三つの自慢と言論の無力
 本人が自慢している仕事の内容は次の三つである。
 第一にアマチュアリズム批判。
 第二にクラブ組織導入の主張。
 第三にワールドカップ招致の提案。
 1970年代には、まったくの少数派だったこの三つの意見を、読売新聞やサッカーマガジンが取り上げてくれたことには心から感謝している。
 ただし、この三つの主張が現実となったのは、読売新聞やサッカーマガジンの記事によるものではない。1980年代に入ってオリンピックのアマチュアリズムが崩壊し、1986年に日本体育協会のアマチュア規程が撤廃されたからである。いわば「外圧」の結果である。
 というわけで、殿堂入りにあたって「言論の無力」を思っている。



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サッカー日誌 / 2011年08月25日


記者が表彰されていいのか?


「殿堂入り」の当惑(中)

サッカー殿堂掲額者発表
(8月9日 日本サッカー協会)

★ジャーナリストは勲章をもらわない
 6月ごろに日本サッカー殿堂の掲額者に選ばれるという内報をもらったとき、もっとも当惑したのは「ジャーナリストが勲章をもらっていいのか?」ということだった。
 「サッカー殿堂掲額」は勲章のような公的なものではない。勲章は政府が授与するものだが、サッカー殿堂はサッカー界の民間のものである。同列に論ずることはできないかもしれない。しかし、ちょっと引っかかる気持ちだった。
 若いころ「新聞記者は勲章をもらわないものだ」と教えられたことがある。新聞記者にとって政府当局は取材先であり、批判すべき対象である。取材先からの勲章が欲しくて、批判の矛先を鈍らせるようであっては、ジャーナリズムの存在意義が損なわれる。
 サッカー記者にとって、日本サッカー協会は取材先である。そこから表彰されていいのだろうか?

★単なるサッカー記者
 一方で「このとしになって、ごたごた言うことはない」という気持ちもあった。サッカー記者としては、すでに大谷四郎、岩谷俊夫、賀川浩の3先輩が殿堂入りしている。ぼくが偉そうに「取材先から勲章は貰わない」とカッコつけて辞退すれば「先輩たちはどうなんだ」ということになる。
 大谷、岩谷、賀川の3先輩は、サッカー記者として、すぐれた業績を残しているだけでなく、選手、指導者として日本のサッカーをリードしてきた方々である。そういう功績を総合的に評価すれば、殿堂入りは当然である。
 しかし、ぼくは名選手だったわけでもないし、有能な指導者だったわけでもない。単なるサッカー記者である。それが取材先から評価されて喜んでいるわけにはいかない。
 でも、ことを荒立てるのは本意ではないので、すなおに、お受けすることにした。

★批判の筆は鈍らせない
 そういうわけで、ぼくは「殿堂入り」の内定を知らされてから、正式に発表されるまでの間、「おめでとう」と言われたら、すなおに「ありがとう」とだけ答えようと心づもりをしてきた。うっかりすると、余計な「言いわけ」をして誤解を招きかねないからである。
 しかし、わがビバ!サッカーの仲間は、ぼくの裏も表も知っているので誤解される心配はないだろう。そう思って、ここに「言いわけ」を書いたしだいである。
 「殿堂入り」が公表されたあと、多くの方から「おめでとう」とお祝の言葉をいただいた。この場を借りて「ありがとう」とお答えする。
 なかには「権威を批判する筆先を鈍らせることのないように」という厳しい忠告もあった。
 肝に銘じて残りの人生を送りたい。




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サッカー日誌 / 2011年08月24日


中村覚之助を殿堂に


「殿堂入り」の当惑(上)

サッカー殿堂掲額者発表
(8月9日 日本サッカー協会)

★歴史に残すべき人を
 日本サッカー協会が、2011年度のサッカー殿堂掲額者3人を8月9日に発表した。そのなかに、ぼくの名前が入っていた。これには、いささかならず当惑した。
 事情はいろいろあるのだが、もっとも具合が悪かったのは、ぼくが他の人を殿堂入りさせようと運動していたことである。
 このページに書いたこともあるのだが、殿堂に掲額すべきだと思っていたのは、日本にサッカーを初めて本格的に導入した中村覚之助である。この人の功績を歴史に残そうと、ここ数年、いろいろ努力してきた。殿堂入りの有力候補になっているという情報を得ていたので期待していたのだが、先送りされたようだ。中村覚之助さんは、明治時代に亡くなった方だから天国で苦笑いされているだろうが、ぼくは赤面せざるを得ない。

★次年度にしっかり検討を
 サッカー殿堂は目立った活躍をしたプレーヤーを選んで歴史に名前を残すのが主な趣旨である。プレーヤーは原則として投票で選ばれることになっている。2011年度は、投票で選ばれた人は出なかった。
 そのほかに、ずっと以前のプレーヤーや競技以外の分野でサッカーに功労のあった人を特別表彰することになっている。
 中村覚之助は日本にサッカーを導入したひとだから、もちろん競技者として活躍した記録はない。しかし、日本で初めての本格的なサッカー指導書を作り、日本で初めての試合を企画し実行している。その業績は、あまり知られていなかったのだが、ここ数年の間に、新しい史料も発見されて、功績は明確になっている。こういう人こそ特別表彰に名を残すべきである。次年度以降に、しっかり検討してもらいたいと思う。

★都合の悪いことも検証を
 数字として残るものはなくても、後世に残した影響の大きい中村覚之助のような人の業績こそ、サッカー殿堂で記録すべきだろう。中村覚之助は明治時代の人だから、印刷物などに残っている記録は少ない。しかし、だからこそ、サッカーミュージアムに、その名を留めておくべきだと思う。
 ぼくのしてきた仕事は、読売新聞やサッカーマガジンに記事として残っている。
 個人としては、たいしたことはしていないが、その言説を歴史の流れの中で検証してもらえるのであれば、見当違いだった過去の記事も、本人が生きているうちに、どんどん暴露して批判してもらいたいと思う。
 本人は、都合の悪いことについては黙っているが、図書館で調べれば良いことも悪いことも白日のもとに明らかになる。






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サッカー日誌 / 2011年08月23日


「なでしこJAPAN」は本物だ


東日本震災救援チャリティマッチ
なでしこJAPAN 3対2 なでしこリーグ選抜
(8月19日 東京・国立競技場)

★思いのほかの「好試合」
 選抜チームのエキジビションは「いい試合」になりにくい。多くは即席編成だからチームがまとまっていない。親善試合だから、ケガ人が出るほど激しくやり合うわけにはいかない。スター選手のよさを引き出しながら、勝負としての面白さも演出しなければならない。
 しかし「なでしこJAPAN」と「なでしこリーグ選抜」の試合は思いのほかに「いい試合」になった。なでしこJAPANが女子ワールドカップの戦いを通じてチームとしてまとまっていたこと、「リーグ選抜」が対抗して特色のある試合をしようとしたことが原因だろう。
 両方の選手たちが心のこもったプレーをしたのもよかった。ワールドカップを応援してくれたサポーターへの感謝の気持ち、震災被災者への激励の気持ち、そして女子サッカーを盛んにしたいという気持ちが、まじめでフェアなプレーぶりにあふれていた。それが見ている人たちに、すなおに伝わった。

★「わざ」が「高さと速さ」を封じる
 なでしこJAPANは、前半15分、18分、23分と立て続けに3点をあげた。どのゴールも、みごとだった。宮間あやの1点目のパスと3点目のフリーキックの正確さ、2点目の丸山桂里奈のドリブルなどは、ドイツでのプレーぶりを思い出させるものだった。2万2049人の観衆は、かなり激しい雨の中をスタジアムに来たかいがあっただろう。
 リーグ選抜はトップに長身の2人を並べ、両サイドバックに陸上競技出身の選手を起用していた。しかし、なでしこJAPANに、いいようにパスを回されて、前半は、それを生かす余地がなかった。「わざ」が「高さと速さ」を封じ込めた展開だった。
 しかし、リーグ選抜が代表チームよりまさっている武器をいかして勝負しようとしたのはいい。ただし、失点のもとが、両サイドバックのぎこちない守りにあったことも、検討しておく必要がある。

★楽しみな若手の登場
 この種の試合では勝負の見所は前半だけである。後半は、ベンチにいたメンバーに出番を作るため次つぎに選手交代をするからチームとして「バラバラ」になりかねない。
 ただ、後半に出てきた新戦力の「品定め」はできる。
 後半から出てきたリーグ選抜の木龍七瀬はよかった。後半4分に中盤でボールを受けざま、マークをひらりとかわし、独走ドリブルして1点目をアシストした。わざも速さもある。21歳。ゴールを決めた菅澤優衣香は20歳。若いプレーヤーの登場は楽しみだ。
 「なでしこJAPAN」にとっては、9月1日から中国で始まるオリンピック・アジア予選に向けて再結集するための機会だった。この試合を見て「なでしこのレベルは本物だ」と思ったが、世界一になったあと国民栄誉賞だの、自治体の表彰だの、テレビ出演だので引っぱり回された影響が心配だ。これから、じっくり立て直してほしい。


試合後、横幕を持って場内を一周。




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サッカー日誌 / 2011年08月22日


再び東京五輪招致に反対する


「短期集中」の弊害を知ってほしい
(8月12日付 産経新聞朝刊「金曜討論」)

★具体的な弊害は?
 産経新聞が「金曜討論」という欄で毎週1度、特定のテーマについて賛成の人と反対の人にインタビューして、並べて掲載している。その欄で「東京オリンピック招致」が取り上げられ、ぼくが反対の立場でインタビューを受けた。賛成論は元東京都副知事の青山佾(やすし)さんである。
 2時間あまりにわたって話をした内容を要領よくまとめて、かなり大きな扱いで掲載された。扱いも適切だった。それでも紙面の制約が大きいから、話した当人から見れば不十分に思える。ぼくの反対論には「短期の開催は弊害大きい」と見出しがついていたが、具体的な弊害についての説明は省略されていた。
 事情に詳しくない一般の読者には「短期開催」とはなにか、どんな弊害があるのか、よく分からないだろう。そこで、少し補足しておくことにする。

★「集中開催」の無理
 オリンピックは「短期集中開催」である。これは、スポーツの大会として弊害の多い方式である。
 夏のオリンピックは原則として2週間で開催することになっている。ふつう開閉会式を含めて17日以内で開かれている。これが「短期開催」である。陸上競技だけ、水泳競技だけなら2週間以内で開催できる。しかし、サッカーやラグビーのようなスポーツは、試合と試合の間に2~3日の間隔をとるのが望ましいから、2週間ではいい競技会にはならない。そこで無理な日程を強行するか、参加チーム数を制限することになる。
 その2週間の間に、30前後のスポーツ(競技)、400前後のイベント(種目)が詰め込まれる。これが「集中開催」である。陸上競技にとって都合のいい季節が、卓球にとってもいいとは限らない。いろいろな性質のスポーツを同時期に集中開催するのは適当でない。

★1都市集中の弊害
 さらにオリンピックは原則として一つの都市内で開催することになっている。短期間に、多くの競技種目を、狭い地域に押し込んで開催する。そのために交通渋滞、宿泊難などの問題がますます大きくなる。「短期集中開催」の弊害である。
 東京オリンピック招致反対の理由は、ほかにもある。一つは、東京でオリンピックを開く大義名分がないことである。東京都は東北大震災からの「復興五輪」を掲げているが、「こじつけ」以外の何物でもない。もう一つは、日本のスポーツ全体にとっても、東京都民にとっても、弊害があって利益がないことである。
 詳しい説明は2009年3月に、このホームページに11回にわたって連載した「東京五輪招致に反対する」を読み返してほしい。東京都が2016年のオリンピック招致を試みたときに書いたものだが、現在にもそっくり当てはまる。


8月12日付、産経新聞紙面。




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サッカー日誌 / 2011年08月21日


関塚五輪チームに課題がいっぱい


国際親善試合
U-22日本 2対1 U-22エジプト
(8月10日 札幌ドーム)

★試合開始5分の失点
 札幌ドームの日本対韓国の前座で、午後4時からU-22の日本対エジプトの試合が行われた。U-22は来年、2012年のロンドン・オリンピックをめざすチームで、その最終予選が翌月に迫っている。その準備のための「強化試合」である。
 翌日の新聞では、2-1の逆転勝ちを評価して「大きな収穫のあった90分間」(読売)など「良かったところ」を取り上げた記事が多かった。
 しかし、ぼくの見たところでは、関塚隆監督のオリンピック・チームには「課題がいっぱい」だった。新聞記事が間違いだというつもりはない。でも、ここでは、評価のバランスを取る意味でも「悪かったところ」を取り上げておきたい。
 その第一は前半5分の失点である。試合の立ち上がり、相手の出方をみて慎重に戦わなければならない時間帯にゴールを許したのが、まず良くない。

★リーダーがいない
 この失点は日本の反則がもとだった。中盤の守りの位置にいた山本康裕が、競り合いで相手の背中を押した。その反則によるフリーキックから先取点を奪われた。
 五輪チームは、6月にアウェーで行われたクウェートとの試合でも、後半の立ち上がり5分にフリーキックから同点ゴールを奪われている。ファウルで守る安易なプレーが習い性となっている。反則の時間帯も、反則の種類もよくない。前の試合の失敗が繰り返されたのは、もっと良くない。
 U-22のディフェンダーに不安があることは、以前から指摘されていたことである。
 関塚監督は「リーダーがいない」と言う。これも以前から指摘されていたことである。
 日本は14分に山田直輝、30分に永井謙佑がゴール、前半のうちに逆転した。この2人の攻めは目立ったが、後半は無得点だった。

★相手は「ラマダン」の期間中
 山田は良く動き、巧みにボールをさばき、永井へいいパスを出した。関塚監督は試合後の記者会見で「これまでの中でいちばん機能した」と評価した。しかし今回、最初U-22代表に選ばれていなかった。原口元気がケガを理由に辞退したあとの補充で追加招集されたものである。機能する選手を最初、選ばなかったのは、どういうわけだろうか?
 相手のエジプトは、イスラム教の教えである「ラマダン」期間中のため、先発11人中8人が、午前2時から飲食をしていなかったという。キックオフまで14時間の断食では、全力を出せなかったはずである。ほかの3人もイスラム教徒だが「信仰は神と個人の関係だから、断食をするかしないかは個人による」という話だった。
 「ラマダン」の期間中にイスラム教の国のチームを招いた日本サッカー協会の強化方針も不可解だった。




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サッカー日誌 / 2011年08月20日


札幌の日韓戦とザック戦略


キリン チャレンジ カップ2011
日本 3対0 韓国
(8月10日 札幌ドーム)

★親善試合だが「歴史的勝利」
 札幌の日韓戦は、ぼくのような古い世代にとっては「歴史的勝利」だった。
 新聞社のスポーツ記者になって最初のサッカー取材が、1956年メルボルン・オリンピック予選の日韓戦だった。それから半世紀以上、数々の日韓戦を見てきたが、これほど、みごとな完勝は初めて見た。
 テクニック、アイデア、運動量、試合運び、チームワークなど、あらゆる面で日本が韓国を上回っていた。
 韓国は、朴智星(パク・チソン)が代表を退いたあとの新チームであり、また守備プレーヤーに負傷者が出るなど不利な事情があったようだ。しかし、そうではあっても、東アジアのライバル対決で日本が上回ったことを結果で示したことに意義がある。これから、日韓互角の新時代が始まる。

★才能を野に放つ
 日本のプレーヤーは、野に放たれた虎のように自由にフィールドを走り回っていた。それを見て、ザッケロー二監督は「才能を札幌ドームの芝に放ったんだ」と感じた。
 檻の中で飼われている虎は力を振り絞って獲物を倒そうとはしない。与えられた餌を食べるだけである。しかし、野に放たれた虎は、自由に走り回り、全力で獲物を捕らえる。
 すぐれたプレーヤーを集め、自分のやりたいサッカーの枠にはめようとする監督もいる。虎を檻の中で飼うようなものである。それが、うまくいかなくて、最後の土壇場で虎を放し飼いにして救われた監督もいる。
 ザッケローニ監督は逆に、まずプレーヤーに自由を与えて、その才能を存分に発揮するように仕向けたのではないか?
 ブルーのサムライたちは、自分たちのアイデアでゴールを狙い、3得点をあげた。

★代表監督の仕事 
 前半35分の1点目は、遠藤保仁からのパスをゴール前で李忠成がヒールでつなぎ、香川真司が決めたものだった。ヒールでつなぐ当意即妙のアイデアがすばらしい。
 後半8分の2点目は清武弘嗣がゴール前へ送ったボールを相手がはじき、こぼれ球を本田圭佑が決めた。清武の瞬時の判断によるプレーがチャンスを作った。その2分後にも清武の折り返しから香川が決めた。型にはまった攻めではなく、状況に応じた個人の判断の組み合わせがゴールを生んだ。ザッケローニに監督の思惑通りだろう。
 そのほかにもザック戦略の的中は見事だった。21歳の清武を交代起用して成功、後半30分過ぎから韓国の猛反撃にたじたじになったとき、細貝萌を送りこんで立て直した。
 チームとして型にはめるのではなく、才能を引き出して組み合わせる。それが代表チーム監督の仕事である。


札幌ドームに向かう観客。満員の38,263人だった。




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サッカー日誌 / 2011年08月19日


女子サッカー発展への課題


新潟サッカー取材記(6)
(8月7日 アルビレックス担当者取材)

★後援企業が1~2人ずつ雇用
 「新潟なでしこ」の祝勝パーティーが終わったあと、アルビレックス強化育成本部の女子担当、榎本恵子さんと神田勝夫本部長から取材した。
 チームの強化については「仕事との兼ね合いが問題です」ということだった。
 「レディーズ」のトップ登録プレーヤーは25人。そのうち新潟出身者は1人だけである。中小の地元企業に頼み込んで、県外出身者を1人か2人ずつ雇用してもらっている。経済低成長の時代だから、どの会社も余分な人間を抱え込むのは難しい。会社の仕事をさせながら練習や遠征の時間を作ってもらうことになる。
 パーティーの席で、後援企業の社長さんの一人が挨拶し「いま1人だけ引き受けていいますが、来年はもう1人、来ていただくことにしましょう」と約束した。これは「なでしこ効果」だろう。

★裾野への普及が急務
 会社勤めの選手のほかに、地元の新潟医療福祉大学の学生が7人いる。
 「アルビ新潟レディーズ」のユース(U-18)は32人を抱えている。JAPANサッカーカレッジの専門学校あるいは高等部(通信教育の高校生)の生徒である。いろいろな学校を経営している池田弘会長の創意工夫と努力、地域の中小の企業と自治体などの協力で「アルビレックス新潟」の女子チームが成り立っている。
 しかし新潟県全体としては、まだまだ課題が多いようだ。
 「新潟県内に女子の高校チームは5つありますが、中学は0です」ということだった。
 広い裾野の上に冨士山がそびえているのとは反対に、トップから、だんだん下細りになる逆三角形である。
 底辺の拡充、つまり普及の手を打つことが急務のようだ。

★小学生チームに女の子を
 「小学生年代では男女いっしょでいい」というのが、多くの人の意見である。「なでしこジャパン」のメンバーも、たいてい、小学生時代は男の子といっしょにやってきている。
 とりあえず、各市町で少年サッカーチームに女の子を加えるための施策を工夫してはどうかと考えた。
 たとえば週に1~2回、土曜、日曜に小・中学生を対象に「少女サッカースクール」を開設する。この年代で「勝つこと」を目標にすることはない。サッカーの楽しさを知ってもらうことが第一である。男の子のサッカーの普及も、1960年台に「少年サッカースクール」から始まったのである。
 スクールがチームに発展し、やがて町のリーグができる。そういう道筋を、サッカー協会がトップレベルの強化のほかに考えるべきではないだろうか?


「アルビレッジ」の人工芝フィールドと屋根つきのフットサルコート(向こう側)。
普及のために役立っている。




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サッカー日誌 / 2011年08月18日


普及のカギは指導者と拠点


新潟サッカー取材記(5)

(8月7日 女子サッカー担当者取材)

★JAPANサッカーカレッジ
 「新潟市ではグラウンド難は解消しつつある」という話だったが、これは新潟が越後平野のなかの中都市で平地を求めやすいためだろう。東京のような大都市や海と山に挟まれた多くの町では、そうはいかない。
 アルビレックス新潟のトレーニング・センター「アルビレッジ」を見学したあと、近くにある「JAPANサッカーカレッジ」を訪ねた。ここには少子化のために廃校になった中学校の施設を使って、サッカーを中心にした専門学校が開設されている。アルビレックスの下部組織でもある。元中学校だから体育館もプールもある。校庭が人工芝のサッカー場になっている。日曜日だったがユース・チームが練習をしていた。
 全国の市町村で、町に一つくらいずつ、学校の施設を活用したスポーツセンターを作るといいと思う。

★地方の小都市でクラブ作りを
JAPANサッカーカレッジのスタッフで新潟県サッカー協会女子委員長を務めている田邊友恵さんのお話を聞いた。
「女子サッカー普及のカギは指導者です」と田邊さんは言う。
 新潟県に女子チームは21あるが、ほとんど下越の新潟市に集中している。中越の長岡市、上越の上越市(直江津、高田)には1つか2つしかない。それも面倒を見ている指導者は、男子チームの指導や協会の仕事を抱えながらの片手間である。新潟市のアルビレックス新潟やJAPANサッカーカレッジのような拠点になる施設や組織が小都市にはない。
 いまの「なでしこ」たちが、やがて指導者になって各地の女子サッカー普及のために働いて欲しい ― と田辺さんは話した。そのとき、彼女たちの活動の拠点となる小都市のクラブ作りを今からしなくてはならないと思った。

★「なでしこ新潟」の祝勝会
 午後3時から市内で「なでしこ新潟」の祝勝会があった。ワールドカップ優勝メンバーのなかに「アルビレックス新潟レディース」のメンバーが2人いる。それで新潟のサッカー関係者を集めてお祝いのパーティーをしたのである。
 その席で、アルビレックスの池田弘会長と立ち話をした。
 「なでしこリーグがプロとして独立運営できるようにしてくれないと、女子チームにスポンサーを付けられない。(日本サッカー協会に)なんども提案しているんだが取り上げてもらえない」とJリーグのクラブが女子チームを持つ苦労を話していた。
 儲かっている企業が既成の選手を引き抜いて社員として雇用し、チームを強化している。そういう新興クラブの進出に不安を抱いているようだった。
 「なでしこリーグ」の在り方も考えてみる必要がある。


新潟のなでしこ祝勝会で。左端が池田会長。上尾野辺、阪口の両選手。




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サッカー日誌 / 2011年08月17日


グラウンド難は解消しつつある


新潟サッカー取材記(4)

アルビレッジ訪問(8月7日 新潟・聖籠町)

★地方都市の現状を知ろう
 新潟へは、女子サッカーに詳しい仲間と2人で出かけた。
 一緒に行った仲間は「なでしこ」について詳しい。そして日本の女子サッカーを、もっと発展させたいと考えている。そういう人に地方都市のサッカーの現状を見てもらって、日本の女子サッカーの未来のための参考にしてもらおう。それが、一緒に行った狙いの一つである。
 新潟は女子サッカーの普及では「まだまだ」だが、県のサッカー協会もアルビレックス新潟も、未来のために何をすべきかについては真剣に取り組んでいる。そこを見てもらいたいと思った。
 というわけで、なでしこリーグとJリーグのダブルヘッダーを見たあと、新潟駅前のホテルに1泊して、翌日、「新潟の女子サッカー」についての取材を試みた。

★まず「アルビレッジ」へ
 まず午前中にアルビレックス新潟のトレーニング・センターを見に行った。新潟市の郊外へ車で約30分、タクシー代が6000円あまり。北蒲原郡聖籠(せいろう)町にある。タクシーのドライバーさんの話では、市町村大合併のとき新潟市に入るはずだったのだが、町内に発電所があって財政的に豊かなので合併に応じなかったのだそうだ。
 もとはビール園だった広大な敷地にサッカーのトレーニング・センターができている。芝生のサッカー・フィールドが4面。人工芝のフィールドが2面。ほかに屋根の下にフットサルのコートがある。ビール園の施設だった建物がレストランになっている。アルビレックスのクラブハウスと一般使用者のための建物は別に作られている。Jリーグのクラブの施設として最高レベルだろう。
 「アルビレッジ」と名づけられている。

★各所に芝生のフィールド
 フィールドでは、男子チームの練習が始まるところだった。酷暑のなか、市内からはかなり遠いにもかかわらず、かなりの数のサポーターが練習を見に来ていた。選手たちは、サポーターの差し出す色紙や写真の快くサインをしていた。ヨーロッパのクラブで見る光景に似ている。
 女子チームは、この日は白根(しろね)という町のスポーツセンターで練習しているということだった。白根は新潟市に入っているが、これも郊外でかなり遠い。陸上競技のトラックの内側に芝生のフィールドがあり、そこをサッカーの練習に使っている。このほかに県のサッカー協会も市内に芝生のフィールドを持っている。
 「新潟市については、グラウンド難は解消しつつあります」という話だった。自動車が普及しているので、多少遠くても苦にしないのだろう。


アルビレッジで、練習前にサポータ―の求めに応じてサインをする選手たち。




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