ワールドカップ12大会取材のサッカージャーナリストのブログ
牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評
サッカー日誌 / 2016年07月30日
リオ五輪への日本代表(下)
目標は金メダルだ!
東京新聞フォーラム
(6月11日、サッカーミュージアム)
(6月25日付け。朝刊掲載)
日本サッカー協会
オーバーエージを加えると発表(6月14日)
男子代表18人を発表(7月1日)
★「目標」か? 「夢」か?
6月に行われた東京新聞フォーラムのテーマは、リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーだった。
日本オリンピック代表チームが狙うべき目標は?
その可能性は?
これが問題である。
これまでのオリンピックでの、日本のサッカーの最高の成績は、1968年メキシコ大会の銅メダルである。
次の目標は、それを上回ることでなければならない。
ということは、まずは、決勝進出が目標である。
決勝に進出すれば、すくなくとも「銀メダル」だ。
決勝戦では勝ちを狙うのが当然である。つまり目標は金メダルということになる。
いまの日本のオリンピック・チームにとって、金メダルは現実的な「目標」だろうか?
あるいは、遥かに望む「夢」だろうか?
★「個性」の決定力
ぼく(牛木)の考えは、こうである。
現在の日本のサッカーは、23歳未満のチームによるオリンピックでは、金メダルを狙えるレベルである。
日本の若い選手のボール扱いの正確さは、平均的には、欧米の若い選手に比べて、劣ってはいない。
チームプレーについての忠実さは、日本のプレーヤーは世界有数である。
これは、日本のサッカーの長所でもあり、欠点でもある。
というのは、チームプレーは重要ではあるが、型にはまると個人のアイデアを殺し、意外性のないサッカーになってしまうからである。
23歳未満の若いチームの試合では、チームプレーのすぐれたほうが勝つ可能性が高い。
しかし、「おとな」のチームの国際試合では、突出したスーパースターの個性が決定力を持つ。
★結果よりも未来を
というわけで、リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーの日本の目標は「金メダル」であり、その可能性はある。
シンポジウムでは、日本サッカー協会技術委員長の西野朗さんと元日本代表の城彰二さんがパネリストだった。
1996年のアトランタ・オリンピックで日本がブラジルに勝ったとき、西野さんは監督であり、城さんはエースだった。
2人とも、オリンピックとブラジルを知っている。
この2人の意見も「日本は金メダルを目標に戦うべきであり、その力はある」ということだった。
とはいえ、オリンピックのような大会では、優勝を争うレベルの力はあっても、1次リーグで優勝候補と同じ組に入って敗退することもある。
だから、オリンピックのサッカーでは、結果だけに目を奪われないで、将来の国際試合で通用する個性が活躍するかどうかを見たいと思う。
東京新聞フォーラム
(6月11日、サッカーミュージアム)
(6月25日付け。朝刊掲載)
日本サッカー協会
オーバーエージを加えると発表(6月14日)
男子代表18人を発表(7月1日)
★「目標」か? 「夢」か?
6月に行われた東京新聞フォーラムのテーマは、リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーだった。
日本オリンピック代表チームが狙うべき目標は?
その可能性は?
これが問題である。
これまでのオリンピックでの、日本のサッカーの最高の成績は、1968年メキシコ大会の銅メダルである。
次の目標は、それを上回ることでなければならない。
ということは、まずは、決勝進出が目標である。
決勝に進出すれば、すくなくとも「銀メダル」だ。
決勝戦では勝ちを狙うのが当然である。つまり目標は金メダルということになる。
いまの日本のオリンピック・チームにとって、金メダルは現実的な「目標」だろうか?
あるいは、遥かに望む「夢」だろうか?
★「個性」の決定力
ぼく(牛木)の考えは、こうである。
現在の日本のサッカーは、23歳未満のチームによるオリンピックでは、金メダルを狙えるレベルである。
日本の若い選手のボール扱いの正確さは、平均的には、欧米の若い選手に比べて、劣ってはいない。
チームプレーについての忠実さは、日本のプレーヤーは世界有数である。
これは、日本のサッカーの長所でもあり、欠点でもある。
というのは、チームプレーは重要ではあるが、型にはまると個人のアイデアを殺し、意外性のないサッカーになってしまうからである。
23歳未満の若いチームの試合では、チームプレーのすぐれたほうが勝つ可能性が高い。
しかし、「おとな」のチームの国際試合では、突出したスーパースターの個性が決定力を持つ。
★結果よりも未来を
というわけで、リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーの日本の目標は「金メダル」であり、その可能性はある。
シンポジウムでは、日本サッカー協会技術委員長の西野朗さんと元日本代表の城彰二さんがパネリストだった。
1996年のアトランタ・オリンピックで日本がブラジルに勝ったとき、西野さんは監督であり、城さんはエースだった。
2人とも、オリンピックとブラジルを知っている。
この2人の意見も「日本は金メダルを目標に戦うべきであり、その力はある」ということだった。
とはいえ、オリンピックのような大会では、優勝を争うレベルの力はあっても、1次リーグで優勝候補と同じ組に入って敗退することもある。
だから、オリンピックのサッカーでは、結果だけに目を奪われないで、将来の国際試合で通用する個性が活躍するかどうかを見たいと思う。
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サッカー日誌 / 2016年07月28日
リオ五輪への日本代表(中)
代表は単独チームではない
東京新聞フォーラム
(6月11日、サッカーミュージアム)
(6月25日付け。朝刊掲載)
日本サッカー協会
オーバーエージを加えると発表(6月14日)
男子代表18人を発表(7月1日)
★メダルを目標に
東京新聞フォーラムで、オリンピック代表チームの「オーバーエージ枠」についての議論をした。
オリンピック男子サッカーは、23歳未満(U-23)の代表チームによる戦いである。
ただし、24歳以上の選手を3人まで加えることができる。
この「オーバーエージ枠」を日本代表チームの手倉森誠監督は、フルに使って3人を加えた。
これが、いいことかどうか?
シンポジウムを行った時点では、五輪代表チームのメンバーは、まだ発表されていなかった。
ぼくは「オーバーエージ枠を使うべきだ」という意見を述べた。
オリンピックに出場する以上は、メダルを目指すべきである。勝つために最強のメンバーでチームを編成するのが当然である。
★チームとしての強化?
別の考えもあった。
一つは、こうである。
オリンピックの代表チームは、次のワールドカップ代表チームの中核である。その骨格を崩すべきではない。
23歳未満のオリンピック・チームの選手は、2年後には、年齢制限のないワールドカップ代表チームになる。
そのチームを、そのまま、まとめあげて強化すべきである。
オリンピックのためだけに、その場かぎりの補強をするのは、今後の強化のためにはマイナスになる。
そういう「考え」である。
この「考え」の基礎には「代表チームを、一つのチームとして強化する」という方針がある。
「個人よりもチーム」という「集団論」である。
オリンピックのために作り上げたチームワークを、そのまま伸ばそうという考えである。
★その都度、編成がいい
ぼくの考えは違う。
代表チームは、その時点で必要なプレーヤーを集めて編成すべきである。
メンバーを固定して、チームワーク重視でまとめ上げようという「考え」は、国際試合では通用しない。
メンバーを固定して「単独チーム」として強化しようとすれば、その後に台頭した新しい戦力を加え難い。
また、オリンピックとワールドカップでは相手が違う。
オリンピックのために、まとめあげたチームプレーが、ワールドカップでも通用するとは限らない。
代表チームは、その時点での状況に応じて、その都度、編成すべきである。
オリンピック出場は、将来のための強化の手段ではない。
「オーバーエージ枠」を使って、その時点での最強チームを編成すべきである。
東京新聞フォーラム
(6月11日、サッカーミュージアム)
(6月25日付け。朝刊掲載)
日本サッカー協会
オーバーエージを加えると発表(6月14日)
男子代表18人を発表(7月1日)
★メダルを目標に
東京新聞フォーラムで、オリンピック代表チームの「オーバーエージ枠」についての議論をした。
オリンピック男子サッカーは、23歳未満(U-23)の代表チームによる戦いである。
ただし、24歳以上の選手を3人まで加えることができる。
この「オーバーエージ枠」を日本代表チームの手倉森誠監督は、フルに使って3人を加えた。
これが、いいことかどうか?
シンポジウムを行った時点では、五輪代表チームのメンバーは、まだ発表されていなかった。
ぼくは「オーバーエージ枠を使うべきだ」という意見を述べた。
オリンピックに出場する以上は、メダルを目指すべきである。勝つために最強のメンバーでチームを編成するのが当然である。
★チームとしての強化?
別の考えもあった。
一つは、こうである。
オリンピックの代表チームは、次のワールドカップ代表チームの中核である。その骨格を崩すべきではない。
23歳未満のオリンピック・チームの選手は、2年後には、年齢制限のないワールドカップ代表チームになる。
そのチームを、そのまま、まとめあげて強化すべきである。
オリンピックのためだけに、その場かぎりの補強をするのは、今後の強化のためにはマイナスになる。
そういう「考え」である。
この「考え」の基礎には「代表チームを、一つのチームとして強化する」という方針がある。
「個人よりもチーム」という「集団論」である。
オリンピックのために作り上げたチームワークを、そのまま伸ばそうという考えである。
★その都度、編成がいい
ぼくの考えは違う。
代表チームは、その時点で必要なプレーヤーを集めて編成すべきである。
メンバーを固定して、チームワーク重視でまとめ上げようという「考え」は、国際試合では通用しない。
メンバーを固定して「単独チーム」として強化しようとすれば、その後に台頭した新しい戦力を加え難い。
また、オリンピックとワールドカップでは相手が違う。
オリンピックのために、まとめあげたチームプレーが、ワールドカップでも通用するとは限らない。
代表チームは、その時点での状況に応じて、その都度、編成すべきである。
オリンピック出場は、将来のための強化の手段ではない。
「オーバーエージ枠」を使って、その時点での最強チームを編成すべきである。
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サッカー日誌 / 2016年07月27日
リオ五輪への日本代表(上)
オーバーエージ枠の問題点
東京新聞フォーラム
(6月11日、サッカーミュージアム)
(6月25日付け。朝刊掲載)
日本サッカー協会
オーバーエージを加えると発表(6月14日)
男子代表18人を発表(7月1日)
★守りに2人、攻めに1人
リオデジャネイロ・オリンピック・サッカーの男子日本代表選手18人が、7月1日に発表された。
サッカーのオリンピック代表は23歳未満(U-23)である。ただし、24歳以上の選手を3人まで加えることができる。
この「オーバーエージ枠」を手倉森誠監督は、フルに使って3人を加えた。
守りの藤春広輝(27)(ガンバ大阪)と塩谷司(27)(広島)と攻めの興梠慎三(29)(浦和)である。
若いチームの弱点を補強するための3人である。
「オーバーエージ枠」を使うのがいいか、どうか?
これには、いろいろな考えがある。
ぼくは「枠を使って補強すべきだ」という考えである。
出場する以上は、ベストのメンバーでチームを編成して、勝ちに行くべきである。
★一般論として
リオ五輪代表が発表される前に、東京で東京新聞(中日新聞)主催のフォーラムがあり、リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーが取り上げられた。
ぼく(牛木)がコーディネーターを勤めたのだが、これが、いささか、やりにくかった。
というのは、シンポジウムの時点では、リオ五輪サッカー代表に「オーバーエージを加えるかどうか」は重要なテーマだった。
日本サッカー協会は、シンポジウムの3日後の6月14日に方針を決める予定になっていた。
このシンポジウムの記録が新聞に掲載されるのは、そのあとの6月25日付けだった。
協会の方針が決まったあとで「リオ五輪でオーバーエージを使うべきかどうか」の意見を、紙面に掲載しても意味はない。
しかし、リオ五輪を離れ、一般論として、ジュニア(U-23)のチームに、オーバーエージを加えるのがいいかどうかを議論することはできる。
★いくつかのポイント
そういう趣旨で、東京新聞フォーラムでも「オーバーエージ枠」の問題も取り上げた。
日本サッカー協会技術委員長の西野朗さんが、パネリストとして参加していたのだが、協会としては未発表の事項なので、立場上、明確な発言はしてもらえなかった。
それでも、いくつかのポイントが明らかになった。
一つは「オリンピックに出場する以上は、メダルを目指して、最強メンバーを編成すべきだ」という考えである。
これは、手倉森監督の立場であり、ぼくも、同じ意見である。
別の意見もある。
リオへのアジア予選を勝ち抜いてきたチームを崩すべきではない、という考えである。
あるいは、オリンピックは、将来のために若手が国際試合の経験を積む機会だから、若いチームで出場すべきだという意見である。
東京新聞フォーラム
(6月11日、サッカーミュージアム)
(6月25日付け。朝刊掲載)
日本サッカー協会
オーバーエージを加えると発表(6月14日)
男子代表18人を発表(7月1日)
★守りに2人、攻めに1人
リオデジャネイロ・オリンピック・サッカーの男子日本代表選手18人が、7月1日に発表された。
サッカーのオリンピック代表は23歳未満(U-23)である。ただし、24歳以上の選手を3人まで加えることができる。
この「オーバーエージ枠」を手倉森誠監督は、フルに使って3人を加えた。
守りの藤春広輝(27)(ガンバ大阪)と塩谷司(27)(広島)と攻めの興梠慎三(29)(浦和)である。
若いチームの弱点を補強するための3人である。
「オーバーエージ枠」を使うのがいいか、どうか?
これには、いろいろな考えがある。
ぼくは「枠を使って補強すべきだ」という考えである。
出場する以上は、ベストのメンバーでチームを編成して、勝ちに行くべきである。
★一般論として
リオ五輪代表が発表される前に、東京で東京新聞(中日新聞)主催のフォーラムがあり、リオデジャネイロ・オリンピックのサッカーが取り上げられた。
ぼく(牛木)がコーディネーターを勤めたのだが、これが、いささか、やりにくかった。
というのは、シンポジウムの時点では、リオ五輪サッカー代表に「オーバーエージを加えるかどうか」は重要なテーマだった。
日本サッカー協会は、シンポジウムの3日後の6月14日に方針を決める予定になっていた。
このシンポジウムの記録が新聞に掲載されるのは、そのあとの6月25日付けだった。
協会の方針が決まったあとで「リオ五輪でオーバーエージを使うべきかどうか」の意見を、紙面に掲載しても意味はない。
しかし、リオ五輪を離れ、一般論として、ジュニア(U-23)のチームに、オーバーエージを加えるのがいいかどうかを議論することはできる。
★いくつかのポイント
そういう趣旨で、東京新聞フォーラムでも「オーバーエージ枠」の問題も取り上げた。
日本サッカー協会技術委員長の西野朗さんが、パネリストとして参加していたのだが、協会としては未発表の事項なので、立場上、明確な発言はしてもらえなかった。
それでも、いくつかのポイントが明らかになった。
一つは「オリンピックに出場する以上は、メダルを目指して、最強メンバーを編成すべきだ」という考えである。
これは、手倉森監督の立場であり、ぼくも、同じ意見である。
別の意見もある。
リオへのアジア予選を勝ち抜いてきたチームを崩すべきではない、という考えである。
あるいは、オリンピックは、将来のために若手が国際試合の経験を積む機会だから、若いチームで出場すべきだという意見である。
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サッカー日誌 / 2016年07月10日
五輪誘致スキャンダル(下)
あえて電通を擁護する
「週刊新潮」5月26日号
「週刊ポスト」6月3日号
★広告エージェント
2020年のオリンピックの東京招致のために、招致委員会がシンガポールの正体不明の会社に2億円余を支払った。
結果的に招致できたのだから、政治的、道義的な問題を棚上げして、ビジネスとして考えれば「よかった」と言えるのかもしれない。
とはいえ、招致委員会は、シンガポールの「ブラック・タイディングス社」をどのようにして選び、大金を振り込んだのだろうか?
日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和委員長は「電通に問い合わせたところ、充分に実績がある会社だということだった」と語った。
この発言で広告エージェントの「電通」の名前がマスコミに登場した。
ぼくは、最初から「この問題の主役は電通だ」と推測していたので「やっぱり」という感想だった。
★週刊誌の特集
その後、週刊誌が、この問題と電通との問題を取り上げた。
「週刊ポスト」は「なぜ、テレビ・大新聞は電通と報じないのか?」というタイトルの特集を組んだ。テレビや新聞は電通に広告をとってもらっている。だから、電通批判を書けないのだ、という趣旨である。
「週刊新潮」は「怪しい電通」という見出しで、電通と国際スポーツ・イベントとの関係を特集した。
週刊誌の記事は、新聞の報道を引用しながら評論家などのコメントを紹介するという形である。独自の取材は、ほとんど含まれていない。
ぼく(牛木)は、新聞記者だったころに、この問題に直接かかわっている。
「ペレのサヨナラ・ゲーム・イン・ジャパン」や「トヨタカップ」は、ぼくがアイデアを提供し、電通などに協力してもらってやった仕事だった。
★商業的なスポーツ資金
というわけで、この問題を客観的に批評できる立ち場ではないのだが、当時の内情の一端を説明しておきたい。
そのころ、日本のスポーツ界は「アマチュアリズム」に支配されていた。
日本体育協会(体協)あるいは日本オリンピック委員会(JOC)加盟のスポーツ団体が、直接、商業的イベントに手を出して「お金集め」をすると批判される状況だった。
しかし、ほかの国では、スポーツ団体が商業的手段で資金集めをするのは、当たり前になっていた。
そういうなかで、電通は体協やJOCのために商業的手段によるスポーツ資金集めを担当した。
企業としての電通にとっては、それはビジネスだったが、日本のスポーツの国際化の一端を担った仕事でもあった。
電通の仕事は、日本のスポーツ発展の「陰の部分」を引き受けたのだと、ぼくは考えている。
「週刊新潮」5月26日号
「週刊ポスト」6月3日号
★広告エージェント
2020年のオリンピックの東京招致のために、招致委員会がシンガポールの正体不明の会社に2億円余を支払った。
結果的に招致できたのだから、政治的、道義的な問題を棚上げして、ビジネスとして考えれば「よかった」と言えるのかもしれない。
とはいえ、招致委員会は、シンガポールの「ブラック・タイディングス社」をどのようにして選び、大金を振り込んだのだろうか?
日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和委員長は「電通に問い合わせたところ、充分に実績がある会社だということだった」と語った。
この発言で広告エージェントの「電通」の名前がマスコミに登場した。
ぼくは、最初から「この問題の主役は電通だ」と推測していたので「やっぱり」という感想だった。
★週刊誌の特集
その後、週刊誌が、この問題と電通との問題を取り上げた。
「週刊ポスト」は「なぜ、テレビ・大新聞は電通と報じないのか?」というタイトルの特集を組んだ。テレビや新聞は電通に広告をとってもらっている。だから、電通批判を書けないのだ、という趣旨である。
「週刊新潮」は「怪しい電通」という見出しで、電通と国際スポーツ・イベントとの関係を特集した。
週刊誌の記事は、新聞の報道を引用しながら評論家などのコメントを紹介するという形である。独自の取材は、ほとんど含まれていない。
ぼく(牛木)は、新聞記者だったころに、この問題に直接かかわっている。
「ペレのサヨナラ・ゲーム・イン・ジャパン」や「トヨタカップ」は、ぼくがアイデアを提供し、電通などに協力してもらってやった仕事だった。
★商業的なスポーツ資金
というわけで、この問題を客観的に批評できる立ち場ではないのだが、当時の内情の一端を説明しておきたい。
そのころ、日本のスポーツ界は「アマチュアリズム」に支配されていた。
日本体育協会(体協)あるいは日本オリンピック委員会(JOC)加盟のスポーツ団体が、直接、商業的イベントに手を出して「お金集め」をすると批判される状況だった。
しかし、ほかの国では、スポーツ団体が商業的手段で資金集めをするのは、当たり前になっていた。
そういうなかで、電通は体協やJOCのために商業的手段によるスポーツ資金集めを担当した。
企業としての電通にとっては、それはビジネスだったが、日本のスポーツの国際化の一端を担った仕事でもあった。
電通の仕事は、日本のスポーツ発展の「陰の部分」を引き受けたのだと、ぼくは考えている。
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サッカー日誌 / 2016年07月09日
五輪誘致スキャンダル(上)
ビジネスの観点から
英ガーディアン紙報道
(5月11日付け)
★招致委が2億円余を振り込み
2020年のオリンピック開催地は東京である。
東京開催が決まったのは、2013年9月にアルゼンチン・ブエノスアイレスで行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会だった。
この決定の前後に、日本の招致委員会から、総額2億3000万円が、外国のある会社に振り込まれていた。
それが明るみに出てスキャンダルとして問題になった
IOC委員への賄賂(わいろ)に使われたのではないか?
送金先の会社に実態があるのか?
国民の税金も含まれている巨額のお金が、不当に使われたのではないか?
この事実を最初に報じたのは、英国の新聞「ガーディアン」だった。さらにフランスの検察が捜査中の事実を公表した。
日本のオリンピック関係者は当初は否定したが、送金した記録が残っているので、結局は認めざるを得なかった。
★手付け金と成功報酬
とりあえず、道徳や法律の問題を「棚上げ」して、ビジネスの観点から、この問題を考えてみたい。
招致委員会の目的は、2020年のオリンピックを東京に招致することだった。
そのために、シンガポールに事務所を置く「ブラック・タイディングス社」と契約して前金を振り込んだ。
東京開催が決まったあと、さらに残りの金額が「ブラック・タイディングス社」に振り込まれた。
招致委員会が、東京招致の目的を達成するために、エージェントに仕事を委託したのは理解できる。
専門的な仕事は、その道の専門の機関に委託するのは、現代のビジネスでは、ふつうである。
事前に支払ったのは「手付け金」である。
依頼した仕事が、うまくいったあと「成功報酬」を支払ったのも、ビジネスとしては、当然である。
★投資に見合わない
しかし、ビジネスの観点だけから考えても問題はある。
一つは、2億8000万円の経費が東京オリンピック招致の事業に見合うものかどうかである。
今回、問題になったのは、シンガポールのエージェントへの「支払い」だけだが、このほかにも巨額の「招致費用」が支出されている。推定総額10億円以上である。
2020年のオリンピック東京開催が、この投資に見合う利益をもたらすのだろうか?
10億円投資して、11億円以上の利益を生まなければ「ビジネス」とはいえないだろう。
前回のロンドン大会をはじめ、過去のオリンピックは、軒並み「赤字」である。
2020年のオリンピックが、招致費用を上回る利益を生み出す見通しは、まったくない。
オリンピック招致は、ビジネスとしては成り立たない。
英ガーディアン紙報道
(5月11日付け)
★招致委が2億円余を振り込み
2020年のオリンピック開催地は東京である。
東京開催が決まったのは、2013年9月にアルゼンチン・ブエノスアイレスで行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会だった。
この決定の前後に、日本の招致委員会から、総額2億3000万円が、外国のある会社に振り込まれていた。
それが明るみに出てスキャンダルとして問題になった
IOC委員への賄賂(わいろ)に使われたのではないか?
送金先の会社に実態があるのか?
国民の税金も含まれている巨額のお金が、不当に使われたのではないか?
この事実を最初に報じたのは、英国の新聞「ガーディアン」だった。さらにフランスの検察が捜査中の事実を公表した。
日本のオリンピック関係者は当初は否定したが、送金した記録が残っているので、結局は認めざるを得なかった。
★手付け金と成功報酬
とりあえず、道徳や法律の問題を「棚上げ」して、ビジネスの観点から、この問題を考えてみたい。
招致委員会の目的は、2020年のオリンピックを東京に招致することだった。
そのために、シンガポールに事務所を置く「ブラック・タイディングス社」と契約して前金を振り込んだ。
東京開催が決まったあと、さらに残りの金額が「ブラック・タイディングス社」に振り込まれた。
招致委員会が、東京招致の目的を達成するために、エージェントに仕事を委託したのは理解できる。
専門的な仕事は、その道の専門の機関に委託するのは、現代のビジネスでは、ふつうである。
事前に支払ったのは「手付け金」である。
依頼した仕事が、うまくいったあと「成功報酬」を支払ったのも、ビジネスとしては、当然である。
★投資に見合わない
しかし、ビジネスの観点だけから考えても問題はある。
一つは、2億8000万円の経費が東京オリンピック招致の事業に見合うものかどうかである。
今回、問題になったのは、シンガポールのエージェントへの「支払い」だけだが、このほかにも巨額の「招致費用」が支出されている。推定総額10億円以上である。
2020年のオリンピック東京開催が、この投資に見合う利益をもたらすのだろうか?
10億円投資して、11億円以上の利益を生まなければ「ビジネス」とはいえないだろう。
前回のロンドン大会をはじめ、過去のオリンピックは、軒並み「赤字」である。
2020年のオリンピックが、招致費用を上回る利益を生み出す見通しは、まったくない。
オリンピック招致は、ビジネスとしては成り立たない。
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サッカー日誌 / 2016年07月07日
「ベレーザの35年」記念誌(下)
チームの育成と強化
女子サッカーの歩みとともに
(ベレーザ創部35周年記念誌発行委員会)
★芝生のグラウンド
女子サッカーの「ベレーザ」の35年誌を編集していて、サッカーの育成と強化の「要件」を確認できた――という思いがした。
ベレーザは、1969年に設立された「読売サッカー・クラブ」の女子チームである。1981年にスタートした。
そして、たちまちのうちに、日本の女子サッカーのトップレベルになり、多くの日本代表選手を育てた。
「ベレーザ」の足跡を辿ってみて、この成功の「要件」は次の三つだと思った。
第一は、芝生のグラウンドである。
読売サッカークラブは、東京郊外の多摩丘陵の「よみうりランド」に4面の芝生の「読売サッカー場」を作ったことから始まった。
「芝生でサッカーをしたい」と、東京都内だけでなく、近県からも通ってきた女の子がいた。
★男子と一緒に
第二は、男子が練習に加わったことである。
読売サッカークラブが設立されたとき、女子のメンバーは想定されていなかった。
そのころは、女子サッカーは、まだほとんど行われていなかったからである。
しかし、芝生のグラウンドにあこがれて集った女の子によるグループができた。
男子のトップチームのプレーヤーたちは、自分たちの練習が終わると、女の子のグループの練習に加わった。
そのなかに、ブラジル出身の与那城やラモスもいた。
ずばぬけたテクニックを持つ男子選手といっしょに練習したことが、澤穂希、野田朱美、高倉麻子などを育てた。
そのころの日本のサッカーでは、学校の多くは、男女が別々である。
男女がいっしょに所属する「クラブ」の組織がよかった。
★クラブ内の育成組織
第三は、ユース年代(U-18)のチームとして「メニーナ」を作ったことである。
素質のあるプレーヤーが集まってきたので、中学・高校生年代のチームを別に、トップレベルの「ベレーザ」と分けて作った。
「メニーナ」は、全日本女子ユース大会に、2015年度までに7度優勝している。さらに中学生年代を対象とする「メニーナ・セリアス」を設けた。
年代に応じた育成組織が、クラブのなかにできた。
この組織は、学校単位の組織とは違う。
学校チームでは、小学校、中学校、高等学校と進学するたびにチームも、指導者も変わる。
クラブでは、指導者も指導理念も、つながっている。
グラウンドとクラブ組織が、チームとプレーヤーを育てる要件だと思う。

お求めは、東京ヴェルディオンラインショップまで。
女子サッカーの歩みとともに
(ベレーザ創部35周年記念誌発行委員会)
★芝生のグラウンド
女子サッカーの「ベレーザ」の35年誌を編集していて、サッカーの育成と強化の「要件」を確認できた――という思いがした。
ベレーザは、1969年に設立された「読売サッカー・クラブ」の女子チームである。1981年にスタートした。
そして、たちまちのうちに、日本の女子サッカーのトップレベルになり、多くの日本代表選手を育てた。
「ベレーザ」の足跡を辿ってみて、この成功の「要件」は次の三つだと思った。
第一は、芝生のグラウンドである。
読売サッカークラブは、東京郊外の多摩丘陵の「よみうりランド」に4面の芝生の「読売サッカー場」を作ったことから始まった。
「芝生でサッカーをしたい」と、東京都内だけでなく、近県からも通ってきた女の子がいた。
★男子と一緒に
第二は、男子が練習に加わったことである。
読売サッカークラブが設立されたとき、女子のメンバーは想定されていなかった。
そのころは、女子サッカーは、まだほとんど行われていなかったからである。
しかし、芝生のグラウンドにあこがれて集った女の子によるグループができた。
男子のトップチームのプレーヤーたちは、自分たちの練習が終わると、女の子のグループの練習に加わった。
そのなかに、ブラジル出身の与那城やラモスもいた。
ずばぬけたテクニックを持つ男子選手といっしょに練習したことが、澤穂希、野田朱美、高倉麻子などを育てた。
そのころの日本のサッカーでは、学校の多くは、男女が別々である。
男女がいっしょに所属する「クラブ」の組織がよかった。
★クラブ内の育成組織
第三は、ユース年代(U-18)のチームとして「メニーナ」を作ったことである。
素質のあるプレーヤーが集まってきたので、中学・高校生年代のチームを別に、トップレベルの「ベレーザ」と分けて作った。
「メニーナ」は、全日本女子ユース大会に、2015年度までに7度優勝している。さらに中学生年代を対象とする「メニーナ・セリアス」を設けた。
年代に応じた育成組織が、クラブのなかにできた。
この組織は、学校単位の組織とは違う。
学校チームでは、小学校、中学校、高等学校と進学するたびにチームも、指導者も変わる。
クラブでは、指導者も指導理念も、つながっている。
グラウンドとクラブ組織が、チームとプレーヤーを育てる要件だと思う。

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サッカー日誌 / 2016年07月04日
「ベレーザの35年」記念誌(中)
年度ごとの記録と要約
女子サッカーの歩みとともに
(ベレーザ創部35年記念誌発行委員会)
★1ページにコンパクトに
「ベレーザ35年史」には、ベレーザの試合記録が1981年度の第1回東京都女子リーグ2部から、毎年度1ページずつで掲載されている。
これは、ぼくが東大サッカー90年史を編集したときに使った形式である。その後「ヴェルディ40年史」でも、この形式を使った。
分りやすく、あとで参照するのに便利である。
しかし、このページをまとめるのは容易でない。
まず、各年度の試合の記録が、必ずしも保存されていない。
「ベレーザ」の場合、創設して最初に参加した東京都女子リーグの試合記録の一部が見つからなかった。
担当した編集委員の中村年秀さんが、サッカー・ミュージアムで、当時のプログラムや新聞や雑誌を丹念に検索したが、かんじんの公式記録は保存されていなかった。
やむをえず、断片的ではあっても、分ったものだけを掲載した。
★公式記録が残っていない
たとえば、選手名の「姓」だけが記録されていて「名」が分らないのがある。
女性は結婚して姓が変ることが多いから、当時の選手が現在の『誰』なのかを明示したいところだが、これを探索するのが、そう簡単ではない。
リーグ全体の成績は分っても、個々の試合記録が残っていないケースもある。
リーグの方式が変ったり「勝ち点」の方式が変ったりしたことを明記した書類が残っていないこともある。
当時の関係者にとっては、分かりきったことだったのだろうが、のちになっては、推測するしかない。
というわけで、いろいろなリーグや試合は、その時点の当事者が、きちんと記録し、後世に残るように手立てをしておくべきである。「試合を楽しめば、それでいい」というのでは「草サッカー」である。
★年度ごとの要約
「1年度1ページ」の方式では、その年度の出来事の要約を文章にして、そのページに掲載した。
これは、そう簡単な仕事ではない。
1ページに記録を収録した余白に、その年度の出来事を簡潔に、まとめなければならない。
いろいろな出来事があった年度もあれば、大きな出来事のなかった年度もある。
それを、同じようなスペースで、短い文章にまとめる。
これは、いい文章を書けるだけでは出来ない仕事である。
ポイントをしぼって短くまとめる。これは新聞記者の得意な分野である。
「ベレーザ35年史」では、この原稿を読売新聞編集委員の川島健司さんに書いてもらった。川島さんは、読売の元運動部長である。
大新聞の元部長に、こういう仕事をしてもらうことが出来たのは、同じ新聞社の先輩であるぼくが押し付けたからである。おかげで、いい記録ページになった。

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