ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




伊勢金酒店。荒川区南千住3-33。2019(平成19)年4月13日

明治通りの白鬚橋西詰を北に行くと「南千住地域安全センター前」交差点に出る。地域安全センターとは廃止になった交番のことで、「南千住三丁目東交番」が2007年4月に替わった。管理監督は南千住警察署が行うが、警察官OB・OGによる地域安全サポーターが勤務し、地理案内や防犯相談などを行っている(『ウィキペディア』)。
交差点の東北角が「伊勢金酒店」。出桁造りの店舗の1階をコンビニ風に改装している。
写真後ろの団地は「リバーフェイス」の2棟のマンション(2009年3月築、20階建303戸)。スーパー堤防と一体で建てられ、地下の床が元の地面になるらしい。
リバーフェイスになる前は「全農墨田川連合農業倉庫」があって、隅田川貨物駅からの引込み線が入っていた。『元鉄ちゃんのフォト☆ライブラリー>隅田川駅今昔』に、1989年に撮影した引き込み線の門と、倉庫の間をカーブして引かれていた線路を撮った写真が載っている。



矢口理髪店。南千住3-32。2019(平成19)年4月13日

伊勢金酒店の交差点の南東角は「三河屋」というそば屋だった家で、波トタン張りの古い家が残っている。その3軒南が写真の二軒長屋で、その左側が2013年までは「矢口理髪店(推定)」だった。

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豊田運送店の五軒長屋。荒川区南千住3-24。2019(平成31)年4月13日

旧東京ガス千住工場の敷地の東と北に沿った通りが交わる信号のある交差点がある。その交差点の北西角に古い五軒長屋が残っている。長屋の前の通りの街路樹が桜で、北の南千住地域安全センター前交差点までの間に7本が並んでいる。長屋の端の家には、看板に「豊田運送店」の文字がかろうじて読める。北側の端の家は、1986(昭和61)年の住宅地図に「八百坂」とあるから八百屋だったらしい。
五軒長屋の北に、以前は同じ規模の長屋が路地を介して直列で並んでいたが今は個々に建て直されている。2010年のストリートビューで、古い長屋のうちの2軒が見られる。



幸食堂の長屋。南千住3-24。2019(平成31)年4月13日

1枚目写真のところから北へ戸数で5・6軒先の場所。二階が引っ込んだ二軒長屋があるが、元はその造りで5・6軒長屋だったと思われる。二軒長屋の右の看板建築は、長屋を改装してのものかもしれない。1986(昭和61)年の住宅地図に二軒長屋(の左?)が「幸食堂」となっている。
写真の長屋の裏には古い長屋が3棟、平行に並んで残っている。1棟が十軒長屋位になりそうな細長いものだ。

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民家、長屋。荒川区南千住3-23、24。2019(平成31)年4月13日

旧東京ガス千住工場の北を東西に通っている通りにある古い木造家屋。昭和22年の航空写真に写っているので、戦前からある建物と思える。上右写真は四軒長屋のように見えるが、一軒一軒が改装されていてはっきりしない。
その四軒長屋の右(東)が下写真の二軒長屋。建物本体と道路の間が三角形になっているのを1階部分で埋めている。二軒長屋の右の、緑に塗ったトタン葺きの家は豊田運送店の五軒長屋の横側。
グーグルマップの航空写真を見ると、南千住3-23には、戦前からの長屋がまだ何棟も残っているように見える。



二軒長屋。南千住3-24。2019(平成31)年4月13日

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四軒長屋。荒川区南千住3-27。2019(平成31)年4月13日

明治通りの清川二丁目交差点から白髭橋の間の北側は広大な東京ガスの工場である。現在は「東京ガス千住工場」はなくなって、グーグルマップでは「千住水素ステーション」など、幾つかの東京ガス関連の事業所名になっているが、分かりやすく「東京ガス千住工場」の名称を使うことにする。その千住工場の敷地の北半分を囲む形で民間の住宅や工場が立ち並んでいる。古い長屋もわずかに残っていて、昔の航空写真を見ても戦災を免れた地区と思える。上の写真の長屋は東京ガス工場の西北、下は東北の、工場を囲む道路沿いで見つけた。
1枚目写真の長屋から左(北)へ3軒先に東京ガスの門がある。すぐ内側に平家の建物があって門に「東京ガスコミュニティルーム」の表札が架かっている。この門が、かつて隅田川貨物駅からの引込み線が工場内に入っていた場所だ。
都市ガスの原料は1970年頃までは主に石炭だった。また、隅田川駅は常磐炭鉱の石炭を受け入れるための場所だった。昭和38年の航空写真を見ると、工場敷地の半分が石炭置場のように見える。その積替えに山谷からの労働者が多く従事していたという話もある。


三軒長屋。南千住3-25。2019(平成31)年4月13日

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