誠屋洋服店。千代田区神田神保町1-32。1985(昭和60)年8月4日
白山通りの神保町交差点から少し北にあった商店。戦後間もない時期に建った建物だと思う。誠屋洋服店は古い航空写真で見ると、何軒かの家をまとめて看板建築風のファサードにしたものらしい。写真では左側が2軒の別の店(1986年の住宅地図では「エビヤ」と「たつや」)になっている。「牛丼三二〇えん」の幟はどちらの店なのだろう? 誠屋の右は中華の「来々軒」と「三共薬品」。三協薬品の右が横丁との角にある「山久ビル」で、「山久洋服店」が建てたビルと思われる。昭和30年頃の火保図には「KK誠屋洋服店、来々軒、山久S服ヤ」が載っている。
『 Site Y.M. 建築・都市徘徊>Tokyo Lost Architecture>誠屋洋服店』で、1996年に撮影した誠屋の写真を見ることができる。店は1990年頃に閉店したという。いつのことか分からないが、木造店舗は取り壊されて「トヨタレンカー」になっていた。現在は、2018年8月に「出版クラブビル」が建った。
誠屋洋服店をネット検索すると昭和30年代の「千代田区広報」に名前が出てくる。「千代田区商店コンクール」の結果の記事で、商店の部の優良賞を受賞している。当時の店主・古屋直成氏がそういうことに熱心だったらしく、毎年応募しては優良賞を獲得していた様子である。なにを見て決めていたのかというと、「都商店コンクール」(誠屋は千代田区の代表の1店)では「店舗の構成、商品の陳列状況、採光照明、サービス、経営上の特徴」となっていた。
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このブログが続いてる間にもどんどん昔ながらの建物がなくなっていくんですね。
古いので存続が厳しかったり諸事情あるのでしょうが少し寂しいですね。
最近はあまりのこの神田神保町界隈へ行く機会がないのですが、以前はよくいった思い出の場所です。
東京YMCAなんかは一度建て直した後、撤退後に再び違う建物が建ったり。
(英会話に通ってたことがありました)
私の地元もなんですが、日本は街並みが頻繁に変わっていってしまいますね。