ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




横浜市外電話局。神奈川県横浜市中区日本大通。1987(昭和62)年8月9日

現在は内部が改修されて2003年3月に都市発展記念館とユーラシア文化館が開設された。建物の名称は「旧横浜市外電話局」となったが、1987年の写真では垂れ幕からNTTがまだ使っているらしい。1991年発行の道路地図(日地出版)は「NTT情報案内センター」としてある。横浜市に移管されたのは2000(平成12)年らしいが、横浜情報文化センターはその2000年にオープンしているから実際はどうなのだろう。
逓信省の建築家、中山広吉の設計、安藤組の施工で1929(昭和4)年に「横浜中央電話局」として竣工した。建物の見所などは『横浜開港資料館>館報81号』や『近代建築@東京>横浜都市発展記念館』が参考になる。
同じ中山広吉の設計になる東京大手町にあった東京市外電話局と比べると古典様式風の外観はぐっと抑えられている。
NTT技術史料館>ノードの技術輸入にたよった最初の自動交換機』に「我国の自動交換機の歴史は1923年の関東大震災により壊滅的な交換機の被害を受けた京浜地区の復旧に採用されたことにはじまる……当時の主流であったステップバイステップ式による自動交換機の採用が決定され1926年1月、京橋電話局にA形(米国製)交換機が導入され、同年3月に、横浜の本局と長者町局の2局にH形(ドイツ製)交換機が導入された」とある。「本局」と「中央電話局」とは同じではないかと思うが、1929年に再開された中央電話局は当然、自動交換機が導入されたことだろう。



ビル裏側。1997(平成9)年6月2日

前面にあったビルが取り壊されていて横浜市外電話局の裏側の全部が見えている。現在は情報文化センターの高層ビルが左半分くらいを占めるが、右側は駐車場になって、ビルの右側のほうはこの写真のとおりに見ることができる。
このビルが建つ前は、森泰治の設計による横浜中央電話局がほぼ完成していた。それが1923年の関東大震災によって大被害をこうむる。このビルがかなり興味を引くもので、『分離派建築博物館>逓信省の建築』で知ることができる。また、瓦礫の中にまだ立っているビルの写真が『横浜古壁ウォッチング』でみることができる。道路の拡張の関係もあって造り直したのが現在のビルだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )