ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




カフェー・パウリスタ、いし川。中央区新富2-11。1986(昭和61)年5月

新大橋通りを正金アパートの角で西へ入ったすぐのところ。写真右の空地は家が2軒あった。住宅地図ではパウリスタの隣は「観堂」その右側は空白。昭和30年頃には「尚文堂印刷」だからそれだったかもしれない。
「昭和50年代写真帖」というサイトの「築地―p.5」に1978年撮影の写真が載っている。パウリスタは「コヒー・センター」の看板を上げているが、1階は和風の引き戸だから喫茶店には見えない。コーヒー豆を売っていたのだろうか。取り壊された2軒が写っている。


神林印刷
新富2-14
1985(昭和60)年頃

新大橋通りの裏側で、入船橋に近い。スクラッチタイル貼りの壁のようだが写真がぶれていてよく分からない。撮影後じきに取り壊されたようで、その後は見ていなくて取り直しもできなかった。

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扇屋洋品店。中央区新富1-7。1987(昭和62)年12月27日

平成通りの新富町郵便局交差点で、喜久屋ビル(全国石油会館、回効散ビル)のあった交差点の北側である。左奥へ行くと新富橋。丸新青果店などが写っている。扇屋は今も、建物もそのままで健在。
写真の家並みは新富橋から新大橋通りに出る新富1丁目と2丁目の境の通りで、新富町のメインストリートといっていい通りだ。写真からかつてのこの通りの街並みが想像できそうな気がする。



愛知屋本店、広田呉服店。1988(昭和63)年2月14日

愛知屋本店は元から菓子店だったようだ。前の通りを東へ行って新大橋通りへ出る手前に「愛知屋」というパン屋があるが(今はたばこ屋)、そこが支店だろうか? 現在、建物はそのままでカレーハウス・アイチヤに変わった。



広田呉服店。「叶屋」という屋号がタイルの壁にある。1985(昭和60)年4月14日

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ふじや。台東区北上野1-2。1991(平成3)年6月30日(3枚とも)

清洲橋通りの西の裏通り。千賀商店の少し東を北へ入ったところで、旧町名だと万年町2丁目になる。写真手前の4軒長屋の角が「ふじや」という店だか会社。写真右に「北上野一丁目町会々館」の看板が見えるが、この家はたぶんまだ残っている。




上:大尚工業。北上野1-3

1枚目の写真の裏通りから1本西のやはり裏通り。白く塗ったトタン貼りの4軒長屋の左側2軒が住宅地図では「大尚工業」。軒の線と電線が重なって変な具合だ。


左:越野電気商会

上の写真右の家が左写真の2軒長屋式店舗の左の店。現在は右側の家はないが越野電気商会のほうは残っている。

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一誠堂書店。千代田区神田神保町1-7。左:1986(昭和61)年9月23日、右:1985(昭和60)年4月

靖国通り沿いに5階建てのビルを構える有名な古書店だ。たまに店内を見ることはあるが、やはり研究者やよほど勉強が好きな学生でないと手が出ないという感じである。
建物は設計:東京都市建築研究所、施工:大林組、建築年:1931(昭和6)年。東京都市建築研究所とはなんだろう? モダン系のわりとあっさりした外観だがそこそこ装飾も付けていて見飽きない。この敷地で5階建てというのは当時では高層ではないだろうか。近所にあった冨山房ビルが4階、寿ビルがやはり4階だ。
一誠堂で修行した人が独立した古書店に、「東陽堂書店」「一心堂書店」「悠久堂諏訪書店」「山田書店」「小宮山書店」などがあるという。なかで反町茂雄という人がはずせないらしい。1927年に帝大法学部を卒業して一誠堂に入り、大活躍で支配人格になるも1932年に独立して「弘文荘」という目録販売の店を開業した。なにやら彼の働きでビルが建ったような感じがしなくもない。




上:あめりかまる
神田神保町1-7
1991(平成3)年9月1日

一誠堂書店の裏で、写真中央後ろが一誠堂のビル。


左:井上洋紙店
神田神保町1-5
1985(昭和58)年9月

靖国通りとすずらん通りの間の路地。突き当たりは右に少しずれるが四つ角で、あめりかやの角。

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光風館ビル、高岡商店。千代田区神田神保町1-15。1991(平成3)年9月1日

神保町すずらん通りにあった看板建築は現在ではだいぶ減ってしまったが写真左の2軒長屋形式の建物(光風館ビル)は健在で、1階の店舗(現在は小諸そば)以外は改装されていないので目立っている。
写真右の高岡商会は並べた本の背中を見せる建物のデザインが有名だった。背表紙の文字は右から「榮業種目/理科數學書/一般参考書出版/國定科書/書籍及雑誌」。高岡商会は紙の専門店のようだが、鉱石や生物の標本も扱っていたそうだ。昭和30年頃の地図では「高岡書店」という古書店なので、石を売っていても「まあいいか」という気分はする。場所柄、商売になりそうな気もする。三省堂書店で化石を売っているのを見たことがあるし。



1991(平成3)年(月日不明)

高岡商会のほうから広い範囲をおさめた写真で、右から、TPビル、ティーサロン・サブローザ(建物に「タナカ理髪」の文字がどうにか読める)、高岡商会、たつ屋(そば)、イワサン(スキー)、コバヤシ、キッチン南海、天下一ソロバン。


左:1985(昭和60)年2月24日、右:1987(昭和62)年11月8日

日があたっている2階部分が白く飛んでしまっているが、アーケードのあった頃の写真。2枚目の写真では緑色の日除けで隠れているコバヤシ(看板に「フルーツ」の文字が読める)のファザードが見えている。たつ屋はこの頃は牛丼屋だ。

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ミノワ薬局。荒川区東日暮里1-17。1989(平成1)年2月19日

当ブログ前回の「三和テント/東日暮里1」の1枚目の写真左の角の家の向かいにあった。住所は荒川区東日暮里、店の向かいは根岸5丁目。それでもここは感覚的には三ノ輪ということだ。住宅地図では同じ家の左側は「小松鍼灸院」だが、どちらも住宅になってしまっているように見える。戦後まもなくの建築だろう。
後ろの2棟の高層アパートは都営東日暮里1丁目アパート。1970年の竣工で302戸の団地だ。都電三ノ輪車庫の跡地に建てられた。団地の後ろは公園だが、古い航空写真を見るとそこに電車が10台以上も置かれている。廃車にした電車かもしれない。



明治通り裏の民家。東日暮里1-4。1989(平成1)年2月19日

明治通り沿いにある三ノ輪病院の裏。写真右のモルタル塗りの2軒長屋だかアパートが2棟並んでいて、その並びである。写真の家は現在も全て残っていて2階建ての民家には「ネイルサロン・ココ」という店が入っている。

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猪瀬塗装工芸社。荒川区東日暮里1-3。1989(平成1)年2月19日

三ノ輪の大関横丁に近い裏通りで「三ノ輪」といったほうがわかりやすいだろう。写真手前の道路が荒川区と台東区の境で、音無川の流路だった道。写真右へいくとすぐ明治通りに出る。写真右のビルは住宅地図で「モリタオル三の輪商品センター」で、現在はマンションに建て換わった。ビルの左の家が「猪瀬塗装工芸社」となっていて他は住宅らしい。現在は取り壊されて駐車場になっている。
角の家の上部の装飾が風変わりだ。装飾の一部が残ったようにも見える。



三和テント。東日暮里1-3。1989(平成1)年2月19日

写真の右奥に1枚目の写真の家が続く。写真左にいくとすぐ明治通りに出る。
現在もこの長屋は正面は改装したりしているが残っている。写真右端のいえが三和テントで、今でもその店名の日除けを出している。

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東京愛隣教会。台東区根岸5-15。2005(平成17)年7月23日(3枚とも)

金杉通りの、昔「金杉2丁目」電停があったとこから西北へ入ったところ。旧町名は下根岸町。
東京愛隣教会の創立は1949年で、日本基督教団の教会という。建物は病院かなにかに見えるが、社会福祉法人愛隣団(昭和27年5月設立)が運営する母子生活支援施設さくら荘にもなっているのだろうか。
「日本キリスト教女性史>岩内とみゑ」に『愛隣団は、カナダ・ミッション宣教師プライス, P. G. が大正9年(1920)3月金沢から上京後、小林弥太郎の寄贈してくれた根岸の土地と日暮里元金杉の工場跡に、愛隣団会館を設立したことから始まった。主事大井蝶五郎を督励し、スラム街での社会事業として無籍児、貧困児、軽費診療所などを開設した。』とある。写真の建物は昭和2年―歴史的建築総目録DB―(『日本近代建築総覧』では「T13?」)の建設というから、大正9年に建てた建物が関東大震災で倒壊した後に建て直したもの、ということになるのだろか。構造はRC3となっているので4階部分は増築なのかもしれないが、そんなふうには見えない。




建物の裏側は音無川の流路跡の道路(上写真の左側の道路)で荒川区(東日暮里1丁目)との境である。上写真左の2階建ての増築部にはテラスに滑り台があるから、ここが愛隣保育園の建物だろう。

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リトルマーメイド。千代田区神田駿河台2-3。左:1985(昭和60)年7月7日、右:同年7月21日

JR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口の向かいのかえで通りに入ってすぐのところ。3階建てのビルにLITTLE MERMAID(パン屋だろうか?)、FiAT(ピザ)、美容室SAISONが入っている。
このビルの裏は神田川の崖で、右の写真が御茶ノ水橋から撮ったその辺りである。住宅地図では、写真左端に外階段が写っているのが「お茶の水ビル」で、以下、「高木耳鼻咽喉科」「リトルマーメイド/カットセゾン」「東京医科歯科大学附属茖泉寮」「キッサアクシス」「船越ビル」「お茶の水美術専門学校」……。高木耳鼻咽喉科の表側がどんなだったのかは、なにも覚えていない。左の写真では3階建てのビルの右にあるはずだが道路に面しては建物が写っていないから、引っ込んだ位置に建物があって手前は車置場だったのだろうか。右写真の4階建てと8階建ての白いビルが現在もある「東京医科歯科大学駿河台臨床研究棟」だが、屋上の構造物がなくなっていて窓の配置も変わっている。


御茶の水キリストの教会
神田駿河台2-5
2007(平成19)年4月14日

このブログとしてはごく最近の写真である。2007年8月にビルの解体が始まり、現在は千代田区の障害者の施設も入るビルの建築中だ。教会のHP には解体の様子を細かく紹介しているが、旧建物のデータはない。塔屋がある以外は大学の校舎のようで、看板がないと教会には見えない。1959(昭和34)年の竣工という。
「御茶の水キリストの教会」という看板をみても御茶ノ水にあるキリスト教の教会か、と受け取る人が多いと思うが、「キリストの教会」という宗派の御茶ノ水支部のようだ。

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