ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




丸新青果店。中央区新富1-6。1990(平成2)年5月6日

当ブログ前回の佐藤理髪店の写真の右に写っている3軒。写真左のマンションは佐藤理髪店と宮堅医院の所に建った「ロイヤルプラザ新富町」。
3軒とも細かく見れば異なるファザードだが共通したデザインである。家主が同じなのかもしれない。角の柱をタイル張りに、モルタルの壁面に色をつけている。微妙な色なので写真では正確な色調は表現できていない。壁面の模様が3軒、それぞれが異なる。川島産業は壁面には模様は入れず柱などの枠で囲ったもの、森永牛乳販売店は横縞模様、丸新青果は市松模様だ。川島産業と丸新青果は昭和25年頃の地図にすでに載っている。



丸新青果店。1985(昭和60)年4月14日

丸新青果の横とその隣の「新光貨物新富倉庫」が写っている写真。半逆光で建物前面の露出が合っていないようで、この写真も色合いがおかしいし、壁面の模様もはっきりしない。
ここは戦前の地図では「新富演芸場」となっている一角である。「Web新富座」の第99回に、竹田組のことに関して『中央区の昔を語る 第8集-小舟町/新富-』の記事が紹介されている。それによると、『新富演芸場は竹田組の社長・竹田源治郎さんが奇術が大好きで演芸場をつくった』と元町内会長が発言されている。
新富演芸場が竹田組の持ち物だったとすると、写真の建物は竹田土地建物の家作という可能性もありそうだ。


川島産業
1987(昭和62)年5月3日

この建物が(たぶん川島産業という会社も)今も健在である。家の住民には男の子もいるようで、かわいいこいのぼりが出ている。そういえば、この頃には我が家にも同じような小さいこいのぼりをどこかからもらって、2階のベランダの隅に揚げておいた。

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コメント
 
 
 
Unknown (したまちっこ)
2007-11-18 19:09:08
 またまた、懐かしい写真を掲載していただきありがとうございます。
 私の生家はこの丸新青果の斜向いのしもた屋でした。流一様が写真を撮影され始めた頃には既にモルタルの味気ない外壁になっていましたが。
 丸新青果さんのところは、建物はわかりませんが、土地はご指摘のとおり竹田土地建物さんの所有だったようです。 
 丸新青果の牛乳屋さんとは反対側の2、3軒先にのしもた屋には元芸者さんの三味線の師匠がいて時々三味線の音が聞こえていました。向い側の奥まった建物は(今でも残っています)芸者置屋さんで、昭和40年代位までは人力車などが見られました。
 
 
 
>したまっちこ様 (流一)
2007-11-19 13:30:40
新富町が花街だったと知って以来、私も料亭や木造の民家をそういう目で見るようになりました。とは言っても外の人間が見ているだけではよく分からないこともあります。平成通りを都電が走っていた頃までは、松志満に人力車から降りて入っていく芸者さんが見られたのかもしれませんね。
 
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