ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




大隈講堂。新宿区戸塚町1-104。2004(平成16)年11月9日

『ウィキペディア』によると、「高田早苗総長からゴシック様式で演劇にも使える講堂をという要望を受け建築学科の佐藤功一、内藤多仲(構造学)、佐藤武夫(音響工学の先駆者)らが設計に当たった。戸田組(現・戸田建設)の施工により1926年2月に着工、1927年10月20日に竣工した。」「大講堂は3階建てで1123席、地下1階は301席の小講堂」「7階建の時計塔がシンボル」。外観は「チューダー・ゴシック様式」としているが、『国指定文化財等DB 』では「ロマネスク様式を基調としてゴシック様式を加味した我が国近代の折衷主義建築の優品」。佐藤功一の代表作ということでは文句のないところだ。
時代のなかの大隈講堂』には「講堂の設計は、佐藤功一をはじめとする理工学部建築学科のメンバーによって進められ、仕切り直しとなった(コンペが行われたが実施に移せる案がなかったことや、関東大震災で中断した)デザインは、当時助教授であった佐藤武夫が中心となり、数か月間で講堂全体の設計図や照明など各意匠の図面を書き上げた。その際、高田早苗から出された、「ゴシック様式であること」、「演劇にも使えるように」という意見も盛り込まれた。」とある。
佐藤総合計画>佐藤武夫ギャラリー』によると、佐藤武夫は1924年に早稲田大学理工学部建築学科卒業すると、佐藤功一の引きですぐ助教授になり、講堂の実質上の設計担当者として指名される。よほど優秀な学生だったのだろう。
構造設計の内藤多仲(たちゅう、1886-1970)は講堂建設当時は早稲田大学教授。戦後、名古屋テレビ塔や東京タワーなどの鉄塔を多数設計した人。



塔屋の下に地下の小講堂へ直接入れる入り口がある。右写真は小講堂のロビー。

以下に当ブログで取り上げた佐藤功一の設計とされる建物を書き並べた。いずれも現存しない。
第一勧業銀行宝くじ部 千代田区丸の内 1928年
冨山房 千代田区神田神保町 1932年
第二帝興ビル 中央区新富 1925年
大東京火災 中央区日本橋 1931年
丸の内野村ビル 千代田区大手町 1932年
山丸証券 中央区日本橋兜町 1923年?
桜正宗ビル 中央区日本橋 1927年





大隈講堂の北側は溝が掘られている。地下室の明り取りだろう。ここまで行く人はあまりいないようで、ネットでは写真を見かけなかった。

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