![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/e7/136d9deabd13bbd593f42e19fd6fc644.jpg)
旅館上海楼。文京区根津1-20。2002(平成14)年4月28日
根津神社の南に根津小学校があるが、上海楼はその中間にあった。根津教会のすぐ近くだ。2005年初頭に取り壊されて、現在は「ハピネ文京根津」というマンションに変わった。まだキャッシュに残っていたホテル旅館の情報サイトに「宿泊料:9,500~11,000円、24室」とあった。
上海楼という名前は遊郭を連想させる。根津遊郭は根津権現の造営とともに自然発生的に産まれたようだが、正式に幕府の許可を取って再興されたのが1868(慶応4)年。明治初期には大繁盛したという。深川の洲崎に移転させられたのは1888(明治21)年6月である。「上海」が日本で一般的になるのは昭和になってからだと思う。
種村季弘著『江戸東京《奇想》徘徊記』に「(上海楼は)往年は東京で一、二を争う中華料理の宴会場で、文士の出入りもしきり」 (ブログ「本読みの快楽」/2005.02.11) と書かれているという。「往年」は戦前のことのように受け取れる。
古い航空写真で、昭和38年の写真に写っている建物だろう。昭和22年の写真とは異なり、外観からも昭和30年頃の建築に見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/0e/d401fc06608f6fd0d2886fe51e7953c4.jpg)
弥生アパート。文京区根津1-19。1989(平成1)年2月26日
1枚目の上海楼の写真で左の道の向かい側である。写真右奥のビルが根津小学校。
昭和30年頃に建てられたアパートに見える。建物中央にわりと立派な玄関があり、建物の縦軸に廊下が通っているのだろう。このアパートは見た目よりも古くて、昭和22年の航空写真に写っている。
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上海楼を検索していてこちらに参りました。
上海楼がなくなっていたと知り、ちょっと寂しい気持ちになりました。
わたしは京都在住なのですが、大学時代に所属していたクラブの競技会が東京で年一回あり、そのときに宿舎にしていたのがこの旅館だったのです。
名前と言い、中の間取りと言い、ちょっと変わっていたので強く印象に残っており、懐かしさもあって、卒業してからも2度ほど泊まってみたこともあります。
最後に泊まったのはたしか2003年ぐらいでしたが、1泊朝食付きで7000円だったと記憶しています。かなりリーズナブルなお宿と言えました(笑)。
また近々、久しぶりに泊まってみようかなと思っていたところだっただけに残念ではありますが、こちらで写真を拝見できてうれしく思いました。
懐かしいです・・・。
上海楼は中華料理の料亭だったようです。普通の旅館とは少し違う印象だったのはそのせいかと思いますが、どうでしょうか?
ビジネスホテルやシティホテルでは味気ないという気持ちはよく分かります。なじみの和風旅館があれば、何年か振りでも泊まれば帰ってきたような懐かしさと安心感があるのではないでしょうか。また、そんな旅館を探さなければならないようですね。
外からみただけでしかありませんが、ピンクになる前から知っていました。「上海楼」という名が、なんとも戦前っぽく、遠い昔の文京区を思い起こさせる物だったのに、残念です。写真懐かしく拝見しました。どうもありがとうごさいましが。
屋号は中華料理の料亭だったからついたようですが、吉原あたりなら「上海楼」という遊郭があったとしてもおかしくないような気がしますね。いずれ取り壊しになるだろうと、勘を働かせて(働かすまでもありませんが)もう2・3枚写真を撮っておくのでした。
弥生アパートは大叔父夫婦が住んでいたアパートです
私が7~10歳前後でしたから昭和45~48年頃でしょうか
年に1、2回遊びに行きました
二人がいつからここにすんでいたのかはわかりません
写真よりも古びていた印象がありますが玄関部分を覚えていました
大叔父夫婦はその当時70代だったかと思います
大叔父は体がやや不自由となっていました
ちょっと訳ありだったらしく正式な夫婦ではなかったようで、それでこの小さなアパートに住んでいたのでしょう
私の父が少年時代に実の親より世話になったらしく恩義に感じていて、定期的にご機嫌伺いと見舞いをかねて娘を連れて訪問していたのだとも思います
玄関から脱いだ靴をもってよく磨かれた廊下と階段を上がり部屋の前に新聞紙を広げてそこに靴をおいて部屋に入った記憶が有ります
トイレも浴室も共同でしたが掃除が行き届いていて清潔でした
部屋にはガスコンロが一つあっただけだったかもしれません
狭い部屋でしたがいつもおいしいおでんでもてなしてくれました
小遣いをもらって妹と根津神社へ駆けていった道もおぼろげに覚えています
先日たまたま根津神社に立ち寄った際アパートのあった場所を探したのですがわからずに帰ってきました
それで何気なく根津 弥生アパートで検索してこのページにたどり着きました
大叔父も父もとうに亡くなってしまいましたが懐かしさに胸が熱くなりました
ありがとうございます
2・30年前だとこのようなアパートは普通に見かけるもので、私も1枚しか写真に撮っていません。玄関を正面から撮っておけばよかった。しのさんが子供の頃見て、もっと古びたものに感じたのなら昭和22年の航空写真に写っている建物が残っていたということなのでしょうね。
幸い1通だけ大叔父の連れ合いからのものが残っていて
住所とアパート名がわかりました。
でもこのアパートが平成にはいってもまだ存在していたことに驚きました
本当に貴重な写真です
また近いうちに根津に行ってみます
神社前のS坂も昔から知っていたのですが何やら有名な坂なんですね
すみません 間違えました
岩崎弥之助、月岡芳年、大松楼についてはなにも知らなかったのですが、少し調べてみて、そのつながりが分かってきたような、さっぱり分からないような具合です。
20年前に廃業してこのマンションにしたが、40年間経営されて修学旅行の生徒や一般客の方も利用されていたとのこと。
近所の同級生の方が81歳との言われていましたから同い年くらいでょう。毎日小さな犬と散歩をされています。根津教会の近くですから朝にはお会いできるかもしれません。
15年程前、九州から東大前のマンションに引っ越し、根津神社周辺は散歩コースです。
つい最近ですが、昭和55年九州からの修学旅行でこちらの旅館(上海楼)に宿泊した事が最近自宅の保管資料から判明しました。
はっきりとは覚えていませんが、旅館内部の中央に大きな空間があって、上階に仕切りの無い畳敷の大部屋が東西南北に広がり、窓辺に緊急避難用の極太のロープがあったと記憶しています。現在はマンションが建っていますが、ここを歩く度に宿泊中に騒いで先生に叱られた事を思い出します。