ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




第二帝興ビル。中央区新富1-12。1985(昭和60)年11月10日

現在の平成通りはかつての電車通りで、桜川に桜橋が架かっていた。桜川というのは江戸期の八丁堀のことで、楓川と合流するところから西は京橋川となるらしい。勿論、川も橋もとっくの昔になくなっている。現在は桜橋というと隅田川の歩道橋のほうが有名だが、平成通りと鍛冶橋通りの交差点は桜橋交差点で、そこに都電の桜橋停留所があった。そのせいか、バス停は「桜橋」だ。今でもタクシーで「京橋の桜橋」が通用するだろうか?
第二帝興ビルは平成通りから少し横に入るが、桜橋のたもとといっていい場所にあった。1925(大正15)年竣工、設計は佐藤功一、施工は清水組である。2002年に解体されて、現在はTDB新富ビルに変わった。
このビルには竣工時からだと思うが、帝国興信所という会社が入っていた。現在の帝国データバンクである。「Web新富座」の第82-84回で帝国データバンクを取り上げている。『情報の世紀 帝国データバンク創業100年史』(2000年6月刊)を基に、会社の沿革や、結婚調査のことなどがおもしろくまとめられている。
山本周五郎が大正15年、この「帝国興信所ビル」にあった「日本魂社」に入社して『日本魂』の記者になった、という記述が『人と文学シリーズ 山本周五郎』(昭和55年、学習研究社刊)に出てくる。ビルの写真も載っていて、それを見るとビルの西側の壁に「帝國興信所/全世界調査機関」の文字を取り付けている。山本周五郎は新築なったこのビルに出入りしていたのだろうか。



第二帝興ビル。1986(昭和61)年9月7日

写真手前はビルが取り壊された跡だが、震災前は桜川に面した南桜河岸といった河岸地。勤労福祉会館の駐車場から撮ったもの。勤労福祉会館は解体されているが、跡地はどうするつもりなのだろう?
スクラッチタイルの壁面に1階の連続アーチというクラシックな外観を白く塗りつぶしている。古いビルが見直されてきたせいか、解体前にはタイルの壁面が濃い茶色に塗りなおされていた。
1・2枚目の写真は建物上部や右側が写っていない。もっといい写真を載せているサイトを紹介しておく。
Site Y.M.建築・都市徘徊>失われた近代建築in Tokyo
廃景録>消えた近代建築


第二帝興ビルの裏側
1988(昭和63)年2月14日

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 明正小学校/... 中之橋、松下... »
 
コメント
 
 
 
塗り替え (asabata)
2007-11-09 21:53:42
ご無沙汰しております。
80年代頃までは白っぽい建物だったのですね。
私が初めて見たときは既に茶色に塗られていたので、
てっきり昔からそうだったのかと思っていました。
あと、正面からファサードを撮った写真も初めて見ました。
貴重な写真を拝見することができて有り難いです。
これからも楽しみにしてます。
 
 
 
>asabata様 (流一)
2007-11-10 19:21:02
広くない道路に面している建物を正面から撮影できる機会を捉えながら、肝心の入口を写していないのでは話になりません。当時はネットで人に見てもらえるとは思いもよらず、写真のできもほとんど気にならなかったのです。
私はまず行かないと思いますが、新宿区本塩町にある「帝国データバンク資料館」に第二帝興ビルを3DのCGで見られる展示があるようです。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。