ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



山丸証券。日本橋兜町3。左:1985(昭和60)4月14日、右:1986(昭和61)年12月30日

ファサードを三層に分けたデザインは大手町の旧野村ビル(佐藤功一設計)によく似ている。
写真左にかつての楓川の上に造られた首都高が写っている。山丸証券の左に海運橋が架かっていた。首都高建設で1962年に撤去された橋は昭和2年6月竣工の鉄橋だった。海運橋というと、建築史では明治6年に「第一国立銀行」が建ったところとして有名だ。山丸証券の右向かいにあるみずほ銀行(旧第一勧業銀行)の外壁に「銀行の発祥の地」の銘板がはめ込まれている。「国立銀行」というから日本銀行のようなものかと思ってしまうが、普通の民間の銀行だという。第一銀行は1971年に日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行になる。

『日本近代建築総覧』によると「建築年:T12?、設計:佐藤功一、施工:清水組」(2008.05.10追記)



伊藤銀証券。日本橋兜町3。1985(昭和60)年9月8日

伊藤銀証券から奥へ金万証券、郵船兜町ビルと戦前建築のビルが並ぶ。写真右端は工事のための塀で東京証券取引所のもの。
前面の柱は一応イオニア式のオーダーをかたどったもので、古典様式のビルだ。


エース証券
1992(平成4)年3月8日

看板がエース証券に変わっている。エース証券の「沿革」によると、大正3年12月に伊藤銀蔵が大阪で創業、東京支店の開設は昭和56年12月、平成元年4月に「エース証券」に改名した。昭和20年代の地図では「野村証券」になっている。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )



« 郵船兜町ビル... 台東区―上野・... »
 
コメント
 
 
 
ポスト1 (kzs)
2008-06-21 01:03:53
日本橋地区の写真を見ると、他の地区では余り写っていないもので、私の興味を引くものが3つあります。その一つが、ポスト。山丸証券の前にポツンとポストが立っているのはなぜでしょうか。山丸証券にポストと関係のある何かがある(又は、あった)のでしょうか。こういうふうにして、小さな歴史が溯れます。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。