
万世橋交番。千代田区神田須田町1。1983(昭和58)年8月
万世橋の袂にあった交番の遺構。写真を見ると中央線のガードの下に半分押し込まれている。写真右の煉瓦の壁は万世橋駅の遺構で、駅の開業は1912(明治45)年4月1日。辰野金吾が設計した東京駅に似た立派な駅舎だった。『 西平の神田探偵団> 万世橋レンガ交番の旅(須田町派出所の行方)』というサイトに万世橋駅の正面を捉えた絵葉書を載せていて、そこにこの交番が写っている。万世橋駅と同時に建てられた交番だろうという。鉄道博物館(1936年)の建設にともなって脇にどかされたらしい。昭和30年頃までは交番として使用されていたという。
小金井公園に江戸東京たてもの園が開園したのは1993(平成5)年3月28日。万世橋交番はそれに展示できるように、1992年末、同園に移設された。前記サイトには「冷たい雨の中、そのままの姿で徹夜作業でそっくり大型トレーラーに積み込まれ」とある。

1987(昭和62)年2月1日
万世橋の北のたもとには、もうひとつの遺構、都電の架線柱があったことをブログ『 東京DOWNTOWN STREET 1980’s > 豊島区~トロリーバスの遺構?』でkenmatsu氏が報告している。この貴重な鉄柱はゴミとして処分されたらしい。たてもの園に限らず、公園などに保存されている都電の車両の脇に移設しておけばよかったのにと思うが、ぼくがこの架線柱を目にしても都電とは結びつかず、見過ごしているに違いない。
『須田町派出所の行方』には交番の跡地の写真を出している。そこに「若林名刺印刷」の店が記録されている。若林名刺印刷の右にもう1軒あったようで、それらが撤去された後が『1980’s』の写真になるのだろう。
2008(平成20)年3月18日
万世橋袂の小屋の後ろに写っている黒っぽい柱が都電の架線柱。遠景に写っていたのをトリミングしたのでぼけているが、柱頭に球をつけたようなタイプのものと分かる。
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あの架線柱の辺りは、撤去の直前の状況では自動販売機が置かれていたようです。本当に、あの架線柱はたてもの園に保存して上げられれば良かったのにと思います。恐らく昭和40年代のままと思われる広告も付けられたままでした。
こちらの交番跡の敷地に止まっているのは、違法駐車車両の移動をやっていたレッカー車ですね。最近は路上駐車も激減していて、見る機会も減ったように思います。
3年前に撮った写真に当の電柱が写っている1枚がありましたので本文に追加しました。プレハブ小屋の真ん中に立っているように見えますね。これでは撤去もできず最近まで残っていたのも分かります。
車と子供の洋服が時代を感じさせていますね。
今もどっかにあるのかな。
現存する交番では皇居の二重橋前の交番がかなり古そうですがいつのものかは知りません。
昭和50年代なら昭和初期に建てられたようなコンクリート造りの交番はけっこう普通にみられましたね。今はほとんどが撤去されたのではないでしょうか。
今回も素晴らしい懐かしい貴重な写真をありがとうございます。
また、小生のサイトにリンクつけていただき重ねて御礼申し上げます。
◎雨の夜中にトラックで徹夜の搬送云々は、
江戸東京博物館映像ライブラリーに移設の記録が残っていて
だいぶ以前にそれを拝見し参考にしたものです。
「雨の夜中……」はなかなか感じが出ていて、欠かせない記録ですね。