東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

豊島区(現代)~トロリーバスの遺構?

2011-06-11 18:00:00 | 豊島区
さて、80年代写真を出し終えて、何をするかなと思ったら、このことをまだどこにも書いていなかったことを思いだした。そもそものきっかけはこれ。


神田万世橋橋畔にあった都電の架線柱である。この架線柱は丁度、旧万世橋駅の行き止まりの高架のところで、歩道とその間に微妙な空白地帯があり、戦後のゴタゴタした時期からなのか分からないが、そこに小さな店舗を構えていたりとかで、撤去されることなくずっと東京の町が変わり続けていくのを見てきた。この場所から都電がなくなったのは、昭和47年11月12日のこと。それ以来でも、40年近い歳月が経過している。この架線柱は一説には都電以前の東京電車鉄道時代のものだという話もあるのだが、そうなるとこの区間が開通したのは明治36年のことということになる。元々は馬車鉄道として明治15年に開通したものが、この明治36年に電車になったわけだ。市内(当時)の路面電車が東京市営になるのが、明治44年のことである。万世橋駅の開業が明治45年のこと。もし、本当に東京電車鉄道時代のものなら、この地で100年と少しの間を過ごしてきたことになる。(年号はwikipediaによる)

という辺り、たかが古びた電柱一つでも色々と楽しむには事欠かないと言うことがお分かり頂けただろうか。しかし、この電柱、この写真を撮ったのが2010年1月14日のことで、それも周囲が整理されて剥き出しになっていたから撮影したわけである。旧交通博物館の取り壊し作業も進捗し、新しい高層ビルが建とうとしている。そんな中で、この場所も整備されてバイクの駐車場になってしまった。電柱は勿論なくなった。どうなったのかは知らない。江戸博に保存したのか問い合わせてみたけど、知らないという回答だった。

その後、家からそれほど遠くない明治通り沿いを歩いていて、妙に古い電柱があることに気が付いた。


80年代の写真には木製の電柱が沢山写っていたが、今はみなコンクリート製の電柱に変わっている。私も子供の頃は木製の電柱が古くさいと思っていたけど、今になってみると懐かしく思える。でも、ここにある電柱は鉄製のもので、しかも袴付きである。電柱の根本がコンクリートの土台になっているタイプのものである。


こういうのって、昔交通信号の電柱とかでは見た覚えがあるけど、他には都電の架線柱だよなと思いつく。だが、ここは住所で言えば上池袋の明治通りである。かつて、ここには都電は通っていなかった。そう、ここを通っていたのはトロリーバスだった!トロリーバスとは、架線から電気をとって走る電動バスである。バスの屋根にポールが付いていて、張られている架線から集電した。


これまたWikiで調べてみると、都営のトロリーバスは昭和27年から昭和43年まで、山手線沿いの四系統の路線で運行されていた。この区間は103系統の池袋駅~亀戸駅と104系統の池袋駅~浅草雷門の二系統が昭和32年、33年から走り始めていた。私は、トロリーバスには乗ったことがなかった。田端の祖父の家の帰りに両親とタクシーで帰るとき、西巣鴨近辺で明治通りを哨戒して運が良ければ青灰色のツートーンの地味なその姿を目撃することが出来たのを覚えている。

この古いタイプの電柱が残されているのは、明治通りの外回り、堀之内橋の交差点先から上池袋交差点手前までの間。外回り側だけで、内回り側にはごく普通のコンクリート電柱が立てられている。そして、上池袋交差点寄りの8本が鉄柱タイプ、池袋寄りの7本がコンクリートタイプだが、どちらもコンクリートの土台が足元にある袴付きである。


しかも、コンクリートタイプは広告看板が今は取り付けられているのだが、それ以前に直接ペンキ塗りで広告が書かれていたように見える。この通り沿いにかつて、いすゞ自動車のディーラーがあったのは覚えている。そこの広告が書かれていたのだろう。


今はこれらの電柱は、東京電力の電気の配線に使われているようだ。元々交通局が建てたものなのだろうか?いずれにしても、今時都内にこんなものがどれほど残されているのかを思えば、充分に貴重な遺構と言えるだろう。


まして、短命に終わったトロリーバスの存在した証だとすれば、本当に貴重な電柱と言えると思う。万世橋の架線柱が呆気なく消え去ってしまったように、いつかこの電柱も消え去ってしまうのかもしれない。そもそも、何故この区間のこれだけが残されているのかが謎でもある。ちなみに、堀之内橋のところは、かつては貨物線(いまは湘南新宿ライナーが走っているけど)は踏切だった。電化はされていたから、この踏切を越えるときは、トロリーバスは補助エンジンで走ったのだろう。この区間を走っていた二つの系統は、昭和43年3月31日に廃止された。都電よりも一足早く姿を消していった。それから、43年が経過している。

大塚駅と巣鴨新田近辺で、都電の架線柱をチェックしてみた。これは大塚駅近くにあった袴付きの鉄柱タイプ。鉄柱は結構あるのだが、袴付きは意外と少ない。


これは巣鴨新田の辺りで撮った専用軌道の架線柱。王子電車が開通させた区間には,M44.8と書かれたものがいっぱいある。明治44年なのだろう。鉄は手入れしているとやたらに長持ちするものだと感心する。


最後はおまけ。DRSって何かなと思って、私も見ていた。ダイハツ・レーシング・サービスが正解。10年位前の2000年頃、私は毎朝この明治通りを車で仕事に出掛けていた。その頃に気が付いていたのだが、ショールームというほどでもないものの、ガラス張りの中には古いオープンカーが飾られていた。それは白いダイハツ・コンパーノ・スパイダーだった。何故かBMWのR100RSの通称赤鼻という白い車体の先端だけオレンジに塗られた限定車が置かれていたのも見掛けたことがある。ダイハツ車のスポーティなパーツの販売や、イベントなどを行っていたらしい。ダイハツが直接というわけではないところが不思議な気がするが...。その後、どうやら会社は精算されてなくなってしまったという。今も中はがらんとしている。


といった感じで、今後もこのブログを続けていくつもりだが、更新は週一くらいになるかと思う。週末に必ず更新できるようにしていきたい。

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2 コメント

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架線柱 (流一)
2011-06-15 16:19:04
都電やトロリーバスの架線柱とは、意識になかったことで意表をつかれました。都電の車両は公園などに保存されていますが、その施設についてまで保存の対象に考えている人はまず、いないのではと思います。あるいは大宮の鉄道博物館には架線柱の何本かくらいあるのかもしれませんが。
このたび、この記事を私のブログで紹介しようと、万世橋にあった古い交番の写真をアップしました。
RE:架線柱 (kenmatsu)
2011-06-15 19:19:09
電柱は地味な存在ですから、車両のように注目を浴びることはあまりないものだろうと思います。万世橋の架線柱は出来ることなら、きちんとした調査がなされて、保存して欲しかったと思います。江戸東京たてもの園の都電の保存してある脇にでも残せれば、元々ご近所だった武居三省堂も移築されていますから...。
ご紹介頂いて、どうもありがとうございます。あの交番、あそこにあったことは記憶にはありましたが、撮影しておらず、懐かしく拝見させて頂きました。

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