ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




神田万彦。千代田区神田須田町1-28。1988(昭和63)年8月14日

中央通りの須田町交差点の南の横町を西へ入ったところ。写真右のモルタル壁の看板建築は住宅のように見える。現在は5階建てのビルに建て替わって、1階には「神田万彦/果実問屋/創業天保十年」という看板がかかっている。撮影時でも万彦の自宅兼事務所だったかと思う。
がっちりマンデー!!>…千疋屋総本店…(2014.11.09)』には、大田市場から高級果物を仕入れて千疋屋へ入れているのが神田万彦(青木稔社長)とある。千疋屋との付き合いは178年になるとか。
『子規と四季のくだもの』(戸石重利著、文芸社、2002年、1600円)を立ち読みした中に、須田町交差点角にビルを構えていた「万惣」との関係が書かれていた。初代青木惣太郎(弘化2年生まれ、川越出身)は、神田市場(多町・須田町にあったが関東大震災で秋葉原駅の北へ移転。1989年大田市場へ再度移転)の果物問屋万彦の養子になり、ノレン分け後万惣を興す、とあった。それにしても万惣は解散したということなのだろうか。
写真左の家は看板の文字がよく読めないが「時計 武田」だろうか。現在は5階建てのビルに建て替わっている。



理容室ハシモト。神田須田町1-30。2012(平成24)年3月4日

神田万彦と同じ四つ角のもう一方の角。理容室ハシモトは『 千代田区神田周辺地区における景観形成の推進のための調査』(平成17年、歴史・文化のまちづくり研究会神田研究部会)では四軒長屋としている。ハシモトが2軒を使い、写真左の壁を改装した部分に2軒、ということだろうか。昭和28年頃の火保図にはすでに「橋本床ヤ」と出ている。

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