ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



加藤陶器店、益・々
墨田区墨田3-5
2009(平成21)年3月29日

玉の井いろは通りは完成時には大正通りとよばれた。現在も墨堤通りの白髭橋東詰交差点のすぐ北から東へ向かい、東武伊勢崎線(現東武スカイツリーライン)のガードを潜っていろは通りに接続する通りが大正通りだが、完成時にはその大正通りの東半分だったわけだ。西の半分は大正4年に竣工し、その後大正7・8年に鐘ヶ淵通りまでが完成した。『玉の井 色街の社会と暮らし』(日比恆明著、2010年、2800円)によると、昭和27年に現在のいろは通りに商店会が結成され、その名称を「玉の井・いろは通り商店会」としたために通りの名称もそれにならって変更したという。
写真は玉の井いろは通りの西の起点に近い辺り。写真右奥のビルの右にY字路の角の交番がある。瓦屋根の2軒は戦後すぐに建てられたものではないかと思う。その当時は加藤陶器店、中屋酒店、荻原硝子店と並んでいた。
写真では中屋酒店だった家は1階にカラオケ喫茶「益・々」、2階に韓国家庭料理の居酒屋「どんどん」が入っている。写真では判らないが、「益・々」のテントには以前の店だったらしい「歌え!BanBan」の文字が読める。今、ストリートビューを見ると、テントは白く塗りつぶされて「カラオケ喫茶・彩花」の看板が自販機の前に置いてある。2階に出ている「益・々」の袖看板はそのままだ。


リビングフルタ。墨田3-8
2008(平成20)年12月6日

いろは通りの中ほど。生活用品のフルタは1968年の地図では「古田金物店」である。写真左の平屋の家は『玉の井 色街の社会と暮らし』の昭和28年頃の地図に「橋本とんかつ屋」と出ている、その店舗だった建物らしい。間の路地を奥へいくと東清寺/玉の井稲荷がある。参道だった道かもしれない。

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