ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




廣屋。中央区日本橋小網町2。1987(昭和62)年2月1日

「廣屋は地廻り塩も扱い、かつ醤油問屋の大店で、箱崎橋北詰の行徳河岸の角地にあった。元禄期に銚子でヤマサ醤油の醸造を始めた廣屋儀兵衛店が、原料の塩の確保と醤油の販売を目的に、享保の頃、廣屋吉右衛門に小網町で店を開かせたのに始まるという」(『日本橋小網町街並み商業史覚書』白石隆、2003年2月)。廣屋は屋号で姓は「浜口」。
廣屋は江戸時代から小網町に店を持った醤油問屋の大手で、最近まで酒類などの食品卸を中心に営業してきた会社である。廣屋の左のビルはヒゲタビルで、ヒゲタ醤油の本社である。銚子に工場がある会社で、ヤマサ醤油とは同族。
写真の駐車場は箱崎川(現在は埋め立てられて駐車場など。上を首都高6号線が走る)沿いの道路との角で、その道路が江戸明治期の行徳河岸である。行徳からの塩を陸揚げしていた場所だ。そちらに曲がらず写真右へ行けば箱崎橋。下の写真がわかりやすい。『中央区立図書館>地域資料室』から無断でお借りした。

上左写真は「新川一の9番地から鎧河岸を見る」のタイトルで京橋図書館が昭和32(1957)年に撮影した写真。手前は日本橋川で箱崎川が合流するところに箱崎橋がかかっている。日本橋川の鎧橋から箱崎川までが鎧河岸である。写真中央の建物は日本橋清掃事務所、その右に廣屋のビル。鎧河岸沿いの3棟の倉庫は廣屋の倉庫だ。
上右写真は「日本橋川と箱崎川との合流地点」で、京橋図書館が昭和43(1968)年5月に撮影した写真。左写真から10年後だが、ほとんど同じ光景だ。廣屋のビルが変わったように見えるのは4階を増築したため。

廣屋は2006年にK&Kの国分に買収されてその傘下に入った。国分も江戸時代に醤油の卸業者として始まり、廣屋と競ってきたようである。現在、廣屋のビルのあったところと日本橋川沿いの倉庫があったところにはマンションが建っている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )