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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




加古川理容室。台東区鳥越1-11。2008(平成20)年3月1日

約200mあるという鳥越おかず横丁の中心あたりの四つ角。正面が3階建ての看板建築の家が加古川理容室。その左右の家は今はしもた屋だが、左の日本家屋は元は八百屋だったらしい。おかず横丁は11時から19時まで車両通行止め。1989(平成1)年に撮ったこの辺りの写真では13時から21時の標識になっていた。
下の写真は同じ四つ角の反対側。石津酒店の後ろに日本家屋の元商家があるが、松山タバコ店だった家。『下町残照』(村岡秀男、朝日新聞社、1988年)にはタバコ屋と名鉄宅急便取次店をしていた昭和62年撮影の写真が載っている。その文章にご店主の談で、店主の父上が大工で、昭和7年頃に自分で建てた家だという。


石津酒店。1-4。2008(平成20)年3月1日

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よしや(吉弥)食品店。台東区鳥越1-7。1986(昭和61)年4月6日

おかず横丁の大佐和茶舗の向かいの街区で、蔵前橋通りへ出る路地の角に吉弥食品店がある。両端の太い柱の飾りが独特で、その間をつなぐ壁面は2階前面のベランダの手すりらしい。後退した2階は銅板貼りの看板建築。右側に蔵がついているように見える。元は質屋だったのだろうか? 食品店より質屋のほうが似合っているような造りに思えてくる。
よしやから右へ、宇治商店、兼六ずし、菅間魚店、岩田商店、三協商事と並ぶ。現在は廃業した店もあるが建物は兼六ずしがビルに建て替わっただけで、他は変わっていない。


鳥一。鳥越1-6
1987(昭和62)年3月8日

よしやから路地をはさんだ並び。角は仕舞家らしい。赤く塗った看板建築は鳥一(製麺)、出桁造りの家が魚米(うおよね、焼き魚が有名)。その左が八百悦とサニークリーニング。
この並びは現在もあまり変わりは無い。鳥一の建物はグレーに塗りなおされた。

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美容室ホットスポット。台東区鳥越1-10。1987(昭和62)年3月8日(2枚とも)

おかず横丁の西側入口から入って最初の四つ角。おかず横丁の名前を前面に出して売り出す以前の横丁である。看板建築が並んでいる。角の赤く塗った建物が美容室ホットスポット、その右が埼玉屋(なんの店だか不明)、手前の三協商事の日除けに隠れてしまったのが大佐和茶舗。
ホットスポットは現在も同じ外観で営業を続けている。埼玉屋は住居のビルに変わった。



大佐和茶舗

1枚目の写真の右へ続く家並み。左から大佐和茶舗、出桁造りの1階を住宅風に改修している角田家具(住宅地図の記載、「店」あるいは「製作所」が省略されているらしい)、田辺米店。その次は路地で途切れる。
大佐和茶舗は、現在も建物もこのままで盛業中。壁面の青い筋はタイルを並べたもの。1階の庇の上にあるレリーフの飾り帯は茶壷ではないかと思う。田辺米店は取り壊されて空地を駐車場にしている。
大佐和茶舗は 『おかず横丁』には「大佐和老舗」として載っている。本社が湯島3丁目にある会社の鳥越店らしい。

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上:銅板貼り商店。左:平野屋本店
台東区鳥越1-9
1988(昭和63)年4月10日

清洲橋通りが蔵前橋通りと交わるのが鳥越1丁目交差点で、そこからすぐ北の清洲橋通り沿い。
平野屋履物店は今も健在。商売も続けているらしい。写真では外壁を塗りなおしたばかりのようだ。
上の写真の銅板張り二軒長屋は現在では右の1軒が残っている。写真左手に写っている木造の家はなくなって跡地はわりと広い駐車場になっている。長屋の左の店は日差しを嫌う商売だから魚屋だろうか。その左の空地には児玉書店があったようだ。

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古平(こだいら)ビル
台東区浅草橋1-30
1987(昭和62)年10月4日

江戸通りのJR浅草橋駅東口からすぐ北にあった古いビル。写真左、「人形のまるぎん」があるのが山上ビルというが、その間の横丁を入ると銀杏岡八幡神社が正面にある。輸入洋酒・食品の古平本店はネットで探しても見つからない。ただ、建て替わったビルは浅草橋古平ビルというからビル運営の会社に転業したのかもしれない。右の出入り口の上の文字は「株式会社中央通信社」。
写真右に玉木屋がある。新橋に本店がある有名な佃煮店の支店だと思う。浅草橋では佃煮の店は「鮒佐」が有名で、やはり江戸通りに店を構えている。玉木屋浅草橋店は、現在は玉木ビルに建替わって店は撤退したようである。今、ビルの1階はドトールコーヒー。

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浅草橋ビル。台東区浅草橋1-1
1987(昭和62)年10月4日(3枚とも)

浅草橋ビルは浅草橋(橋名)の北西袂に現存しているわりと有名なビル。江戸通りの向かいにはやはり戦前築と思われる 本格ビルがあるが、そちらは小さくてあまり目立たないようだ。
浅草橋ビルは『総覧』には「建築年=1928(昭和3)~1929年、構造=RC6、設計=曽禰中條建築事務所?、備考=雑居ビル/昭和42年改築」とある。見たところ6階部分は増築のようなので、「昭和42年改築」とはその増築を指すのかもしれない。
上の写真は浅草橋から北のほうを撮っている。写真左から、化粧品会館、浅草橋ビル(1階はマスダ増)、空き地(清水ビルという5階建てのビルがあった。その1階は「幼稚園制服製造卸」の清水商店)、浅草橋1丁目交差点、土屋テープ(軍手、靴下)、東屋商店(ニチボー毛糸の看板)、キャッロッセ、シモジマ。
浅草橋ビルは10年位前にテナントが出てしまったとき、いよいよ解体かと思わせたが、改装してきれいになり、婦人服の店が入った。そのとき6階の増築部分を撤去している。
東屋商店とその隣のキャロッセは日東ビル(1992年8月竣工)に替わった。



東屋商店。浅草橋1-9

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左:人形の昇玉。台東区柳橋1-24
右:杏花村。柳橋1-32。2003(平成15)年11月16日

原歯科医院のある一角で、空襲での焼失を免れた狭い区域である。原医院のほかにも何軒か建て替えられずに残っている建物が数軒ある。
角にある昇玉はその北隣のビルが本社だか本館。写真右の白い家は藤人形店。1986年の住宅地図では昇玉は「東芸柳橋営業所・フレンディー」で、本社ビルのほうは空白だからまだ建っていなかったらしい。写真は建物の横手で、当然正面も撮っているのだがどこにいったのか出てこない。
杏花村(中国満漢料理)は、やはり1986年の住宅地図では「信徳商店」。Googleマップで見ると今は堺耘閣というやはり中国料理の店だ。
杏花村の横の路地を入った隣が鳥茂という居酒屋。1階は店に合わせた和風の造りだが建物は角のアールに四角い板を重ねたような飾りをつけた洋風の看板建築だ。


鳥茂。柳橋1-32

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原歯科医院。台東区柳橋1-24。2003(平成15)年11月16日

都営地下鉄浅草橋駅のある江戸通りには人形の久月のビルなどがあるが、その裏手に空襲で焼けなかった区域がある。そのなかに原歯科医院の建物があり、写真では外壁を塗りなおしたばかりなのか、きれいな外観を見せている。『総覧』では「建築年=1928(昭和3)年、木造2階建、設計・施工=竹内工務店」である。
個人医院では建物を洋館として建てることは珍しくないが、銀行にも見えるような古典様式風な外観にするのはあまりないように思う。病院のようで治療に来る人には信頼感を与えるかもしれない。



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本格ビル。台東区柳橋1-4
1987(昭和62)年10月4日

江戸通りの浅草橋のすぐ北が浅草橋1丁目交差点で、通りの東側は柳橋1丁目。その交差点の角に「本格」という薬、化粧品、洗剤などの雑貨卸問屋の会社だか店が入っている小さなビルがある。昭和44年の地図ではやはり本格が入っているが「台東ビル」となっている。戦前の築だろうが詳細は不明。現在もほとんど変わらず現存している。









熊谷ビル。柳橋1-3。1987(昭和62)年10月4日

本格ビルから東へ入ってすぐの向かい側にあったビル。これもやはりなにも判らない。現在は「トーワビル」というビルに建て替わっている。

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鳥勝の四軒長屋
台東区鳥越1-4
上:1988(昭和63)年4月10日
左:2005(平成17)年4月9日

蔵前橋通りに面して建っていた看板建築の四軒長屋。上の写真は少し右に移動して撮れば全景が撮れたと思うが、とにかく写ればいいという気持ちで撮っているようだ。今、ストリートビューを見ると取り壊されて駐車場になっている。
入っている店は1986年の住宅地図では左から、ラッキー、ますみ(そば)、住宅、鳥勝(居酒屋。やきとり・活魚料理)。



月の友香水本舗。鳥越1-2
1988(昭和63)年12月31日

蔵前橋通りから横丁を入ってすぐのところ。写真左の青いトタンの壁の家はおかず横丁に面した家で、住宅地図では空家だが倉庫にでもなっていた家らしい。洋風のモルタル仕上げの看板建築は月の友香水本舗。当然ながら詳細は不明だ。現在は古い2軒の家は取り壊されていてコイン駐車場になっている。

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