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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



トタン張り看板建築、三ノ輪一丁目会館。台東区三ノ輪1-16。2011(平成23)年9月10日

台東区立東泉小学校の周辺にある古い家を並べてみた。当ブログのここ数回も東泉小周辺の建物だったが、収め切れなかったものを掲載した。
東泉小学校の隣の公園は東盛公園という。これは学校の名前が元は東盛小学校だったのが、昭和21年に竜泉国民学校と合併して東泉国民学校と名前が変更されたためだ。




左:トタン張り看板建築。三ノ輪1-16
右:三軒長屋。三ノ輪1-17。2011(平成23)年9月10日

長屋と思われる建物は個々に改修されていて、屋根も高さと材質が異なる。とはいえ別々の家とも思えず、やはり三軒長屋なのだと思う。右の家は2階の前面に部屋を増築している。

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日の出湯。台東区三ノ輪1-15。2011(平成23)年9月10日

日の出湯は馬車通りの三ノ輪二交差点の少し南を横へ入ったところにある。外観はご覧のように東京の正統的銭湯である。ネット上の情報では、昭和7年の創業で、建物もそのときのものらしい。内部は平成19年11月に全面的にリニューアルされたということだ。三ノ輪・竜泉・日本堤といったあたりはまだ銭湯を必要とするアパート・商店・町工場などが多いのかもしれない。
建物は通りから引っ込んでいて、入り口の前は石畳の小さな広場のようになっている。植え込みもあって、銭湯が開くのを待つ場所として具合がいいと思う。


三軒長屋、ヤマシタ。三ノ輪1-15。2011(平成23)年9月10日

三軒長屋は日の出湯の裏手にある。
トタン張り看板建築のヤマシタは東盛公園の向かいにある。看板には「お好焼」とあるが、駄菓子屋で、お好焼も子供が食べるもの。

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民家。台東区三ノ輪1-26。1989(平成1)年2月19日

東泉小学校の東側が東盛公園で、その公園の北側の向かいである。右奥は明治通りの三ノ輪二交差点。写真右端はガソリンスタンドらしい。住宅地図では「金商石油サービス」。ここには、今はマンションが建っている。3軒の長屋風の古い民家は今も残っている。写真中央の物干し台のある家は外回りはきれいに改修されていて、まだ永く使っていきそうである。写真左の看板建築は取り壊されてコインパーキングになっていた。




三軒長屋、とん三
三ノ輪1-25
上:1989(平成1)年2月19日
左:2011(平成23)年9月11日

東盛公園の東の向かい側。この並びで商売の内容がはっきり分るのは写真右手の3軒の看板建築の中央、とん三というとんかつ屋。左の写真が現状で、三軒長屋はしゃれた住宅に建て替わっている。

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三軒長屋。台東区三ノ輪1-28。1989(平成1)年2月19日

東泉小学校の北側を通る通りで、下町の戦災を免れた地区に見られる木造長屋と看板建築が並ぶ景観である。現在は長屋が取り壊されたが、写真左の看板建築の家などは残っている。3階建てのコールドンブルーは 昭和通りにある店の支店だろうか? 営業しているようには見えない。あるいはケーキを作っているところだろうか? 電柱に看板がある「旅館つばめ荘」は長屋の裏にある。下の写真右のモジャハウスがそれ。



大井工業。2005(平成17)年7月31日

1枚目の長屋の全景。四軒長屋にもみえるが三軒長屋に大井工業の家が隣接しているのだろう。1枚目の写真から15年経っているので、物干し台はなくなっていたり、金属製の柵のものに替わったりしている。ストリートビューで現状を見ると、一帯の建物を含めて解体されて広い空地になっていた。

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十方堂印房、コールドンブルー。台東区三ノ輪1-28。2005(平成17)年7月31日

昭和通りの大関横丁交差点のすぐ南に、古い家が2軒並んで今も残っている。現在はこの2軒の両側ともマンションが建っている。バス停は「三ノ輪駅前」。日比谷線の三ノ輪駅が昭和通りの下にある。
大関横丁交差点を頂点に、昭和通りと明治通り、それと区立東泉小学校の北を通る通りで囲まれる三角形の地域は空襲の被害を免れている。そこで見られる古い建物は戦前からあったものとみていいと思う。
現在、十方堂印房は廃業したらしく看板を降ろしてしまったが、ケーキと喫茶店のコールドンブルーは健在。中の様子などを『淳喫茶コレクション>東京・三ノ輪・コールドンブルー』が紹介している。



東洋精機。三ノ輪1-28。1989(平成1)年2月19日

1枚目の写真の右側に続く家並み。住宅地図では、左の空地が「住友建設管理地」、日本家屋の店が「和田」、カシオ計算機の看板が「東洋精機」。
平成21年2月に「グローベル ザ・ステーション三ノ輪」という15階建て、70戸のマンションが建った。

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長屋。台東区根岸3-11。2008(平成20)年5月7日

尾竹橋通りの裏道、根岸小学校の北にある長屋。今は三軒長屋であるが元はおそらく八軒長屋ではなかったかと思える。この長屋の裏(東側)には中庭を介してやはり八軒長屋があった。平成元年の航空写真( 『国土情報ウェブマッピングシステム>カラー空中写真』)では写真の西棟はすでに現在のような状態になっているようだが、裏の東棟は昭和22年の航空写真( 『goo地図>昭和初期航空写真を見る』)と同じ屋根の形である。取り壊されるまで、建築時からあまり変わらないまま残っていたらしい。ぼくは東棟がまだあった時期にこの辺りを歩いているがまったく覚えていない。
『東京の町を読む』(陣内秀信・板倉文雄・他、相模書房、昭和56年)に、震災後の「dタイプ」とされている長屋で、それ以前の長屋が共同井戸など路地までも生活の場と考えていたのを、水道を引き込むことで台所が私的空間に取り込まれ、1階の平面構成が変わってきたのだとしている。建物本体から各戸ごとに玄関が飛び出ている。この部分は土間で、その右はもともとは植栽などのスペースだったらしい。写真ではコンクリートブロックで囲んで部屋を増築している。


2006(平成18)年4月9日

右の地図は『東京路上細見3』(酒井不二雄著、平凡社、1988年)から流用した『東京下谷根岸近傍図(部分)』(明治34年)。長屋の前の道は『根岸近傍図』に「かねこやしき」と記されている道である(上の地図で左下)。道路の名称のようではないから中根岸40番地の辺りの地名だったのかも知れない。『ディープに迫る!日暮里と根岸の里』の解説では、「かねこやしき(金子屋敷):文久元年の諸家人名録に見える 抱屋敷と思われるが由来不明」。
長屋があるのは金子屋敷右下の「40」のブロックで、円光寺(藤寺)の墓地との間に路地が鍵形に入っている。上の角が欠けたようになっているが、この路地の形は東棟の長屋の形にも影響して、長屋の北側の2軒は幅が狭い。

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酒井工務店。台東区根岸3-6。2006(平成18)年4月9日(2枚とも)

言問通りの鶯谷駅の付近から北へ入る横丁。入った正面に 西宮邸がある。写真は横丁の奥から撮っていて、写真右奥へ行くと言問通りに出る。住宅が3棟並んでいる。いずれも洋風の味付けだが洋館とまではいかない。
真ん中の青い瓦の玄関の家は「酒井工務店」の表札がある。入口が2つあるのは会社と住居で分けているらしい。医院だったような感じもする。この家には住所の表札もかかっていて「下谷区上根岸○○番地」である。下谷区と浅草区が合併して台東区になったのは1947(昭和22)年3月だから、普通に考えればこの家は戦前に建ったものとしていいかと思う。
写真左の家は塀に囲まれていて庭木もあって見えにくいが、玄関の造りなどはかなりのものだ。写真右の家はモダンな和風に見えるが2階は小さなアーチの窓が開いているだけだ。



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本藤理髪店。台東区根岸3-22
2005(平成17)年10月8日

柳通りの根岸4丁目交差点の東南の角は古い日本家屋の民家で、その家と並んで本藤(ほんどう)理髪店がある。このたたずまいだから、今も営業しているのかどうか分からないが、有名だと思う。
『東京路上細見3』(酒井不二雄著、平凡社、1988年)によると、1925(大正13)年の創業。椅子だけは新しくしたようだが店内の調度品は創業当時のものがいまだに使われているという。鏡はドイツ製、柱時計も大正14年製の骨董品。スリッパに履き替えて上がるのだそうだ。黙って座れば刈上げにされてしまいそうだ。
正面中央にかかる「本藤理髪店」の看板の上に一回り小さい板の看板がある。右から「整容浄髪」と書いてある。ストリートビューを見るとこの看板がなくなっていた。
『東京路上細見3』には「東京下谷根岸近傍図」(明治34年)の一部が載っている。本藤理髪店の辺りと思われる「中根岸75」に「カリコミ店」と書き込まれている。『ディープに迫る!日暮里と根岸の里』には根岸近傍図の詳しい解説があり、「カリコミ店」について「床屋。明治34年ごろは板敷きで、入り口で上草履に履き替えて、待合の長椅子で待つというスタイルが一般的。」とある。本藤理髪店との関係の有無はもちろん不明だ。

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雄飛堂薬局。台東区根岸3-18。2008(平成20)年5月7日

金杉通りの柳通り交差点で、写真右奥へ入っているのが柳通り。現在の歩道付きの通りに整備されたのは昭和12年頃で、それ以前は安楽寺横丁と呼ばれた細い道路だったという。
角が雄飛堂薬局で右へ、東不動産、理容カワサキ、関根食品店。東不動産はトタン張りの看板建築で外観から見て昭和初期の建物だろう。隣の理容カワサキとで1棟の建物かもしれない。関根食品店の建物も横を覗くと日本家屋の前面を衝立状にした看板建築である。雄飛堂の店舗は戦後のものに見える。建て替えたか改装したと思える。



鳥茂。根岸3-18。1991(平成3)年6月30日

1枚目の写真のところから柳通りを入っていくと有名な洋食の香味屋がある。その少し先である。古い家が2軒並んでいて、現在もこの2軒は残っている。居酒屋の鳥茂(とりしげ)はけっこう有名なようだ。写真左の家は魚波本店。魚屋だろうか? 現在はフィオーレというレストランになっている。

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太陽ミシン工業所。台東区下谷3-2。1989(平成3)3月19日

金杉通りの柳通り交差点と昭和通りの下谷2丁目交差点を結び通りの中間辺り。写真右の3階建ての家は伊尾米店。
太陽ミシンの家は左側の部分が削られている。長屋形式の家では何軒か分だけで建て直されることはよくある。この家の場合は隣のビルを建てるのに太陽ミシンの敷地がどうしても必要だったのかもしれない。
太陽ミシン工業所の家もだが、その隣の家もそう珍しくもない銅板貼りの看板建築だ。ただし写真中央の家は1階のガラス戸と2階の窓が建設時のままかと思える古い建具で残っている。当ブログでは銅板貼りの看板建築はかなり収録していると思うが、アルミサッシの窓に取り替えられている場合がほとんどで、古い窓の桟など残されている例は珍しい。貴重なというほどではないかもしれないが、資料の1点である。

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