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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




松岡自動車販売。台東区三ノ輪2-11。1989(平成1)年2月19日

淨閑寺の山門の前の通りの、淨閑寺のはす向かいにあった洋館。この辺りは台東区と荒川区の境で、音無川-思川の細流をその境界としているので、明治通りに出るまでは、細い通りが境界になったりしている。「三ノ輪の淨閑寺」といわれるが、淨閑寺の住所は荒川区南千住2丁目である。
この辺りで写真のような本格的な洋館は珍しいと思う。街中でこういう洋館があると個人医院であることが多い。この建物も医院だったものかもしれない。見たところ建築時から改装などはあまりしてこなかったようである。菱形の窓の桟には、なんとなく大正時代の雰囲気を感じさせるものがある。日本家屋のガラス戸なんかにも菱形の桟は使われていて、洋風のような和風のような……。欧米ではどうなのだろう。
いつ取り壊されたのか知らないが、今は駐車場になっている。

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ますや。台東区三ノ輪2-13。1989(平成1)年2月19日

前の道路は写真の辺りでは明治通りの裏通りだが、右へ行くとじきに明治通りを超えて土手通りと合流する。左後方のマンションの右に淨閑寺があり、写真左端、マンションの向かいに写っている小さい小屋のようなものは「台東区設置公衆便所」。古い家並みの裏はすぐ道路で、写真の家屋はかつての山谷掘りに建っている。昭和初期の建築と思われる看板建築もあり、この辺りでは土手の取り崩しと堀の埋め立てがほぼ同時に進められ、家屋もすぐに建ってしまったということだろうか。この家並みには居酒屋が多い。写真には「田吾作」と「ますや」がある。その間の看板建築の家は、1986年の地図では「河原堂」。



酒処あっちゃん。2005(平成17)年7月23日

ますやから右へいくと居酒屋の「みやび」「あっちゃん」の長屋がある。四軒長屋なのだろうか。長屋の右端の店は料理屋のような造りだが、住宅地図では「蓑」。写真右端の住宅は「石梅石材店」。
右の写真は長屋の裏側で、その前の道路は山谷掘りの河岸の道だった跡だ。明治の地図を見ると、山谷掘りの水源である音無川は写真の辺りで田圃への用水を分流している。それが思川(おもいがわ)で、田圃の中をジグザグに流れて明治通り沿いを隅田川へ向かう。用水といっても今でもその流れの跡が台東区と荒川区の境である。

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松井産業。台東区三ノ輪2-14。1989(平成1)年2月19日

場所は明治通りの大関交差点付近の裏通りだが、三ノ輪2丁目交差点で明治通りに合流する。裏通りはそこからまっすぐ土手通りに沿っていく形で続いている。まさにこの裏通りが吉原土手の北の端になるところだった。この辺りでは「三ノ輪土手」と呼ばれたという。
長屋構造でモルタル仕上げの看板建築と出桁造りで二階前面にベランダを設けた日本家屋の商店が並んでいる。関東大震災後に東京の下町に多く建てられた小さな店舗の代表的なタイプである。
営業しているのかどうか分からないが、写真から店名を読み取ると、看板建築は「栄基礎」と「松井産業」(ガラス戸に「サッシ」の字がある。ガラス屋か)。出桁造りの家は住宅地図では松井産業。家の右に材料や道具を置くために屋根を架けている。写真の建物はたぶん現存している。

2005(平成17)年7月23日

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観音堂の長屋。台東区三ノ輪2-14。1989(平成1)年2月19日

前の通りは、昭和通りが大関横丁交差点までだとすると、日光街道(国道4号線)である。右にすぐ明治通りとの大関横丁交差点、左へ行くとすぐ荒川区に入り、常磐線のガードをくぐる。写真左の横丁の一方の角が下の写真の橋本歯科医院があり、この横丁を入ると左にすぐ有名な淨閑寺がある。
写真の銅板貼り三軒長屋は観音堂(神仏具)にしか看板はなく、他の二軒はしもた屋か、もしかしたら空き家かもしれない。観音堂はだいぶ傾いている。車両の通行で起こる振動が影響するのだろうか。『下町残照』(村岡秀男、朝日新聞社、1988年、1500円)の昭和56年撮影の写真を見ると、観音堂の左の店は帽子屋だったようだ。観音堂の右は三ノ輪洋裁学園。その右に少し引っ込んで建っているビルは「ヨシオカ漢方相談所」で、このビルは今も替わらない。
三軒長屋の裏に、かつてやはり銅板貼りの二軒長屋があり、その一軒は「三ノ輪せんべい」、もう一軒が「にんべんや履物店」で、写真家荒木経惟(のぶよし)の生家だった。『私説東京繁昌記』(小林信彦、写真=荒木経惟、中央公論社、昭和59年、1800円)には大きな下駄を看板にした「かつての荒木宅」と「現在の風景」の写真が並べられている。「現在の風景」では三ノ輪せんべいはなくなっていて、荒木宅は子供服の店になって残っている。現在はそれもなくなり駐車場になっている。


橋本歯科医院
三ノ輪2-15
2005(平成17)年7月31日

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入谷北派出所。台東区竜泉1-10。1989(平成1)年3月26日

写真左の歩道は昭和通り、信号は下谷2丁目交差点、右の通りは竜泉1丁目と入谷1丁目の境になっていて国際通りの鷲(おおとり)神社前に出る。交番のある場所は竜泉1丁目だが、旧住所では入谷町164で、交番の後ろは金杉上町になる。町境が変なところを通っているが、昭和通りが通される以前の町境の遺構なのだろう。『 昭和16年下谷区詳細地図>入谷』の地図では「入谷町北派出所」で、入谷北派出所はその名称を継承したのだろう。昭和通りの少し南の地下には地下鉄日比谷線の入谷駅があり、交番の名称としては分りやすいものになった。
現在は写真に写っている木造の家はビルに建て替わり、交番は廃止された。

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三ノ輪町派出所。台東区竜泉2-20
1989(平成1)年2月19日

昭和通りと国際通りが鋭角でぶつかる、その内側の三角形の島にあった。現在は同じ場所に建て直されて三ノ輪交番という。下谷警察署の所管である。交番のある島の住所は竜泉だが、国際通りの向かいは三ノ輪1丁目、昭和通りの向かいは根岸5丁目、昭和通りの地下に地下鉄日比谷線の三ノ輪駅がある。都電が走っていた当時は「三ノ輪車庫」電停があったところで、三ノ輪交番の名称は適切といっていい。
写真では「警視庁下谷警察署/金杉下町交通連絡所」で、交番として機能しているのかどうか怪しい状態だ。金杉下町(かなすぎしもちょう)はほぼ現在の三ノ輪1丁目になる。旧町名だったときには交番のある島も金杉下町に含まれていた。『 昭和16年下谷区詳細地図>三ノ輪』を見ると分りやすい。地図の左端に「三ノ輪町派出所」の記載がある。同地図には三ノ輪町(みのわまち)68(現在の三ノ輪2-5)に「金杉下町派出所」がある。派出所の名称が、あるいは地図の記載が逆ではないかという疑問がなくもない。

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天一モータース。台東区竜泉3-32。1989(平成1)年2月19日

写真の通りはどて通り(馬道通り)で、写真右が三ノ輪一丁目交差点。現在、竜泉(旧住所では龍泉寺町)となっている地域のほとんどは空襲で焼き払われた。なかで東北の一画にわずかばかり焼失を免れた場所があり、それが写真の看板建築が並ぶ街区の竜泉3-32とその南(写真左方向)の竜泉3-31である。
写真左は三軒長屋で、現在も残っている。その真ん中が多田商店で、今も「駄菓子、すもも」の看板を揚げている。

写真右の交差点を左へ入ったところにあるのが下の2枚の写真の家。路地の中の看板建築の家が被写体としてはよかったかもしれない。下右写真は左写真の右に続く家並み。2軒分看板建築の家は右の横壁に窓がないので、たぶん空地になっているとこまで続いていた四軒長屋だったものと思われる。


看板建築の民家。竜泉3-32。2011(平成23)年9月10日



左:小林商事。竜泉3-34。2005(平成17)年7月23日
右:モルタル看板建築。竜泉3-31。2011(平成23)年9月11日

左写真のモルタル壁の家は中段写真の家の前の通りを西へ行った並びにあった。昭和30年代の建築だろうか。今は取り壊されて空地になっている。
右写真の家はどて通りの裏にある。きれいな状態で残っているが昭和初期に建てられた看板建築だと思う。

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左:民家。台東区三ノ輪1-3。2011(平成23)年9月10日
右:民家。三ノ輪1-3。2005(平成17)年7月23日

左写真はどて通りの裏通りになる。当ブログ前回、3枚目の写真の右に続くところだ。写真左の横丁と裏通りとは直角に交わっていない。角の家は横丁のほうに合わせて基準軸を取って、1階を前の道路に合わせている。右の家も同様だ。
右の写真は横丁に入って撮ったもの。右端の家が左写真の角の家。その左の家は二軒長屋のようだが、現在は建て替わった。やはり2軒の共同住宅だ。

下左の写真は横丁を奥へ入った四つ角から裏通りのほうを振り返っている。角の板金加工所の看板は現在ではかかってないので廃業したのかもしれない。
下右写真は四つ角の反対側。角の家と小松商店(八百屋)は2階が同一面なので、あるいは三軒長屋なのかもしれない。建物本体と横丁の間に三角形の余地が出来ていて、角の家はそこを囲って部屋を増築したようだ。

左:古谷板金加工所。三ノ輪1-3。2005(平成17)年7月23日
右:小松商店。三ノ輪1-2。2005(平成17)年7月23日

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左:ラッキー。台東区三ノ輪1-14。2011(平成23)年9月10日
右:五軒長屋。三ノ輪1-14。2005(平成17)年7月23日

ラッキーという床屋は日の出湯の斜向かいにある。その横に路地が通じているが、その両側とも古い家がかなり残っている。そこを奥へ行くと裏通りが交わる四つ角があり、写真右の長屋はその角にある。五軒長屋という規模は、東京ではいまや珍しくなったのではないかと思う。下の写真の二軒長屋の右の道路が五軒長屋がある横丁。


二軒長屋。三ノ輪1-14。2011(平成23)年9月10日

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左:水上(みずかみ)酒店。台東区三ノ輪1-1。2005(平成17)年7月23日
右:金子屋米店。三ノ輪1-1。2011(平成23)年9月10日

どて通りが明治通りにぶつかる手前で西へ入った辺り。角の水上酒店の向かいに日の出湯がある。隣の「ABCストア三ノ輪店」は1986年の住宅地図では「サンチェーン三ノ輪店」で、今は「健康壱番館」。横から見ると日本家屋の瓦屋根が見える。水上酒店の家は奥にかなり深いと分る。その後ろにあるのが「金子屋米店」のトタン張り看板建築。


左:大澤工務店。三ノ輪1-2。2011(平成23)年9月10日
右:秀佳の四軒長屋。三ノ輪1-14。2011(平成23)年9月10日

水上酒店の横を南に入っていった裏通りにある長屋。大澤工務店の自宅入り口前に「下根岸町会/第十組」の防火用水の箱が置かれている。ここ三ノ輪1丁目は昭和40年の住居表示制度実施以前は「金杉下町」。下根岸町は現在の根岸5丁目で、隣接してはいるが別な町に思える。この辺りの町名の変遷は複雑で簡単には解明し難いのだが。

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